暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
王竜星武祭への出場を決めた翌日、ハイセは再びヒルダから呼び出された。
場所は、普段使っている研究室ではない。アルルカントの地下深くに設けられた隔離研究区画だった。認証を何度も通され、最後にはカミラですら見たことのない形式の封鎖扉をくぐったところで、ハイセはさすがに足を止めた。
「なあ」
「何かしら?」
「俺、強くなる方法を聞きに来たんだよな?」
「そうよ」
「何で秘密基地みたいなところに連れてこられてるの?」
前を歩いていたヒルダが振り返り、いつもの不穏な笑みを浮かべる。
「キヒヒヒ。これから見せるものが、普通の研究室へ置いておける代物ではないからよ」
「帰っていい?」
「駄目だ」
後ろからカミラに即答され、ハイセは肩を落とした。
同行しているのはカミラとエルネスタだけだった。シルヴィアや綾斗にはまだ何も伝えていない。そもそも現段階では、本人達へ協力を求める以前の問題――ハイセという人間が、二人の技能や能力を受け止められる存在になれるのかを確認する必要がある。
封鎖区画の最奥へ到着すると、ヒルダは一台の端末を起動した。
何の変哲もない画面だった。
少なくとも最初は。
「これが私の切り札よ」
ヒルダが小型の記録媒体を取り出し、端末へ接続する。
表示された名称は、たった二文字だった。
【雛形】
「……ひながた?」
「量子AIシステム用の拡張パッチだ」
説明したのはヒルダではなく、カミラだった。ただし、その表情は露骨に険しい。
「私は今日初めて存在を聞かされた」
「怒ってる?」
「当然だ!」
カミラはヒルダを睨む。
「こんなものを個人で保有している時点で問題だ。外部へ露見すれば、研究倫理以前の騒ぎになるぞ!」
「だから隠しているのよ」
「堂々と言うな!」
エルネスタはというと、怒るどころか既に端末の横へ陣取っていた。
「ねえねえ、早く起動しようよ」
「お前は少し警戒しろ!」
「してるよ?」
「目が輝いている!」
ハイセは三人のやり取りを眺めてから、改めて画面へ目を向けた。
「で、これ何するものなの?」
ヒルダが笑みを深くした。
「人間を設計するのよ」
その一言だけで、室内の空気が変わった。
◇
【雛形】の原型となったのは、人間の感情・反応・行動を高度に予測するための量子AIシステムだった。
ヒルダはその仕組みを人体工学へ転用した。
身体データ、神経情報、星辰力の経路、遺伝情報、戦闘時の運動記録。さらに特定の技能や能力を使用した際の反応まで入力し、「目的とする性能を持つ人間を成立させるには、身体をどう設計すればよいか」を仮想空間上で試行させる。
「普通に計算したら何年掛かるか分からない組み合わせを、こいつなら同時並行で潰していけるわ」
ヒルダが操作すると、画面に人体模型が表示された。
「例えば天霧綾斗の剣術をハイセ君へ定着させる場合、単純に動作記録だけ入れても意味がない。反応速度、関節可動域、筋肉の連動、視覚情報の処理速度。元の身体で再現出来なければ、技能データがあっても身体が追いつかない」
「前に聞いた話だな」
「ええ。でも【雛形】なら、その不足を一つずつ修正した身体構造を仮想的に作れる」
別の人体モデルが表示される。
「筋肉を増やし過ぎれば重量が増える。神経伝達速度を上げれば別の負荷が増える。星辰力を扱う経路を追加すれば、既存の【武器マスター】との干渉も考えなければならない。その全てを並行して計算する」
ハイセは黙って画面を見ていた。
今まで自分達が煌式武装に対してやってきたことに似ている。
重量を変える。
重心を変える。
使用者に合わせる。
壊れる条件を探し、直す。
ただし。
今度の対象は武器ではない。
「俺自身を、試作機みたいに扱う?」
「乱暴に言えばね」
「ヒルダ」
カミラの声が低くなる。
「本人の前でその言い方をするな」
「別にいいよ」
ハイセは画面を見たまま答えた。
「分かりやすい」
「…………」
「でも」
そこで初めてヒルダを見る。
「シミュレーションで上手くいったからって、本当に成功するの?」
「保証は出来ない」
「やっぱり?」
「当然でしょう」
ヒルダの笑みが少し消えた。
「【雛形】が出すのは最適解ではない。大量の失敗例を仮想的に作った上で、“現時点で最も成立する可能性が高い設計”を出すだけよ」
「……なるほど」
「だから最後に決めるのは人間」
ヒルダはハイセをまっすぐ見る。
「貴方よ」
◇
まず入力されたのは、ハイセ自身のデータだった。
【武器マスター】使用時の身体反応。これまで扱ってきた武器の記録。オーガルクス解析時に見せた適応。そして【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】を模倣する過程で得られた、武器構造そのものを学習する能力。
画面の中で、無数の数値が流れ始める。
「……多いな」
「貴方、アルルカントへ来てからかなり実験しているもの」
「誰のせいだと思ってる?」
「半分くらい自分からでしょう?」
否定出来なかった。
次にエルネスタが、綾斗の戦闘記録から抽出した運動情報を仮入力する。もちろん現段階で使っているのは研究利用可能なデータだけで、技能そのものを定着させるための詳細情報ではない。
それでも【雛形】はすぐに反応した。
人体模型が動く。
骨格が調整され、筋肉の配置が変わる。視覚処理と神経伝達に関する数値も次々と書き換わっていった。
「綾斗の剣だけなら?」
ハイセが尋ねる。
「かなり現実的」
ヒルダが結果を見る。
「【武器マスター】との相性が良すぎるわね。元々、異なる武器へ身体を適応させる素地がある。身体性能を星脈世代相当に引き上げれば、技能定着そのものはかなり高い水準まで狙える」
「じゃあ問題は」
「シルヴィアね」
ヒルダが新しい仮想データを入力した。
その瞬間だった。
それまで安定していた人体モデルに、大量の警告表示が現れる。
「……真っ赤じゃん」
「そうなると思ったわ」
カミラが眉を寄せる。
「何が問題なんだ?」
「全部」
「雑だな!」
「本当に全部なのよ」
ヒルダは画面を拡大した。
歌を媒介とする現象干渉。
その再現には発声だけでなく、呼吸、神経系、星辰力経路、能力を現象へ変換するための身体側の構造まで必要になる。
「しかも今回欲しいのは、“似た能力”ではないのでしょう?」
ヒルダが問う。
「どういう意味?」
「貴方がシルヴィアの歌から学びたいのは、声を出して何かを起こせるだけの安い模造品?」
「違う」
ハイセは即答した。
「本人の歌みたいに」
少し考えてから続ける。
「自分自身で現実へ届く力が欲しい」
「なら身体から作り直すしかない」
ヒルダは再びシミュレーションを開始した。
◇
一時間。
二時間。
三時間。
【雛形】は何千、何万という人体設計を作り、壊した。
神経系が耐えられない。
星辰力経路が競合する。
発声能力を優先すると戦闘時の身体性能が低下する。
戦闘能力へ偏らせれば現象干渉の再現率が落ちる。
そのたびに設計を変更し、もう一度試す。
「すごいな」
ハイセは素直に呟いた。
「怖くないの?」
エルネスタが尋ねる。
「怖いよ」
「そう?」
「画面の俺、さっきから何百回死んでると思ってんだ」
「そこはちゃんと怖いんだね」
「当たり前だろ!」
エルネスタが笑った。
だが、その隣でカミラは笑っていなかった。
彼女が見ているのは、成功率ではない。
人体模型が変わっていく過程だった。
「……ヒルダ」
「何?」
「今の設計」
「ああ」
ヒルダも気づいている。
画面上の人体モデルは、最初に入力されたハイセの身体から明らかに変化していた。
背格好こそ極端には違わない。
しかし骨格、筋肉配置、声帯を含む発声器官。そして体内の星辰力経路まで、既存の身体とは異なる形へ収束している。
何より。
その外見は。
「女性型……?」
ハイセが呟いた。
「そうなるわね」
ヒルダは平然と答えた。
カミラが睨む。
「説明しろ」
「誤解しないで。女の方が歌に向いている、なんて単純な話ではないわ」
ヒルダはシルヴィア由来の仮想データと人体模型を並べた。
「今回採用しようとしている方式が、シルヴィア自身の細胞構造や星辰力経路を基準に能力を再現する方法だからよ。能力の再現率を上げていった結果、【雛形】が元データへ近い身体構造を選び始めた」
「男のままじゃ無理?」
「不可能ではない」
「成功率は?」
数字が表示された。
ハイセが少し顔をしかめる。
「低いな」
「現象干渉能力だけなら、もっと上げられる。でも綾斗の剣術、【武器マスター】との並列処理、星脈世代化まで全部載せるなら話は別」
ヒルダが女性型モデルを表示する。
「現時点で最も安定するのは、これ」
ハイセは画面を見つめた。
知らない少女だった。
だが。
数値の中心には。
自分の名前がある。
◇
「身体の変更は性別だけでは済まない」
今度はカミラが、ヒルダに代わって一つずつ確認していった。
骨格。
筋肉。
内臓。
神経系。
星辰力を扱うための新たな経路。
声。
場合によっては感覚そのもの。
施術後に元の身体へ完全に戻せる保証はない。能力が定着した後、長期的にどのような影響が出るかも分からない。
ハイセは黙って聞いていた。
「それから」
ヒルダが補足する。
「綾斗君とシルヴィアの技能を学習する方法にも危険がある」
「人格まで入る?」
「それは避ける」
ヒルダは即座に答えた。
「【雛形】で欲しいのは技術情報よ。判断パターン、運動、呼吸、能力行使。人格をコピーする必要はないし、するべきでもない」
「じゃあ俺は俺のまま?」
「そこは保証出来るよう最大限設計する。ただし、技能が身体へ定着すれば動作の癖や反射へ影響が出る可能性はある」
「それはいい」
「ハイセ」
カミラが止める。
「一つずつ考えろ」
「考えてるよ」
「なら最後まで聞け」
ハイセは素直に黙った。
それからさらに一時間。
全ての危険。
失う可能性があるもの。
得られる可能性があるもの。
ヒルダは珍しく、都合の悪い部分まで隠さず説明した。
そして最後に。
「これが」
人体模型を見ながら。
「今の私達が作れる、貴方の次の身体よ」
画面には、完成予測モデルが立っていた。
細身の身体。
女性型の骨格。
高い星辰力適応。
綾斗の剣術を受け止める運動性能。
歌による現象干渉を成立させる発声・呼吸器官。
そして。
その全てを束ねる。
異世界由来の【武器マスター】。
「…………」
ハイセは長い間。
画面を見つめていた。
◇
「休憩しよう」
カミラが言った。
ヒルダとエルネスタは抵抗せず、先に部屋を出ていった。
残ったのはハイセとカミラだけだった。
「……どう思う?」
ハイセが尋ねる。
「私に聞くな」
「意見くらい」
「意見なら言える」
カミラは隣へ立った。
「危険だ」
「うん」
「失うものも大きい」
「うん」
「私は研究者として、成功した姿を見たいとも思っている」
ハイセが少し驚いた。
「言うんだ」
「隠して善人ぶる方が嫌いだ」
「…………」
「だが」
カミラはハイセを見る。
「それと、君にやってほしいかは別だ」
静かな声だった。
「王竜星武祭に勝つためだけなら、私は止める」
「…………」
「マディアスを止めるためだけでもだ」
ハイセは何も言わない。
「その二つが終わった後」
カミラは続ける。
「その身体で生きていくのは君だ」
戦いが終わっても。
研究が終わっても。
元の世界へ帰ったとしても。
残るのは。
ハイセ自身。
「だから聞く」
カミラは、かつてと同じように。
「君は」
ハイセを見た。
「どうしたい?」
その問いに。
ハイセは。
少しだけ笑った。
◇
「怖いよ」
最初に出た答えは、それだった。
「身体が変わるのも。失敗するのも。戻れなくなるかもしれないのも」
「ああ」
「でも」
ハイセは画面へ目を向ける。
「俺、綾斗の剣が好きなんだ」
「知っている」
「シルヴィアの歌も、今は好きだ」
「それも知っている」
「…………」
「随分見ているからな」
「そこは言わなくていい」
少しだけ笑い合う。
それからハイセは、もう一度自分の身体を見た。
「男であることを嫌ってるわけじゃない」
「…………」
「今の身体が嫌いなわけでもない」
だから。
捨てるのではない。
嫌だから壊すのでもない。
「でも」
ハイセはゆっくり息を吐いた。
「俺が欲しい未来に、この身体じゃ届かないなら」
カミラが黙って聞く。
「身体の形も」
「……」
「声も」
「……」
「性別も」
一つずつ。
自分で確認するように。
「必要な対価なら払う」
「…………」
「ただし」
ハイセはカミラを見る。
「自分をどうでもいいと思ってるからじゃない」
その言葉に。
カミラの目が僅かに動いた。
「むしろ逆」
「……」
「これからの俺に必要だから」
少し笑う。
「俺が選ぶ」
カミラは。
長い間。
何も言わなかった。
やがて。
「そうか」
静かに。
頷いた。
「なら」
それ以上。
止めなかった。
◇
再びヒルダ達が呼び戻された。
「答えは?」
ヒルダが聞く。
ハイセは椅子から立ち上がった。
「やる」
エルネスタの目が僅かに見開かれる。
ヒルダだけは、数秒黙った後。
ゆっくり。
笑った。
「本当に?」
「ああ」
「性別も変わる可能性が極めて高い」
「聞いた」
「元に戻れないかもしれない」
「聞いた」
「成功しない可能性もある」
「それも聞いた」
「それでも?」
ハイセは頷く。
「それでも」
ヒルダの笑みが。
一気に。
狂気じみたものへ変わった。
「キヒヒヒヒヒ……!」
「うわ」
ハイセが一歩引く。
「やっぱやめようかな」
「もう遅い!」
「まだ同意書書いてないけど!?」
「今すぐ書きなさい!」
「ヒルダ!」
カミラの怒声が飛ぶ。
「手続きを飛ばすな!」
「冗談よ!」
「お前の冗談は信用出来ん!」
エルネスタは笑いながら、端末へ新しい研究ファイルを作成した。
「じゃあ名前決めないとね」
「名前?」
「大型計画には必要でしょ?」
「必要なの?」
ヒルダは既に考えていたらしい。
完成予測モデルを見ながら、指を鳴らした。
「歌で現実へ干渉し、戦場そのものを支配する新しい身体。そして異世界から来た武器使いが、歌を得て生まれ変わる」
ヒルダは楽しげに笑う。
「決まりね」
新しいファイルへ。
文字が打ち込まれる。
【セイレーン計画】
「セイレーン……」
ハイセが名前を読む。
「嫌?」
「いや」
少し考え。
「悪くない」
「でしょう?」
その瞬間。
【雛形】が。
新しい処理を開始した。
表示される。
SUBJECT:HAISE SASAKI
PROJECT:SIREN
STATUS:DESIGN PROCESS START
画面の中で。
今のハイセと。
まだ存在しない新しい身体が。
重なっていく。
◇
ただし。
計画を実行するには。
まだ足りないものがある。
天霧綾斗の。
本当の剣。
シルヴィア・リューネハイムの。
本当の歌。
それらを。
無断で奪うつもりはない。
ハイセは。
自分が選択する権利を得たからこそ。
他人から。
その権利を奪いたくなかった。
次にすることは。
決まっている。
借りたいなら。
本人へ。
頼む。
それだけだった。