【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

102 / 104
第102話 LEGENDARY REVIVAL

 

 ハイセとサーシャの戦いが終わった直後、訓練フィールドへ響いた拍手は、慰めにも称賛にも聞こえなかった。

 

 入口に立っていたのは【ルサールカ】の五人――ミルシェ、モニカ、トゥーリア、マナフレ、パイヴィ。

 

 ステージ上で見せる華やかな笑顔とは違い、五人の視線には戦う者としての鋭さが宿っていた。彼女たちは倒れているサーシャと、その傍らに立つハイセを順番に見たあと、互いに何かを確認するように僅かに視線を交わす。

 

 最初に口を開いたのはミルシェだった。

 

「サーシャ」

 

 名前を呼ばれ、サーシャが床に横たわったまま顔だけを向ける。

 

「もう一回、私たちとやろうよ」

 

「……何?」

 

「再戦」

 

 あまりにも簡単に告げられた言葉に、サーシャは眉を寄せた。

 

「今の私を見て、それを言っているのか」

 

「見てるよ。だから言ってる」

 

 ミルシェは笑っていた。

 

 侮っているわけではない。傷付いた人間を励ますためだけの優しい笑みでもない。ただ純粋に、もう一度戦いたいと願っている顔だった。

 

「前は私たちが勝った。でも、あれからそっちも強くなったでしょ?」

 

 その横でトゥーリアが肩を回しながら続ける。

 

「こっちも同じだ。前と同じだと思ってもらっちゃ困るぜ」

 

「……今度は、本気で潰しに来てください」

 

 マナフレの声は穏やかだったが、その内容は少しも穏やかではなかった。

 

 モニカも楽しそうに笑う。

 

「負けたからって沈んだままなんて、ステージじゃ一番つまらないもんね」

 

 最後に、パイヴィが倒れているサーシャを静かに見据えた。

 

「……立てるようになったら来い」

 

 それだけ言うと、五人は踵を返した。

 

 サーシャは何も返さなかった。

 

 だが、隣に置かれたセルヴィトラへ伸ばした指だけが、ほんの僅かに動いていた。

 

 ◇

 

 数日後。

 

 再戦は正式な模擬戦として組まれた。

 

 前回と同じく五対五。ただし、セイクリッド側の顔触れは前回とは違っていた。

 

 中央にはサーシャ。その左右をプレセアとヒジリが固め、今回新たに前線へ投入されたのがレイノルドとタイクーンだった。

 

 前回のルサールカ戦では別任務へ回され、直接戦うことのなかった二人である。つまりセイクリッド側から見れば、これは単なる雪辱戦ではない。前回見せていなかった札まで投入し、今度こそルサールカを真正面から攻略するための布陣だった。

 

 観客席からその五人を眺めながら、ハイセは小さく頷く。

 

「かなり嫌な編成だね」

 

「あなたが言う?」

 

 隣に座るリューネハイムが笑う。

 

「褒めてるんだよ」

 

 レイノルドの背後では【処刑者――バシリッサ】が展開され、巨大な四本のアームが生き物のようにゆっくりと動いている。それぞれの先端に備わった刃による広範囲攻撃に加え、正面には高威力砲撃まで備えた攻防一体の武装であり、単純な近接戦闘だけを考えても突破は容易ではない。

 

 一方、タイクーンの周囲では【踊り手――デスピニス】が旋回していた。空間を縦横無尽に飛び回る複数の円盤は、直接相手を狙うだけでなく、進路を制限し、味方の攻撃へ敵を追い込むことにも使える。

 

 そこへプレセアの【ランビリス】による防御と陣地構築、ヒジリの【ケリードーン】を利用した高速遊撃、そしてサーシャ自身の突破力が加わる。

 

 前回より明らかに強い。

 

 ピアソラとロビンは今回、フィールドには立たなかった。

 

 ロビンは純粋に二人へ出場枠を譲り、ピアソラは自分から外れることを選んでいる。

 

「本当によろしいの?」

 

 試合前、プレセアにそう問われたピアソラは迷わず頷いていた。

 

「ええ。今回は外から見ますわ」

 

 その視線の先にはサーシャがいた。

 

 ハイセに敗れた直後の彼女が、次の戦いで何を見るのか。

 

 今のピアソラには、自分が隣に立つことよりも、外からそれを見届ける方が重要だった。

 

 対するルサールカは、前回と同じ五人。

 

 だが、同じなのは人数と名前だけだった。

 

 五人の装備には【王冠】が組み込まれ、それぞれが持つ煌式武装と【ライア=ポロス】を中心としたシステムは、ハイセによって再調整されている。

 

 以前なら五人の強さを支えていたのは、アイドル活動を通して身体へ染み込ませてきた視線、呼吸、距離感、曲の進行、それらを利用した圧倒的な連携だった。

 

 しかし今は、その一歩先へ進んでいる。

 

 五つの【王冠】が相互に接続されることで成立する【精神同調】。

 

 誰か一人の人格へ残り四人を溶かすわけではない。五人は五人のまま、それぞれの意識を保ちながら、互いが何を見て、何を狙い、次の瞬間どこへ動こうとしているのかという戦闘意思だけを、ほとんど遅延なく共有する。

 

 以前なら、互いに「息を合わせる」という工程が必要だった。

 

 今は違う。

 

 合わせようと思うより先に、もう合っている。

 

「……さて」

 

 ハイセが少し楽しそうに笑う。

 

「どこまでやれるかな」

 

「どちらが?」

 

 リューネハイムに問われ、ハイセはフィールドを見つめたまま答えた。

 

「両方」

 

 開始を告げる合図が響いた。

 

 そして最初に戦場を支配したのは、セイクリッドだった。

 

 レイノルドの背後から伸びたバシリッサの四本のアームが一斉にルサールカへ襲いかかる。一本なら回避できる。二本でも対応できる。だが、四本がそれぞれ異なる角度から侵入し、その隙間をタイクーンのデスピニスが埋めれば、単純に左右へ逃げるだけでは抜けられない。

 

 ミルシェが後方へ跳ぶと、その退路へ円盤が回り込み、右へ逃れようとした先にはバシリッサの刃。左へ抜けようとすれば、既にヒジリがケリードーンの加速を乗せて接近していた。

 

「捕まえた!」

 

 レイノルドが声を上げ、四本のアームが包囲するように閉じていく。

 

 しかし、その刃がミルシェへ届くより先に、トゥーリアがレイノルドの側面へ入り込んでいた。

 

「何っ!?」

 

 レイノルドがアームの一本を戻した瞬間、今度はマナフレが別角度から踏み込み、そのさらに背後へモニカが回る。

 

 ミルシェを助けるために全員が駆け寄ったのではない。

 

 ミルシェが狙われることそのものを前提として、残る四人が既に別方向から次の攻撃へ移行していた。

 

「囮……!」

 

 レイノルドが気付いた時には遅い。

 

 それでもバシリッサの防御性能は高く、二本のアームを攻撃へ残したまま、残る二本だけで側面と背後から来る攻撃を受け止める。

 

 そこへタイクーンのデスピニスが割り込み、モニカとマナフレを強制的に後退させた。

 

「簡単には行かせないよ!」

 

 円盤が戦場を走り、今度はルサールカ側の移動経路そのものを削っていく。

 

 タイクーンはルサールカの連携を研究していた。

 

 誰か一人を狙う必要はない。

 

 誰がどこへ動くのか、その先にある「次の場所」を潰せばいい。

 

 逃げ道を奪い、陣形の移行先を限定し、そこへサーシャとヒジリを送り込む。

 

「そこだ!」

 

 サーシャのセルヴィトラが閃いた。

 

 トゥーリアが受ける。

 

 衝撃で大きく後退したところへヒジリが射撃を重ね、その射線を避けた先には、プレセアのランビリスが既に構造体を展開している。

 

 完全な包囲。

 

 前回なら、それだけで一角を崩されていたかもしれない。

 

 だが、タイクーンが次の瞬間、目を見開いた。

 

「……なんでだ」

 

 デスピニスが移動先を封じる。

 

 そのはずだった。

 

「まだリングを動かしてないぞ……?」

 

 トゥーリアが包囲されるより先に、他の四人はもう次の陣形へ移っていた。

 

 タイクーンがデスピニスを動かすのを見てから反応したのではない。彼が次の進路を塞ごうと判断した、その瞬間には、五人の意思共有によって既にルサールカ全体の行動が切り替わっている。

 

 トゥーリアが一人で包囲を受ける。

 

 その代わり、戦場の反対側が開く。

 

「パイヴィ!」

 

 声をかける必要すらなかった。

 

 パイヴィは既に走っている。

 

 その進路上からモニカが射線をずらし、マナフレがプレセアの意識を引きつけ、ミルシェがヒジリを牽制する。

 

 パイヴィの一撃がタイクーンへ届く直前、デスピニスが辛うじて割り込んだ。

 

「っ……!」

 

 間に合った。

 

 だが、受けた衝撃でタイクーンの身体が大きく後退する。

 

 試合開始から僅かな時間。

 

 観客席からは、既に大歓声が上がっていた。

 

 前回とは違う。

 

 セイクリッドは明らかに強くなっている。

 

 だが、ルサールカもまた、前回のままではなかった。

 

 そこから戦況は一気に激しくなった。

 

 バシリッサの四本の刃がフィールドを切り裂き、デスピニスが空間を縫うように飛び回る。プレセアのランビリスが戦場を区切り、ヒジリがその隙間を高速で駆け抜ける中、サーシャは全体の中心に立ちながら、以前とは比較にならないほど冷静にルサールカの動きを追っていた。

 

 つい数日前、ハイセに完膚なきまでに敗れた。

 

 あの戦いで叩き込まれたのは、単純な力の差ではない。

 

 相手が何を見ているのか。

 

 何を選ばせようとしているのか。

 

 目の前の一撃だけでなく、その次、そのさらに先に何があるのか。

 

 だからサーシャは、今度こそ自分だけで答えを出そうとはしなかった。

 

「レイノルド、右を空けろ!」

 

「分かった!」

 

「タイクーン、追うな! そこは誘われてる!」

 

「了解!」

 

 サーシャの指示に合わせ、セイクリッドの陣形が変わる。

 

 レイノルドの広範囲制圧を壁として利用し、タイクーンがルサールカの進路を狭め、その先へプレセアが防御線を引き、ヒジリが最も薄くなった場所だけを突く。

 

 そして最後に、サーシャが決める。

 

 一度。

 

 二度。

 

 ルサールカの陣形が崩れた。

 

「いける!」

 

 タイクーンが叫ぶ。

 

 バシリッサの刃がトゥーリアの肩を掠め、衣装が裂ける。デスピニスの一撃がモニカを弾き飛ばし、彼女は床へ手をついて辛うじて体勢を立て直した。

 

 パイヴィの頬にも傷が走り、マナフレの呼吸は荒く、ミルシェにも疲労が見え始めている。

 

 だが。

 

 誰一人として、嫌そうな顔をしていなかった。

 

 むしろ、笑っている。

 

「……何がおかしい」

 

 サーシャが眉を寄せる。

 

 ミルシェは乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。

 

 頬には汗。

 

 衣装には傷。

 

 身体には痛み。

 

 それでも、その目だけは爛々と輝いていた。

 

「……これだよ!」

 

 サーシャの瞳が揺れる。

 

 ミルシェは心底楽しそうに笑っていた。

 

「これが欲しかったんだよ!」

 

 その横で、トゥーリアが武器を構え直す。

 

「互いの身を削る、極限の対バン!」

 

 マナフレも荒い息を吐きながら立ち位置を整え、正面のセイクリッドから目を逸らさない。

 

「私たちがここにいる理由だ!」

 

 モニカは傷付いた衣装を一度だけ確認すると、むしろステージへ立つ時のように笑顔を作った。

 

「さあ、クライマックスだ!」

 

 最後に。

 

 普段なら最も声を荒らげないパイヴィが、一歩前へ出る。

 

 その視線は、真っ直ぐサーシャだけを捉えていた。

 

「心に刻め、サーシャ!!!」

 

 その叫びと同時に、曲が流れた。

 

 【LEGENDARY REVIVAL】。

 

 自分たち自身で作り上げた曲。

 

 ステージのためだけではない。

 

 立ち止まらず、昨日の自分を越え続けるという、ルサールカそのものを刻み込んだ曲だった。

 

 五つの【王冠】が強く共鳴し、精神同調の精度がさらに上がっていく。五人それぞれの感覚が、個人を失わないまま一つの大きな流れへ接続されていき、そこからルサールカの動きは明らかに変化した。

 

 速くなったわけではない。

 

 突然、攻撃力が跳ね上がったわけでもない。

 

 ただ、無駄が消えた。

 

 トゥーリアが一歩踏み込めば、それが攻撃なのか囮なのかを他の四人は最初から理解している。ミルシェが視線だけを動かせば、モニカは既に必要な位置へ入り、パイヴィは二手先の退路を塞ぎ、マナフレが全体の軸を調整している。

 

 一人が判断し、それを他の四人へ伝え、そこから動く。

 

 そんな段階を踏まない。

 

 五人の意志が、別々の身体を使いながら一つの曲を奏でている。

 

「来る!」

 

 サーシャが叫ぶ。

 

 レイノルドのバシリッサが前へ出た。

 

 四本のアームが一斉に展開され、真正面から進路を封鎖する。

 

 そこへパイヴィが飛び込んだ。

 

「その場に留まりたいなら――」

 

 正面。

 

 普通なら避ける。

 

 だが、避けない。

 

「つねに走り続けろ!」

 

 バシリッサの刃が閉じる直前、ミルシェとトゥーリアが別方向からアームへ攻撃を叩き込み、わずかに生まれた隙間へパイヴィが身体を滑り込ませた。

 

 突破。

 

「レイノルド!」

 

 サーシャの声に応じ、レイノルドが残るアームを旋回させる。

 

 だが、その一手を待っていたようにモニカが角度を変えた。

 

「進化に終わりなんてあり得ない!」

 

 モニカの攻撃がアームそのものではなく、レイノルドの重心を崩す位置へ突き刺さる。

 

 バシリッサは強い。

 

 壊す必要などない。

 

 使っている人間ごと動かせばいい。

 

 ほんの一歩。

 

 その一歩で防御網がずれた。

 

 そこへトゥーリアが踏み込む。

 

「人は進化し続けるからこそ、どこまでも強くなれるんだ!」

 

 まともに受ければ崩される。

 

 レイノルドは即座にアームを防御へ回す。

 

 しかし、その瞬間にはもうトゥーリアの狙いは彼ではなかった。

 

 開いた空間の、その向こう。

 

 タイクーン。

 

「しまっ――!」

 

 デスピニスを戻す。

 

 しかし遅い。

 

 既にマナフレが先回りしている。

 

「立ち止まっていたら、答えはどこまでも遠ざかってしまう!」

 

 デスピニスの円盤が軌道を変えようとした瞬間、パイヴィが側面から割り込み一枚を弾く。

 

 モニカが二枚目。

 

 ミルシェが三枚目。

 

 全てを破壊する必要はない。

 

 ほんの一瞬だけ、タイクーンの空間制御を止めればいい。

 

「今!」

 

 ルサールカの陣形が一気に前へ出る。

 

「プレセア!」

 

 サーシャが叫ぶ。

 

 ランビリスが展開され、崩れた前衛の代わりに巨大な防御網を形成する。その内側からヒジリがケリードーンで飛び出し、ミルシェへ向けて高速射撃を放った。

 

 ミルシェは避ける。

 

 追撃。

 

 さらに避ける。

 

 ヒジリは速度を上げる。

 

「捕まえた!」

 

 だが、ミルシェの足が止まった瞬間、彼女は笑った。

 

「だから私達は――」

 

 その笑みを見た瞬間、サーシャの背筋に悪寒が走る。

 

「ヒジリ、離れろ!」

 

 だが、遅かった。

 

 ミルシェを追い詰めたはずのヒジリの背後には、既に残る四人が配置についている。

 

 最初から。

 

 ミルシェ自身が。

 

 そこへ連れてきたのだ。

 

 そして五人が同時に動いた。

 

「奏で合うんだ、進化のその先を!」

 

 衝撃。

 

 ランビリスの防御網が一部崩れ、ヒジリが大きく吹き飛ばされる。

 

 そこから、戦況は一気に傾いた。

 

 セイクリッドが弱いわけではない。

 

 むしろ前回より遥かに強い。

 

 レイノルドは最後までバシリッサによる防御線を維持し、タイクーンもデスピニスを使って何度もルサールカの陣形を切断しようとする。プレセアは崩れた場所を即座に修復し、ヒジリも傷を負いながら高速機動を止めない。

 

 サーシャも、諦めなかった。

 

 ルサールカの精神同調。

 

 視線より早い連携。

 

 五人が互いの思考を補完し、誰か一人の失敗さえ次の攻撃へ転換していく戦い方。

 

 それを見て、考えて、必死に食らいつく。

 

「まだだ!」

 

 セルヴィトラを握り、ミルシェへ斬り込む。

 

 受けられる。

 

 即座に軌道を変え、モニカへ。

 

 そこへパイヴィが入る。

 

 ならばパイヴィを蹴り飛ばし、マナフレへ。

 

 その前へトゥーリア。

 

 どこへ行っても、一人を相手にしている感覚がなかった。

 

 五人のうち誰か一人へ攻撃を仕掛けた瞬間、その背後にいる残り四人まで同時に相手へしなければならない。

 

 かつて、この五人へ負けた時。

 

 サーシャは連携で負けたのだと思っていた。

 

 戦闘力なら自分たちの方が上。

 

 次は連携を潰せば勝てる。

 

 そう考えた。

 

 だからバシリッサを入れ、デスピニスを入れた。

 

 移動を潰す。

 

 陣形を分断する。

 

 前回の弱点を分析し、実際に試合序盤では追い詰めることにも成功した。

 

 なのに。

 

「……違う」

 

 サーシャの口から、小さく声が漏れた。

 

 ルサールカは、前回の自分たちではない。

 

 もう既に、その先へ行っている。

 

 昨日勝った方法へしがみつくことなく、今日の自分たちへ、そしてその先へと更新され続けている。

 

 ハイセと、同じだった。

 

 いや。

 

 ハイセだけではない。

 

 自分が過去へ目を向け続けている間にも、ルサールカは進んでいた。

 

 仲間たちも進んでいた。

 

 世界そのものが進み続けていた。

 

「私は……」

 

 サーシャが呟いた、その瞬間。

 

 視界の端でミルシェが動く。

 

 反応する。

 

 セルヴィトラを構える。

 

 しかし、その動きすらもう読まれている。

 

 ミルシェは攻撃しなかった。

 

 ただ視線だけを向ける。

 

 それだけで、サーシャの意識が正面へ固定された。

 

 背後からパイヴィ。

 

 右からトゥーリア。

 

 左からモニカ。

 

 退路にはマナフレ。

 

 完全に囲まれている。

 

 それでも。

 

 サーシャは剣を握った。

 

「来い!!」

 

 五人も笑った。

 

 最後の攻防は、ほんの数秒だった。

 

 だがサーシャには、その数秒がひどく長く感じられた。

 

 セルヴィトラがパイヴィの一撃を弾く。

 

 即座にトゥーリアへ返す。

 

 そこへモニカが死角から入る。

 

 身体を捻り、辛うじて避ける。

 

 次はマナフレ。

 

 受ける。

 

 しかし、その瞬間に足が止まる。

 

 正面にはミルシェ。

 

 見えている。

 

 来ると分かっている。

 

 それでも、身体がもう間に合わない。

 

 最後の一撃がサーシャを捉えた。

 

 大きく弾き飛ばされた身体がフィールドへ落ち、セルヴィトラが手から離れる。

 

 そして、終了を告げる音が響いた。

 

 一瞬の静寂。

 

 次いで、会場全体を揺らす歓声が押し寄せる。

 

 勝者。

 

 【ルサールカ】。

 

 前回以上に強化されたセイクリッド。

 

 前回には参加していなかったレイノルドとタイクーン。

 

 バシリッサとデスピニスという新しい札。

 

 その全てを投入してなお、結果はルサールカの勝利だった。

 

 だが、倒れているサーシャの表情には、前回のような苛立ちはなかった。

 

 ただ天井を見上げながら荒い呼吸を整え、先ほどから頭の中へ残り続けている言葉を、何度も反芻していた。

 

 走り続けろ。

 

 進化に終わりはない。

 

 立ち止まれば、答えは遠ざかる。

 

「……そっか」

 

 小さく呟く。

 

 ハイセだけではなかった。

 

 自分が失ったものを追い続けている間にも、周囲の人間は失ったものを抱えながら、それでも先へ進んでいた。

 

 ならば、自分は今まで何を見ていたのだろう。

 

 何を取り戻そうとして、その間に何を見落としていたのだろう。

 

 そんな問いが胸の内へ沈んでいく中、やがて一つの足音が近付いてきた。

 

 ルサールカではない。

 

 プレセアでも、ヒジリでも、レイノルドでも、タイクーンでもない。

 

 サーシャは身体を起こし、その人物を見る。

 

 そこにいたのはピアソラだった。

 

 彼女は試合の最初から最後まで、観客席でサーシャだけを見ていた。

 

 そして今、いつものような皮肉も、挑発的な笑みも浮かべることなく、静かに手を差し出している。

 

「サーシャ」

 

 名前を呼ばれ、サーシャは黙ったまま彼女を見た。

 

 ピアソラも視線を逸らさない。

 

「次は――私と戦ってくださいませ」

 

 その言葉は、歓声の残るフィールドの中で、誰よりも鮮明にサーシャの耳へ届いた。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。