暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
マディアス・メサが最初に異変を知った時、それはまだ「修正可能な誤差」のように見えた。
天霧遥の状態に変化があった。それだけなら、想定外ではあっても致命的とは限らない。どのような計画であれ、実行までに多少の変数が生じることはある。それを織り込んでこその計画だと、彼自身も理解していた。
だが、二つ目の報告が届いた。
「……完全に?」
端末を持つ手が止まる。
「はい。現在確認出来る範囲では、天霧遥の体内に残留していた【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】由来の反応は消失しています」
「摘出手術を行った記録は?」
「ありません」
「では、どうやって」
「アルルカント、ヒルダ・ジェーン・ローランズ、そしてシルヴィア・リューネハイムが共同で関与した可能性が高いと」
マディアスの眉が僅かに動いた。
「シルヴィア・リューネハイム?」
そこで初めて、報告の内容に明確な違和感を覚えた。
外科的処置ではない。
純星煌式武装の欠片と人体との結びつきを、別の方法で解除した。
その時点で、彼の知る既存の攻略手段から外れている。
「誰が発案した」
「……ハイセ・ササキという人物だと」
「誰だ、それは」
返ってきた答えは、さらに不可解なものだった。
「異世界から来た人間だとされています」
「…………」
マディアスは数秒、何も言わなかった。
ふざけているのかと問い返したくなった。
だが、目の前の人間が冗談を言う状況ではない。
「続けろ」
「はい」
そして、三つ目の報告が告げられた。
「天霧綾斗が、今回の王竜星武祭への参加を辞退しました」
沈黙。
今度は長かった。
「……理由は」
「天霧遥本人の状態が改善され、彼女自身から『自分のために出場する必要はない』と伝えられたことが、大きいものと推測されます」
マディアスは端末へ目を落とした。
ここで初めて。
自分の組み上げた盤面の一部が。
消えた。
そう認識した。
「代替参加者は?」
「既に登録されています」
「誰だ」
一瞬の間。
「ハイセ・ササキです」
マディアスは顔を上げた。
「……何?」
◇
そこから先の報告は、もはや一つ一つが理解を拒む内容だった。
ハイセ・ササキ。
異世界出身。
アルルカント・アカデミーへ所属。
カミラ・パレートの研究へ深く関与し、未知の能力【武器マスター】を保有する。
ここまでなら、珍しい星脈世代の一人として処理出来なくもない。
しかし。
「性別が変わった?」
「正確には、大規模な人体再構築処置を受けたと」
「誰がそんなものを――」
「ヒルダ・ジェーン・ローランズです」
「…………」
納得してはいけない。
だが。
名前を聞いた瞬間に。
妙に納得出来てしまった。
「現在は女性型の星脈世代となっており、歌を媒介とした現象干渉能力を確認。加えて、天霧綾斗の剣術に酷似した戦闘技能を使用するとの情報もあります」
「リューネハイムと天霧綾斗……?」
「はい」
「何故」
「詳細は不明です」
「…………」
「さらに」
報告者が一瞬、言葉を選んだ。
「アルルカント所有の純星煌式武装、【青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)】への適合反応が確認されています」
マディアスは完全に黙った。
遥を解放した。
綾斗を盤上から降ろした。
代わりに入ってきた人間は。
未知の異世界能力を持ち。
星脈世代へ身体を作り替え。
綾斗の剣術を学び。
シルヴィアの歌を使い。
長らく適合者の現れなかったオーガルクスまで起動した。
「……何なんだ、そいつは」
それは、黒幕としての分析ではなかった。
純粋な疑問だった。
◇
「登録の取り消しは可能か?」
マディアスが問うと、返答は慎重だった。
「現状、正当な理由なく取り消すのは難しいかと。アルルカント側の正式な推薦があり、星導館側も変更手続きに異議を出していません」
「星導館が?」
「クローディア・エンフィールド本人が調整に関与しています」
「…………」
また一人。
面倒な名前が増えた。
「さらに、大会運営側へ提出された検査結果にも不備はありません。身体改造後の状態についても、競技参加に必要な条件を満たしていると」
「ヒルダが関わっているにもかかわらず?」
「……書類上は」
その言い方が全てを物語っていた。
マディアスは椅子へ深く腰を下ろした。
不正があるのなら突ける。
規則違反なら止められる。
だが。
最も厄介なのは。
規則の内側で、想定外のことをされることだった。
「クローディア・エンフィールド……」
その名前を口にすると。
何故か。
遠く離れた星導館の生徒会長室で。
誰かが。
とても楽しそうに紅茶を飲んでいる気がした。
◇
「マディアスさん、気づいたみたいですよ」
その頃。
実際のクローディアは。
本当に紅茶を飲んでいた。
「何で分かるの?」
向かいに座る綾斗が聞く。
「動きがありましたから」
「止めようとしてる?」
「恐らく」
「大丈夫なの?」
「ええ」
クローディアは微笑む。
「正式な手続きは全て終わっています」
「…………」
「どうしました?」
「いや」
綾斗は少しだけ身を引いた。
「最近、その笑顔を見ると誰かが困ってる気がして」
「失礼ですね」
「否定しないんだ」
クローディアは答えず、優雅にカップへ口を付けた。
遥が解放された。
綾斗は自分の意思で辞退した。
ハイセもまた、自分の意思で参加を選んだ。
誰も。
規則を破ってはいない。
「ただ」
クローディアは静かに言う。
「盤上の駒が、自分で盤上を歩き始めただけですよ」
綾斗は少し考えた。
「それ、盤を作った側からすると一番嫌なんじゃない?」
「まあ」
クローディアの笑みが深くなる。
「お気の毒ですね」
「やっぱり楽しんでるよね?」
◇
一方、アルルカントではリンドヴルム直前の最終調整が行われていた。
「プラーナ出力、もう一度」
カミラの指示に従い、ハイセは短く息を吸った。
歌う必要すらない。
意識しただけで、体内に形成された星辰力経路が反応する。
次の瞬間。
「……上限、まだ伸びてる!」
エルネスタが計測器を見て声を上げた。
「昨日より増えてない?」
「増えてる?」
当の本人だけが不思議そうだった。
「増えてるよ!」
【雛形】による再構築。
シルヴィア由来の能力基盤。
そして【武器マスター】が持っていた異常な適応性。
それらが統合された結果、ハイセの身体は施術完了時点で固定された完成品ではなく、使用するほど新しい身体へ適応を続けているらしい。
カミラが険しい顔で計測値を確認する。
「出力が高いこと自体を喜ぶな。制御出来なければ意味がない」
「分かってる」
「初戦でいきなり全開にするなよ」
「…………」
ハイセが目を逸らした。
「ハイセ」
「何?」
「今、何故目を逸らした」
「別に」
「嫌な予感しかしないんだが」
エルネスタが横から楽しそうに口を挟む。
「でも初披露だよ?」
「だから何だ!」
「派手な方が盛り上がるじゃん」
「星武祭をお前達の実験発表会にするな!」
ヒルダは少し離れた場所で笑っていた。
「キヒヒヒ。私は楽しみにしているぞ」
「お前は黙っていろ!」
◇
「そういえば」
調整が終わる頃。
ハイセはふと思い出したようにシルヴィアへ尋ねた。
「歌って、試合中に歌ってもいいんだよな」
「能力なんだから問題ないでしょうけど」
「最初にちょっとだけ歌ってみようかな」
「何を?」
ハイセは少し考えた。
「この身体になってから、自分で練習してる曲」
シルヴィアの目が僅かに輝いた。
「聴きたい」
「初戦で?」
「ええ」
「実験じゃないぞ」
「分かってるわよ」
ハイセは少し笑う。
「じゃあ」
自分の胸へ手を置いた。
「最初だけ」
歌による能力。
初めて。
大勢の前で。
使う。
以前。
シルヴィアから言われた。
自分の歌にしろ。
なら。
今度は。
自分自身の。
最初のステージだった。
◇
数日後。
王竜星武祭。
リンドヴルム。
アリーナを埋め尽くす観客の歓声が、巨大な会場を震わせていた。
出場選手の名前が次々と呼ばれる中。
ひときわ。
場内がざわめく。
大型モニターに。
一人の少女が映った。
長い暗紫色の髪。
紫の瞳。
白を基調とした衣装。
腰には。
まだ起動していない。
青い魔剣。
表示される。
HAISE SASAKI
そして。
その下に。
【暗律の戦乙女】
Yami_Q_ray
観客の多くは。
その名を。
知らなかった。
異世界人であることも。
以前は少年だったことも。
アルルカントの地下で。
何が行われたのかも。
知らない。
ただ。
新しい選手が。
現れた。
それだけだった。
ハイセは歓声の中を歩きながら、アリーナ中央へ向かう。
緊張は。
不思議と。
なかった。
剣を握る。
歌う。
戦う。
全部。
自分で選んだ。
「……よし」
小さく。
息を吸う。
対戦相手が。
反対側から。
入場してくる。
その姿を見ながら。
ハイセは。
少しだけ。
笑った。
「最初くらい」
誰にも聞こえない声で。
「派手にいくか」