ψ(Pusai) / Evangelion:R:A   作:AllZ:M

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▲第伍話 / 人(ヒト)と高次(こうじ)の造りしもの : "JAGUAR" AND "ALONE" AND "STRIKES³!"

 

 ▲

 

 微速前進の指示から、既に七分間が経過していた。

 

 J:Aの巨躯(きょく)は、海面を胸郭の高さに穿(うが)ちながら、緩慢、然し一定(いってい)の歩幅を保ちながら正八面体(オクタ・へドローン)の座する岸へと進んでいる。

 

 主画面の左半分に、英数と記号の羅列――演算回路の記述が、絶え間なく流れ落ちていく。

 幾千幾垓にも並び、入れ替わり立ち代り続ける原本源泉(ソース・コード)は、砂蕗之(さぶきの)が睨(ね)め付けるたびに行頭を入れ替え、末尾へと堆積(たいせき)する。

 

「土着要項、準備率六十二…遅いな、猶予が足りんですよ」

「遅いくらいで丁度良い。急いで撃(う)つ代物でもあるまい」

 古傷の男は、艦橋の手摺に片肘を預けたまま、欠伸(あくび)を噛み殺した。

「相手様のペースに合わせなね」

 

 交戦規定は既(すで)に三度読み上げられ、報告系統は余(あま)すところなく復唱(ふくしょう)されている。

 此処に居る誰もが、祈る術(すべ)を持たぬ代わりに、手順だけは諳(そら)んじていた。

 

「静止してくれるなら重畳。其のままオブジェにでもなってくれりゃあ、富士嶽(マウント・フジ)に代わる三十年来の観光資源になるってもんさ」

「…あの、其の台詞は議事録に残しますが」

「構わぬて、構わぬて」

 ――其の軽口が、艦橋の空気を僅かに緩めた直後。

 

「目標、距離四百まで縮まりました。…依然、静止」

 観測員の声が、半拍だけ遅れて途切れる。

 

 正八面体の内部に滞留する青白い光の束が、内部中央の球体に集まっていく。

 

 空気が一度、収縮する。

 

 ◇◆◇◆

 

 ――びぎゅうううんっ、と。

 閃(ひらめ)きが先に、音が後から艦橋を貫(つらぬ)いた。

 

 中性子の放射流線は、J:Aの左肩を掠(かす)めて海面を蒸散(じょうさん)させ、水平線の向こうまで白い航跡(こうせき)を引いた。

 

「左肩部制御棒、溶解進行! 内部リアクター第二演算結晶に損傷あり! 他損害精査中!」

「膜網(まきあみ)の遠隔固定、全系統応答なし!」

 警報が多重に折り重なり、耳孔を劈く。

 古傷の男は、手摺から肘を離して眉を顰めた。

「…奴(やっこ)さんが其の気なら、やむなし…か」

 

 ▲

 

「提案があります。遠隔波状による位相固定は断念し、"直接"に取り付かせるのです」

 砂蕗之が、端末から目を上げずに口を開いた。

 

「物理的にしがみつかせ、其の場で強制的に土着させる」

「損傷下で持つかねえ? それにアローンちゃんの動力は原子炉と例の物質の綯交(ないま)ぜだ。もし動力炉が破砕、露出でもしたら――」

「持たせます」

 其の断言の吐露とともに、砂蕗之の顔つきが変わる。

 

「持たなければ…其れまでの作戦。そして其れまでの男として、私共々が責任を一身に担い、●対から自主排斥させていただく所存」

 古傷の男は暫し黙し、短く頷いた。

 

「…ああ、但し、人に累(るい)は及ぼすな」

 

 ▲

 

 J:Aの両腕が、海面下の質量(しつりょう)を掻(か)き分ける。

 溶け出した左肩部を撫ぜるようにして確認すると、其の掌には、融解した装甲板と塩水が混ざった滞留液が、太い糸を引きながら右手に纏わりついた。

 

 其れを握り締めるようにして、前方を視認する。

 未だ青白い光を内に内包する、真紅の正八面体の輪郭を。

 

 其の瞬間、機体の姿勢が前傾に傾き、其の三又の固定肢を畳(たた)み、浮力機構を逆位相に切り替えると、其の巨躯は沈降(ちんこう)した。

 

「撃たれる前に距離を詰める…高次元生物(こうじげんせいぶつ)に対してのアプローチとしては、この上ない」

 古傷の男が、感心にも似た言葉を漏らす。

 潜航に特化した形態へと変態したJ:Aは、航路を割くようにして、一直線に突き進む。

 

 ▲ ▲ ▲

 

 

 ――其れから十数の刻も経たぬうち、機甲は岸辺の正八面体の稜(りょう)へと縋(すが)り付いた。

 装甲板が、赤熱した外殻に触れた箇所から焼け爛(ただ)れていく。

「腕部繊維が溶解! 積層耐熱板の七番から十六番までの基盤損傷(ダメージ)を光学で視認!」

「計図(ハカラヒ)システマ、予定通り作動し…っ?」

 淡々と報告を重ねる通信士(オペレーター)の声に困惑が見られた瞬間。

 其のとき、画面の記述が一瞬にして変わった。

 

「…J(s)M2(ジェイ・ジェイ・システマ)が、自律的に演算系を再編成しています。此方から令は出していません!」

 

「想定の内か?」

 古傷の男が訊く。

「いえ、想定にあるのは飽和処理まで…」

 砂蕗之の声が、僅かに遅れた。

 

 ▲ ▲ ▲

 

 其の同じ一節が、重ね重ね、繰り返し送出されている。

 処理系の側から見れば、反復型の生体(イキモノ)用Dos(ドス)干渉。

 聴く者が聴けば、祝詞(のりと)の連祷(れんとう)。

 

 どがしゃあ、どがじゃあ、と。

 J:Aの胸部扉(ハッチ)が、内側から弾(はじ)けるように開放された。

 突出した八面体の先端が、鈍い金色の光を帯(お)び、やがて、直視を許さぬ輝度(きど)へと至る。

 

 同時に、画面の記述が寸断(すんだん)され、文字列で象られたアスキーアートが一つ、組み上がる。

 

 握り拳から、親指だけが立った形状。

 但し、其の輪郭は、損傷した結晶の欠落(けつらく)を有し、右下が僅かに崩(くず)れていた。

 

「…J(s)M2(ジェイ・ジェイ・システマ)による土着要項、準備…完了です」

「軽い合図を寄越すものだな…いち機械が、結晶から飛んで祝詞まで辿り着く大偉業(シンギュラリ)をやっちったってのに」

 古傷の男が、苦笑いを零した。

「…驚いた。怪我勝ちだよ、お前自身の」

 

 ――其の、瞬間。

 

「守備回線です。通信、入れます」

「…こんな時に、何だってんだ」

 茶を濁すような報告に、若干の悪態をつく彼であったが。

 

「NEO:GQ(ネオ・ジーク)箱ノ根岳前進基地より●対へ、此方箱ノ根岳の噴出柱(プリューム)地点の隆起を確認。まもなく噴火する。繰り返す、まもなく噴火する」

 

 ――艦橋の空気が、一拍遅れて凍りついた。

 主画面には、欠けた親指の意匠が未だ静止している。

 

 其の直下に、赤い警告帯が重ねて点灯した。

 互いの意味を打ち消し合う二つの表示が、同一の画面上に並立している。

 

「…座標を」

 古傷の男の声からは、先刻までの軽さが既(すで)に抜け落ちていた。

「噴出柱(プリューム)の推定中心、箱ノ根岳南西麓。旧火口の残丘に近接。隆起は十五分で二十メートルを超え、尚も継続」

 

「ハコネ、ですか」

 砂蕗之が、端末から視線を外す。

「目標が最初に稜線を越えた、あの山の麓です。…土着要項が整った此の刻に、時刻まで符合している」

「因果の有無は不明です。但し、位相の固定に前後して、地下の微動(びどう)が増大しました」

 観測員の報告は、平坦なまま続く。

 

「前進基地の人員は退避を完了。当該区域は居住・入山とも不許可、民間の入山記録は――ありません」

「…記録には、な」

 

 古傷の男は、其れだけを言った。

 誰も、其の語尾の意味を問わない。

 

 窓の外では、金色の光を孕(はら)んだJ:Aが、紅い外殻に取り縋ったまま、其の肉体を絡めていた。

 

 作戦は、成功へと傾いている。

 然し、其の只中で。

 かつて口にした己の火の山に纏わる軽口は、今や冗談の体を成していない。

 

 無意識であった。

 手摺から離れた指が、上衣の内側へと伸びていく。

 

 布越しに触れる、角の毛羽立った感触。

 折り畳まれた、茶褐色の紙の端切(はぎ)れ。

 

 此の紙を手放す機会は、此れまでに幾度かあった。

 捨てるか、遣うか。

 其のいずれをも選ばず、懐に留め置いたのは、此の男自身の決定であった。

 

「…取捨(しゅしゃ)を、誤ったか」

 誰にも聞(きこ)えぬ独白(どくはく)は、警報の残響に呑まれて消えた。

 

 ■ ◆ 

 

 最初に、足許が撓(たわ)んだ。

 地鳴りは遠雷や、地中を這うように低く唸った。

 

 次いで、窪地の縁に立つ木々が一斉に傾ぎ、根の剥(は)がれる音が、数瞬の間(ま)を置いて連鎖する。

「――ミデンさんっ、伏せて!」

 ハルは少女の肩を庇(かば)い、地面へ身を投げた。

 

 銀膜が裂(さ)けんばかりに鳴(な)り、焚火の薪が弾け飛ぶ。

 赫灼(かくしゃく)の火は、揺れの二度目で掻(か)き消えた。

 

 闇が来る。

 遠くで倒木が折(お)り重なる音だけが、尚も続いていた。

 

 やがて揺れが、凪(な)ぐ。

「…っ、…大丈夫?」

「…ん」

 返事が傍から返るのを確認すると、ハルは漸く顔を上げる。

 ――山麓(さんろく)の中央、其の隙間(すきま)。

 山の起伏を縫うようにして、赤黒い耀(かがや)りが、漏(も)れ出していた。

 

 星も月も遮られた闇の底で、其れだけが、確かに脈(みゃく)を打っている。

 

 ふと、視線を落とした。

 少女の足元に存在した曼荼羅が、より一層と、ぐつぐつと、紅く煮え滾るような濁りを見せる。

 焚火の光は既になく、其の赤い耀りの脈打つ裡の淡い発光だけが、二人の顔を照らしていた。

 

 ハルは、懐の油紙に指を掛ける。

 "それ"を探り当てて、指で摘む。

 

 飴色の紙片に、薄明の赤が滲んでいた。

 

『はらり、はらりと鎮めなさい』という、幾度も目を通した筈の一文が、今まさに別軸の重みを帯びている。

 

 母、指先、赤い染み。

 あれは、何かを遠ざけた者の手ではなく。

 何かに、触れつづけた者の手。

 

 ――鎮める、とは。

 抑え込むことではなく、息を合わせて宥めること。

 

 紙片を持つ指が、小刻みに震えている。

 それでも、爪先は既に、赤い耀りの側へ半歩、向いていた。

 

 もし、此処で其れを。

 あの戴天遣(シト)を鎮め、使命(やくわり)を継げるのなら。

 

 然(しか)して――此の少女と、此の先に何が待つのか、其れを見届けられるのなら。

 

「…行こう、ミデンさん」

 ハルは、紙片を油紙ごと懐へ押し込んで立ち上がると、空いた右手を少女へと差し出した。

 先刻のやむなしの制止ではなく、彼女の側から取れる位置に。

 

 ミデンは、其の掌を暫し見つめていた。

 銀膜の合わせ目から、白く細い指が現れる。

 

 躊躇うような間を置いて、指先が、掌の縁に触れた。

 冷たいが、其の底には先刻には無かったものがある。

 

 火に翳(かざ)していた側の掌だけが、僅かに、熱を拾っている。

 ハルが指を閉じると、少女の指は、其れに倣うようにして、ゆっくりと、握り返した。

 

「…歩ける?」

「…ん」

 

 二人は、赤い耀りの方へ、足早に山道を駆け始めた。

 

 繋いだ手の其の二つの脈が、赤い耀りの拍と重なっていることに、気付かぬまま。

 

 

 

 ◆ 

 

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