暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

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第26話 新時代の扉

 

 

 

 【セイレーン計画】の最終施術日。

 

 アルルカント・アカデミー地下研究区画は、普段以上に厳重な封鎖状態へ置かれていた。外部との通信回線は必要最低限に制限され、処置室に入れる者もヒルダ、カミラ、エルネスタ、そして被験者であるハイセだけに絞られている。

 

 処置室中央には、人ひとりが横たわれる大型の医療ユニットが設置されていた。その周囲を囲む複数の演算装置には、【雛形】が何百万回もの仮想試行を経て導き出した最終人体モデルが表示されている。

 

PROJECT SIREN

SUBJECT:HAISE SASAKI

INDIVIDUAL MODEL:Yami_Q_ray

 

 ハイセはその文字をしばらく眺めていた。

 

「……本当にやるんだな」

 

「ここまで来て今さら何を言っているのよ」

 

 ヒルダは端末から目を離さないまま答えた。声にはいつもの楽しげな響きが残っているが、操作する手に普段の軽さはない。

 

「念のため確認するけれど、一度再構築が一定段階を超えれば途中で元へ戻すことは出来ない。中断出来るのは、身体構造を書き換え始める前までよ」

 

「分かってる」

 

「性別も変わる」

 

「聞いた」

 

「声も、骨格も、神経も、星辰力経路も変わる。成功しても以前と全く同じ感覚で生きられる保証はないわ」

 

「それも聞いた」

 

 ヒルダはそこでようやくハイセを見る。

 

「それでも?」

 

 ハイセは一度、自分の手へ視線を落とした。

 

 この手で、これまで何本の武器を握ってきただろう。剣。槍。斧。銃。そして、異世界へ来て初めて知った煌式武装。

 

 この身体が嫌いだったわけではない。

 

 男であることが嫌だったわけでもない。

 

 ただ。

 

「俺が欲しい未来に必要なんだろ?」

 

「……そうね」

 

「だったらやる」

 

 迷いはなかった。

 

「今の俺を捨てるためじゃない。この先の俺になるために」

 

 カミラが少し離れた場所で、その言葉を黙って聞いていた。

 

     ◇

 

「ハイセ」

 

 施術前の最終確認が終わり、処置台へ向かおうとしたところでカミラに呼び止められた。

 

「何?」

 

「今ならまだやめられる」

 

「ヒルダにも言われた」

 

「私からも聞く」

 

 カミラの表情は真剣だった。

 

「君自身が決めたことだからこそ、最後まで確認する。王竜星武祭に勝つためでも、マディアスを止めるためでもなく、その後もこの身体で生きる覚悟があるのか?」

 

 ハイセは少しだけ笑った。

 

「あるよ」

 

「…………」

 

「怖くないわけじゃないけど」

 

 カミラの目を見る。

 

「でも、怖いからって誰かに決めてもらう方が嫌だ」

 

 その答えに、カミラはほんの僅かに目を伏せた。

 

「そうか」

 

「うん」

 

「なら」

 

 それ以上は止めなかった。

 

「行ってこい」

 

「……行ってくる」

 

 何処かへ旅立つような言い方になり、ハイセは自分で少し笑った。

 

 しかし、ある意味では間違っていない。

 

 今の身体で処置室へ入り。

 

 次に目を覚ます時。

 

 同じ姿では。

 

 もういない。

 

     ◇

 

 医療ユニットへ横になると、複数のセンサーが身体へ接続された。

 

 エルネスタは観測席で【雛形】の演算状態を監視し、カミラは全体の進行を確認する。ヒルダは再構築工程の最終プログラムを呼び出した。

 

「ダイレクト・ディープラーニングも同時に走らせるわ」

 

「寝てる間に?」

 

「意識がある状態でやったら情報量で吐くわよ」

 

「言い方」

 

「事実よ」

 

 エルネスタが横から補足する。

 

「人格や記憶は入れない。綾斗くんから抽出したのは身体制御、間合い、判断、剣術の原理。シルヴィアからは呼吸、発声、星辰力操作、歌を媒介に現象へ干渉するための基礎」

 

「コピーじゃない?」

 

「コピーじゃない」

 

 カミラが答えた。

 

「教師データだ。最終的に何をどう使うかは、君自身が学習する」

 

「ならいい」

 

 ハイセは目を閉じた。

 

「始めて」

 

 ヒルダの指が操作盤へ触れる。

 

「【セイレーン計画】、最終工程開始」

 

 機械音が低く響いた。

 

 視界が。

 

 ゆっくり。

 

 暗くなる。

 

     ◇

 

 夢を見た。

 

 いや。

 

 夢と呼んでいいのか。

 

 ハイセには分からなかった。

 

 暗闇の中を一本の剣が走る。

 

 無駄がない。

 

 相手へ自分の型を押しつけるのではなく、目の前にある状況へ自分を変える。

 

 天霧綾斗の剣。

 

 だが。

 

 そのままではない。

 

 同じ踏み込みをしてみる。

 

 違う。

 

 自分ならもっと深く入る。

 

 同じ間合い。

 

 違う。

 

 自分ならここで武器を変える。

 

 答えを与えられているのではなかった。

 

 問いを。

 

 何度も。

 

 与えられている。

 

 ――この時、お前ならどうする?

 

 そのたび。

 

 ハイセ自身が。

 

 答えを作る。

 

 やがて剣が消えた。

 

 代わりに。

 

 声が聞こえる。

 

 シルヴィアの歌。

 

 正しい音程。

 

 正しい呼吸。

 

 正しい星辰力操作。

 

 だが。

 

 それだけでは。

 

 何も起こらない。

 

 何を歌いたい?

 

 何を現実へ伝えたい?

 

 自分は。

 

 何者だ?

 

「…………」

 

 ハイセは。

 

 考える。

 

 自分は。

 

 追放された。

 

 弱いと言われた。

 

 必要ないと言われた。

 

 だから強くなった。

 

 だが。

 

 今は。

 

 それだけではない。

 

 自分のように。

 

 選ぶ前から。

 

 道を閉ざされる人間を。

 

 少しでも減らしたい。

 

 誰かが決めた答えではなく。

 

 自分自身で。

 

 未来を選びたい。

 

 なら。

 

 歌うものは。

 

 決まっている。

 

 ――俺の人生は。

 

 俺が決める。

 

 声を出した。

 

 誰のものでもない。

 

 ハイセ自身の。

 

 最初の。

 

 歌だった。

 

     ◇

 

 現実の処置室では、【雛形】が凄まじい速度で演算を続けていた。

 

「骨格再構築、第一段階完了」

 

 エルネスタが数値を読み上げる。

 

「筋神経接続、安定。星辰力経路、形成開始」

 

 カミラは画面から一瞬たりとも目を離さない。

 

「負荷は?」

 

「想定値内」

 

 ヒルダが別の画面を確認する。

 

「生殖・内分泌系再設計開始。女性型モデルへ移行する」

 

 人体モデルが変化していく。

 

 胸郭。

 

 骨盤。

 

 発声器官。

 

 筋肉量。

 

 身体の重心。

 

 ただ女性の身体へ変えるのではない。

 

 剣術を扱える。

 

 歌える。

 

 戦える。

 

 星辰力を循環させられる。

 

 そして。

 

 【武器マスター】と競合しない。

 

 一つの完成した戦闘・歌唱用の身体へ。

 

「ダイレクト・ディープラーニング、剣術領域八十二パーセント」

 

「歌唱領域?」

 

「七十九」

 

「能力定着?」

 

 ヒルダが確認する。

 

「まだ低い。身体側の経路が完成してから一気に上がる」

 

 数分後。

 

 数値が跳ねた。

 

「星辰力経路、全接続完了!」

 

「能力定着開始!」

 

「四十一……五十八……七十四……!」

 

 エルネスタの声が僅かに上ずる。

 

「八十九!」

 

 カミラが言う。

 

「急がせるな」

 

「分かってる!」

 

 ヒルダは笑っていた。

 

 いつもの。

 

 危険な笑み。

 

「キヒヒヒヒ……!」

 

「ヒルダ」

 

「素晴らしい」

 

「まだ終わっていない!」

 

「分かっているとも!」

 

 だが。

 

 興奮を。

 

 隠せない。

 

「新しい人間が」

 

 画面を見る。

 

「今」

 

 その目に。

 

 完成へ近づく身体が映る。

 

「生まれようとしている」

 

     ◇

 

 長い。

 

 長い。

 

 時間だった。

 

 実際には。

 

 数時間。

 

 しかし。

 

 待っている側には。

 

 一日より長く感じられた。

 

「…………」

 

 そして。

 

 最後の処理が。

 

 終了する。

 

BODY RECONSTRUCTION:COMPLETE

 

DIRECT DEEP LEARNING:COMPLETE

 

PRANA / MANA PATHWAY:STABLE

 

INDIVIDUAL MODEL:Yami_Q_ray

 

STATUS:SUCCESS

 

 誰も。

 

 すぐには。

 

 声を出さなかった。

 

 最初に動いたのは。

 

 ヒルダだった。

 

「……成功」

 

 小さく。

 

 呟く。

 

 次の瞬間。

 

「キヒヒヒヒヒヒヒ!」

 

「うるさい!」

 

 カミラの怒声が飛ぶ。

 

「まだ本人が起きていない!」

 

「成功したのよ! 笑わずにいられるものか!」

 

「笑い方をどうにかしろ!」

 

「無理ね!」

 

 エルネスタは二人のやり取りを聞きながら、緊張が抜けたように椅子へ深く腰を下ろした。

 

「……よかった」

 

 それだけ。

 

 呟いた。

 

     ◇

 

 意識が。

 

 戻る。

 

 最初に感じたのは。

 

 身体の軽さだった。

 

「…………」

 

 目を開く。

 

 白い天井。

 

 知らない。

 

 いや。

 

 処置室。

 

 知っている。

 

「ハイセ?」

 

 カミラの声。

 

 顔を向ける。

 

 いつもより。

 

 少し。

 

 視線の高さが違う。

 

「…………カミラ」

 

 声を出した。

 

「…………」

 

 ハイセ自身が。

 

 止まった。

 

 高い。

 

 だが。

 

 幼いわけではない。

 

 透明感があり。

 

 以前より。

 

 明らかに。

 

 女性的な声。

 

「……これ」

 

 喉へ手を触れる。

 

「俺の声?」

 

「今はな」

 

 カミラが答える。

 

 ハイセは。

 

 自分の手を見る。

 

 細い。

 

 指も。

 

 腕も。

 

 以前と違う。

 

 上体を起こす。

 

 重心。

 

 違う。

 

 身体の感覚。

 

 違う。

 

 胸元。

 

 腰。

 

 全て。

 

 違う。

 

 だが。

 

「…………」

 

 動かしてみる。

 

 右手。

 

 左手。

 

 肩。

 

 呼吸。

 

 違和感はある。

 

 でも。

 

 自分ではないという感覚は。

 

 不思議と。

 

 なかった。

 

「どう?」

 

 ヒルダが。

 

 嬉しそうに尋ねる。

 

「…………変」

 

「失敗?」

 

「違う」

 

 ハイセは。

 

 ゆっくり。

 

 立ち上がる。

 

 足を床へ。

 

「ちゃんと」

 

 一歩。

 

 歩く。

 

「俺だ」

 

 カミラの表情が。

 

 僅かに。

 

 緩んだ。

 

     ◇

 

 簡単な身体検査を終えた後、ハイセは訓練区画へ移動した。

 

 本来なら休ませるべきだとカミラは主張したが。

 

「一回だけ」

 

「駄目だ」

 

「身体の確認」

 

「明日でいい」

 

「五分」

 

「駄目だ」

 

「三分」

 

「交渉するな!」

 

 最終的には。

 

 軽い動作確認だけ。

 

 という条件になった。

 

 ハイセは訓練用の剣を握る。

 

「…………」

 

 その瞬間。

 

 身体が。

 

 勝手に。

 

 ではない。

 

 自然に。

 

 構えを。

 

 選んだ。

 

「……これ」

 

 綾斗の剣。

 

 似ている。

 

 だが。

 

 同じではない。

 

 足運び。

 

 少し違う。

 

 重心も。

 

 自分に合わせている。

 

「…………」

 

 一歩。

 

 踏み込む。

 

 剣が。

 

 走る。

 

 空気を。

 

 滑るように。

 

 切る。

 

「…………」

 

 ハイセは。

 

 自分の剣先を見る。

 

「綾斗じゃない」

 

「当然だ」

 

 カミラが言う。

 

「だよな」

 

 少し。

 

 嬉しそうに。

 

「ちゃんと」

 

 笑う。

 

「俺の剣だ」

 

     ◇

 

「次」

 

「次じゃない」

 

「歌」

 

「休めと言っている!」

 

「一回だけ!」

 

「さっきも聞いた!」

 

 結局。

 

 ヒルダが。

 

 面白がって。

 

「声帯と能力経路の確認は必要よ」

 

 と言ったことで。

 

 カミラが折れた。

 

「本当に一回だけだぞ」

 

「分かった」

 

 ハイセは。

 

 呼吸する。

 

 以前とは。

 

 空気の入り方すら違う。

 

 腹部。

 

 胸。

 

 喉。

 

 星辰力。

 

 全てが。

 

 一つへ。

 

 繋がっている。

 

 声を出す。

 

 短い。

 

 音。

 

「…………」

 

 その瞬間。

 

 周囲の空気が。

 

 僅かに。

 

 震えた。

 

「!」

 

 エルネスタが。

 

 計測器を見る。

 

「現象干渉!」

 

 ハイセ自身も。

 

 驚く。

 

「今の?」

 

「貴方よ」

 

 ヒルダが。

 

 笑う。

 

「…………」

 

 もう一度。

 

 声を。

 

 出そうとする。

 

「一回だけと言った!」

 

「はい」

 

 即座に止める。

 

「…………」

 

 カミラが。

 

 額を押さえた。

 

「素直なのか素直じゃないのか分からん……」

 

     ◇

 

 ヒルダが。

 

 ハイセの前へ。

 

 歩み出る。

 

「さて」

 

「何?」

 

「最後に」

 

 口元を。

 

 吊り上げる。

 

「名前だ」

 

「名前?」

 

「ハイセ・ササキはハイセ・ササキ。それは変わらない」

 

 ヒルダは言う。

 

「だが」

 

 新しい身体。

 

 新しい声。

 

 剣。

 

 歌。

 

 星辰力。

 

 そして。

 

 その全てを。

 

 自分自身として。

 

 選んだ。

 

「戦場に立つ君には」

 

 笑う。

 

「新しい名が必要だ」

 

「前に決めたやつ?」

 

「そう」

 

 ヒルダは。

 

 大きく。

 

 両手を広げる。

 

「ダークストーカーなどというチープな二つ名ではなく」

 

「まだ言うか」

 

「新時代の扉を開く」

 

 その目が。

 

 輝く。

 

「大いなる闇の歌姫」

 

 一拍。

 

「【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】」

 

 そして。

 

 画面へ。

 

 英語表記が。

 

 表示される。

 

Yami_Q_ray

 

 ハイセは。

 

 その文字を。

 

 静かに。

 

 見つめた。

 

「…………」

 

 以前。

 

 自分は。

 

 弱いと言われた。

 

 仲間から。

 

 外された。

 

 必要ないと。

 

 思われた。

 

 だから。

 

 強くなった。

 

 だが。

 

 今。

 

 ここにいるのは。

 

 誰かへ。

 

 自分の価値を。

 

 証明するための。

 

 ハイセではない。

 

 剣を。

 

 自分で。

 

 選んだ。

 

 歌を。

 

 自分で。

 

 選んだ。

 

 身体も。

 

 声も。

 

 未来も。

 

 自分で。

 

 選んだ。

 

「…………悪くない」

 

 ハイセは。

 

 少しだけ。

 

 笑った。

 

「じゃあ」

 

 新しい声で。

 

 言う。

 

「これから」

 

「?」

 

「よろしく」

 

 自分自身へ。

 

 言うように。

 

「Yami_Q_ray」

 

     ◇

 

 その日。

 

 アルルカント・アカデミーの。

 

 地下深くで。

 

 一人の少年が。

 

 消えた。

 

 ――わけではない。

 

 むしろ。

 

 逆だった。

 

 誰かに。

 

 弱いと。

 

 決められた少年が。

 

 誰かに。

 

 未来を。

 

 決められた少年が。

 

 ようやく。

 

 自分自身の意思で。

 

 自分の形を。

 

 選んだ。

 

 天霧綾斗から。

 

 剣を学び。

 

 シルヴィア・リューネハイムから。

 

 歌を学び。

 

 カミラ・パレートから。

 

 選択することを学び。

 

 ヒルダ・ジェーン・ローランズと。

 

 エルネスタ・キューネから。

 

 身体と技術の可能性を。

 

 学んだ。

 

 しかし。

 

 そのどれにも。

 

 ならなかった。

 

 完成したのは。

 

 ただ一人。

 

 ハイセ・ササキ。

 

 その。

 

 次の姿。

 

 闇を纏い。

 

 剣を振るい。

 

 歌で。

 

 現実を変える。

 

 新時代の扉を開く。

 

 大いなる。

 

 闇の歌姫。

 

【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)/Yami_Q_ray】

 

 この瞬間。

 

 誕生した。

 

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