変身ヒロインの裏方妖精 ~クラスタ魔法工房へようこそ~ 作:たけのこ教徒
朝。
「…………」
目を開ける。
最初に見えたのは、開きっぱなしの本だった。
古びた紙。
細かな文字。
端に描き込まれた図。
見慣れたばあちゃんの字だ。
「……朝か」
身体を起こす。
首が痛い。
背中も痛い。
どうやら作業机に突っ伏したまま寝ていたらしい。
周囲を見る。
机の上。椅子の上。床。
そこら中に本が積み上がっている。
昨夜、書庫から引っ張り出したばあちゃんのレシピ集だ。
あれから何冊確認したか覚えてない。
ただ、一つだけ分かっている。
「……ないな」
目的のレシピは、まだ見つかっていない。
机の端に置かれた懐中時計を見る。
淡い桃色と水色。星と花の意匠。
そして内部に刻まれていた、ばあちゃんの印。
間違いなく、ばあちゃんが作ったものだ。
なのに、レシピが見つからない。
「…………」
一冊手に取る。
開こうとしたところで、
「おはよう」
声がした。
「……ああ。おはよう」
顔を上げる。
きずなが立っていた。
昨日と変わらず、首から鍵を模したペンダントを下げている。
きずなの視線がオレから机へ。
机から、周囲に積み上げられた本へ。
そして再びオレへ戻ってきた。
「昨日寝た?」
「寝た」
「ここで?」
「ああ」
「……それ、寝たって言う?」
「言う」
「そう」
納得したらしい。
きずなが近づいてくる。
机の上に置いてある懐中時計を見る。
「まだ?」
「まだだ」
「……そう」
それだけ。
いつまで掛かるのか。
あと何冊なのか。
いつ見つかるのか。
何も聞いてこない。
昨日、自分で言った通りだ。
修理が終わるまで待つ。
だから待っている。
「…………」
「……なに?」
「いや、何でもない」
変な奴だ。
急かされても見つかるわけじゃないから、オレとしては助かるが。
開きかけたレシピ集を閉じる。
元の山へ戻した。
「探さないの?」
「あとでな」
「いいの?」
「ああ」
修理依頼を受けたからといって、それだけやっているわけにはいかない。
こっちにはこっちの仕事がある。
昨日から放ったらかしだ。
椅子から立つ。
「仕事する」
「そう」
きずなもそれ以上は何も言わなかった。
◇◆◇
作業机の上に、小さな瓶を並べる。
一、二、三。全部で十二本。
棚から別の瓶を取り出した。
中に入っているのは小さな飴。
淡い黄色をしている。
普通の人間が見れば、ただの飴にしか見えないだろう。
もちろん、そんなわけはない。
一粒摘まむ。
用意していた瓶へ入れる。
一つ。二つ。三つ。
一定の数になるよう、それぞれへ分けていく。
「…………」
カラン。
飴が瓶に当たる。
カラン。
もう一つ。
カラン。
「何してるの?」
声に顔を上げる。
少し離れたところから、きずなが見ていた。
「飴を分けてる」
「それは分かる」
「なら聞くな」
「何の飴?」
「動物の声が分かる飴だ」
「…………」
きずなが飴を見る。
「動物の?」
「ああ。鳴き声を人間の声に聞こえるようになる」
「便利だね」
「ああ。需要があるからこうして作っている」
きずなが瓶をじっと見る。
「食べるか?」
「いいの?」
「一個くらいならな」
一粒摘み渡そうとする。
きずなが受け取ろうとして――止まった。
「近くに動物いないからいい」
「その内使うだろうから持っとけ」
小瓶へ一粒入れてコルク栓をし、渡す。
きずなは小瓶を受け取ると、棚の方へ歩いていった。
「クラスタ」
「ん」
「本、読んでいい?」
「ああ」
「どれでも?」
「レシピ以外ならな」
「分かった」
本棚から一冊抜き取る。
何を選んだのかは知らない。
きずなは椅子に座ると、本を開いた。
オレも作業へ戻る。
カラン、カラン。
飴を瓶へ入れ、栓をして紐を結ぶ。
次。棚から小さな鍵を取り出す。
表面を磨く。力の流れを確認。
問題なし。
箱へ入れる。
次。昨日完成させた眼鏡。
レンズの確認。フレームの確認。
問題なし。ケースに戻す。
「…………」
パラ。
「…………」
カチ。
カチ。
パラ。
カチ。
「…………」
静かだ。
いつもと変わらない。
工具の音。
紙をめくる音。
それだけ。
ただ。いつもなら、紙をめくる音はない。
「…………」
視線を向ける。
きずなは本を読んでいた。
こちらを気にする様子もない。
オレも作業へ戻る。
カチ。
カチ。
パラ。
それからしばらく、誰も喋らなかった。
別に、喋る必要もなかった。
――カラン。
工房の入口でベルが鳴った。
手は止めない。
カラン、ともう一度ベルが鳴る。
「やあ、クラスタ」
聞き慣れた声。
「ジャックローズか」
「そうだよ」
顔を上げる。
入口に小柄な少年が立っていた。
つばの広い帽子に半袖のサファリジャケットには、大小いくつものポケット。
膝丈のショートパンツに、丈夫そうなブーツ。
背中には身体に似合わないほど大きなリュックを背負っている。
ジャックローズ。
妖精界のあちこちを回り、素材を集めている妖精だ。
ばあちゃんがいた頃から、この工房へ出入りしている。
今はオレの取引相手の一人。
「そろそろ来ると思っていた」
「もう少し歓迎してくれてもいいと思うけど」
「してる」
「相変わらず分かりづらいなあ」
ジャックローズが肩をすくめる。
慣れたものだ。
勝手に工房へ入ってくると、空いている机へ向かった。
「よいしょっと」
大きなリュックを下ろす。
中から布に包まれたものを取り出した。
「頼まれてたやつ持って来たよ」
「ああ」
作業を中断し、品質の確認をするために机に向かう。
ジャックローズが布を開く。
淡い光を放つ白銀の石--月光石。
その隣には、小さな瓶。
中で細かな粒が光っている--星屑の砂。
さらに束ねられた妖精草。
他にもいくつか。
「確認して」
「ああ」
月光石を一つ持ち上げる。
光へ透かすと濁りなし。力も十分。
星屑の砂も確認。
妖精草も問題ない。
「全部いい品質だな」
「そりゃよかった。結構遠くまで行ったんだから」
「いつも助かる」
「お」
「なんだ?」
「いや。ちゃんとお礼言えるんだなって」
「帰れ」
「交換がまだだよ」
「なら待て」
「はいはい」
ジャックローズが笑う。
それから棚を指差した。
「そこのアイテムと交換」
「ああ。分かった」
頼まれていたものだ。
棚から箱を取り出す。
ジャックローズが来るまでに作っておいた。
「ほら」
「ありがと」
箱を受け取ったジャックローズが蓋を開ける。
中身を確認。
「うん。これこれ」
「問題あるか?」
「ないよ」
「ならいい」
交換は終わり。
オレは受け取った素材を片付け始める。
「次は?」
「そうだなあ」
ジャックローズが箱を閉じながら考える。
「今度――」
言葉が止まった。
「…………」
「どうした?」
返事がない。
ジャックローズの視線は、オレに向いていなかった。
工房の隅。そちらを見る。
「…………」
きずなが本を読んでいる。
いつの間にか、きずなも顔を上げていた。
「…………」
「…………」
二人が見つめ合う。
先に口を開いたのはジャックローズだった。
「……誰?」
「きずなだ」
「そうじゃなくて」
「じゃあ何だ?」
「なんで人間がいるの?」
ジャックローズがきずなを指差す。
そっちか。
説明しようとしたところで、
「……わたし、クラスタの専属」
きずなが先に答えた。
「誰の?」
「クラスタの」
「…………は?」
ジャックローズが固まった。
「…………」
きずなが首を傾げる。
「…………」
オレは素材を棚へ入れる。
「ちょっと待って」
「なんだ」
「クラスタ」
「ああ」
「専属って聞こえたんだけど」
「ああ」
「僕、疲れてる?」
「知らん」
「いやいやいや」
ジャックローズが近づいてくる。
「専属!? クラスタに!?」
「うるさい」
「だってクラスタだよ!?」
クラスタとは長い付き合いだ。
クラスタは口数は少ない。
いや、少ないどころではない。
必要がなければ喋らない。
取引している妖精も僕以外にいないわけではないが、決して顔が広い方ではない。
何より、ほとんど工房から出ない。
「君、自分がどれだけ工房から出ないか分かってる?」
「必要なら出てるぞ?」
「素材採りに行くときくらいでしょ?」
「それで十分だろ?」
「そういうところだよ!」
意味が分からん。
ジャックローズとは長い付き合いだ。
ばあちゃんがいなくなってからも、定期的に工房へ素材を持ってきてもらっている。
そのせいか、たまに妙に馴れ馴れしい。
「他の妖精と話してる?」
「話している」
「誰?」
「おまえ」
「僕以外で」
「…………」
「ほら!」
「取引相手なら他にもいる」
「何人?」
「…………」
「数え始めないでよ」
「面倒だ」
「そんなクラスタに専属の変身ヒロインが……」
ジャックローズが額を押さえる。
「グラスさんが聞いたら驚くだろうなあ」
「もう死んでる」
「そういう意味じゃないって……」
ジャックローズがきずなを見る。
「本当に?」
「うん」
「無理やりとかじゃなく?」
「わたしが決めた」
「…………」
また黙った。
「ちょっと難しい依頼を受けてな。それが終わるまでだ」
「依頼?」
「ああ」
机へ戻る。
パステルカラーの懐中時計を手に取り、ジャックローズへ見せた。
「これ」
「懐中時計?」
「壊れてるけどな」
「修理してほしいから来た」
きずなが補足する。
「それを直すまで専属?」
「うん」
「なんで?」
「ここで待つから」
「…………」
「専属なら、ここにいていい」
「…………」
「だから専属になった」
「…………」
ジャックローズがオレを見る。
「何だよ?」
「いや……」
きずなを見る。
またオレを見る。
「どういう流れ?」
「今説明しただろ」
「説明されたけど分からない」
「なら諦めろ」
「そうするよ……」
何やら疲れた顔をしている。
ジャックローズから懐中時計へ視線を戻す。
「それで、難しいって?」
「ああ。レシピがない」
「レシピ?」
「この懐中時計は、ばあちゃんの作品だ」
「え?」
ジャックローズの表情が変わった。
「グラスさんの?」
「ああ」
懐中時計を渡す。
ジャックローズが受け取った。
「…………」
表。裏。蓋を開ける。
内部。いろいろな角度から確認する。
「確かに……」
「分かるか?」
「なんとなくね」
ジャックローズは懐中時計を見ながら続ける。
「僕も昔、グラスさんにいろんな素材を届けてたから。こういう装飾、何度か見たことある」
「ああ」
「でも……」
首を傾げた。
「これは知らないな」
「そうか」
「見たことない」
懐中時計が返ってくる。
期待していたわけじゃない。
ジャックローズが知っているなら、それはそれで手間が省けた。
知らないなら、予定通り探すだけだ。
「レシピは?」
「探してる」
「見つからない?」
「まだな」
ジャックローズが壁一面の本棚を見る。
「……この中から?」
「ああ。だから難しいんだ」
「何冊あるの?」
「知らん」
「グラスさん、残しすぎじゃない?」
「オレもそう思う」
「珍しく意見が合ったね」
「いつも合ってるだろ」
「どこが?」
「ただ……」
ジャックローズが顎に手を当てる。
「僕より昔からグラスさんと取引してた妖精なら、何か知ってるかもしれない」
「誰だ」
「何人かいるよ」
「どこにいるか分かるか?」
「さあ」
「…………」
「そんな顔しないでよ」
「してない」
「してるって」
「どんな顔だ」
「面倒そうな顔」
「面倒だからな」
「だろうね」
ジャックローズが笑う。
「昔の取引相手なら、今もどこかで工房をやってる奴もいると思うよ」
「そうか」
「探そうか?」
「必要になったらな」
今すぐ動く必要はない。
まずはレシピだ。
ばあちゃんが作ったなら、この本棚のどこかに残している可能性が高い。
それでも見つからなければ、そのとき考える。
「相変わらず焦らないね」
「焦って見つかるわけじゃないだろ?」
「見つからないね」
「なら同じだ」
「きずなは?」
ジャックローズが訊く。
「何?」
「急いでないの?」
「待つって決めたから」
「…………」
ジャックローズが黙った。
オレを見て、きずなを見る。
「似た者同士か……」
「?」
きずなが首を傾げる。
「なんでもないよ」
ジャックローズが自分のリュックを背負った。
「それじゃ、僕はそろそろ行くよ」
「ああ」
「次に欲しい素材、まとめといて」
「分かった」
「急に言われても用意できないからね」
「分かってる」
ジャックローズが入口へ向かう。
扉に手を掛けた。
そこで、止まる。
「…………」
振り返り、オレを見て、きずなを見る。
もう一度、オレを見る。
「……本当に専属?」
「しつこいな」
「だってクラスタだよ?」
「どういう意味だ」
「そのままの意味さ」
「帰れ」
「はいはい」
ジャックローズが扉を開ける。
その前に、きずなへ向いた。
「きずな」
「なに?」
「大変だと思うよ」
「そう?」
「うん。クラスタ、全然喋らないし」
「…………」
きずながオレを見て、少し考える。
「静かでいい」
「…………」
ジャックローズが固まった。
やがて、小さく息を吐く。
「……やっぱり似た者同士だ」
カラン。
扉が閉まった。
「…………」
静かになった。
いや、さっきまでがうるさかっただけだ。
オレは作業机へ戻り、工具を手に取った。
きずなも椅子へ戻る。
本を開く。
カチ。
カチ。
パラ。
「…………」
カチ。
パラ。
「クラスタ?」
「ん」
「……わたしたち、似てる?」
「知らん」
「そう」
パラ。
「…………」
カチ。
カチ。
また静かになった。
いつもの工房。
いつもの作業。
昨日までと、ほとんど何も変わらない。
ただ一つ。
ページをめくる音だけが増えていた。