暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
天霧遥との面会は、星導館学園側が用意した静かな一室で行われることになった。
大人数で押しかければ、それだけで本人へ圧力を与える。そのため話し合いに参加する者は必要最低限に絞られた。遥本人と弟の綾斗。星導館からクローディア。研究側からはカミラとヒルダ。そして今回の提案者であるハイセ。
シルヴィアは能力使用の可能性が具体化した段階で改めて加わることになっている。
部屋へ入ったハイセが最初に目を向けたのは、当然、天霧遥だった。
何度も映像で見てきた綾斗と同じ名字を持つ少女。しかし今のハイセにとって、それ以上の予備知識はほとんどない。
だからこそ、決めつけるつもりもなかった。
「初めまして」
遥が先に口を開いた。
「天霧遥です。あなたが、ハイセさん?」
「ああ。ハイセ・ササキ」
「私を治す方法を考えてくれたって聞いたけど」
「まだ治せるとは決まってないよ」
ハイセは迷わず訂正した。
「可能性がある方法を思いついただけ。出来るかどうかも、どこまで安全かも、これから調べる」
「……随分正直なのね」
「出来るって言って出来なかった方が困るだろ」
「それはそうだけど」
遥が少し笑った。
隣にいた綾斗は、どこか安心したようにそのやり取りを見ている。
ヒルダが端末を机へ置き、現時点で分かっていることを簡潔に説明し始めた。
「今回検討しているのは、体内に残っている【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】の欠片を外科的に直接取り除く方法ではありません。シルヴィア・リューネハイムの能力を利用して、貴女と欠片との結合状態そのものへ干渉出来ないか、という案です」
「シルヴィアさんの?」
「ええ。ただし、現時点では理論段階よ。貴女本人へ使う前に、可能な限り模擬実験を行う予定」
遥は資料へ目を落とした。
何ページか読み進め、やがて小さく息を吐く。
「危険はある?」
「あるわ」
ヒルダは即答した。
「どの程度?」
「まだ正確には分からない。だから調べるの」
「完全に元通りになる保証は?」
「ない」
「失敗したら?」
「状態が変わらない可能性もあるし、悪化する可能性も否定出来ない」
綾斗の表情が僅かに曇った。
しかし遥は落ち着いていた。
「……なるほど」
資料を閉じる。
「思っていたより、ずっと不確定なのね」
「だから」
カミラが静かに言った。
「今日ここで処置を決める必要はない。説明を聞いて、時間を掛けて考えてくれて構わない」
「…………」
「断ってもいい」
その一言に、遥がカミラを見る。
「本当に?」
「当然だ。君の身体だ」
ハイセはその横で、少しだけ笑った。
聞き覚えのある言葉だった。
◇
「ハイセさん」
「何?」
「あなたは」
遥が真っ直ぐハイセを見る。
「私に、この治療を受けてほしい?」
綾斗が少しだけ驚いたように姉を見る。
ハイセはすぐには答えなかった。
質問の意味を、自分なりに考えてから口を開く。
「受けた方がいいとは思ってる」
「理由は?」
「今の状態が、アンタ自身が選んだものじゃないから」
「…………」
「それに」
少し声が低くなる。
「その状態を利用して、アンタや綾斗を動かそうとしてる奴がいる」
クローディアの目が僅かに細くなる。
「それが気に入らない」
遥はじっと聞いていた。
「じゃあ、受けるべきだと思ってる?」
「違う」
ハイセは即答した。
「……違う?」
「俺が受けろって言うのも、結局そいつらと同じだろ」
「…………」
「“お前のためだから、これを選べ”って」
その言葉に。
綾斗が僅かに息を呑んだ。
カミラは何も言わない。
ただ、静かにハイセを見ていた。
「俺は、この方法が成功したらアンタが自由になれる可能性があると思ってる。でも」
ハイセは遥を見る。
「受けるかどうかは」
一度、区切る。
「アンタが決めろ」
部屋が静かになった。
「怖いなら断ればいい。今じゃなくてもいい。別の方法を探してもいい」
「…………」
「俺達が考えたからって、それを選ぶ義務はない」
遥の表情が僅かに揺れた。
それまで彼女は、何度も自分の状況について説明を受けてきた。
危険だから。
必要だから。
今は動かない方がいい。
待った方がいい。
治療が出来ない。
まだその時ではない。
恐らく、それぞれに理由はあった。
善意もあった。
だが。
「……私が」
遥がゆっくり言う。
「どうしたいか、で決めていいの?」
ハイセが眉を寄せる。
「他に誰が決めるの?」
「…………」
あまりにも当然のように返された。
遥は数秒呆気に取られ、それから小さく笑った。
「そうね」
「?」
「その通りだわ」
◇
少し時間が欲しい。
遥はそう言った。
ハイセ達は部屋の外へ出た。
綾斗だけが残る。
姉弟で話すためだった。
廊下へ出ると、クローディアが壁際に立ちながらハイセを見た。
「ハイセさん」
「何?」
「先ほどのお話」
「うん」
「ご自身の経験から?」
ハイセの表情が僅かに変わる。
「……まあ」
「嫌でしたか?」
「何が?」
「誰かに自分の人生を決められることが」
「…………」
少しだけ沈黙する。
「嫌だったよ」
淡々としていた。
だが、その声に迷いはない。
「自分のためだって言われても、納得出来なかった」
「だから遥さんには同じことをしたくない?」
「それもある」
「他には?」
「俺が勝手に決めたら」
ハイセが肩を竦める。
「助ける意味なくなるだろ」
クローディアの微笑みが、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「なるほど」
その横でカミラが腕を組む。
「ようやく人の話を聞くようになったな」
「最初から聞いてるだろ」
「エルネスタの危険な提案だけ異様に吸収が早い」
「それ関係ないだろ」
「大いに関係ある」
ヒルダが小さく笑った。
「随分育てたのね、カミラ」
「育てていない」
「え?」
ハイセが振り返る。
「俺、育てられてるの?」
「違う!」
廊下にカミラの声が響いた。
◇
部屋の中。
遥は資料を眺めていた。
綾斗は向かいに座っている。
「姉さん」
「うん?」
「どう思う?」
「怖い」
即答だった。
綾斗が少し驚く。
「そうだよね」
「失敗するかもしれないし、今より悪くなるかもしれない」
「うん」
「でも」
遥は資料へ手を置いた。
「このままも嫌」
「…………」
「ずっと誰かの都合で、自分の身体に何かが残ってるって思いながら生きるのも」
指先が僅かに強くなる。
「それで私だけじゃなくて、綾斗まで縛られるのも嫌」
「姉さん」
「あなた」
遥が弟を見る。
「私のために、色々決めようとしてたでしょう?」
「…………」
「責めてるんじゃない」
「うん」
「私も、多分同じことするから」
少し笑う。
「でもさっき言われた」
「…………」
「家族でも、本人じゃないって」
綾斗も少しだけ笑った。
「僕も言われたよ」
「ハイセさんに?」
「うん」
「変な人ね」
「かなり」
「でも」
遥が窓の外を見る。
「嫌いじゃない」
「…………」
「私のことを知らないのに」
少しだけ。
面白そうに。
「勝手に可哀想って決めなかったから」
◇
三十分ほど経った頃。
再び全員が部屋へ戻った。
遥の表情は、先ほどより落ち着いていた。
「決めた?」
ハイセが聞く。
カミラが小さく睨む。
「急かすな」
「聞いただけ」
「言い方だ」
遥が思わず笑った。
「大丈夫」
そして。
まっすぐ前を見る。
「受けます」
綾斗が姉を見る。
「本当に?」
「うん」
「無理してない?」
「してない」
「…………」
「怖いよ」
遥は正直に言った。
「でも、怖いからって今のままを選ぶのも違うと思った」
ハイセが黙って聞いている。
「成功する保証はない。失敗する可能性もある。それでも」
自分の胸元へ手を置く。
「私は、自分の身体から【赤霞の魔剣】を切り離したい」
「…………」
「誰かの計画のために利用されるのも嫌」
少し。
強い声で。
「私は」
遥が言う。
「私の人生を、私のものに戻したい」
ハイセの目が、僅かに見開かれた。
それから。
小さく笑う。
「分かった」
「それだけ?」
「うん」
「もっと何かないの?」
「じゃあ」
ハイセは少し考える。
「一緒にやろう」
遥も笑った。
「うん」
◇
そこから。
話は急速に具体化した。
遥本人の同意が得られたことで、ヒルダは生体データ取得の手続きを開始する。カミラはアルルカント側で模擬環境を作るための研究班を編成し、シルヴィアへ正式な協力開始の連絡を送ることになった。
クローディアは星導館側の資料提供と、必要な範囲での情報整理を引き受ける。
「後はこちらで動きます」
クローディアが微笑む。
「星導館内部にも、知っておいた方がよろしい方が何名かいますので」
ハイセが顔を向ける。
「大丈夫?」
「何がでしょう?」
「何か楽しそう」
「気のせいですよ」
「……そう?」
綾斗だけが。
静かに視線を逸らした。
「綾斗?」
「ううん。何でもないよ」
危険を察知する能力が、僅かに育っていた。
◇
「ところで」
遥が資料を片づけながら、ふと思い出したようにハイセを見る。
「私が自由になったら、綾斗はどうなるの?」
「姉さん?」
「だって」
遥は弟を見る。
「私のことで、リンドヴルムに出なきゃいけない理由もあるんでしょう?」
ハイセが止まる。
「…………」
クローディアも。
カミラも。
僅かに表情を変える。
「それ」
ハイセが綾斗を見る。
「遥が自由になったら、どうする?」
綾斗は一瞬答えに詰まった。
「それは……」
「出たいなら出ればいいと思う」
「…………」
「でも」
ハイセは机へ片手をつく。
「出なきゃいけない理由がなくなったなら」
一拍。
「改めて決めれば?」
綾斗が目を見開く。
遥も。
クローディアも。
そしてカミラも。
静かにハイセを見る。
「…………」
また。
選択。
同じだった。
遥が自由になれば。
綾斗もまた。
姉を理由に決められていた道から、一度降りられる。
その上で。
出るのか。
出ないのか。
本人が選び直せばいい。
「……そうだね」
綾斗がゆっくり頷く。
「その時、もう一度考えるよ」
「うん」
「…………」
クローディアの笑みが。
ほんの僅かに。
深くなった。
◇
帰り道。
カミラがハイセへ聞いた。
「満足か?」
「何が?」
「遥本人が選んだ」
「……うん」
ハイセは少し考えた。
「良かったと思う」
「そうか」
「でもまだ何も終わってない」
「その通りだ」
「次は実験」
「ああ」
「失敗する可能性もある」
「ああ」
「…………」
「ハイセ」
「何?」
「それでも」
カミラが静かに言う。
「本人が選んだ以上、私達に出来るのは、その選択が出来る限り良い結果になるよう努力することだ」
「…………」
「君が最初に研究室へ来た時と同じだよ」
ハイセが足を止める。
「あの時?」
「私は選択肢を提示した」
「……」
「決めたのは君だ」
「…………」
ハイセは暫く黙っていた。
それから。
「そっか」
小さく。
笑った。
「俺も」
「?」
「同じこと出来たんだな」
「…………」
カミラも微笑む。
「ああ」
「…………」
「少しは」
一拍。
「成長したんじゃないか?」
「上から目線だな」
「事実だ」
「やっぱ可愛げない」
「君に言われたくない」
二人は再び歩き始めた。
◇
そして。
遠く離れた場所で。
マディアス・メサは。
まだ。
自らの計画に。
決定的な変化が生じたことを知らない。
天霧遥は。
治療されることを。
誰かに命じられたわけではない。
救われることを。
誰かに決められたわけでもない。
自ら。
選んだ。
【赤霞の魔剣】から。
切り離される未来を。
自分の人生を。
自分へ取り戻すことを。
それは。
マディアス・メサの盤上において。
決して。
選ばれてはならない答えだった。
だが。
既に。
遅い。
彼女は。
駒ではなく。
一人の人間として。
盤上から降りることを。
選んだのだから。