【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
第1話 『究極の汎用性』
弱い者は、置いていかれる。
それは別に、この世界では珍しいことでも、ことさら残酷なことでもなかった。少なくとも冒険者という生き方を選んだ者たちにとっては、あまりにも当たり前の理屈として受け入れられている。
魔物を倒し、依頼をこなし、時には生きて帰れる保証さえない危険な場所へ足を踏み入れる。そこで求められるのは、どれだけ努力したかでも、どれだけ仲間を思いやれるかでもない。最後に残るのは、依頼を達成したという結果と、生き残ったという事実だけだ。
強い者は生き残り、弱い者は死ぬ。
あるいは――死ぬより先に、必要とされなくなる。
「…………」
街道を一人で歩きながら、ハイセは何とはなしに自分の右手へ視線を落とした。
何も握られていない手。
けれど、その掌には数日前まで存在しなかった力がある。
腰には最低限の旅道具を詰めた荷物を下げ、その中には僅かな金と食料、それに――あの古びた手記が収められていた。
あれを手にしてから、そう長い時間が経ったわけではない。
ブラックエンシェントドラゴンとの死闘。
死ぬしかないと思った瞬間に目覚めた、【武器マスター】という得体の知れない力。
手記に記された文字の一部が突然意味を持ち、それまで知りもしなかった武器を、自分の手の中へ生み出せるようになった。
覚醒から、まだ数日。
自分自身でさえ、この力の全貌を理解しているとは到底言えない。
何を出せるのか。
何を知れば、新しい武器を扱えるようになるのか。
そもそも、なぜ自分にこんな能力が発現したのか。
分からないことの方が圧倒的に多かった。
それでも、少なくとも以前とは違う。
今の自分には戦う力がある。
まだ冒険者として十分な蓄えがあるわけでも、誰もが名を知るほどの実績があるわけでもない。それでも、一人で魔物へ立ち向かい、自分の足で進んでいくための手段だけは、確かに手に入れた。
だからこそ、もう昔のことなど考える必要はないはずだった。
「……くだらねぇ」
それでも頭の片隅へ浮かんできた記憶を振り払うように、ハイセは小さく吐き捨てた。
何度考えたところで、過ぎたことが変わるわけではない。今さら誰かの言葉を思い返したところで、追放された事実も、その時に感じたものも消えてはくれない。
ならば前へ進めばいい。
自分にはもう、そのための力がある。
そう自分へ言い聞かせながら一歩を踏み出した――まさに、その瞬間だった。
「……?」
空気が揺れた。
風が吹いたわけではない。魔力の流れが乱れた感覚とも、魔物が放つ殺気とも違う。それまで何の変哲もなかった空間そのものが、目には見えない何かに引き伸ばされたような不気味な違和感が、肌を撫でる。
「何だ……?」
ハイセが足を止めた次の瞬間、目の前の景色が歪んだ。
「――っ!」
考えるより先に身体が動き、地面を蹴って後方へ飛ぶ。
だが、遅かった。
歪みは一点へ収束するどころか急激に広がり、まるで世界そのものへ刃を入れたかのように空間が裂ける。黒とも白ともつかない光が幾重にも重なり、視界の奥で互いを塗り潰しながら渦を巻いた。
「……ふざけんな!」
ハイセは反射的に【武器マスター】を使おうとした。
何が起きているかは分からなくとも、何かを手にして抗わなければならない――そう判断した、その直後。
足場が消えた。
「な――」
身体が落ちる。
下へ落ちているのか、上へ引き上げられているのかさえ分からない。平衡感覚は意味を失い、耳鳴りの向こうで自分の鼓動だけが異様に大きく聞こえた。
そして、何かを考える余裕すら与えられないまま、ハイセの視界は眩い光に埋め尽くされた。
◇
最初に戻ってきたのは、音だった。
ざわめく人の声。硬い地面を踏む複数の足音。それに混じって、ハイセの知るどんな道具とも違う規則的な機械音が聞こえてくる。
「…………ん」
意識が浮上するにつれて、閉じていた瞼の向こうへ光が滲んだ。
ハイセはゆっくりと目を開く。
「…………?」
視界いっぱいに広がったのは、抜けるような青空だった。
「……空?」
呟きながら上半身を起こし、まず身体の状態を確認する。
痛みはない。出血もなく、骨や筋肉へ妙な違和感もない。あれほど異常な現象へ巻き込まれたにもかかわらず、怪我らしい怪我を一つも負っていないことの方が不気味だった。
そして、周囲へ目を向ける。
「…………」
最初に思ったのは、自分は頭でも打ったのではないか、ということだった。
そこに広がっていたのは、ハイセがこれまで一度として見たことのない街並みだった。
空へ届きそうなほど巨大な建物が並び、その壁面や空中には絵とも幻影魔法とも違う鮮明な映像が浮かんでいる。色とりどりに光る看板の間を、馬も魔物も使わずに走る奇妙な車両が行き交い、道の構造も、建築様式も、何から何まで自分の常識から外れていた。
そして何より目につくのは、人間だった。
「何だここ……」
若者が異様に多い。
しかも、そのほとんどが統一された制服らしき服装を身につけている。
腰へ剣を下げている者がいる。
銃に似た形状の武器を携帯している者もいる。
用途の分からない機械仕掛けの道具を堂々と持ち歩いている者までいた。
にもかかわらず、周囲の人間は誰一人としてそれを危険視していない。武装した若者が街中を歩くという、本来なら異様であるはずの光景が、ここでは日常の一部として完全に馴染んでいた。
「…………」
しばらく無言でその光景を眺めたあと、ハイセは自分の右頬を指で抓った。
「痛ぇ」
当然ながら痛かった。
どうやら夢ではないらしい。
「幻覚……でもなさそうだな」
精神干渉系の魔法。空間転移。特殊な結界。
自分が知る範囲で可能性をいくつか並べてみるが、どれにも確信を持てない。
そもそも、自分にはこれほど大規模な空間転移を起こす能力などない。【武器マスター】が関係している可能性も一瞬考えたが、覚醒から数日しか経っていない現状では、それを肯定する材料も否定する材料もなかった。
「……荷物は」
ハイセはすぐに自分の腰元を確かめた。
旅道具を入れた鞄は残っている。
中を確認すれば、僅かな金、食料、簡単な道具も無事だった。
そして。
「……これもあるな」
底の方から取り出したのは、使い込まれた古い手記だった。
表紙も紙も見慣れたまま。
ブラックエンシェントドラゴンとの戦いで、自分の能力が本当の意味で目覚めるきっかけになったもの。
なぜか一部だけ意味を理解できるようになった、正体不明の文字。
その手記まで一緒にここへ来ている。
ハイセは数秒だけそれを見つめたあと、再び鞄へ戻した。
「なら……」
何もない状態へ放り出されたわけではない。
大量の金があるわけでもないし、この土地で自分の持つ貨幣が使える保証もない。それでも最低限の食料と装備はあり、【武器マスター】も失われていない。
生き延びるだけなら、どうにかなる。
問題は、もっと根本的なところにあった。
「ここがどこなのか、だな」
まずは通行人へ声を掛けるべきか。
明らかに自分だけ格好が違う以上、不審がられる可能性もあるが、何も知らないまま動き回る方が危険だろう。
そう考え、近くを歩いている学生らしき人物へ声を掛けようとした――その時だった。
「――何度言えば分かる!」
離れた場所から鋭い怒声が響いた。
「?」
ハイセは反射的にそちらへ視線を向ける。
声が聞こえてきたのは、一際大きな施設の入口付近だった。詳しい用途までは分からないが、開放された区画の奥には無数の機械や作業台が見え、雰囲気としては研究所か工房に近い。
そこで複数人が言い争っている。
いや、正確には言い争いですらない。
一人の女が、周囲の研究者らしき人間へ一方的に説教していた。
褐色の肌に、背へ流れる淡い金色の長い髪。
その上から白衣を纏い、赤い瞳を険しく細めながら、作業台に置かれた機械仕掛けの武器らしきものを睨みつけている。
「これでは意味がないと言っている!」
「しかし、出力については従来型より――」
「出力?」
部下らしき人物の説明を遮り、女は鼻で笑った。
「高火力であることそのものを否定するつもりはない」
そう言いながら、作業台の武器を手に取る。
ハイセには構造こそ理解できなかったが、少なくともそれが高度な技術で作られた武器であることくらいは分かった。
「だが、これは使用者を選びすぎる」
「適合できる者が扱えば、十分な性能を――」
「それが問題だと言っている!」
女の声が再び強くなる。
ハイセはいつの間にか、通行人へ声を掛けることも忘れてその場に足を止めていた。
自分には関係のない話だ。
知らない街で、知らない研究者が、知らない武器について議論しているだけ。
本来なら立ち去ればいい。
それなのに。
「使える人間だけが強くなれる武器など、私の求めるものではない」
「…………」
その一言に、ハイセの足が完全に止まった。
女は手にしていた武器を作業台へ戻す。
「私が作りたいのは、特別な天才だけが扱える玩具ではない」
才能のある者だけが特別な力を手にする。
その構図そのものを嫌悪しているかのように、女は言葉を続けた。
「才能のある者が強い?」
そして、吐き捨てる。
「当たり前だ」
「…………」
「強い者が、さらに強くなるだけの武器なら――私でなくとも作れる」
「会長……」
周囲の人間が困ったように呼びかけるが、女は構わない。
「私が求めているのは」
一拍だけ置き。
「誰もが手に取ることができる武器だ」
「…………」
「強い者も。弱い者も。才能に恵まれた者も、そうでない者も」
その言葉を聞くたびに、ハイセの瞳が僅かに細くなっていく。
「使い手自身の可能性を引き出し、成長するための力を与える」
女はまるで、そんなものが実現できて当然だと信じているようだった。
そして胸を張る。
「それが――私の追い求める【究極の汎用性】だ」
「…………」
ハイセは動けなかった。
誰もが使える。
弱い人間であっても、自分の力で強くなっていける。
そんな武器。
馬鹿げている、と真っ先に思った。
そんな都合のいいものが本当に存在するなら、そもそも誰も苦労などしない。
弱い奴は、弱いから置いていかれる。
足を引っ張るから。
危険だから。
本人のためだから。
どれだけ聞こえのいい理由を並べたところで、最後に奪われるのは弱い側の選択肢だ。
少なくとも、ハイセはそういう世界を見てきた。
そういう目に遭ったばかりだった。
「……面白い」
「?」
気が付けば、口から言葉が漏れていた。
女が振り向く。
視線がぶつかった。
「…………」
「…………」
言ってから、ハイセは僅かに気まずくなった。
「今」
女が問いかける。
「何と言った?」
「……別に」
「言っただろう」
女はこちらへ歩いてくる。
「面白い、と」
「…………」
「何が?」
鋭い視線で問い詰められ、ハイセは少しだけ考えた。
隠すほどのことでもない。
「アンタの考え」
「私の?」
「ああ」
近くにいた研究者たちの視線まで、ハイセへ集まった。
「誰でも使えて、誰でも強くなれる武器」
「…………」
「そんなもん――」
ハイセはほんの少し口元を緩めた。
「本当に作れるのか?」
「作る」
返事は即答だった。
「…………」
「私は、出来るかどうかを君に聞いているわけではない」
女は一切迷わない。
「作ると言った」
「…………」
そのあまりの断言ぶりに、ハイセは思わず笑った。
「何がおかしい?」
「いや」
首を振る。
「すげぇ自信だと思ってな」
「当然だ」
「普通、もうちょい迷わねぇか?」
「研究とは、出来ない理由を並べるためにするものではない」
女は腕を組む。
「出来る方法を探すためにするものだ」
「……そうかよ」
変な女だ。
ハイセは素直にそう思った。
だが、不思議と嫌いではなかった。
「ただ」
女が改めてハイセを観察するように目を細めた。
「君は少し変だな」
「初対面で失礼だな」
「君から声を掛けたんだろう」
「勝手に聞いただけだ」
「なお悪い」
「…………」
女の視線が、ハイセの服装から装備へ、そして腰に下げた鞄へと移っていく。
周囲の学生たちと見比べるまでもなく、自分だけがこの街の風景から完全に浮いていることは明らかだった。
「見たところ、この街の人間ではなさそうだが」
「…………」
その言葉に、ハイセの表情が僅かに変わる。
「分かるのか?」
「その格好で分からない方がおかしい」
「…………」
言われて周囲を見れば、確かに否定できない。
「どこから来た?」
「それが分かれば苦労しねぇ」
「何?」
「気づいたらここにいた」
「…………」
その瞬間。
女の目つきが変わった。
怒っているわけではない。
先ほど武器を見ていた時と同じ――未知のものへ出会った研究者の目だった。
「転移?」
「多分な」
「空間転移系の能力か?」
「俺にはそんな能力ねぇよ」
少なくとも、自分が知る限りでは。
「事故?」
「それを調べてんだ」
「…………」
女はしばらく黙ったまま、ハイセをじっと見つめていた。
「君」
「何だ」
「名前は?」
「ハイセ」
「……ハイセ、か」
「ああ」
確認するように名前を口へしたあと、今度は女が自分の胸へ手を当てる。
「私はカミラ・パレート」
「カミラ」
「ああ」
ハイセは、その名前を頭へ刻んだ。
「それで――異世界から来たかもしれないハイセ」
「随分簡単に信じるな」
「信じたとは言っていない」
「…………」
「だから調べる」
「やっぱり研究者って奴は……」
呆れながらも、妙に納得してしまう。
そんなハイセへ、カミラはさらに問いかけた。
「一つ聞いていいか?」
「何だ」
「先ほど、私の研究を面白いと言ったな」
「ああ」
「何故だ?」
「…………」
そこで初めて、ハイセは答えに詰まった。
「別に」
「別に、ではないだろう」
「しつこい女だな」
「研究者だからな」
「関係あんのか、それ」
思わず息を吐く。
適当に誤魔化しても、この女は納得しないのだろう。
「……弱い奴でも」
「?」
「強くなれるんだろ」
「そういう武器を作る」
「…………」
「それが?」
ハイセは僅かに目を伏せた。
「弱い奴は――いらないって言われる」
カミラは何も言わなかった。
「足を引っ張るから。危ないから。そいつのためだから」
最後の言葉だけ、ほんの少し声が低くなる。
「色々理由つけて、勝手に――いらないって決められる」
右手が自然と拳を作っていた。
まだ数日前のことだ。
忘れられるはずもない。
「俺も……そうだった」
笑ったつもりだった。
けれど自分でも、それが自嘲にしかなっていないことは分かっていた。
同情されると思った。
可哀想だったと慰められるか、仕方がなかったのだと言われるか。
そういう言葉が返ってくるものだと、どこかで身構えていた。
だが。
「それで?」
「……は?」
返ってきた言葉は、ハイセの予想とはまるで違っていた。
「だから何だ?」
「…………」
「君は、それで納得したのか?」
一歩、カミラが近付く。
「弱いから必要とされなかった。なら仕方がない――そう思っているのか?」
「俺は……」
口を開いたものの、その先が続かなかった。
カミラは急かさない。
ただ真っ直ぐ、ハイセを見ている。
「君自身は」
一度だけ間を置き。
「どうしたかった?」
「…………」
その問いに、ハイセは言葉を失った。
どうしたかった。
あまりにも単純な問いだった。
なのに、答えが出てこない。
いつから、自分はそんなことを考えなくなったのだろう。
強くならなければ。
追いつかなければ。
役に立たなければ。
必要とされなければ。
そうしなければ置いていかれると、ずっとそればかり考えていた。
自分が本当は何を望んでいたのかなど、考える暇もなかった。
「…………」
けれど。
もし、あの時。
弱かった自分にも手を伸ばせる力があったなら。
弱いという理由だけで、誰かに選択肢を取り上げられずに済む何かがあったなら。
少なくとも、自分と同じような思いをする人間は、少しだけ減るのかもしれない。
「……俺は」
「?」
ハイセは顔を上げ、カミラを見た。
「俺と同じ思いをする奴が――一人でも減るなら」
その言葉は、誰かに教えられたものでも、正しい答えを探して選んだものでもなかった。
自分自身の中から、初めて自然に出てきたものだった。
「アンタの研究」
一拍。
「悪くないと思う」
「…………」
カミラはしばらく何も言わなかった。
やがて、その険しかった表情が僅かに緩む。
「そうか」
「何だよ」
「いや」
カミラは右手を差し出した。
「それなら、もう少し話をしてみるか?」
「…………」
ハイセは差し出された手を見る。
「何の話だ」
「私の研究」
カミラは指を一つ折る。
「この街」
もう一つ。
「そして――」
最後に、ハイセ自身を指すように視線を向けた。
「君自身が、これから何を選ぶのかについて」
「…………」
選ぶ。
その言葉だけが、妙に耳へ残った。
これまでハイセは、選ばれる側だった。
必要か、不要か。
仲間として残すか、切り捨てるか。
自分以外の誰かが決めた答えを受け入れるしかないと思っていた。
だが、目の前の女は、その前提そのものを当然のように無視している。
ハイセは少し迷ったあと、自分から手を伸ばした。
カミラの手を握る。
「ああ」
それは、ほんの小さな選択だった。
けれど、まだこの時の二人は知らない。
この偶然の出会いが、一人の冒険者に「自分で選ぶ」という意味を教え、その思想がやがて一つの研究室を、一つの学園を、そして二つの世界さえ巻き込むほど巨大な波紋へ変わっていくことを。
【究極の汎用性】という一人の研究者の夢が、いつか「誰もが武器を使える」という意味を越え、「誰もが自分の未来を選べる」という願いへ姿を変えていくことを。
この時。
ハイセも、カミラも。
まだ知る由もなかった。