【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
朝。
アルルカント・アカデミーの教室で、ハイセは黒板を睨みつけていた。
正確には――睨んでいるだけだった。
数式。記号。図形。そしてまた数式。
『では、この条件下における万応素の挙動を――』
教師の説明が耳へ入ってくる。
だが、意味までは入ってこない。
「…………」
隣の学生は何の疑問もないような顔で端末へ文字を打ち込み続けている。ハイセも自分の端末へ視線を落としたが、そこには授業開始直後に入力した、
『万応素――』
という一文しか残っていなかった。
「…………帰りてぇ」
「昨日、帰還研究を急がなくていいと言ったばかりだろう」
「!」
真横から聞こえてきた声に、ハイセは勢いよく顔を上げた。
「カミラ!?」
「静かにしろ」
「何でいるの!?」
「授業参観だ」
「嘘つけ!」
「声が大きい」
その瞬間、教壇から冷静な視線が飛んできた。
「ハイセ君」
「……はい」
「何か?」
「…………ありません」
「そうですか」
教師は何事もなかったかのように授業へ戻る。
ハイセは声を落とし、隣へ顔を寄せた。
「何してんの」
「正式編入後の履修状況確認だ」
「本当に?」
「ああ」
「…………」
「それと」
「?」
「随分と困っている顔をしていたからな」
思わず黙る。
「……助けてくれる?」
「授業中は自分で考えろ」
「帰れ」
◇
「無理」
昼休み。
研究室へ戻ったハイセは、机へ突っ伏すなりそう宣言した。
「何がだ」
「授業」
「まだ初日だ」
「数式が化け物より強い」
「比喩が酷い」
「魔物なら斬れる」
「数式を斬るな」
「斬れたら楽なのに」
そのやり取りを横で聞いていたエルネスタが、ふと思いついたように手を叩いた。
「じゃあ、勉強用のプログラム作ろっか?」
「本当に?」
「ハイセ君専用!」
「エルネスタ」
カミラの声が低くなる。
「余計な機能を入れるなよ」
「まだ何も言ってない!」
「お前のことだから、間違えたら爆発する機能でも入れるつもりだろう」
「面白そう!」
「入れる気だったのか!!」
「冗談だよ」
「信用できん!」
「…………」
ハイセは二人のやり取りを眺めてから、恐る恐るカミラへ聞いた。
「俺、普通に卒業できる?」
「…………」
「…………」
「何で黙る」
「努力次第だ」
「今の間何!?」
◇
「まあ、座学については基礎から学べ」
カミラは端末を机へ置き、改めてハイセを見る。
「こちらの世界の常識も教育課程も知らない以上、他の学生と同じ地点から始められないのは当然だ。理解に時間がかかること自体を恥じる必要はない」
「…………」
少しだけ顔を上げる。
「でも」
「?」
「研究の方は問題ない」
「それ、慰め?」
「違う」
カミラは端末を操作し、昨日提出された資料を表示した。
「第三試作機の実戦評価報告だ」
「……俺の?」
「ああ。研究員三名が提出した報告書より、君の方が不具合の発生条件を多く拾っている」
「…………マジ?」
「ああ。特にここだ」
カミラが画面の一文を指す。
『連続防御動作後、右方向への切り返し時に一瞬だけ出力追従が遅れる』
「これ?」
「ああ」
「普通に使ってたら分かったけど」
「研究員側では、計測値上は許容範囲として処理されていた」
「…………」
「だが実戦では、その僅かな遅延が致命的になる可能性がある」
「そりゃそうだろ」
ハイセは肩を竦めた。
「相手が待ってくれるわけじゃないから」
「そうだ。だから君の報告には価値がある」
「…………」
また、それだ。
役に立つ。
価値がある。
こちらへ来てから何度か言われるようになった言葉だが、未だに少しだけ居心地が悪い。
「研究者じゃなくても?」
「ああ」
「数式分からなくても?」
「それは覚えろ」
「…………逃げ道ない?」
「ない」
◇
「じゃあさ!」
突然、エルネスタが机を叩いた。
「ハイセ君にテスト設計もやってもらおう!」
「テスト?」
「試作機をどう壊すか考えるの」
「言い方」
カミラが眉間を押さえる。
「でも合ってるでしょ?」
「否定はしない」
「意図的に壊すの?」
「壊すことそのものが目的じゃないよ」
エルネスタは端末へ簡単な図を表示した。
「普通に動かして、普通に成功しました――じゃ、実戦では役に立たないことがあるんだよね」
「なんで?」
「実戦では普通じゃないことが起きるから」
無茶な姿勢。予想外の衝撃。長時間の連続使用。使い手特有の癖。
「そういう嫌な条件をいっぱい作って、それでも正常に動くかを確かめるの」
「…………」
説明を聞いていたハイセの口元が少し上がる。
「それなら得意かも」
「でしょ!」
「喜ぶところではないぞ」
カミラの冷静な突っ込みが入った。
◇
午後。
実験場へ移動したハイセは、第三試作型の煌式武装を手にした。
「じゃあ、まず――普通に使わない」
「最初からか?」
カミラが聞く。
「ああ。普通に使って問題ないのは昨日やったから。今日は問題が起きそうなことだけやる」
「なるほど」
「いいねぇ」
エルネスタが楽しそうに笑う。
ハイセは武装の重心設定を操作し、極端な値まで偏らせた。
「まず、最大まで重心を寄せる」
振るう。
直後、柄を通して微細な振動が掌へ伝わった。
「…………」
「どうした?」
「いや」
ハイセはもう一度振る。
「今、一瞬だけ変だった」
「数値上は?」
「異常なしです」
研究員が答える。
「でも変だ」
理由を説明しろと言われれば困る。
だが、分かる。
重心の移動と内部出力の追従が、ごく僅かに噛み合っていない。
昨日よりも、そうした違和感がはっきり感じ取れるようになっていた。
「記録しておけ」
カミラが研究員へ指示する。
「次」
ハイセは出力を最大近くまで引き上げた。
「その状態で連続使用」
「待て。安全域を――」
「越えない」
「…………」
「ギリギリまで攻める」
カミラは数秒、ハイセを眺めた。
「何?」
「いや。本当に冒険者だなと思ってな」
「当たり前だろ」
「普通の研究員は、試作機を壊さないよう慎重に扱う」
「…………」
「君は、壊れる寸前までどこまで耐えられるか確かめようとする」
「だって、壊れる場所を知っておいた方が、本番で壊れなくて済むだろ」
カミラは少しだけ笑った。
「その通りだ」
◇
「次。右腕は使わない」
「片手縛り?」
エルネスタが首を傾げる。
「ああ」
「何で?」
「怪我した時」
ハイセは右手を背後へ回し、武装を左手へ持ち替えた。
「右手が使える前提で作られてたら困る」
「……続けろ」
カミラの許可を受け、そのまま左手で振るう。
最初の一撃。
そして、設定を変更しようとした瞬間。
「…………操作しにくい」
「何が?」
「操作パネル。左だと使いにくい」
「右手前提か?」
研究員が確認すると、すぐに答えが返ってきた。
「確かに。設計上は右利きを基準にしています」
「ならインターフェースを左右反転できるように――」
「待って」
ハイセが遮る。
「反転だけ?」
「?」
「利き手なんて人によって違うだろ。戦い方によって持ち替える奴だっている。だったら最初から、操作位置そのものを自由に変えられない?」
「…………」
エルネスタの目が輝いた。
「それだ!」
「待て」
カミラが即座に止める。
「今度は何」
「機能を追加するなら操作性の検証を先に――」
「できる?」
「……できる」
「じゃあ」
「だから『できるならやればいい』で研究項目を増やすな!」
「カミラ」
「何だ!」
「研究すれば?」
「…………」
数秒の沈黙。
「……する」
「ほら」
「その顔をやめろ!」
◇
「次」
「まだあるのか?」
「ある」
ハイセは武器を見下ろす。
「落とす」
「落とす?」
「戦闘中に吹っ飛ばされたらどうなる?」
そのまま地面へ落とした。
ガン、と硬質な音が響く。
拾い上げて確認する。
「起動維持」
「正常です」
「じゃあ次、高い場所から」
「待て」
カミラが止める。
「どの程度だ」
「三階?」
「却下」
「二階」
「却下」
「一階」
「……安全設備を用意してからだ」
「堅い」
「当然だ!」
「屋上からやろうよ」
エルネスタが横から口を挟む。
「お前は黙れ!!」
◇
夕方には、不具合一覧が机を埋め尽くしていた。
「増えたな」
「増えた」
カミラが画面を確認する。
「二十三件」
「そんなに?」
「大半を君が見つけた」
「…………壊した数は?」
「四機」
「…………壊しすぎ?」
「研究用だからな。むしろ、よくやった」
ハイセは少しだけ笑った。
「そう?」
「ああ」
「じゃあ明日も壊していい?」
「言い方を改めろ」
「でも同じだろ」
「耐久試験だ」
「同じじゃん」
「印象が違う!」
◇
その後、ハイセは自分が見つけた問題を報告書へまとめていた。
操作不能条件。
片手使用。
利き手。
衝撃。
連続稼働。
極端な重心設定。
緊急停止。
入力を続けていた指が、ふと止まる。
「カミラ」
「何だ」
「これ、俺だけで決めていいの?」
「何を?」
「テスト」
カミラが顔を上げる。
「だって俺、自分の戦い方しか知らない」
「…………」
「重い武器が好きな奴もいれば、軽い武器が好きな奴もいる。剣を使う奴も、銃を使う奴もいる。身体の大きさも違うし、得意な動きも違う」
「そうだな」
「なら、色んな奴に使わせた方がいい」
「ユーザーテスト!」
横からエルネスタが口を挟んだ。
「何?」
「色んなタイプの人を集めて、実際に使ってもらうの。ハイセ君の言ってるの、それ」
「それ、いい」
「でしょ?」
「初心者も入れる?」
その言葉に、エルネスタの目がさらに輝いた。
「もちろん!」
ハイセはカミラを見る。
「いい?」
「…………」
「何?」
「いや。何故、初心者を入れようと思った?」
「だって」
少し考えてから、ハイセは当然のように答えた。
「上手い奴だけが『使える』って言っても、アンタが作りたい武器じゃないだろ」
カミラが黙る。
「【究極の汎用性】って、誰でも自分の可能性を試せる入口にするんだろ?」
「ああ」
「なら、一番武器に助けてほしい奴にも使ってもらわないと意味ない」
「…………」
数秒の沈黙が落ちた。
「カミラ?」
「違った?」
「いや」
カミラはゆっくり首を横へ振る。
「正解だ」
「…………」
「ハイセ。君は私の研究を、随分理解するようになったな」
「まあ」
ハイセは少しだけ照れ臭そうに鼻を掻いた。
「ここにいると、嫌でも分かってくるからな」
「嫌なの?」
エルネスタが即座に突っ込む。
「そういう意味じゃねぇよ」
「じゃあ好き?」
「研究はな」
「おお、即答」
「そこ拾うな!」
カミラが咳払いする。
「……話を戻すぞ」
「はーい」
◇
数日後。
実際にユーザーテストが始まった。
上級者、中級者、初心者。
体格も性別も利き手も、戦闘経験も違う。
観測室からその様子を眺めていたハイセは、初心者の一人が武装の出力設定に手間取っているのを見て眉を寄せた。
「初心者、やっぱ操作遅い」
「そうだね」
エルネスタも画面を見る。
「出力変更を戦いながらできてない」
「うん」
「どうする?」
「…………」
ハイセは黙って観察を続ける。
一度設定を変える。
攻撃する。
また操作を確認する。
その間に、仮想敵から攻撃を受ける。
「毎回、自分で全部変えるから遅いんだよな」
「まあね」
「だったら……」
ふと、昨日まで考えもしなかった発想が浮かんだ。
「武器の方が使い方覚えればいいんじゃない?」
「!」
「本人がよく使う出力とか、動きとか。何回か使ってるうちに覚えて、その人が使いやすい設定に勝手に寄せていくとか」
「…………」
背後にいたカミラが静かになった。
「何?」
「今、何と言った?」
「本人がよく使う設定に寄せる」
「その前だ」
「武器が……使い方を覚える?」
「…………」
カミラは画面へ視線を戻した。
使用者の操作履歴。
選択した出力。
頻繁に使用する形態。
戦闘時の入力傾向。
それらを武装側が記録し、次回以降の制御へ反映させる。
「カミラ」
エルネスタが笑う。
「これ、また生えたね」
「……ああ」
「何が?」
ハイセだけが分かっていない。
「研究テーマ」
「…………俺、何かした?」
カミラは額を押さえた。
「した」
「どこで?」
「今だ!」
「ただ感想言っただけ!」
「それで研究テーマが増えるから困っている!!」
◇
さらに数日後。
「おはよ」
「おはよう」
研究室へ入ったハイセを、カミラが待っていた。
「今日は?」
「まず、これを渡す」
「?」
差し出された一枚のカードを受け取る。
「何?」
「研究棟のアクセスカードだ」
「持ってるけど」
「それは一般学生用だ。こちらは研究協力者用」
「…………」
「今後は許可された実験区画、資料室、解析端末、それから一部の試作施設へ私がいなくても入れる」
ハイセは手の中のカードを見る。
「いいの?」
「ああ。君には必要だ」
「……そう」
「それと」
「まだある?」
「ついてこい」
◇
案内されたのは、研究室の奥にある一角だった。
今まで空いていた場所に、机と椅子、専用端末、工具、資料棚、それから簡易的な武器ラックまで揃えられている。
「…………何これ」
「君の作業場所だ」
「俺の?」
「ああ」
思わず固まる。
「今までは毎回、空いている端末を使っていただろう」
「うん」
「非効率だ。研究資料も評価ログも、今後は君自身で管理できるようにした」
「…………」
ハイセは机へ手を置いた。
自分の場所。
この世界に、自分専用の席がある。
それはただの研究設備でしかないはずなのに、不思議なくらい胸の奥へ残った。
「ハイセ?」
「いや、何でもない」
少しだけ笑う。
「ありがと」
「必要な措置だ」
「うん」
一度頷いてから、もう一言付け加える。
「でも、嬉しい」
「…………そうか」
カミラが僅かに視線を逸らした、その時だった。
「じゃーん!」
「!?」
机の下からエルネスタが飛び出してきた。
「何してんのお前!!」
「サプライズ!」
「何で机の下にいる!?」
「待ってた!」
「どれだけ!?」
「二十分!」
「暇か!!」
「研究しながら待ってたから効率的!」
「どこが!」
「エルネスタ」
カミラの声が低くなる。
「勝手に仕込むなと言っただろう」
「でもほら!」
エルネスタが机の上へ一枚のプレートを置く。
『異世界技術・実戦評価担当
ハイセ』
「…………」
「これ」
「私が作った!」
「勝手に役職作った?」
「非公式!」
「外せ」
「えー」
「今すぐだ」
ハイセはプレートをしばらく眺めた。
「別に、そのままでよくない?」
「ハイセ!」
「だって分かりやすい」
「ほらぁ!」
「喜ぶな!」
カミラは深々とため息を吐いた。
「……好きにしろ」
「諦めた?」
「もう少し前からだ」
◇
ハイセは自分の椅子へ腰を下ろし、専用端末を起動した。
画面には未処理の試験結果、異世界素材の解析資料、煌式武装の評価ログ、ユーザーテストの記録が並んでいる。
「…………」
面倒だとは思う。
だが、嫌ではなかった。
「ハイセ」
「何?」
「今日も頼むぞ」
「うん」
即答してから、ハイセ自身が少しだけ驚いた。
「何だ」
「いや」
「?」
「普通に返事したなって」
「意味が分からん」
「俺も」
小さく笑う。
この場所はもう、知らない世界へ放り出された自分が一時的に身を寄せる避難場所ではなかった。
自分で、もう少しここにいたいと選んだ場所。
自分の意見を求められる場所。
自分の席がある場所。
そして、自分が何気なく口にした疑問一つで、新しい研究が始まってしまう場所だった。
ハイセは昨日のユーザーテスト結果を開く。
「カミラ」
「何だ」
「昨日の初心者のデータ」
「ああ」
「やっぱり、武器が使い手を覚える方――試してみたい」
「…………」
「駄目?」
カミラは数秒考えてから、静かに答えた。
「……やるぞ」
「!」
「ただし段階的にだ。まず操作履歴の記録と、推奨設定の提示まで。武装側が使用者の意思を無視して勝手に出力を変えることは認めない」
「分かった」
「エルネスタ」
「はーい!」
「勝手に完成形まで作るな」
「努力する!」
「そこは約束しろ!!」
ハイセは思わず笑った。
いつの間にか、それすら研究室の日常になっていた。
◇
この頃。
まだ誰も、その変化の意味を正確には理解していなかった。
ハイセ自身でさえ、自覚していない。
様々な煌式武装へ触れ、異なる構造を学び、故障寸前の挙動を確かめ、他者が武器を使う姿を観察する。
その経験が増えるたび、【武器マスター】がハイセへ伝える情報もまた、少しずつ増えていた。
最初はただ、武器の使い方が分かった。
次に、最も効率的な身体の動かし方が分かるようになった。
そして今では、ごく僅かな重心の乱れや出力の遅延、武器と使用者の間に生まれる違和感さえ、以前より鮮明に感じ取れるようになり始めている。
それが単にハイセ自身の経験によるものなのか。
それとも【武器マスター】そのものが、蓄積した経験に応じて適応範囲を広げているのか。
まだ、答えは出ていない。
ただ一つ確かなのは――ハイセがアルルカントで武器を知れば知るほど、その能力もまた異様な速度で変化し始めているということだった。
使い手に武器を合わせる。
武器自身が、使い手を学ぶ。
そして、技量の乏しい者にさえ「使える」という選択肢を渡す。
まだ小さな研究テーマに過ぎないその発想は、やがて【究極の汎用性】という思想を形にし、アルルカントだけでなく学戦都市の武器開発そのものを大きく変えていく。
その中心にいるのは、研究者ではないと何度も言い張りながら、誰よりも実戦的な疑問を投げ続ける一人の異世界人。
そして彼自身もまた、この時すでに――研究対象である【武器マスター】と共に、静かに変わり始めていた。第11話 研究者ではない研究者
朝。
アルルカント・アカデミーの教室で、ハイセは黒板を睨みつけていた。
正確には――睨んでいるだけだった。
数式。記号。図形。そしてまた数式。
『では、この条件下における万応素の挙動を――』
教師の説明が耳へ入ってくる。
だが、意味までは入ってこない。
「…………」
隣の学生は何の疑問もないような顔で端末へ文字を打ち込み続けている。ハイセも自分の端末へ視線を落としたが、そこには授業開始直後に入力した、
『万応素――』
という一文しか残っていなかった。
「…………帰りてぇ」
「昨日、帰還研究を急がなくていいと言ったばかりだろう」
「!」
真横から聞こえてきた声に、ハイセは勢いよく顔を上げた。
「カミラ!?」
「静かにしろ」
「何でいるの!?」
「授業参観だ」
「嘘つけ!」
「声が大きい」
その瞬間、教壇から冷静な視線が飛んできた。
「ハイセ君」
「……はい」
「何か?」
「…………ありません」
「そうですか」
教師は何事もなかったかのように授業へ戻る。
ハイセは声を落とし、隣へ顔を寄せた。
「何してんの」
「正式編入後の履修状況確認だ」
「本当に?」
「ああ」
「…………」
「それと」
「?」
「随分と困っている顔をしていたからな」
思わず黙る。
「……助けてくれる?」
「授業中は自分で考えろ」
「帰れ」
◇
「無理」
昼休み。
研究室へ戻ったハイセは、机へ突っ伏すなりそう宣言した。
「何がだ」
「授業」
「まだ初日だ」
「数式が化け物より強い」
「比喩が酷い」
「魔物なら斬れる」
「数式を斬るな」
「斬れたら楽なのに」
そのやり取りを横で聞いていたエルネスタが、ふと思いついたように手を叩いた。
「じゃあ、勉強用のプログラム作ろっか?」
「本当に?」
「ハイセ君専用!」
「エルネスタ」
カミラの声が低くなる。
「余計な機能を入れるなよ」
「まだ何も言ってない!」
「お前のことだから、間違えたら爆発する機能でも入れるつもりだろう」
「面白そう!」
「入れる気だったのか!!」
「冗談だよ」
「信用できん!」
「…………」
ハイセは二人のやり取りを眺めてから、恐る恐るカミラへ聞いた。
「俺、普通に卒業できる?」
「…………」
「…………」
「何で黙る」
「努力次第だ」
「今の間何!?」
◇
「まあ、座学については基礎から学べ」
カミラは端末を机へ置き、改めてハイセを見る。
「こちらの世界の常識も教育課程も知らない以上、他の学生と同じ地点から始められないのは当然だ。理解に時間がかかること自体を恥じる必要はない」
「…………」
少しだけ顔を上げる。
「でも」
「?」
「研究の方は問題ない」
「それ、慰め?」
「違う」
カミラは端末を操作し、昨日提出された資料を表示した。
「第三試作機の実戦評価報告だ」
「……俺の?」
「ああ。研究員三名が提出した報告書より、君の方が不具合の発生条件を多く拾っている」
「…………マジ?」
「ああ。特にここだ」
カミラが画面の一文を指す。
『連続防御動作後、右方向への切り返し時に一瞬だけ出力追従が遅れる』
「これ?」
「ああ」
「普通に使ってたら分かったけど」
「研究員側では、計測値上は許容範囲として処理されていた」
「…………」
「だが実戦では、その僅かな遅延が致命的になる可能性がある」
「そりゃそうだろ」
ハイセは肩を竦めた。
「相手が待ってくれるわけじゃないから」
「そうだ。だから君の報告には価値がある」
「…………」
また、それだ。
役に立つ。
価値がある。
こちらへ来てから何度か言われるようになった言葉だが、未だに少しだけ居心地が悪い。
「研究者じゃなくても?」
「ああ」
「数式分からなくても?」
「それは覚えろ」
「…………逃げ道ない?」
「ない」
◇
「じゃあさ!」
突然、エルネスタが机を叩いた。
「ハイセ君にテスト設計もやってもらおう!」
「テスト?」
「試作機をどう壊すか考えるの」
「言い方」
カミラが眉間を押さえる。
「でも合ってるでしょ?」
「否定はしない」
「意図的に壊すの?」
「壊すことそのものが目的じゃないよ」
エルネスタは端末へ簡単な図を表示した。
「普通に動かして、普通に成功しました――じゃ、実戦では役に立たないことがあるんだよね」
「なんで?」
「実戦では普通じゃないことが起きるから」
無茶な姿勢。予想外の衝撃。長時間の連続使用。使い手特有の癖。
「そういう嫌な条件をいっぱい作って、それでも正常に動くかを確かめるの」
「…………」
説明を聞いていたハイセの口元が少し上がる。
「それなら得意かも」
「でしょ!」
「喜ぶところではないぞ」
カミラの冷静な突っ込みが入った。
◇
午後。
実験場へ移動したハイセは、第三試作型の煌式武装を手にした。
「じゃあ、まず――普通に使わない」
「最初からか?」
カミラが聞く。
「ああ。普通に使って問題ないのは昨日やったから。今日は問題が起きそうなことだけやる」
「なるほど」
「いいねぇ」
エルネスタが楽しそうに笑う。
ハイセは武装の重心設定を操作し、極端な値まで偏らせた。
「まず、最大まで重心を寄せる」
振るう。
直後、柄を通して微細な振動が掌へ伝わった。
「…………」
「どうした?」
「いや」
ハイセはもう一度振る。
「今、一瞬だけ変だった」
「数値上は?」
「異常なしです」
研究員が答える。
「でも変だ」
理由を説明しろと言われれば困る。
だが、分かる。
重心の移動と内部出力の追従が、ごく僅かに噛み合っていない。
昨日よりも、そうした違和感がはっきり感じ取れるようになっていた。
「記録しておけ」
カミラが研究員へ指示する。
「次」
ハイセは出力を最大近くまで引き上げた。
「その状態で連続使用」
「待て。安全域を――」
「越えない」
「…………」
「ギリギリまで攻める」
カミラは数秒、ハイセを眺めた。
「何?」
「いや。本当に冒険者だなと思ってな」
「当たり前だろ」
「普通の研究員は、試作機を壊さないよう慎重に扱う」
「…………」
「君は、壊れる寸前までどこまで耐えられるか確かめようとする」
「だって、壊れる場所を知っておいた方が、本番で壊れなくて済むだろ」
カミラは少しだけ笑った。
「その通りだ」
◇
「次。右腕は使わない」
「片手縛り?」
エルネスタが首を傾げる。
「ああ」
「何で?」
「怪我した時」
ハイセは右手を背後へ回し、武装を左手へ持ち替えた。
「右手が使える前提で作られてたら困る」
「……続けろ」
カミラの許可を受け、そのまま左手で振るう。
最初の一撃。
そして、設定を変更しようとした瞬間。
「…………操作しにくい」
「何が?」
「操作パネル。左だと使いにくい」
「右手前提か?」
研究員が確認すると、すぐに答えが返ってきた。
「確かに。設計上は右利きを基準にしています」
「ならインターフェースを左右反転できるように――」
「待って」
ハイセが遮る。
「反転だけ?」
「?」
「利き手なんて人によって違うだろ。戦い方によって持ち替える奴だっている。だったら最初から、操作位置そのものを自由に変えられない?」
「…………」
エルネスタの目が輝いた。
「それだ!」
「待て」
カミラが即座に止める。
「今度は何」
「機能を追加するなら操作性の検証を先に――」
「できる?」
「……できる」
「じゃあ」
「だから『できるならやればいい』で研究項目を増やすな!」
「カミラ」
「何だ!」
「研究すれば?」
「…………」
数秒の沈黙。
「……する」
「ほら」
「その顔をやめろ!」
◇
「次」
「まだあるのか?」
「ある」
ハイセは武器を見下ろす。
「落とす」
「落とす?」
「戦闘中に吹っ飛ばされたらどうなる?」
そのまま地面へ落とした。
ガン、と硬質な音が響く。
拾い上げて確認する。
「起動維持」
「正常です」
「じゃあ次、高い場所から」
「待て」
カミラが止める。
「どの程度だ」
「三階?」
「却下」
「二階」
「却下」
「一階」
「……安全設備を用意してからだ」
「堅い」
「当然だ!」
「屋上からやろうよ」
エルネスタが横から口を挟む。
「お前は黙れ!!」
◇
夕方には、不具合一覧が机を埋め尽くしていた。
「増えたな」
「増えた」
カミラが画面を確認する。
「二十三件」
「そんなに?」
「大半を君が見つけた」
「…………壊した数は?」
「四機」
「…………壊しすぎ?」
「研究用だからな。むしろ、よくやった」
ハイセは少しだけ笑った。
「そう?」
「ああ」
「じゃあ明日も壊していい?」
「言い方を改めろ」
「でも同じだろ」
「耐久試験だ」
「同じじゃん」
「印象が違う!」
◇
その後、ハイセは自分が見つけた問題を報告書へまとめていた。
操作不能条件。
片手使用。
利き手。
衝撃。
連続稼働。
極端な重心設定。
緊急停止。
入力を続けていた指が、ふと止まる。
「カミラ」
「何だ」
「これ、俺だけで決めていいの?」
「何を?」
「テスト」
カミラが顔を上げる。
「だって俺、自分の戦い方しか知らない」
「…………」
「重い武器が好きな奴もいれば、軽い武器が好きな奴もいる。剣を使う奴も、銃を使う奴もいる。身体の大きさも違うし、得意な動きも違う」
「そうだな」
「なら、色んな奴に使わせた方がいい」
「ユーザーテスト!」
横からエルネスタが口を挟んだ。
「何?」
「色んなタイプの人を集めて、実際に使ってもらうの。ハイセ君の言ってるの、それ」
「それ、いい」
「でしょ?」
「初心者も入れる?」
その言葉に、エルネスタの目がさらに輝いた。
「もちろん!」
ハイセはカミラを見る。
「いい?」
「…………」
「何?」
「いや。何故、初心者を入れようと思った?」
「だって」
少し考えてから、ハイセは当然のように答えた。
「上手い奴だけが『使える』って言っても、アンタが作りたい武器じゃないだろ」
カミラが黙る。
「【究極の汎用性】って、誰でも自分の可能性を試せる入口にするんだろ?」
「ああ」
「なら、一番武器に助けてほしい奴にも使ってもらわないと意味ない」
「…………」
数秒の沈黙が落ちた。
「カミラ?」
「違った?」
「いや」
カミラはゆっくり首を横へ振る。
「正解だ」
「…………」
「ハイセ。君は私の研究を、随分理解するようになったな」
「まあ」
ハイセは少しだけ照れ臭そうに鼻を掻いた。
「ここにいると、嫌でも分かってくるからな」
「嫌なの?」
エルネスタが即座に突っ込む。
「そういう意味じゃねぇよ」
「じゃあ好き?」
「研究はな」
「おお、即答」
「そこ拾うな!」
カミラが咳払いする。
「……話を戻すぞ」
「はーい」
◇
数日後。
実際にユーザーテストが始まった。
上級者、中級者、初心者。
体格も性別も利き手も、戦闘経験も違う。
観測室からその様子を眺めていたハイセは、初心者の一人が武装の出力設定に手間取っているのを見て眉を寄せた。
「初心者、やっぱ操作遅い」
「そうだね」
エルネスタも画面を見る。
「出力変更を戦いながらできてない」
「うん」
「どうする?」
「…………」
ハイセは黙って観察を続ける。
一度設定を変える。
攻撃する。
また操作を確認する。
その間に、仮想敵から攻撃を受ける。
「毎回、自分で全部変えるから遅いんだよな」
「まあね」
「だったら……」
ふと、昨日まで考えもしなかった発想が浮かんだ。
「武器の方が使い方覚えればいいんじゃない?」
「!」
「本人がよく使う出力とか、動きとか。何回か使ってるうちに覚えて、その人が使いやすい設定に勝手に寄せていくとか」
「…………」
背後にいたカミラが静かになった。
「何?」
「今、何と言った?」
「本人がよく使う設定に寄せる」
「その前だ」
「武器が……使い方を覚える?」
「…………」
カミラは画面へ視線を戻した。
使用者の操作履歴。
選択した出力。
頻繁に使用する形態。
戦闘時の入力傾向。
それらを武装側が記録し、次回以降の制御へ反映させる。
「カミラ」
エルネスタが笑う。
「これ、また生えたね」
「……ああ」
「何が?」
ハイセだけが分かっていない。
「研究テーマ」
「…………俺、何かした?」
カミラは額を押さえた。
「した」
「どこで?」
「今だ!」
「ただ感想言っただけ!」
「それで研究テーマが増えるから困っている!!」
◇
さらに数日後。
「おはよ」
「おはよう」
研究室へ入ったハイセを、カミラが待っていた。
「今日は?」
「まず、これを渡す」
「?」
差し出された一枚のカードを受け取る。
「何?」
「研究棟のアクセスカードだ」
「持ってるけど」
「それは一般学生用だ。こちらは研究協力者用」
「…………」
「今後は許可された実験区画、資料室、解析端末、それから一部の試作施設へ私がいなくても入れる」
ハイセは手の中のカードを見る。
「いいの?」
「ああ。君には必要だ」
「……そう」
「それと」
「まだある?」
「ついてこい」
◇
案内されたのは、研究室の奥にある一角だった。
今まで空いていた場所に、机と椅子、専用端末、工具、資料棚、それから簡易的な武器ラックまで揃えられている。
「…………何これ」
「君の作業場所だ」
「俺の?」
「ああ」
思わず固まる。
「今までは毎回、空いている端末を使っていただろう」
「うん」
「非効率だ。研究資料も評価ログも、今後は君自身で管理できるようにした」
「…………」
ハイセは机へ手を置いた。
自分の場所。
この世界に、自分専用の席がある。
それはただの研究設備でしかないはずなのに、不思議なくらい胸の奥へ残った。
「ハイセ?」
「いや、何でもない」
少しだけ笑う。
「ありがと」
「必要な措置だ」
「うん」
一度頷いてから、もう一言付け加える。
「でも、嬉しい」
「…………そうか」
カミラが僅かに視線を逸らした、その時だった。
「じゃーん!」
「!?」
机の下からエルネスタが飛び出してきた。
「何してんのお前!!」
「サプライズ!」
「何で机の下にいる!?」
「待ってた!」
「どれだけ!?」
「二十分!」
「暇か!!」
「研究しながら待ってたから効率的!」
「どこが!」
「エルネスタ」
カミラの声が低くなる。
「勝手に仕込むなと言っただろう」
「でもほら!」
エルネスタが机の上へ一枚のプレートを置く。
『異世界技術・実戦評価担当
ハイセ』
「…………」
「これ」
「私が作った!」
「勝手に役職作った?」
「非公式!」
「外せ」
「えー」
「今すぐだ」
ハイセはプレートをしばらく眺めた。
「別に、そのままでよくない?」
「ハイセ!」
「だって分かりやすい」
「ほらぁ!」
「喜ぶな!」
カミラは深々とため息を吐いた。
「……好きにしろ」
「諦めた?」
「もう少し前からだ」
◇
ハイセは自分の椅子へ腰を下ろし、専用端末を起動した。
画面には未処理の試験結果、異世界素材の解析資料、煌式武装の評価ログ、ユーザーテストの記録が並んでいる。
「…………」
面倒だとは思う。
だが、嫌ではなかった。
「ハイセ」
「何?」
「今日も頼むぞ」
「うん」
即答してから、ハイセ自身が少しだけ驚いた。
「何だ」
「いや」
「?」
「普通に返事したなって」
「意味が分からん」
「俺も」
小さく笑う。
この場所はもう、知らない世界へ放り出された自分が一時的に身を寄せる避難場所ではなかった。
自分で、もう少しここにいたいと選んだ場所。
自分の意見を求められる場所。
自分の席がある場所。
そして、自分が何気なく口にした疑問一つで、新しい研究が始まってしまう場所だった。
ハイセは昨日のユーザーテスト結果を開く。
「カミラ」
「何だ」
「昨日の初心者のデータ」
「ああ」
「やっぱり、武器が使い手を覚える方――試してみたい」
「…………」
「駄目?」
カミラは数秒考えてから、静かに答えた。
「……やるぞ」
「!」
「ただし段階的にだ。まず操作履歴の記録と、推奨設定の提示まで。武装側が使用者の意思を無視して勝手に出力を変えることは認めない」
「分かった」
「エルネスタ」
「はーい!」
「勝手に完成形まで作るな」
「努力する!」
「そこは約束しろ!!」
ハイセは思わず笑った。
いつの間にか、それすら研究室の日常になっていた。
◇
この頃。
まだ誰も、その変化の意味を正確には理解していなかった。
ハイセ自身でさえ、自覚していない。
様々な煌式武装へ触れ、異なる構造を学び、故障寸前の挙動を確かめ、他者が武器を使う姿を観察する。
その経験が増えるたび、【武器マスター】がハイセへ伝える情報もまた、少しずつ増えていた。
最初はただ、武器の使い方が分かった。
次に、最も効率的な身体の動かし方が分かるようになった。
そして今では、ごく僅かな重心の乱れや出力の遅延、武器と使用者の間に生まれる違和感さえ、以前より鮮明に感じ取れるようになり始めている。
それが単にハイセ自身の経験によるものなのか。
それとも【武器マスター】そのものが、蓄積した経験に応じて適応範囲を広げているのか。
まだ、答えは出ていない。
ただ一つ確かなのは――ハイセがアルルカントで武器を知れば知るほど、その能力もまた異様な速度で変化し始めているということだった。
使い手に武器を合わせる。
武器自身が、使い手を学ぶ。
そして、技量の乏しい者にさえ「使える」という選択肢を渡す。
まだ小さな研究テーマに過ぎないその発想は、やがて【究極の汎用性】という思想を形にし、アルルカントだけでなく学戦都市の武器開発そのものを大きく変えていく。
その中心にいるのは、研究者ではないと何度も言い張りながら、誰よりも実戦的な疑問を投げ続ける一人の異世界人。
そして彼自身もまた、この時すでに――研究対象である【武器マスター】と共に、静かに変わり始めていた。