暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
ヒルダ・ジェーン・ローランズが再びアルルカントを訪れたのは、ハイセがシルヴィア・リューネハイムのライブ映像を見るようになってから数日後のことだった。
「来たわよ」
「帰れ」
研究室へ足を踏み入れた瞬間、カミラが即答した。
「まだ何もしていないのだけれど」
「お前が資料ケースを三つも持っている時点で嫌な予感しかしない」
「酷いわねぇ」
「その評価は正しいよ」
自分の机から顔を上げたハイセが言うと、ヒルダは楽しそうに笑った。
「随分アルルカントへ馴染んだのね、ハイセ君」
「そう?」
「前に会った時より、完全に研究室の住人みたいな顔をしているわ」
「研究者じゃないぞ」
「まだ言ってるの?」
エルネスタまで横から口を挟む。
「研究者じゃない奴は、自分の机に試作機の不具合報告を二十件も積まないと思うよ?」
「それはカミラが置いた」
「君が書くからだ」
「ほら」
「…………」
ハイセは反論を諦めた。
ヒルダはそんな三人を眺めながら、持っていたケースを机へ置く。
「今日は前回の検査結果と、少し面白い仮説を持ってきたの」
「“少し面白い”で済んだ試しがない」
「カミラ、最近警戒しすぎじゃない?」
「お前達のせいだ」
「達?」
ハイセが首を傾げる。
「当然お前も含む」
「何で俺まで」
「今に分かる」
◇
ヒルダが用意した資料は、ハイセが想像していたものより遥かに詳細だった。
前回の身体検査。【武器マスター】を使用した際の神経反応。各種武器を持ち替えた際の筋活動。そして、アルルカントで蓄積されたハイセの戦闘データ。
それらが一つのモデルとしてまとめられている。
「簡単に言うとね」
ヒルダは画面に表示された人体模型を指差した。
「貴方の【武器マスター】は、“武器の使い方を知っている”というだけでは説明出来ないの」
「前にも聞いた」
「今回はもう少し先まで分かったわ」
剣を持ったハイセの記録が表示される。その直後、槍。斧。銃。それぞれへ切り替わるたび、筋肉の使い方や身体の姿勢が僅かに変化している。
「武器を持った瞬間、貴方の身体はその武器へ適した動作を組み立て直している可能性が高い」
「……身体が?」
「正確には、認識と神経系、それに運動制御の連携ね。勿論、まだ仮説だけれど」
ハイセは自分の手を見る。
今まで当たり前に使ってきた能力だった。
武器を持てば、使える。
それだけ。
しかしアルルカントへ来てから、その“当たり前”が何度も分解されていく。
「じゃあ俺の身体って、武器に合わせて毎回学習してる?」
「“学習しているような処理を瞬時に行っている”という方が近いかしら」
「面倒な言い方だな」
「研究とはそういうものよ」
「カミラと同じこと言ってる」
「研究者だからな」
「似てるねぇ」
「似ていない」
カミラとヒルダが同時に答えた。
「息ぴったりじゃん」
「エルネスタ」
「はいはい」
◇
「それで?」
ハイセは資料を読みながら聞いた。
「この仮説が何につながる?」
「ここからが面白いところよ」
ヒルダが別の画面を開く。
そこには、人体の動作データと、それを模した人工的な運動モデルが表示されていた。
「人間の技能というのは、知識だけでは成立しない」
「うん?」
「例えば、剣術書を読んだからといって達人にはなれないでしょう?」
「当たり前だ」
「何故?」
「身体が動かないから」
「そう」
ヒルダが笑う。
「頭で知っていることと、身体が出来ることは違う」
画面上の人体模型が剣を振る。
しかし一方は美しく、もう一方は明らかに動きが崩れていた。
「熟練した技能というのは、視覚情報、判断、神経伝達、筋出力、姿勢制御――それら全てが一つになって初めて成立する」
「…………」
「なら」
ヒルダが指を一本立てた。
「外部から技能データを与えるだけでは足りない」
ハイセの頭に、天霧綾斗の剣が浮かぶ。
「身体の方も、その技能を使える状態にならないと意味がない?」
「正解」
ヒルダが嬉しそうに笑う。
「貴方、本当に理解が早いわね」
「最近こういう話ばっかり聞いてるから」
「誰のせいかしら?」
「お前だ」
カミラが即答した。
◇
「じゃあ、前にエルネスタが言ってた戦闘データの直接学習って」
「出来る可能性はあるわ」
ハイセの質問に、ヒルダはあっさり答えた。
エルネスタの目が輝く。
「ほら!」
「喜ぶな」
カミラが即座に牽制する。
「“可能性がある”と“安全に実用化出来る”の間には巨大な穴がある」
「それは分かってるって」
「お前が言うと信用出来ない」
「酷いなぁ」
ヒルダは画面を切り替えた。
「技能データを人間へ定着させるなら、大きく三つ必要になると思うわ。まず、学習するための情報。次に、それを身体へ落とし込む仕組み。そして最後に――」
一拍。
「その技能を再現出来る身体」
「…………」
ハイセは黙って聞く。
「例えば、二メートルを超える大男の戦闘スタイルを、小柄な人間へそのまま移しても同じ結果にはならない。骨格も筋力も重心も違うもの」
「じゃあコピーは無理?」
「完全なコピーを目指すならね」
「……でも」
ハイセは少し考えた。
「別にコピーする必要なくない?」
「…………」
ヒルダが止まる。
エルネスタも。
カミラも。
「何?」
「続けて」
ヒルダの声が少し真剣になる。
「前にエルネスタにも言われたけど」
ハイセは自分の机に置かれた試作ルークスを指した。
「この武器だって、使う奴を覚えて、最後はそいつ用になるんだろ?」
「そうね」
「だったら技能も同じでいい」
画面の人体模型を見る。
「元の奴と全く同じ動きをするんじゃなくて、その技術を俺の身体で使える形に変えればいい」
「…………」
「学んで」
一度、言葉を切る。
「自分用に直す」
ヒルダの目がゆっくり細くなった。
「……なるほど」
エルネスタが隣で小さく笑う。
「カミラ」
「何だ」
「また生えたね」
「言うな」
「研究テーマ」
「言うなと言っている!」
◇
だがカミラ自身も、すでに端末へ何かを書き込んでいた。
「アンタも書いてるじゃん」
「理論として整理しているだけだ」
「研究する?」
「理論検証だけだ」
「前にも聞いたな、それ」
「黙れ」
ヒルダは満足そうに資料をめくった。
「でも、ハイセ君の考え方は正しいと思うわ。技能をそのまま複製するのではなく、原理や判断パターンを抽出して、受け手の身体へ最適化する」
「それなら出来る?」
「少なくとも、完全コピーよりは現実的ね」
ハイセの脳裏に再び綾斗が浮かぶ。
美しい剣。
無駄のない動き。
憧れている。
あんな剣を振ってみたいと思う。
けれど。
「……俺は今はいらない」
突然の言葉に、ヒルダが眉を上げた。
「何が?」
「技能移植」
「…………」
エルネスタも少し意外そうな顔をする。
「綾斗くんの剣、好きなんじゃないの?」
「好きだよ」
「じゃあ試したくない?」
「興味はある」
ハイセは素直に答えた。
「でも、出来るからやるってのは違うだろ」
「…………」
「今の俺は、別にそれがなくても困ってない」
カミラが静かにハイセを見る。
「綾斗の剣を使えたら面白いとは思う。でも、それだけで身体に何かする理由にはならない」
少し笑う。
「前にカミラにも言われたしな」
「何を?」
「何を得て、何を失って、それでも納得出来るか考えろって」
「…………」
カミラの表情が、ほんの僅かに和らいだ。
「覚えていたか」
「失礼だな」
「エルネスタ達と一緒にいると忘れそうでな」
「私達の扱い酷くない?」
「正当だ」
◇
ヒルダは腕を組んだ。
「なら一つだけ覚えておいて」
「何?」
「今は必要ない。それでいいわ」
いつもの好奇心に満ちた笑顔とは少し違う。
「でも将来、貴方がどうしても欲しい能力や技術を見つけた時」
「…………」
「“今の身体では出来ない”という理由だけで諦める必要はない」
ハイセの目が少し細くなる。
「身体を変える?」
「必要なら」
「…………」
「ただし」
ヒルダは指を立てた。
「その場合、変えるのは能力だけとは限らない」
「どういう意味?」
「技能によって必要な筋肉も骨格も違う。能力によっては、体内のエネルギー経路そのものを作り替える必要があるかもしれない」
シルヴィア。
歌。
声。
その能力が、ふと頭をよぎる。
「例えば」
ハイセが聞く。
「声を使う能力だったら?」
「発声器官や呼吸器、場合によっては身体全体の構造が性能へ影響するでしょうね」
「…………」
カミラが即座に割って入る。
「仮定の話だぞ」
「分かってる」
「本当か?」
「今やるとは言ってないだろ」
「…………」
「何?」
「いや」
カミラは小さく息を吐いた。
「君がそこまで言うならいい」
◇
「ところで」
ヒルダが突然、机に置いた別のケースへ手を伸ばした。
「今日来た理由は、実はもう一つあるの」
「…………」
カミラの顔が露骨に曇る。
「まだあるのか」
「本題はむしろこっちよ」
「最初に言え」
「ハイセ君のデータと少し関係していたから、順番に説明したかったの」
ヒルダが一つのファイルを表示する。
そこには一人の少女の名前。
「…………」
ハイセが読む。
「天霧……遥?」
一瞬。
空気が変わった。
カミラがヒルダを見る。
「何故、その名前が出る?」
「少し厄介な事情があるのよ」
「綾斗と同じ名字」
ハイセが言う。
「姉?」
「そう」
「…………」
ハイセの目が変わる。
天霧綾斗。
何度も戦闘記録を見てきた少年。
その姉。
「何があった?」
ヒルダはすぐには答えなかった。
資料を開き、その中に表示された人体データをハイセへ向ける。
「彼女の身体には」
一拍。
「本来、人間の体内に存在するはずのないものが残っている」
「……何?」
「純星煌式武装」
ハイセの眉が僅かに動く。
「《赤霧の魔剣》ラクシャ=ナーダ」
「…………」
「その欠片が」
ヒルダは静かに言った。
「彼女の身体の中にある」
研究室から、音が消えた。
「……取れないの?」
ハイセの声が低くなる。
「簡単なら、とっくにやっているわ」
「じゃあ」
「?」
「それがあるせいで」
一拍。
「遥って人は自由に動けない?」
「…………」
ヒルダの目が、僅かに細くなった。
「察しがいいわね」
「…………」
ハイセは画面を見る。
身体の中に埋め込まれた異物。
誰かの意図。
本人の行動を縛るもの。
「誰がやった?」
「ハイセ」
カミラが制する。
「まず話を全部聞け」
「…………」
数秒。
「分かった」
座り直す。
だが。
その目から先ほどまでの穏やかさは消えていた。
ヒルダはそんなハイセを見ながら、静かに資料を開く。
「長い話になるわ」
「いいよ」
「…………」
「聞く」
ハイセは天霧遥の名前を見つめた。
綾斗の姉だからではない。
勿論、それも気になる。
だが。
それ以上に。
誰かの身体へ何かを埋め込み。
その人間の選択を奪う。
その構図が。
どうしようもなく。
気に入らなかった。
「全部」
一拍。
「教えて」