【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
翌朝。
目を覚ましたハイセは、しばらく何も考えないまま見知らぬ天井を眺めていた。
「…………」
白い天井。
自分の知っている宿屋とは違う、妙に整った室内。
そして窓の向こうから聞こえてくる、馬車の車輪とも市場の喧騒とも異なる、低く規則的な機械音。
数秒遅れて、昨日一日の出来事が意識へ戻ってくる。
「……ああ」
異世界。
学戦都市アスタリスク。
カミラ・パレート。
アルルカント・アカデミー。
「夢じゃなかったか」
上半身を起こし、まだ僅かに眠気の残る頭を掻く。
昨日、カミラの手配によってアルルカントが管理する宿泊施設の一室を使わせてもらうことになった。
ただし、単純に好意で泊めてもらっているわけではない。
ハイセ自身の身体データ。
【武器マスター】という未知の能力。
ノブナガと呼ばれる人物が残した古い手記。
そして、ブラックエンシェントドラゴンを倒した際、その胸部から密かに回収した灰色の宝玉。
それらについて、ハイセが許可した範囲で研究へ協力する。その対価として研究協力費を受け取り、そこから滞在中の生活費を賄う。
昨日のうちに、そういう形で話がまとまった。
『本当にこんなに貰っていいのか?』
『こちらにとっては未知そのものだからな。未知の資料へ正当な対価を支払うことは何もおかしくない』
『俺、こっちの金の価値なんて分からねぇぞ』
『だから説明すると言っている』
『誤魔化してない?』
『何故、金を受け取る側のお前がこちらを疑うんだ』
『知らない世界でいきなり契約させられてるからだよ』
『なら契約書を読め』
『こっちの文字を全部読めると思うか?』
『…………』
そのあとカミラは本当に、一項目ずつ内容を説明してくれた。
途中で面倒になった様子も見せず、ハイセが理解できない部分があれば言い換え、最後には「納得できなければ署名しなくていい」とまで言った。
「……妙に律儀なんだよな」
ベッドから足を下ろしながら呟く。
研究の話になると目つきが怖い。
未知のものを見つけた時の食いつき方も尋常ではない。
だが少なくとも、今までのところカミラはハイセの意思を一度も無視していない。
「……信用するには、まだ早いけどな」
そう自分へ言い聞かせながら立ち上がった。
信用するかどうかも、自分で決めればいい。
今は、それで十分だった。
◇
「遅い」
「時間ぴったりだろ」
指定された待ち合わせ場所へ到着すると、カミラは既に立っていた。
壁面へ表示された時刻を見る限り、約束した時間まで数十秒ある。
「研究者にとって五分前は定刻だ」
「そんなルール知らねぇよ」
「今日から覚えろ」
「何で俺まで研究者基準なんだ」
「これから研究施設へ入るからだ」
「理屈になってないだろ」
文句を言いながら、ハイセは目の前の建物を見上げた。
「……でかいな」
昨日訪れた施設ですら十分に巨大だったが、今日連れてこられた場所はその比ではない。
複数の棟が広大な敷地へ並び、それぞれが空中通路で接続されている。壁面の一部はガラスのように透き通り、その奥では大小様々な装置が絶え間なく稼働していた。
制服姿の学生もいれば、白衣姿の研究員もいる。
荷物を運ぶ無人機らしきものが頭上を横切り、遠くでは大型機械の駆動音が低く響いていた。
「ここが?」
「ああ」
カミラが当然のように答える。
「アルルカント・アカデミーだ」
「…………」
学園。
そう聞いていた。
だがどう見ても、ハイセが想像する学校とは違う。
「学校っていうより、研究所だな」
「よく言われる」
「否定しないのか」
「事実だからな」
カミラはそう言って歩き始めた。
「ついてこい。迷ったら面倒だ」
「そんな複雑なのか?」
「初見で一人歩きすれば十中八九迷う」
「じゃあもっと分かりやすく作れよ」
「研究棟は必要に応じて増築される」
「余計迷うやつじゃねぇか」
そんな会話を交わしながら、ハイセもその後へ続いた。
◇
内部へ入ってから、ハイセはしばらく口数が減った。
どこを見ても、自分の常識では理解できないものばかりだった。
分解された煌式武装。
巨大な人型機械。
透明な容器へ浮かべられた鉱物。
液体の中で光を放つ未知の部品。
壁一面を覆う表示装置には、数式や図形、波形らしきものが絶えず流れている。
説明されても、おそらく半分も理解できない。
それでも。
「…………」
一つだけ、分かることがあった。
ここにいる人間たちは、誰も遊んでいない。
一つの装置へ何人もの研究者が集まり、声を掛け合いながら調整を続けている。
別の場所では、学生らしい若者が失敗した試作品を前に頭を抱え、その隣では年上の研究員が画面の数値を確認しながら何度も修正案を書き込んでいる。
成功した者も。
失敗した者も。
皆、次へ進もうとしていた。
「……面白ぇな」
「何が?」
少し先を歩いていたカミラが振り返る。
「いや」
ハイセは周囲へ視線を巡らせた。
「みんな、こういうの好きなんだな」
「何を見てそう思った?」
「顔」
「…………」
「上手くいってない奴まで、帰ろうとしてない」
失敗した試作品を見ながら頭を抱えていた学生は、既に工具を取り直している。
「冒険者にもいるんだよ。何回失敗しても、また同じダンジョンに潜る奴」
「それと同じだ」
カミラの表情が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「好きでもない研究を、何度失敗しても続けられるほど、研究というものは甘くない」
「……なるほどな」
危険。
失敗。
思い通りにならないこと。
それでも続ける。
形は違っても、そこだけは冒険者と似ているのかもしれない。
「こっちだ」
「ああ」
◇
案内された先は、昨日使った部屋より遥かに大きな実験室だった。
中央には武器を振るっても十分な広さの試験区画が設けられ、その周囲を数多くの観測装置が取り囲んでいる。
既に何人かの研究員も待機していた。
扉から入ってきたハイセへ、その視線が一斉に集まる。
「……人数多くないか?」
「仕方ない」
「何が」
「昨日の検査結果を必要な部署へ共有した」
「漏れたんじゃなくてアンタが流したのかよ」
「必要な範囲だけだ」
「それを先に言え」
「個人情報は伏せてある」
「異世界から来た奴が一人しかいないなら、それだけで十分特定できないか?」
「…………」
「黙るな」
そんな二人の会話へ、一人の研究員がおそるおそる割って入る。
「カミラ会長」
「何だ」
「昨日の資料にあった……その方が?」
「ああ」
「未知のエネルギー反応を持っているという?」
「確認済みだ」
「それと、あの文献も?」
「現在解析中だ」
さらに別の研究員が口を挟む。
「灰色の結晶体についても追加結果が出ています」
「……もう出たのか?」
カミラの表情が切り替わった。
「ああ、ハイセ。ちょうどいい。先に昨日の二つについて話しておこう」
「手記と、あの玉か?」
「そうだ」
カミラは端末を操作し、空中へ資料を表示する。
「まず手記からだ」
古びた手記を撮影した画像と、その横へ解析結果らしい文字列が並んだ。
「言語班の見解では、読解可能な部分については間違いなく英語で書かれている」
「昨日と同じだな」
「ああ。だが、やはり全体を読むことはできない」
「アンタたちでも?」
「読めない、というより――意味として認識できない」
カミラはページの一部を拡大する。
「文字列の構造自体は破綻していない。だが特定の箇所だけ、内容を理解しようとすると情報が抜け落ちる。暗号とも単純な言語障壁とも違う」
「……俺が急に読めるようになったのと関係ある?」
「可能性はある」
ブラックエンシェントドラゴンとの戦い。
血に濡れた手記。
突然、意味を持った文字。
そして、その記述を理解したことで扱えるようになった未知の武器。
「さらに、もう一つ」
カミラが別の資料を表示する。
「“NOBUNAGA”という記述について、日本史を専門とする者へ確認を取った」
「日本史?」
「昨日話した、日本という国の歴史だ」
そこへ一人の男性研究員が説明を引き継いだ。
「こちらの歴史で“ノブナガ”という名前から最も有名な人物を挙げるなら、織田信長でしょう」
「オダ……ノブナガ?」
「十六世紀の日本で活躍した武将です」
「武将……つまり戦士みたいなもんか」
「大雑把に言えば」
ハイセは手記の画像を見る。
「じゃあ、こいつが書いたのか?」
「それが分からない」
答えたのはカミラだった。
「むしろ、現段階では同一人物と考えるには不自然な点が多い」
「例えば?」
「読解可能な箇所だけでも、そこに記されている兵器知識の一部が十六世紀の技術水準から逸脱している」
「…………」
「もちろん、君の世界にこちらと同じ歴史が存在した保証はない。同名の別人かもしれないし、後世の人間がノブナガを名乗った可能性もある」
カミラは腕を組んだ。
「結論は保留だ」
「……結局分かんねぇのか」
「昨日よりは分かった」
「謎が増えただけじゃねぇか?」
「それも進歩だ」
「研究者って便利だな、その考え方」
そう言いながらも、ハイセはもう一度手記へ目を向ける。
自分の世界では正体すら分からなかった文字。
こちらでは英語と呼ばれている。
さらに“ノブナガ”という名前まで、この世界の歴史に存在する。
偶然。
そう切り捨てるには、少し引っ掛かる。
「……ノブナガって、何者なんだ」
無意識に零れたその問いへ、今は誰も答えを持っていなかった。
「そして、もう一つ」
カミラが表示を切り替える。
画面へ映し出されたのは、灰色の宝玉。
「昨日の簡易検査では、マナダイト系の物質と似たエネルギー応答を確認した」
「ああ」
「精密比較を掛けたところ、さらに妙なことが分かった」
「また?」
「通常のマナダイトより――」
一拍置いて。
「ウルム=マナダイトに近い」
周囲の研究員たちが静かにざわつく。
「ウルム……何だって?」
「ウルム=マナダイト。極めて特殊なマナダイトだ。こちらでも希少性が高く、普通のマナダイトとは性質が異なる」
「それと、あの玉が?」
「同じものではない」
カミラは即座に否定した。
「組成は一致しない。物質構造も違う。そもそもこちらは、君の話が正しければ生物の体内で形成されたものだ」
「ああ」
「なのに」
波形を重ねる。
一方は既知のウルム=マナダイト。
もう一方は灰色の宝玉。
専門知識のないハイセにも、それらの線が妙なほど似た形を描いていることだけは分かった。
「エネルギー波形のパターンが、異常なほど近い」
「…………」
「完全一致ではない。だが、偶然で片付けるには近すぎる」
カミラの声から、先ほどまでの軽い調子が消えている。
「もし君の世界で、万応素とは全く異なる経路から、ウルム=マナダイトと類似した性質を持つ物質が形成され得るのなら……」
そこで言葉を止める。
まだ仮説ですらない。
検証材料は、たった一つの宝玉しかない。
それでもカミラの頭の中では、既に幾つもの可能性が走り始めているのだろう。
「なあ」
「何だ」
「そんな凄い物だったのか?」
「だから昨日からそう言っている!」
「俺は珍しいから拾っただけだって」
「それでこんなものを拾ってくるな!」
「捨てるよりいいだろ!」
「結果論だ!」
周囲の研究員が小さく笑う。
ハイセは不満そうに眉を寄せた。
「……まあいい」
カミラは一度息を整え、画面を閉じる。
「こちらは引き続き非破壊で調べる。勝手な加工はしない」
「ならいい」
「次だ」
そして赤い瞳が、今度はハイセ本人へ向けられた。
「昨日話した【武器マスター】を見せてもらいたい」
◇
実験場の中央へ立ったハイセは、周囲を囲む観測機器と研究者たちを見回した。
「……やっぱり多くないか?」
「昨日より減らした」
「これで?」
「これでも」
「アルルカント怖ぇな」
カミラは気にせず確認を続ける。
「条件を改めて確認する。能力の発動と武器の生成を観測するだけだ。能力そのものへ外部から干渉する実験は行わない」
「ああ」
「中止したくなったら言え」
「分かった」
「では始めてくれ」
ハイセは軽く息を吐き、右手へ意識を集中させる。
まだ覚醒して数日。
自分でも、この力の全てを理解しているわけではない。
「【武器マスター】」
能力を起動した瞬間。
周囲の観測装置が一斉に反応した。
「未知反応を確認!」
「星辰力とは別系統!」
「万応素の変動は?」
「検出できません!」
「生成プロセスを記録しろ!」
「うるせぇ!」
ハイセの怒鳴り声など、研究者にはほとんど届いていなかった。
「ハイセ。まず、ブラックエンシェントドラゴンとの戦いで使った武器を出せるか?」
「あの時の?」
「ああ」
「……やってみる」
右手を伸ばす。
思い浮かべる。
あの時。
手記の文字が意味を持った瞬間に知った武器。
死を前にして、それしかないと縋ったもの。
次の瞬間、空間から武器が形を成す。
「グレネードランチャー……」
名称まで自然に頭へ浮かぶ。
大きな筒状の銃器。
ハイセはそれを、初めからそうするものだと知っているかのように構えた。
「…………」
カミラの目が細くなる。
「ハイセ」
「何だ?」
「それを初めて使ったのは?」
「数日前」
「それ以前に見たことは?」
「ない」
「訓練は?」
「してない」
研究員たちの手が止まる。
「……もう一つ出せるか?」
「手記で分かったやつなら、多分」
ハイセはグレネードランチャーを消し、別の武器へ意識を向ける。
再び形が生まれる。
先ほどとは構造も扱い方も違う。
それでも、手へ収まった瞬間には握り方が分かった。
姿勢。
狙い方。
どこへ指を掛けるべきか。
どう扱えば危険なのか。
考えるより先に、身体が知っている。
「…………」
ハイセ自身が、そこで初めて違和感を覚えた。
「待て」
「どうした?」
「いや……」
武器を見る。
「何で俺、これ普通に使えるんだ?」
研究室が静かになった。
カミラが額へ手を当てる。
「今気付いたのか?」
「だって、出したら分かるんだよ」
「それを異常だと思え!」
「俺だって能力に目覚めたばっかなんだよ!」
「だからこそ疑問を持て!」
「ドラゴンと殺し合ってる時にそんな余裕あるか!」
「…………」
数秒。
カミラは少しだけ黙った。
「……それはそうだな」
「だろ?」
珍しく素直に引いたカミラに、逆にハイセの方が拍子抜けする。
「だが、これで重要なことが一つ分かった」
カミラは端末を操作し、先ほど記録した動作データを表示した。
「お前は、単純に武器を召喚しているだけではない可能性が高い」
「どういう意味だ?」
「今の動作には躊躇がない。数日前に初めて存在を知った武器へ向ける動きではない」
「…………」
「武器に関する知識。操作方法。あるいは扱うために必要な身体感覚そのもの」
カミラの指が数値を追う。
「それらが、武器を生成した時点でお前へ補完されている可能性がある」
「…………」
ハイセは右手を見る。
「……そんな能力だったのか、これ」
「まだ仮説だ」
「アンタに言われるまで何も考えてなかった」
「そこが一番恐ろしい」
「悪かったな」
カミラは呆れたように息を吐くが、すぐに研究者の顔へ戻った。
「もう一つ試そう」
「何を?」
「お前が意識的に使いにくそうだと思う武器を選べるか?」
「使いにくそうなやつ?」
「ああ。得意不得意を自覚していなくても構わない。形状から見て、自分には合わなそうだと感じるものを選んでみろ」
ハイセは少し考え、手記で理解できる範囲から一つを選ぶ。
生成。
構える。
そして動く。
最初に感じた印象とは裏腹に、武器は手へ自然に馴染んだ。
重量の掛かり方。
軌道。
構え。
体重移動。
まるで長く使い込んできたかのように、身体が最適な動きを選んでいく。
「……気持ち悪いな」
「今更か」
「自分でやってて初めて思ったんだよ」
カミラは何度もデータを確認する。
「やはり、本人の経験だけでは説明できない」
「…………」
「【武器マスター】は、武器を呼び出すだけではない」
一歩、ハイセへ近づく。
「使い手と武器の間に存在する、知識、習熟、適性――そういう壁そのものを能力側から埋めている可能性がある」
「適性の壁……」
「ああ」
その言葉を口にした瞬間、カミラの瞳へ別の光が宿る。
昨日、【究極の汎用性】について語っていた時と同じだった。
「ハイセ」
「何だ」
「お前の能力が、どれほど私の研究思想と近いところにいるか分かるか?」
「……誰でも武器を使えるようにする?」
「近い」
カミラは実験場の中央へ置かれた武器を指した。
「私の【究極の汎用性】は、武器側に存在する壁を低くする思想だ」
「武器側?」
「扱いやすくする。使用条件を減らす。特殊な適性がなくても性能を引き出せるようにする」
そして今度はハイセを指す。
「だが、お前の能力は逆だ」
「逆?」
「ああ」
「私は武器を使い手へ近づけようとしている」
一拍。
「お前の【武器マスター】は、使い手を武器へ近づけている」
「…………」
ハイセの目が僅かに見開かれた。
「方向は真逆だ」
カミラの声へ熱がこもる。
「それでも、結果として起きていることは似ている。普通なら使えない武器を、使えるようにする。適性という理由だけで選択肢から外される武器を、選べるようにする」
選択肢。
その言葉が、ハイセの胸へ引っ掛かった。
昨日も聞いた。
自分はどうしたかったのか。
自分で何を選ぶのか。
これまで【武器マスター】は、単なる力だと思っていた。
生き残るため。
戦うため。
誰かに不要だと言わせないため。
その程度にしか考えていなかった。
だがカミラは、それを別の角度から見る。
「……そんなふうに考えたことなかった」
「だろうな」
「何で分かる」
「今まで一度も自分の能力を分析していなかった男だからだ」
「うるせぇ」
「だから研究する意味がある」
カミラは当然のように言った。
「分からないものを、分かるようにする。使えないものを、使えるようにする。そのために私たちは調べる」
「…………」
「それが研究だ」
ハイセはしばらく彼女を見ていた。
やがて、小さく笑う。
「やっぱり」
「何だ?」
「アンタの話、面白いな」
「今頃気付いたか」
「調子に乗るな」
◇
実験が終わったあとも、ハイセはそのまま帰されることはなかった。
「それで」
観測機器を片付ける研究員たちを眺めながら、ハイセはカミラへ問いかける。
「俺はこれで終わりか?」
「何が?」
「データ取っただろ」
「ああ」
「じゃあ俺はもう要らない?」
口にしてから。
ほんの一瞬だけ、胸の奥がざらついた。
必要なデータさえ取れれば、もう用はない。
そういう答えが返ってきても不思議ではない。
だがカミラは、ハイセが何故そんなことを聞いたのかすら気にしていない様子で端末を閉じた。
「むしろ逆だ」
「……逆?」
「ハイセ」
「何だ」
「研究へ協力しないか?」
「…………」
「被験者として?」
「違う」
即答だった。
「研究協力者としてだ」
「…………」
その言葉の意味を測るように、ハイセは眉を寄せる。
「何が違う?」
「お前を測定台へ乗せて数字だけ取るつもりではない、という意味だ」
カミラは近くの試作武器へ視線を向けた。
「お前は自分の世界の武器を知っている」
「全部じゃねぇぞ」
「知っている範囲でいい。魔物とも戦った。実際に武器を使い、生き残ってきた」
「…………」
「研究室の中だけでは分からないことがある。設計上正しくても、実戦で使えば役に立たない武器など幾らでもある」
そこで、真っ直ぐハイセを見る。
「お前の意見が欲しい」
「……俺の?」
「ああ」
その答えが、思っていた以上に強く胸へ残った。
能力が欲しい、ではない。
手記が欲しい、でも。
龍核が欲しい、でもない。
自分の経験。
自分が見てきたもの。
自分が考えること。
それに価値があると言われた。
「俺、研究なんてしたことねぇぞ」
「論文を書けとは言っていない」
「じゃあ何すんだ」
「見る」
「うん」
「触る」
「ああ」
「使えるなら使う」
「それで?」
「何が良いか、何が駄目かを言え」
「……それだけ?」
「それだけだ」
カミラは肩を竦める。
「ただし、遠慮はいらない」
「それなら」
ハイセは少し考える。
「できるかもな」
「そうか」
「でも俺、結構言うぞ」
「望むところだ」
「使い物にならないと思ったら普通に言う」
「言え」
「傷つかない?」
「私を誰だと思っている」
「面倒くさい研究者」
「帰れ」
「帰る場所ねぇんだよ」
口にした瞬間。
二人の間へ僅かな沈黙が落ちた。
カミラの表情がほんの少し曇る。
「……悪かった」
「冗談だよ」
「…………」
「そんな顔するなって」
ハイセが苦笑すると、カミラは小さく息を吐いた。
「お前は本当に面倒な男だな」
「お互い様だろ」
それ以上、その話題へ触れることはなかった。
◇
その後、ハイセは研究区画の一部を見せてもらった。
煌式武装。
試作品。
各種素材。
まだ完成していない機構。
説明されても理解できない部分は多かったが、それでも実物を手へ取れば、冒険者として分かることもある。
「これ」
「何だ?」
細身の試作武器を受け取り、ハイセは軽く振る。
もう一度。
今度は少し角度を変える。
「重心、おかしくないか?」
「…………」
カミラが目を細める。
「何故そう思う?」
「振った時、先端が遅れる」
「設計上は許容範囲内だ」
「でも実際に振ると気持ち悪いぞ」
「どこが?」
「多分……ここ」
ハイセは武器の中央付近を指で叩いた。
「中に何か入ってるだろ」
「補助機構だ」
「それが重いんじゃねぇの?」
カミラの表情が変わる。
「もう一度振れ」
「いいけど」
指示通り何度か動かす。
横薙ぎ。
斜め。
切り返し。
カミラはその動作を端末で確認し、設計データと重ねた。
「……確かに」
「?」
「静止状態での重量配分は許容内だが、振り抜いた際に内部機構の位置が慣性へ影響している」
「やっぱり?」
「僅かな差だ」
「でも戦ってる最中なら、その僅かが邪魔になるぞ」
「…………」
カミラがハイセを見る。
「何だよ」
「本当に研究経験はないのか?」
「ないって」
「どうしてそこまで分かる」
「冒険者なら、自分の武器の具合くらい見るだろ」
ハイセは何でもないことのように答えた。
「重心がおかしい。刃が欠けてる。柄が緩んでる。そういうの見落として戦ったら、最悪死ぬ」
「…………」
「だから使った時に変なら分かる。それだけだ」
カミラはしばらく何も言わなかった。
やがて試作武器へ視線を落とし、小さく呟く。
「実戦経験そのものが、膨大なデータということか」
「?」
「研究者側では数値へ変換しなければ見えない違和感を、お前は身体で拾っている」
「そんな大層なもんじゃないだろ」
「価値を決めるのは、お前だけではない」
「…………」
その言葉に、ハイセは一瞬だけ黙った。
カミラは試作品を受け取る。
「お前を連れてきて正解だった」
「……そうかよ」
「ああ」
一切の躊躇もなく返された。
「かなりな」
「…………」
何故だろう。
その一言が、妙に嬉しかった。
以前の自分なら。
誰かの役に立てた、と喜んでいたのかもしれない。
だが今感じているものは、それとは少し違う。
強いから必要だと言われたわけではない。
荷物を持てるからでも。
道を覚えられるからでも。
持っている能力が珍しいからだけでもない。
自分が見て。
自分が感じて。
自分が出した意見そのものを、価値として受け取ってもらえた。
それが。
少しだけ、嬉しかった。
◇
気付けば窓の外は夕方になっていた。
「……疲れた」
ハイセは椅子へ深く身体を沈める。
「ダンジョン探索より疲れる」
「今日は身体より頭を使ったからだ」
「研究者って毎日こんなことしてんのか?」
「ああ」
「よくやるな」
「好きだからな」
「…………」
朝にも聞いた。
好きだから続ける。
窓の外へ視線を向ける。
見知らぬ都市。
見知らぬ夕焼け。
それを見ながら、不意に元の世界が脳裏へ浮かんだ。
サーシャ。
セイクリッド。
あの日。
自分へ向けられた言葉。
弱い。
必要ない。
足を引っ張る。
自分のためだとまで言われた。
それからブラックエンシェントドラゴンと戦い、【武器マスター】へ目覚めた。
ほんの数日前のことだ。
まだ傷口すら塞がっていないような記憶なのに、自分は今、全く知らない世界の研究所にいる。
帰りたい。
その気持ちはある。
元の世界そのものを捨てたいわけではない。
だが。
帰ったとして。
自分はどこへ行くのだろう。
セイクリッドには、もう戻れない。
戻るつもりもない。
ならば、何処へ。
「……ハイセ」
カミラの声に、意識が現在へ戻る。
「何?」
「明日も来るか?」
「…………」
ハイセは少しだけ目を瞬いた。
「来ていいのか?」
「私が聞いているんだ」
「…………」
「嫌なら来なくていい。能力の検査も、手記や宝玉の解析も、お前の許可した範囲で進める」
「…………」
「だが」
カミラは何でもないことのように続ける。
「お前がいる方が、研究は面白い」
「……それ、褒めてる?」
「かなり」
ハイセはしばらく何も言わなかった。
明日。
昨日まで、自分にとって明日とは、ただ生き残ればやってくるものだった。
追いつかなければ。
強くならなければ。
役に立たなければ。
そんなことばかり考えていた。
だが今は。
明日、ここへ来るか。
来ないか。
それを自分で選べる。
「じゃあ」
一度だけ窓の外を見てから、ハイセはカミラへ向き直った。
「来る」
「そうか」
カミラも僅かに笑った。
その返事は、小さなものだった。
元の世界へ帰ることを諦めたわけではない。
ここへ永遠に残ると決めたわけでもない。
ただ。
少なくとも明日一日を、ここで過ごす。
ハイセが自分で選んだ。
それだけだった。
そして、その直後。
「カミラァ――!」
実験室の扉が勢いよく開いた。
「…………」
さっきまで僅かに柔らかかったカミラの表情が、一瞬で曇った。
「何だ」
入ってきたのは、一人の少女だった。
軽い足取り。
楽しそうな表情。
見るからに、何か面白いものを探している人間の顔。
そして少女は、部屋へ入るなり見慣れないハイセを発見した。
「…………」
「…………」
一秒。
二秒。
その瞳が、見る見るうちに輝いていく。
「ねえ、カミラ」
「何だ」
「その子、誰?」
「…………」
「見たことないよね?」
「…………」
「しかも」
少女はハイセを頭の先から足元まで眺めると、満面の笑みを浮かべた。
「なんか、すっごく面白そうなんだけど」
「…………」
カミラは無言で額へ手を当てた。
「帰れ」
「えー?」
「今すぐ帰れ」
「まだ何もしてないよ?」
「だからだ」
「?」
「何かする前に帰れ」
「酷くない!?」
二人のやり取りを眺めながら、ハイセは首を傾げる。
「誰?」
「…………」
カミラが深く。
本当に深く。
溜息を吐いた。
「エルネスタ・キューネ」
「エルネスタ?」
「ああ」
そしてカミラは、研究者としては異様なほど真剣な顔でハイセを見る。
「覚えておけ」
「何を?」
「可能なら」
一拍。
「距離を取れ」
「酷くない!?」
再び響くエルネスタの抗議を聞きながら、ハイセは僅かに首を傾げた。
この時の彼は、当然ながらまだ知らない。
カミラの忠告が、後から振り返れば驚くほど正しかったことを。
そして目の前で楽しそうに笑っている少女と自分が、やがてカミラの知らないところで、ブラックエンシェントドラゴンの龍核を使った得体の知れない試作武装をこっそり作り。
完成した途端に調整を面倒がって放置し。
その存在を忘れ。
最終的には、別の誰かの手によって想定外の形で使われることになるなど。
この時のハイセには。
知る由もなかった。