暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
天霧遥の本検査が行われる日。
アルルカント・アカデミーの医療研究区画には、いつもの研究室とはまるで違う緊張感が漂っていた。
中央に設置された検査台へ遥が腰掛け、その周囲には生体情報を測定する装置が並んでいる。ヒルダが医療面を担当し、カミラとエルネスタがオーガルクス由来の反応を監視する。シルヴィアも、万一の異常が起きた場合に備えて待機していた。
綾斗は姉の希望で同席している。
そしてハイセは、遥から少し離れた場所に立っていた。
「もう一度確認する」
カミラが全員を見渡した。
「今日は治療を行わない。ハイセの【武器マスター】によって、遥の体内に残る【赤霞の魔剣】の欠片を武器として認識出来るか確認し、これまでの模擬実験との一致度を調べるだけだ」
「分かってる」
ハイセが答える。
「もし途中で何か変だと思ったら?」
「即座に中止」
「遥本人がやめたいと言った場合は?」
「当然そこで終わり」
カミラは頷いた。
「よし」
隣ではヒルダが遥へ説明している。
「直接身体を切ったり、何かを注入したりはしないわ。ただ、ハイセ君が【武器マスター】を使用した状態で、貴女の中にあるものを認識出来るか確認する。多少違和感を覚える可能性はあるけれど、痛みが出たらすぐ教えて」
「分かりました」
「まだ怖い?」
綾斗が小さな声で尋ねる。
遥は正直に頷いた。
「ちょっとね」
「……姉さん」
「でも」
遥は弟へ笑った。
「私が決めたから」
それだけで十分だった。
ハイセはその言葉を聞きながら、僅かに目を細めた。
「じゃあ、始めよう」
◇
最初は通常の検査だった。
ヒルダが遥の星辰力の流れを確認し、過去のデータと現在の状態を比較する。その上で、体内に残された異物の位置を三次元モデルとして表示した。
それは明確な武器の形をしているわけではない。
欠片。
残滓。
身体の中へ食い込んだ異物。
複数の経路を通して遥の身体と結びつき、もはや単純に「ここからここまでが武器」と切り分けることが難しい状態になっている。
「……やっぱり見た目だけじゃ分からないな」
ハイセが言った。
「そうね」
ヒルダが答える。
「だから貴方を呼んだのよ」
ハイセは遥を見る。
「近づいていい?」
「うん」
「触るかもしれないけど」
「大丈夫」
「嫌だったら言って」
「分かった」
ハイセは検査台の横へ移動した。
目を閉じる。
意識を集中する。
【武器マスター】。
今までは剣を持つ時に使った。
銃を構える時に使った。
未知の武器を理解するためにも使った。
だが。
今日は違う。
目の前に武器はない。
少なくとも。
普通の人間には。
「…………」
最初は何も感じなかった。
遥という一人の人間。
星辰力。
呼吸。
鼓動。
その奥。
さらに。
深く。
「…………」
何かが。
引っかかった。
ハイセの眉が僅かに動く。
「ハイセ?」
カミラの声。
「黙ってて」
「……分かった」
ハイセは感覚を追う。
そこにある。
遥の身体と混ざっている。
だが。
違う。
これは。
人間ではない。
「…………見つけた」
全員の空気が変わった。
「本当に?」
ヒルダが聞く。
「うん」
「位置は?」
「ちょっと待って」
ハイセがゆっくり手を伸ばす。
遥の身体へ直接触れるのではなく、数センチ手前で止める。
「ここから……」
手が動く。
「この辺」
ヒルダがモニターを見る。
数秒後。
目を見開いた。
「一致してる」
「どの程度?」
「画像解析で推定していた領域と、ほぼ同じ」
エルネスタが椅子から身を乗り出す。
「すご」
しかし。
ハイセはまだ動かなかった。
「……違う」
「何が?」
カミラが問う。
「俺達が作った偽物と」
「…………」
「似てるけど」
ハイセの声が低くなる。
「本物の方が」
一瞬。
何かが。
応えた。
「っ!」
遥の身体が僅かに震える。
「姉さん!」
「動かないで!」
ヒルダが叫ぶ。
計測器の数値が跳ね上がった。
「オーガルクス側の反応上昇!」
エルネスタが画面を見る。
「何か起きてる!」
「ハイセ、離れろ!」
カミラの声。
だが。
「待って」
「何を――」
「これ」
ハイセの目が。
変わった。
「俺を見てる」
研究室が静まる。
「……何?」
「ラクシャ=ナーダ」
遥の中にある欠片。
それが。
【武器マスター】へ。
反応している。
◇
「即時中止よ」
ヒルダが言った。
「遥さんの身体へ危険が出る可能性がある」
「待って」
遥自身が止めた。
「遥?」
「痛くない」
「でも」
「変な感じはする。でも痛くない」
ヒルダは数値を確認する。
確かに生体側の危険な変化は見られない。
反応しているのは。
武器側。
「……まさか」
エルネスタが呟いた。
「オーガルクス側が、ハイセくんを使用者候補として認識してる?」
「断定するな」
カミラが即座に言う。
「だが可能性はある」
「何で?」
綾斗が聞いた。
カミラはハイセを見る。
「【武器マスター】だ」
「…………」
「ハイセが武器を認識しているだけではない」
一度、言葉を切る。
「武器側から見ても」
カミラの表情が険しくなる。
「ハイセは“武器を扱える存在”として認識されているのかもしれない」
「…………」
ハイセは黙って遥の中の反応を感じていた。
呼ばれている。
そんな感覚だった。
だが。
心地よいものではない。
「……嫌だな」
「何が?」
「こいつ」
ハイセが顔をしかめる。
「俺の方に来ようとしてる」
「え?」
遥が驚く。
「正確には分かんない。でも」
ハイセは右手を握る。
「俺なら使えるって判断してる感じがする」
「ハイセ」
カミラが低い声で言う。
「絶対に受け入れるな」
「分かってるよ」
「本当に?」
「今、遥から奪ったら意味ないだろ」
「…………」
「俺達は」
ハイセが言う。
「こいつを誰かのものにするために来たんじゃない」
遥を見る。
「遥から離すために来た」
その言葉に。
遥の表情が少し緩んだ。
◇
「だったら」
ハイセは一度距離を取った。
「逆に使えるかも」
「何を考えた」
カミラが即座に警戒する。
「俺がこいつに認識されるなら」
「…………」
「本物の構造」
自分の右手を見る。
「もっと分かるかもしれない」
「ハイセ」
「触らない」
「…………」
「取り出さない。動かさない。ただ」
ハイセは目を閉じる。
「武器として覚える」
カミラは数秒考えた。
ヒルダを見る。
「生体側は?」
「現状の反応なら許容範囲。ただし上昇したら即中止」
「シルヴィア」
「いつでも止められるわ」
「遥」
最後に。
カミラは本人を見る。
「続けるか?」
遥は少し考えた。
そして。
「続けます」
「分かった」
カミラが頷いた。
「ハイセ」
「うん」
「五分だけだ」
「十分」
「三分」
「何で減った」
「反論したからだ」
「横暴!」
「早くしろ!」
◇
三分。
ハイセは。
本物の【赤霞の魔剣】を。
感じ続けた。
形ではない。
構造。
エネルギー経路。
接続。
どこから遥へ入り込み。
どこで身体側と結びついているか。
何故。
切り離されかけると。
再び繋がろうとするのか。
「…………」
頭の中で。
今まで作ってきた。
百を超える擬似武装と。
本物が。
重なる。
「……エルネスタ」
「何?」
「第三十九型」
「え?」
「接続が切れたら」
ハイセの声が速くなる。
「別経路から回り込むやつ」
「……うん」
「あれ」
モニターが。
切り替わる。
「本物にある」
「…………」
エルネスタの顔から笑みが消える。
「カミラ」
「記録している」
「第六十二型」
「生体側の星辰力を使って接続維持する仮説モデル?」
「それもある」
「…………」
ヒルダが呆然とする。
「私達」
少し。
笑う。
「本物より酷いもの作ってたのね」
「あと」
ハイセが続ける。
「第八十七型」
「何だった?」
「分離直前に接続を一回縮めて、局所的に強くするやつ」
「ああ」
エルネスタが確認する。
「ある?」
「似てる」
「…………」
「完全に同じじゃない。でも」
ハイセはゆっくり息を吐く。
「俺達が考えた嫌なパターン」
一拍。
「だいたい合ってる」
室内が。
静かになる。
百回。
無駄ではなかった。
むしろ。
彼らは。
本物を見る前から。
本物が抵抗する方法を。
一つずつ。
先回りして潰していた。
「……つまり」
綾斗が聞く。
「姉さんの治療は?」
カミラは答えなかった。
まだ。
ハイセを見る。
「時間だ」
「分かった」
【武器マスター】を解除する。
その瞬間。
遥の中から。
何かが。
遠ざかった。
「…………」
「ハイセ?」
「大丈夫」
額に。
少し汗。
「覚えた」
「…………」
カミラが目を細める。
「何を?」
「本物」
◇
一時間後。
遥は別室で休憩し、綾斗が付き添っていた。
研究室では、ハイセ達が検査結果を確認している。
「一致率」
エルネスタが表示する。
「私達の最終模擬モデルとの比較で、主要な接続挙動は九割以上」
「予想より高いわね」
ヒルダが言う。
「しかも残りも、完全な未知ではない。既存の失敗試験の組み合わせで説明出来る範囲」
「…………」
シルヴィアがカミラを見る。
「じゃあ」
「まだだ」
「また?」
「最後まで聞け」
カミラは全ての資料を確認する。
「想定外だったのは、【赤霞の魔剣】がハイセの【武器マスター】へ明確な反応を示したことだ」
「治療中も反応する?」
「その可能性がある」
ハイセが腕を組む。
「じゃあ俺、治療中いない方がいい?」
「逆だ」
「?」
カミラが画面を指す。
「お前がいなければ、シルヴィアは境界を完全には認識出来ない」
「……そっか」
「だが」
一度、言葉を切る。
「武器がお前へ移ろうとした場合」
「止めればいい」
「簡単に言うな」
「だって」
ハイセは自分の手を見る。
「今なら分かる」
「…………」
「あいつが」
静かに。
「どこまでが遥で」
「……」
「どこからが武器なのか」
カミラはしばらく何も言わなかった。
やがて。
小さく息を吐く。
「……本当に」
「何?」
「恐ろしいほど」
苦笑する。
「この件に向いた能力だな」
「俺もそう思う」
エルネスタが笑う。
「ラクシャ=ナーダ側からしたら最悪だよね」
「何が?」
「人間と一体化して隠れてたのに」
楽しそうに。
「“お前そこにいるだろ”って見つけられた」
「…………」
ハイセも少し笑った。
「確かに」
◇
その日の夕方。
全員が再び集まった。
遥も戻っている。
「結論を伝える」
カミラが立った。
「今日の解析結果では、これまでの模擬実験と本物の【赤霞の魔剣】との間に、治療計画を根本から見直すほどの差異は確認されなかった」
遥が静かに聞いている。
「予想していなかった反応はいくつかあった。しかし、それらも既に模擬試験で対策した範囲に収まっている」
「…………」
「したがって」
カミラが遥を見る。
「安全手順と中止条件を再確認した上で」
一拍。
「治療を実行出来ると判断する」
綾斗が息を呑んだ。
「本当に?」
「ああ」
シルヴィアが微笑む。
ヒルダも。
エルネスタも。
そして。
ハイセは。
何も言わなかった。
遥が彼を見る。
「ハイセさん」
「何?」
「いよいよだね」
「うん」
「怖いけど」
「うん」
「やる」
ハイセは少しだけ笑った。
「分かった」
「…………」
「じゃあ」
遥を見る。
「今度こそ」
一拍。
「こいつに」
【赤霞の魔剣】。
「アンタの身体から」
静かに。
「ご退場願おう」
遥は。
思わず。
笑った。
「分かりました」
綾斗まで小さく笑う。
シルヴィアは肩を震わせている。
「ハイセ君」
「何?」
「治療前にそんな言い方する人、初めて見たわ」
「でも退場してもらうんだろ?」
「そうだけど!」
重かった空気が。
少しだけ。
軽くなった。
◇
その頃。
マディアス・メサは。
当然。
知らない。
天霧遥の体内に残る。
【赤霞の魔剣】。
その構造。
その接続。
その抵抗。
その癖。
全てが。
一人の異世界人によって。
既に。
武器として。
認識されたことを。
知らない。
自らの計画を支えていたはずのものが。
アルルカントの研究室で。
百を超える模造品に。
分解され。
再現され。
攻略されたことを。
そして。
ついに。
天霧遥本人から。
その武器を切り離すための。
全ての準備が。
整ったことを。
決戦は。
まだ。
始まっていない。
だが。
彼の計画にとって。
最も重要な戦いの一つは。
本人が参加することもなく。
既に。
ほとんど。
終わっていた。