ロケット団へ入団して三年。レナは自分のことを、今でも立派な「したっぱ」だと思っている。
実際、制服には大きな赤い「R」があるだけで階級章らしいものはなく、幹部専用フロアへ入る権限もなければ、重要作戦の概要を知らされることもない。
任務へ行けば荷物を持ち、拠点へ戻れば報告書を書き、人数が足りなければ倉庫整理へ回される。
つい先日などボスの視察という大イベントがあったものの、レナが担当した仕事の大半は床掃除と野菜切りだった。
どう考えても組織の末端である。
だから朝礼終了後、班長に呼び止められた時も、レナは自分が何かやらかしたのだと思っていた。
「レナ、今日の通常任務は外れてもらう」
「えっ」
反射的に昨日の行動を思い返した。
備品は壊していない。報告書も提出した。食堂からスプーンを持ち帰ってしまった件については、昨夜ちゃんと返却した。
自販機横のゴミ箱へモンスターボールを間違えて放り込み、十分ほど探し回ったことは誰にも見られていないはずである。
「……何しました、私」
「何もしてない」
「本当に?」
「何で疑うんだ」
「通常任務から外すって言われると、謹慎とか始末書とか、そういう嫌な単語が頭をよぎるんですよ」
「普段どんな働き方してるんだお前は」
班長は呆れたように息を吐くと、手にしていた端末をレナへ差し出した。
画面には三人分の顔写真と名前が表示され、その横には全員共通で「新規採用構成員」と書かれている。
十八歳の青年が一人、二十歳の女性が一人、二十三歳の男性が一人。いずれも入団試験と最低限の適性検査を突破し、昨日正式にロケット団へ配属されたばかりらしい。
「今日から三日間、新入り三名の現場研修を担当してもらう」
「…………私が?」
「お前が」
「教える側?」
「そう言ってる」
レナは端末から顔を上げ、周囲を見回した。
近くでは同期の団員が朝礼後のコーヒーを飲んでいる。
その向こうには所属五年目、七年目、それどころか十年近く現場へいるベテランまで存在している。
どう考えても自分より教師役に適していそうな人材は山ほどいる。
「人選間違えてません?」
「間違えてない。捕獲、警備、物資管理、外勤、倉庫勤務を一通り経験済み。重大な規律違反なし。手持ちポケモンの管理状態良好。撤退判断も比較的早い。新人に教えるにはちょうどいい」
「最後、褒めてます?」
「無駄に粘って負傷者になる奴より百倍いい」
それは確かにそうだった。ロケット団は犯罪組織ではあるが、構成員一人育てるにも金がかかる。
制服、装備、寮、食費補助、ポケモン関連用品、訓練施設。
それらを支給した人間が、初任務で腕自慢のトレーナーへ喧嘩を売って病院送りになったのでは組織としても困る。
レナは少しだけ納得しかけたものの、それでも自分が新人を指導する姿など想像できなかった。
「私まだ二十二なんですけど」
「最年長の新人は二十三だ」
「年上いるじゃん!」
「先輩はお前だ」
「気まずい!」
「頑張れ先輩」
「他人事ぉ……」
こうして、ロケット団所属三年目にして初めての新人教育が始まった。
三十分後、研修室へ入ったレナを待っていたのは、妙に姿勢の良い三人だった。
全員が新品の黒い制服を着ており、大きな「R」の文字にはまだ汚れ一つない。帽子の被り方も綺麗で、支給されたグローブにも傷がなく、何より目が輝いている。
その初々しさを目の当たりにしたレナは、自分にもこんな時期があったのだろうかと一瞬考えた。
「本日研修を担当します、レナです。所属三年目。階級は皆と同じしたっぱです」
「よろしくお願いします!」
三人の声が綺麗に揃った。
「……元気だなぁ」
思わず本音が漏れた。
一番若い青年が勢いよく手を挙げる。
「質問いいですか!」
「どうぞ」
「実戦任務っていつからですか!?」
「実戦の内容によるけど、単独行動はしばらくないよ」
「やっぱりトレーナーから強いポケモンを奪ったりするんですよね!?」
「あー……」
来た、レナはそう思った。
三年前の同期にも似たような人間が何人かいた。
ロケット団という名前の響きに憧れ、黒い制服に袖を通した途端、自分まで一流の悪党になったような気分になる新人だ。
「その前に覚えることが山ほどあるよ」
「例えば?」
「施設内の区画、緊急時の避難経路、物資の申請方法、任務報告書の書き方、支給装備の管理規則、モンスターボールの保管方法、捕獲ネットの正しい使い方、負傷時の連絡先、警察に見つかった時の行動、野生ポケモンに囲まれた時の撤退方法、それと食堂の営業時間」
「最後必要ですか?」
二十歳の女性が恐る恐る尋ねてくる。
「めちゃくちゃ必要。昼休憩が遅れて営業時間逃すと売店のパンしかないから」
「そ、そうなんですか」
「あと給料日前は安いメニューを把握しておくと生存率が上がる」
「生存率……?」
「金銭的な意味でね」
三人の顔に僅かな戸惑いが浮かんだ。
どうやら彼らが想像していた「悪の組織の研修」とは若干違うらしい。しかしレナは気にせず、施設の見取り図を端末へ表示した。
「まず本部で迷子にならないこと。地下二階から地下四階は構造が似てるから気をつけて。特に地下三階東側の通路は新人がよく間違える。私も入団初日に四十分迷った」
「四十分……」
「エレベーター使えばいいと思うでしょ? 新人の頃って何故か意地張って階段使うんだよね」
午前中いっぱいを使って施設案内と基本規則を教えた後、昼食を挟んで午後から実技研修へ移った。場所は地下訓練場。コンクリートで囲まれた広い空間には、射撃訓練用の標的や模擬障害物、ポケモンバトル用のフィールドまで用意されている。
「じゃ、まず皆の手持ち見せて」
三人がそれぞれモンスターボールを取り出す。
青年の手持ちはアーボ、女性はコンパン、年上の男性はマンキーだった。
どれも極端に珍しいポケモンではないが、健康状態は悪くなさそうだった。
「へぇ、ちゃんと育ててるね」
「はい!」
「ロケット団ならもっと強いポケモンを支給されると思ってました」
青年の言葉に、レナは首を横へ振った。
「基本的にはまず今の手持ちを使うよ。任務によって貸与されることはあるけど、ポケモンって道具じゃないから、昨日今日会った相手の命令を完璧に聞いてくれるとは限らないし」
そう言いながらレナもモンスターボールを放り投げる。赤い光から現れたのはチィだった。
「ラッタ!」
「この子が私の最古参。チィ」
「コラッタ……?」
青年が少し意外そうな顔をする。
「もっと強いポケモン使ってるのかと思いました」
「チィは強いよ?」
その口調がほんの少し変わったことに青年は気づかなかったが、チィは分かったらしい。小さな身体で堂々とフィールド中央へ進み、こちらを振り返る。
「試してみる?」
「いいんですか?」
「もちろん。ただし研修だから勝敗より指示の出し方を見るよ」
青年は嬉しそうにアーボを前へ出した。
「アーボ、どくばり!」
「チィ、右」
飛来した毒針をチィは軽い身のこなしでかわした。
「でんこうせっか!」
次の瞬間、紫色の身体へ白い影が衝突する。アーボは地面を転がったもののすぐに体勢を立て直した。
「アーボ、まきつく!」
「一回受けて」
「え?」
チィの身体へアーボが巻きついた。青年の表情が明るくなる。
「今です! 締め付けて!」
「チィ、ひっさつまえば」
「ラッ!?」
「アボッ!?」
鋭い前歯が迫った瞬間、アーボは反射的に締め付けを解除した。その隙にチィは地面へ着地し、距離を取る。
「ストップ。ここまで」
レナが手を挙げると、チィは即座に動きを止めた。アーボも青年の元へ戻っていく。
「今のは悪くなかったよ。でも、相手が技を受けたからって有利になったとは限らない。巻きつく系の技は自分から相手へ接近するから、近距離技を持ってるポケモン相手には逆に危険になることもある」
「なるほど……」
「あと今のチィなら、そのまま噛みついて無理矢理抜けることもできる。相手の手持ちと得意技が分からない時は、自分の得意な展開だけで考えないこと」
先ほどまで勢いだけだった青年が、今度は真面目に頷いた。
「それと一番大事なのは、勝てない相手からは逃げること」
「……逃げるんですか?」
「逃げる」
レナは迷いなく答えた。
「ロケット団だからって、出会ったトレーナー全員に喧嘩売る必要ないよ。相手がジムリーダーだったら? 四天王だったら? とんでもなく鍛えたポケモン六匹持ってる旅人だったら? 勝てないのに突っ込んで全滅したら、任務失敗した上にポケモンまで怪我するだけ」
「でも、悪の組織ってもっとこう……命知らずに戦う感じだと思ってました」
「映画の見すぎ」
隣で聞いていた二人まで小さく笑った。
「仕事なんだから、生きて帰って報告するところまでが任務。重要な情報を持ってるなら尚更ね。格好つけて捕まるより、逃げ帰って『めちゃくちゃ強いトレーナーいました』って報告してくれた方が上も対策できる」
年上の男性が腕を組みながら頷いた。
「なるほど。組織として考えれば当然ですね」
「でしょ?」
「先輩、意外とまともですね」
「意外って何」
午後はそのまま三人の模擬戦と基礎訓練に費やされた。
コンパンの複眼を生かした索敵、マンキーの機動力を使った近接戦、アーボの細長い身体を生かした奇襲。
レナは自分の三年間の経験を引っ張り出しながら、それぞれのポケモンに合う戦い方を一緒に考えていった。
途中からモクとズバットも出し、複数のポケモンを使う連携や、狭い場所での立ち回りまで簡単に教えていく。
気づけば夕方だった。
「今日はここまで。明日は捕獲器具の実習と外勤時の基本行動ね」
「はい!」
「質問ある?」
三人は顔を見合わせた。その後、二十歳の女性が手を挙げる。
「レナ先輩」
「ん?」
「ロケット団に入って、良かったですか?」
少しだけ意外な質問だった。
レナは腕を組んだ。
「うーん……」
給料日前に三十二円しか残らなかったことがある。倉庫整理で夜中まで働いたこともある。
捕獲装置の誤作動で天井から吊られたこともある。
野生のニャースに財布を盗まれ、サカキの目の前でモクが鳴き、休日出勤まで経験済みだ。
「まあ、それなりに?」
「それなりなんですね」
「給料出るし、寮あるし、チィたちの医療補助もあるし。それに三年いるくらいだから、嫌いだったらとっくに辞めてるよ」
そこでレナは少し笑った。
「でも一個だけ覚えといて。ロケット団だからって自分のポケモンまで雑に扱ったら駄目だからね。自分についてきてくれる子くらいはちゃんと大事にすること。それができないなら、任務任せても信用できないから」
三人は今度こそ揃って真剣に頷いた。
研修終了後、レナはチィたちを連れて食堂へ向かった。
今日のメニューはカレーとコロッケ。
レナ自身はカレーを注文し、チィ、モク、ズバットにはいつものフードを用意する。
席へ座って一息ついていると、同期の団員がトレーを持って向かい側へ座った。
「よう、先生」
「やめて」
「新人研修どうだった?」
「疲れた。教える側ってこんなに喋るんだね」
「先輩風吹かせた?」
「全然。むしろ三年前の自分思い出して恥ずかしくなった」
「何したんだよ」
「初日の訓練で『いつか幹部になります!』って言った」
同期の動きが止まった。
「お前が?」
「私が」
「今の夢は?」
「寮の個室」
「志どこ行ったんだよ」
「三年間で現実を知った」
チィが足元で「ラッタ」と鳴く。レナは苦笑しながらフードを一粒追加してやった。
「まあ、新人三人が半年後も元気に働いてたら、それでいいかな」
「完全に先輩じゃん」
「……やめてよ。急に歳取った気分になる」
ロケット団したっぱ、レナ。二十二歳、所属歴三年目。
本日の任務、新人研修。
新人三名、負傷者なし。ポケモンも全員元気。初日としては上出来だった。
そして翌日。
「レナ先輩、おはようございます!」
「先輩! 昨日言われた報告書の練習してきました!」
「先輩、捕獲ネットの畳み方これで合ってますか?」
三方向から一斉に「先輩」と呼ばれたレナは、コーヒーを持ったまま固まった。
「……三年目って、もう新人じゃないんだなぁ」
その日、レナは初めて、自分がロケット団の中堅へ片足を突っ込んでいるという恐ろしい事実を知った。