暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
リンドヴルム第三戦。
対戦カードが大型モニターへ表示された瞬間、会場に起こったざわめきは、これまでの二試合とは明らかに種類が違っていた。
片方は、今大会最大級の注目株となったアルルカントの新鋭、ハイセ・ササキ。【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】――Yami_Q_ray。
そして、もう片方。
レヴォルフ黒学院序列一位。
《孤毒の魔女》。
オーフェリア・ランドルーフェン。
「……今までより随分反応が違うな」
入場通路で歓声を聞きながら、ハイセは率直な感想を口にした。その横ではカミラが最後の計測端末を確認していたが、普段以上に表情が険しい。
「当然だ。今度の相手はこれまでとは違う。オーフェリア・ランドルーフェンは単純な高出力型ではない。彼女自身の周囲を蝕む能力に加えて、《グラヴィシーズ》による重力制御まで持っている」
「蝕みと重力ね」
「近づくだけでも消耗する。しかも動きを止められれば、その時間だけ蝕みに晒され続けることになる。相性だけ見れば、近接戦闘主体のお前にはかなり悪い」
ハイセは腰に下げた【青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)】へ目を落とした。前回までなら、この剣をどう届かせるかを真っ先に考えていただろう。
だが今日は、それだけではない。
「歌えばいいんだろ?」
「そう簡単に言うな」
「前より長く歌うつもり」
カミラの手が止まった。
「……どこまでだ?」
「最後まで」
「全部?」
「ああ」
ハイセが当然のように答えると、近くで聞いていたシルヴィアの顔がぱっと明るくなった。
「ようやく一曲ちゃんと歌うのね」
「戦ってる途中で止めるかもしれないけど」
「今“最後まで”って言ったでしょう?」
「死にそうなら止めるよ」
「それは止めていいわ」
シルヴィアは苦笑してから、少しだけ真剣な顔になった。
「でも覚えておいて。オーフェリア相手なら、歌い続けること自体が簡単じゃない。呼吸を乱されれば、能力以前に声が出せなくなるから」
「分かってる」
ハイセは一度だけ深く息を吸った。
「だから試したいんだ」
◇
アリーナへ出ると、空気が重かった。
比喩ではない。
反対側に立つオーフェリアの周囲だけ、既に世界の色そのものが僅かに沈んでいるように見える。銀色の髪と整った容貌は静謐ですらあるのに、その身体から漂う気配には、生き物が本能的に近づくことを拒む何かがあった。
ハイセは歩みを止めた。
「……なるほど」
「何かしら?」
オーフェリアの声は静かだった。
「アンタの周り、本当に削られてる感じする」
「それでも逃げないのね」
「試合だから」
「そう」
興味があるようにも、ないようにも聞こえる。
オーフェリアはハイセをしばらく眺めた後、視線を腰のウォーレ=ザインへ移した。
「その剣。あなたに執着を許さない純星煌式武装だったかしら」
「詳しいな」
「ディルクから聞いただけよ」
「……アイツ、俺の情報集めすぎじゃない?」
「彼はそういう人間でしょう」
「それはそう」
妙なところで意見が一致した。
やがて試合開始のカウントが表示され、オーフェリアの手元に《グラヴィシーズ》が現れる。
「一つだけ」
ハイセが口を開いた。
「何?」
「アンタ、死ぬの怖くないの?」
会場の喧騒とは裏腹に、二人の間だけ空気が止まった。
オーフェリアの表情は変わらない。
「突然ね」
「聞きたかっただけ」
「恐れても仕方がないものを恐れる意味があるのかしら」
「それ、死にたいって意味?」
「いいえ」
答えは早かった。
「ただ、私にはそういう結末しかないというだけ」
ハイセの紫色の瞳が僅かに細くなる。
「……そう」
死を望んでいるわけではない。
避けられないから、受け入れているだけ。
「ならいい」
「何が?」
その問いに答える前に、開始音が鳴った。
◇
最初に世界を支配したのは、オーフェリアだった。
ハイセの足元が沈む。
「っ……!」
身体へ突然、何倍もの重量が襲いかかった。膝が折れそうになるのを踏みとどまった直後、今度は周囲を満たす蝕みが星辰力の防御を削り始める。
重力によって逃げ道を奪い、その場へ固定する。
そこへ自身の能力による侵蝕を重ねる。
単純だが、恐ろしく完成度が高い。
「これは……」
ハイセがウォーレ=ザインへ手を伸ばそうとする。
さらに重くなった。
腕が途中で止まる。
「剣を抜かせると思う?」
オーフェリアは動かない。
動く必要がないのだ。
ハイセを押さえ込みながら、その生命力を削っていけばいい。
「確かに」
ハイセは苦しそうに息を吐いた。
「これは面倒だ」
「降参する?」
「しない」
そして。
剣から手を離した。
オーフェリアの目が僅かに動く。
ハイセはゆっくり息を吸った。重力で肺そのものを押さえつけられているような感覚がある。それでも、再構築された身体は歌うための呼吸経路を崩さず維持しようとしていた。
声が響く。
まだ小さい。
けれど。
確かに歌だった。
◇
「始めた!」
観客席でシルヴィアが身を乗り出した。
隣の綾斗はアリーナから目を離さない。
「でも、前の試合より苦しそうだ」
「当然よ。呼吸そのものへ圧力がかかってる」
それでも歌は止まらなかった。
暗闇を進み、後戻り出来ない道を歩き、それでも先へ向かおうとする旋律。その歌詞を逐一聞き取れないほど会場は騒がしいのに、ハイセが紡ぐ感情だけは、空気の振動とは別の何かとして周囲へ染み出し始めていた。
エルネスタが計測器を見る。
「プラーナ量はまだそんなに増えてない」
「出力へ回していないんだ」
カミラはすぐに気づいた。
「では何に?」
ヒルダが問う。
「環境だ」
アリーナ内の観測値を拡大する。
重力場そのものに。
微細な揺らぎが生じていた。
「ハイセは自分を強化しているんじゃない」
カミラの声が低くなる。
「オーフェリアが作った“状況”へ干渉し始めている」
◇
歌えば歌うほど、重さが変わっていった。
重力そのものが消えたわけではない。
オーフェリアの支配も続いている。
ただ。
絶対だったはずの条件に、少しずつ例外が生まれていく。
「…………」
オーフェリアの眉が初めて僅かに動いた。
ハイセの左足が前へ出る。
一歩。
重力制御下で。
立っているだけでも困難なはずの少女が。
歩いた。
「何をしているの?」
返事はない。
ハイセは歌っている。
もう。
オーフェリアと会話するために。
声を止めたくなかった。
二歩目。
空間を蝕む力が濃くなる。
ハイセの身体を覆うプラーナが削られる。
しかし。
削られるより早く。
歌が。
現実へ新しい条件を書き込んでいく。
三歩目。
「……面白いわね」
オーフェリアが《グラヴィシーズ》を向ける。
「なら、どこまで耐えられるのかしら」
重力が一気に跳ね上がった。
アリーナの床が。
ハイセを中心に陥没する。
「――っ!」
今度こそ身体が沈んだ。
片膝が地面へ着く。
歌声が僅かに揺れる。
だが。
止まらない。
◇
ウォーレ=ザインを抜けない。
身体を自由に動かせない。
プラーナを出せば侵蝕される。
歌で重力へ干渉しても、オーフェリアもまた出力を引き上げてくる。
ハイセは歌いながら考えていた。
どうすればいい。
武器を使う。
剣を抜く。
いや。
その考え方が。
そもそも間違っているのではないか。
「…………」
歌声が変わった。
力んだわけではない。
むしろ。
余計なものが抜けた。
綾斗の剣を見た時。
彼の動きをコピーするのではなく、その考え方を自分の剣へ変えた。
シルヴィアの歌も。
同じだった。
シルヴィアの声になる必要などない。
その歌を。
自分が。
どう使うのか。
そして今。
自分は何故。
歌を。
「能力」だと思っていた?
攻撃出来る。
守れる。
現実を動かせる。
相手の支配する世界へ。
自分の意思を。
届かせられる。
「…………あ」
答えが。
驚くほど簡単に。
出た。
歌も。
武器だ。
◇
その瞬間。
【武器マスター】が反応した。
「――!?」
ハイセ自身が目を見開く。
今までとは。
まるで違う感覚だった。
剣。
槍。
斧。
銃。
煌式武装。
純星煌式武装。
それらを握った時。
【武器マスター】は。
武器を理解した。
なら。
声を。
歌を。
自分の意思を現実へ届かせる手段として。
明確に。
「武器」と定義したなら。
「……そういうことか」
歌は止めない。
なのに。
笑った。
【武器マスター】の認識領域が。
一気に広がった。
◇
「何、この値」
エルネスタが呟く。
「【武器マスター】が動いてる?」
「馬鹿な」
カミラが計測器を確認する。
「ハイセは武器を握っていないぞ」
「違うよ」
シルヴィアが静かに言った。
全員の視線が彼女へ向く。
シルヴィアはアリーナのハイセを見ていた。
その表情は。
驚いている。
だが。
どこか嬉しそうでもあった。
「ハイセ君にとって」
小さく。
笑う。
「今は歌そのものが武器なのよ」
「…………」
カミラが。
ゆっくり。
アリーナを見る。
「……嘘だろ」
ヒルダだけが。
最高に楽しそうだった。
「キヒヒヒヒヒ!」
「笑うな!」
「これが笑わずにいられるか! 概念定義そのものを拡張したぞ!」
「そんなものまで学習する能力だったのか!?」
「今分かった!」
「お前も知らなかったのか!!」
◇
ハイセが立ち上がる。
重力は。
消えていない。
それでも。
立った。
オーフェリアが。
初めて。
明確に警戒した。
「あなた……」
ハイセは歌い続ける。
歌声の一つ一つが。
今までより。
鮮明に。
世界へ届いている。
歌による事象操作。
【武器マスター】。
二つが。
別々の能力ではなくなっていく。
歌を。
武器として理解する。
その使い方を。
身体が学ぶ。
何処へ届かせる。
何を変える。
何を壊す。
何を。
壊さない。
理解するほど。
支配領域が。
広がっていく。
「……重力が」
オーフェリアが呟く。
自分の重力場の中に。
別の法則が。
入り込んでいる。
ハイセの歌。
それが。
現実を。
少しずつ。
侵蝕している。
◇
オーフェリアが《グラヴィシーズ》を最大出力へ引き上げた。
今度はただ押し潰すだけではない。重力方向そのものが複雑に変化し、上下左右からハイセの身体を引き裂こうとする。その上へ蝕みが重なり、プラーナ防御を急速に消耗させていった。
ハイセの身体が宙へ浮く。
次の瞬間。
横方向へ叩き飛ばされる。
床へ激突する寸前。
歌が。
世界へ干渉した。
重力方向が。
僅かに。
逸れる。
ハイセは床を滑るように着地した。
「……やっぱり」
ようやく。
ウォーレ=ザインへ。
手が届いた。
柄を握る。
蒼い光が。
走る。
しかし。
オーフェリアは。
さらに。
重力を強めた。
「その剣を振るわせると思う?」
「別に」
ハイセは歌の合間に短く答えた。
「振れなくてもいい」
「……?」
ウォーレ=ザインは。
空間を斬る。
指定した。
座標軸を。
なら。
必要なのは。
腕力ではない。
斬るべき場所を。
指定すること。
◇
歌によって。
周囲の現象を。
認識する。
重力。
蝕み。
プラーナ。
オーフェリア。
グラヴィシーズ。
それぞれが。
別の現象として。
世界に存在する。
ハイセの意識が。
さらに深く。
潜る。
そこで。
見つけた。
「…………」
オーフェリアの中に。
おかしなものが。
ある。
彼女自身の力。
その奥。
生命。
能力。
寿命。
それらを。
強引に。
接続している。
何か。
「これ……」
ウォーレ=ザインが。
微かに。
鳴った。
「空間じゃない」
それなのに。
斬れる。
そんな感覚が。
ある。
ハイセは。
オーフェリアを見た。
そして。
歌を止めずに。
問いかけた。
「オーフェリア」
「何?」
「さっき」
呼吸。
歌。
言葉。
全てを。
繋ぐ。
「死にたいわけじゃないって言ったよな」
「ええ」
「生きられるなら?」
オーフェリアの目が。
少しだけ。
揺れた。
「何を言っているの?」
「生きたい?」
答えは。
すぐには。
返ってこなかった。
重力場だけが。
強くなる。
「そんな仮定に意味はないわ」
「ある」
「私の運命は変わらない」
「それ」
ハイセは。
青い剣を。
構える。
「アンタが決めたの?」
「…………」
沈黙。
「自分で」
歌声の中。
ハイセの問いだけが。
はっきり届く。
「死ぬって決めた?」
「…………いいえ」
小さな。
答え。
「なら」
ハイセが。
笑った。
「要らないだろ、そんな運命」
◇
歌が最終部へ入る。
ハイセがこれまで途中で切り上げてきた曲を、初めて最後まで歌おうとしている。その声はもうシルヴィアの技術を借りた誰かの模倣ではなく、暗闇を知り、それでもそこから先へ進むことを選んだハイセ自身の歌だった。
重力が身体を押し潰す。
蝕みがプラーナを削る。
それでも。
声だけは。
止まらない。
「Ready to rock, get ready to rock!」
歌が最高潮へ達する。
会場全体のプラーナが震えた。
しかし。
今度のハイセは。
それをレーザーにはしなかった。
世界を。
見る。
歌によって。
現実そのものを。
認識する。
【武器マスター】によって。
その現象を。
武器として。
理解する。
そして。
ウォーレ=ザインによって。
斬るべきものを。
指定する。
「……見えた」
空間座標ではない。
物体でもない。
オーフェリアの生命と。
彼女を蝕む力を。
繋いでいる。
一つの。
境界。
その関係。
その因果。
それ自体を。
座標として。
定義する。
◇
「まさか」
カミラが立ち上がった。
「何?」
エルネスタが振り向く。
「ハイセはオーフェリアを斬ろうとしていない」
「じゃあ何を?」
「分からない」
カミラの顔が。
青くなる。
「だから怖いんだ!」
ヒルダが。
計測画面を見る。
「空間指定が通常の三次元座標から逸脱している」
「逸脱?」
「位置を指定していない」
ヒルダの笑みすら。
一瞬。
消えた。
「関係性を指定している」
「…………」
エルネスタも。
さすがに。
黙った。
「それって」
「キヒヒ……」
再び。
ヒルダの口元が。
吊り上がる。
「空間ではなく」
その目が。
輝く。
「概念を斬るつもりだ」
◇
ウォーレ=ザインが。
振るわれる。
たった。
一閃。
蒼い光が。
アリーナを。
横切った。
オーフェリアは避けなかった。
避けられなかったのではない。
そもそも。
剣閃が。
自分へ向かっているようには。
見えなかった。
「…………?」
胸元。
校章が。
割れた。
試合終了。
しかし。
同時に。
別の何かが。
切れた。
「――っ!」
オーフェリアが。
胸を押さえる。
痛みではない。
むしろ。
逆。
「何……これ」
ずっと。
そこにあった。
身体の奥の。
冷たいもの。
生命を。
少しずつ。
奪い続けていた。
絶対に。
消えないはずの。
何か。
それが。
ない。
「……ない」
身体から溢れるプラーナが。
急激に。
変化する。
膨大な力の一部が。
失われていく。
十パーセント。
さらに。
もう少し。
最終的に。
それまでの。
およそ八割。
残った。
しかし。
残った力は。
以前より。
遥かに。
安定している。
「オーフェリア!」
レヴォルフ側の関係者席で。
誰かが。
声を上げた。
彼女は。
まだ。
立っている。
《グラヴィシーズ》も。
消えていない。
重力制御も。
使える。
ただ。
今まで。
その力と。
命を。
結び付けていた。
何かだけが。
完全に。
断ち切られていた。
◇
試合終了を告げる音が鳴っている。
勝者。
ハイセ・ササキ。
それでも。
会場の誰も。
何が起きたのか。
理解出来ない。
ハイセは。
最後の旋律を。
歌い切った。
そして。
静かに。
息を吐く。
「……歌えた」
最初に出た感想が。
それだった。
シルヴィアは。
観客席で。
思わず吹き出した。
「そこなの?」
でも。
その目には。
確かな喜びがあった。
「最後まで歌えたわね」
綾斗も。
小さく笑う。
「うん」
ただし。
カミラ達には。
そんな余裕は。
なかった。
「ヒルダ」
「何かね?」
「今のを説明しろ」
「私にも完全には説明出来ん!」
「お前が分からないものを作るな!!」
「作ったのはハイセ君だ!」
「身体を作ったのはお前だろう!」
「【武器マスター】までは私の責任ではない!」
「責任の押し付け合いをするな!」
エルネスタが。
端末を見ながら。
乾いた笑いを漏らす。
「ねえ」
「何だ!」
「これ【雛形】に記録されてるけど」
「消せ!」
「もう同期された」
「早い!!」
◇
「何をしたの」
アリーナ中央。
オーフェリアが。
ハイセへ。
ゆっくり。
近づいてきた。
「分からない」
「…………」
「多分」
ハイセは。
ウォーレ=ザインを見る。
「アンタと、アンタを蝕んでるものの繋がりを斬った」
「……そんなことが」
「出来たみたい」
「みたい?」
「初めてやったから」
オーフェリアが。
呆然とする。
自分の寿命。
既に。
失われたと思っていた。
未来。
それが。
身体の中へ。
戻っている。
完全な検査をしなければ。
断言は出来ない。
それでも。
本能的に。
理解していた。
自分は。
もう。
以前のようには。
死なない。
「……力が」
「少し減ってるな」
「ええ」
「二割くらい?」
「多分」
「グラヴィシーズは?」
オーフェリアが。
試す。
周囲の重力が。
僅かに。
歪んだ。
問題なく。
使える。
しかも。
以前のような。
生命を。
削られる感覚が。
ない。
「使える」
「ならいいじゃん」
ハイセは。
本当に。
それだけだった。
「…………」
オーフェリアが。
彼を見る。
「あなた」
「何?」
「私から」
声が。
僅かに。
震える。
「死を奪ったのね」
「死にたかった?」
「いいえ」
「じゃあいいだろ」
「…………」
ハイセは。
試合が終わったと思い。
背を向ける。
「待って」
「?」
振り返る。
オーフェリアが。
今までとは。
全く違う目で。
自分を見ていた。
「名前」
「ハイセ」
「知っているわ」
「じゃあ何?」
「もう一度聞きたかっただけ」
「……変なの」
ハイセは。
首を傾げ。
そのまま。
退場していった。
◇
残されたオーフェリアは、しばらく動かなかった。
敗北した。
そんなことは。
どうでもよかった。
自分より。
強い人間なら。
これまでにも。
いた。
しかし。
自分が。
とうの昔に。
受け入れた。
終わり。
変えられないと。
諦めた。
死。
それを。
あの少女は。
何でもないことのように。
斬った。
「……要らないだろ、そんな運命」
その言葉が。
頭から。
離れない。
胸の奥が。
今までとは。
違う意味で。
痛い。
「…………ハイセ」
自分でも。
何故。
もう一度。
名前を。
口にしたのか。
分からなかった。
ただ。
一つだけ。
分かった。
もう。
あの少女を。
自分の視界から。
失いたくない。
「…………」
オーフェリア・ランドルーフェンは。
この時。
初めて。
死ではなく。
未来へ。
強烈な。
執着を。
持った。
そして。
その未来の。
ほぼ中央に。
何故か。
一人の。
暗紫色の少女が。
立っていた。
◇
「……どういうことだ」
レヴォルフ黒学院。
ディルク・エーベルヴァインは、医療班から届いた速報を見ながら数秒間無言になっていた。
オーフェリアの生命予測値が大幅に改善。
能力出力は約二割低下。
しかし、能力そのものは正常に使用可能。《グラヴィシーズ》も継続使用可能であり、従来確認されていた生命消耗の兆候が著しく減少している。
つまり。
「最大火力が二割落ちて」
資料をめくる。
「寿命制限が消えた?」
長期運用。
連戦。
育成。
戦略。
全てが。
変わる。
「…………」
ディルクは。
ゆっくり。
顔を上げた。
「何で俺の戦力が負けるたびに使いやすくなってんだ」
誰も。
答えられなかった。
◇
一方。
アルルカント地下研究区画。
【雛形】は。
何も語らない。
ただ。
新しく取得した。
膨大なデータを。
解析していた。
SONG-MEDIATED PHENOMENON INTERFERENCE
WEAPON MASTER / DEFINITION EXPANSION
WOHRE=SEIN / TARGET AXIS EXPANSION
空間。
物質。
エネルギー。
そして。
因果。
従来とは。
異なる。
新しい座標定義。
解析。
学習。
再構築。
画面の片隅で。
更新番号だけが。
一つ。
増える。
ヒルダは。
その表示を。
じっと。
見つめていた。
「…………」
そして。
笑った。
「キヒヒヒヒヒ……」
背後から。
カミラの。
冷たい声がした。
「ヒルダ」
「何かね?」
「何を更新した」
「まだ何も」
「“まだ”?」
ヒルダは。
振り返る。
その顔に。
反省という概念は。
微塵も。
存在していなかった。
「ただ」
楽しそうに。
笑う。
「新時代の扉が、もう一枚あったらしい」
カミラは。
静かに。
天井を仰いだ。
「……私が始めた研究は」
長い。
ため息。
「どこへ行こうとしているんだ……」
その問いに。
答えられる者は。
もう。
誰も。
いなかった。