ソードアート・オンライン 〜二度目の人生、パラメータは累積でした〜   作:jmwuva

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4話:《リーバー》はそういう技じゃない

 

 

 

「サク君。口を開けて」

 

 第一層ボス攻略当日の朝。

 トールバーナの門前で待っていたアスナは、挨拶より先にそう言った。

 

「喉でも見るのか?」

「朝食を食べたか確かめるの。昨日、固いパン一つを食事だと言い張ったでしょう」

「今日は二つ食べた」

「量を倍にすれば合格になると思ったの?」

「昨日よりは改善している」

「栄養はほとんど改善していないわ」

 

 即座に切り返され、言葉に詰まる。

 薄灰色の外套に細剣を佩き、長い栗色の髪を背へ流している。迷宮区で再会したときにあった危うさは薄れていたが、その分だけ、俺を見る目が厳しくなっていた。

 

「これを食べて」

 

 差し出されたのは、紙に包まれたサンドイッチだった。

 

「アスナが作ったのか?」

「お店で買ったのよ。料理スキルは持っていないもの」

「そうか」

「……どうして残念そうなの?」

「人から弁当を渡された経験が、あまりなくてな」

「お弁当ではないわ。今日、途中で倒れられないための必要経費よ」

「代金は払う」

「そういうところだけ律儀にしなくていいの」

 

 アスナは顔を逸らした。朝日を受けた耳だけが、髪の隙間で僅かに赤い。

 

「それに、二人分買っただけだから」

「俺の分は?」

 

 背後から現れたキリトが、開口一番そこを聞いた。

 

「遅刻した人の分はないわ」

「今日は五分前だぞ!」

「サク君は十五分前に来ていたわ」

「こいつを時計の基準にするなよ。放っておいたら、日の出前から剣を振ってる奴だぞ」

「今日は振っていない」

「本当か?」

「抜こうとしたところで、アスナに止められた」

「未遂だっただけじゃないか!」

 

 ボス戦の朝だというのに、キリトの声はよく通った。

 緊張していないわけではないだろう。むしろ、緊張しているからこそ、普段と同じ声を出しているように見えた。

 俺はサンドイッチを半分に割り、片方をキリトへ差し出す。

 

「食べるか?」

「いいのか?」

「三人で食べるなら、三つに分けるべきではない?」

「アスナはもう食べたんだろう?」

「食べたけど……本当に、そういうところだけは気が利くのね」

 

 どこまでが褒め言葉なのか判断できなかった。

 キリトと半分ずつ食べ終える。焼いた肉と野菜の味がして、腹へ物が入った感覚もきちんと残った。

 

「これで食事は問題ないな」

「食事は、な。次は装備を確認するぞ」

 

 キリトは自分の指を折りながら続ける。

 

「回復ポーション、解毒薬、予備武器と砥石。防具の耐久値も見ておけ。転移結晶は当てにできないんだ。ボス部屋へ入ってから『忘れた』は通らないぞ」

「曲刀は昨日買ったものが一本。予備の初期曲刀が十一本。砥石が五つ。投擲用ピックが――」

「待て」

 

 キリトの目が細くなった。

 

「十二本あった初期曲刀が、どうして一本減ってる?」

「夜に少し試した」

「何を?」

「新しく買った曲刀と同じ力で振って、どこまで耐えるか」

「結果は?」

「耐えなかった」

「ボス戦の前日に武器の破壊試験をするな!」

 

 アスナが無言で片手を差し出した。

 

「何だ?」

「投擲用ピック。全部、私が預かるわ」

「必要になるかもしれない」

「必要になったら用途と狙う相手を言って。私が一本ずつ渡すから」

「投剣スキルを持っているのは俺だが」

「危険物の管理能力とは別の話よ」

 

 反論できる要素を探してみたが、見つからなかった。

 小袋ごと渡すと、アスナはそれを自分の腰へ結びつける。

 

「よし。これなら少しは安心だな」

「キリト君もよ」

「え?」

「知っていることは先に話す。一人で勝手に決めない。危なくなったら、格好をつけずに助けを求める。昨日、三人で決めたでしょう?」

「……分かってるよ」

「声が小さいわ」

「分かってる!」

 

 アスナは満足したように一度頷いた。

 

「それなら行きましょう。今日は三人とも、欠けずに戻るのよ」

 

 その言葉には、冗談を挟む隙がなかった。

 先に歩き出したアスナを追いながら、キリトが声を潜める。

 

「監視されるのは、お前だけのはずだったんだけどな」

「三人なら、互いに見ていればいい」

「妙な行動の原因は、だいたいお前だけどな」

「キリト君、聞こえているわよ」

「なんで俺まで怒られるんだよ」

 

 前を歩くアスナの肩が小さく揺れた。

 笑ったのかもしれない。だが振り返らなかったので、確かめられなかった。

 

 

 

 

 

 第一層攻略へ参加する四十五人は、トールバーナを出発してから二時間ほどかけ、迷宮区の最上階へ到着した。

 道中では普段どおり話す者もいれば、途切れるたびに新しい冗談を探す者もいた。

 しかし、ボス部屋へ続く巨大な二枚扉を前にすると、全員が口を閉じた。

 この先でHPを失い切れば、現実でも死ぬ。

 一か月前から変わらない事実が、分厚い扉の向こうで待っている。

 

「サク。さっきから扉の中央ばかり見てるけど、何を考えてる?」

 

 キリトが小声で訊いてきた。

 

「内側と外側のどちらへ開くのか、気になっていた」

「いま考えることか?」

「外側へ開くなら、正面にいるディアベルたちが挟まれる」

「ボスより扉に殺される心配をしていたの?」

 

 アスナが呆れたように長い睫毛を瞬かせる。

 

「ないのか?」

「攻略本には書いてなかったな」

「なら、確認しておく価値はある」

「お前が真顔で妙な心配を始めると、緊張していたのが馬鹿らしくなるよ」

「役に立ったのならよかった」

「褒めてないぞ」

 

 そう言いながらも、キリトの肩からは僅かに力が抜けていた。

 扉の前に立つディアベルが、集まった全員を振り返る。

 

「みんな、準備はいいか!」

 

 幾つもの返事が重なる。

 俺は一度だけ手を上げた。

 

「最後に聞きたい。攻略本と違うことが起きたら、どうする?」

 

 周囲の視線が集まる。

 余計な質問と思われたのかもしれない。それでも、攻略本の最後に記されていた赤い一文が頭に残っていた。

 ディアベルは迷わなかった。

 

「俺が撤退を指示する。だが、俺より先に異変へ気づいた者は、許可を待たずに叫んでくれ。声が届かなければ、聞いた者が繰り返す。ここにいる全員が、生きて帰るための目と耳だ」

「分かった」

「ほかには?」

 

 今度は誰も手を上げなかった。

 

「よし。勝とう。それから、全員で帰るぞ!」

 

 ディアベルの号令に、張り詰めていた空気が大きな声へ変わった。

 彼と仲間たちが扉へ手をかける。

 石を擦る重い音とともに、二枚の扉は内側へ開いた。

 

「内側だったな」

「よかったわね。最大の懸念が解消して」

「これで戦闘へ集中できる」

「本当に懸念だったのね……」

 

 アスナの溜息とともに、俺たちも暗闇へ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 最後の一人が境界を越えた瞬間、背後で扉が閉じた。

 天井近くに青い炎が次々と灯り、最奥の玉座と、そこに座る巨体を闇から浮かび上がらせる。

 人間の倍近い身体を覆う赤い毛並み。右手には骨を組み合わせた大斧、左手には丸い盾。頭上には四本のHPゲージと、その名が浮かんでいた。

 

 《Illfang the Kobold Lord》

 

 コボルドの王が立ち上がり、腹の底まで震わせる咆哮を放つ。

 同時に、玉座の前へ三つの影が降り立った。

 金属鎧と斧槍を装備した《ルインコボルド・センチネル》。攻略本に記されていた護衛である。

 

「作戦どおりだ! 壁役は前へ! 攻撃隊は左右から回り込め!」

 

 ディアベルの声を合図に、攻略隊が一斉に動き出した。

 盾を持つプレイヤーがイルファングの大斧を受け止める。激突音が広間を揺らし、その脇を攻撃隊が駆け抜けた。

 キバオウたちがセンチネルへ向かい、俺たち三人も後ろへ続く。

 

「言うとくけどな、余計な真似はすんなよ!」

 

 キバオウが前を向いたまま叫んだ。

 

「俺らが漏らした奴を止めろ。ボスには近づくな。三人で一体ずつ、確実に仕留めるんや!」

「了解した」

「ほんまやろうな?」

「キバオウ、サクの返事を疑っている暇があったら前を見ろ!」

 

 キリトが叫んだ直後、一体のセンチネルがキバオウたちの横を抜けた。

 斧槍の穂先を低く構え、こちらへ突進してくる。

 

「俺が受ける。アスナは三歩後ろ、サクは左から武器を流せ!」

 

 キリトが正面へ入り、突き出された穂先を直剣で外へ弾いた。

 

「スイッチ、サク!」

 

 呼ばれる前から、身体は動いていた。

 キリトが空けた場所へ入り、曲刀の腹を斧槍へ添える。無理に止めず、敵の力を進む方向へ流すと、重装の身体が横を向く。

 

「スイッチ、アスナ」

「ええ!」

 

 入れ替わるようにアスナが踏み込んだ。

 細剣が赤い光をまとい、鎧の継ぎ目へ吸い込まれる。大きく減ったHPを、さらにキリトの斬撃が刈り取った。

 センチネルが青い光片となって弾ける。

 

「一体! 次は右から来る。サク、ボスを見るなら一秒だけにしろ!」

「分かった」

「見ないとは言わないのね」

「武器の振り方は見ておきたい」

「なら私が前を見ておくわ。代わりに、私が入る場所を必ず空けて」

「任せてくれ」

「勝手に役割を増やすなよ。……いや、そのほうがサクを止めるより早いか」

 

 キリトが途中で諦めた。

 二体目が斧槍を振り下ろす。

 アスナの「右」という声に合わせて半歩ずれ、穂先を曲刀で外へ流した。返す刃で斬りたくなるところを堪え、敵の正面を空ける。

 そこへ、待っていた白銀の切っ先が走った。

 

「今のは、よかった」

「ほかにも言い方があるでしょう」

「かなりよかった」

「量を増やす話じゃないわ!」

「戦闘中に講評会を始めるな!」

 

 もっともな注意だった。

 直後、左手側から短い悲鳴が上がる。

 別部隊の槍使いが、ソードスキルを終えた姿勢のまま動けずにいる。死角から、撃ち漏らされたセンチネルが斧槍を振り上げていた。

 

「アスナ。ピックを一本」

「対象は?」

「左奥のセンチネル。槍使いから注意を外す」

「倒すつもりは?」

「ない。側頭部へ当てて、こちらへ引く」

 

 アスナは視線だけで敵との位置を測った。

 

「その角度なら、槍使いには当たらない。使って」

 

 小袋から抜いた一本を、こちらへ放る。

 受け取りざま、左手で肩の横へ構えた。

 

「利き手じゃなくて大丈夫なのか?」

「右手の剣を離すより安全だ」

「威力は?」

「昨日の四分の一まで落とす」

「よし。外したら俺が入る」

 

 キリトの返事と同時に、照準補助が重なった。

 指先からピックを放す。

 黒い金属片が戦場の隙間を縫い、センチネルの側頭部へ当たった。HPは一割も減らない。だが、槍使いへ向いていた赤いカーソルが俺へ変わる。

 硬直から解放された槍使いが退き、仲間の盾役が前へ入った。

 

「成功ね」

「もう一本使っていいか?」

「必要が生じたら」

「いまの成功による信用は?」

「一本分、使い切ったわ」

「厳しいな」

「お前には、それくらいでちょうどいいよ」

 

 キリトが苦笑し、アスナの細剣が俺へ向かってきたセンチネルの喉を貫いた。

 言葉とは裏腹に、呼吸は乱れていない。

 昨日までの彼女なら、自分一人でHPを削り切るまで剣を止めなかった。いまは突き終えた瞬間に下がり、次に入る俺のための道を空けている。

 

「アスナ。戻りが速くなったな」

「紙に書いて渡される前に直したのよ」

「まだ書いていない」

「書くつもりではあったのね」

「二人とも、次が来るぞ!」

 

 キリトから最も正しい注意が飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 戦いは、おおむね攻略本に記されていたとおり進んだ。

 盾役が攻撃を受け、動きの止まったイルファングへ攻撃隊がソードスキルを叩き込む。HPゲージが一本消えるたび、三体のセンチネルが降り立つ。

 キリトが敵の初動を読み、俺が攻撃線をずらし、アスナが生まれた一点へ切っ先を通す。

 一人で戦うより手数は増えた。それなのに、周囲を見る余裕まで増えている。

 一人では、剣の届く場所しか守れない。

 三人なら、その外側へも手が届く。

 

「サク君、右!」

 

 声を聞くより早く、右へ抜ける。

 直後、アスナの細剣が俺の肩口を掠める距離を走り、センチネルの喉へ突き込まれた。

 

「近くないか?」

「避けると思ったから突いたの」

「避けなかったら?」

「避けたでしょう?」

「信頼というより、結果を見てから言ってないか?」

 

 キリトが別の敵を斬りながら口を挟む。

 

「サク君なら避けると判断したのよ。あなたも、次の敵が来ると分かっていたから話しながら斬ったのでしょう?」

「……そう返されると否定しづらいな」

 

 アスナの桜色の唇に、小さな笑みが浮かんだ。

 戦いの途中でフードは外れていた。長い栗色の髪が踏み込みに遅れて弧を描き、切っ先が戻る頃には、また背へ収まる。

 

「サク。正面」

 

 キリトの声と同時に、斧槍を曲刀で受け流した。

 

「見えている」

「なら、敵を見ろ。さっきは何を見てた?」

「アスナの髪だ。視界を塞がないのかと思ってな」

 

 アスナの眉が僅かに動く。

 

「……それだけ?」

「それ以外に何かあるのか?」

「ないわ。戦いが終わったら教えてあげる」

「何を?」

「いま聞かなかったことよ」

「戦闘へ集中しろと言ったのは俺だけど、その会話は気になるな……」

 

 キリトが納得のいかない顔をしたまま、センチネルを斬り伏せる。

 二本目のHPゲージが消え、やがて三本目も半分を切った。

 攻略隊のあちこちから、声が上がり始める。

 

 いける。

 勝てる。

 

 まだ誰一人、大きくHPを失っていない。

 俺も同じことを思った。

 その考えを戒めるより早く、イルファングの三本目のゲージが消える。

 残りは、あと一本。

 部屋の隅へ、最後のセンチネル三体が降り立った。

 

「こっちへ二体来る! サクは左、俺は右! アスナは先に左を落とせ!」

 

 キリトが一体を引き受け、俺も残る一体の斧槍を弾く。

 もう一体は、刺突技を放った直後のアスナへ向かっていた。細剣を突き出した姿勢のまま、まだ技後の硬直が解けていない。

 センチネルが斧槍を振りかぶる。

 その懐へ入り、曲刀で柄を押し上げた。穂先がアスナの頭上を通り過ぎる。そのまま肩をぶつけると、重装の身体が大きくよろめいた。

 

「スイッチ、アスナ」

 

 硬直から解放されたアスナが、センチネルの胸へ細剣を突き込む。

 

「助かったわ」

「昨日、君だけを残さないと約束したからな」

「覚えていたのね」

「忘れる理由がない」

「二人とも、話すのはあとだ!」

 

 キリトが空いた場所へ入り、直剣で敵のHPを刈り取った。

 

「サク、ボスを見ろ。残り三割だ」

 

 イルファングへ目を戻す。

 ディアベルたちが攻撃を重ね、残った赤い部分をさらに削っていた。

 ボスが大きくよろめく。

 その瞬間、ディアベルが、ほかの攻撃隊より一歩早く前へ出た。引いた長剣へ青い光が集まり始めている。

 

「ディアベルが早い」

 

 アスナが鋭く言った。

 

「まだ交代の合図が出てないわ」

「最後の一撃を狙ってる」

 

 キリトの声が低くなる。

 大会でも、勝負の終わりが見えたときだけ前へ出る人間はいた。

 最後に自分の名を残したい。勝ったのが自分だと証明したい。

 その欲自体を悪いとは思わない。勝ちたいと願わない剣で、勝てることは少ない。

 だが、欲へ目を奪われれば、相手の剣が見えなくなる。

 イルファングは、まだ倒れていない。

 コボルドの王が大斧と盾を投げ捨てた。

 背へ手を回し、新たな剣を一気に抜き放つ。

 攻略本にあった湾刀ではない。

 刀身は長く、反りは浅い。柄には両手を置くだけの長さがある。

 

 野太刀。

 

「武器が違う!」

 

 俺とキリトの声が重なった。

 

「全員、退け! ディアベル、技を止めろ!」

 

 キリトが叫ぶ。

 ディアベルも気づいた。だが長剣にはすでに光が集まり、踏み込みまで始まっている。

 発動したソードスキルは、途中で止められない。

 イルファングが低く沈み、野太刀へ赤黒い光をまとわせた。

 攻略本にない武器。

 攻略本にない技。

 その軌道上に、ディアベルがいる。

 距離がある。間には、残ったセンチネルが三体。

 

「サク君」

 

 アスナの声がした。

 見ると、彼女はすでに細剣を引き、俺の視線の先へ狙いを定めている。

 

「ディアベルさんの前まで、真っ直ぐでしょう?」

「ああ。そこから左へ二歩入る」

「正面は私が開けるわ」

「右の二体は俺が三秒止める」

 

 キリトも敵との距離を測っていた。

 

「三秒で足りるか?」

「十分だ」

「なら行け。今度は、ちゃんと戻ってこいよ」

 

 昨日までなら、俺一人で敵の間を抜けようとしたかもしれない。

 いまは、その必要がなかった。

 

「アスナ!」

 

 名前を呼ぶ。

 

「分かってる!」

 

 キリトが一体の斧槍を直剣で巻き取り、そのまま身体ごと右へ引く。二体目が追おうとしたところへ肩を当て、進路から押し出した。

 正面に残る一体へ、アスナの細剣が赤く輝く。

 

「――道を開けて!」

 

 直線の刺突技《リニアー》が放たれた。

 白銀の閃光がセンチネルの胸を貫き、重装の身体を横へ弾く。

 俺からディアベルまで、一本の道が開いた。

 

「行って、サク君!」

 

 地面を蹴った。

 床も、柱も、人影も、赤い光も、一瞬で後ろへ流れていく。

 全力で走れば止まれない。

 だから、止まる場所まで先に決めた。

 ディアベルの前。

 イルファングの一撃を外し、そのまま次の剣を届かせられる位置。

 野太刀が赤黒い残光を引き、ディアベルの盾を回り込む。

 その刃が胴へ届くより先に、俺の曲刀が間へ滑り込んだ。

 金属同士が噛み合い、耳を刺す衝突音が弾ける。

 両腕へ、これまで感じたことのない重さが落ちた。

 視界の隅で、曲刀の耐久値が一息に黄色まで減る。

 初期曲刀なら、ここで折れていた。

 昨日、二人に買わされた剣は、軋みながらも刃を残している。

 

「君は……どうやって、ここまで」

 

 床へ倒れ込んだディアベルが、息を呑んだ。

 

「二人に道を開けてもらった」

 

 野太刀を外へ流しながら答える。

 イルファングは腕を引き、次の斬撃へ移ろうとしていた。

 もう一度まともに受ければ、曲刀はもたない。

 受ける必要はない。

 野太刀を持つ腕の内側へ踏み込み、曲刀を右肩へ引く。

 ただ斬るだけなら、通常攻撃でも足りる。

 だが、巨体をディアベルから確実に引き離すには、システムの補助を借りたほうがいい。

 刀身に淡い光が宿った。

 システムが構えを認識する。

 片手用曲刀の基本技《リーバー》。本来なら、斜めに一撃を振り下ろすだけの技である。

 そこへ、俺の踏み込みが重なった。

 次の瞬間、システムに拾われた一歩が、本来の軌道ではあり得ない速度へ跳ね上がる。

 曲刀が、イルファングの肩口から胴へ斜めに駆け抜けた。

 轟音が弾ける。

 コボルドの王の巨体が床から浮いた。

 いや、浮いたという表現では足りない。

 イルファングは石床の上を砲弾のように吹き飛び、最奥の玉座へ背中から叩きつけられた。

 紫色の《Immortal Object》が、玉座いっぱいに明滅する。

 頭上に残っていた最後のHPゲージが、端から勢いよく消えていく。

 

 三分の一。

 四分の一。

 十分の一。

 

 髪の毛ほどの赤さえ残さず、消えた。

 玉座へめり込んだ巨体に、無数の亀裂が走る。

 イルファングは咆哮を上げる暇もなく、青い光の奔流となって砕け散った。

 残っていたセンチネルも、主を追うように光片へ変わる。

 静寂の中へ、勝利を告げる音楽が流れ始めた。

 やがて頭上に、《CONGRATULATIONS》の文字が浮かぶ。

 終わったらしい。

 俺は曲刀を振り切った姿勢のまま、光の消えた玉座を見つめた。

 ボスなのだから、もう少し耐えると思っていた。

 

 

 

 

 

 技後の硬直が解けると、最初にディアベルへ目を向けた。

 床へ尻餅をついているが、HPバーは緑のままだった。

 

「立てるか?」

「ああ。手を借りてもいいかな」

 

 差し出した手を、ディアベルが掴む。

 立ち上がった彼は、すぐには手を離さなかった。

 

「礼を言わせてくれ。君が来なければ、俺は死んでいた」

「俺だけでは届かなかった。アスナとキリトが道を作った」

「それでも、最後に剣を受けたのは君だ」

「そうだな」

 

 否定せずに答えると、ディアベルが僅かに目を見開いた。

 

「ただ、次は助けられるとは限らない」

「……手厳しいな」

「最後の一撃を欲しがることは悪くない。勝負へ出るなら、勝ちたいと思うのは当然だ」

 

 俺は、彼が落とした長剣を拾って手渡した。

 

「だが、欲しいものだけを見ていると、相手の剣が見えなくなる。さっきの君は、ボスではなく報酬を斬ろうとしていた」

 

 ディアベルの笑みが消えた。

 

「……気づいていたのか」

「剣を見れば分かる」

「俺が最後の一撃を狙った理由まで?」

「そこまでは分からない。知りたいとも思わない」

 

 ディアベルは長剣の柄を握り、視線を落とした。

 

「攻略隊をまとめるには、強さを示すものが要ると思ったんだ。誰より前に立って、希少な装備を手に入れれば、みんなが俺をリーダーだと認める。……そう考えた」

「それを先に仲間へ話していれば、誰かが後ろを見たはずだ」

「隠したから、一人で取りに行くことになった。そういうことか」

「ああ。欲より、隠したことのほうが危ない」

 

 昨日、アスナがキリトへ言ったのと同じことだった。

 知っていることは先に話す。一人で勝手に決めない。

 ディアベルはしばらく黙り、やがて自嘲するように息を吐いた。

 

「君は、妙なところでよく人を見ているんだな」

「人より剣を見ていた時間のほうが長い。剣には、言わなかったことまで出る」

「……参ったな。俺もベータで見たことがある技なら、読み違えないと思っていた」

 

 言ったあと、ディアベルの表情が止まった。

 自分から元ベータテスターだと認めたことに気づいたらしい。

 こちらへ歩いてきたキリトも、僅かに目を見開いている。

 

「いまの話は――」

「あなたが自分で話すまで、俺から言うことではない」

「……助かる」

 

 ディアベルが、今度こそ手を離した。

 

「でも、それとこれは別だ」

 

 キリトが俺の曲刀を指す。

 

「いまの技、何だった?」

「構えを取ったら、システムの補助が入った」

「それは全員見てた。技名を訊いてるんだ」

「《リーバー》という技らしい」

 

 数秒の沈黙が落ちた。

 キリトが目を細める。

 駆け寄ってきたアスナが眉を寄せる。

 ディアベルまで、何とも言えない顔になった。

 

「「「――嘘をつけ!」」」

 

 三人の声が、綺麗に重なった。

 

「嘘ではない。技名はそう表示された」

「《リーバー》は、ボスを玉座まで運ぶ技じゃない!」

「俺もベータで何度も見た。普通の単発斬撃だ。少なくとも、あんな大砲みたいな音は出ない!」

「サク君。あなた、どのくらいの力で振ったの?」

「全力だ」

「どうして、そこで迷いなく言えるのよ!」

 

 アスナは俺のHP、腕、最後に曲刀の耐久値を順番に確かめた。

 

「怪我は?」

「HPは減っていない。剣は黄色だ」

「あなたの身体を先に訊いたの」

「HPから答えたが」

「そういう意味ではないわ」

 

 怒っている声とは反対に、その指は曲刀を握る俺の手へ触れ、震えがないか確かめていた。

 

「心配をかけたな」

 

 そう言うと、アスナの大きな瞳が僅かに見開かれた。

 

「……分かっているなら、次は先に言って」

「今回は名前を呼んだ」

「その先よ。何をするのか、どこまで行くのか、戻れるのか」

「分かった。次は、戻るところまで伝える」

「約束だからね」

 

「おい、ちょっと待てや!」

 

 キバオウが、壊れていない玉座を指さした。

 

「最後のHP、三割は残っとったやろ! それを一発で全部持ってったうえ、あの巨体を端から端まで吹っ飛ばしたんやぞ。どんな武器を使うたら、そうなるんや!」

「昨日、武器屋で買った曲刀だ」

「せやから、その名前を訊いとるんや!」

「覚えていない。握ったとき、一番勝てそうな気がしたものを選んだ」

「武器屋へ謝ってこい! 店の商品説明が一つも役に立っとらんやないか!」

 

 キバオウの言葉に、広間のあちこちから笑いが起きた。

 張り詰めていたものが、ようやく切れたのだろう。

 一つだった笑い声が二つ、三つと増え、やがて歓声へ変わっていく。

 

 第一層を越えた。

 一か月閉ざされていた道を、自分たちの手で開いた。

 誰一人、死ななかった。

 その事実が広間へ行き渡った瞬間、武器を掲げる者、仲間と抱き合う者、その場へ座り込む者が現れた。

 エギルが大きな手で俺の肩を叩く。

 

「見事だった。あんたたち三人が道をつないだから、全員揃って帰れる」

「四十五人で削ったHPを、最後に斬っただけだ」

「最後の三割を消して、それを『だけ』と言う奴は初めて見たぞ」

「なら、何と言えばいい?」

「少しくらい胸を張れ。あんたは今日、人の命を救ったんだ」

 

 胸を張る代わりに、広間を見渡す。

 四十五人分のHPバーが残っている。

 その光景なら、少し誇ってもよい気がした。

 目の前へ報酬ウィンドウが開く。

 

 《LAST ATTACK BONUS》

 

 表示されたのは、夜のように黒い外套だった。

 現在の防具より性能は高い。軽く、動きを妨げず、隠蔽にも補正が付く。良い装備なのだろう。

 ただ、曲刀ほど心は動かなかった。

 

「それ、ラストアタックボーナスか?」

 

 キリトが覗き込む。

 

「黒い外套だ」

「《コート・オブ・ミッドナイト》……第一層の防具としては破格だぞ。敏捷寄りの片手剣使いなら、しばらく替える必要がない」

「なら、キリトが使えばいい」

「は?」

 

 実体化し、そのまま差し出す。

 

「待て。これはお前が取ったものだろ」

「丈が長い。腰の鞘へ引っかかるかもしれない。背中に剣を負うキリトのほうが合う」

「そんな理由で希少装備を譲るなよ」

「性能も合っているのだろう?」

「それは……そうだけど」

「なら使ってくれ。代わりに、次の街まで道を教えてほしい」

「外套がなくても教えるよ!」

「では、得をしたな」

 

 キリトは黒い外套と俺を何度も見比べ、最後には諦めたように受け取った。

 

「……ありがとう。この借りは、いつか返す」

「返さなくていい」

「そういう意味の借りじゃないんだよ」

 

 戸惑いながらも、口元には隠しきれない笑みがある。

 

「サク君って、自分の剣を選ぶときは気持ちだ何だと何時間も悩むのに、人の装備はすぐに決めるのね」

 

 隣でアスナが言った。

 

「キリトに合うと分かったからな」

「私の装備なら?」

「必要なら選ぶ。一緒に武器屋へ行けばいい」

「……そう」

 

 長い睫毛が伏せられ、その下で栗色の瞳が僅かに和らいだ。

 

「じゃあ、次の剣を買うときは付き合って」

「任せてくれ」

「三時間は嫌よ?」

「良いものが見つかれば、二時間で済む」

「長いわよ!」

 

 アスナの声に、キリトが吹き出した。

 少し離れた場所で、ディアベルが大きく手を上げる。

 

「みんな! 第二層への扉が開いた!」

 

 玉座の奥に、新たな階段が姿を現していた。

 歓声が再び広間を揺らす。

 

「サク君」

 

 その中で、アスナが俺の袖を掴んだ。

 

「さっきの約束、忘れないでね」

「戻る場所まで伝える、だったな」

「ええ。今日みたいに先へ行くなら、私たちが追いつける場所を残して」

 

 上へ行けば、また知らない街と、知らない迷宮がある。

 今日より強い敵も、攻略本に載っていないことも増えていくだろう。

 それでも、戻る場所を考えたことはなかった。

 

「次も、二人のところへ戻る」

「二人?」

「キリトもいるからな」

「……そうね。いまは三人だもの」

 

 アスナの指から力が抜ける。

 先ほどより少しだけ柔らかくなった横顔を見て、答えは間違っていなかったらしいと思った。

 

「おーい! 二人とも置いていくぞ!」

 

 新しい外套を装備したキリトが、階段の前から手を振っている。

 黒一色の姿は、本人が思っている以上によく似合っていた。

 

「キリト!」

「何だ?」

「次の街まで案内を頼む」

「ボスを一撃で吹き飛ばした直後の頼みが、それかよ!」

 

 俺一人なら、第二層へ着く前に同じ階段を四度上る可能性がある。

 強さと方向感覚は、別の問題だった。

 こうして第一層は、誰一人欠けることなく攻略された。

 《リーバー》についての説明だけは、最後まで誰にも納得してもらえなかった。

 

 

 

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