記憶を失った僕は、星を纏う英雄の背を追う   作:ただの佐藤

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あの背中を見た日②

どれほど歩いただろう。

もちろん、まったく休まず進み続けたわけじゃない。

途中で休憩を挟み、身を隠せそうな場所を見つけては短く眠った。

けれど、それはあくまで最低限の休息でしかなく、身体に溜まっていく疲労はじわじわと確実に重なっていった。

 

僕は『魔法』が使えない。

だから休んでいるあいだも、周囲の警戒はすべてマナリルさんが担ってくれていた。

僕が仮眠から目を覚ましたあと、気になって「マナリルさんも少しは眠れたんですか」と尋ねた。

そのとき彼女は、いつもの穏やかな笑みを浮かべて「少しだけ仮眠いたしましたので、ご心配には及びません」と言った。

でも、それが嘘だということくらい、僕にだってわかった。

 

その後歩みを進めて、荒廃した街を超え、崩れた村を抜け、丘を越えた。

その道中で魔物と遭遇することも、一度や二度じゃなかった。

魔物と接敵するたび、僕を庇うようにマナリルさんが魔法で戦ってくれる。

 

彼女が強いことはわかっているけど。

けれど、強いから疲れないわけじゃない。

むしろ戦うたびに消耗しているはずなのに、僕はその後ろで息を潜めることしかできなかった。

僕は戦うことができない、そんな自分の弱さを呪った。

 

ちょうど丸一日ほどが経ったころ、昨夜はあれほど鮮明だった満月も、今夜は厚い雲に隠されていた。

 

「マナリルさん……ごめんなさい……」

 

歩きながら、僕はぽつりとそう零した。

 

「何を謝っているのですか?」

「……僕が何もできないせいで、負担を全部押し付けてしまって……」

 

言葉にした途端、情けなさがいっそう強くなる。

自分でもわかっていた、謝ったところで何かが変わるわけじゃない。

けれど、何も言わないままでいるほうが、もっと耐えられなかった。

 

「ふふっ、そんなことですか」

「え?」

 

笑われるとは思っていなかった僕は、思わず間の抜けた声を出してしまった。

マナリルさんは、呆れるでもなく、馬鹿にするでもなく、ただ少しだけおかしそうに目を細めていた。

 

「私わたくしは嬉しいですよ」

「……嬉しい?」

「はい。レイ様のお役に立てていると、ちゃんと実感できますから」

 

そう言って、マナリルさんは柔らかく笑った。

 

僕とマナリルさんは、昨日出会ったばかりだ。

いや、本当はもっと前から知っていたのかもしれないけれど。

だけど僕もマナリルさんも、そのことを覚えていない。

それは悲しいことだけど事実だ。

 

でも───それでも。

 

記憶があった頃の僕たちも、きっとこんなふうに話していたんじゃないかって思った。

こうして笑って、少し困って、同じ景色を見ながら言葉を交わしていたんじゃないかって。

そうじゃなきゃ、こんなに早く笑い合えるわけがない。

根拠なんて何もない。

ただの都合のいい想像かもしれない。

 

それでも、そうだったらいいなって思った。

 

「マナリルさん」

「はい、レイ様」

「僕は……魔法のことまで忘れてしまってるんですか?」

 

ずっと胸の中に引っかかっていたことを、ようやく口に出した。

 

今の僕にとって、それが一番大きかった。

魔法が使えれば、少なくともマナリルさんに全部を背負わせずにすむかもしれない。

でも現実には、僕は魔法を使えない。

 

「考えられることは三つございます」

 

そう言って、マナリルさんは僕の前にすっと三本の指を立てた。

 

「一つ目は、レイ様のおっしゃる通り、魔法そのものを忘れてしまっている可能性。二つ目は、魔法の存在自体は覚えていても、記憶喪失の影響で使い方を忘れている可能性。そして三つ目は、まだ魔法が発現していない可能性でございます」

 

思わず目を丸くした。

その発想はなかった。

僕はこの一日ずっと、魔法を忘れたのか、使い方を忘れているのか、その二つばかり考えていた。

でも、そもそもまだ持っていない可能性だってあるのか。

 

「はい。レイ様はまだお若く見えます。……それはもう、食べてしまいたくなるほどに」

「……え゛」

 

何かちょっと聞き捨てならないことが混ざった気がした。

 

え、いま絶対さらっと怖いこと言わなかった?

言ったよね?

でもマナリルさんはいつも通りの綺麗な笑顔のままだし、僕の聞き間違いみたいな空気になっている。

 

……うん、聞こえなかったことにしよう。

たぶんその方がいい。絶対その方がいい。

 

「魔法は十五の年に発現いたします。ですが、誕生日を迎えた瞬間というわけではございません。同じ十五でも、早い方もいれば遅い方もおります」

 

その年のどこかで発現するものだとは知らなかった。

 

じゃあ、僕はまだ魔法を持っていないのかもしれない。

……いや、でも。

 

結局、今の僕は何もできない。

その事実だけが、重く胸の中に残る。

 

「大丈夫でございます」

 

ふいに、マナリルさんの声がやわらかく落ちてきた。

 

「レイ様だけは、この命に代えても(わたくし)がお守りいたします」

 

その声音は、慰めるようでいて、でもただ優しいだけじゃなかった。

そこには揺るがない決意みたいなものがあった。

 

そんなふうに言ってもらえるのは、嬉しい。

嬉しいけどやっぱり悔しかった。

守られてばかりだ。

僕はずっと、守られてばかりいる。

 

そのときだった。

 

『ガアアアアアアッッ!!』

 

空気を引き裂くような咆哮が、いきなり響いた。

 

「っっ!?」

 

身体がびくっと跳ねる。

考えるより先に、マナリルさんが動いていた。

 

「下がってください!!」

 

強く腕を押され、僕は後方へよろめく。

ただ押された僕に怪我はない。

けれどその一瞬の差で、前に出たマナリルさんの肩を、狼のような魔物の鋭い爪が掠めていった。

 

布が裂ける音。

次の瞬間、黒い服にじわっと赤が滲む。

 

マナリルさんは眉ひとつ動かさない。

むしろ紫の瞳には、さっきまでの穏やかさが嘘みたいに冷たい光が宿っていた。

 

「【潰れなさい】!!」

『ギィッッ!?』

 

直後、魔物の身体が地面へ叩きつけられる。

 

前に見たときより、明らかに強い。

魔物は血溜まりだけを残して、魔物は完全に動かなくなった。

 

「マナリルさん!!」

「私は大丈夫でございます。それより、レイ様はお怪我ありませんか?」

 

肩から血を滲ませているのに、マナリルさんは真っ先に僕の心配をした。

傷ついているのはマナリルさんなのに、気にかけられているのは僕の方だ。

 

でも、そんなことを言っていられる状況じゃなかった。

目の前の魔物は、一匹じゃなかった。

 

「……え」

 

息が止まりそうになった。

 

僕たちの見える範囲、そのほとんどすべてに、狼型の魔物がいた。

道の上にも、崩れた家の影にも、瓦礫の向こうにも、丘の斜面にも。

黒い獣の群れが、隙間なく(・・・・)並んでいた。

 

多い、なんてもんじゃない。

 

それは群れというより、軍隊みたいだった。

整列している。

まるで最初から僕たちを待ち構えていたみたいに。

 

「レイ様……私が時間を稼ぎます。その隙にお逃げください」

「そんな!!マナリルさんは!?」

「レイ様を逃したあと、私もすぐに退きます。ですから、どうか」

 

嘘だ。

まだたった一日しか一緒にいない。

なのに、マナリルさんがいま嘘をついたことだけは、すぐにわかった。

僕を逃がすために、ここに残るつもりなんだ。

一緒に戦います、なんて言葉は僕の口からは出なかった。

 

───僕に何ができる?

 

何もできない。

ここにいたって足手まといになるだけかもしれない。

マナリルさんの邪魔になるだけかもしれない。

 

『グオオオオオオッッ!!』

「行ってっ!!」

 

その言葉と同時に、マナリルさんは魔物の群れへ向かって駆け出した。

 

黒髪が翻る。

細い背中が、無数の魔物に向かっていく。

その姿が、ひどく小さく見えた。

 

「っ……!」

 

僕はその場に立ち尽くした。

 

逃げるのか?

本当に?

このまま?

 

額から汗が流れる。

 

呼吸が浅い。心臓の音がうるさい。頭の中がぐちゃぐちゃで、何を考えればいいのかもわからない。

 

そのときだった。

頭の奥で、声がした。

 

───お前に何ができる。魔法も使えないくせに。

 

びくっと肩が揺れる。

 

違う。

これは誰かの声じゃない。

僕自身だ。

情けなくて、臆病で、逃げたいと思ってる自分が、勝手に喋ってるだけだ。

 

───あいつの言う通り逃げろ。あんな女、放っておけばいい。

 

「……っ」

そんなこと、できるわけない。

 

でも、どうすればいい?

何か方法はないのか?

考えろ。考えろよ、僕……!

 

───ない。お前みたいな役立たずに、何ができる。

見ろ、あの数だ。

せっかく逃げる隙を作ってもらったのに、お前はそれすら無駄にしてる。

 

うるさい!

そんなの、僕が一番わかってる。

わかってる……!

 

 

僕が魔法を使えないから、こうなってるのか……?

 

 

───そうだ。お前に力がないからだ。

 

その言葉は、ずるいくらい胸に刺さった。

 

でも、次の瞬間。

ふっと別の考えが浮かんだ。

 

……本当に、そうなのか?

 

魔法が使えないから?

力がないから?

だから何もできない?

 

違う。

 

それを言い訳にしてるだけだ。

 

昨日からずっと、僕はそうだった。

戦えない理由を探して、できない理由を並べて、仕方ないって顔をして。

魔法がないから、記憶がないから、弱いから。

そうやって、自分を納得させようとしてただけだ。

 

───戻ったって足手まといが増えるだけだ。

 

そうかもしれない。

戻ったところで何もできなくて、結局マナリルさんの邪魔になるだけかもしれない。

 

でも。

それでも。

助けたい。

 

頭より先に、その気持ちが出てきた。

うまく説明なんてできない。勝てる方法もわからない。何をすればいいかもまだわからない。

 

けど、助けたいんだ。

 

───お前は本当に馬鹿だな。

 

うん、そうかもしれない。

 

記憶を失って、自分が何者かもわからなくて、魔法も使えなくて。

そんな僕が、たった一人の女の子も見捨てられないなんて、きっとどうしようもない大馬鹿だ。

 

でも───

 

それが僕だ。

 

たとえ何も思い出せなくても。

たとえ弱くても。

ここで背中を向けたら、きっと僕は僕じゃなくなる。

 

だったら、馬鹿でいい。

 

大馬鹿者でいいから、僕は───

 

「助けます……!」

 

震える足に力を入れる。

胸の奥で暴れていた怖さを、無理やり押し込める。

都合のいい妄想でも、綺麗事でもなんでもよかった。

 

ようやく、決められた。

僕は一人の女の子を助けたいだけなんだ。

 

僕は駆け出した。

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