【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
夜。
アルルカント・アカデミーの研究室には、まだいくつかの明かりが残っていた。
その一角、自分専用となった机に座るハイセは、端末に映し出された戦闘映像を食い入るように見つめている。
画面の中で、一人の少年が剣を振るった。
一閃。
「…………」
停止。
数秒だけ巻き戻し、再生する。
踏み込みから斬撃へ。相手の反撃を紙一重で躱し、そのまま体勢を崩すことなく次の一撃へ繋げる。
「…………」
もう一度止める。
「そこ」
ハイセは小さく呟いた。
「前と違う」
再び映像を戻す。
映っているのは、星導館学園の天霧綾斗。
同じ少年の戦闘映像を、ハイセは既に何度も見ていた。
だが、不思議なことに飽きない。
むしろ【武器マスター】の研究を続け、数え切れないほどの煌式武装へ触れるようになってからの方が、以前なら見落としていたものまで目に入るようになっていた。
足の置き方。
踏み込みの深さ。
剣先の角度。
斬撃の直前に行われる僅かな重心移動。
そして、相手との間合いに応じて変化する身体の使い方。
「この時……重心変えた?」
「変えてるね」
「…………」
「…………」
ハイセは数秒硬直し、ゆっくり横を向いた。
いつの間にか、エルネスタが真横から同じ画面を覗き込んでいた。
「何でいる」
「研究室だから?」
「いつから?」
「三分くらい前」
「声かけろよ!」
「すっごく集中してたから、邪魔しちゃ悪いかなぁって」
「今邪魔したけどな」
「ごめんごめん」
まるで悪びれていない。
エルネスタは近くの椅子を引き寄せると、そのまま当然のように腰掛けた。
「それで、何回目?」
「何が」
「この試合見るの」
「…………」
「十回?」
「…………」
「二十回?」
「…………」
「三十回?」
「数えてない」
エルネスタがにやりと笑った。
「それ、ファンの答えだよ」
「違う」
「何が?」
「剣が好きなだけ」
「はいはい」
「本当に」
「分かってるって。綾斗くん本人じゃなくて、綾斗くんの剣が好きなんでしょ?」
「そう」
「…………」
エルネスタは少し面白そうにハイセを見る。
「それ、本人に言ったら結構喜ぶと思うけどなぁ」
「…………」
映像を操作していた指が止まった。
「どうしたの?」
「いや」
「?」
「別に」
「ふぅん」
また、その顔だ。
「会いたくない?」
「…………」
「綾斗くん」
「…………」
「…………」
「今はいい」
「何で?」
「何でもいいだろ」
「へぇー?」
「その顔やめろ」
◇
翌日の昼。
「……また天霧綾斗か」
カミラはハイセの端末を一瞥して、僅かに眉を上げた。
「ああ」
「昨日も見ていただろう」
「見た」
「一昨日も」
「…………」
「その前も」
「…………」
「ハイセ」
「何」
「エルネスタの言う通り、随分気に入っているんだな」
「だから剣が」
「分かっている」
「本当に?」
「ああ」
カミラは机の横に立ち、ハイセと同じ映像を見る。
「それで、今日は何を調べている?」
「調べてるっていうか……違い」
「違い?」
「ああ」
ハイセは別の試合を呼び出し、二つの映像を並べた。
「こっちと、こっち」
「…………」
「同じ綾斗なのに、剣が全然違う」
「相手が違うのだから当然ではないのか?」
「そうなんだけど」
ハイセは片方の映像を巻き戻す。
「相手。武器。間合い。速度。状況――全部に合わせて変えてる」
「…………」
「普通さ、得意な型ってあるだろ」
「ああ」
「自分が一番強い距離とか、得意な攻撃とか。それを相手に押しつけて、自分の形に持っていく」
「一般論としてはそうだな」
「でもこいつ、逆なんだよ」
画面の中で綾斗が相手の斬撃を受け流し、一歩だけ間合いをずらす。
「自分の型に相手を押し込むんじゃない。相手に合わせて、自分の剣を変えてる」
「…………」
カミラの目が僅かに細まった。
「勝ち方を一つ持ってるんじゃない」
ハイセは映像から目を離さない。
「相手ごとに、勝ち方を作ってる」
それが、ハイセにはどうしようもなく綺麗に見えた。
「だからだと思う」
「何が?」
「綾斗の剣が綺麗に見える理由」
圧倒的な力で押し潰すわけではない。
誰よりも速いから勝つわけでもない。
ただ武器の性能だけに任せているわけでもない。
「必要な時に、必要なものを、必要なだけ使う」
「…………」
「無駄がない」
カミラはしばらく画面を見つめた後、ふと口にした。
「まるで、汎用性の高い剣だと言いたげだな」
「…………」
ハイセは思わずカミラを見る。
「……あ」
「?」
「確かに」
「何がだ」
「似てるかも」
「何と?」
「アンタが作ろうとしてるものと、綾斗の剣」
今度はカミラが瞬きをした。
「どういう意味だ?」
「何でもできるから強い――じゃないんだよ」
ハイセは言葉を探す。
「何でも一番じゃなくていい。状況に合わせて、その時必要な形になれる」
「…………」
「だから強い」
カミラの【究極の汎用性】は、誰もが扱える武器を目指すもの。
対して綾斗は、武器ではなく自分自身を戦況へ適応させている。
方向は違う。
だが、どこか似ている。
「武器が使い手に合わせる」
ハイセは呟く。
「使い手も、武器や相手に合わせる」
「…………」
「両方できたら……」
そこでハイセは口を閉じた。
まだ形にならない。
だが何かが、頭の奥に引っかかった。
カミラもそれ以上は追及せず、小さく頷く。
「面白い見方だな」
「そう?」
「ああ」
そして、何でもないことのように続ける。
「やはり本人に会ってみればいい」
「…………」
「何故黙る」
「別に」
「嫌なのか?」
「嫌じゃない」
「なら会えばいいだろう」
「…………そのうち」
ハイセは視線を逸らした。
「何?」
「いや」
カミラの口元が僅かに緩む。
「意外だと思ってな」
「何が」
「君にも躊躇することがあるんだな」
「あるわ!」
「強敵へ喧嘩を売るのは平気なのに」
「それとこれとは違う」
「何が違う?」
「…………」
「ハイセ?」
「うるせぇ」
◇
「結論」
その日の午後。
事情を聞いたエルネスタが、堂々と宣言した。
「ハイセくんは、推しに会うのが恥ずかしい」
「違う」
「違わない」
「違う」
「じゃあ今から天霧綾斗くんに連絡――」
「待て」
伸ばされたエルネスタの手首を、ハイセが即座に掴んだ。
「…………」
「…………」
エルネスタの口角が上がる。
「今の反応、実戦より速かったね」
「消せ」
「まだ送ってないよ?」
「連絡先消せ」
「無茶言うなぁ」
「エルネスタ」
カミラが静かに制止した。
「勝手に連絡するな」
「カミラぁ」
「本人が嫌がっている」
「…………」
ハイセがカミラを見る。
「何だ」
「いや……助かった」
「当然だろう」
カミラは不思議そうに首を傾げた。
「会うかどうかも、君が決めることだ」
「…………」
また、それだ。
小さなことでも、この女は勝手に決めない。
「……ありがと」
「ああ」
「じゃあさ」
エルネスタがすぐ復活する。
「会いたいって言った瞬間に即連絡するね!」
「それもやめろ」
◇
その日の研究では、第11話で提案された機能を組み込んだ新しい試作煌式武装が用意されていた。
「ハイセ」
「何」
「試作機だ」
「また?」
「ああ」
手渡された武装を受け取り、ハイセは興味深そうに眺める。
「前回提案された使用者学習機能の、基礎部分だけを実装した」
「もう?」
「まだ限定的だ。使用頻度、重心設定、出力傾向。その程度を記録するだけだ」
「でも、覚えるんだろ」
「ああ」
「武器が」
「ああ」
「…………」
「何だ」
「いや」
ハイセは少し笑った。
「面白い」
起動。
煌式武装の刀身が形成される。
「じゃあ、試す」
◇
一時間。
二時間。
三時間。
幾度も設定を変え、振るい、記録を取った。
「止め」
カミラの声でハイセが動きを止める。
「?」
「一度、設定を初期化する」
「何で?」
「比較だ」
「なるほど」
使用履歴に応じて調整されていた設定が、最初の状態へ戻される。
再び握る。
振る。
「…………」
「どうだ?」
もう一度。
「……変」
「どこが?」
「軽い」
「重量自体は変化していない」
「重心」
ハイセは手元を見た。
「俺、いつも少し前に寄せてたから。元に戻ると……なんか変だ」
「…………」
カミラは記録された数値を確認する。
「つまり、学習後の設定を既に自分の標準として認識し始めているわけか」
「多分」
もう一度、学習後の状態へ戻してもらう。
振る。
今度は、しっくり来る。
「これ、いいな」
「そうか」
「うん」
「何故?」
「使えば使うほど、自分の武器になっていく」
「…………」
カミラが僅かに笑った。
「それが狙いだ」
「…………」
ハイセは武器を眺める。
その時、ふと一人の剣士が頭へ浮かんだ。
「…………」
「どうした?」
「いや」
「?」
「綾斗だったら、どんな設定になるかなって」
観測室からエルネスタの声が飛ぶ。
『ほらファンじゃん!』
「うるせぇ!」
◇
実験後、エルネスタは取得されたデータを眺めながら楽しそうに言った。
「でも、面白いよね」
「何が」
「同じ武器でも、綾斗くんが使うのとハイセくんが使うのじゃ、最後には全然違う武器になる」
「…………」
ハイセは先ほどの試作機を見る。
「……そうだな」
同じ設計。
同じ機能。
同じ重量。
それでも使い手の体格、癖、好み、戦い方が違えば、求める設定は変わる。
「ハイセくん」
「?」
「綾斗くんの剣、自分で使いたくならない?」
「…………」
以前にも似たことを聞かれた。
答えは変わらない。
「今は、ならない」
「やっぱり?」
「ああ」
「何で?」
ハイセは少し考え、端末に表示された綾斗を見る。
「だって、それは綾斗が作った剣だろ」
「…………」
「俺が動きだけ真似しても、綾斗にはならない」
「そうだね」
「それに、俺には俺の戦い方がある」
エルネスタが目を細める。
「へぇ」
「何」
「いいね」
「何が」
「そういうところ」
「…………」
「でもさ」
エルネスタが楽しそうに身を乗り出した。
「もし、その技術を丸ごとコピーするんじゃなくて――どうしてそう動くのかを学んで、ハイセくん自身の戦い方へ組み込めるとしたら?」
「…………」
ハイセの表情が止まった。
「エルネスタ」
カミラの声が低くなる。
「何?」
「今、また余計な種を撒いただろう」
「仮定だよ?」
「お前の仮定は後で研究計画になる!」
「でもさぁ」
エルネスタは悪びれない。
「コピーじゃなくて、理解して、自分のものへ変える。それならちょっと面白くない?」
「…………」
ハイセは答えなかった。
天霧綾斗の剣。
そのまま欲しいわけではない。
あの剣は、綾斗自身が積み上げてきたものだ。
だが。
何故、あそこで踏み込んだのか。
何故、その距離を選んだのか。
何故、その一撃だけ力を抜いたのか。
その判断を理解できたなら。
自分の剣へ、自分なりの形で取り込めるのなら――。
「ハイセ」
カミラが睨む。
「考えるな」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる!」
「……少し」
「考えるな!」
「少しだけ!」
「駄目だ!」
◇
夜。
研究室の片隅で、ハイセは再び戦闘記録を開いていた。
「…………」
「また見てる」
「うわっ!」
今度はカミラだった。
「アンタまで気配消すな!」
「普通に歩いてきた」
「…………」
「集中しすぎだ」
「そう?」
「ああ」
カミラはハイセの隣へ立ち、画面を見る。
「天霧綾斗」
「ああ」
「…………」
「何?」
「いや」
少し考えてから、カミラは言った。
「好きなものが見つかって良かったな」
「…………」
ハイセは固まった。
「何だよ、急に」
「悪いか?」
「悪くないけど……変な感じ」
「何故?」
ハイセは言葉を探した。
「誰かにさ。好きなものが見つかって良かったなって言われるの……あんまりないから」
「…………そうか」
「うん」
カミラはそれ以上事情を聞こうとはしなかった。
「なら何度でも言えばいい」
「?」
「好きなものがあることは悪いことではない」
「…………」
「憧れることも、そこから何かを学ぶこともな」
そして、いつものように最後だけはハイセへ返す。
「それを自分の中でどう扱うかは、君が決めればいい」
「…………」
ハイセは画面へ目を戻した。
その中で綾斗が剣を振るっている。
「……うん」
◇
「では帰るぞ」
「え?」
「もう遅い」
「もうちょい」
「駄目だ」
「あと一試合」
「昨日も同じことを言った」
「今日は違う試合」
「意味は同じだ」
「…………」
「ハイセ」
「何」
「帰るぞ」
「…………はい」
渋々端末を閉じ、二人で研究室を出る。
廊下を歩き始めてから、ハイセがふと口を開いた。
「カミラ」
「何だ」
「綾斗に」
「?」
「……いつか、会ってみようかな」
カミラは少しだけ笑った。
「そうか」
「うん」
「なら、その時は自分で会いに行け」
「…………」
「エルネスタに勝手に連絡される前にな」
「…………それは確かに」
◇
少し離れた場所。
星導館学園。
「くしゅん」
「綾斗?」
「……何でもないよ」
「風邪?」
「多分違うと思う」
天霧綾斗はまだ知らない。
アルルカントに、自分の戦闘記録を何十回となく巻き戻し、一振りごとの意味まで知ろうとしている奇妙な転校生がいることを。
そしてハイセもまた、まだ知らない。
今はただ画面越しに美しいと感じているその剣士と、いつか同じ戦場に立つことを。
互いが積み上げてきた強さを知ったその先で、余計なものをすべて手放し、それぞれの原点だけを携えて剣を握る日が訪れることを。
それは、まだ遠い未来の話。
今はただ――。
◇
翌朝。
「…………やっぱ綺麗だな」
研究室へ到着するなり、ハイセはまた天霧綾斗の戦闘記録を開いていた。
「また見てるー!」
「エルネスタ!」
「今日は何周目?」
「数えてねぇ!」
「絶対ファン!」
「剣のな!!」
朝から騒がしい声が研究室へ響く。
その頃にはもう誰も、ハイセが天霧綾斗の映像を見ていること自体には驚かなくなっていた。
そしてハイセ自身もまだ気づいていなかった。
【武器マスター】によって武器を理解するだけだった少年が、いつしか――
武器を振るう人間が、何を考え、何を選んだのか。
そこまで知ろうとし始めていることに。