暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
星導館学園の生徒会室へ向かう間、ハイセは珍しく落ち着きがなかった。
隣を歩いていたカミラは、少し前からその様子に気づいている。いつもなら初めて訪れる場所でも周囲を観察し、何か気になる設備を見つければすぐに質問を始める男が、今日は妙に口数が少ない。
「緊張しているのか?」
「してない」
「そうか」
「……何だよ、その顔」
「何も言っていないが」
カミラは前を向いたまま答える。
ハイセは納得していない顔をしたものの、それ以上は追及しなかった。
今日ここへ来た目的はシルヴィア・リューネハイムへ研究協力を依頼することだ。天霧遥の体内に残された【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】の欠片。それを物理的に除去するのではなく、歌による現象干渉を利用して遥との結びつきを解除、あるいは弱められないか。
その相談をする。
ただ、それだけならハイセもここまで落ち着きを失う理由はない。
「天霧綾斗も来るそうだ」
「知ってる」
「そうか」
「…………」
「ハイセ」
「何」
「歩く速度が上がっているぞ」
「気のせい」
「そうか」
カミラの口元が僅かに緩んだ。
「研究協力を頼む相手はシルヴィアだぞ?」
「分かってる!」
図星だった。
◇
「お待ちしていました」
生徒会室の扉を開けると、クローディア・エンフィールドが柔らかな笑顔で一行を迎えた。
アルルカント側から来たのはカミラ、エルネスタ、ヒルダ、そしてハイセ。星導館側にはクローディアと天霧綾斗。そしてその隣には、鮮やかな紫色の髪を持つ少女が座っている。
世界的な歌姫、シルヴィア・リューネハイム。
「初めまして。シルヴィア・リューネハイムよ」
シルヴィアが立ち上がり、自然な笑顔を向ける。
「あなたがハイセ・ササキね?」
「ああ。初めまして」
ハイセは普通に返した。
シルヴィアがほんの少し首を傾げる。
「……それだけ?」
「何が?」
「いえ。特に何でもないわ」
世界的歌姫を前にしても、驚くでも舞い上がるでもない。シルヴィアにとって珍しい反応ではあるが、不快というほどでもない。
ところが。
「ハイセ君」
クローディアが微笑みながら、その隣を示した。
「こちらはご存じでしょう?」
「…………」
ハイセが止まった。
天霧綾斗。
何十回も戦闘記録を見た。
踏み込み。重心移動。間合いの取り方。相手によって形を変えながら、それでも決して崩れない剣。
映像の中にしかいなかった男が、普通に目の前にいる。
「初めまして。天霧綾斗です」
「あ……ああ」
「?」
「ハイセ・ササキ」
「よろしく」
「ああ」
握手。
終わる。
沈黙。
「…………」
「…………」
綾斗が困惑する。
シルヴィアは横からハイセを眺めた。
「私の時と全然違わない?」
「気のせい」
「ハイセ」
カミラが容赦なく口を開く。
「君、天霧綾斗の戦闘記録を何十回も――」
「カミラ!」
珍しくハイセが大声を出した。
綾斗が目を丸くする。
「僕の?」
「いや、その」
ハイセは一瞬迷った。
しかし誤魔化すのも違うと思ったらしい。
「……アンタの剣が好きなんだ」
「僕の剣?」
「ああ」
「…………」
「無駄がなくて、相手によって変わるのに芯が崩れない。強いからっていうより……綺麗だと思ってる」
言い終えた瞬間、ハイセは何故か少し居心地が悪そうに目を逸らした。
綾斗は数秒黙ったあと、照れたように笑う。
「ありがとう。そんな風に言ってもらったこと、あまりないから嬉しいよ」
「……そう?」
「うん」
シルヴィアがにやりとする。
「なるほど。私には『変な能力』だったのに、綾斗には『綺麗』なのね?」
「何で知ってんだよ」
「エルネスタから聞いた」
「エルネスタ!」
「情報共有だよ!」
「それは情報共有じゃねぇ!」
静かだった生徒会室が、一気に騒がしくなった。
クローディアだけは楽しそうに紅茶を口へ運んでいる。
◇
ひとしきり騒いだ後、話は本題へ移った。
ヒルダが天霧遥の状態と、【赤霞の魔剣】の欠片について説明する。シルヴィアも既に概要は聞いていたようだが、人体との結合状態を示す資料を見ると、その表情から笑みが消えた。
「それで、私の力ならこの結びつきに干渉出来るかもしれない、と?」
「可能性の話だけれどね」
ヒルダが答える。
「物理的な摘出が難しいのであれば、別の方向から境界そのものへ作用する。貴女の能力なら、それが可能かもしれない」
「出来ると言い切れる?」
「いいえ」
「危険性は?」
「現時点では不明。だから最初から本人へ直接使用するつもりはないわ。模擬環境と可能な範囲の解析から始める」
シルヴィアはヒルダを見つめ、それからカミラ、エルネスタへ視線を移した。
最後にハイセを見る。
「この方法を考えたのは、あなた?」
「最初に言ったのは俺」
「どうして?」
ハイセは少し考えた。
「取れないなら、取らなくてもいい方法を考えればいいと思ったから」
「そういう意味じゃなくて」
シルヴィアは静かに言う。
「どうして遥さんを助けたいと思ったの?」
綾斗が僅かにハイセを見る。
ハイセは腕を組み、暫く考えた。
「別に、遥って人のことは知らない」
「…………」
「今日まで会ったこともないし、綾斗の姉だからってだけで命懸けるほど仲良くもない」
「正直ね」
「でも」
ハイセの声が少し低くなる。
「本人が知らないところで身体に何か残されて、そのせいでどう生きるかまで他人に決められるのは気に入らない」
部屋が静かになった。
「身体に何が残ってるか、どうすれば助かるか、助かった後どうするか。それくらい本人が決めればいいだろ」
「…………」
「だから」
ハイセはシルヴィアをまっすぐ見る。
「アンタの歌で、遥が自分で選べる状態まで戻せる可能性があるなら、力を貸してほしい」
シルヴィアは答えなかった。
ただ、しばらくハイセを見ていた。
◇
「一つ、聞いていい?」
「ああ」
「遥さん本人には、もう確認したの?」
「まだ」
「それなら」
シルヴィアの口調は柔らかかったが、はっきりしていた。
「私は、本人が望まない限り能力を使わないわ」
「うん」
ハイセは即答した。
「そのつもり」
「……ずいぶんあっさりね」
「何で?」
「あなたがこの計画を提案したんでしょう?」
「だからって、俺が決めていい理由にはならないだろ」
「…………」
シルヴィアの目が僅かに見開かれる。
「助かる可能性があるって説明して、それでも嫌だって言われたら?」
「別の方法考える」
「あなたが絶対にこの方法の方がいいと思っていても?」
「遥の身体だろ?」
ハイセは当たり前のように答えた。
「俺のじゃない」
シルヴィアは思わず笑った。
「何?」
「ごめんなさい。笑ったんじゃなくて」
少しだけ楽しそうに。
「あなた、変わってるわね」
「よく言われる」
「私も最初、変な能力って言われたんだけど?」
「まだ気にしてんの?」
「意外とね」
「悪口じゃないって」
「分かってるわ」
シルヴィアは笑いながらも、その瞳だけはハイセを観察していた。
世界的な歌姫である自分の力を前にして、利用価値だけを見ている人間はいくらでもいる。
逆に、本人を必要以上に神聖視する人間もいる。
だが、この異世界人は違った。
能力は必要だと言う。
使えるなら使いたいとも言う。
しかし、その前に必ず「誰が選ぶのか」を置く。
「じゃあ私からも条件があるわ」
「何?」
「遥さん本人が、状況と危険性を理解した上で協力を望むこと。それから、私の能力データをこの件以外へ利用する場合は、改めて私の許可を取ること」
ヒルダがほんの少しだけ残念そうな顔をした。
「ヒルダ」
「まだ何も言っていないわよ」
カミラが睨む。
「言う前に止めた」
「酷い扱いねぇ」
ハイセは少し考えた後、頷いた。
「分かった」
「即答?」
「嫌なら別の方法を探すだけだし」
「…………」
シルヴィアはまた笑う。
「なら協力するわ」
◇
「ありがとうございます」
綾斗が深く頭を下げた。
シルヴィアが「まだ成功すると決まったわけじゃないわ」と返す横で、ハイセは少し不思議そうにその様子を見ていた。
「綾斗」
「何?」
「アンタも一個確認しといた方がいいんじゃない?」
「確認?」
「遥本人に」
ハイセは当然のように言う。
「助かりたいかどうか」
「…………」
綾斗の表情が僅かに固まる。
「もちろん、姉さんは――」
「“もちろん”って」
ハイセが遮った。
言葉は強かった。
だが責めるような響きはない。
「アンタがそう思ってるだけじゃない?」
「…………」
「家族でも、本人じゃないだろ」
綾斗が黙った。
カミラは何も言わない。
クローディアも、先ほどまでの笑みを少しだけ薄めていた。
「助けるなって言ってるんじゃない」
ハイセは続ける。
「俺だったら助けたい。でも、遥が何を怖がってるかとか、何を嫌がってるかとか、俺達はまだ知らない」
少し間を置く。
「だから最初に聞こう」
綾斗は目を伏せた。
姉を助けたい。
ずっとそう思っていた。
それ自体は間違っていない。
しかし、「助けたい」と「本人がどう助かりたいか」は同じではない。
「……そうだね」
やがて綾斗は顔を上げた。
「姉さんと話してみるよ」
「うん」
「ありがとう」
「何で俺に礼?」
「気づかせてもらったから」
「…………」
ハイセは妙に居心地が悪そうな顔をした。
シルヴィアがその様子を見ながら小さく笑う。
「本当にあなた、綾斗には弱いのね」
「違う!」
◇
話し合いが終わった後、他の者達が今後の手続きを確認している間、シルヴィアは窓際に立つハイセへ声を掛けた。
「ねえ」
「何?」
「私のライブも見たんでしょう?」
「…………」
「見てない?」
「見た」
「何回?」
「そこまで数えてない」
「綾斗の戦闘映像は?」
「数えてない」
「ふふっ」
「何だよ」
「やっぱり面白い人」
シルヴィアは窓の外へ視線を向けた。
「私の能力を見て、どう思った?」
「最初?」
「今」
ハイセは少し考える。
「最初は本当に変な能力だと思った」
「そこはもういいわ」
「今は……」
言葉を探す。
「歌ってるだけなのに、自分の外側まで変えられるのがすごいと思ってる」
「歌ってる“だけ”は失礼ね」
「そういう意味じゃない」
「分かってる」
シルヴィアは笑った。
「続けて」
「剣なら剣が必要で、銃なら銃が必要だろ。俺も武器がなきゃ【武器マスター】を使えない」
「ええ」
「でもアンタは」
ハイセはシルヴィアを見る。
「自分の声で現実を変える」
「…………」
「それって」
少しだけ照れくさそうに。
「結構、格好いいなって」
今度はシルヴィアが黙った。
「何?」
「……あなた」
「?」
「そういうこと、普通に言うのね」
「何が?」
「何でもない」
シルヴィアは少しだけ顔を逸らした。
数秒後、またいつもの笑顔へ戻る。
「歌はね」
「うん?」
「敵を倒すためだけにあるものじゃないわ」
「知ってる」
「本当に?」
「最近知った」
「正直ね」
「ライブ見たから」
「…………」
シルヴィアは少し嬉しそうに笑う。
「だったら、今度は映像じゃなくて聴きに来て」
「ライブ?」
「そう」
「研究?」
「違う」
「…………」
「普通に」
一拍置いて。
「歌を聴きに」
「…………」
ハイセは少し戸惑った。
しかし。
「分かった」
そう答えた。
◇
「随分楽しそうだったな」
帰り道。
カミラが前を向いたまま言った。
「誰が?」
「君とシルヴィアだ」
「話してただけ」
「そうか」
「何だよ」
「何も言っていない」
「その言い方やめろ」
少し後ろでは、エルネスタがヒルダへ何か耳打ちしている。
「何話してる?」
「内緒」
「嫌な予感する」
「正しいわよ」
ヒルダが笑う。
「余計怖いわ」
ハイセは溜息をついた。
だが気分は悪くなかった。
シルヴィアは協力を承諾した。
次は天霧遥本人の意思を確認する。
そこで望むと言われれば、実験に移る。
一つずつ。
条件を揃える。
遥を自由にするための条件を。
同時に。
誰かの計画を成立させるための条件を。
一つずつ。
消していく。
◇
その夜。
星導館学園。
「クローディア」
「はい?」
生徒会室に残っていた綾斗は、少し困った顔をしていた。
「あのハイセって人」
「はい」
「不思議な人だね」
「そうですね」
「僕の剣をずっと見てたらしいけど」
「かなりお気に入りのようですよ」
「それは嬉しいんだけど……」
綾斗は少し考える。
「何というか」
「?」
「僕達より先に、姉さんを助ける方法を考え始めてるのが不思議で」
クローディアは静かに紅茶を口へ運んだ。
「彼にとっては」
「?」
「天霧遥さんを救うことと、誰かの計画を潰すことは、恐らく同じ作業の表と裏なのでしょう」
「…………」
「遥さんが自由になれば」
柔らかく。
クローディアは笑う。
「綾斗に求められる役割も変わります」
「そうだね」
「そうなれば当然」
笑みが。
僅かに。
深くなる。
「困る方も出てくるでしょうね」
「…………」
綾斗はその笑顔を見る。
「クローディア」
「何でしょう?」
「やっぱりちょっと楽しんでない?」
「まあ」
クローディアは微笑んだ。
「人の人生を勝手に盤上の駒として扱っていたのですから」
紅茶のカップを静かに置く。
「たまには」
にっこり。
「自分の思い通りにならない盤面を味わっていただいてもよろしいのでは?」
「…………」
綾斗は何も言わなかった。
言わない方がいい。
本能がそう告げていた。
◇
一方。
マディアス・メサは。
まだ。
何も知らない。
天霧遥を巡り。
アルルカント。
星導館。
クインヴェール。
そしてヒルダ・ジェーン・ローランズまでが。
一つの目的へ向け。
動き始めたことを。
その中心にいる異世界人が。
自分の名前すら。
大して気にしていないことを。
ハイセが見ているのは。
マディアスではない。
天霧遥が。
自分の未来を。
自分で選べる状態へ戻ること。
ただ。
それだけだった。
しかし。
その願いが叶った瞬間。
マディアス・メサが長い時間をかけて組み上げた盤面から。
最も重要な駒の一つが。
本人の意思で。
盤上を降りることになる。
破滅のカウントダウンは。
もう。
止まらない。