暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
【セイレーン計画】の施術から三日が経った。
ハイセの身体は、驚くほど早く新しい状態へ順応し始めていた。歩き方や重心にはまだ僅かな違和感が残るものの、食事や睡眠といった日常生活に問題はない。むしろ星辰力を扱えるようになったことで、以前より身体の状態を細かく把握出来るようになっていた。
問題があるとすれば、本人より周囲の方だった。
「…………」
「何?」
「いや」
訓練区画で向かい合った綾斗が、また黙った。
「さっきからそれ三回目」
「ごめん。ただ……」
綾斗は何とも言えない表情でハイセを見る。
「本当にハイセなんだなって」
「だからそう言ってるだろ」
以前より高く澄んだ声で返されると、余計に混乱するらしい。
隣にいたシルヴィアは口元を押さえながら笑っていた。
「仕方ないわよ。私だって最初に見た時、本当に別人かと思ったもの」
「シルヴィアまで」
「でも話し始めたら、すぐ分かったけどね」
「何で?」
「あなた、言動が全然変わってないもの」
「褒めてる?」
「半分くらい?」
ハイセは少し不満そうな顔をしたが、その仕草まで以前と変わらない。
外見は大きく変わった。身体も、声も、使える力さえ違う。それでも三日も一緒にいれば、周囲も少しずつ「姿の変わったハイセ」として受け入れ始めていた。
「じゃあ始めようか」
綾斗が訓練用の剣を構える。
「ああ」
ハイセも剣を握った。
瞬間。
身体が自然に戦闘へ切り替わる。
◇
最初の打ち合いで、綾斗の表情が変わった。
以前のハイセは、複数の武器を使い分けることで戦況へ適応していた。相手の間合い、攻撃方法、癖。それらを見極め、必要な武器へ切り替えることが強みだった。
だが今は違う。
剣を一本握ったままでも、ハイセ自身の動きが変わる。
「っ……!」
綾斗の斬撃を受け流し、その勢いを利用して身体を回転させる。反撃へ移ると見せかけて途中で踏み込みを止め、綾斗が間合いを外そうとした瞬間だけ一歩深く入った。
剣先が交差する。
綾斗が僅かに身体を逸らした。
「今の」
「何?」
「僕なら、もう少し外から入る」
「知ってる」
「でもハイセは内側へ来た」
「俺の方が、その方がやりやすかったから」
綾斗は少し驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「……ちゃんと自分の剣になってるね」
「だろ?」
その一言だけで、ハイセの表情が露骨に明るくなった。
「やっぱり嬉しいんだ」
シルヴィアが横から言う。
「うるさい」
「綾斗に褒められた瞬間だけ顔に出るんだもの」
「出てない」
「出てたよ」
綾斗本人まで笑った。
「アンタまで言うな!」
観測室から眺めていたエルネスタは、腹を抱えていた。
「ほんっと綾斗くんには弱いねぇ!」
「実験止めるぞ!」
「ごめんごめん!」
謝っているようには見えなかった。
◇
剣術試験の次は、歌による現象干渉だった。
シルヴィアの指導の下、ハイセは能力を何度か起動する。まだ複雑な現象を自由自在に操れるほどではないが、出力そのものは既に実戦投入可能な水準へ達していた。
何より重要なのは、シルヴィアと全く同じ現象が起きるわけではないことだった。
「やっぱり違うわね」
試験結果を見ながら、シルヴィアが言った。
「何が?」
「私より干渉の仕方が直接的」
「悪い?」
「逆。面白い」
シルヴィアは測定結果を拡大する。
「私は歌のイメージを広げて、その結果として現象を動かすことが多い。でもあなたは、最初から“ここをこう変える”って対象を決めている感じ」
「戦い方の癖かな」
「多分ね」
ハイセは少し考えた。
「俺、歌向いてない?」
「誰がそんなこと言ったの?」
「違うなら」
「違うから面白いのよ」
シルヴィアは笑った。
「私と同じじゃない。それでいいって言ったでしょう?」
「……そうだった」
そのやり取りを聞いていたカミラが、端末へ新しい記録を書き込む。
「剣術も歌も、教師データそのものの再現ではなく、ハイセの既存の判断傾向へ統合されている。少なくとも【雛形】の基本設計は成功したと見ていいだろう」
「キヒヒヒ。当然だ」
ヒルダが得意そうに笑う。
「私と【雛形】を誰だと思っている?」
「その自信の半分を倫理観へ回せ」
「まだシルヴィアの件を怒っているのか?」
「一生言うぞ」
「私も忘れてないからね?」
シルヴィアまで笑顔で加わる。
ヒルダが珍しく視線を逸らした。
「……話を戻そう」
「逃げた」
「逃げたね」
「うるさい!」
◇
「実は」
ひと通りの試験を終えたところで、エルネスタが妙に楽しそうな顔をした。
「もう一個試したいものがあるんだよね」
その瞬間、カミラの眉が寄った。
「何を隠している?」
「隠してないよ」
「お前がその顔をしている時点で何かある」
「失礼だなぁ」
エルネスタは端末を操作した。
訓練区画の奥で、隔壁がゆっくりと開いていく。その向こうから自動搬送装置に乗せられて現れたのは、一振りの剣だった。
ハイセは一目見た瞬間、表情を変えた。
通常の煌式武装とは明らかに違う。暗色の機械的な柄と細身の刀身。停止状態にもかかわらず、内部から微かな青い光が漏れている。
「……オーガルクス?」
「正解」
「何て名前?」
エルネスタが笑う。
「【青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)】」
カミラは剣を見るなり、さらに険しい顔になった。
「お前、何故これを持ち出した?」
「適合試験」
「誰の?」
エルネスタがハイセを指した。
「ハイセ君」
「聞いてないけど」
「今言ったからね」
「そういう問題じゃない!」
だが、ハイセ自身は既に剣へ興味を向けていた。
「これ、誰も使ってないの?」
「正確には、使える人間がほとんど見つかっていない」
カミラが説明する。
「使用者へ要求する代価が特殊すぎるんだ」
「代価?」
「執着だ」
ハイセが少し眉を寄せる。
「執着?」
「簡単に言えば、この武器へ強く適応するためには、あらゆるものへ過度な関心や執着を抱かず、一定の距離を保つ必要がある。さらに使用中は、自分自身の生命やこの武器そのものへさえ強い関心を持つことが許されない」
「……変な武器」
「君が言うと大体興味を持った時の感想なんだよね」
エルネスタが笑った。
ハイセは無視してウォーレ=ザインを見る。
「つまり、大事にしすぎても駄目?」
「そうなる」
「死にたくないって思いすぎても?」
「ああ」
「勝ちたいって執着しても?」
「程度によるだろうが、少なくとも武器に拒まれる可能性は上がる」
ハイセはしばらく考えた。
「面倒くさ」
「普通はそこで試したくなくなると思うよ?」
「でも」
ハイセは剣へ近づいた。
「面白い」
カミラが額を押さえた。
「やはりそうなるか……」
◇
適合試験をする前に、カミラはハイセへウォーレ=ザインの危険性を改めて説明した。
この武器が求めるのは、単なる冷静さではない。大切なものが何もない人間になれという意味でもない。問題なのは、何かへ執着し、それを失うことを恐れるあまり、自分の判断や在り方まで支配される状態だった。
ハイセは黙って聞いていた。
「どうする?」
「試す」
「理由は?」
「使えるかもしれないから」
「欲しいのか?」
カミラの問いに、ハイセは少し考えた。
「別に」
「…………」
「使えたら面白いと思う。でも、駄目なら別の武器使う」
エルネスタが笑みを消した。
カミラも、僅かに表情を変える。
「この武器が壊れたら?」
「困る?」
「君自身が死ぬ可能性があると言われたら?」
「死にたいわけじゃない。でも」
ハイセは自分の新しい身体を見る。
「死ぬのが怖いから、やるべきこと全部やめるつもりもない」
「今の身体を失うことは?」
「嫌だよ」
即答だった。
「でも」
少しだけ笑う。
「必要なら、また次を考える」
カミラは何も言わなかった。
ほんの数日前。
ハイセは自分の身体の形すら変えた。
今までの自分を憎んだからではない。今の自分へ執着して未来を狭めることを選ばなかったからだ。
「……なるほどねぇ」
エルネスタが小さく呟いた。
「何?」
「いや」
ウォーレ=ザインを見る。
「案外、本当にいけるかも」
◇
ハイセは剣の前へ立った。
「触るぞ」
「ゆっくりだ」
カミラの声に頷き、右手を伸ばす。
指が柄へ触れた。
瞬間。
【武器マスター】が反応した。
「…………っ」
だが、【赤霞の魔剣】の時とは違った。
武器の構造が見える。
理解出来る。
にもかかわらず、何処か遠い。
ハイセがウォーレ=ザインを理解しようとすればするほど、逆に武器の輪郭が離れていく。
「変だ」
「どうした?」
「分かるのに」
ハイセは眉を寄せた。
「掴もうとすると、逃げる」
エルネスタの目が輝いた。
「やっぱり!」
「何が?」
「君の【武器マスター】って、“理解して自分のものにする”方向が強いでしょ?」
「ああ」
「でもウォーレ=ザインは、逆なんだよ」
自分のものにしようとする。
使いこなそうとする。
手放したくないと思う。
その瞬間。
適合から遠ざかる。
「…………」
ハイセは剣を見る。
「じゃあ」
ゆっくり息を吐いた。
「別に理解しなくていいか」
「え?」
【武器マスター】による解析を。
一度。
手放す。
知らなくてもいい。
使えなくてもいい。
この武器でなくてもいい。
勝つための手段なら、他にも探せる。
ただ今。
目の前にある。
だから。
持つ。
「…………」
その瞬間だった。
青い光が。
走った。
「!」
刀身が展開する。
透き通るような蒼。
それまで眠っていた魔剣が、静かな音を立てて起動した。
研究区画を青い光が満たす。
「嘘」
エルネスタが呟いた。
「適合反応……!」
カミラは無言で計測値を見る。
ヒルダですら、一瞬笑うのを忘れていた。
ハイセは。
ただ。
手の中の剣を見ていた。
「…………」
「ハイセ」
カミラが呼ぶ。
「どう感じる?」
「別に」
「何?」
「使える」
軽く振る。
青い残光が空中へ弧を描く。
「それだけ」
「…………」
エルネスタが引きつった笑みを浮かべた。
「それ、この武器にとって一番正しい感想かもしれない」
◇
ハイセはウォーレ=ザインを構えた。
綾斗から学んだ剣術が身体へ馴染む。しかし、剣へ愛着を向けた瞬間に適合が揺らぐことを本能的に理解し、そこで意識を止めた。
美しい剣だとは思う。
強い武器だとも思う。
けれど。
必要なら手放せる。
今。
使うだけ。
一歩踏み込む。
青い斬撃が走った。
訓練用標的が、数メートル先で静かに両断される。
「…………」
シルヴィアが思わず息を呑んだ。
「綺麗……」
「うん」
綾斗も目を細める。
「でも、ハイセ」
「何?」
「その剣、好き?」
ハイセはウォーレ=ザインを見る。
「嫌いじゃない」
「好きでは?」
「分かんない」
少しだけ考える。
「多分」
剣を下ろす。
「好きになりすぎない方がいいんだろ」
綾斗は不思議そうな顔をしたが、カミラには意味が分かった。
ハイセは武器を粗末に扱っているわけではない。
むしろ。
武器へ自分自身を預けない。
それが。
ウォーレ=ザインに選ばれた理由だった。
◇
試験終了後、ウォーレ=ザインは再び保管装置へ戻された。
「持って帰らないの?」
エルネスタが聞く。
「何で?」
「適合したんだよ?」
「必要な時借りればいいじゃん」
「…………」
「ここに置いといた方が安全だろ?」
エルネスタがカミラを見る。
「ねえ」
「何だ」
「この人、適合条件を理解してるんじゃなくて、素で満たしてない?」
「私も今それを考えていた」
「失礼だな」
ハイセは不満そうだった。
ただ、その横でヒルダだけが何か別のことを考えている。
「……面白い」
「何が?」
「君は」
ヒルダがハイセを見る。
「身体を変えた」
「ああ」
「性別を変えた」
「ああ」
「技能も能力も、新しく得た」
「うん」
「しかし」
その目が。
細くなる。
「そのどれにも、“これこそが自分だ”と執着していない」
「…………」
「だからこそ」
ヒルダは楽しそうに笑う。
「何度でも、自分を更新出来る」
「更新って言い方やめろ」
「キヒヒヒ!」
だが。
ハイセは。
否定しなかった。
◇
その日の夜、カミラは一人でウォーレ=ザインの適合記録を見返していた。
ハイセには、大切なものがないわけではない。研究を続けたいと思っている。綾斗の剣を好み、シルヴィアの歌に惹かれ、アルルカントで過ごす時間にも明らかな愛着がある。
それでも。
何か一つを失えば、自分自身まで終わるとは考えていない。
武器も。
能力も。
身体も。
過去も。
自分が選ぶための一部ではあっても。
自分そのものではない。
「…………」
カミラはふと。
嫌な予感を覚えた。
もし。
いつか。
ハイセが。
【武器マスター】そのものすら。
自分の未来に不要だと。
判断したら。
その時。
彼は。
手放せるのではないか。
「……まさかな」
そう呟いた。
しかし。
端末に映るハイセの適合記録を見ながら。
カミラは。
その可能性を。
完全には。
否定出来なかった。
◇
数日後。
王竜星武祭への。
ハイセ・ササキの。
正式な参加手続きが。
認められた。
登録された名前は。
ハイセ・ササキ。
そして。
戦場へ立つ時の。
新しい呼び名。
【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】
Yami_Q_ray
装備候補。
【青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)】。
剣。
歌。
星辰力。
そして。
武器を。
武器として。
理解する力。
天霧綾斗が。
自らの意思で。
盤上を降りた場所へ。
今度は。
別の人間が。
自分の意思で。
足を踏み入れる。
その報せが。
やがて。
ある男の耳へ。
届くことになる。
そして。
マディアス・メサは。
ようやく。
気づく。
自らの知らない場所で。
盤面が。
既に。
別物へ。
変わってしまっていることに。