暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
天霧遥が治療を受ける意思を示してから三日後、アルルカント・アカデミーの研究室には、普段以上に重苦しい空気が漂っていた。
壁面を埋める複数のモニターには、遥の身体データと【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】に関する解析結果が並んでいる。ヒルダが生体側の情報を整理し、カミラとエルネスタがオーガルクス側の構造を可能な限り分解していた。
シルヴィアも研究室へ招かれている。
そしてハイセは、自分の席で資料を眺めながら、しばらく無言だった。
「……やっぱり、一番の問題は実験対象か」
呟くと、ヒルダが振り返った。
「そうね。遥さん本人へ直接試すわけにはいかない以上、まずは体内の状態を模擬した環境を作らなければならない。でも――」
「ラクシャ=ナーダそのものを再現出来ない」
「その通りよ」
人体側は、ある程度まで模擬出来る。
遥の検査結果をもとに、神経反応や星辰力の流れ、異物との接続状態をモデル化することも可能だった。
しかし、問題はもう一方。
純星煌式武装(オーガルクス)である【赤霞の魔剣】だ。
一般的な煌式武装とは異なる性質を持ち、単純な材料と構造だけでは再現出来ない。まして、実物の欠片を遥から取り出して試験に使えるのなら、そもそも治療法など必要ない。
「結局、本物が特殊すぎるんだよねぇ」
エルネスタが椅子の背へ身体を預けた。
「普通の煌式武装なら、似た環境を作るだけでもかなり検証出来るんだけど」
「本物を使わずに、本物に近い反応だけ再現する必要があるわけね」
シルヴィアもモニターを眺めながら言う。
「それって、かなり難しくない?」
「難しい」
カミラが即答した。
「だから今、それをどうするか考えている」
「…………」
ハイセは黙ったまま、画面に映る【赤霞の魔剣】の解析図を見ていた。
外形。
内部構造。
ウルム=マナダイトを中心としたエネルギーの流れ。
起動時に形成される経路。
使用者との接続。
アルルカントへ来たばかりの頃なら、何を見せられているのかすら分からなかっただろう。
だが今は違う。
全てを理解出来るわけではない。
それでも。
「……カミラ」
「何だ?」
「俺さ」
ハイセが画面を指した。
「オーガルクスって、前より分かるようになったよな」
「当然だ。どれだけ研究室にいたと思っている」
「いや、そうじゃなくて」
ハイセは少し考え、右手を開いた。
「俺の【武器マスター】で、これ……作れないかな」
研究室が静かになった。
「…………何?」
最初に声を出したのはカミラだった。
「ラクシャ=ナーダ」
「待て」
「本物じゃなくていい」
「待てと言っている」
「話聞いて」
「君が突然とんでもないことを言い出した時点で警戒している!」
エルネスタの目が既に輝いていた。
「私は聞きたいなぁ」
「お前は黙っていろ!」
「でもカミラ」
ハイセは自分の右手を見る。
「【武器マスター】って、俺が理解してる武器ほど扱いやすいんだろ?」
「……少なくとも、その傾向は確認されている」
「だったら」
画面を見る。
「今の俺なら、前よりオーガルクスを“武器として理解出来る”」
「…………」
「本物の能力までは無理でも」
ハイセはゆっくり言葉を組み立てる。
「形。内部構造。エネルギーの通り道。使用者と繋がるところ」
研究室の空気が変わっていく。
「そこだけ真似出来れば」
ハイセが言った。
「治療実験に使う偽物くらい、作れるかもしれない」
◇
「……理論上は、完全に否定出来ない」
それから一時間後。
カミラは非常に不本意そうな顔でそう結論づけた。
「やった」
「喜ぶな。まだ“否定出来ない”だけだ」
「でも可能性あるんだろ?」
「ある」
「じゃあやろう」
「即決するな!」
横ではエルネスタとヒルダが、既に実験環境の設計を始めていた。
「面白いわね」
ヒルダは完全に研究者の顔になっている。
「能力そのものを複製する必要はない。遥さんとの結合現象だけ再現出来ればいい」
「つまり実物そっくりの武器じゃなくて」
エルネスタが続ける。
「“ラクシャ=ナーダが人体に接続された時の挙動を再現する実験装置”でいい」
「そういうこと」
ハイセが頷く。
「俺が作るのは武器だけ」
「そして私達が」
カミラが渋々端末へ入力する。
「その武器へ、本物の解析結果をもとにした疑似的な接続パターンを加える」
「人体側は私が作るわ」
ヒルダが言う。
「遥さんのデータを直接複製するのではなく、安全な人工モデルへ変換してね」
シルヴィアが腕を組む。
「その状態で私が干渉すれば」
「遥本人へ使う前に、どういうやり方が危険なのかを調べられる」
ハイセが答えた。
「…………」
シルヴィアは少し笑った。
「本当に研究者みたいになったわね」
「研究者じゃない」
「まだ言ってるの?」
「何で全員そこ突っ込むんだよ」
◇
最初の試みは、当然ながら簡単にはいかなかった。
隔離された実験区画。
ハイセの前には、【赤霞の魔剣】について現在分かっている限りの構造情報が表示されている。
完全な再現は目指さない。
オーガルクス固有の意思も、実際の特殊能力も必要ない。
必要なのは。
武器としての骨格。
エネルギーの経路。
使用者へ接続するための構造。
「準備は?」
カミラが防護壁の向こうから聞く。
「出来てる」
「無理だと思ったら即座に中止しろ」
「分かった」
「本当に?」
「信用ないな」
「最近の君を見ているとな」
ハイセは苦笑し、目を閉じた。
剣。
それだけなら簡単だった。
だが今回は違う。
自分が知らなかった技術で作られた武器を、理解した情報だけから組み上げる。
【武器マスター】を発動する。
意識の中で、構造を一つずつ並べていく。
刀身。
柄。
内部。
エネルギーの流れ。
ウルム=マナダイトがあるべき場所。
当然、本物はない。
その部分は【武器マスター】の力で仮の核を形成する。
「…………っ」
右手に、光が集まり始めた。
「来た!」
エルネスタが声を上げる。
「出力安定して!」
「分かってる!」
光が伸びる。
最初は輪郭すら曖昧だった。
何度も崩れる。
しかしハイセが思い描くたびに、少しずつ形を得ていった。
やがて。
一振りの武器が、その手の中に現れる。
完全な【赤霞の魔剣】ではない。
本物と比べれば明らかに不完全だった。
だが。
カミラが計測画面を見た瞬間、目を見開いた。
「……エネルギー経路が」
「一致?」
「完全ではない。だが」
指が素早く動く。
「想定していた主要経路の七割以上を再現している」
「七割!?」
シルヴィアが驚く。
「初回で?」
「本人がこれまで扱ってきた武器とは構造が全く違うはずよ」
ヒルダも画面を見る。
「とんでもない適応能力ね」
ハイセは手の中の武器を眺めた。
「……これ」
「何だ?」
「気持ち悪い」
「感想がそれか!」
「いや、本物知らないのに」
ハイセは眉を寄せる。
「何となく、“ここじゃない”って場所が分かる」
カミラが止まった。
「どういう意味だ?」
「武器として変なところ」
ハイセは擬似武器の一部を指す。
「ここ。本物のデータだと接続経路がこうなってるけど、普通に武器として考えたらおかしい」
「…………」
「人間側へ入り込むために、わざとこうなってる?」
ヒルダが素早く資料を確認する。
「……待って」
複数のデータを重ねる。
「確かに」
「何?」
「この経路」
ヒルダの顔から笑みが消えた。
「武器の出力制御だけなら不要だわ」
カミラが画面を凝視する。
「つまり」
「人体との接続に特化した構造かもしれない」
全員の視線が、ハイセの手に集まった。
「…………」
ハイセは擬似武器を見る。
「やっぱ」
「?」
「これ、武器側から人間に食い込んでるんじゃない?」
◇
そこから研究は一気に加速した。
ヒルダが用意した人工生体モデルへ、ハイセの作った擬似オーガルクスを接続する。
最初は何も起きなかった。
二度目。
疑似的なエネルギー経路を追加する。
三度目。
遥のデータから抽出した「異物への適応反応」を模擬する。
そして。
「繋がった」
ヒルダが呟いた。
モニター上で。
人工生体モデルと擬似武器の境界が、徐々に曖昧になっていく。
人体側が武器を異物として排除するのではなく、一部として取り込もうとしている。
「これが」
綾斗も見学に来ていた。
「姉さんの中で起きてること?」
「完全に同じとは言えない」
ヒルダが慎重に答える。
「でも、少なくとも近い状態を人工的に作れた可能性は高い」
「…………」
綾斗は画面を見つめる。
その横で。
ハイセだけが、妙な顔をしていた。
「どうした?」
カミラが聞く。
「……やっぱ変」
「何がだ?」
「これ」
ハイセは人工モデルへ近づく。
「見た目だと一つになってる」
「そうね」
「でも」
右手を伸ばす。
擬似武器へ触れる。
【武器マスター】。
瞬間。
ハイセの感覚が変わった。
「…………」
人工モデル。
擬似武器。
一見。
混ざり合っている。
だが。
「違う」
ハイセが呟く。
「何が?」
「これ」
擬似武器を指す。
「まだ武器だ」
「…………」
「身体の一部にはなってない」
ヒルダが息を呑む。
「ハイセ君、それが分かるの?」
「うん」
「どうやって?」
「分かんない」
「…………」
「でも【武器マスター】が」
ハイセはゆっくり言う。
「これを“武器”だって認識してる」
その瞬間。
カミラの目が見開かれた。
「境界を認識出来る……?」
「多分」
ハイセは人工モデルから手を離した。
「本人の身体が一つだと思ってても、俺から見れば別」
「…………」
シルヴィアが静かに立ち上がった。
「じゃあ」
「?」
「その境界が分かるなら」
ハイセを見る。
「私がそこに歌を届かせればいい?」
研究室から。
音が消えた。
◇
「試してみよう」
それから準備に二時間を費やした。
シルヴィアによる現象干渉は、対象を乱暴に破壊するためのものではない。
今回は特に。
切るのではない。
壊すのでもない。
ただ。
境界を明確にする。
「ハイセ」
カミラが確認する。
「境界が分からなくなったら即座に言え」
「分かった」
「シルヴィアも無理はするな」
「もちろん」
ヒルダが人工モデルを監視する。
「生体側に異常が出たら私が止めるわ」
エルネスタは各種計測器を確認した。
「記録開始」
ハイセが擬似武器へ手を触れる。
目を閉じる。
「……ここ」
指が動く。
「ここから」
人工モデルと擬似武器の境界。
「ここまで」
「分かった」
シルヴィアが息を吸う。
そして。
歌う。
柔らかな声。
戦場のための歌ではない。
何かを破壊するためでもない。
ただ。
二つのものを。
二つのものとして。
戻す。
ハイセは【武器マスター】の感覚を研ぎ澄ませる。
「……まだ」
シルヴィアが声を調整する。
「もう少し」
「ここ」
ハイセが位置を示す。
「そこだけ強い」
「分かった」
ヒルダの画面で、生体モデルの数値が僅かに変化する。
「接続率低下!」
エルネスタが叫ぶ。
「七十八……六十三……五十!」
「シルヴィア、そのまま!」
「ええ!」
「ハイセ!」
「まだ武器として認識出来る!」
「四十二……三十一……!」
誰も。
息を止める余裕すらなかった。
「二十!」
「生体側、安定!」
「十五!」
シルヴィアの歌声が。
もう一段。
強くなる。
「八!」
「…………」
「三!」
そして。
ゼロ。
小さな音を立て。
擬似武器が。
人工生体モデルから。
外れた。
「…………」
誰も。
すぐには声を出さなかった。
床に落ちる寸前。
ハイセが受け止める。
「……外れた」
呟いた。
「…………」
シルヴィアが歌を止める。
ヒルダは人工モデルの数値を確認する。
一度。
二度。
三度。
「生体側」
ゆっくり。
顔を上げる。
「損傷なし」
「…………」
エルネスタが。
満面の笑みを浮かべる。
「成功」
「待て」
カミラが即座に言った。
「一回だ」
「カミラぁ」
「一度成功しただけで治療法が確立したと思うな」
だが。
そのカミラ自身も。
笑っていた。
「再現性を確認する」
「うん」
ハイセも。
手の中の擬似武器を見る。
「じゃあ」
「?」
「何回やればいい?」
「最低でも――」
「成功するのが」
ハイセが言った。
「当たり前になるまでやろう」
カミラが少し目を見開く。
それから。
「ああ」
頷いた。
「そうしよう」
◇
実験終了後。
シルヴィアは椅子へ腰を下ろし、大きく息を吐いた。
「疲れた……」
「ごめん」
ハイセが飲み物を渡す。
「ありがとう」
一口飲んでから、シルヴィアはハイセを見る。
「ねえ」
「何?」
「あなたの【武器マスター】って」
「うん」
「武器を使うためだけの能力じゃないのね」
「…………」
ハイセは少し驚いた。
「俺も」
自分の右手を見る。
「今知った」
「…………」
「今まで」
剣。
銃。
魔物。
戦闘。
強さ。
それしか。
考えたことがなかった。
「武器を見つけるためにも使えるんだな」
「見つける?」
「人間の中に紛れてても」
ハイセは少し笑った。
「これは人じゃない。武器だって分かる」
シルヴィアも笑った。
「だったら」
「?」
「今度はその力で、人を武器から取り戻すのね」
「…………」
ハイセは何も言えなかった。
その言葉が。
妙に。
胸に残った。
◇
研究室を出る前。
ハイセはもう一度、実験台を見る。
そこには。
人体モデル。
そして。
完全に分離された擬似【赤霞の魔剣】。
二つが。
別々に存在している。
「カミラ」
「何だ?」
「これ」
ハイセは擬似武器を持ち上げる。
「解析用に残していい?」
「ああ」
「もっと精度上げたい」
「……やはり言うと思った」
「何で?」
「君は一度出来ると、次はもっと正確にやろうとするからだ」
「悪い?」
「いや」
カミラは小さく笑った。
「研究者としては正しい」
「だから研究者じゃ――」
「もう諦めろ」
「…………」
エルネスタが横から肩を叩く。
「ようこそ」
「何処へ」
「こっち側」
「行かねぇよ!」
◇
その日。
天霧遥の治療法は。
まだ。
完成していない。
安全性も。
再現性も。
本物の【赤霞の魔剣】へ。
同じ方法が通用するのかも。
何一つ。
保証されてはいない。
だが。
一つだけ。
確かなことがあった。
これまで。
誰にも。
どうすればいいのか分からなかった。
人間と武器の境界を。
一人の異世界人が。
見つけた。
武器しか扱えない。
そう思われ。
仲間から追放された少年が。
その力で。
初めて。
人間と武器を。
分ける方法を見つけた。
それは。
まだ。
小さな一歩だった。
だが。
マディアス・メサの計画にとっては。
決して。
小さな一歩ではない。
破滅へ向かうカウントダウンが。
また一つ。
進んだ瞬間だった。