暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
王竜星武祭――リンドヴルムが閉幕してから数日が経った。
優勝者となったハイセ・ササキの生活は、本人が望んでいた以上に慌ただしいものへ変わっていた。大会中はまだ「アルルカントから突然現れた謎の新人」という程度だったが、決勝でシルヴィア・リューネハイムと歌いながら真正面から渡り合い、最後には《女神の羽衣(フレイア=プロト)》も彼女自身も傷つけず、校章だけを切り落として優勝したことで状況が一変したのである。
【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】――Yami_Q_ray。
その名は今や、アスタリスク中へ広がり始めていた。
「……面倒」
アルルカントの研究室に設けられた自分の机で、ハイセは届いた取材依頼の一覧を眺めながら呟いた。
「優勝したんだから仕方ないだろう」
向かいで端末を操作していたカミラは、特に同情する様子もない。ハイセが適当に取材を断り続けている横で、エルネスタだけは楽しそうに「歌姫デビューしちゃえば?」などと言っていたが、本人にはその気がまるでなかった。
「俺、研究したいんだけど」
「私としてもその方がありがたい。決勝戦のデータだけで、解析待ちの項目が山ほど増えたからな」
「じゃあ全部断っていい?」
「全部はまずい。最低限は対応しろ」
「面倒」
「二回言うな」
そんな会話をしていた時だった。
研究室の扉が勢いよく開いた。
「ハイセ・ササキはいる!?」
あまりの勢いに、その場にいた全員が扉へ視線を向けた。
立っていたのは、一人ではない。
クインヴェール女学園を拠点に活動するガールズロックバンド――ルサールカ。その面々が、何故か全員揃ってアルルカントの研究区画へ突入してきていた。
「…………」
ハイセは数秒黙った後、カミラを見る。
「知り合い?」
「何故私を見る」
「アルルカントに入ってきたから」
「私も聞いていない!」
「じゃあアポ無しか」
「そうなるな」
当人達を前にして随分失礼な確認だったが、ルサールカ側は気にした様子すらなかった。
「あなたがハイセよね?」
「そうだけど」
「お願いがあるの!」
「取材なら断る」
「違う!」
食い気味に否定され、ハイセが少しだけ椅子から身を引く。
「じゃあ何?」
すると彼女達は一度互いの顔を見合わせた後、ほとんど同時に口を開いた。
「――『Perfect Showdown!』、私達に歌わせて!」
◇
「…………」
今度こそ、ハイセは完全に停止した。
「それ?」
「それ!」
「欲しいの?」
「欲しい!」
「歌いたい?」
「歌いたい!」
あまりにも真っ直ぐな返事だった。
リンドヴルム決勝でハイセが披露した『Perfect Showdown!』は、この世界ではハイセ自身が作った楽曲である。大会中に初めて公の場へ出したこともあって、正式な配信や販売契約どころか、権利関係について本人が何一つ整理していない状態だった。
「いいよ」
「…………え?」
今度はルサールカ側が止まった。
「歌いたいんだろ?」
「いや、歌いたいけど! もっとこう、条件とか交渉とかあるでしょ!?」
「あるの?」
「作者が聞く!?」
ハイセが首を傾げる横で、カミラが深いため息を吐いた。
「ハイセ。楽曲を他人へ提供するなら契約は必要だ。使用範囲、利益配分、改変の可否、二次利用――最低でもその辺りは決めろ」
「面倒だな」
「金が絡む話を面倒で済ませるな!」
その瞬間、エルネスタが何かを思いついたらしく楽しそうに手を叩いた。
「だったらさ、今回だけじゃなくて継続契約にしちゃえば?」
「継続?」
「ハイセ君、曲作れるんでしょ? ルサールカに曲を書いてあげればいいじゃん。表では名前を出さなくても、裏で楽曲提供する感じ」
「ゴーストライター?」
「それそれ!」
カミラの表情が露骨に嫌そうなものへ変わった。
「何故お前が言い出すと、普通の楽曲提供まで犯罪計画のように聞こえるんだ」
「失礼だなぁ。今回は普通の契約だよ?」
「“今回は”を付けるな」
しかし、ハイセ本人は意外にも真面目に考えていた。
自分はいずれ、この世界を離れる。
けれど。
歌は残せる。
こちらで作った曲を誰かが歌い続けるなら、それも悪くない。
「俺、ずっとアスタリスクにいるわけじゃないけど、それでもいい?」
「もちろん!」
「じゃあ契約しよう」
あっさりと答えたハイセに、今度はカミラが目を丸くした。
「本当にやるのか?」
「うん。俺が書いて、ルサールカが歌う。嫌なら向こうが断ればいいし、俺も書きたくない曲は断る。それでいいだろ?」
「……まあ、その条件ならな」
「『Perfect Showdown!』も使っていいよ。ただし契約書作ってから」
ルサールカの面々が一斉に歓声を上げる。
エルネスタまで混ざって拍手していた。
「おめでとう、ハイセ君! 今日から秘密の作曲家だね!」
「秘密にするかはまだ決めてない」
「そこから?」
「俺、契約とか分からないし」
カミラは額を押さえた。
「リンドヴルム優勝から数日で研究者、歌姫、作曲家を並行する人間になるとは思わなかったぞ……」
「俺も」
「他人事のように言うな」
研究室はしばらく、リンドヴルムとは別種の騒がしさに包まれていた。
そして、その明るい喧騒の中で。
ハイセは誰にも気づかれないよう、机の端末へ一度だけ視線を向けた。
表示されていた時刻を確認する。
「……そろそろか」
◇
同日の夕刻。
レヴォルフ黒学院の一室で、ディルク・エーベルヴァインは目の前に置かれた黒いアタッシュケースを見ながら、心底胡散臭そうな顔をしていた。
「開けろ」
「自分で?」
「俺への依頼料なんだろうが」
「そうだけど」
ハイセが留め具を外して蓋を開く。
中には、高級そうな箱へ整然と並べられた干し柿が入っていた。
沈黙。
ディルクがハイセを見る。
「……帰れ」
「待って」
「俺を何だと思ってんだ」
「下に入ってる」
「何が」
ディルクは訝しみながら、一つ干し柿を持ち上げた。
その下。
札束。
「…………」
もう一つ。
札束。
さらに箱の底まで確認すると、最高級の干し柿を表面へ並べ、その下を現金で埋め尽くすという、妙に手間のかかった構造になっていた。
ディルクはゆっくりアタッシュケースを閉じた。
「お前、いつの時代の人間だ」
「元未開地人」
「…………」
数秒の沈黙の後、ディルクが僅かに眉間を押さえた。
「そういえばそうだった」
「銀行振込とか分からない」
「そこから覚えろ」
「異世界人でも口座作れる?」
「……まずそれを調べろ」
呆れ果てた声だった。
それでもディルクはアタッシュケースを脇へ置き、机の上へ別の端末を出した。
「で。この馬鹿みてぇな前金で何をさせたい」
ハイセの表情が変わる。
「マディアス・メサを失脚させたい」
「…………」
ディルクの目が細くなった。
「殺せって話なら他所へ行け」
「違う」
ハイセは携帯端末を置き、その中に保存されている資料を表示した。
「こっちで押さえた証拠が何点かある。天霧遥から分離した【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】由来の解析結果。意図的な干渉だった可能性を示す記録。それから大会参加者に対する不自然な介入と、その周辺の記録」
ディルクは資料を流し読みする。
「……思ったよりあるじゃねぇか」
「全部一気に出したくない」
「ほう?」
「何点かに分けて、別々の匿名告発みたいに扱ってほしい。関係各所へ時間をずらして流す」
ディルクが、そこで初めて僅かに笑った。
「理由は?」
「最初の一発で調査を始めさせる。次で偶然じゃないと分からせる。その次で、庇う方が危ないと思わせる」
「…………」
「出来る?」
ディルクはしばらく何も答えなかった。
やがて背もたれへ身体を預け、ハイセを値踏みするように眺める。
「お前、性格悪くなったな」
「そう?」
「褒めてねぇぞ」
「エルネスタと一緒にいたからかな」
「あの女だけのせいにすんな。元から素質あんだろ」
否定出来なかった。
◇
「一つ勘違いするな」
ディルクは資料を閉じると、机の別領域から古いファイルを呼び出した。
「マディアス・メサについては、お前がこの世界に来る結構前から調べていた話だ」
「何で?」
「使えるかもしれねぇからだ」
あまりにもディルクらしい答えだった。
失脚させるつもりがあったわけではない。
味方へ引き入れる予定もなかった。
ただ、フェスタ運営に強い影響力を持つ人間なら、どこで誰と会い、何を動かし、どんな弱みを持っているのか把握しておいて損はない。それだけの理由で、ディルクは長年少しずつ情報を蓄えていたらしい。
「俺が持ってるのは状況証拠ばかりだった。妙な人間関係、妙な資金の動き、説明の付かねぇ行動。どれも単体じゃ弱い」
「そこに俺の証拠を足す?」
「そういうことだ」
ディルクが指先で端末を軽く叩く。
「お前が持ってきたのは、今までの点を線に出来る材料だ。ただし、俺ならお前の言った順番では流さねぇ」
「駄目?」
「逆だ。雑すぎる」
「…………」
「誰に最初に見せれば勝手に調査を始めるか。どこが反応すれば、次にどこが保身へ走るか。どの段階でマディアスを抱える価値より切る価値が上回るか。全部見てからやる」
ハイセは少し考えた。
「じゃあ任せる」
「軽いな」
「そのために金払ってる」
「……そこだけは妙に分かってんな」
ディルクは再びアタッシュケースへ視線を落とした。
「現金だがな」
「干し柿も最高級だよ」
「聞いてねぇ」
そして、ディルクは通信端末へ一つだけ短い命令を送った。
「ネコ」
応答が返る。
「動くぞ」
それだけだった。
◇
最初の告発が届いたのは、その翌日だった。
内容は限定的だった。
天霧遥の身体から分離された物質と【赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)】との関連性。そして、それが自然発生したものとは考えにくいという、アルルカント側の解析結果の一部。
それだけなら、即座にマディアスへ結びつく情報ではない。
しかし。
調査は始まった。
二日後、別の経路から新たな情報が届いた。
今度は、マディアスと特定人物との接触記録。そして天霧遥が置かれていた状況と、天霧綾斗のリンドヴルム参加を巡って発生していた不自然な動きとの関連を示す資料だった。
最初の告発を調べていた人間達が、二つ目を見つける。
偶然。
そう処理するには。
少しだけ。
出来すぎていた。
そして三日目。
今度は全く別の場所へ、フェスタ運営上の権限が本来想定されていない用途へ利用された可能性を示す記録が送られた。
そこまで来ると。
誰も。
無視出来なくなった。
◇
「……随分と騒がしくなりましたね」
星導館学園の生徒会室で、クローディアは届いた報告を眺めながら微笑んでいた。
綾斗がその向かいに座っている。
「クローディアがやったんじゃないの?」
「いいえ」
「本当に?」
「今回は」
「今回は?」
綾斗が僅かに警戒した。
クローディアは紅茶を一口飲む。
「私も正式な形で提出する資料をまとめていました。ですが、その前に外側から随分派手な威嚇射撃が始まりまして」
「誰が?」
「さて」
笑顔。
「ただ、情報の出し方が非常に嫌らしいですね」
「褒めてる?」
「半分くらいは」
最初から結論を突きつけていない。
調査する側自身に。
発見させている。
一つ目を調べれば。
二つ目へ。
二つ目を調べれば。
三つ目へ。
そして。
自分達の手で。
同じ人物へ。
辿り着く。
「これでは揉み消す側に回った人間まで疑われます」
「……怖いな」
「ええ」
クローディアは楽しそうに微笑んだ。
「私もそう思います」
「その顔で言わないでほしいんだけど」
◇
マディアス・メサが状況の異常さを理解した頃には、既に遅かった。
最初の調査には対応出来た。
個別の記録について説明することも出来た。
問題は、その説明を終える前に次の情報が届くことだった。
「この資料の出所は?」
「現在調査中です」
「最初の告発者と同一人物か?」
「確認出来ません」
「では信頼性が――」
「ですが、記載されていた内容の一部は既に内部記録と一致しています」
言葉が止まる。
さらに。
「天霧遥に対する処置記録についても、アルルカント側へ正式照会を行いました」
「…………」
「回答は?」
「既に届いております」
机上へ。
資料が置かれる。
ヒルダ。
カミラ。
エルネスタ。
シルヴィア。
そしてハイセ。
複数の観測記録。
映像。
波形。
処置経過。
人体から分離された、純星煌式武装由来の反応。
「……随分と」
マディアスは平静を装う。
「大掛かりな話になっているようですね」
「ええ」
答えた人物の声には。
感情がなかった。
「だからこそ、確認が必要なのです」
◇
問題は、単に天霧遥へ何が起きたのかだけではなかった。
フェスタ運営の最高責任者という立場にある人間が、自ら関わる計画のために大会参加者やその家族へ不当に干渉していた可能性がある。それだけでも大会の公平性を根底から揺るがす問題だったが、さらに調査を進めれば、権限を利用した情報取得、関係者への不自然な接触、記録の秘匿を疑わせる行為まで浮かび上がった。
どこまでが犯罪として立証出来るか。
それは。
まだ別の問題だった。
しかし統合企業財体にとって、より差し迫っていたのは別のことだった。
マディアスを庇い続ける価値があるか。
答えは。
急速に。
否へ傾いていった。
彼一人を守るためにフェスタそのものの公平性を疑われれば、失うものが大きすぎる。
スポンサー。
視聴者。
各学園。
参加者。
何より。
統合企業財体同士の均衡。
その全てを危険へ晒してまで、マディアス・メサという個人を残す理由はなかった。
◇
「……本日付で?」
マディアスの声が低くなる。
「ええ」
告げられた内容は簡潔だった。
フェスタ運営に関わる全職務からの即時停止。
運営委員長およびエグゼクティブプロデューサーとしての権限剥奪。
以後は正式な合同調査へ移行し、必要に応じて追加処分を検討する。
「私をこの段階で外せば、次期フェスタ運営にも影響が出ます」
「既に引き継ぎ準備を開始しています」
「……早いですね」
「当然です」
返答に。
迷いはなかった。
「フェスタは、あなた一人のために存在するものではありませんから」
「…………」
マディアスの指が。
僅かに。
止まる。
その言葉は。
妙に。
皮肉だった。
彼はこれまで。
盤面の上に。
人間を置いてきた。
誰が出場する。
誰が戦う。
誰が勝つ。
誰が利用される。
それらを。
自分の計画へ。
組み込んできた。
だが。
最後に。
盤面から。
取り除かれたのは。
自分だった。
◇
「……誰が仕組んだ」
部屋へ一人残った後。
マディアスは。
初めて。
その問いを。
口にした。
クローディア。
違う。
彼女なら。
もっと正面から。
正式な形で。
動く。
アルルカント。
可能性はある。
だが。
今回の情報は。
複数の方向から。
時間差で。
届いている。
レヴォルフ。
ディルク・エーベルヴァイン。
「…………」
そこまで考えて。
一人。
別の顔が。
浮かんだ。
暗紫色の髪。
歌う少女。
自分の計画から。
天霧遥を。
外した。
天霧綾斗を。
降ろした。
そして。
その空いた場所へ。
自分で入り。
リンドヴルムを。
勝ち取った。
「ハイセ・ササキ……」
その名前を。
呟く。
証拠は。
ない。
ただ。
もし。
あの人間が。
ここまで。
考えていたとしたら。
自分は。
一体いつから。
負けていた?
◇
答えを。
ハイセ本人は。
さほど重要だと。
思っていなかった。
「契約書来た」
アルルカントの研究室で、ハイセはルサールカから送られてきた書類を眺めていた。
「読め」
カミラが即座に言う。
「長い」
「読め」
「エルネスタ見て」
「いいよー」
「お前には見せるな!」
カミラが奪い取る。
研究室へ。
また。
騒がしい声が。
響いた。
その端末へ。
一件の。
短いメッセージが届く。
送信者。
ディルク。
内容は。
僅かだった。
『終わったぞ』
ハイセは。
しばらく。
その文字を見た。
「…………」
そして。
画面を閉じる。
「何だった?」
カミラが聞く。
「仕事」
「何の?」
「もう終わった」
それ以上。
ハイセは。
説明しなかった。
必要な条件は。
消えた。
天霧遥は。
自由になった。
天霧綾斗も。
自分で未来を。
選び直した。
そして。
その二人を。
再び盤上へ。
戻そうとする。
人間も。
もう。
その力を。
持っていない。
なら。
次へ進める。
「ハイセ君!」
ルサールカからの通信が繋がり。
向こう側から。
賑やかな声が。
聞こえる。
「次の曲いつ!?」
「契約したばっかりじゃん」
「もう作ってる?」
「まだ」
「じゃあ今から!」
「えぇ……」
ハイセは。
思わず。
笑った。
マディアス・メサの。
物語が。
終わろうとしている。
その裏で。
ハイセ・ササキには。
また一つ。
新しい。
仕事が。
増えた。
研究者。
冒険者。
剣士。
歌姫。
そして。
名も出さず。
別の誰かのために。
歌を書く。
作曲家。
どの道も。
誰かに。
与えられたものではない。
全部。
自分で。
選んだものだった。
リンドヴルムという。
一つの舞台は。
終わった。
しかし。
その終幕の。
さらに裏側では。
既に。
次の舞台の。
幕が。
上がり始めていた。