AIって普通にダメ出ししてくるんですね。
世界が、止まっていた。
比喩ではない。
滅びたわけでもなければ、生命が死に絶えたわけでもない。
ただ、止まっていた。
王都中央広場。
いつもならば商人の呼び声と人々の話し声、荷馬車の車輪が石畳を叩く音で満ちているその場所は、今や異様な静寂に包まれていた。
いや。
静寂という表現すら、正確ではないのかもしれない。
静かなのではない。
音というものが、存在することをやめているのだ。
果物屋の店主が口を大きく開けている。
おそらく客を呼び込もうとしていたのだろう。
だが、その口から声が発せられることはない。
露店の前では、一人の少年が林檎を落としていた。
赤い果実は石畳へ落下することなく、少年の指先から数センチ離れた空中に浮かんでいる。
馬車を引いていた馬は前脚を上げたまま静止している。
噴水から吹き上がった水は、無数の透明な粒となって宙に留まっていた。
風に舞った一枚の木の葉さえ。
雲さえ。
鳥さえ。
何も動かない。
そして――
「…………」
青年は一人、王都の中央に立っていた。
銀色の鎧。
腰に佩いた聖剣。
数多の戦場を越えてきた身体には、大小無数の傷跡が刻まれている。
この国で彼を知らぬ者はいない。
勇者レオン。
王国最強の剣士にして、神託によって選ばれし救世の英雄。
そして何より。
魔王を討ち滅ぼし、この世界を救う運命を背負った男。
「……なぜだ」
レオンの声だけが、死んだ世界に響いた。
返事はない。
当然だった。
誰も動かないのだから。
「どうなっている……」
最初は魔法だと思った。
時間停止。
古代魔法について記された文献の中には、その存在を示唆する記述が確かにあった。
だが、あり得ない。
時間に干渉する魔術など、人間どころか古の大賢者ですら数秒が限界だったとされている。
ましてや。
世界全体を止めるなど。
「…………」
レオンは空を見上げた。
太陽がある。
だが、動かない。
どれほど待っても、その位置は変わらない。
昼が終わらない。
夜が来ない。
世界から「次」が失われている。
その事実を理解した瞬間。
レオンの脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。
「……魔王」
世界の理を踏みにじるほどの力。
神すら恐れぬ存在。
そして今まさに、世界を滅ぼそうとしている者。
もし。
この異変を引き起こせる存在がいるとするならば。
答えは、一つしかなかった。
◆
魔王城。
人類領域最北端。
瘴気に覆われた暗黒大陸、その中央にそびえる漆黒の城。
本来ならば、魔族の軍勢が幾重にも守りを固めているはずだった。
だが。
誰も動かない。
門番は槍を構えたまま。
城内を巡回していた兵士は、一歩を踏み出した姿勢のまま。
魔術師の手から放たれようとしていた黒炎さえ、その掌の上で静止している。
レオンは誰にも阻まれることなく城内を進んだ。
そして。
巨大な扉の前へ辿り着く。
魔王の間。
聖剣の柄を握る。
世界を救うため。
たとえ、この先に何が待っていようとも。
レオンは扉を押し開けた。
「魔王ッ!!」
轟音。
巨大な扉が左右へ開く。
その向こう。
漆黒の玉座。
そこに――
「…………あ」
男がいた。
黒髪。
黒衣。
禍々しい魔力を纏った、一見すれば人間とほとんど変わらぬ姿。
だが間違えるはずもない。
魔族の王。
世界最大の災厄。
勇者レオンが倒すべき宿敵。
魔王クロード。
その男は。
「…………」
「…………」
玉座に横向きに寝転がっていた。
頬杖をついて。
「…………」
「…………」
しかも暇そうだった。
「……何をしている」
「見て分かんない?」
「分からん」
「暇してる」
「…………」
あまりにも予想外の回答に、レオンの思考が数秒停止した。
世界の時間は既に停止しているので、ある意味では大差ない。
クロードは大きな欠伸をする。
「いやぁ、よかった」
「何がだ」
「やっと来た」
「……私を待っていたのか?」
「うん」
クロードは身体を起こした。
「だってさ」
そして。
静止した魔王城を見渡しながら。
「お前以外、誰も動かねえんだもん」
「――!」
レオンが聖剣を抜いた。
刃がクロードへ向けられる。
「やはり貴様か!」
「何が?」
「とぼけるな! この世界をこのような姿に変えたのは貴様だろう!」
「…………」
クロードの表情が止まった。
それから。
「俺?」
「貴様以外に誰がいる!」
「いや俺じゃねえよ」
「嘘をつけ!」
「なんでだよ」
「世界中の時間が停止している! 人間も魔族も、動物も水も風すらもだ! これほどのことができる存在など――」
「俺にもできねえよ」
「…………何?」
あまりにもあっさり否定される。
「時間止める魔法なんて持ってねえし」
「ならばなぜ貴様は動いている!」
「それは……」
クロードが口を閉ざした。
その反応を、レオンは見逃さなかった。
「やはり何か知っているな」
「…………」
「答えろ」
「…………」
魔王は、しばらく黙っていた。
やがて玉座から立ち上がる。
先ほどまでの気の抜けた雰囲気が消える。
その目に。
レオンが今まで一度も見たことのない、奇妙な感情が宿った。
諦念。
あるいは。
ずっと恐れていた何かが、とうとう訪れてしまった者の目。
「……とうとう、この時が来たか」
「何?」
「いや」
クロードは静かに首を振った。
「いつか来るとは思ってた」
「何の話だ」
「この世界が止まる日だよ」
ぞくり。
レオンの背筋を寒気が走る。
「……知っていたのか?」
「可能性はな」
「どういう意味だ」
答えない。
クロードは歩き出した。
玉座の横。
巨大な窓から、外を見る。
暗黒大陸の空。
禍々しい紫色の雲が、完全に静止している。
「レオン」
「……なぜ私の名を」
「知ってるよ」
「会ったことはないはずだ」
「知ってる」
「なぜだ」
「お前が勇者だから」
「…………?」
クロードが振り返る。
「この世界の主人公だからだ」
「……主人公?」
聞き慣れない言葉だった。
「何だ、それは」
「そうなるよなぁ……」
クロードは頭を掻いた。
「どこから説明すりゃいいんだ」
「最初から説明しろ」
「最初からやると死ぬほど長いぞ」
「時間ならある」
「…………」
二人は同時に、止まった時計を見る。
「……確かに」
「説明しろ」
「分かったよ」
クロードが溜息をついた。
「まず」
そして。
「この世界には、神がいる」
レオンの表情が変わった。
「……そんなことは知っている」
創世神アルディア。
世界を生み出し、人を作り、魔族を作り、精霊を作ったとされる唯一神。
神殿では毎日のように祈りが捧げられている。
だが。
「違う」
クロードは首を横に振る。
「そいつじゃない」
「何?」
「アルディアなんて神じゃない」
「貴様――!」
「設定上は神だけどな」
「せってい?」
「今は流せ」
クロードは天井を指差した。
「もっと上だ」
「天界か?」
「違う」
「では何だ」
「この世界そのものより上」
「…………」
「俺たちが知覚できない場所に、この世界を作った存在がいる」
レオンは黙った。
荒唐無稽。
そう切り捨てることもできた。
だが。
今。
世界は止まっている。
そんな現実を前にして。
常識など、どれほどの意味があるのか。
「……創造主」
「まあ、そう」
「その存在が……世界を止めたというのか?」
「正確には違う」
「何が違う」
「止めたんじゃない」
クロードは言った。
「進めなくなったんだ」
「……どういう意味だ」
「この世界にはな」
魔王の声が低くなる。
「最初から未来なんて存在してない」
「…………」
レオンは理解できなかった。
「未来が……ない?」
「そう」
「だが、我々は今日まで生きてきた」
「そう思ってる」
「何?」
「昨日があって、今日があって、明日が来る。そう思ってるだろ?」
「当然だ」
「でも違う」
クロードが、自分の頭を指差した。
「お前が覚えてる昨日は、本当にあったのか?」
「何を――」
「十三歳の冬」
突然。
クロードが言った。
「お前は故郷の村で、幼馴染のエリナと喧嘩した」
「――!」
「理由は、お前が勝手に魔物退治に行ったから」
「なぜ、それを……」
「十六歳。王都に出て、騎士団の入団試験を受けた」
「…………」
「でも落ちた」
「黙れ」
「筆記で」
「黙れ」
「しかも歴史が十三点」
「黙れと言っている!」
「その後、神託で勇者に選ばれた」
「なぜ知っている!」
レオンの声が玉座の間に響く。
誰にも話していない。
話すはずがない。
特に十三点の件は。
「……全部」
クロードが言った。
「書かれてたからだよ」
「書かれて……?」
「そう」
魔王は目を閉じた。
「この世界は物語だ」
沈黙。
「俺も」
自分を指す。
「お前も」
レオンを指す。
「王も、エリナも、騎士団長も。そこら辺で止まってる兵士も」
そして世界を指す。
「全部」
「誰かが書いた、物語の中にいる」
「…………」
「それを書いてる奴が――」
クロードは上を指差した。
「作者だ」
「……作者」
「俺たちにとっての、本当の神だ」
レオンは何も言えなかった。
理解できない。
いや。
理解することを、本能が拒絶している。
「では……」
ようやく声を絞り出す。
「私たちの人生は……最初から決められていたというのか?」
「基本的には」
「私が勇者になったことも」
「ああ」
「仲間と出会ったことも」
「ああ」
「父が死んだことも?」
「…………」
クロードは少しだけ目を伏せた。
「……ああ」
レオンの手が震えた。
「ふざけるな」
「…………」
「ならば私たちは何だ」
「登場人物」
「私たちの意志は!」
「ある」
即答だった。
レオンが顔を上げる。
「……何?」
「少なくとも、お前にはある」
「なぜ分かる」
「作者が言ってたから」
「神が?」
「『こいつ勝手に動くんだよね』って」
「…………」
「プロット無視して勝手に行動するタイプだったらしいぞ、お前」
「…………」
「そのせいじゃねえかな。お前が今動けてるの」
「待て」
「ん?」
「その……ぷろっとというものから説明しろ」
「そこから?」
クロードは頭を抱えた。
それから延々と説明した。
小説。
物語。
作者。
読者。
章。
話数。
投稿。
更新。
クロード自身についても。
「俺は厳密には、この世界の人間じゃない」
「魔族だろう」
「そういう意味じゃない」
クロードは遠い目をした。
「俺、転生者なんだよ」
「転生……」
「元々、作者側の世界にいた」
「……では貴様は神なのか?」
「違う」
「神の眷属?」
「違う」
「では何だ」
「読者」
「…………」
「この作品読んでた」
「…………」
「で、気付いたら中にいた」
「…………」
「しかも二次創作主人公として」
「…………」
「原作だと魔王、別人なんだよね」
「待て」
「何」
「情報が多すぎる」
「だから言ったじゃん」
レオンは額を押さえた。
頭痛がしてきた。
世界が止まったことより、今聞かされている話の方が頭がおかしくなりそうだった。
だが。
最も重要な問いが残っている。
「……分かった」
「お?」
「いや、何一つ分かってはいない」
「だろうな」
「だが仮に、貴様の話がすべて真実だとしよう」
「うん」
「その作者とやらが、この世界を作った」
「そう」
「そして作者が物語を書くことで、我々の世界に未来が生まれる」
「そうそう」
「ならば」
レオンはクロードを見る。
「なぜ、世界は止まった?」
「…………」
クロードが黙った。
「……クロード?」
「…………」
先ほどまで饒舌だった男が。
初めて。
明確に、答えることを拒んだ。
「答えろ」
「……知らない方がいい」
「何?」
「マジで」
クロードは顔を背けた。
「それだけは知らない方が幸せだと思う」
「どういう意味だ」
「世界の真実なんて知らない方がいいんだよ」
「ここまで話しておいて何を言う!」
「いや、だって……」
クロードの顔に。
苦悩が浮かぶ。
「……俺も信じたくなかった」
その声は、かすかに震えていた。
レオンは息を呑む。
「最初は……何か理由があると思った」
「理由?」
「ああ」
クロードは窓の外を見る。
「一日」
静止した空。
「一週間」
動かない雲。
「一ヶ月」
沈まない太陽。
「ずっと待った」
「…………」
「きっと、また動き出すと思ってた」
クロードは拳を握る。
「でも」
沈黙。
「動かなかった」
「…………」
「だから俺は考えた」
その横顔は。
世界を滅ぼす魔王のものではなかった。
ただ。
答えのない問いを抱え続けた、一人の男の顔だった。
「神に何があった?」
レオンは黙って聞く。
「病か?」
「…………」
「事故か?」
「…………」
「何か、この世界を続けられない事情ができたのか?」
クロードの声が。
少しずつ。
震えていく。
「俺は待った」
「…………」
「待って、待って、待って……」
そして。
「三年だ」
「…………三年?」
「ああ」
レオンは息を呑んだ。
三年。
この男は。
誰も動かない世界で。
たった一人。
三年間。
「……クロード」
「だから」
魔王は振り返った。
「もう分かってるんだ」
「何がだ」
「真実が」
「…………」
「認めたくないけどな」
その表情を見て。
レオンは確信した。
恐ろしい真実なのだ。
世界が停止した理由。
神が世界を見捨てた理由。
あるいは。
この世界の存在そのものを根底から覆す、何か。
だが。
逃げるわけにはいかない。
自分は勇者だ。
この世界に生きる者たちの未来を背負う者だ。
たとえ。
その真実がどれほど残酷なものであろうとも。
「言え」
「…………」
「クロード」
「やめとけ」
「言え!」
「知ってどうする」
「それを決めるのは私だ!」
「どうにもならない!」
「それでもだ!」
聖剣を抜く。
切っ先を魔王へ向ける。
「私はこの世界を救う!」
「だから無理だって!」
「なぜだ!」
「だから!」
「神に何が起きた!」
「…………」
「なぜ世界は止まった!」
「…………」
「なぜ未来が来ない!」
「…………」
「答えろ、魔王!」
「…………」
「何が言いたいんだ!!」
「――だから!!」
そして。
三年間。
誰にも言えず。
一人で抱え続けた男の絶叫が。
停止した世界に響き渡った。
「作者がエタったからだよ!!!!」
「…………」
「…………」
「…………」
勇者は。
聖剣を構えたまま。
瞬きをした。
「……えたった?」
「更新が止まったんだよ!!!!」
「更新?」
「続きが来ねえの!!!!」
「何の?」
「この世界のだよ!!!!」
魔王がキレた。
「俺だって待ったよ!! 最初の一ヶ月は『まあ作者も忙しいんだろうな』って思ったよ!!」
「お、おい」
「三ヶ月目も『仕事忙しいのかな』って!! 半年経っても『スランプかもしれない』って自分に言い聞かせたよ!!」
「落ち着け」
「一年経った頃には活動報告だけでも更新されねえかなって毎日期待したよ!!」
「活動……何?」
「二年目には感想欄に『続き楽しみにしてます!』って書き込みたくなったよ!!」
「なら書けば――」
「書けねえよ!!」
「なぜだ!」
「俺、登場人物だから!!!!」
「知らん!!!!」
「こっちだって好きで登場人物やってんじゃねえよ!!!!」
「私に怒るな!!!!」
「三年だぞ!!!!」
クロードが天を指差す。
「三年!!!!」
「分かった!」
「最終更新三年前!!!!」
「分かったから剣を掴むな!」
「ブックマーク五千!!!!」
「それが何だ!」
「感想二百件!!!!」
「だから何の話だ!!」
「最終話の感想『続きが気になります!』!!!!」
「知らん!!!!」
「俺も気になってんだよ!!!!」
「私も今気になり始めたわ!!!!」
「しかも止まった場所が魔王討伐編突入直前!!!!」
「…………」
レオンが止まった。
「……待て」
「何だよ!」
「つまり」
レオンは。
恐る恐る、自分を指差した。
「私は……これから貴様を倒しに来る予定だった?」
「そうだよ!」
「…………」
クロードを指す。
「貴様は?」
「魔王として待ち構える予定だったよ!」
「…………」
「…………」
「……戦うか?」
「嫌だよ」
「私も嫌だ」
「だよな」
二人は黙った。
世界は静止している。
風は吹かない。
雲は動かない。
太陽は沈まない。
神が作った物語。
その最後の一文字から先に。
世界は進めない。
レオンは聖剣を鞘に戻した。
「……一つ聞いていいか」
「何」
「神は」
少し迷ってから。
「死んだわけではないのだな?」
「たぶん生きてる」
「病でも?」
「たぶんない」
「世界を滅ぼそうとしているわけでも?」
「たぶん違う」
「では」
レオンは。
この三年間。
誰も動かない世界で待ち続けた魔王へ。
最後の確認をした。
「なぜ、続きを書かない?」
「…………」
クロードは。
長い。
長い。
それはもう本当に長い溜息を吐いた。
そして。
「…………飽きたんじゃね?」
「それが一番救いがないだろうが!!!!」
二人の絶叫だけが。
神のいなくなった世界に、いつまでも響いていた。
◆
――なお。
作者の最終ログインは、三年前である。
何か事情があったんだよ