暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
人工生体モデルから擬似【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】が完全に分離されてから、研究室には短い歓声が上がった。
だが、その熱気が持続したのは数分だけだった。
「では、もう一度やるぞ」
カミラの一言である。
「……今?」
シルヴィアが思わず聞き返す。
「当然だ」
「さっき成功したばかりよ?」
「だからこそだ。一度成功しただけでは、それが偶然ではないと証明出来ない」
カミラは既に次の実験条件を入力していた。
「治療に必要なのは、“成功したことがある方法”ではない。“失敗する方が珍しい方法”だ」
「……厳しいな」
ハイセが苦笑する。
「人間の身体へ使うんだぞ」
「分かってるよ」
「なら喜べ」
「何を?」
「今日から地獄の再現性試験だ」
その横で、エルネスタが嬉しそうに両手を合わせた。
「わーい」
「何で喜ぶんだよ」
「実験回数が増えるから?」
「研究者怖ぇ……」
◇
その日の二回目。
成功。
三回目。
成功。
四回目。
失敗。
擬似【赤霞の魔剣】と人工生体モデルの接続率は、三十二パーセントまで低下したところで再び上昇した。
「中止!」
カミラの声と同時に、シルヴィアが歌を止める。
ハイセも擬似武装から手を離した。
ヒルダが生体モデルの数値を確認し、異常がないことを確かめる。
「損傷なし。負荷は許容範囲」
「原因は?」
ハイセが聞く。
「まだ分からない」
カミラは記録を睨む。
「三回成功した条件とほぼ同じだ。シルヴィアの出力にも大きな差はない」
「私の感覚も、ほとんど同じだったわ」
シルヴィアも首を傾げる。
「途中まではちゃんと離れていった。でも、急に引き戻されたみたいな……」
「引き戻された?」
ハイセの表情が変わった。
「もう一回、今の記録見せて」
エルネスタが映像を呼び出す。
人工モデルと擬似武装の接続状態が時系列で表示された。
接続率七十。
五十。
三十二。
そして。
三十八。
四十六。
五十一。
「…………」
ハイセは何度も同じ区間を見直した。
「何かあるの?」
シルヴィアが隣から覗き込む。
「分からない。でも」
ハイセは画面を指す。
「ここ。外れかけた瞬間に、武器側から繋ぎ直してるように見える」
カミラが眉を寄せた。
「擬似体に、そのような機構は設定していない」
「じゃあ何で?」
「偶発的なエネルギー循環かもしれないわね」
ヒルダがデータを拡大する。
「接続率が下がったことで、人工生体モデル側が異物を失う状態へ適応しようとした。その反作用で、残った接続経路へ負荷が集中した可能性もある」
「身体の方が武器を離さなかった?」
「可能性の一つとしては」
ハイセは黙り込んだ。
やがて。
「……それ、遥本人で起きたら?」
誰もすぐには答えなかった。
「危険だ」
カミラが言う。
「途中まで分離してから再結合した場合、現在より複雑な状態になる可能性すらある」
「だったら」
ハイセは椅子から立ち上がる。
「そこを先に潰そう」
◇
翌日から、実験の目的が変わった。
成功率を上げるだけではない。
どうすれば失敗するのか。
それを調べる。
シルヴィアの出力を意図的に下げる。
接続深度を変える。
生体モデル側の星辰力を上下させる。
擬似【赤霞の魔剣】のエネルギー経路を一部だけ変更する。
時には、明らかに不利な条件をわざと作った。
「……普通、成功条件を探すんじゃないの?」
何度目かの実験中、シルヴィアが聞いた。
「成功条件も探してる」
ハイセは答える。
「でも遥本人で起きてほしくないことを、先に全部ここで起こしといた方がいいだろ」
「それ」
エルネスタが横から口を挟む。
「完全にハイセくんがいつも試作ルークスでやってることだね」
「壊れる条件探す奴?」
「そうそう」
カミラが苦い顔をする。
「普通の研究者は、試作機を逆手に持ったまま床へ落としたりしないがな」
「戦闘中なら落とすだろ」
「だから君の試験項目は増えるんだ!」
「でも役立ってるじゃん」
「それが腹立たしい!」
シルヴィアは思わず笑った。
治療法の研究をしているはずなのに、この研究室は時々、本当に何をしているのか分からなくなる。
ただ。
結果だけは。
着実に積み上がっていた。
◇
一週間。
二週間。
失敗は減っていった。
代わりに、別の問題が見つかった。
ハイセが作る擬似【赤霞の魔剣】が、日を追うごとに精密になりすぎていたのである。
「……九十一パーセント?」
自分で数字を見ながら、ハイセが呟く。
「主要構造の一致率だ」
カミラが答えた。
「初回は七割程度だった。それが今は九割を超えている」
「良いことじゃないの?」
シルヴィアが聞く。
「普通ならな」
「?」
カミラは難しい顔をした。
「だが今回、我々が作ろうとしているのは治療実験用の擬似体だ。本物の【赤霞の魔剣】そのものではない」
「精密すぎると?」
「再現出来ていない部分の影響を過小評価する危険がある」
ハイセは少し考えた。
「……つまり偽物で百回成功しても、本物だけ違う動きするかもしれない?」
「そういうことだ」
「じゃあ」
ハイセは当然のように言う。
「違う偽物も作れば?」
カミラが止まった。
「何?」
「今の擬似体が“俺達の予想通りのラクシャ=ナーダ”なんだろ?」
「ああ」
「だったら」
ハイセは手を開く。
「予想が外れてた時のラクシャ=ナーダも作る」
「…………」
エルネスタの目が輝く。
「なるほど」
「やめろ。お前が喜ぶと不安になる」
「まだ何もしてないよ!」
ハイセは構わず続けた。
「接続がもっと強いやつ。逆に弱いやつ。武器側から再結合しようとするやつ。エネルギーの流れが不安定なやつ」
「意図的に不完全な模造品を複数作る?」
ヒルダが聞く。
「うん」
「本物がどの型に近くても治療出来るように?」
「そう」
ヒルダの口元が吊り上がった。
「良いわね」
カミラは額を押さえた。
「また仕事が増えた……」
◇
その日から。
研究室には、次々と妙な【赤霞の魔剣】が生まれた。
接続能力だけが異様に高いもの。
エネルギー経路が不安定なもの。
人体側の星辰力を吸い上げるよう設定されたもの。
切り離されかけると別経路から接続を再構築するもの。
当然。
全て偽物。
本物には存在しない機能まで含まれている。
だが。
それでよかった。
治療法は、本物より扱いやすい対象へだけ成功しても意味がない。
本物以上に厄介な条件でも成立する必要がある。
「ハイセ君」
十数本目の擬似武装を見ながら、シルヴィアが引きつった笑顔を浮かべる。
「最近、悪い武器を作る才能まで上がってない?」
「治療のためだよ」
「分かってるけど」
「これとか結構嫌な出来だぞ」
「嬉しそうに言わないで」
ハイセは試作武装を持ち上げた。
「接続切った瞬間、別の場所から繋がるようにした」
「嫌!」
「だからこれを治せたら安心だろ」
「理屈は分かるけど!」
奥からカミラが声を上げる。
「シルヴィア! 諦めろ!」
「何を!?」
「こいつはもうこういう思考になった!」
「カミラの研究室で育ったんでしょう!?」
「だから育てていない!」
◇
だが。
その異常な試験方法は。
確実に成果を出した。
シルヴィアは、一律の歌い方ではなく、接続状態によって干渉方法を変えるようになった。
強く切り離せばいいわけではない。
武器側が抵抗するなら、先にエネルギーの流れを弱める。
生体側が武器を取り込もうとするなら、まず身体側の反応を安定させる。
接続経路が複数あるなら、一度に全部切るのではなく順番に外す。
最も重要だったのは。
ハイセとシルヴィアの連携だった。
「右側、まだ武器」
「分かった」
「そこじゃない。もう少し内側」
「ここ?」
「うん」
シルヴィアが歌を変える。
「接続低下!」
ヒルダが声を上げる。
「第二経路が残ってる!」
「ハイセ!」
「分かってる!」
目には見えない。
機械だけでは完全に判断出来ない。
だが。
【武器マスター】だけは。
そこに“武器”が残っていることを認識する。
「まだある」
「位置は?」
「ここ!」
ハイセが示す。
シルヴィアの歌声が届く。
接続が。
消える。
「ゼロ!」
人工生体モデルから。
武器が外れる。
「成功!」
誰かが言った。
だが。
もう。
誰も大声では喜ばなかった。
成功する。
それが。
当たり前になり始めていたからだ。
◇
三十回。
五十回。
七十回。
条件を変える。
また成功。
八十回。
九十回。
百回。
最後の擬似武装が人工モデルから分離される。
ヒルダが長い時間を掛けて数値を確認した。
「生体側、異常なし」
カミラが全実験記録を見る。
シルヴィアは椅子へ座り、さすがに疲れた様子で息を吐いた。
ハイセも。
黙っている。
「…………」
誰も。
先に言わなかった。
やがて。
カミラが端末を置く。
「百回」
静かな声。
「全て成功」
シルヴィアが顔を上げる。
「ということは?」
「少なくとも」
カミラは慎重に答える。
「我々が想定出来る範囲の接続状態については、安定して分離出来る」
「…………」
ハイセが聞く。
「遥本人に出来る?」
カミラはすぐには答えない。
「まだ最後の確認が必要だ」
「何?」
「本物との比較」
「…………」
「遥の体内に残っているものが、我々の作った擬似体とどこまで一致しているのか。そこを確認しなければならない」
「どうやって?」
ヒルダがハイセを見る。
「貴方でしょうね」
「俺?」
「【武器マスター】で」
ヒルダは遥のデータを表示する。
「実際に彼女の中にある【赤霞の魔剣】を、“武器として”認識出来るか確認する」
「…………」
ハイセの表情から笑みが消えた。
「触るだけ?」
「それ以上はしない」
カミラが即座に言った。
「その段階では治療も、能力干渉も行わない」
「分かった」
「本人の同意も改めて取る」
「うん」
「そして」
カミラは全員を見る。
「実物が我々の想定から大きく外れていなければ」
一度。
言葉を切る。
「天霧遥本人への処置を検討する」
研究室が静かになった。
二週間以上。
何度も。
何度も。
失敗する条件を探した。
危険を作った。
それを一つずつ消した。
そして。
ようやく。
治療という言葉が。
現実味を持った。
◇
「ハイセ君」
帰り支度をしていたシルヴィアが声を掛けた。
「何?」
「百回もやって気づいたんだけど」
「うん」
「あなた」
少し笑う。
「前よりずっと【赤霞の魔剣】のこと分かるようになってるでしょう?」
「まあ」
「どのくらい?」
ハイセは少し考えた。
「最初は」
自分の手を見る。
「資料見ながら作ってた」
「今は?」
「…………」
右手を開く。
意識する。
ほんの数秒。
光が形を取る。
擬似【赤霞の魔剣】。
「…………」
シルヴィアが目を見開いた。
「資料なし?」
「うん」
「ハイセ」
カミラが険しい顔で近づいてくる。
「いつから出来るようになった?」
「三日前くらい?」
「何故報告しない!」
「必要なかったから」
「必要だ!」
「ごめんって!」
カミラは擬似武装を計測器へ向ける。
数値を確認した瞬間。
その表情が変わった。
「…………」
「どうした?」
「九十四パーセント」
「?」
「主要構造の再現率だ」
ハイセが自分の手の中を見る。
以前なら。
未知の技術だった。
理解出来ない武器だった。
今は。
違う。
「……覚えたのかな」
「何を?」
「武器そのもの」
ハイセは呟いた。
カミラは答えなかった。
だが。
その目には。
明らかな警戒と。
研究者としての興味が。
同時に浮かんでいた。
◇
その夜。
誰もいなくなった研究室。
カミラだけが。
一人。
ハイセの実験記録を見ていた。
【武器マスター】。
当初。
武器を自在に扱う能力だと考えていた。
だが。
今は違う。
使う。
理解する。
模倣する。
構造を認識する。
人間と武器の境界を判別する。
そして。
学習した武器そのものを。
再構成する。
「…………」
カミラは端末へ新しい研究メモを作成した。
タイトルを入力する。
《武器マスター由来・使用者適応型煌式武装に関する基礎研究》
数秒。
眺める。
「……まだ早い」
保存だけして。
閉じた。
それが。
後に。
一人の能力を。
誰もが利用出来る。
技術へ変えるための。
最初の一行になることを。
この時。
カミラ自身も。
まだ。
知らなかった。
◇
一方。
マディアス・メサも。
知らない。
天霧遥の治療法が。
百回の模擬試験を経て。
実用化寸前まで。
到達したことを。
知らない。
自らの計画に関わる【赤霞の魔剣】が。
既に。
一人の異世界人によって。
九割以上。
模倣されていることを。
そして。
その過程で生まれた技術が。
いずれ。
アスタリスクの武装体系そのものを。
変えてしまう可能性すら。
持ち始めていることを。
処刑刀の計画は。
まだ。
動いている。
少なくとも。
本人の中では。
だが。
その外側では。
既に。
世界の方が。
次の時代へ。
進み始めていた。