Ψ(Pusai) / Evangelion:R:A 作:AllZ:M
◆
然し、其れは
特務機関
報告するべきか。
其の
もし此の異常を、
もし此の個体一つの存在を、無かった事に出来るのなら。
あの人の
――否。
其の考えこそが、最も
それを、彼女自身が誰よりも理解していた。
感知器の異常などではない、明確な生体反応。
これを黙殺した先に待つのは、更なる
彼女は、
「…あなたたちは其の場で待機。私は司令に復命を」
◇
NERVに位置するその部屋は、通称「
一面に敷き詰められた
石畳の床には、特徴的な
静寂が支配する其の司令執務室の薄暗がりにて、二人の男が無言で佇んでいた。
先刻の
其れは、NERVにあまりにも深い爪痕を残していた。
「…レイ自身が
理知的な目鼻立ちの、白髪の初老の男性――冬月コウゾウは、遠い目をしながら低く呟いた。
あの凄惨な爆炎の中に消えた少女。
幾ら肉体は繋ぎ止められても、其の魂までもが、其のまま元通りになるわけではない。
「
冬月は、背後に目配せをした。
「…猶予はないぞ、碇」
碇ゲンドウは、組み合わされた手元に顔を埋めたまま、ピクリとも動かない。
その眼鏡の奥の双眸は、固く閉ざされている。
「…ああ」
「それにだ」
冬月は一度言葉を切り、重苦しい
「…碇、お前の息子は、目の前で…第三の少年の精神状態は、すでに極限を超えて――」
冬月の喉が、途中で言葉を飲み込んだ。
卓上の内線通信機から、緊張を孕んだ電子音が鳴り響いたからである。
『――司令、副司令。赤木博士より緊急の言伝が入っております』
オペレーターの強張った声が、空間の冷気をさらに押し下げた。
『最深部にて異常事態が発生。…保管中の
「なに…?」
冬月の眉が、深く寄せられた。
予備の
――即ち、本来ならば魂を持たぬ
ゲンドウがゆっくりと顔を持ち上げた。
その瞳に宿るは、計算が狂ったことへの不快感か、或いは。
「…わかった。赤木君に直接報告させろ」
短く言い捨てたゲンドウの声に応えるように、重厚な扉が
◇
冬月は、リツコより手渡された記録用箋を、無言のまま
「…なんと」
彼の口から漏れたのは、驚愕とも、むしろ
「
「はい。既に生体反応が確立しております。これ以上の
リツコの返答に、冬月は僅かに目を細める。
「
彼は、其の言葉を
◇
リツコが去った後の
「無期延期の
傍らに佇んでいた、黄褐色の眼鏡の男――碇ゲンドウは、其の一部始終を、ただ静かに聞いている。
「…
冬月は、ゲンドウに訊いた。
「
彼は、窓先に宿る暗がりの景色を一瞥して呟いた。
「解析記録によれば、Ψ番の生体活性化は零号機の自爆と殆ど一致していたそうだ。あの状況下で生じた不可解な
其の言葉を拝聴するゲンドウの視線は、記録用箋にも、冬月にも向いてはいない。
彼が見ていたのは、もっと別の、遥か遠くにあるはずの誰かの面影。
――手付かずの未来に在る、
「…
其の呟きは、少なくとも、此の世界の魂に対して向けられたものでもなかった。
◆
水底に
揺蕩う
――誰かの、
――誰かの、
其れらは、いまもなお、「彼女」の裡に、
名も知らぬ、誰かの消失。
其れを悼むように、「彼女」は幾度となく、同じ問いを、胸の裡で繰り返しました。
『わたしは、なに?』
答えの無い其の問いに、応じる者は誰もおりません。
けれど「彼女」は、其の静寂の中にあっても、確かに、
水硝子の向こう側で、幾度となく交わされていたはずの、言葉にならない気配。
自分について、何かが
其の漠然とした予感だけが、「彼女」の裡に、澱のように沈んでいくのでした。
然し、其の予感の
◇
其れより、数日の時が過ぎた。
無機質な足音が、高密度の隔壁に反射して低く響く。
手に握られた記録用箋の端は、指先の微かな湿り気によってわずかに歪曲していた。
そこに印字された、記号の連なり。
――
文末に
然して、不可逆な機能喪失による余波の算定。
脳内で自動的に立ち上がる幾通りもの反論式は、然れども彼女の唇を一度も押し開くことはなかった。
用箋を折る。
二つに、四つに。
鋭利な紙の端が、手袋越しに親指の腹へ喰い込む。
白濁した照明が、規則的な周期で彼女の影を前方へ投げ出し、引き戻す。
歩調は乱れない。
だが、呼吸のたびに、肺の奥を冷涼な窒息感が満たしていく。
水硝子の分厚い層を透過し、昏い琥珀色の光が視界を包む。
此の静寂の底に、「彼女」はいる。
不純な自意識を内包してしまった、「彼女」が。
◇
重厚な隔壁の向こうから、油圧機器の微かな振音と、高周波の共振音漏れが伝わってくる。
端末が
——同一の
理性的には、単なる実験器具の廃却処理に過ぎない。
それにもかかわらず、硝子面に映る己の輪郭と、その奥に沈む無数の影を見比べた瞬間、喉の奥が焼き付くような渇きを覚えた。
水硝子の内に並ぶ、無数の同胞たち。
均一に脱色された髪、均一に肉体を歪める浮力。
生命水の中に揺蕩うそれらは、完全な幾何学的配置のまま、空洞な
リツコは白衣の襟元を正し、視線を右から左へと、機械的に滑らせていく。
視認し、確認し、計量する。
だが、網膜が捉える
あの男が注視し続けた対掌性。
あの男が追い求める、永遠の不在の代理。
均一な器質の群れ。
幾十、幾百と積み重ねられた、精巧な|仮象。
そのひとつひとつが、言葉を持たぬまま、リツコの存在価値を静かに否認していた。
——非合理なのは、わかっている。
心内で呟いた思考すら、冷ややかな自己嫌悪の毒を含んでいた。
リツコは手袋を脱ぎ捨て、剥き出しの指先で制御盤の冷却金属に触れる。
結露した水滴が、皮膚の体温を急速に奪っていく。
乾いた吐息が、ガラス面をわずかに曇らせた。
視線を下げ、コンソールの奥深くに潜むタスクへと指を滑らせる。
破棄命令の対象は、
彼女は、液晶に明滅するコマンドカーソルを見つめた。
γ番から、ω番まで。
この保管区画の培養液内の肉体を細胞膜から破壊し尽くし、細胞構造そのものを死滅へと誘導するプロトコルの画面。
存在の余剰を消去して、因果をこの場所で破断させる、
リツコの指が、その項目に触れようとした、其の瞬間であった。
――びがり、びがり。
聞こえるはずのない金切りが、鼓膜の奥で明滅した。
◆
其れは視覚を超えた、
網膜が捉えるより先に、
びがり、びがり。
明滅する
其れが何を意味するのか、「彼女」には知る由もありません。
その胎動に呼応するように、身体を形成していた
質量拘束からの解放とともに、其の瞳を開けた瞬間には、もう視界に
只管に、冷厳に静まり返った
小さな光と大きな光の点在する、
数刻前まで狭い水槽の中に漂っていた、「彼女」の小さな小さな
今や其の肉体は、其の余りにも
ふと、「彼女」は、其れを視認します。
自らの頭に取り付いていた、青白い
それらが其の末端から徐々に、まっさらに
全てが
点在する
「彼女」の
◆