暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
【セイレーン計画】の完成設計図が出来上がったからといって、すぐに人体再構築へ移れるわけではなかった。
【雛形】が導き出したのは、あくまでも「天霧綾斗の剣術とシルヴィア・リューネハイムの能力を、ハイセ・ササキという個体へ定着させるなら、どのような身体構造が最も成立しやすいか」という答えに過ぎない。肝心の教師データが不完全なままでは、どれほど優れた器を作っても中身が伴わなかった。
そこで最初に行われることになったのが、綾斗本人との実戦形式による技能収集だった。
「……本当にやるんだな」
アルルカントの訓練区画で、ハイセは手にした模擬剣を確かめながら目の前の少年を見た。
綾斗も同型の訓練用武器を持っている。周囲にはカミラ、エルネスタ、そして複数の観測装置が並び、綾斗の視線、重心、筋出力、反応時間まで可能な範囲で記録出来るようになっていた。
「僕から条件を出したんだから、やらない理由はないよ」
「いや、そうだけど」
「緊張してる?」
「してない」
即答したハイセを見て、エルネスタが観測席から笑う。
「昨日から三回も模擬剣の状態確認してたけど?」
「実験だからだ!」
「私には綾斗くんと剣を振れるのが楽しみで仕方ない人に見えたけどなぁ」
「エルネスタ」
「はいはい。記録始めるね」
ハイセは小さく息を吐いた。誤魔化しても仕方がない。楽しみだったのは事実である。
何十回と映像で見てきた剣だった。
その本人と。
今から直接、剣を交える。
「じゃあ」
綾斗が構える。
「始めようか」
「ああ」
その瞬間だけは、ハイセの表情から照れが消えた。
地面を蹴る。
剣と剣がぶつかった。
最初の一撃で、ハイセは映像と実物の違いを理解した。
「……っ!」
軽い。
そう感じた。
だが、実際に綾斗の力が弱いわけではない。受けた瞬間には既に力が逃げ、次の動作へ身体が移っている。ハイセが押し返そうとした時には、綾斗は正面からいなくなっていた。
横。
ハイセが振り向くより早く、剣先が止まる。
首元。
「一本」
「…………」
ハイセは固まった。
「もう一回」
「早いね」
「今の分かんなかった」
綾斗が少し笑う。
「じゃあ、今度はゆっくりやろう」
「いや」
ハイセは剣を構え直した。
「そのままで」
「分からなかったんじゃ?」
「だから分かるまでやる」
観測席でカミラが額を押さえる。
「やはりこうなったか」
「でも教師データとしては優秀だよ」
エルネスタは楽しそうだった。
「成功した動きだけじゃなくて、ハイセくんが何処で判断を間違えるのかまで取れる」
その言葉を聞いて、カミラの手が止まった。
「……それだ」
「何?」
「完成された動作だけを教師データにするな」
エルネスタもすぐに意味を理解する。
「ハイセくんが間違えて、綾斗くんに修正されるまでの過程も学習させる?」
「ああ」
何故その動作になるのか。
何を見ているのか。
判断を誤ればどうなるのか。
正しい動きだけをコピーするのではなく、そこへ辿り着くまでの思考そのものを学習させる。
「その方が」
カミラは戦う二人を見る。
「ハイセ自身の技能として定着する可能性が高い」
◇
訓練は数時間に及んだ。
ハイセは何度も負けた。
しかし、そのたびに綾斗へ質問した。
「今、何見た?」
「右肩」
「足じゃなくて?」
「足も見るけど、ハイセは攻撃する直前に右肩が少し上がるから」
「…………」
「何?」
「映像じゃ分かんねぇよ、そんなの」
「だから実際にやろうって言ったんだ」
ハイセは納得したように頷くと、今度は自分の動きを修正する。
次の一戦では、右肩を上げない。
綾斗の判断が僅かに遅れる。
それでも最後には負けた。
「今度は?」
「目」
「…………」
「攻撃する方を一瞬見た」
「難しすぎない?」
「慣れかな」
「アンタやっぱすげぇな」
素直に言われて、今度は綾斗の方が少し照れた。
ハイセが何度も戦闘記録を見ていた理由が、今ならよく分かる。
彼は剣術を盗もうとしているのではない。
本当に。
好きなのだ。
「ハイセ」
「何?」
「一つだけ覚えておいて」
綾斗が剣を下ろす。
「僕と同じ動きをしようとしなくていい」
「…………」
「僕に合ってるから、僕はこうしてるだけだから」
ハイセの目が僅かに動いた。
「ハイセなら、同じ状況で違う答えを選ぶこともあると思う。それでいいんじゃないかな」
「……それでも剣術って言える?」
「言えると思うよ」
綾斗は自分の剣を見る。
「型を守ることと、型に縛られることは違うから」
ハイセはしばらく黙っていた。
やがて。
「分かった」
そう答えて、もう一度構える。
「じゃあ次」
「まだやるの?」
「今の試したい」
「本当に好きだね」
「アンタの剣がな」
「はいはい」
観測席ではエルネスタが肩を震わせていた。
「完全に推しとの交流イベントなんだけど」
「黙って記録しろ」
カミラはそう言いながらも、少しだけ笑っていた。
◇
数日後。
今度はシルヴィアがアルルカントへやって来た。
用意されたのは戦闘訓練区画ではなく、音響特性まで調整可能な研究用スタジオだった。壁面には呼吸、声帯運動、星辰力、能力発動までを同期して記録する装置が設置されている。
「先に言っておくけど」
シルヴィアがハイセを見る。
「私の声を真似しようとしないこと」
「分かってる」
「本当に?」
「綾斗にも似たようなこと言われた」
「でしょうね」
シルヴィアは小さく笑った。
「じゃあ、まず普通に声を出してみて」
「能力なしで?」
「当然よ。いきなり現実を変えようとしないで」
「……何歌えばいい?」
「何でもいいわ」
「何でもが一番困る」
「じゃあ音階から」
そんなところから始まった。
結果。
「…………」
「…………」
数分後。
ハイセが何とも言えない顔をしていた。
「俺」
「うん」
「思ってたより歌うの下手?」
「下手とまでは言わないけど」
「けど?」
「戦闘みたいに、正解を探しすぎ」
「何それ」
「音程を外さない。息をここで吸う。声量はこれくらい。全部頭で考えてるでしょう?」
「駄目?」
「歌としてはね」
シルヴィアはハイセの胸元を指す。
「あなたが学びたいのって、“正しい発声”だけじゃないでしょう?」
ハイセは黙る。
「自分自身で現実へ届きたいって言ってたじゃない」
「…………」
「だったらまず」
シルヴィアは微笑んだ。
「あなたが何を歌いたいのかを見つけないと」
「何を」
「伝えたいこと」
ハイセが少し困ったような顔をする。
「歌って、そんなこと考えるの?」
「少なくとも私はね」
彼女はマイクを手に取った。
「同じ音でも、何を思って出した声なのかで全然違うのよ。能力以前に、それが歌だから」
そして。
シルヴィアが歌う。
能力は使っていない。
ただの声。
それでも。
ハイセには。
先ほど自分が出した音とは。
まるで違って聞こえた。
「…………」
無意識に。
耳を澄ませる。
歌が終わる。
「どう?」
「……何か」
「何?」
「俺がさっきやってたの」
ハイセは少し顔をしかめる。
「音を並べてただけだったかも」
「それが分かったなら上出来」
シルヴィアが笑う。
「もう一回やってみる?」
「うん」
ハイセはマイクを握った。
今度は。
正解を探すのをやめた。
考えたのは。
自分が。
何故ここにいるのか。
追放された。
異世界へ来た。
カミラと会った。
研究した。
綾斗の剣に憧れた。
シルヴィアの歌を知った。
遥を自由にした。
そして今。
自分自身が。
次へ進もうとしている。
声を出す。
「…………」
先ほどより。
ずっと。
不安定だった。
音も。
少し外れた。
だが。
シルヴィアは。
止めなかった。
最後まで。
聞いた。
「どう?」
ハイセが恐る恐る尋ねる。
「今の方が好き」
「外したけど」
「そこは練習すればいいの」
「…………」
「でも」
シルヴィアは嬉しそうに笑った。
「今のは、ちゃんとあなたの歌だった」
その言葉が。
ハイセの中へ。
静かに残った。
◇
教師データが集まるほど、【雛形】の完成モデルは変化していった。
綾斗の剣術を入力した結果、単純に彼の身体構造へ近づくわけではなかった。むしろ【武器マスター】が持つ武器への適応能力と結びつき、複数の武器・間合い・戦闘環境へ対応するための独自の運動体系が形成され始める。
シルヴィアの歌も同様だった。
呼吸法や発声技術は教師データとして利用する。
しかし。
現象干渉の出力そのものは、ハイセ自身の星辰力経路へ合わせて再設計されていく。
「……変わったな」
完成モデルを見ながら、ハイセが言った。
「最初より、シルヴィアっぽくない」
「当然よ」
ヒルダが端末を操作する。
「データが増えたから、“シルヴィアに近づける”必要がなくなったの」
「どういうこと?」
「最初は彼女という完成品から逆算するしかなかった。でも今は」
画面へ。
ハイセ自身の歌唱データ。
綾斗との戦闘データ。
【武器マスター】。
全てが表示される。
「ハイセ・ササキという個体に最適化出来る」
「…………」
ハイセは。
少しだけ。
笑った。
「それならいい」
「嬉しい?」
「うん」
「女になるのに?」
「そこじゃない」
ハイセは完成モデルを見る。
「誰かになるわけじゃないってこと」
「…………」
「ちゃんと」
自分の胸へ手を置く。
「俺の身体になる」
ヒルダは。
少し意外そうに。
ハイセを見た。
「そうね」
そして。
小さく。
笑った。
「その認識で正しいわ」
◇
ただし。
研究室には。
一つ。
まだ。
片づいていない問題があった。
「ヒルダ」
カミラが低い声で呼ぶ。
「何かしら?」
「例の生体マップ」
「…………」
ハイセも顔を上げた。
シルヴィア・リューネハイム。
本人が知らないところで。
ヒルダが入手していた。
完全な遺伝子・細胞構造。
「本人から今回提供された情報の範囲だけで設計を組み直せないのか?」
「出来る」
「なら」
「でも精度は落ちる」
「ヒルダ」
「分かってるわよ」
ヒルダは。
珍しく。
苛立ったように。
端末を閉じた。
「ハイセ君は?」
「俺?」
「使いたい?」
ハイセは。
すぐには。
答えなかった。
完成した設計図。
今。
自分が望んでいる身体。
そこへ。
シルヴィア本人が。
許可していない情報が。
入っている。
「…………」
以前なら。
強くなれるなら。
使ったかもしれない。
でも。
「嫌だ」
答えは。
思ったより。
簡単だった。
「本人に言おう」
「ハイセ」
カミラが彼を見る。
「せっかくシルヴィアが」
ハイセは続ける。
「自分の歌にしろって言ってくれたのに」
「…………」
「勝手に持ってきた情報使って完成しましたって」
少し顔をしかめる。
「何か違うだろ」
ヒルダが黙る。
「必要なら」
ハイセは言った。
「本人に頼む」
「断られたら?」
「精度落とす」
「成功率が下がるわよ」
「別の方法探す」
「…………」
「俺」
ハイセはヒルダを見る。
「誰かに人生決められるの嫌だったんだよ」
「…………」
「なのに」
少しだけ。
声を低くする。
「俺の身体を作るために、シルヴィアの身体の情報を勝手に使ったら」
一度。
言葉を切る。
「同じことすることになる」
静寂。
ヒルダは。
長い間。
何も言わなかった。
やがて。
ため息。
「……面倒な男になったわね」
「悪い?」
「いいえ」
ヒルダは。
少しだけ。
笑う。
「むしろ」
端末を閉じる。
「興味深い」
◇
翌日。
シルヴィアは再び。
研究室へ呼ばれた。
「何?」
全員の妙な空気を見て。
「悪い話?」
「ヒルダ」
カミラが促す。
ヒルダは。
珍しく。
逃げなかった。
「以前から」
シルヴィアを見る。
「君の完全な生体マップを保有している」
「…………」
沈黙。
「……私が提供したものじゃないわよね?」
「違う」
「どうやって?」
「それは――」
シルヴィアが。
笑った。
「ヒルダさん」
「…………」
「後で」
にっこり。
「詳しくお話しましょうね?」
「…………」
ハイセが。
小さな声で。
「怖」
「聞こえてるわよ?」
「ごめんなさい」
カミラは頭を抱えていた。
だが。
シルヴィアは。
意外にも。
すぐに本題へ戻った。
「それで」
「?」
「私のデータが、ハイセ君の身体を作るのに必要なの?」
「高精度な能力定着には有用だ」
ヒルダが答える。
「ただし」
ハイセが先に言う。
「嫌なら使わない」
「…………」
「俺」
シルヴィアを見る。
「ちゃんとアンタに聞いてから決めたかった」
彼女は。
ハイセを見る。
少し。
驚いて。
そして。
柔らかく。
笑った。
「だったら」
「?」
「今回の【セイレーン計画】に限って」
指を一本。
「使用を許可するわ」
「いいの?」
「ええ」
ただし。
笑顔のまま。
ヒルダを見る。
「入手経路については」
「…………」
「別問題だけど」
「キヒヒ……」
「笑わない方がいいと思う」
ハイセが助言した。
「私もそう思う」
カミラが即座に同意した。
◇
そして。
ついに。
全ての教師データが。
正式に。
【雛形】へ統合された。
天霧綾斗の剣。
シルヴィア・リューネハイムの歌。
本人の許可を得た。
生体情報。
【武器マスター】の。
解析モデル。
そして。
ハイセ自身の。
経験。
選択。
失敗。
癖。
その全て。
量子演算が。
最後のシミュレーションを。
開始する。
何千。
何万。
何百万。
仮想世界の中で。
ハイセが。
生まれ。
戦い。
歌い。
壊れ。
また。
作り直される。
その果て。
一つの。
人体モデルが。
残った。
画面に。
文字が表示される。
PROJECT SIREN
SUBJECT:HAISE SASAKI
INDIVIDUAL MODEL:Yami_Q_ray
FINAL DESIGN:LOCKED
誰も。
すぐには。
声を出さなかった。
ハイセは。
画面を見る。
そこにいる。
まだ。
存在しない。
自分自身を。
そして。
小さく。
笑った。
「……これが」
その姿を。
じっと。
見つめる。
「次の俺か」
ヒルダが。
満足そうに。
笑う。
「そうよ」
「…………」
「あとは」
最後の。
一言。
「作るだけ」