暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
王竜星武祭――リンドヴルム。
アスタリスク最大級の個人戦、その初戦会場を埋める歓声の中で、ハイセ・ササキは静かにアリーナ中央へ歩いていた。
長い暗紫色の髪が照明を受けて揺れ、腰には起動前の【青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)】が下げられている。ほんの数週間前まで、この姿で存在することすらなかった少女を、観客の大半は今日初めて目にしていた。
大型モニターに表示されている情報も、彼女が何者なのかを説明するにはあまりにも不足している。
ハイセ・ササキ。
アルルカント・アカデミー。
二つ名――【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】。
それだけだった。
「……すごい注目ね」
観客席の一角でシルヴィアが苦笑する。
「そりゃそうだろ」
隣にいた綾斗もアリーナを見下ろした。
「突然出てきた選手だし、それに……」
「綺麗だから?」
「え?」
「そこは否定しないんだ」
「いや、その……」
綾斗が困った顔をすると、シルヴィアは楽しそうに笑った。
少し離れたアルルカント関係者席では、カミラが腕を組んでいた。その表情には期待より警戒の方が強く出ている。
「本当に無茶をしないだろうな」
「昨日も同じこと言ってたよ?」
エルネスタが答える。
「昨日どころか今朝も言った」
「それでも心配?」
「ハイセだからだ」
「あー」
反論出来ない。
ヒルダだけは、最初から満面の笑みだった。
「キヒヒヒ……。さあ見せてくれたまえ。我らが【Yami_Q_ray】の初舞台を」
「お前だけは少し緊張しろ!」
◇
対戦相手は、既に試合経験を積んでいる星脈世代だった。
大型の煌式武装を扱う近接戦闘型。予選までの戦績も悪くなく、少なくとも初出場の無名選手が簡単に突破出来る相手ではない。
彼自身も、目の前に立つハイセを警戒していた。
「アルルカントの新顔か」
「そうなるかな」
「噂は聞いてる」
「どんな?」
「人体改造で作られた選手だって」
ハイセは少し考えた。
「間違ってはいない」
「否定しないんだな」
「したところで身体が元に戻るわけじゃないし」
あまりにも淡々と答えるので、相手の方が僅かに拍子抜けした。
だが。
「一つ聞いていい?」
「何だ」
「最初」
ハイセはウォーレ=ザインへ手をかけながら言った。
「少し歌ってもいい?」
「……は?」
試合開始直前に。
対戦相手から。
想定していなかった質問が飛んできた。
「挑発か?」
「違う」
「なら何だ」
「試したいことがある」
「…………」
相手の眉間に皺が寄る。
「好きにしろ」
「ありがとう」
本当に礼を言われた。
余計に分からない。
◇
開始位置へ両者が下がる。
会場中央上空に浮かぶ表示が、カウントダウンを始めた。
十。
九。
八。
ハイセは目を閉じる。
身体の中にあるものを確認した。
肺。
声帯。
星辰力経路。
プラーナ。
以前の自分には存在しなかった感覚が、今では最初からそこにあったもののように身体へ馴染んでいる。
シルヴィアから学んだ。
歌とは、ただ正しい音を並べるものではない。
何を伝えるのか。
何を望むのか。
それを。
自分自身の声で現実へ届ける。
三。
二。
一。
開始音が鳴った。
対戦相手が即座に煌式武装を展開する。
「行くぞ!」
だが。
ハイセは動かなかった。
代わりに。
歌った。
「Ready to rock, get ready to rock!」
会場の空気が。
変わった。
◇
「…………え?」
最初に異常を察知したのは、観客ではなかった。
大会運営の計測装置だった。
ハイセの身体から放出されるプラーナ量が、一瞬で通常戦闘域を突破した。
数値が跳ね上がる。
さらに。
上がる。
「ちょっと待って」
エルネスタが身を乗り出した。
「昨日の測定値、もう超えてない?」
「馬鹿な」
カミラが即座に端末を見る。
間違いではない。
歌声と同期して、ハイセの体内を循環するプラーナが増幅されていた。
単純に蓄えていたエネルギーを放出しているのではない。
呼吸。
声。
意識。
星辰力経路。
全てが一つの循環構造として噛み合い、出力効率そのものが急激に上昇している。
「ヒルダ!」
「私は何もしていないぞ!」
「本当だろうな!?」
「今回はな!」
「今回はって何だ!!」
そんなやり取りをしている間にも。
歌は続く。
「破滅のCountdown そう!」
たったそれだけ。
イントロの。
ほんの一部。
だが。
次の瞬間。
アリーナ全体が。
震えた。
◇
「な――」
対戦相手が足を止める。
ハイセを中心に膨れ上がったプラーナが、肉眼でも分かるほど濃密な光となっていた。
風が巻き起こる。
髪が舞う。
衣服が激しくはためく。
それでもハイセ自身は、まるで自分の周囲だけ静止しているかのように立っていた。
「…………」
歌を止める。
そこで。
ようやく目を開いた。
「こんな感じか」
本人だけが。
恐ろしく軽い。
観客席のシルヴィアが、目を見開いていた。
「……私より」
「え?」
綾斗が彼女を見る。
「出力の立ち上がり方が速い」
シルヴィアはハイセから目を離さない。
「私の歌い方じゃない」
「違うの?」
「ええ」
同じ技術を基礎にしている。
同じ現象干渉の原理を使っている。
それでも。
「ハイセ君、自分の戦い方に合わせてる」
歌を一曲完成させる必要がない。
必要な現象が成立した時点で。
歌を切る。
残されたプラーナを。
戦闘へ回す。
「……合理的ね」
シルヴィアは少し呆れたように笑った。
「歌手としては、ちょっと複雑だけど」
◇
「来ないなら!」
対戦相手が動いた。
待つ理由はない。
相手が何をしているのか理解出来なくても、試合なら攻撃すればいい。
大型煌式武装を振り上げ、一気に間合いを詰める。
ハイセはそれを見る。
そして。
ウォーレ=ザインを抜いた。
青い光が。
静かに灯る。
「…………」
その瞬間。
奇妙な感覚があった。
相手の位置が。
分かる。
正確には。
位置だけではない。
距離。
高さ。
角度。
アリーナを構成する空間の中で。
相手が。
何処に存在しているのか。
座標として。
感じ取れる。
「……ん?」
ハイセの眉が僅かに動く。
今までにはなかった認識だった。
シルヴィア由来の現象干渉が、周辺空間そのものへ意識を広げている。
そして。
その認識へ。
ウォーレ=ザインが。
反応した。
指定された座標軸。
そこへ存在する空間そのものを。
切断出来る。
「…………」
ハイセは。
剣を振らなかった。
「今はいいか」
必要がない。
こんな初戦で試すものではない。
代わりに。
膨大なプラーナを。
剣へ流した。
「なっ――!?」
青い刀身が。
爆発的に輝く。
「行く」
ハイセが。
一歩。
踏み込んだ。
◇
観客の大半には。
何が起きたのか。
見えなかった。
青い光が走った。
ただそれだけ。
次の瞬間には。
ハイセが。
対戦相手の。
背後にいた。
「…………」
静寂。
相手は。
煌式武装を。
構えたまま。
止まっている。
そして。
胸元に付けられた校章へ。
一本の。
細い亀裂が。
入った。
「え」
乾いた音。
校章が。
割れる。
試合終了を告げる音が。
会場へ響いた。
「…………」
誰も。
すぐには。
歓声を上げなかった。
理解が。
追いついていなかった。
やがて。
大型モニターへ。
勝者の名前が表示される。
WINNER
HAISE SASAKI
Yami_Q_ray
数秒遅れて。
会場が。
爆発した。
◇
「一撃……?」
綾斗が呟いた。
「一撃ね」
シルヴィアも答える。
「しかも」
少しだけ笑う。
「歌、あれだけ?」
「イントロだけだったね」
「本当に戦闘用にしてる……」
歌手としては。
少々。
物申したい。
しかし。
能力使用者として見れば。
正しい。
必要なだけ歌い。
必要な現象を起こし。
残りを。
全て攻撃へ回した。
「でも」
シルヴィアは。
少し嬉しそうだった。
「ちゃんと自分の歌になってる」
◇
アルルカント側。
「…………」
カミラは。
完全に黙っていた。
「カミラ?」
エルネスタが呼ぶ。
「…………」
「もしもーし?」
「聞こえている」
「どうしたの?」
「私は」
一度。
額を押さえる。
「初戦で全開にするなと言ったはずなんだが」
「全開ではないぞ」
ヒルダが答えた。
「…………何?」
「今の出力なら、おそらく六割前後だ」
「…………」
沈黙。
エルネスタが。
ゆっくり。
ヒルダを見る。
「ホント?」
「身体側がまだ完全に成長し切っていない。しかも歌唱による現象干渉も初実戦だ」
ヒルダは。
心底楽しそうに。
笑った。
「キヒヒヒヒヒ!」
「笑うな!!」
「これが笑わずにいられるか!」
カミラは。
頭を抱えた。
「……何を作ったんだ、私達は」
「新時代の扉を開く大いなる闇の歌姫だが?」
「そういう意味じゃない!!」
◇
会場内。
別の場所。
一人の男が。
無言で。
映像を見ていた。
マディアス・メサ。
「…………」
試合時間。
極めて短い。
使用した歌。
僅か。
剣技。
一撃。
それだけ。
にもかかわらず。
相手は。
何一つ。
出来なかった。
「……何故だ」
マディアスは。
録画を。
もう一度。
再生した。
ハイセが。
歌う。
プラーナが。
急激に。
跳ね上がる。
青い剣を。
抜く。
一歩。
消える。
校章が。
割れる。
「…………」
天霧綾斗とは。
違う。
明確に。
違う。
綾斗の代用品などではない。
むしろ。
全く別の。
勝利条件を。
自ら作れる。
存在。
「……厄介な」
それでも。
まだ。
マディアスには。
一つだけ。
理解出来ていないことがあった。
自分は。
ハイセに。
狙われていると。
思っている。
違う。
ハイセにとって。
マディアスは。
人生を懸けて。
倒すべき宿敵などではない。
巨大な悪でも。
越えるべき壁でも。
ない。
ただ。
自分が。
次へ進むために。
邪魔な。
一つの。
条件。
それだけだった。
◇
試合後。
控室。
「どうだった?」
カミラが聞く。
「楽しかった」
「そうではない」
「身体?」
「ああ」
「問題ない」
ハイセは。
自分の手を見る。
「歌も」
喉へ。
軽く触れる。
「思ったより使いやすかった」
「ウォーレ=ザインは?」
そこで。
少しだけ。
止まった。
「……変な感じした」
「何が?」
「相手の場所が」
言葉を。
探す。
「場所じゃなくて……座標?」
「座標?」
カミラの表情が変わる。
「何処にいるかじゃなくて、空間の何処を指定すればいいのか分かった」
「…………」
「ウォーレ=ザインも反応した」
カミラは。
完全に。
黙った。
エルネスタが。
横から。
顔を出す。
「それってさ」
「何?」
「シルヴィアの現象干渉で空間を認識して、ウォーレ=ザインで指定した場所を斬れるってこと?」
「多分」
「…………」
「今日は使ってないけど」
「どうして?」
「必要なかった」
エルネスタの顔が。
ゆっくり。
笑顔になる。
「面白――」
「言うな」
カミラが。
遮った。
「まだ絶対に試すな」
「何で?」
「怖いからだ!」
「研究者がそれ言う?」
「研究者だから言っている!!」
◇
そして。
ハイセは。
まだ知らない。
今日。
自分が。
たった数秒の試合で。
見せたものが。
これから。
何処まで。
広がっていくのか。
歌によって。
現実へ干渉し。
空間を。
座標として。
認識する。
そして。
青鳴の魔剣は。
指定された。
座標軸の。
空間そのものを。
断ち切る。
今は。
ただ。
アリーナの中で。
敵の位置を。
認識しただけ。
しかし。
もし。
その認識対象が。
世界そのものへ。
広がったなら。
もし。
境界。
次元。
世界と世界の。
接続点まで。
座標として。
認識出来たなら。
その青い刃は。
何処まで。
届くのか。
その答えを。
知る日は。
まだ。
先。
ハイセは。
控室を出ながら。
ただ。
次の試合のことだけを。
考えていた。
「次は」
小さく笑う。
「もう少し歌えるかな」
後ろで。
カミラが。
本気で。
頭を抱えた。