あなたのデッキからカードを1枚選ぶ。それ以外をすべて墓地に置く 作:北間 ユウリ
「――つ、かれた……」
怪我を負い、痛みを訴える身体に耐え、人目を避けながら自宅に戻り。そして、玄関の扉を潜った頃には、もう既に夜の10時を超えていて。
後ろ手に扉の鍵を締め、靴を脱いで家に上ろうとして。
「あ、――」
ふっと、身体から力が抜けて。踏み出したまま、支えが無くそのまま前に倒れ込み。
受け身を取らないと、と考える思考に、しかし身体は追い付かずにいて。痛みに備えて目を閉じる、その瞬間。
「――ほら、しっかりして? 寝るならせめてベッドで、ね」
私の体重すべてを預けてなお、揺るがない身体。人肌の温もりも柔らかさもないけれど、陶器のような冷たい身体が、触れ合う肌から伝わって、心地良くて。
思わず息が漏れて、それが耳に届いたのか、彼女――アナは、艶かしい声を漏らして、身をよじらせた。
「んっ――ほら、あと少し、歩けるでしょう? それとも、お姫様のように、抱えた方がいいかしら?」
「それも、魅力的だけど……まぁ、壁に頭をぶつけたくないから、その提案は、また今度で」
「そう、それは残念ね。なら、支えも不要かしら」
「意地悪しないでよ、アナ……手を、貸してほしいな」
私がそう言えば、アナはクスクスと笑って。そして、仕方ないわね、と私の手を引いた。
引き戸を開いて、暗い部屋に入る。アナが壁のスイッチを入れて、部屋の灯りを点ける。1LDKの、元は必要最低限の家具だけが置かれていた部屋。ベッドと、テーブルと座椅子だけが置かれていた部屋。
アナと出会ってから、随分と変わったな、と今の部屋を見て思う。ベッドにはぬいぐるみが並べられていて、テーブルにはクロスが敷かれている。座椅子は2つに増えて、その片方にはクッションが置かれていた。家具は他にも増えていて、ドレッサーの横には全身の映る姿見がある。
取り敢えず、ベッドに横になる為に、地面に転がったことで汚れたアウターを、廊下の洗濯機に放り込む――途中でアナがキャッチした。
「あのね、これは洗濯機に出す時はネットに入れなさいって言ってるわよね」
「ごめんなさい、ママ……」
「あなたを産んだ覚えはないわ。ほら、下も脱いで。髪も汚れているのだから、シャワーを浴びなさい」
「分かった、わかったよ……」
変わったといえば、アナも随分と……順応したな、と思う。最初は何もかもが珍しい、と目を輝かせていたのに。今では家事炊事は私より得意で、こと家のことに関しては、私より詳しいかもしれない。私がスボラ過ぎるという可能性もあるけれど。
ショートパンツ、オフショルダーのハイネックシャツに手を掛けて、下着も脱いで洗濯機に放り込む――アナがため息を吐いた。
小言を言われる前に、疲労困憊の身体を引き摺ってバスルームに入る。バスチェアに座って、頭の頂点から、シャワーの熱いお湯を浴びる。腕の、足の傷に染みて、痛んで――ああ、生きてるんだな、と実感する。
ディストーション・ゲー厶は、カードの影響が現実にも表れる。けれど、どこか現実感が無い。バトルの最中も、終わった後も、空想との境目にいるような感覚になる。
悪いことではない、とは思う。いわゆる防衛反応というものなのではないか、と思うから。
私は、アナと出会う前は普通に生きていて――少なくとも命のやり取りをしていた訳ではないから。多少、死には近かったのだろうけれど、ただそれだけ。そんなひとが殺し合いに参加するとなったのなら、普通のままではいられないのが当たり前というものではないか、と考える。
ただ、ずっと空想の側に居るのも、またそれは良いことではないとも思う。そうして現実に感覚を麻痺し続けていては、きっと決定的なところで間違える。
だから、現実に立ち返る時間が必要で。
現実に帰る、最も簡単な方法が、痛みで。
バスルームの扉が開く。濡れた足音が私の背後で止まった。
「あら、髪の洗い方も忘れてしまったのかしら?」
「アナ……」
陶器の指が、背をなぞる。温まった身体に冷えた指がくすぐったくて、声が漏れた。
「んっ……どうしたの、急に」
「別に?」
言葉短く言って、アナは私に体重を預ける。陶器の肌と私の肌が触れ合う。
「……なんで服着てないの」
「あら、お風呂の常識まで忘れてしまったのかしら? お風呂に入るのなら、服は脱ぐものでしょう」
「一人用の浴槽なんだけど」
「詰めれば二人で入れるわ。この前だってそうしたじゃない」
前やったから言ってるんだけど、と小さく抗議を漏らす。二の腕を抓られた。痛い。
シャワーを止める。そのままアナに向き直ろうとして、肩を抑えられた。さらに強く、アナの身体が押し付けられる。
「なに? 私と一緒に入りたくないって言いたいのかしら」
「前に狭いって文句言ってたのはアナの方でしょ」
「忘れたわ、そんな昔のこと」
たった1週間前のことなのに何を言ってるのか、という言葉を飲み込んで、内心に留める。右頬を引っ張られた。
「生意気な気配を感じたわ」
「……いふぁい」
「んー?」
上に、下に。前に、横に。アナの気の向くままに頬を弄られて、その度に鏡の中で変形する私の顔を無抵抗のまま眺める。
おおよそ30秒ほど、好き勝手されて。そして気が済んだのか、むふーと声が聞こえるような、満足気な表情でアナは私の頬から手を離した。
赤くなった頬を手で押さえ、鏡越しにアナを睨む。
「……お気に召しましたか、お嬢様?」
「もう、怒らないで? そんなに可愛い顔をされたら、またいじめたくなっちゃうわ」
「右頬の次は左頬を差し出せって?」
「拗ねないでってば。ほら、機嫌を直してちょうだい?」
背から回されたアナの手が、シャワーの蛇口を捻る。止めていたお湯が再び、私の身体を温めて。
そして、シャワーヘッドを手に取り、私の髪を梳かし始める。アナの細い指が私の髪の間を通り、一本一本ほどいていく。
「長くなったわね」
「……まぁ、伸ばし始めてかなり経ったからね」
アナが私の髪をひと房、持ち上げる。黒色の中に唯一色付く、青色の髪。
アナの瞳の色を見て染めた、私のはじめての色。
シャンプーを泡立てたアナが、髪へと泡をつけ、そして頭頂から髪の先へと流すように洗っていく。
「髪が長くなったから、お風呂の時間も長くなったわね。私としては、一緒にいられる時間が長くなるからいいけれど」
「だからこの前、しばらくは一緒に入らないって――っ、ちょっと、流すなら声、んぷっ」
私の抗議の声は、髪の泡と一緒に流された。目を閉じ、俯いて、泡が目に入らないようにする。
しばらく、そうしてアナのなすがままにされて。そして、シャワーのお湯が止められる。
「ほら、次はトリートメントをするわ。髪をタオルで拭いてくれるかしら」
「別に、そこまでしなくてもいいのに……」
「あのね、あなたは私のパートナー、私の運命なのよ? 髪にまで――いいえ、髪にこそ、手入れを欠かしてはいけないわ」
「アナ、自分の手入れはしないくせに」
「私はいいの。何とでもできるから」
渡されたタオルで髪の水気を拭き取る。その間にも、アナは髪に対する意識であったり、私の美意識についての文句であったりをつらつらと語っていて。
それを聞き流しながら髪を後ろに流せば、アナが手に取ったトリートメントをなじませる。毛先からたどるように、丁寧に。
「……ほんと、どこで学んでるの? 美容室には行ったことないよね、一緒に」
「あら、スマホ一つあれば何でもできるのよ? 美容の知識を集めるくらい簡単なこと。参考の動画も、たくさん見つかるわ」
「ああ、サジェストとか広告が美容系で埋まってるのはそのせいか……」
「はい、終わり」
そんな話をしている間に、髪をタオルでまとめられて。
ママの次は美容師か、とアナの可能性に思いを巡らせていると、耳を引っ張られた。
「また変なことを考えてないでしょうね」
「……アナ、すぐ手を出すのはよくないと思うよ」
アナが大きなため息を吐いた。
「……ほら、湯船に浸かりなさい。身体を冷やすわよ」
「いつの間に沸かせてたの?」
「あなたがぼーっとしている間」
なるほど、洗濯物を回したりしている片手間にやっていてくれたらしい。本当に、家事慣れしている。
「ほんとにママじゃん」
「ん-?」
「ちょっ、まって、首はやばい」
「ほら、冗談言っている暇があるのならさっさと入りなさい」
冗談のつもりはないんだけど、と思いながら、たぶんそれを口にしたら浴槽に沈められるんだろうな、と思い。
アナの手を借りて、ゆっくりと浴槽へ入る。
浴槽たっぷりに張られたお湯に身体を沈める。そうした分だけ、重力から解放されたような。それでいて、水の圧力もあるから、抑えつけられているような、そんな不思議な感覚がして。
この感覚が、昔から大嫌いで。
「ん……はぁ」
「あら、どうしたのかしら」
「ん? いや……くすぐったいなって」
「くすくす……ただ、浴槽に浸かっただけじゃない。ほら、詰めて」
アナに言われ、彼女が入れるよう、浴槽の端に寄る。けれどアナは、そうじゃないわ、と言って、私の身体を横に向けさせて。
そして、膝を抱えて浴室の壁を見る私の後ろで、水音がして。そして、私の背にぴったりと、アナの身体がくっつけられる。
「アナ?」
「これなら、二人で足を伸ばせるでしょう? ほら、後ろに少し余裕があるから、少し下がっていいわよ」
言われるがまま、アナに体重を預けるように後ろに下がれば、足を軽く伸ばす程度には広いスペースが取れて。
そして、後ろ手に、アナの腕が私の腰に回されて。
「……ほんと、どうしたの、アナ?」
「どうもしないわ? 私がこうしたいというだけ」
そう、私の肩に顎を乗せて言うものだから、吐息が耳にかかってくすぐったくて。思わず、身をよじらせて。
それでも逃がさない、というかのように、アナはその人形の腕で、私の身体を抱き留める。
確かに、アナが気まぐれなのはいつものことだけれど。
けれど、こうして物理的に近付くようなことは珍しくて――それこそ、きっと、私に何かあった時にしか。
背中に感じるアナの人形の身体から、鼓動は伝わらないけれど。
きっと、私が自覚できていない何かが、またあったのだと、確信できて。
――不安なのだ。きっと、アナは。
「……あのさ、アナ」
「何かしら?」
「私は、アナから離れないよ。何があっても、絶対に」
ふ、と。アナの、私を抱き留める腕の力が緩くなって。
そして、またぎゅっと、強く、強く抱き締められる。
「……それは、嬉しいことを言ってくれるわね」
「今更、アナのいない生活に戻れないしね。たぶん、一週間ももたない」
「それは何とかしてちょうだい?」
無理なものは無理だよ、と返して、ぐっと身体をアナに押し付ける。
この世界において、私は
今の住居も、住むところが必要だから自分で用意したもので。この世界との繋がりなんて、何も無くて。
私にとって、家族と呼べる存在はこの世にはいなかったから。
「初めて会った時のこと、覚えてる?」
「……ええ、勿論」
「あの時の言葉、私は絶対に忘れないから。だから、大丈夫だよ」
私のお腹に回された、アナの手に、私の手を重ねる。
アナの左手に、私の右手を絡めて。そして、その上から左手で離れないようにして。
私の記憶の、最も色付いたそれを、思い出す。
私とアナが、ディストーション・ゲームに参加する理由。アナの願い。私の願い。
私の中に生まれた、初めての繋がりを。
「……あと少し。頑張ろうね、アナ」
「ええ、……そうね、トバリ」
アナの声を聴きながら、私は目を閉じた。
ねぇ、私の運命。私だけのあなた。
あなたは、覚えているかしら。
あなたが初めて傷ついた、殺し合いの相手のこと。
相手を慈しむこと。あなたを守る臆病さ。あなたの中の大切な弱さ。
私に鼓動は無いけれど、あなたのそれは、とても強く感じられるの。
ねぇ、私の運命。
あなたは、忘れてしまったのかしら。
ひとりはとても、寂しいということ。
殺し合いを経るたびに、あなたの中の大切なあなたが減っていくのを感じるわ。
あなたはきっと私を忘れないのでしょう。けれど、あなたのことは忘れてしまうのね。
ねぇ、私の運命。
私と一緒にいてくれるという約束。
それが果たされるとき、あなたはちゃんと、私のそばにいてくれるのかしら。
ねぇ、私だけのあなた。
「どうか、私の腕の中から、どこにも行かないでちょうだいね?」
そして、微睡むあなたの唇を、私だけのものにしてしまうことを。
どうか、赦してちょうだいね。
〈誓いの儀式〉
白/黒
【呪文】
■あなたと、あなたがコントロールするユニット1体を対象とする。以下の内から一つを選び、効果を適用する。
・対象のユニットのディフェンスの数値分だけ、あなたのライフを回復する。そのユニットを破壊する。
・あなたは任意の点数のライフを支払う。対象のユニットは、次の攻撃の間、アタックを支払ったライフの点数分だけ上昇させる。
あなたのためなら、この身も惜しくない。