暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
ヒルダが端末へ映した【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】の資料を前に、ハイセはしばらく黙っていた。
天霧遥。天霧綾斗の姉。そして、その身体には本来存在するはずのない純星煌式武装の欠片が残されている。
話を聞けば聞くほど、ハイセの眉間には深い皺が刻まれていった。
「つまり、その欠片が残っている限り、遥って人は完全には自由じゃないってこと?」
「大雑把に言えば、そうなるわね」
ヒルダは慎重に言葉を選びながら答えた。
単純に体内へ異物が埋まっている、というだけの問題ではない。【赤霞の魔剣】は一般的な武器ではなく、特殊な性質を持つ純星煌式武装である。その一部が人体と複雑に結びついている以上、外科的に摘出すれば解決するというものではない。
カミラも資料へ目を通しながら、険しい顔をしていた。
「無理に取り除けば、本人の身体へどのような影響が出るか分からないということか」
「ええ。だからこそ扱いが難しいのよ」
「それで放置?」
ハイセの声が低くなる。
ヒルダは彼を見た。
「放置しているわけではないわ。何度も手段は検討されている。ただ、成功率の低い処置を本人へ強行することも出来ないでしょう?」
「……それは分かる」
納得は出来る。
だが気に入らない。
ハイセが感じている苛立ちは、ヒルダやカミラに向けたものではなかった。
本人の意思とは無関係に、誰かの都合で身体へ何かを残される。その結果、進む道を制限される。
どうにも胸糞が悪かった。
「それで」
ハイセは椅子へ座り直した。
「この話と、綾斗がどう繋がる?」
ヒルダが少しだけ黙った。
ここから先は単なる医学的な問題ではない。
「天霧綾斗が王竜星武祭――リンドヴルムへ出場する理由の一つに、遥の存在が関わっている」
「……一つ?」
「ええ」
ヒルダはそこで、マディアス・メサについて話し始めた。
全てを断定出来る材料が揃っているわけではない。しかし、複数の情報を繋げれば、彼が王竜星武祭と天霧姉弟を利用しようとしている可能性が高い。そして、その先にはアスタリスクそのものへ影響を及ぼしかねない計画が存在する。
長い説明を聞き終えたハイセは、恐怖するでも驚愕するでもなく、ただ確認するように聞いた。
「その計画って、綾斗がリンドヴルムに出ることが前提?」
「少なくとも重要な条件の一つでしょうね」
「遥が今の状態だから?」
「そう考えられる」
「じゃあ」
ハイセはあまりにも自然な口調で言った。
「先に遥を自由にすればいいんじゃない?」
室内が静まり返った。
ヒルダが瞬きし、エルネスタが数秒遅れて口元を吊り上げる。カミラだけは眉を寄せながら、ハイセが何を考えているのかを探るように見つめていた。
「ハイセ君」
「何?」
「今までの話、聞いていた?」
「聞いてたよ」
「取り除くのが難しいと説明したわよね?」
「だから、その方法を考えるんだろ」
あまりにも当然のように返され、今度はヒルダが言葉に詰まった。
ハイセは端末を自分の方へ引き寄せ、遥の身体データを眺める。
「俺、マディアスって奴を倒す方法を考える必要ある?」
「……どういう意味だ?」
カミラが聞く。
「計画って、何か必要なものが揃わないと動かせないんだろ?」
「ああ」
「なら、本人を倒すより必要なものを先に消した方が早い」
その発想に、カミラの表情が変わった。
敵が強いなら、それを上回る力を用意する。
黒幕がいるなら、黒幕を倒す。
普通ならそう考える。
だがハイセが見ているのは敵本人ではない。
条件だった。
「遥を自由にする。そうすれば綾斗を縛る理由の一つが消える。綾斗がリンドヴルムへ出る必要がなくなれば、マディアスの計画もその部分から崩れる」
「それでも別の手を打つ可能性はあるぞ」
「なら、その時また潰せばいい」
「…………」
「全部一気に解決する必要ないだろ」
ハイセは軽く肩を竦める。
「計画に必要なものが五個あるなら、一個ずつ消せばいい。最後に何も残らなかったら、そいつは何するの?」
エルネスタがとうとう吹き出した。
「それ、ボスを倒す発想じゃないねぇ」
「何?」
「ボス戦そのものを発生させない発想」
「その方が楽じゃん」
「ハイセ」
カミラが額へ手を当てた。
「君は最近、本当に研究者らしい問題の解き方をするようになったな」
「研究者じゃないって」
「そこではない」
エルネスタは楽しそうに端末へ何かを書き始めている。
「なるほどねぇ。人物じゃなくて成立条件を分解する。重要度の高いものから外していく、と」
「何書いてる?」
「メモ」
「やめろ。嫌な予感しかしない」
「もう遅いよ」
カミラが小さく溜息をついた。
しかし、ハイセの考え自体には反論しなかった。
むしろ合理的だった。
巨大な計画ほど、それを支える前提条件も多い。その全てを守りながら進めなければならないのは、仕掛ける側の方だ。
どれだけ綿密な計画でも、重要な歯車を一つ抜けば動かなくなる。
「問題は、天霧遥をどう自由にするかだ」
カミラが話を戻す。
「そこだな」
ハイセは頷いた。
そして少し考えた後、ヒルダを見る。
「物理的に取れないなら、別の方法は?」
「別の方法?」
「身体の中にあるから危ないんだろ。でも問題なのって、欠片そのもの? それとも欠片が遥に与えてる影響?」
ヒルダの目つきが鋭くなる。
「……続けて」
「俺のアイテムボックスもそうだったけど、こっちの常識で触れないからって、同じ方法で何度も試す必要ないじゃん」
ハイセはそこで、一度言葉を止めた。
頭に浮かんでいたのは、数日前から何度も見ている一人の少女だった。
シルヴィア・リューネハイム。
歌によって、現実に干渉する魔女。
「リューネハイムの能力」
その名前が出た瞬間、エルネスタの顔から笑みが消えた。
今度は完全に研究者の顔だった。
「ハイセくん、まさか」
「歌で現象そのものを変えられるなら」
ハイセは遥のデータを指差した。
「こいつを“抜く”んじゃなくて、遥との繋がりそのものを変えることは出来ない?」
静寂。
先に反応したのはヒルダだった。
「…………面白い」
「ヒルダ」
カミラが警戒する。
「まだ仮説だぞ」
「分かっているわ。でも、発想としては悪くない」
ヒルダはすぐに資料を切り替え始めた。
「外科処置で物体を除去するのではなく、能力による現象干渉で人体との結合状態を変更する……完全な分離が無理でも、人体側へ与えている影響を遮断出来れば」
「待て」
カミラが止める。
「シルヴィア本人の能力を勝手に利用する前提で話を進めるな」
「分かってる」
ハイセがすぐ答えた。
「まず本人に聞く」
カミラが一瞬黙る。
「……そうだな」
「嫌って言われたら別の方法考える」
「…………」
ヒルダが口元を緩める。
「本当にカミラの影響を受けているのね」
「何で?」
「最初に本人の意思を確認するところ」
「普通だろ」
その答えに、カミラは何も言わなかった。
エルネスタだけが横で妙に楽しそうな顔をしている。
「何?」
「いやぁ、何でもないよ」
「その顔やめろ」
◇
そこからの話は、一気に研究へ傾いた。
シルヴィアの能力で直接【赤霞の魔剣】へ干渉出来るのか。対象と人体の境界を認識出来るのか。現象干渉によって結合状態だけを変更した場合、遥の身体がどう反応するのか。
ヒルダが生体側の問題を洗い出し、カミラがエネルギー的な矛盾を指摘し、エルネスタがその横から妙な案を差し込む。
ハイセは専門的な議論の半分以上を理解出来なかった。
それでも、議論が止まりかけるたびに別角度から疑問を投げる。
「もし一回で全部切れないなら?」
「段階的に?」
「そう。少しずつ影響を弱めるとか」
「……その方が生体負荷を抑えられる可能性はあるわね」
「遥本人の力で押し返す方法は?」
「それは本人の状態次第だ」
「じゃあ本人にも、どこまで出来るか聞いた方がいい」
「当然だ」
いつの間にか。
誰もハイセを単なる被験者や異世界人として扱っていなかった。
彼が口にしたことが仮説になり、仮説が検証項目になり、検証項目が研究計画へ変わっていく。
数時間後。
ホワイトボードには、天霧遥の解放へ向けた複数のルートが並んでいた。
「……これ」
ハイセが眺める。
「本当に出来そう?」
ヒルダが腕を組む。
「まだ何とも言えないわ。ただ」
視線を、シルヴィアの能力を利用した案へ向ける。
「今まで試されていない方向なのは確かね」
「ならやる価値ある?」
「ある」
「じゃあ」
ハイセは立ち上がった。
「リューネハイムに会いに行こう」
エルネスタが噴き出す。
「行動早っ!」
「だって本人の許可いるんだろ」
「そうだけど」
「なら聞けばいい」
「…………」
カミラがハイセを見る。
「天霧綾斗へ会いに行く時はあれだけ躊躇していたのにな」
「それとこれとは違う」
「何が違うんだ?」
「…………」
「ハイセ?」
「仕事だから」
「……なるほど」
カミラが少し笑った。
「綾斗は?」
「…………」
「趣味か」
「うるせぇ」
◇
シルヴィア本人への接触については、カミラが正式な研究協力依頼として手続きを行うことになった。
能力を無断で利用するわけにはいかない。
天霧遥本人への説明も必要だ。
さらに、綾斗にも状況を共有しなければならない。
そこでエルネスタがふと思い出したように言った。
「だったら星導館側にも話通した方がいいね」
「誰へ?」
「クローディア・エンフィールド」
ハイセが首を傾げる。
「誰?」
「星導館の生徒会長」
「また生徒会長」
「この街、そういう人達が色々握ってるから」
「ディルクみたいな?」
「……方向性はかなり違う」
カミラが僅かに顔をしかめた。
その反応を見て、ハイセが眉を上げる。
「危ない人?」
「頭が切れる」
「じゃあ危ないじゃん」
「その理屈だと私まで危険人物になるぞ」
「違うの?」
「ハイセ」
「冗談」
エルネスタが楽しそうに笑っている。
「クローディアなら、この話聞いたら絶対協力すると思うなぁ」
「何で?」
「綾斗くん絡みだし」
「…………」
「それに」
エルネスタの笑顔が少しだけ黒くなる。
「マディアスの計画を根っこから壊せるなら、嫌いじゃないと思うよ?」
「…………」
ハイセはそこで初めて、少しだけクローディアという人物に興味を持った。
◇
同じ頃。
星導館学園。
生徒会長室。
「――なるほど」
アルルカントから届いた簡潔な協力打診を読み終えたクローディア・エンフィールドは、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。
だが。
向かいに座っていた天霧綾斗は、その笑顔を見た瞬間に僅かに姿勢を正した。
「クローディア?」
「はい?」
「……何か、嬉しそうだね」
「そう見えますか?」
「うん」
綾斗は正直に答えた。
クローディアはもう一度端末へ目を落とす。
天霧遥を完全に解放する可能性。
そのためにアルルカント、ヒルダ、そして異世界から来た少年が動き始めている。
成功すれば。
遥が自由になる。
そして同時に。
「これは」
クローディアは小さく笑った。
「随分と面白いことになりそうですね」
「…………」
「綾斗?」
「いや」
「?」
「なんとなく」
一拍置いて。
「誰かがすごく困る顔をしそうだなって」
クローディアの笑みが、ほんの僅かに深くなった。
「まあ」
「…………」
「それは」
楽しげに。
「仕方のないことでは?」
「…………」
綾斗は。
深く追及することをやめた。
何故か。
その方が。
安全な気がした。
◇
その夜。
ハイセは自分の机で、一人、天霧遥の資料を見ていた。
【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】。
その存在が、一人の人間の選択を奪っている。
そして、その状態を利用して別の人間まで動かそうとしている者がいる。
「…………」
やっぱり。
気に入らない。
マディアス・メサ本人に強い憎しみがあるわけではない。
会ったことすらない。
だからこそ、余計な感情を挟む必要もなかった。
ハイセが考えているのは一つだけ。
どうすれば、その計画が成立しなくなるか。
遥を自由にする。
そうすれば綾斗を縛る条件が一つ消える。
さらに別の条件があるなら、それも外す。
一つずつ。
最後には何も残さない。
「……簡単じゃん」
ハイセは呟いた。
計画を立てた本人からすれば、決して簡単な話ではないだろう。
だがハイセにとっては。
完成した計画そのものを相手にする必要などない。
完成する前に、必要な部品を抜けばいい。
その発想が。
どれほど。
一人の男にとって。
残酷なものになるか。
この時のハイセは。
まだ。
知る由もなかった。
◇
そして。
その男――マディアス・メサも。
当然。
知らなかった。
自らが長い時間をかけて。
積み上げてきた計画。
その重要な前提条件の一つへ。
既に。
知らない異世界人が。
手を掛けていることを。
まして。
その異世界人が。
自分との決戦など。
最初から。
考えてすらいないことを。