【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
ハイセとサーシャの戦いが終わった直後、訓練フィールドへ響いた拍手は、慰めにも称賛にも聞こえなかった。
入口に立っていたのは【ルサールカ】の五人――ミルシェ、モニカ、トゥーリア、マナフレ、パイヴィ。
ステージ上で見せる華やかな笑顔とは違い、五人の視線には戦う者としての鋭さが宿っていた。彼女たちは倒れているサーシャと、その傍らに立つハイセを順番に見たあと、互いに何かを確認するように僅かに視線を交わす。
最初に口を開いたのはミルシェだった。
「サーシャ」
名前を呼ばれ、サーシャが床に横たわったまま顔だけを向ける。
「もう一回、私たちとやろうよ」
「……何?」
「再戦」
あまりにも簡単に告げられた言葉に、サーシャは眉を寄せた。
「今の私を見て、それを言っているのか」
「見てるよ。だから言ってる」
ミルシェは笑っていた。
侮っているわけではない。傷付いた人間を励ますためだけの優しい笑みでもない。ただ純粋に、もう一度戦いたいと願っている顔だった。
「前は私たちが勝った。でも、あれからそっちも強くなったでしょ?」
その横でトゥーリアが肩を回しながら続ける。
「こっちも同じだ。前と同じだと思ってもらっちゃ困るぜ」
「……今度は、本気で潰しに来てください」
マナフレの声は穏やかだったが、その内容は少しも穏やかではなかった。
モニカも楽しそうに笑う。
「負けたからって沈んだままなんて、ステージじゃ一番つまらないもんね」
最後に、パイヴィが倒れているサーシャを静かに見据えた。
「……立てるようになったら来い」
それだけ言うと、五人は踵を返した。
サーシャは何も返さなかった。
だが、隣に置かれたセルヴィトラへ伸ばした指だけが、ほんの僅かに動いていた。
◇
数日後。
再戦は正式な模擬戦として組まれた。
前回と同じく五対五。ただし、セイクリッド側の顔触れは前回とは違っていた。
中央にはサーシャ。その左右をプレセアとヒジリが固め、今回新たに前線へ投入されたのがレイノルドとタイクーンだった。
前回のルサールカ戦では別任務へ回され、直接戦うことのなかった二人である。つまりセイクリッド側から見れば、これは単なる雪辱戦ではない。前回見せていなかった札まで投入し、今度こそルサールカを真正面から攻略するための布陣だった。
観客席からその五人を眺めながら、ハイセは小さく頷く。
「かなり嫌な編成だね」
「あなたが言う?」
隣に座るリューネハイムが笑う。
「褒めてるんだよ」
レイノルドの背後では【処刑者――バシリッサ】が展開され、巨大な四本のアームが生き物のようにゆっくりと動いている。それぞれの先端に備わった刃による広範囲攻撃に加え、正面には高威力砲撃まで備えた攻防一体の武装であり、単純な近接戦闘だけを考えても突破は容易ではない。
一方、タイクーンの周囲では【踊り手――デスピニス】が旋回していた。空間を縦横無尽に飛び回る複数の円盤は、直接相手を狙うだけでなく、進路を制限し、味方の攻撃へ敵を追い込むことにも使える。
そこへプレセアの【ランビリス】による防御と陣地構築、ヒジリの【ケリードーン】を利用した高速遊撃、そしてサーシャ自身の突破力が加わる。
前回より明らかに強い。
ピアソラとロビンは今回、フィールドには立たなかった。
ロビンは純粋に二人へ出場枠を譲り、ピアソラは自分から外れることを選んでいる。
「本当によろしいの?」
試合前、プレセアにそう問われたピアソラは迷わず頷いていた。
「ええ。今回は外から見ますわ」
その視線の先にはサーシャがいた。
ハイセに敗れた直後の彼女が、次の戦いで何を見るのか。
今のピアソラには、自分が隣に立つことよりも、外からそれを見届ける方が重要だった。
対するルサールカは、前回と同じ五人。
だが、同じなのは人数と名前だけだった。
五人の装備には【王冠】が組み込まれ、それぞれが持つ煌式武装と【ライア=ポロス】を中心としたシステムは、ハイセによって再調整されている。
以前なら五人の強さを支えていたのは、アイドル活動を通して身体へ染み込ませてきた視線、呼吸、距離感、曲の進行、それらを利用した圧倒的な連携だった。
しかし今は、その一歩先へ進んでいる。
五つの【王冠】が相互に接続されることで成立する【精神同調】。
誰か一人の人格へ残り四人を溶かすわけではない。五人は五人のまま、それぞれの意識を保ちながら、互いが何を見て、何を狙い、次の瞬間どこへ動こうとしているのかという戦闘意思だけを、ほとんど遅延なく共有する。
以前なら、互いに「息を合わせる」という工程が必要だった。
今は違う。
合わせようと思うより先に、もう合っている。
「……さて」
ハイセが少し楽しそうに笑う。
「どこまでやれるかな」
「どちらが?」
リューネハイムに問われ、ハイセはフィールドを見つめたまま答えた。
「両方」
開始を告げる合図が響いた。
そして最初に戦場を支配したのは、セイクリッドだった。
レイノルドの背後から伸びたバシリッサの四本のアームが一斉にルサールカへ襲いかかる。一本なら回避できる。二本でも対応できる。だが、四本がそれぞれ異なる角度から侵入し、その隙間をタイクーンのデスピニスが埋めれば、単純に左右へ逃げるだけでは抜けられない。
ミルシェが後方へ跳ぶと、その退路へ円盤が回り込み、右へ逃れようとした先にはバシリッサの刃。左へ抜けようとすれば、既にヒジリがケリードーンの加速を乗せて接近していた。
「捕まえた!」
レイノルドが声を上げ、四本のアームが包囲するように閉じていく。
しかし、その刃がミルシェへ届くより先に、トゥーリアがレイノルドの側面へ入り込んでいた。
「何っ!?」
レイノルドがアームの一本を戻した瞬間、今度はマナフレが別角度から踏み込み、そのさらに背後へモニカが回る。
ミルシェを助けるために全員が駆け寄ったのではない。
ミルシェが狙われることそのものを前提として、残る四人が既に別方向から次の攻撃へ移行していた。
「囮……!」
レイノルドが気付いた時には遅い。
それでもバシリッサの防御性能は高く、二本のアームを攻撃へ残したまま、残る二本だけで側面と背後から来る攻撃を受け止める。
そこへタイクーンのデスピニスが割り込み、モニカとマナフレを強制的に後退させた。
「簡単には行かせないよ!」
円盤が戦場を走り、今度はルサールカ側の移動経路そのものを削っていく。
タイクーンはルサールカの連携を研究していた。
誰か一人を狙う必要はない。
誰がどこへ動くのか、その先にある「次の場所」を潰せばいい。
逃げ道を奪い、陣形の移行先を限定し、そこへサーシャとヒジリを送り込む。
「そこだ!」
サーシャのセルヴィトラが閃いた。
トゥーリアが受ける。
衝撃で大きく後退したところへヒジリが射撃を重ね、その射線を避けた先には、プレセアのランビリスが既に構造体を展開している。
完全な包囲。
前回なら、それだけで一角を崩されていたかもしれない。
だが、タイクーンが次の瞬間、目を見開いた。
「……なんでだ」
デスピニスが移動先を封じる。
そのはずだった。
「まだリングを動かしてないぞ……?」
トゥーリアが包囲されるより先に、他の四人はもう次の陣形へ移っていた。
タイクーンがデスピニスを動かすのを見てから反応したのではない。彼が次の進路を塞ごうと判断した、その瞬間には、五人の意思共有によって既にルサールカ全体の行動が切り替わっている。
トゥーリアが一人で包囲を受ける。
その代わり、戦場の反対側が開く。
「パイヴィ!」
声をかける必要すらなかった。
パイヴィは既に走っている。
その進路上からモニカが射線をずらし、マナフレがプレセアの意識を引きつけ、ミルシェがヒジリを牽制する。
パイヴィの一撃がタイクーンへ届く直前、デスピニスが辛うじて割り込んだ。
「っ……!」
間に合った。
だが、受けた衝撃でタイクーンの身体が大きく後退する。
試合開始から僅かな時間。
観客席からは、既に大歓声が上がっていた。
前回とは違う。
セイクリッドは明らかに強くなっている。
だが、ルサールカもまた、前回のままではなかった。
そこから戦況は一気に激しくなった。
バシリッサの四本の刃がフィールドを切り裂き、デスピニスが空間を縫うように飛び回る。プレセアのランビリスが戦場を区切り、ヒジリがその隙間を高速で駆け抜ける中、サーシャは全体の中心に立ちながら、以前とは比較にならないほど冷静にルサールカの動きを追っていた。
つい数日前、ハイセに完膚なきまでに敗れた。
あの戦いで叩き込まれたのは、単純な力の差ではない。
相手が何を見ているのか。
何を選ばせようとしているのか。
目の前の一撃だけでなく、その次、そのさらに先に何があるのか。
だからサーシャは、今度こそ自分だけで答えを出そうとはしなかった。
「レイノルド、右を空けろ!」
「分かった!」
「タイクーン、追うな! そこは誘われてる!」
「了解!」
サーシャの指示に合わせ、セイクリッドの陣形が変わる。
レイノルドの広範囲制圧を壁として利用し、タイクーンがルサールカの進路を狭め、その先へプレセアが防御線を引き、ヒジリが最も薄くなった場所だけを突く。
そして最後に、サーシャが決める。
一度。
二度。
ルサールカの陣形が崩れた。
「いける!」
タイクーンが叫ぶ。
バシリッサの刃がトゥーリアの肩を掠め、衣装が裂ける。デスピニスの一撃がモニカを弾き飛ばし、彼女は床へ手をついて辛うじて体勢を立て直した。
パイヴィの頬にも傷が走り、マナフレの呼吸は荒く、ミルシェにも疲労が見え始めている。
だが。
誰一人として、嫌そうな顔をしていなかった。
むしろ、笑っている。
「……何がおかしい」
サーシャが眉を寄せる。
ミルシェは乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりと顔を上げた。
頬には汗。
衣装には傷。
身体には痛み。
それでも、その目だけは爛々と輝いていた。
「……これだよ!」
サーシャの瞳が揺れる。
ミルシェは心底楽しそうに笑っていた。
「これが欲しかったんだよ!」
その横で、トゥーリアが武器を構え直す。
「互いの身を削る、極限の対バン!」
マナフレも荒い息を吐きながら立ち位置を整え、正面のセイクリッドから目を逸らさない。
「私たちがここにいる理由だ!」
モニカは傷付いた衣装を一度だけ確認すると、むしろステージへ立つ時のように笑顔を作った。
「さあ、クライマックスだ!」
最後に。
普段なら最も声を荒らげないパイヴィが、一歩前へ出る。
その視線は、真っ直ぐサーシャだけを捉えていた。
「心に刻め、サーシャ!!!」
その叫びと同時に、曲が流れた。
【LEGENDARY REVIVAL】。
自分たち自身で作り上げた曲。
ステージのためだけではない。
立ち止まらず、昨日の自分を越え続けるという、ルサールカそのものを刻み込んだ曲だった。
五つの【王冠】が強く共鳴し、精神同調の精度がさらに上がっていく。五人それぞれの感覚が、個人を失わないまま一つの大きな流れへ接続されていき、そこからルサールカの動きは明らかに変化した。
速くなったわけではない。
突然、攻撃力が跳ね上がったわけでもない。
ただ、無駄が消えた。
トゥーリアが一歩踏み込めば、それが攻撃なのか囮なのかを他の四人は最初から理解している。ミルシェが視線だけを動かせば、モニカは既に必要な位置へ入り、パイヴィは二手先の退路を塞ぎ、マナフレが全体の軸を調整している。
一人が判断し、それを他の四人へ伝え、そこから動く。
そんな段階を踏まない。
五人の意志が、別々の身体を使いながら一つの曲を奏でている。
「来る!」
サーシャが叫ぶ。
レイノルドのバシリッサが前へ出た。
四本のアームが一斉に展開され、真正面から進路を封鎖する。
そこへパイヴィが飛び込んだ。
「その場に留まりたいなら――」
正面。
普通なら避ける。
だが、避けない。
「つねに走り続けろ!」
バシリッサの刃が閉じる直前、ミルシェとトゥーリアが別方向からアームへ攻撃を叩き込み、わずかに生まれた隙間へパイヴィが身体を滑り込ませた。
突破。
「レイノルド!」
サーシャの声に応じ、レイノルドが残るアームを旋回させる。
だが、その一手を待っていたようにモニカが角度を変えた。
「進化に終わりなんてあり得ない!」
モニカの攻撃がアームそのものではなく、レイノルドの重心を崩す位置へ突き刺さる。
バシリッサは強い。
壊す必要などない。
使っている人間ごと動かせばいい。
ほんの一歩。
その一歩で防御網がずれた。
そこへトゥーリアが踏み込む。
「人は進化し続けるからこそ、どこまでも強くなれるんだ!」
まともに受ければ崩される。
レイノルドは即座にアームを防御へ回す。
しかし、その瞬間にはもうトゥーリアの狙いは彼ではなかった。
開いた空間の、その向こう。
タイクーン。
「しまっ――!」
デスピニスを戻す。
しかし遅い。
既にマナフレが先回りしている。
「立ち止まっていたら、答えはどこまでも遠ざかってしまう!」
デスピニスの円盤が軌道を変えようとした瞬間、パイヴィが側面から割り込み一枚を弾く。
モニカが二枚目。
ミルシェが三枚目。
全てを破壊する必要はない。
ほんの一瞬だけ、タイクーンの空間制御を止めればいい。
「今!」
ルサールカの陣形が一気に前へ出る。
「プレセア!」
サーシャが叫ぶ。
ランビリスが展開され、崩れた前衛の代わりに巨大な防御網を形成する。その内側からヒジリがケリードーンで飛び出し、ミルシェへ向けて高速射撃を放った。
ミルシェは避ける。
追撃。
さらに避ける。
ヒジリは速度を上げる。
「捕まえた!」
だが、ミルシェの足が止まった瞬間、彼女は笑った。
「だから私達は――」
その笑みを見た瞬間、サーシャの背筋に悪寒が走る。
「ヒジリ、離れろ!」
だが、遅かった。
ミルシェを追い詰めたはずのヒジリの背後には、既に残る四人が配置についている。
最初から。
ミルシェ自身が。
そこへ連れてきたのだ。
そして五人が同時に動いた。
「奏で合うんだ、進化のその先を!」
衝撃。
ランビリスの防御網が一部崩れ、ヒジリが大きく吹き飛ばされる。
そこから、戦況は一気に傾いた。
セイクリッドが弱いわけではない。
むしろ前回より遥かに強い。
レイノルドは最後までバシリッサによる防御線を維持し、タイクーンもデスピニスを使って何度もルサールカの陣形を切断しようとする。プレセアは崩れた場所を即座に修復し、ヒジリも傷を負いながら高速機動を止めない。
サーシャも、諦めなかった。
ルサールカの精神同調。
視線より早い連携。
五人が互いの思考を補完し、誰か一人の失敗さえ次の攻撃へ転換していく戦い方。
それを見て、考えて、必死に食らいつく。
「まだだ!」
セルヴィトラを握り、ミルシェへ斬り込む。
受けられる。
即座に軌道を変え、モニカへ。
そこへパイヴィが入る。
ならばパイヴィを蹴り飛ばし、マナフレへ。
その前へトゥーリア。
どこへ行っても、一人を相手にしている感覚がなかった。
五人のうち誰か一人へ攻撃を仕掛けた瞬間、その背後にいる残り四人まで同時に相手へしなければならない。
かつて、この五人へ負けた時。
サーシャは連携で負けたのだと思っていた。
戦闘力なら自分たちの方が上。
次は連携を潰せば勝てる。
そう考えた。
だからバシリッサを入れ、デスピニスを入れた。
移動を潰す。
陣形を分断する。
前回の弱点を分析し、実際に試合序盤では追い詰めることにも成功した。
なのに。
「……違う」
サーシャの口から、小さく声が漏れた。
ルサールカは、前回の自分たちではない。
もう既に、その先へ行っている。
昨日勝った方法へしがみつくことなく、今日の自分たちへ、そしてその先へと更新され続けている。
ハイセと、同じだった。
いや。
ハイセだけではない。
自分が過去へ目を向け続けている間にも、ルサールカは進んでいた。
仲間たちも進んでいた。
世界そのものが進み続けていた。
「私は……」
サーシャが呟いた、その瞬間。
視界の端でミルシェが動く。
反応する。
セルヴィトラを構える。
しかし、その動きすらもう読まれている。
ミルシェは攻撃しなかった。
ただ視線だけを向ける。
それだけで、サーシャの意識が正面へ固定された。
背後からパイヴィ。
右からトゥーリア。
左からモニカ。
退路にはマナフレ。
完全に囲まれている。
それでも。
サーシャは剣を握った。
「来い!!」
五人も笑った。
最後の攻防は、ほんの数秒だった。
だがサーシャには、その数秒がひどく長く感じられた。
セルヴィトラがパイヴィの一撃を弾く。
即座にトゥーリアへ返す。
そこへモニカが死角から入る。
身体を捻り、辛うじて避ける。
次はマナフレ。
受ける。
しかし、その瞬間に足が止まる。
正面にはミルシェ。
見えている。
来ると分かっている。
それでも、身体がもう間に合わない。
最後の一撃がサーシャを捉えた。
大きく弾き飛ばされた身体がフィールドへ落ち、セルヴィトラが手から離れる。
そして、終了を告げる音が響いた。
一瞬の静寂。
次いで、会場全体を揺らす歓声が押し寄せる。
勝者。
【ルサールカ】。
前回以上に強化されたセイクリッド。
前回には参加していなかったレイノルドとタイクーン。
バシリッサとデスピニスという新しい札。
その全てを投入してなお、結果はルサールカの勝利だった。
だが、倒れているサーシャの表情には、前回のような苛立ちはなかった。
ただ天井を見上げながら荒い呼吸を整え、先ほどから頭の中へ残り続けている言葉を、何度も反芻していた。
走り続けろ。
進化に終わりはない。
立ち止まれば、答えは遠ざかる。
「……そっか」
小さく呟く。
ハイセだけではなかった。
自分が失ったものを追い続けている間にも、周囲の人間は失ったものを抱えながら、それでも先へ進んでいた。
ならば、自分は今まで何を見ていたのだろう。
何を取り戻そうとして、その間に何を見落としていたのだろう。
そんな問いが胸の内へ沈んでいく中、やがて一つの足音が近付いてきた。
ルサールカではない。
プレセアでも、ヒジリでも、レイノルドでも、タイクーンでもない。
サーシャは身体を起こし、その人物を見る。
そこにいたのはピアソラだった。
彼女は試合の最初から最後まで、観客席でサーシャだけを見ていた。
そして今、いつものような皮肉も、挑発的な笑みも浮かべることなく、静かに手を差し出している。
「サーシャ」
名前を呼ばれ、サーシャは黙ったまま彼女を見た。
ピアソラも視線を逸らさない。
「次は――私と戦ってくださいませ」
その言葉は、歓声の残るフィールドの中で、誰よりも鮮明にサーシャの耳へ届いた。