男なら一度は夢見たことがあるだろう。ハーレム。
美少女に囲まれ愛される、究極の幸福。
だと思っていたのに……!!
「はぁ……」
「……どうしたのよ、ため息なんかついちゃって」
「そうですよ。大丈夫ですか? ご主人さま」
陽光をじゅうぶん取り入れられるように大きな窓のついた広い講堂のなか、その窓から最も離れた三人がけの長机。俺の両隣には恐ろしい美貌を持った二人の少女が座っていた。この授業を取っていたのがこの二人しかいなかったというだけで、懇意にしている女性はまだまだ他にもいるが……まあとにかく、端的に言えば、ハーレムを作ることには成功した。
この世界に転生してから持っていたアドバンテージをフルに活かして幼少期から勉強を頑張り、剣術を磨き、魔道の真髄に近づいた。
同い年の男子がうんこで爆笑しているなか、「あいつはエロだ」と後ろ指を指されながらも女子と仲を深め、美容にも最大限気を遣った。
入学試験では歴代一位を取った。傲慢な貴族の先輩の鼻っ面を叩き潰した。ときにはマッチポンプで女の子を助けた。できることはなんだってやった、全力で手を尽くした。全ては最高の美少女ハーレムを作り上げるために。
それがいいことだと思っていたからだ。現実的な細かい問題や人間関係の面倒くささを超越した至高の楽園のように思っていた。
当然だろう。俺はその存在を、ファンタジーでしか知らなかったのだから。
どこかで冷静になれればよかった。これを現実のこととしてちゃんと考えられていたら。
「⋯⋯いや、なんでもないんだ。ただ授業が面倒だなと思っただけで」
毎日百回は鏡の前で練習していた『女を落とす微笑』を浮かべて適当にはぐらかす。
「ま、主席クンにとってはそうでしょうねー」
長く艶のある赤髪をツインテールにした勝気な貴族令嬢──ディアは嫌味と受け取ったらしくジト目で答える。
「ほわ……流石です、ご主人さま」
とある事件を解決したときに拾った、伝説の銀狼族の生き残り──ノノはいつものように褒めてくれる。
ああ、たしかにこれだけなら幸せだ。ツンデレ同級生と全肯定奴隷に挟まれる気分は悪くない。──それだけなら、だが。
話を戻すが、俺はこれまでこの世界をゲームのように思っていた。うまく会話を行い好感度を稼ぎ、ときには犯罪まがいの手も使って女性を攻略する、いわゆるギャルゲーのように考えていた。……現実はそんなに単純ではないというのに。
このことに気がついたのは最近のことだ。この世界は俺のために用意された箱庭ではなく、人間ひとりひとりが自由意志を持って精いっぱい生きる現実だということに、だ。
誓って倫理観をなくしたわけじゃない。ただ、転生という異常事態で忘れてしまっていただけなんだ。
自分の欲のために他人を犠牲にする? 人を収集可能なトロフィーだと思う? 人命軽視に人格無視、なんと愚かで傲慢なことか。
冷静さを取り戻してからは恐ろしい日々だった。これまでは気にならなかった周囲の男子生徒からの僻みや恨みの籠った視線。否が応にも聞こえてくる自分への悪口。なんとなく見えてくるハーレムメンバー同士の軋轢や力関係。気づけば俺はもうほとんど人間不信になっていた。
かといって苦労して作り上げたハーレムを手放し逃げ出すのも惜しいし、そうしたからといって自分の評価が変化するわけでもない。そもそもそんなことはハーレムメンバーたちが許さないはずだった。
八方塞がり、打つ手なし。
ああ、憂鬱だ。
思案している間にいつの間にか始まっていた授業をBGMに聞き流しながら考えを進める。
俺の胃の痛みを考慮に入れなければ、きっとこれは生物として、雄としては幸せなことなんだろうと思う。うまく維持できればたくさんの子孫を残せるし、本能的な喜びで社会的な苦しみを凌駕できるかもしれない。
──いや、それはただの現実逃避だ。
心の中にいる、批判を担当している部分の俺が指摘する。
「く……」
「あんた、本当に大丈夫? めちゃくちゃ顔色悪いわよ」
小声でそう言うディアの目は普段のツンケンしたものと違って心の底から俺を心配する慈愛の目だった。
やめてくれ、そんな目で俺を見ないでくれ。あぁ、わかってしまう。本当に俺のことが好きだということがわかってしまう。いや、過去の俺がそうなるようにしたのだけれど……それぞれが俺の一番になりたいという気持ちはあれど、メンバー同士が俺のために仲良くなろうとしていることもわかっている。わかっているのだ。本当は。
……でも。全てを投げ出し逃げるのが本当に彼女たちのためなのか。俺が勝手に彼女たちの気持ちを決めつけて、贖罪の道具にしようとしているのか。それだけはわからなかった。
結局俺には、決断の先延ばしという選択しかできなかった。
迷宮攻略実習の授業。例のごとく落とした美少女たちと班を組み、簡単な迷宮を探索していたが、やはり集中はできていなかった。魔術によって強化された聴覚が、聞きたくもないのに後ろにいる彼女たちの会話を拾ってしまう。
「なぁディア……彼はいったいどうしたんだい? ここ最近なんだか上の空というか、心ここにあらずというか……」
「私に聞かれても知らないわよ、ノノのほうが詳しいんじゃないの?」
「わ、わたしもよく……尋ねてもはぐらかされてしまうので……」
女子の指定制服はスカートだというのに白いスラックスを履き、スーツのようなジャケットをスタイリッシュに着こなした、王子様と見まがうような美女。腰には細剣を携え、輝くような金髪をショートカットにしたハーレムメンバーの一人──レンは続ける。
「うーん。なにか悩みでもあるなら力になってあげたいのだが、彼がなにも言わないならそっとしておいたほうがいいのかもしれないし……」
「まっっったく贅沢なことよね。こーんな可愛い女の子をたくさん侍らせてるくせに、いっちょ前になに悩んでるんだか」
「ははは、ディアのツンデレは相変わらずだね」
「うっさい!」
あぁ……また胃が痛くなってきた、おちおち現実逃避もさせてくれない。
「……この辺で一回休憩にしようか」
聞こえていないフリをして号令をかける。荷物を下ろし、気取られないようにフェードアウトする。以前の俺ならトイレに行くのも一言断ってからだったはずだが、そういうのってなんか気まずいし、わざわざ言うことでもないと思うのだ。
もしこれが男子だけの班だったら「ちょっくらブラウンスライム倒してくるわ笑」とか言ってひとウケできただろうが、女性にそんなこと言えないし、目が覚めてからは距離感もよくわからなくなってしまったのだ。
少し離れたところに移動してしゃがみこむ。胃から逆流してくる液体が喉を焼く。
……ところで俺がいないとき、彼女たちはどんな話をしているんだろうか。木の陰でゲロを吐いている間そんなことを思っていた。
魔術を使えば聞けないことはないけど……いやいや、それこそダメだ。ふつうにプライバシーの侵害だろう。
……あー、もしこれで俺の悪口とかで盛り上がってたらどうしよう。彼女たちに限ってそんなことしないと思いたいが……
────
──
一方その頃
「だ、第72回! ご主人さまの好きなところバトルっ! です」
「いぇーい」
ノノの音頭に調子よくレンが囃子をつけるが、ディアは「また始まった……」とばかりにゲンナリした表情をしている。
「あんたたちよく飽きないわね……私は参加しないわよ」
「ほわ……」
「まあまあ、前回優勝者が不参加というのも味気ないじゃないか、僕からも頼むよ。ディア」
「レンはノノに甘すぎるのよまったく……勝手にやってなさい」
二人はがっくりと肩を落とすが、これだけのことでへこたれていてはディアのことを知らなすぎる。すぐに気を取り直して両側からディアを挟む。
レンが拘束し、ノノが耳元で囁くように悲しそうな声を出す。
「お願いします、ディア様……私はご主人さまのことをお慕いしていますけど、それと同じくらいディアさまのことも好きなんです……そんなつれないこと言われては、悲しいです……」
「ちょ……離しなさいよ!」
レンは凛々しく整った顔を近づけて言う。
「なぁディア、もしかして負けるのが怖いのかい? もう彼の好きなところが見つからなくて、それでバトルから逃げているんだろう? まあ、ダイナトス家の第一令嬢ともあろう者が尻尾を撒いて逃げるというのなら、不参加でも構わないのだが……」
「────ッ!」
──
────
さて、ゲロは服に飛び散ってはいないし匂いも魔術で消したからこれでバレないはずだ。
半端に溶けた朝食の残骸に土を掛け、もろもろの処理が終わったので班に戻る。
「ごめん、お待た──」
「こっちがいいって言ってるのに勝手に要らない世話焼いてくるところ!!」
え⋯⋯
え?
冗談のつもりだったのに、本当に悪口を言っていた⋯⋯そうだよな、彼女たちも人格を持った一人の人間で、こんな人としてあるまじき行いをしている奴が相手なのだ。文句の一つや二つ、簡単に出てくるだろう。あぁ、自己肯定感が喪われる音がする。もはやどうして彼女が俺を好いているのかもよくわからなくなってきていた。
ディアは顔を真っ赤に染め、俯いてプルプルと震えている。
「き、聞いた?」
「い、いや⋯? 自分の声と被ってよく聞こえなくて⋯⋯どうしたんだ?」
しらを切る。ここでバカ正直に答えたところで今後気まずくなるだけだし、悪いのはすべて俺なんだ。俺のせいで彼女が嫌な気持ちになる必要はない⋯⋯それにしてもあのお節介、不評だったのか。物語の主人公みたいで悪くないと思っていたんだけどな⋯⋯
「なんでもないわよ! ほら、さっさとリュック背負って出発するわよ!」
「おやおや、なにを恥ずかしがっているんだ? ディア。どうして焦っているんだい?」
レンがニヤニヤしながら追求する。
……いや、それはおかしい。俺がいない間に俺の悪口で盛り上がっていたのなら、レンも隠蔽しようとするんじゃないか? どうして嬉々として追及しようとしているんだ?
そうだ。それはレンも同じことを思っていて、自分で言わずに伝えられるならそれがベストだからだ。そんな姑息なことをする女の子ではないと思っていたが、人の心は俺なんかに推し量れるものではない。ノノもなんかニコニコするだけで止める様子はないし、どうやらこれは総意のようだった。
……死にたい。恥ずかしい。
ディアの実家に乗り込んで彼女の親を説き伏せたときも、ノノが風邪をひいたときに無理やり看病したのも、レンの奪われて売られてしまった祖母の形見だという首飾りを全財産はたいて買い戻したときも。心の中では「恩着せがましいな」とか「ありがた迷惑なの気づかないのかな」とか思われていたってことだろ!?
うわぁぁぁあああぁぁああ!!! 嫌だ! そんなの耐えられない!! くそっ!
あまりの羞恥にじっとしていられず、魔力にものを言わせて無理やり広げた索敵魔術に引っかかった魔物を片っ端から切り捨てる。
「す、すごいな……急にやる気を出して、どうしたんだ?」
「ディアさまの……デレのお陰でしょうか……?」
周りの音が何も聞こえなくなるほど熱中して魔物を狩っていた。しばらくして疲労を感じ手を止めた頃には、魔石が山のように集まっていた。
「これ以上は持ち歩けないし、今日はこのくらいで切り上げようか。あれだけ戦ったんだ。キミも疲れているだろうし、それでいいだろう?」
「……あ、あぁ」
しまった。我を忘れて剣を振るっていたが、引かれてしまったかもしれない。こころなしか彼女たちの俺を見る目が生暖かい気もするし、衝動的な行動なんてするもんじゃないと思った。
夜が更け、ベッドに横たわっていた。
部屋は木製の温かみのあるつくりで、自身の呼吸する音と壁にかけた時計の秒針が進む音だけが聞こえている。窓の近くに設置された机には女性からのさまざまな贈り物が綺麗に飾られている一方、小さい字でびっしりと何かが書かれている紙束が散乱しているという奇妙なコントラストがあった。さらにその隣には天井に届く高さの、幅の広い本棚があり、収まりきらなかった一部の本が床に積まれている。角にピッタリと沿うように置かれたベッドには最高級の布団が敷かれており、そこに俺の愛用する剣が立てかけられていた。
ここが俺の自室。実力主義のこの学校で成績優秀者に与えられる個室のなかでも最もランクの高い部屋だ。
寝返りをうち、視界を覆うように顔に腕を回す。
学校始まって以来の優等生とは言え、さすがに教育機関で部屋に異性を連れ込むことは許されていない。
「はぁ……」
ため息をひとつつき、考えを巡らせる。
俺が味わっているこの苦しみは百パーセント自分のせいだし、世間一般には羨ましいとすら思える悩みかもしれない。それでも俺にとっては耐え難い苦痛なのだ。
自己嫌悪。……いい加減覚悟を決めよう。俺にハーレムは必要ない。と、いうより、そもそもそういうのは結果であって目的ではないはずなのだ。英雄が色を好むのは、英雄に女性が集まったからだ。女性を集めることで英雄にはなれない。せっかく手に入れたものを手放すのが惜しい? そうじゃない。初めから違った。なにもかも違うのだ。
心を決めてからは早かった。もしかしたら、ハーレムを維持するために誰に対しても曖昧な態度をとり、誰とも交際を明言したことがないのが功を奏すかもしれない。……好意を得ることはできたんだ。その逆もできないとおかしい。関係は作るより壊す方が簡単という言葉も聞き覚えがある。
そう。題して、『わざと嫌われる行動をして少しずつ好感度を削りフェードアウトしよう! 彼女たちには若さ故の過ちだったと思わせよう作戦』だ。名実一体。名は体を表す。素晴らしい作戦名だ。ネーミングセンスだけでここまでやってきたのだ。
ゆらりと立ち上がって机に向かう。紙に思いつく限りの
クックック……明日が楽しみだぜ……!
Case1:ダサい服を着る
「なに? イメチェン? ふーん。ま、悪くないんじゃない?」
「個性的なご主人さまも素敵です……!」
「なになに? そういうのが流行ってるの? 違う? へぇー、君はやっぱり面白いね!」
Case2:暴言を吐く
「私はいいけど、その態度、他の女の子にしちゃだめだよー?」
「ああ。構わないよ。君の言うことならなんでも従おうじゃないか」
「ほわ……ワイルドなご主人様も素敵です……!」
「ふひ……ご褒美です……!」
Case3:セクハラ
──自主規制──
Case4:お金の無心をする
「そういうことならわたくしのところに来たのは正解よ。セバスチャン、十キロぶん渡してあげなさい」
「もちろん。君のためならいくらでも出すよ」
「ふふー。やっとアタシに頼ってくれた。嬉しいよ」
「本当にそれだけでいいのですか? もう一桁、いえ、三桁くらい増やしませんか?」
Case5:そのお金をギャンブルに費やす
「わー! すごーい!! なんだかオトナの遊び方って感じでカッコいいね!?」
「へえ。君はこういうのの才能もあるのか。多彩だねぇ。……あ、別に勝ったからってそのお金は返さなくていいよ。君にあげたんだから」
「えへへ、君が楽しんでくれるなら、私はなんでも嬉しいな!」
ああああア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!
どうしてこうなる!!
────そんなわけで、俺の憂鬱な日々はこれからも続いていく。