ロケット団したっぱちゃんの日常   作:宇迦之たま猫

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第2話 給料日前日の攻防

 

 ロケット団に所属して三年。レナはこれまで、危険な野生ポケモンの捕獲、敵対組織との小競り合い、警察からの撤退、拠点への物資運搬、倉庫整理、新入りの教育係、幹部が視察に来る前日の大掃除など、それなりに色々な修羅場を潜り抜けてきた。

だが、その中でも毎月必ず訪れ、決して逃れることのできない最大級の危機が存在する。

 

 給料日前日である。

 

「残金、四百八十二円……」

 

 職員寮の自室にて、レナは財布を開いたままベッドへ座り込んでいた。向かいではコラッタのチィが床に座り、その隣ではドガースのモクがふわふわ浮かび、ズバットがカーテンレールから逆さになっている。

何故か三匹とも神妙な顔をしていたが、おそらく飼い主の深刻そうな表情につられているだけである。

 

「明日の朝になれば給料が振り込まれる。つまり今日一日、この四百八十二円で耐えれば私の勝ち……!」

 

「ラッタ」

 

「何その疑いの目。大丈夫だって。今日の勤務は本部内だし、食堂は団員割引で安いし、飲み物だって自販機を我慢して給湯室のお茶を飲めばいい。完璧な計画だよ」

 

 レナは胸を張った。チィは何も言わず、部屋の隅に置かれた紙袋へ視線を向ける。

そこには昨日買った高級ポケモンフーズが入っていた。

普段より少し高いどころか、いつもの倍近い値段の商品である。レナはその視線から逃げるように顔を逸らした。

 

「……君たちの食費は必要経費だから」

 

 チィはまだ見ている。

 

「いや、だって新商品だったんだもん。栄養バランス良いって書いてあったし、チィもモクもズバットも好きそうだったし……」

 

 三匹は揃って頷いた。

 

「そこで肯定するんだ」

 

 ポケモンたちの朝食を用意した後、レナは自分の朝食として冷蔵庫から食パンを一枚取り出し、そのまま齧った。

ジャムは昨日使い切った。バターもない。牛乳もない。ただの食パンである。

それでも本人は意外と平然としており、「学生の頃よりマシ」と呟きながら制服へ着替え始めた。

 

 今日の任務は地下倉庫での物資整理だった。悪の組織らしい華々しい仕事ではないが、レナにとってはむしろ歓迎すべき勤務である。

外へ出れば余計な出費が発生する可能性があるが、本部内なら財布を開く機会そのものが少ないからだ。

 

 ところが、午前十時十五分。

 

「レナ、休憩行こうぜ」

 

 同期の団員が段ボール箱を床へ置きながら声をかけてきた。レナもグローブについた埃を払い、時計を確認してから頷く。

 

「行く行く。お茶飲みたい」

 

「売店、新しい炭酸飲料入ったらしいぞ」

 

「いらない」

 

「即答かよ。確か一本百五十円」

 

「いらない」

 

「限定味」

 

「……何味?」

 

「オレンのみとモモンのみ」

 

 レナの足が止まった。

 

「へぇ……」

 

「気になるだろ?」

 

「別に」

 

「売店寄る?」

 

「寄らない」

 

「見に行くだけ」

 

「見るだけなら……」

 

 五分後、レナは冷えた瓶を持っていた。

 

「百五十円……」

 

「買ってんじゃねえか」

 

「違うの。これは不可抗力。限定って書いてあった」

 

「限定という文字に財布握られてんな、お前」

 

 残金三百三十二円。まだ問題ない。昼食を食堂で最安のメニューにすれば十分に乗り切れる。

レナはそう自分へ言い聞かせ、炭酸飲料を一口飲んだ。

爽やかなオレンのみの甘酸っぱさの後からモモンのみ特有の風味が追いかけてきて、悔しいことにかなり美味しい。

 

「……これレギュラー商品にしてくれないかな」

 

「また買う気満々じゃねえか」

 

 そして昼休み。レナは食堂の入口で、その日のおすすめメニューを見た瞬間に固まった。

 

『本日限定 ケンタロス肉の特製ハンバーグ定食 団員価格三百五十円』

 

「…………」

 

「お、ハンバーグじゃん」

 

「…………」

 

「レナ?」

 

「三百五十円……」

 

 財布には三百三十二円しかない。

 

 通常なら安いカレーが二百円、麺類なら百八十円ほどで食べられる。そちらを選べば何の問題もない。

しかし食堂から漂う肉の焼ける匂いと、鉄板の上でじゅうじゅう音を立てるハンバーグが、レナの理性へ正面攻撃を仕掛けていた。

 

「十八円……十八円足りない……!」

 

「貸そうか?」

 

「駄目!」

 

「何でだよ」

 

「給料日前日に借金したら負けた気がする!」

 

「何と戦ってんだよ」

 

 しばらく悩んだ末、レナは百八十円の醤油ラーメンを注文した。窓際の席へ座り、静かに麺を啜る。

その向かいでは同期が件のハンバーグ定食を食べていた。肉汁が溢れ、香ばしい匂いが漂ってくる。

 

「うまっ」

 

「言うな」

 

「これ柔らけえ」

 

「言うな」

 

「ソースも良いな」

 

「チィ呼ぶよ」

 

「脅しにお前のポケモン使うなよ」

 

 レナはラーメンのスープを飲みながら、明日は絶対に肉を食べると心に誓った。

 

 午後の作業は順調だった。保管されているモンスターボールを棚番号ごとに分類し、回収した機材を点検し、壊れた捕獲ネットを廃棄品へ回していく。

単調ではあるものの、レナはこういう仕事を嫌いではない。黙々と作業しているうちに時間が過ぎていくし、何より電撃を飛ばしてくるポケモンも、追いかけてくる警察もいない。

 

 だが午後三時頃、倉庫の奥から大きな物音が響いた。

 

「何!?」

 

 積み上げられていた木箱の一つが揺れ、その隙間から小さな紫色の影が飛び出してきた。丸い耳、細長い尻尾、鋭い前歯。野生のコラッタだった。

 

「いつ入り込んだんだ、こいつ!」

 

「食料庫から来たんじゃないか!?」

 

 コラッタは床を素早く走り回り、団員たちが捕まえようとする度にするりと隙間を抜ける。

レナはしばらくその様子を眺めた後、腰のモンスターボールへ手を伸ばした。

 

「チィ、お願い」

 

 光と共に現れたチィは、野生のコラッタを見るなり耳を立てた。二匹は数秒ほど睨み合う。

次の瞬間、野生のコラッタが逃げ出し、チィが猛烈な速度で追いかけた。

 

「右! チィ、右!」

 

「ラッタ!」

 

 棚の間を駆け抜け、木箱を飛び越え、荷台の下へ逃げ込んだ野生個体をチィが回り込んで追い立てる。

レナはその進路を読んで捕獲用ネットを構え、飛び出してきたところを綺麗に包み込んだ。

 

「捕まえた!」

 

 ネットの中で暴れるコラッタを刺激しないよう慎重に持ち上げ、簡易ケージへ移す。

周囲の団員から軽い拍手が起こり、レナは得意げに鼻を鳴らした。

 

「ふっふっふ。コラッタ相手なら任せなさい。こちとら三年一緒に暮らしてるんだから」

 

「ラッタ!」

 

「チィもお疲れ。帰ったらおやつあげるね」

 

 そう言ってから、レナは動きを止めた。

 

「……おやつ」

 

「ラッタ?」

 

「切らしてた」

 

「ラッタ」

 

「買うの明日でいい?」

 

 チィの耳がゆっくり伏せた。

 

「そんな顔しないでよ……」

 

 午後六時、勤務終了。残金百五十二円。ここまで来れば勝利は目前だった。

夕食は寮に残っているインスタント麺で済ませればいい。途中で何も買わず、まっすぐ帰ればいいのである。

 

 レナは本部棟を出て、寮へ向かった。

 

 そして途中にある売店の前で、見つけてしまった。

 

『ポケモン用ミニクッキー 本日特売 一袋百二十円』

 

「…………」

 

 隣を歩いていた同期が、レナと看板を交互に見る。

 

「買うんだろ?」

 

「買わない」

 

「チィ好きそうだな」

 

「買わない」

 

「今日活躍したしな」

 

「……買わない」

 

 レナは三歩進んだ。

 

 止まった。

 

 五秒考えた。

 

 振り返った。

 

「一袋ください」

 

「知ってた」

 

 夜。職員寮の部屋で、レナは残金三十二円の財布を机へ置いていた。

その横ではチィが嬉しそうにクッキーを齧り、モクとズバットにも公平に分けられている。

 

「結局こうなるんだよなぁ……」

 

「ラッタ!」

 

「まあいいか。明日給料日だし」

 

 レナはインスタント麺へお湯を注ぎながら小さく笑った。豪華な夕食ではない。財布はほぼ空。

悪の組織の構成員として見れば、あまりにも庶民的な夜だった。

 

 その直後、机の上に置いていた端末が鳴った。

 

『明日の給与振込について、システム障害のため正午頃まで遅延する可能性があります』

 

「…………」

 

 レナは画面を見つめた。

 

 もう一度、財布を見た。

 

 三十二円。

 

「……明日の朝ご飯、食パン残ってたっけ?」

 

 チィが首を傾げる。

 

 冷蔵庫を開ける。

 

 何もない。

 

「…………チィ」

 

「ラッタ?」

 

「クッキー、一枚くれない?」

 

 チィは残った最後の一枚を両手で抱きしめ、レナからゆっくり後退した。

 

「ちょっと待って。それ買ったの私なんだけど」

 

「ラッタ」

 

「いや待って待って、本気で食べる気じゃないから! その目やめて! 飼い主を信用して!」

 

 ロケット団したっぱ、レナ。所属歴三年目。

 

 本日の任務、無事完了。

 

 給料日前日、残金三十二円。

 

 そして明日の朝食は、未定だった。

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