【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
カミラ・パレートに案内され、ハイセは先ほどまで外から眺めていた巨大な建物の内部を歩いていた。
案内されるまま廊下を進んでいるだけなのに、どうにも落ち着かない。
理由は単純だった。
何もかもが、自分の知っている世界とは違う。
壁の材質も、天井へ埋め込まれた照明も、行き交う人間たちの服装もそうだ。廊下のあちこちには用途の分からない機械が置かれ、半透明の板のようなものへ文字や図形が浮かび上がっては、指先の動きに合わせて次々と切り替わっていく。
魔道具、と呼ぶには妙に機械的で、機械、と呼ぶにはハイセ自身にその概念がほとんどない。
「……魔道具?」
「何だ?」
前を歩いていたカミラが振り返った。
「いや、何でもない」
「そうか」
カミラは無理に聞き出そうとはせず、そのまま歩みを進めた。
ほどなくして二人が入ったのは、先ほどの作業場よりもずっと静かな部屋だった。
中央には机と椅子があり、壁際にはハイセには用途すら分からない装置がいくつも並んでいる。見たことのない場所ではあるが、研究のための部屋なのだということだけは何となく察することができた。
「座れ」
「ああ」
勧められた椅子へ腰を下ろす。
向かいへ座ったカミラは、薄い板状の端末を机へ置くと、まず確認するようにハイセへ視線を向けた。
「最初に整理しておこう。君は、自分がどこから来たのか分からないと言ったな」
「ああ」
「この街についても何も知らない」
「そうだ」
「なら、まずここがどこなのか説明しておいた方がいい」
「助かる」
カミラは頷くと、端末の画面を操作しながら口を開いた。
「ここは学戦都市アスタリスク。湖上に建設された学園都市だ」
「……学園?」
「ああ」
ハイセは先ほど外で見た光景を思い出す。
制服姿の若者たち。
剣。
銃に似た武器。
見たこともない機械。
「だから制服ばっかりだったのか」
「そういうことだ」
「でも普通に武器を持って歩いてたぞ」
「この街では珍しくない」
「…………」
しばらく考えたあと、ハイセは率直な疑問を口にした。
「治安、悪くないか?」
「それは否定しない」
「そこは否定しろよ」
思わず出た突っ込みに、カミラは特に反応するでもなく話を続ける。
「この街には六つの学園が存在する。星導館学園、聖ガラードワース学園、界龍第七学院、レヴォルフ黒学院、クインヴェール女学園。そして、我々が所属するアルルカント・アカデミーだ」
「……アルルカント」
「私の所属する学園だ。見て分かったと思うが、他の学園と比べても研究機関としての性格が強い」
それなら、先ほど巨大な研究施設のような場所で武器開発について怒鳴っていたことにも納得がいく。
「この街へ集められている学生たちは、《星脈世代》と呼ばれている」
「何だそれ」
「かつて世界へ降り注いだ万応素という未知の元素。その影響を受けて誕生した新しい世代の人類だ。一般人より遥かに高い身体能力を持ち、星辰力と呼ばれるエネルギーを扱う」
聞き慣れない言葉ばかりだった。
「魔力みたいなものか?」
「君の言う魔力がどういうものか分からない以上、同一かどうかは断定できない」
「そりゃそうか」
「ただ――」
そこまで言うと、カミラの赤い瞳が僅かに鋭くなる。
「君から感じるものは、こちらの星辰力とは違う」
「…………」
「身体を調べれば、もう少し情報が得られるかもしれない。簡単な検査をさせてもらいたい」
一瞬だけ、ハイセの身体に力が入った。
「身体を?」
「ああ」
「……好き勝手触られるのは御免だ」
「当然だ」
「…………」
「嫌ならしない」
あまりにも即答だったため、今度はハイセの方が僅かに面食らった。
「……しないのか?」
「何故すると思った?」
「研究者なんだろ」
「研究者だからこそだ」
カミラは少しも迷わない。
「被験者本人の同意すら得られない実験など、研究としてまともな条件を満たしているとは言えない。それに私は研究成果が欲しいのであって、犯罪者になりたいわけではない」
「そういうもんなのか?」
「少なくとも私はそう考えている」
その答えを聞いて、ハイセは僅かに身体の力を抜いた。
まだ完全に信用したわけではない。
けれど、少なくとも自分の意思を無視して何かをしようとはしていない。
「……簡単な検査ならいい」
「そうか」
「ただし、勝手なことはするな」
「約束しよう」
短い返事だった。
だが不思議と、ハイセにはその言葉が信用できるように思えた。
◇
検査と言っても、ハイセが警戒したようなものではなかった。
身体を切られることも、血を大量に抜かれることもない。指示された位置へ立ち、いくつかの装置から光を浴び、簡単な質問へ答える。それを何度か繰り返すだけだった。
検査が終わると、カミラは表示された数値を一つずつ確認していく。
「……やはりな」
「何か分かったか?」
「少なくとも、君は《星脈世代》ではない」
「そうか」
「だが、こちらでいう普通の人間とも違う。身体から未知のエネルギー反応が確認されている」
そこで、カミラの口元が僅かに上がった。
「面白い」
「その顔やめろ」
「何故だ?」
「完全に研究対象を見る顔してる」
「研究対象だからな」
「おい」
「安心しろ。勝手に解剖したりはしない」
「“勝手に”を付けるな」
カミラが僅かに笑う。
「冗談だ」
「研究者の冗談は笑えねぇ」
ハイセはため息を吐き、改めて椅子へ座り直した。
「で?」
「何だ?」
「俺はこれからどうすりゃいい」
帰る方法が分からない。
どころか、自分が本当に別世界へ来たのかすら、まだ確証はない。
カミラは少し考えたあと、端末を閉じた。
「君がここへ来た原因はこちらでも調べる。もし本当に世界そのものを跨いだのなら、帰還方法についても同時に調査する必要がある」
「……助かる」
「ただし、すぐに答えが出るとは思わない方がいい」
「だろうな」
「それまでの住居と生活については、こちらで手配する」
「いらない」
即答だった。
カミラが僅かに眉を上げる。
「何?」
「タダで世話になる気はねぇ」
「君はこちらの通貨も、身分証明も持っていないだろう」
「だからって、全部出してもらう理由にはならない」
ハイセは自分の腰に下げた鞄を軽く叩いた。
「少なくとも、何も持ってないわけじゃない」
そう言って鞄を机の上へ置き、中から旅に必要な最低限の道具を取り出していく。
食料。
小さな革袋に入った僅かな貨幣。
簡単な処置に使う道具。
そして。
「……これは」
カミラの視線が止まった。
ハイセが取り出したのは、一冊の古びた手記だった。
使い込まれた表紙。
長い年月を経た紙。
ブラックエンシェントドラゴンとの戦いで、自分の能力が目覚めるきっかけとなったもの。
「古い本だ」
「それは見れば分かる」
「俺の世界でも、何が書いてあるのかほとんど分からなかった」
「ほとんど?」
「ああ。一部だけ、急に読めるようになった」
カミラが目を細める。
「見てもいいか?」
「壊すなよ」
「読むだけだ」
ハイセが手記を差し出すと、カミラは慎重に表紙を開いた。
そして。
「…………」
数秒。
ページへ目を走らせたあと、何でもないことのように言った。
「英語だな」
「…………」
今度はハイセが止まった。
「何?」
「英語だ」
「……読めるのか?」
「少なくとも、ここは読める」
カミラはページの一部を指で示す。
「文字体系としては英語で間違いない」
ハイセは手記とカミラを交互に見た。
「……マジかよ」
「何だ?」
「いや……」
自分の世界では、その文字自体を理解できる人間がいなかった。
それが、全く知らない世界へ飛ばされて最初に出会った研究者には、当たり前のように読めている。
その事実が、妙に現実味を持って胸へ落ちた。
「じゃあ全部読めるのか?」
「いや」
カミラの返事は予想に反していた。
「ここから先がおかしい」
「おかしい?」
ページを捲る。
「同じ文字に見える。少なくとも表面上は英語として成立しているように見えるが……意味として認識できない部分がある」
「俺と同じか」
「君も?」
「ああ。最初はほとんど読めなかった。でも、あのドラゴンと戦ってる時に一部だけ意味が分かるようになった」
「…………」
カミラの表情から笑みが消えた。
今度は真剣な研究者の顔になる。
「なら、単なる言語の問題ではない可能性が高いな」
「どういうことだ?」
「何らかの条件によって、情報そのものへのアクセスが制限されている可能性がある。少なくとも、英語を理解しているかどうかだけでは説明できない」
「……余計分からなくなった」
「私もだ」
「研究者でも分からないのかよ」
「分からないから研究するんだ」
いかにもカミラらしい返事だった。
「それと」
カミラは表紙付近の記述へ目を落とした。
「“ノブナガ”……」
「それがこの手記を書いた奴らしい」
「日本系の名前に見えるな」
「日本?」
「ああ。こちらの世界にある国の一つだ。アルルカントにも日本出身の学生や研究員はいる」
「…………」
「詳しい者へ確認させれば、何か分かるかもしれない」
「そんな簡単に分かるのか?」
「それを調べる」
カミラの目が僅かに輝いた。
「……何か楽しそうだな」
「未知の資料だからな」
「俺にとっては命が掛かってんだけど」
「だからこそ価値がある」
「そういうところだぞ、研究者」
ハイセは半ば呆れながら手記を受け取ろうとした。
だが、その前にカミラの視線が鞄の奥へ向く。
「まだ何かあるな」
「……よく見てんな」
「研究者だからな」
「便利な言葉にしてないか?」
言いながらハイセは鞄へ手を入れ、もう一つだけ、他の荷物とは明らかに異なるものを取り出した。
灰色の宝玉。
掌へ収まるほどの大きさで、表面には石とも金属とも判別し難い鈍い光沢がある。
「これは?」
「ドラゴンを倒した時に拾った」
「…………」
「何だよ」
「拾った?」
「ああ」
「これを?」
「珍しそうだったから」
数秒。
カミラは無言でハイセを見つめた。
「……何だよ」
「お前は未知の物質を道端の石と同じ感覚で拾って持ち歩くのか?」
「売れるかもしれないだろ」
「そういう問題ではない!」
さっきまで落ち着いていたカミラが、思わず声を荒げた。
「何なんだよ……」
「貸せ」
「またそれか?」
「非破壊だ」
「絶対に壊すなよ」
「当然だ」
今度はハイセも先ほどほど警戒せず、灰色の宝玉を差し出した。
カミラは慎重に受け取ると、壁際の分析装置へ乗せる。
装置が低い音を立て、光が宝玉の表面を何度も走った。
やがて複数の数値と波形が表示される。
「…………」
カミラの表情が変わった。
先ほどまでの好奇心だけではない。
もっと強い、戸惑いに近いものが混じる。
「ハイセ」
「何だ?」
「これは本当に、生物から出てきたものなのか?」
「ああ。ブラックエンシェントドラゴンを倒した時に見つけた」
「身体のどこに?」
「胸の奥だったと思う」
カミラが画面へ視線を戻す。
「……核か」
「多分な」
「魔石とは違うのか?」
「俺にも分からない。ただ、普通の魔石とは違う気がしたから持ってきた」
カミラは何度か測定値を切り替え、別のデータと比較していく。
「構成そのものは、こちらで確認されている物質とは一致しない」
「じゃあ価値ない?」
「逆だ」
「?」
「異常すぎる」
カミラが画面の一部を拡大する。
「このエネルギー応答……マナダイト系に似ている」
「マナダイト?」
「この街で煌式武装を動かすために使われている重要な結晶だ」
「俺にはさっぱりだ」
「今はそれでいい」
さらに比較。
別の波形。
また別のデータ。
カミラの赤い瞳が、次第に鋭くなっていく。
「完全に同じではない。だが、妙だ」
「何が?」
「由来も構成も違うはずなのに、エネルギーの波形パターンが異常なほど近い」
「…………」
「別世界に存在した生物の器官と、こちらの特殊鉱物が、どうしてここまで似た反応を示す?」
「俺に聞くなよ」
「分からないから聞いているんじゃない。考えているんだ」
「声に出して俺を見るな」
ハイセが呆れたように返すが、カミラは完全に研究へ意識を奪われていた。
手記。
灰色の宝玉。
そして、世界のどこにも確認されていないエネルギーを持つハイセ自身。
それらを順番に見たあと、カミラは小さく息を吐く。
「…………」
「何だよ、その顔」
「いや」
「絶対何か考えてるだろ」
「君は随分と、高価な漂流者だと思ってな」
「人を商品みたいに言うな」
「褒めている」
「褒め方を考えろ」
もっとも、カミラの言葉にも理由はあった。
異世界から来たというだけでも十分に研究価値がある。
その本人は未知のエネルギーを持ち、意味の一部しか読めない英語の手記を携え、さらにこちらのマナダイトと酷似したエネルギー波形を持つ生物由来の宝玉まで持っている。
偶然という言葉で片付けるには、未知が多すぎた。
◇
「生活についてだが」
一通りの確認を終え、カミラは改めて話を戻した。
「ああ」
「やはり、最低限の住居はこちらで用意する」
「だから――」
「最後まで聞け」
「…………」
「君の所有物を勝手に徴収するつもりはない」
カミラは机の上に置かれた手記と灰色の宝玉へ一度視線を向ける。
「ただし、研究への協力を依頼することはできる」
「協力?」
「手記の解析。灰色の宝玉の非破壊検査。そして、君自身が許可できる範囲での身体データの提供」
「…………」
「その対価として研究協力費を払う」
ハイセは少し考えた。
「つまり、タダで面倒見るんじゃなくて、俺が協力した分だけ金を払う?」
「ああ」
「……それならいい」
「そうか」
「でも、その手記と宝玉は俺のだからな」
「当然だ」
「勝手に切ったり削ったりするな」
「君が許可しない限りしない」
「勝手に誰かへ渡すのも無し」
「約束する」
カミラは当然のことのように答えた。
「最終的に何をどこまで調べさせるかは、君が決めればいい」
「…………」
まただ。
ハイセはその言葉に、小さな引っ掛かりを覚えた。
カミラは当たり前のように、自分へ決めさせる。
何を調べるか。
何を渡すか。
どこまで許すか。
それは普通のことなのかもしれない。
だが、ハイセにとっては、その「普通」が妙に新鮮だった。
「……そうだな」
「ああ」
僅かに口元を緩め、ハイセは机の上へ手を置く。
「じゃあ、取引成立だ」
「そうだな」
カミラが手を差し出す。
「取引成立だ」
ハイセもその手を握った。
昨日までの自分なら、誰かに何かを求められれば、それに応えられるかどうかだけを考えていた。
役に立てるか。
足を引っ張らないか。
必要とされるか。
だが、今ここで交わしたものは違う。
互いに差し出せるものを提示し、互いが納得したうえで交換する。
必要とされるために自分を差し出したのではない。
自分で条件を確認し、自分で選んだ。
たったそれだけのことなのに、そのやり取りはハイセにとって妙に心地よかった。
◇
「それでは」
話が一段落したところで、カミラは再び検査結果を表示した。
「最後に一つ」
「まだあんのか」
「ああ。先ほどの検査についてだ」
「?」
「君の身体から確認された未知の反応だが、調べ直してみると、単なる生命活動によるものではない」
「…………」
ハイセの表情が僅かに変わった。
カミラはそれを見逃さない。
「何か、心当たりがあるな?」
「…………」
「答えたくなければ、今は答えなくていい」
「聞かないのか?」
「聞きたい」
「正直だな」
「当然だ」
カミラは肩を竦める。
「だが、君が話すかどうかは別の話だ」
「…………」
ハイセはしばらく黙っていた。
手記へ目を向ける。
灰色の宝玉へ目を向ける。
そして、自分の右手を見る。
数日前。
死を覚悟したあの瞬間に目覚めた力。
まだ自分ですら理解できていないものを、他人へ話すのは怖かった。
それでも。
目の前の女なら。
少なくとも、勝手に奪おうとはしない。
「……能力だ」
「能力?」
「ああ」
「名前は?」
一瞬だけ迷う。
だが、隠し続けたところで、何かが前へ進むわけでもない。
「【武器マスター】」
「…………」
その名を聞いた瞬間、カミラの赤い瞳が明らかに変わった。
未知へ向けられる研究者特有の光。
「詳しく」
「今日はもういいだろ」
「…………」
「その顔で聞かれても怖ぇよ」
「そんな顔をしているか?」
「してる」
「……そうか」
「続きはまた今度だ」
ハイセは椅子から立ち上がった。
カミラは明らかに聞きたそうな顔をしていたが、それ以上は追わなかった。
「ああ」
「…………」
「また今度でいい」
その言葉に、ハイセは一瞬だけ足を止めた。
聞かない。
無理に知ろうとしない。
それでも、自分が話すと決めた時には聞く。
昨日までの自分なら、それを特別なことだとは思わなかったかもしれない。
けれど今は、妙に心へ残った。
「ハイセ」
「何だ」
部屋を出ようとしたところで呼び止められる。
振り返ると、カミラはいつものように腕を組んでいた。
「ようこそ」
「?」
その表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「学戦都市アスタリスクへ」
「…………」
ハイセは窓の外へ視線を向けた。
見知らぬ建物。
見知らぬ街。
見知らぬ人間。
自分が本当にどこへ来たのかも、元の世界へ帰れるのかもまだ分からない。
それでも。
この街には、自分の世界では誰も読めなかった手記を「英語だ」と言う人間がいた。
ブラックエンシェントドラゴンから回収した灰色の宝玉にも、自分の知らない価値があるらしい。
そして、目の前の研究者は、自分自身すら理解できていない【武器マスター】を知ろうとしている。
元の世界では意味を持たなかったものが。
ここでは、違う意味を持つかもしれない。
未知であることが、不要である理由にはならない。
分からないなら、調べればいい。
使えないなら、使える方法を探せばいい。
そんなカミラの考え方を思い出しながら、ハイセは僅かに口元を緩めた。
「……悪くないかもな」
ぽつりと零れたその声を。
カミラは、聞こえなかった振りをした。