暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
天霧遥の治療が成功してから数日が経った。
アルルカント・アカデミーでは、彼女の経過観察と並行して【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】の研究が続けられていた。遥の体内から分離された欠片は厳重に管理され、ハイセが作り上げた擬似体との比較解析も進んでいる。
そんな中、星導館学園から一通の連絡が届いた。
送り主はクローディア・エンフィールド。
内容は簡潔だった。
――天霧綾斗が、王竜星武祭への参加について改めて話をしたい。
「……決めたのかな」
端末を覗き込んだハイセが呟くと、カミラは手元の資料から視線を上げた。
「恐らくな。遥の事情が変わった以上、彼自身も一度立ち止まる必要があるだろう」
「出ないって言ったら?」
「本人の自由だ」
「だよな」
ハイセはそれだけ答えて、再び端末へ目を落とした。
以前なら、強い相手が大会へ出ないと聞けば残念に思ったかもしれない。しかし今は少し違う。綾斗が何を選ぶのか。それを本人が決められる状態になったことの方が、ハイセには重要だった。
とはいえ。
「……出ないなら」
ハイセが小さく呟く。
「何だ?」
「いや」
「言え」
「……その代わりって、誰か出られるのかなって」
カミラが嫌な予感を覚えたように目を細めた。
「ハイセ」
「何?」
「今、何を考えた?」
「別に」
「君がそう言う時は、大体何か考えている」
「信用ないな」
「実績がある」
ハイセは少し不満そうな顔をしたものの、否定はしなかった。
◇
数日後。
星導館学園の生徒会室には、以前とほぼ同じ顔ぶれが集まっていた。
クローディア、綾斗、遥。そしてアルルカントからはカミラとハイセ。今回は研究の話ではないため、エルネスタとヒルダは同行していない。
遥の体調は安定していた。治療直後より顔色も良く、身体の奥にあった違和感も日を追うごとに薄れているという。
「改めて、ありがとうございました」
遥がそう言って頭を下げると、ハイセは少し困ったように肩を竦めた。
「もう何回目だよ」
「何回言ってもいいでしょう?」
「別にいいけど」
「では何度でも言います」
「強いな、この人」
隣で綾斗が小さく笑った。
「姉さん、一度決めたら結構頑固だから」
「綾斗?」
「何でもない」
姉の視線を受け、綾斗は即座に前を向いた。
そんなやり取りをクローディアは楽しそうに眺めていたが、やがて紅茶のカップを静かに置いた。
「では、本題に入りましょうか」
空気が少し変わる。
クローディアに促され、綾斗はハイセたちを見た。
「僕は、今回の王竜星武祭には出ないことにした」
ハイセは何も言わなかった。
ただ、その答えを受け止める。
「理由を聞いてもいい?」
「ああ」
綾斗は少し考えてから答えた。
「姉さんを助けるために必要だと思っていたことが、一つなくなった。それでも出場したいかって考えたんだ」
「うん」
「もちろん、戦いたい相手はいるし、王竜星武祭そのものに興味がないわけじゃない。でも、今は無理にここで出る必要はないと思った」
遥は弟を見ながら、何も言わずに微笑んでいる。
「だから今回は出ない。次にまた、自分が本当に出たいと思った時に挑戦するよ」
ハイセは少しだけ笑った。
「そっか」
「うん」
「ならいいんじゃない?」
「……それだけ?」
「何か言った方がいい?」
「いや」
綾斗も笑った。
「何となく、ハイセならそう言うと思ってた」
その言葉に、カミラの口元が僅かに緩んだ。
以前のハイセなら、強い人間が戦わないことを勿体ないと思ったかもしれない。しかし今は、力を持っていることと、それを使うことを同じだとは考えなくなっている。
それは、遥の治療でも証明されたばかりだった。
だが。
「じゃあ」
ハイセが姿勢を変えた。
「一個聞いていい?」
「何?」
「綾斗が出ない場合」
一瞬だけ間を置いて。
「その分、俺が出る方法ってある?」
「…………」
綾斗が瞬きをした。
遥も。
カミラも。
そしてクローディアだけが、少し楽しそうに目を細めた。
◇
「ハイセ」
最初に口を開いたのはカミラだった。
「理由を説明しろ」
「俺が出たいから」
「それだけか?」
「半分」
「残り半分は?」
ハイセは少し考えた。
「マディアス」
その名前が出た瞬間、部屋の空気が僅かに重くなった。
「遥が自由になったから、綾斗を使う理由は一つ消えた。でも、あいつの計画そのものがなくなったわけじゃないんだろ?」
クローディアが静かに頷く。
「そうですね。重要な前提条件が崩れたことは確かですが、それだけで諦める人物とは考えにくいでしょう」
「だったら」
ハイセは机へ片肘をついた。
「次に何するか分かんない奴を放置するより、俺が大会に入って邪魔出来る位置にいた方がいい」
「……邪魔出来る位置」
綾斗が苦笑する。
「随分直接的だね」
「だってそいつ、俺達に好かれることしてないだろ?」
「それは否定しません」
クローディアが柔らかく微笑む。
その笑みを見た綾斗は、一瞬だけ何かを察したように視線を逸らした。
「ただし」
クローディアは続ける。
「王竜星武祭の参加権は、物のようにそのまま譲渡出来るわけではありません」
「やっぱり?」
「ええ。綾斗が辞退したからといって、『ではその席をハイセさんへ』とはいきません」
「そりゃそうか」
「ですが」
クローディアの笑みが僅かに深くなる。
「方法がないとは申し上げていません」
カミラが目を細めた。
「何を考えている?」
「特別な事情による参加者の変更、推薦、そして学園側との調整。制度上処理すべき項目はいくつかありますが、ハイセさん自身の戦績とアルルカントでの研究協力実績を考えれば、交渉の余地は十分にあるでしょう」
「……出来るの?」
「出来るようにする、という方が正確でしょうか」
「クローディア」
綾斗が少し引きつった表情になる。
「今、すごく楽しそうだね」
「気のせいですよ」
「最近その言葉よく聞くなぁ……」
ハイセはクローディアを見ながら、ふと思った。
ディルクとは全く違う。
だが。
こういう顔をする人間は、大抵すでに何か考えている。
「何が必要?」
「まずは正式な参加意思です」
「出たい」
「即答ですね」
「聞いたのアンタだろ」
クローディアは小さく笑った。
「では、こちらで必要な手続きを調整しましょう」
カミラがすぐに口を挟む。
「待て。アルルカント側でも確認する必要がある」
「もちろんです」
「本人の戦力評価もだ」
「…………」
ハイセがカミラを見る。
「何?」
「君」
カミラは真顔だった。
「出ると言えば、そのまま出られると思っていたのか?」
「ちょっと」
「ちょっと!?」
◇
星導館から戻ったその日の夕方。
ハイセはアルルカントの実戦訓練区画へ呼び出された。
そこにはカミラ、エルネスタ、そして何故かヒルダまでいた。
「何でヒルダまでいるの?」
「呼ばれたから」
「誰に?」
「私」
エルネスタが手を上げる。
「何で?」
「後で分かるよ」
嫌な予感しかしない。
ハイセがカミラを見ると、彼女は巨大なモニターへ王竜星武祭の参加候補者や過去の戦闘データを表示していた。
「先ほど、君が王竜星武祭へ出たいと言った」
「ああ」
「なら確認する」
カミラはハイセを見る。
「勝つつもりか?」
「出るなら」
「参加するだけではなく?」
「当然」
ハイセの答えに迷いはなかった。
カミラは頷き、映像を切り替えた。
「なら、まず現実を見ろ」
表示されたのは、これまでハイセが何度も見てきたアスタリスクの上位戦力だった。
星辰力。
身体能力。
武装。
特殊能力。
そしてオーガルクス。
「君は強い」
カミラが言う。
「異世界での戦闘経験も豊富だ。【武器マスター】による対応力も高く、この世界へ来た当初より遥かにオーガルクスへの理解も深まった」
「うん」
「だが」
画面が切り替わる。
「王竜星武祭を最後まで勝ち抜く前提なら、今の君では安定しない」
ハイセの表情から、僅かに笑みが消えた。
「勝てない?」
「そうは言っていない」
「じゃあ?」
「勝てる相手も多い。だが“必ず勝つ必要がある状況”に投入するには、穴がある」
エルネスタが横から説明を引き継いだ。
「ハイセ君の強みって、対応力なんだよね。武器を変えられる。相手に合わせられる。実戦経験もある。でも逆に言えば、相手が対応そのものを許さないタイプだった時に困る」
「初手から?」
「そう」
エルネスタは映像の一部を拡大した。
「圧倒的な出力。未知の能力。こちらの判断より先に状況を固定される戦い。そういう相手だと、武器を選び直す前に終わる可能性がある」
「…………」
ハイセは黙って映像を見る。
言われている意味は分かった。
自分は色々な武器を使える。
だが。
それは。
何でも出来るという意味ではない。
「それに」
カミラが続ける。
「今回の目的は単なる大会優勝だけではない」
「マディアス」
「ああ」
「相手が何するか分からない」
「そうだ」
普通の試合なら。
負ければ終わり。
だが今回。
負けた先で何が起こるか。
誰にも分からない。
「だから」
ハイセはゆっくり言う。
「出来るだけ穴を消したい?」
「そういうことだ」
ハイセはしばらく黙っていた。
そして。
「何が足りない?」
そう聞いた。
◇
カミラはすぐには答えなかった。
代わりに、エルネスタが別の資料を開いた。
「まず、身体性能」
「…………」
「君の【武器マスター】は、使う武器に合わせて身体の動きをかなり最適化する。でも、身体そのものの上限を消してくれるわけじゃない」
「筋力とか?」
「それも。反応速度、神経伝達、星辰力への適応。それから」
エルネスタは少し笑った。
「今の君が持ってない種類の能力への対応力」
ハイセの眉が動く。
「能力そのもの?」
「そう」
「後から覚えられるって話?」
「覚えるだけじゃ足りない」
今度はヒルダが口を開いた。
「第十四話――じゃないわね」
「何の話?」
「こっちの話よ」
ヒルダは咳払いを一つし、画面へ人体モデルを表示した。
「以前話したでしょう? 外部から技能を与えても、その技能を再現出来る身体がなければ意味がないと」
「覚えてる」
「今の貴方は、剣術を学べる可能性がある。歌による能力行使の理論を理解することも出来るかもしれない。でも」
シルヴィアの姿が頭に浮かんだ。
綾斗の剣も。
「今の身体が、それを使うようには出来てない?」
「その通り」
ヒルダは笑う。
「ようやく、この話を本気で考える理由が出来たわね」
カミラが険しい目を向ける。
「楽しそうに言うな」
「研究者としては楽しいもの」
「本人の人生が掛かっている」
「だから本人に決めてもらうんでしょう?」
その言葉に。
カミラは反論しなかった。
◇
ハイセはしばらく、自分の手を見ていた。
天霧綾斗の剣。
ずっと好きだった。
美しいと思った。
だが。
以前は、必要ではなかった。
だから選ばなかった。
シルヴィアの歌も同じだ。
自分自身の在り方を現実へ作用させる力。
格好いいと思った。
興味もある。
それでも。
必要だから欲しいわけではなかった。
今までは。
「もし」
ハイセが口を開いた。
「綾斗の剣を学べたら」
「対応力は大きく上がる」
エルネスタが答える。
「武器の扱い方だけじゃなくて、相手を見て自分を変える判断そのものを学べれば、かなり大きいよ」
「シルヴィアの能力は?」
ヒルダが答える。
「現象干渉という意味では、君が今持っていない種類の選択肢になるでしょうね」
「……つまり」
ハイセは少し笑った。
「俺が気に入ったもの、ちょうど全部足りないところに刺さってる?」
「恐ろしいくらいね」
カミラが小さく息を吐いた。
「偶然にしては出来すぎている」
「じゃあ」
ハイセは顔を上げた。
「出来る?」
ヒルダの目が細くなる。
「何を?」
「俺に」
一度。
言葉を選ぶ。
「綾斗の剣と、シルヴィアの歌を使えるようにすること」
研究室が静まり返った。
以前なら。
エルネスタが冗談半分に振った話だった。
面白そう。
出来るかもしれない。
その程度。
だが。
今は違う。
「出来る可能性はある」
ヒルダが答えた。
「ただし」
その声から、いつもの軽さが消えた。
「今の貴方へ、そのまま追加するだけでは無理よ」
「…………」
「技術を入れるだけでは足りない。身体の方を、それらが使える器へ作り替える必要がある」
ハイセは黙って聞く。
「星辰力へ適応する身体。高度な運動情報を即座に処理出来る神経系。歌による現象干渉を成立させるための発声と呼吸。そして、それらを同時に扱っても壊れない身体」
ヒルダの指先が、人体モデルへ触れた。
「部分的な強化ではないわ」
骨格。
筋肉。
神経。
エネルギー経路。
声。
身体そのもの。
「必要なら」
ヒルダはハイセを見た。
「貴方という人間の身体を」
一拍。
「一から設計し直す」
沈黙。
エルネスタですら。
笑っていなかった。
◇
「ハイセ」
カミラが静かに呼んだ。
「今すぐ答える必要はない」
「…………」
「王竜星武祭へ出るために、そこまでの代価を払う必要があるのか。まず考えろ」
「うん」
「勝つことと、自分を粗末に扱うことを混同するな」
「分かってる」
「本当に?」
ハイセはカミラを見る。
以前も。
同じことを言われた。
対価を払うことと。
自分を粗末にすることは。
同じではない。
「だから」
ハイセはゆっくり言った。
「まだ決めない」
ヒルダが少し意外そうに眉を上げた。
「そう?」
「ああ」
「すぐやるって言うと思ってたわ」
「前なら言ったかも」
ハイセは苦笑した。
「でも」
自分の身体を見る。
「これが何を失う話なのか」
そして。
何を得るのか。
「全部聞いてから決める」
カミラの表情が。
少しだけ。
緩んだ。
「それでいい」
◇
その夜。
ハイセは一人。
研究室に残っていた。
端末の画面には。
天霧綾斗。
シルヴィア・リューネハイム。
二人の映像が並んでいる。
綾斗の剣。
何度見ても。
美しい。
シルヴィアの歌。
以前は。
ただ変な能力だと思っていた。
今は。
違う。
あの剣も。
あの歌も。
欲しい。
だが。
強いからではない。
綾斗の剣を。
自分の剣として。
学びたい。
シルヴィアの歌を。
自分自身の在り方で。
現実へ届かせたい。
それが。
結果として。
必要な力になるのなら。
「…………」
ハイセは。
ヒルダから渡された資料を開いた。
そこには。
まだ。
仮の名前しかない。
人体再構築。
技能定着。
能力適応。
星辰力経路形成。
どれも。
成功が保証された技術ではない。
どれも。
今の自分を。
そのまま残すことを。
約束してはいない。
それでも。
ハイセは。
ページを閉じなかった。
◇
研究室の外。
カミラは。
扉の前で。
少しだけ立ち止まっていた。
中へ入るつもりはない。
今。
決めるべきなのは。
ハイセだからだ。
自分は。
選択肢を提示することしか出来ない。
以前。
この世界へ来たばかりの少年に。
そうしたように。
だが。
あの時とは。
違う。
「…………」
カミラは。
僅かに目を伏せた。
今度の選択が。
ハイセという人間そのものを。
大きく変える可能性があることを。
彼女は。
理解していた。
そして。
だからこそ。
恐れていた。
同時に。
信じてもいた。
ハイセなら。
自分で。
選ぶ。
そのことだけは。
もう。
疑っていなかった。