カントー地方とジョウト地方を股に掛ける強大な悪の秘密結社にして世界最大級のポケモンマフィア、『Raid On the City, Knock out, Evil Tusks』頭文字を取ってROCKET(ロケット)団と呼ばれる凶悪な者たちが集う組織。
の、したっぱ達や中間管理職のドタバタコメディーな日常の話
午前六時五十分。タマムシシティ某所、その地下深くに存在するロケット団職員寮の一室で、けたたましい電子音が鳴り響いていた。
薄暗い部屋のベッドでは、黒い布団から赤い髪だけを覗かせた女が微動だにしない。
電子音は十秒、二十秒、三十秒と容赦なく鳴り続け、その横では一匹のコラッタが迷惑そうに耳を伏せていたが、とうとう我慢の限界に達したのか、ベッドへ飛び乗ると布団の上から飼い主の腹へ勢いよく着地した。
「ぐえっ」
悪の組織ロケット団の構成員、レナの一日は、だいたいこの情けない声から始まる。
「……チィ……もう五分……」
「ラッタ」
「お願い、昨日遅かったの。地下倉庫の棚卸しが終わったの二時だったの。二時。分かる? 二時だよ?」
「ラッタ」
「分かってない顔してる……」
目を細めたコラッタは、枕元の時計へ前足を向けた。表示は午前六時五十四分、朝礼は七時半。
女子寮から本部棟まで徒歩十分。
制服への着替えと身支度、それからチィたちの朝食を考えれば、既に余裕などほとんどなかった。
数秒ほど時計を見つめたレナは、布団の中で停止した。
「…………六時五十四分?」
「ラッタ」
「六時五十四分!?」
跳ね起きた。
そこからはロケット団員として培った迅速な行動能力が遺憾なく発揮された。
寝間着を脱ぎ捨て、黒いショートパンツを履き、ベルトを締め、頭から黒い制服を被る。
胸元に大きく印刷された黄色い「R」の文字を手で整え、赤いボブヘアを櫛で無理矢理まとめてから帽子を被り、最後にロッカーから銀灰色の大型グローブを引っ張り出した。
ロケット団正式支給品の作業兼戦闘用グローブであり、防刃、防熱、簡易絶縁まで備えたなかなか優秀な装備なのだが、レナ本人は主に段ボール運搬と熱い鍋を持つ時に使っている。
「チィ、ご飯! モク起きて! ズバットも!」
モンスターボールからドガースを出せば、眠そうな顔で宙へ浮かびながら「ドガァ……」と声を漏らした。
天井から逆さにぶら下がって眠っていたズバットも羽を広げる。
三匹分のポケモンフーズを器へ流し込み、自分は冷蔵庫から昨夜買っておいたサンドイッチを引っ掴んだ。
口に咥えたまま靴を履き、グローブを装着し、モンスターボールをベルトへ固定する。
「じゃ、行くよ!」
「ラッタ!」
「ドガー!」
「ズバッ!」
悪の組織の一員とは思えないほど健全な出勤風景だった。
午前七時二十九分五十二秒。レナは本部棟地下三階の第一集会室へ滑り込んだ。
「間に合ったぁ!」
「レナ、あと八秒だったぞ」
「八秒余ったなら余裕でしょ」
「お前その考え方してるから毎朝走ってんだよ」
隣に立っていた同期の男団員が呆れた顔をする。
周囲には同じ黒い制服を着た男女の団員が何十人も整列しており、胸には揃って巨大な「R」の文字が輝いていた。
こうして見るとなかなか壮観であり、秘密結社らしい威圧感もある。
もっともレナには、この中の三割が寝不足で、二割が昨日の飲み会を後悔しており、少なくとも五人ほどが朝食を抜いていることまで分かっていた。
やがて前方へ中隊長が現れ、全員が姿勢を正した。
「では朝礼を始める。本日の重点任務だ。第一班はタマムシデパート周辺の偵察、第二班は物資輸送、第三班は地下施設警備、第四班は新規構成員の訓練補助。第五班は予定通りポケモン捕獲任務を行う」
レナは自分の腕章を見た。
第五班。
小さく口角が上がった。
「よっし」
「嬉しそうだな」
「だって外だよ外。昨日まで三日連続倉庫整理だったんだよ? 私ロケット団に入ったのであって物流会社に就職した覚えないもん」
「その物流もロケット団の仕事だろ」
「それはそうなんだけどさぁ」
中隊長の説明が続く。本日の目的地はタマムシシティ郊外。
野生ポケモンの生息状況を調査し、有用な個体を確保する。
ただし警察、ジム関係者、腕の立つトレーナーとの接触は避けること。特に最近この周辺を移動しているという「帽子を被った少年トレーナー」については要注意とのことだった。
レナの眉が僅かに動いた。
「……帽子の少年?」
「なんでもロケット団の別働隊が何度か潰されてるらしい」
「強いの?」
「かなり」
「特徴は?」
「帽子」
「情報少なっ」
「あとピカチュウを連れてるとか」
レナは数秒考えた後、静かに頷いた。
「遭遇したら逃げよ」
「決断早えな」
「勝てない相手と戦うのは勇敢じゃなくて無謀っていうんだよ。私は老後まで生きる」
「悪の組織のしたっぱが老後設計するなよ」
「ロケット団にも福利厚生くらいあるでしょ」
「あるのかな……」
二人揃って妙な不安に襲われていると、中隊長が咳払いした。
「そこ、私語を慎め」
「「はい!」」
朝礼終了後、第五班には捕獲用ネット、簡易ケージ、傷薬、各種ボールなどが支給された。レナは装備をリュックへ詰めながら、自分のモンスターボールを一つ撫でる。
「今日は働くよ、チィ」
ボールの中から小さな振動が返ってきた。
「活躍したら晩ご飯、ちょっと良いやつ買ってあげる」
もう一度、大きな振動。
「私の晩ご飯より高いやつ」
猛烈な振動。
「……そんな喜ぶ?」
思わず苦笑したその顔からは、街中で市民に恐れられるロケット団員らしさなど綺麗に消えていた。
もっとも、一時間後。
「いたぞ! 野生のニャースだ!」
「囲め囲め!」
「ネット持ってこい!」
「待って、あいつ木に登った!」
「ズバット、追って!」
「ニャーッ!」
「うわあああ財布取られたぁぁぁっ!?」
タマムシシティ郊外の森では、悪の組織の精鋭……というには少々情けない黒服の集団が、一匹の野生ニャースを相手に全力疾走していた。
さらにその十分後。
「返して! お願いだから財布だけ返して! 今日給料日なんだってばぁぁぁ!」
ロケット団したっぱ、レナ。
所属歴三年目。
本日の任務成果、現在ゼロ。
被害、財布一個。
今日もロケット団は、悪の組織として元気に活動していた。