ψ(Pusai) / Evangelion:R:A 作:AllZ:M
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J:Aと
金碧の輝きを放っていた八面体の先端が、縁から赤黒い脈状の紋に取り巻かれて、輝度がじりじりと落ちていく。
三又の固定肢の一本が、足場の岩礁に其の爪を引っ掛けようとするが、自律制御の麻痺によって縺れを起こす。
「第三固定肢、応答喪失! 炉心温度、尚も上昇中!」
「膜網との接続が完全に遮断。●対の制御を離れたいま、安全制御も意味を成しません!」
報告が、途切れなく積み上がる。
――J:Aには、炉心を内包した駆動機構が内蔵されている。
この機体に万が一が及んだとあれば、只でさえ帰還困難区域となっているSO県、及び関東全域は、
砂蕗之の声は、其の事実全てを平坦に受け止めたまま、一拍だけ間を置いてから放たれた。
「せめて、祈念しましょう。
◆ ■
折り重なっていた杉の林の倒木が、唐突に途切れた。
其処は、嘗て大規模噴火を齎した箱ノ根岳の旧噴火口。
緩やかな登りの先で、地面がひと息に低くなる縁が在る。
縁の向こう、直径にして二百メートルほどの窪みの底から、光が立ち上るのを、ミデンは視認した。
先程までに広がっていた
溶出するのは火砕した岩塊でもなく、熱気も殆ど無い。
光の柱は、強く、弱く、一定の間隔を置いて同じ高さを繰り返すのみ。
其の火口の奥にある光景を見て、ミデンは違和感を覚える。
穹に広がっているはずの
立ち並ぶ七星も、流れる彗星も。
彼女が、此処に来る前に見た景色――
「…こ、これが」
ハルが喘鳴を吐きながら、其の場で立ち止まる。
其の先の言葉は、続かなかった。
ミデンは傍らの少年の横顔を一瞥すると、其れから視線を孔の底へと戻した。
少年の眼に映っているのは、縁の内側から立ち上る、白い光の柱だけであったが、彼女の眼に映る
七つの星が、柱の根元で列を成している。
彗星が一筋、孔の壁面に沿って音もなく流れて消える。
其の奥には、更に小さな光の粒が、数え切れぬ程に点在している。
――此処を、知っている。
由来を知らない彼女、理由を持たない
けれど、あの
彼女は、探した。
星々の只中に、凪いだ風と、波と、あったはずの月の姿を。
黒い水面を真っ直ぐに切り裂いていた、あの銀の帯を。
――無いのだ。
孔の中の何処にも、其れは無かった。
探していたものが無い、ということに、謂れぬ感情を抱く。
其れが何であるかは知らないが、酷く、胸が痛んだ。
■ ◆
「…母さんは」
ハルの声は、金切るようにして掠れていた。
彼の足は、杉の根が途切れた線の上で、静止したままだ。
緑の続く稜線の向こうの土は、乾いて白く、海の砂のように崩れていた。
決して、恐怖で竦んでいるわけではなかった。
前へ送り出した筈の足が、地面に触れた時には、既に元の位置から半歩も違わぬ場所に在る。
何度繰り返しても、同じこと。
鼓膜の内側では、光の拍と同じ間隔で耳鳴りが脈打つ。
『山麓の火口の
母は、毎年、此の
縁の際まで、行ける筈がない。
触れられない領域――或いは、触れたが最後と知っていて、其れでも紙を携えて、此処へ来ていたのだ。
「…此処までしか、来られなかったんだね」
其のとき、であった。
ミデンが、一歩、前へ出たのだ。
暗黙の停止線を、越える。
ハルは慌てて指を握り込んだが、足は動かない。
其の腕だけが前へ伸びていく。
「ミデンさんっ…!」
少女は振り返らず、白い砂の上を、素足で迷いなく進んでいく。
白妙の髪先から垂れる橙の雫が、足跡に沿って点々と落ちた。
光の拍が強まる度、雫は赤黒く滲む。
小さな円を描いて、砂へ吸い込まれていく。
縁まであと数歩という所で、ミデンの足が止まった。
其の右手を、拡がる光へ差し出すと、人差し指の先が、或る場所で止まった。
押し返されたのではない。
塞がれたのでもない。
指が、其処までしか"認識"をしない。
「…ここ、まで」
小さな声が、風の凪いだ夜に、はっきりと届いた。
其れから、彼女は後ろを振り返る。
ハルの腕は、繋がれた掌が今にも解けそうなほど、完全に伸びきっていた。
ミデンの左手の人差し指の先と、ハルの右手の親指だけが、辛うじて繋がっている状態。
ミデンは、其の指先と光とを、交互に視認した。
そして、一歩後ろへ下がる。
繋いだ手が、少しずつ縮まっていく。
「…もどる」
彼女は、其の言葉だけを口から零した。
■ ◆
ハルの傍へ戻ったミデンは、少年が懐を探る手つきを、凝っと見つめていた。
油紙の結び目を解くと、飴色の端切が白い光を透かして、半ばを朱に染めた。
曼荼羅紋様の、途切れた線――其れを見て、ミデンの紅い双眸が僅かに見開かれる。
「…これ、さっきの」
彼女は、自分の足許を見下ろした。
点々と続く液体の雫が、白い砂の上に残っている。
其れから、端切の紋様へ視線を戻した。
「…にてる」
「…うん…多分、無関係じゃない」
ハルは頷くが、其れ以上の説明を、彼自身も持てずにいた。
――"此の頁の端を千切り、山麓の火口の袂にて、はらり、はらりと鎮めなさい"。
数センチ程の端切の縁へ、爪を立てる。
轟音の最中で、繊維が裂ける音を掌に感じると、小指の爪ほどの欠片が、一片だけ載った。
「…っ」
其の紙の端を人差し指に押し当てると、先端にそっと
母の指に在った赤い染みと同じ色が、ハルの指先と、端切に転写される。
凪いでいた筈の風が、其の時だけ、火口の方角へと向いた。
奇しくも、天命が味方してくれているような――或いは、此の風自体を、遠くの母が手向けてくれたような感覚。
縁へ向けて、其の掌を差し出した時だった。
横から、白い手が重なる。
ミデンの手だ。
ハルの掌の下へ指を潜らせ、同じ向き、同じ高さに、手を差し出している。
少年の動きを
其の行為に目を奪われていると、指先からはらり、と欠片が離れた。
立ち上る光の柱と、拡がる星々の彼方に向かって、紙が其の軽さに見合わず、ゆっくりと降下していく。
白い光に透けて、紋様として刻まれた赤の筆跡。
其れが、ぽわり、ぽわりと、確かな輝きとして浮かび上がる。
ハルは、脳裏で数字を数え始めた。
欠片が舞い、空中で翻る回数。
光の脈の明滅の回数。
掌から伝わる、もう一つの脈打ちの回数。
三つの間隔が揃った時、光はそっと鈍くなり、眩いばかりの輝きを沈殿させていく。
縁の内側には、低く、静かな燐光だけが残滓として残った。
巨大な孔自体は塞がらず、ただ以前の"火口"のままの輪郭を保っていたが、既に其の内部には、貯蔵されているだけの
ただ、其の底で、ミデンの瞳に焼き付いた星々の後像だけが、一定の間隔を保ったまま、静かに瞬いていた。
夜の凪ぎが、場に戻ってくる。
「…しずか」
ミデンが、そっと呟く。
ハルは少女の横顔を見た。
紅い双眸は、低くなった光を映したまま、ゆっくりと、二回ほど瞬く。
「…ぁ」
ミデンが反射的に言葉を漏らしたと同時に、其のふたつの瞳孔の上に、小さな光が点った。
遥かの空に在る、雲の切れ間。
星が一つ、覗いている。
彼女は其の周囲を、順に見渡した。
"其れ"の在るべき辺りには光が無く、闇だけが静かに広がっている。
紛れもない、新月の夜空。
「…ない」
小さな呟きが、風の凪いだ夜に溶ける。
けれど、星の光は、確かに其の瞳へ刻まれていた。
▲
砂蕗之の諦念にも似た言葉の重みが、艦橋の空気にまだ残存している間であった。
画面の左半分で、赤く蠢く文字列が、動きを止めた。
J:Aが自律的に行っていたコードの書き換えは、其の一行を最後に下方へ降りてこない。
びちびちと肩から伸び出た侵蝕線のコードは、胸部扉の縁で脈打ちを止め、正八面体の逆流的な蚕食も、其処で静止した。
墨流れの装甲に這う赤黒い筋は、其の儘の形で固定される。
「…侵蝕、停止! …停止です!」
「炉心温度、下降! 濃度、安定圏に入りました!」
観測員の声が、半拍だけ遅れて上擦る。
当の砂蕗之は、端末の上で指を震わせ続けていた。
窓の外の海岸線に立ち尽くす、巨大な機甲の姿。
其れに対する語彙を固める度に、口を開かない状況が数十秒ほど続いたあと、彼は懐の端切に触れた儘の古傷の男に目を向けた。
「…あの物質は」
呟きが、艦内に轟いた。
「…使っては、いけなかったのではないですか!」
主画面の中央では、欠けた親指の
窓の外では、赤熱していた正八面体の外殻が、深紅から暗い楔色へと変わっていく。
内側で明滅していた青白い光は、鈍い輝きに落ち着いて、其れ以上、強くも弱くもならなかった。
稜は、保たれたままに、全体が、内へ向けて縮み始める。
数百メートルあった質量が、J:Aの両腕で抱えられる大きさへと変貌した。
「…体積、急速に縮小。…しかし、重力計測値は減じません。質量は変わらないまま、物量だけが矮小化したものと」
艦橋の全員が、同じ結論を口に出せぬまま悶々としていた。
広義では、土着と呼称出来るかもしれないが。
其れは内部に鈍い光を保った儘、動かぬ結晶体となり、沈黙を果たした。
「…帝都には、土着要項は完遂と通達しろ。膜網の人的・物理的損害も含めて、我々●対が全責務を負うとも」
古傷の男が通達を要請した、其のときであった。
画面から、全ての記述が失せる。
――然して、消滅したのだ。
「…J:A、全系統応答なし」
「帰投処理、受理されません。●対の制御系統から完全に離脱しています」
観測員の報告に、砂蕗之が顔を上げる。
「…っ、我々は!」
砂蕗之の指は、腰に携えていた機械端末に伸びている。
彼は徐にそれを取り出し、台に置くと、中央に伸びているレバーに手をかけた。
●対の安全制御が、最後に残した緊急停止の暗号。
「我々はッ、
此のレバーを引けば、J:Aは操舵系統の可否に関わらず、其の駆動を停止させる。
「…
「産み落としたからには、責務が伴う」
古傷の男の発した言葉は、ドスの効いた諭しであった。
然し、命令というよりは頼みに近しい響き。
「彼奴が、何を抱えて、何処へ行くのか。少なくとも、現状は其れを見届けるしかない」
「…ですが、あれは!」
砂蕗之の声が、僅かに揺れる。
「…謀叛、です…ウチのアローンは、制御系から外れて!」
「違う、"自立"だ」
男は、窓の外から目を離さずに頷く。
「謀叛というのは、敵の策に乗じて我々に牙を向いた時に使うもんだ。"自我が芽生えた"というだけで、お前は我が子を殺めるのか」
砂蕗之の視線が泳ぐ。
彼は暫し、言葉を探していた。
彼の脳裏にあるのは、肩から湧き出した肉体的な物質。
其の機体が"人類の公理"から完全に逸脱した化け物であるという認識を、どうしても拭うことが出来なかった。
「…っ、そもそも、謀叛とは俺が言い出した例えだったか。人工知能相手に、まさか情がうつっちまったのかね」
古傷の男が頭を搔く仕草を見せたあと、熱の引いた砂蕗之は、停止レバーから指を離した。
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窓の外で、J:Aが動き出す。
三又の固定肢が、岸から離れる。
縋り付いていた両腕が、縮んだ結晶体を胸の前へ引き寄せた。
溶け落ちた左腕の繊維を、残された右腕が補って、結晶体をそっと抱え直す。
内部に鈍い光を湛えた儘の結晶体と、頭部を持たぬ機甲は、そうして、一つの影となっていく。
J:Aは海岸線に荒波をもたらしながら、SO県に上陸した。
浜の砂を踏み、其の先の夜の陸へ。
進む先には、直線の筋が一本だけ在った。
先刻に正八面体が通過し、樹冠を左右へ押し退けた跡。
箱ノ根岳の方角から此処へ伸びていた其の筋を、J:Aは、反対の向きに、辿り始める。
「…御散歩コースは踵返し、ね。…追跡、できるか」
古傷の男の問いに、砂蕗之が答える。
「…進路上は、数十年前の大災害時から既に退避が完了している区域です。T県を超えなければ、人的被害は見込まれない」
「追え、但し距離を取りながらな」
男は、懐の端切を、布越しにゆっくりと撫でた。
「…独立独歩への邪魔立ては、許されてねえ」
J:Aは、夜の戴天遣の通った道すがらを、●対の誰の制御にも拠らずに進行し続けていく。
脚を踏み締める度に、地鳴りが響く。
遥か先の山奥に残る燐光が、J:Aの
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