暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
天霧遥の治療当日。
アルルカント・アカデミー医療研究区画には、前回の検査時とは比較にならない数の機器が持ち込まれていた。
中央の処置台には遥が横になり、その周囲をヒルダが管理する生体観測装置が囲んでいる。遥の星辰力、心拍、神経反応、そして体内に残る【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】の欠片との接続状態。その全てが、リアルタイムで複数の画面へ表示される仕組みだった。
シルヴィアは遥から数メートル離れた位置に立っている。その傍らには、能力行使の状態を解析するエルネスタ。
カミラは全体の指揮。
そしてハイセは、遥のすぐ横にいた。
「最後に確認する」
カミラが静かに全員へ告げた。
「今日行うのは【赤霞の魔剣】の欠片と天霧遥との結合を段階的に解除し、完全に分離する処置だ。ハイセが【武器マスター】によって境界と接続経路を特定し、シルヴィアがそこへ現象干渉を行う。ヒルダは生体側の保護、エルネスタは両者の状態を監視する」
誰も口を挟まない。
「模擬試験では、想定される複数の接続状態を全て突破した。前回の本体解析でも、我々の仮説と致命的な差異は認められていない。しかし、本番で何が起こるかを完全に予測することは出来ない」
カミラは遥を見る。
「今からでもやめられる」
「やります」
遥の返事に迷いはなかった。
「分かった」
次にカミラはハイセを見る。
「武器がお前へ移ろうとする可能性がある」
「ああ」
「絶対に取り込むな」
「分かってる」
「本当に?」
「何で二回聞くんだよ」
「君だからだ」
緊張していた遥が、小さく笑った。
ハイセは少し不満そうな顔をしたものの、もう一度はっきり頷いた。
「俺はあれを使うためにここにいるんじゃない。遥から離すためにいる」
「よし」
それを聞いて、ようやくカミラも頷いた。
◇
「遥さん」
ヒルダが尋ねる。
「準備は?」
「大丈夫です」
「では始めるわ」
室内の照明が少し落とされた。
シルヴィアが静かに息を吸う。
最初に響いた歌声は、とても穏やかだった。
攻撃のための歌ではない。
何かを強引に壊すための歌でもない。
今からするのは、人間の身体へ食い込んだ武器を無理矢理引き剥がすことではない。
混ざり合ってしまった二つの存在へ。
もう一度。
境界を与える。
「ハイセ」
「ああ」
ハイセも目を閉じた。
【武器マスター】。
意識を遥へ向ける。
人間。
その中へ紛れた。
別のもの。
前回よりずっと早く見つけられた。
「……いた」
ハイセが静かに言う。
「第一接続、見つけた。模擬試験の十一型に近い」
「座標を」
エルネスタが即座に応じる。
「出す」
ハイセが位置を示すと、画面上に境界線が描かれる。
「シルヴィア」
「分かったわ」
歌声が僅かに変化する。
目に見える攻撃など何も起こらない。
それでも画面上では、【赤霞の魔剣】と遥の身体を繋いでいた経路が少しずつ細くなっていった。
「接続率、九十二……八十五……七十八」
エルネスタの声。
「遥さん、生体側は安定」
ヒルダも続ける。
「そのままでいいわ」
遥は目を閉じ、静かに呼吸している。
痛みはない。
ただ。
ずっと身体の奥に存在していた何かが、少しずつ自分から遠ざかっていく。
そんな奇妙な感覚だけがあった。
「第一接続、解除」
カミラが確認する。
「次へ」
◇
二本目。
三本目。
順調だった。
模擬実験で何度も経験したパターン。
ハイセが位置を見つける。
シルヴィアが干渉する。
ヒルダが身体を守り、エルネスタが反応を監視する。
だが。
「第四接続……待って」
ハイセの声が変わった。
「どうした?」
カミラが問う。
「動いた」
「何が?」
「ラクシャ=ナーダ」
次の瞬間。
数値が跳ね上がった。
「接続率上昇!」
エルネスタが叫ぶ。
「別経路形成!」
「第八十七型!」
ハイセが即座に答える。
「予想してたやつだ!」
「なら手順通りだ!」
カミラは動じない。
「シルヴィア、出力を上げるな。一度維持しろ!」
「ええ!」
「ヒルダ!」
「遥さん側は問題なし!」
ハイセはさらに集中する。
逃げるように。
潜るように。
【赤霞の魔剣】が接続を狭め、一点へ集中しようとしている。
しかし。
「……そこだ」
見える。
分かる。
百種類以上の模造品を作った。
何度も。
嫌というほど。
同じ失敗を起こした。
「逃がさない」
ハイセが手を伸ばす。
「シルヴィア、少し右!」
「これくらい?」
「もう少し!」
歌が届く。
形成されかけた経路が崩れる。
「再接続停止!」
エルネスタが声を上げた。
「第四接続、解除可能!」
「そのまま!」
ハイセが叫ぶ。
数秒後。
「解除!」
室内に。
小さな安堵が広がった。
カミラだけはすぐに次へ意識を切り替える。
「残り二つだ」
◇
最後の接続へ到達した時だった。
それまでとは明らかに違う反応が起きた。
ハイセの右腕へ、強烈な感覚が走る。
「っ……!」
「ハイセ!」
カミラが叫ぶ。
「大丈夫!」
だが。
【赤霞の魔剣】は。
遥から離れようとしているのではない。
行き先を。
探している。
「やっぱり」
ハイセが歯を食いしばる。
「俺の方へ来ようとしてる」
モニター上で、武器由来のエネルギー反応がハイセの方向へ偏り始めた。
「能力を切れ!」
「駄目!」
「何故だ!」
「今切ったら境界見失う!」
カミラが一瞬黙った。
その通りだった。
最後の接続を解除するには、ハイセが必要だ。
だが。
【武器マスター】を維持する限り、【赤霞の魔剣】はハイセを新たな使用者として認識しようとする。
「……なら」
ハイセの中で。
何かが。
繋がった。
「ハイセ?」
カミラが嫌な予感を覚えた。
「何を考えた?」
「受け入れなきゃいいんだろ?」
「当然だ!」
「でも」
ハイセは右手を開いた。
「武器として捕まえるだけなら?」
「…………何?」
「俺に入れるんじゃない」
【武器マスター】。
意識を集中する。
「俺が作った偽物の方へ」
光が集まる。
「入れればいい」
その場に。
ハイセが何百回と作り続けた。
擬似【赤霞の魔剣】。
その最終型が。
形成された。
「…………」
エルネスタが目を見開く。
「器を作った?」
「本物が武器なら」
ハイセは擬似武装を握る。
「武器としてこっちへ誘導出来るかもしれない」
「そんなこと模擬試験では――」
「やってない」
「ハイセ!」
「でも」
ハイセはカミラを見る。
「遥の中に戻すよりマシだろ」
「…………」
カミラは数秒。
高速で考えた。
「ヒルダ!」
「生体側は限界まで余裕がある」
「シルヴィア!」
「最後の接続を維持出来るわ」
「エルネスタ!」
「武器側の反応、ハイセ君の擬似体へ偏ってる!」
全員。
答えは。
同じだった。
「……一度だけだ」
カミラが言う。
「異常が出たら即中止」
「了解」
◇
「遥」
ハイセが声を掛ける。
「何?」
「今から最後の一個外す」
「うん」
「多分」
少しだけ。
笑う。
「これで終わる」
遥も。
笑った。
「お願いします」
「よし」
ハイセは【赤霞の魔剣】の境界を掴む。
「シルヴィア!」
「いつでも!」
「ヒルダ!」
「問題なし!」
「カミラ!」
「やれ!」
歌声が。
大きく。
広がった。
最後の一本。
遥と【赤霞の魔剣】を繋いでいた。
細い。
しかし。
強固な接続。
「三十二!」
「二十四!」
「十七!」
エルネスタが読み上げる。
「九!」
ハイセへ。
武器が来る。
だが。
「こっちじゃない」
自分の身体ではなく。
手にした。
偽物へ。
「お前の居場所は」
力を込める。
「そこじゃない」
「五!」
「三!」
シルヴィアの声が。
境界を。
完全に分ける。
「一!」
そして。
「ゼロ!」
接続が。
消えた。
その瞬間。
ハイセの擬似武装へ。
小さな赤い光が。
吸い寄せられた。
「…………」
遥の身体の中。
武器反応。
ゼロ。
「ヒルダ!」
「確認中!」
数秒。
長い。
十秒。
二十秒。
誰も。
動かない。
「…………」
ヒルダが。
顔を上げる。
「分離成功」
綾斗が息を呑む。
「姉さんは?」
「生体反応安定」
ヒルダの表情が。
ゆっくり。
笑みに変わる。
「異常なし」
そして。
「天霧遥の体内から」
はっきりと。
「【赤霞の魔剣】由来の接続反応は、完全に消失したわ」
◇
しばらく。
誰も喋らなかった。
最初に動いたのは遥だった。
ゆっくり。
自分の胸元へ手を置く。
「…………」
何かが。
違う。
ずっとそこにあったもの。
言葉にすることすら出来なかった。
身体の奥へまとわりつくような。
自分ではない何か。
それが。
ない。
「……軽い」
遥が呟いた。
綾斗が姉の傍へ寄る。
「姉さん」
「綾斗」
遥は。
笑った。
「なくなった」
「…………」
「本当に」
目に。
僅かに。
涙が浮かぶ。
「なくなったよ」
綾斗は何も言わず。
姉の手を握った。
◇
一方。
少し離れた場所。
「…………」
ハイセは。
擬似武装の中央へ取り込まれた。
小さな赤い欠片を。
じっと眺めていた。
「これ」
カミラが近づく。
「本物の欠片か?」
「多分」
「動かすな」
「でももう遥と繋がってないよ」
「だからといって――」
「よし」
ハイセが擬似武装の構造を解除する。
「引っこ抜くか」
「待てハイセ!」
光で出来た外殻が消える。
その中から。
赤い。
小さな欠片が。
ぽん。
と。
ハイセの掌へ落ちた。
「…………」
「…………」
「…………」
全員が。
止まる。
「取れた」
ハイセが言った。
「…………」
綾斗が。
思わず。
呟いた。
「……解体作業?」
「そんな感じ」
「そんな感じじゃない!」
カミラの怒声が響いた。
「何故お前は最後の最後で全てを雑にするんだ!」
「ちゃんと安全確認しただろ!」
「今したのは確認ではなく勢いだ!」
「でも取れたじゃん」
「結果論だ!」
シルヴィアがとうとう吹き出した。
「ふふっ……ごめんなさい……でも……」
「笑うな!」
「だって」
目元を押さえながら。
「さっきまであんなに緊張してたのに……」
遥まで。
笑い始める。
「私も……ちょっと……」
「遥まで!?」
「ごめんなさい」
綾斗も。
とうとう。
笑った。
重苦しかった。
何年もの時間。
遥を縛っていたもの。
その最後は。
驚くほど。
呆気なかった。
◇
検査が全て終わった後。
遥は改めて。
全員へ頭を下げた。
「ありがとうございました」
「俺はそんなに」
ハイセが言う。
「あるよ」
遥が遮った。
「あなたがいなかったら」
「…………」
「私は、多分」
少し考える。
「自分で決めていいってことにも」
胸元へ手を置く。
「この身体から、あれをなくせる可能性があることにも」
「気づかなかった」
ハイセは何も言わなかった。
遥は続ける。
「本当にありがとう」
「…………」
少し。
困ったように。
「どういたしまして」
ようやく。
そう答えた。
◇
そして。
遥は綾斗へ向き直った。
「綾斗」
「うん」
「もう」
一度。
深く息を吸う。
「私のために」
はっきりと。
「王竜星武祭へ出なくていいよ」
「…………」
「姉さん」
「もちろん、綾斗が出たいなら止めない」
「…………」
「でも」
遥は弟を見る。
「私を理由にしなくていい」
綾斗は。
黙っていた。
今まで。
自分の進む道に。
姉という理由があった。
その理由が。
今。
消えた。
「…………」
やがて。
綾斗は。
小さく笑った。
「分かった」
「うん」
「少し」
ゆっくり。
「考えてみるよ」
「そうして」
遥も笑う。
「今度は」
自分が言われた言葉を。
弟へ返す。
「綾斗が決めて」
◇
部屋の隅で。
クローディア・エンフィールドは。
そのやり取りを。
静かに見ていた。
「…………」
そして。
ほんの僅かに。
笑う。
遥が自由になった。
綾斗も。
自らの意思で。
王竜星武祭への参加を。
選び直すことが出来る。
それが。
どのような意味を持つのか。
クローディアには。
十分すぎるほど。
理解出来ていた。
「クローディア?」
綾斗が気づく。
「はい?」
「……何か」
「何でしょう?」
「すごく」
一瞬。
言うか迷い。
「悪い笑い方してない?」
「まあ」
クローディアは。
にっこり。
「気のせいですよ」
「…………」
綾斗は。
追及しないことにした。
◇
その日の夜。
アルルカント。
ハイセは自分の机で。
透明な保管容器へ収められた。
【赤霞の魔剣】の欠片を。
眺めていた。
「…………」
「何を考えている?」
カミラが声を掛ける。
「いや」
「?」
「変な感じだなって」
「何がだ?」
「俺」
ハイセは右手を見る。
「昔は」
少しだけ笑う。
「武器を使えることしか」
「自分に価値がないと思ってた」
カミラは。
黙って聞く。
「でも今日」
容器を見る。
「武器を使わないことで」
「一人助けた」
「…………」
「変なの」
「そうか?」
「うん」
「私は」
カミラが静かに言う。
「良い変化だと思う」
ハイセが彼女を見る。
「そう?」
「ああ」
「…………」
「武器を使えることも」
「……」
「使わないことを選べることも」
「……」
「どちらも」
少し微笑む。
「君の力だ」
「…………」
ハイセは。
しばらく。
何も言わなかった。
やがて。
「ありがと」
小さく。
答えた。
◇
そして。
同じ夜。
マディアス・メサは。
まだ。
知らない。
天霧遥の体内から。
【赤霞の魔剣】の欠片が。
完全に。
切り離されたことを。
知らない。
遥自身が。
自らの意思で。
盤上から。
降りたことを。
知らない。
天霧綾斗が。
王竜星武祭へ参加する理由を。
一つ。
完全に。
失ったことを。
誰も。
彼へ挑戦状など。
叩きつけてはいない。
誰も。
決戦を宣言してはいない。
ただ。
一人の少女が。
自分の身体を。
自分のものへ戻した。
それだけ。
だが。
その瞬間。
マディアス・メサが。
長い時間をかけて。
組み上げてきた計画から。
巨大な支柱が。
音もなく。
一本。
抜け落ちた。
本人の。
預かり知らぬところで。