暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
マディアス・メサの失脚から、数日が過ぎた。
フェスタ運営から完全に切り離された彼の周辺では、関係資料や所有物の確認が進められていた。その中には当然、天霧遥を長く蝕んでいた元凶とも言える純星煌式武装――《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》も含まれている。
もっとも、それを単純に押収して倉庫へ放り込めば済む話ではなかった。
遥の体内から分離された断片との照合、純星煌式武装としての安全性、使用者へ及ぼす影響。そして何より、《赤霞の魔剣》が人体へ侵入し、長期にわたって結びついたという前例そのものが極めて異常だったからだ。
結果として、処分方針を決めるための解析には、遥の治療に深く関わったアルルカント側も参加することになった。
「で」
厳重な保管ケース越しに赤黒い刀身を眺めながら、ハイセは首を傾げた。
「これ、最終的にどうするの?」
「それを決めるために調べているんだ」
カミラは疲れたように答えた。隣ではエルネスタが分析画面を覗き込み、ヒルダは何故か楽しそうに武器の反応値を眺めている。
「封印か、研究機関での保管か、最悪の場合は破壊処分だろう。ただし純星煌式武装を軽々しく壊していいわけでもないからな」
「使えるのに?」
その一言で、カミラがゆっくりハイセを見る。
「……今、何と言った?」
「使えるのに壊すの、勿体なくない?」
「やめろ」
「まだ何も言ってない」
「その顔で言う時のお前は、だいたい何か余計なことを思いついている」
ハイセは不満そうだったが、エルネスタは横で肩を震わせていた。
「カミラ、ハイセ君の扱い上手くなったねぇ」
「学習したくなかった」
◇
解析そのものは慎重に進められた。
【武器マスター】を使えば、《赤霞の魔剣》がどのような構造で力を循環させ、どの部分が使用者へ作用するのか、その輪郭まではかなり深く読み取れる。しかし、それでも一つだけ最後まで明確にならないものがあった。
「代償……分からないな」
ハイセは目を閉じたまま呟いた。
「何もない?」
カミラが尋ねる。
「いや。何かあると思う」
ハイセは柄へ直接触れず、周囲に漂う反応だけを追った。
「使用者側に返ってくる流れがある。でも、身体なのか精神なのか、それとももっと別のものなのか、そこまでは掴めない」
エルネスタが画面を拡大する。
「精神系っぽい波形は出てるけど、確定までは出来ないね」
「マディアスの人格に影響していた可能性は?」
カミラの問いに、ハイセは少し考えてから首を振った。
「分からない。元からああいう奴だったのかもしれないし、武器が歪めたのかもしれない。両方って可能性もある」
「なら、なおさら使用許可など出せるものではない」
「試す人がいれば?」
「ハイセ」
「俺じゃないよ」
「余計に嫌な予感がする!」
その横で、ヒルダだけが顎へ指を添えながら目を輝かせていた。
「精神干渉型であるなら、使用者側の自我強度によって結果が変化する可能性もあるな」
「ヒルダ、お前は黙っていろ」
「何故だね?」
「お前が喋ると実験が始まる」
「研究者として褒め言葉だな」
「褒めていない!」
◇
数日後。
《赤霞の魔剣》は、厳格な条件付きながら廃棄ではなく、別の管理先へ移す選択肢が認められることになった。
直接の所有権がハイセへ渡ったわけではない。しかし遥の治療における功績と、《赤霞の魔剣》への高い解析適性、さらに使用者選定へ【武器マスター】の知見が必要と判断されたことで、ハイセは次の研究・管理候補について意見を出せる立場になった。
そして。
「手土産」
レヴォルフ黒学院の一室。
ハイセが机の上へ置いた長いケースを見て、ディルク・エーベルヴァインは露骨に嫌そうな顔をした。
「今度は何だ」
「開ければ分かる」
「前回は開けたら干し柿だったから信用出来ねぇんだよ」
「今回は食べ物じゃない」
「それはそれで怖ぇな」
ディルクは警戒しながら留め具を外した。
赤黒い刀身。
禍々しい気配。
そして純星煌式武装特有のウルム=マナダイト。
「…………」
しばらく沈黙した後、ディルクがゆっくり顔を上げた。
「お前、“手土産”って言葉の意味知ってるか?」
「嫌なら返して」
ハイセがケースを閉じようとする。
「誰が返すと言った」
「じゃあ貰う?」
「まず説明しろ。事故物件持ってきて『どうぞ』で済ませんな」
ハイセは椅子へ座り、《赤霞の魔剣》について判明していることを一通り説明した。遥への侵食、マディアスとの関係、使用者へ何らかの代償が返る可能性、そして精神領域へ影響する可能性こそあるものの、現時点では仮説に過ぎないことも含めて全て話す。
「つまり」
ディルクは眉間を押さえた。
「代償不明。精神干渉の可能性あり。前の使用者はマディアス。しかも人体侵食の前科付き」
「そう」
「完全に事故物件じゃねぇか」
「でも強いよ」
「売り文句が雑なんだよ」
それでもディルクの目は、既に《赤霞の魔剣》から離れていなかった。
「使えそうな奴に心当たりは?」
「一人いる」
ハイセが答えるより先に、ディルクが通信端末へ手を伸ばした。
◇
「会いたかったわ、ハイセ」
呼び出されて部屋へ入ってきたオーフェリア・ランドルーフェンは、《赤霞の魔剣》より先にハイセを見た。
「この前会ったじゃん」
「三日も前よ」
「三日しか経ってないけど」
「三日もよ」
「…………」
ハイセはディルクを見る。
「何?」
「なんでもない」
「俺に助けを求めんな」
ディルクは最初から巻き込まれる気がなかった。
オーフェリアはハイセの隣まで自然に近づいてから、ようやく机上のケースへ視線を移した。
「それが?」
「《赤霞の魔剣》」
ハイセはさっきディルクへ説明した内容を、そのままオーフェリアにも繰り返した。危険性を省略せず、代償が不明であることも、精神へ影響する可能性があることも伝える。
オーフェリアは最後まで黙って聞いた。
「それで?」
「使ってみる?」
「ええ」
返事が早かった。
「もうちょっと考えなくていい?」
「あなたが私に合うと思ったのでしょう?」
「多分」
「なら試すわ」
ディルクが深いため息を吐く。
「お前ら二人揃うと判断基準が雑すぎんだろ」
「嫌なら止めるけど」
「止めろとは言ってねぇ」
「じゃあいいじゃん」
「……面倒くせぇ」
◇
適合試験は、当然ながらレヴォルフの隔離区画で行われた。
万が一、《赤霞の魔剣》が遥の時と同じような侵食を開始しても即座に対応出来るよう、カミラ達にも遠隔監視が繋がれている。
『オーフェリア。異常を感じたらすぐに手を離せ』
「分かったわ」
『ハイセ、お前も何かあれば止めろ』
「うん」
『ヒルダは余計なことをするな』
『何故私だけ名指しなのだ』
『日頃の行いだ!』
通信越しの怒鳴り声を聞き流しながら、オーフェリアは《赤霞の魔剣》へ手を伸ばした。
細い指が柄を握る。
次の瞬間。
赤黒いプラーナが、蛇のように腕へ絡みついた。
「!」
ハイセの表情が変わる。
同時に、【武器マスター】が反応した。
「何か来てる」
「ええ」
オーフェリアの瞳が僅かに細くなる。
声だった。
実際に耳へ届いたのか、それとも精神へ直接流れ込んだのかは分からない。ただ確かに、誰かの感情ではない何かが、彼女の中へ侵入しようとしていた。
憎悪。
怒り。
破壊。
そんな感情を引き出そうとする、粘ついた圧力。
「…………」
オーフェリアはしばらく黙っていた。
「大丈夫?」
ハイセが尋ねる。
「ええ」
次の瞬間。
オーフェリア自身のプラーナが爆発的に膨れ上がった。
赤黒い力が腕を登ろうとしていた流れが、逆に押し返される。
「……不愉快ね」
静かな声だった。
しかし。
明らかに怒っている。
「私の心へ」
《赤霞の魔剣》を見下ろす。
「勝手に入ってこないで」
空気が震えた。
オーフェリアのプラーナがさらに強くなる。
赤黒い反応が。
止まった。
「…………」
ハイセが目を瞬かせる。
「静かになった」
ディルクも。
少し離れた場所から。
無言で剣を見る。
「……純星煌式武装を威圧で黙らせるな」
「私、何もしていないけれど」
「してんだよ」
◇
遠隔観測していたアルルカント側でも、異様な反応は明確に捉えられていた。
「干渉値、急低下」
エルネスタが画面を操作する。
「拒絶された?」
「違う」
カミラが答える。
「武器側が引いたように見える」
「そんなことある?」
「今見ているだろう!」
ヒルダは腹を抱えそうな勢いで笑っていた。
「キヒヒヒヒ! 面白い! 代償が精神への侵食だと仮定するなら、オーフェリアの自我強度がそれを上回った可能性がある!」
「仮説だぞ」
カミラが即座に釘を刺す。
「今の反応だけで、代償を克服したとは絶対に判断するな。単に表面化していないだけかもしれないし、蓄積型の可能性もある」
「もちろんだとも」
「その顔で言われると信用出来ない!」
ヒルダは楽しそうに笑ったままだった。
◇
試験を終えたオーフェリアは、《赤霞の魔剣》を軽く振った。
刃は素直に動く。
プラーナ循環にも問題はない。
少なくとも現時点では、武器の方が彼女へ従っているように見えた。
「どう?」
ハイセが尋ねる。
「悪くないわ」
「使えそう?」
「ええ」
オーフェリアは剣よりもハイセを見ていた。
「あなたがくれたものだもの」
「俺のじゃないけど」
「細かいことはいいのよ」
「細かくねぇよ」
ディルクが横から突っ込んだ。
「これはレヴォルフ管理の研究運用だ。お前らの贈答イベントじゃねぇ」
「じゃあオーフェリアが使う?」
「現状ではな。ただし監視付きだ。何か変な兆候が出たら即回収する」
オーフェリアが不満そうな顔をした。
「ハイセが回収するなら構わないわ」
「俺が取りに来るの?」
「来てくれるの?」
「いや、ディルクがやれば」
「…………」
オーフェリアの視線が急速に冷える。
ディルクは小さく舌打ちした。
「何で俺が睨まれんだよ」
◇
《赤霞の魔剣》の運用先が決まると、今度は別の問題が発生した。
「つまり」
イレーネ・ウルサイスは、目の前に置かれた《覇潰の血鎌(グラヴィシーズ)》を見た。
見た。
もう一度見た。
そして。
「誰が帰ってこいと言った!?」
叫んだ。
プリシラが隣で困った顔をする。
「でもお姉ちゃん、もう貯蓄が尽きかけてるんだから!」
「ギャンブルで稼げばいいだろ!」
「お姉ちゃんのそれはゲームじゃなくて強盗でしょ!?」
「ちゃんと賭けて勝ってんだよ!」
「相手が泣いてるじゃん!」
「勝負ってのはそういうもんだろ!」
姉妹喧嘩をしばらく聞いていたディルクが、耐えかねたように机を指で叩いた。
「いいから仕事しろ」
「うるせぇ!」
イレーネが振り向く。
「オーフェリアが別の武器持ったからって、何で私んとこにこいつが戻ってくるんだよ!」
「使える戦力を遊ばせる理由がねぇからだ」
「本人の気持ちは!?」
「給料に反映する」
「……いくら?」
「お姉ちゃん!?」
プリシラが悲鳴を上げる。
「いや、大事だろ!」
「そこだけ現実的にならないでよ!」
ディルクは面倒そうに資料を投げた。
「ちょうどいい。次の仕事はそいつ込みだ」
イレーネが嫌そうに紙面を見る。
「何やらせる気だよ」
「派遣調査」
「どこへ?」
ディルクは平然と答えた。
「未開地だ」
「…………」
イレーネの動きが止まる。
「いまなんつった?」
「未開地」
「それって」
プリシラも資料を覗き込む。
「ハイセさんが元々いた世界……?」
「ああ」
イレーネの顔が引きつる。
「待て待て待て。国外出張とかいうレベルじゃねぇだろ!」
「国外じゃねぇ」
ディルクは訂正する。
「異世界だ」
「訂正すんな!!」
◇
「危険手当は出す」
その一言で。
イレーネが黙った。
「…………」
プリシラが。
ものすごく嫌な予感のする顔で。
姉を見る。
「お姉ちゃん?」
「……いくら?」
「お姉ちゃん!!」
ディルクは呆れたように鼻で笑った。
「詳細はまだ未定だ。そもそも向こうへ安定して渡れるかも確定してねぇ。今は候補として頭に入れとけ」
「じゃあ何で今言ったんだよ!」
「逃げられねぇようにするためだ」
「最低だな!」
「知ってんだろ」
否定出来なかった。
プリシラは頭を抱え、イレーネは《グラヴィシーズ》を睨みつける。
「……お前が帰って来たせいで話が変な方向に行ってんだよ」
当然。
武器は。
何も答えなかった。
「ただいまって顔すんな!」
「武器に顔はないよ、お姉ちゃん……」
◇
その頃。
ハイセはアルルカントへ戻っていた。
《赤霞の魔剣》の引き渡しが一段落したことで、研究室には久しぶりに少しだけ静かな時間が戻っていた。少なくともハイセはそう思っていた。
扉を開けるまでは。
「……何してるの?」
エルネスタが巨大な演算画面の前に座っている。
カミラもいる。
ヒルダもいる。
そして。
全員の顔が。
妙に真剣だった。
「帰り道を探してる」
エルネスタが答えた。
「…………」
ハイセは。
扉を閉めずに。
その場で止まった。
「俺の?」
「そう」
冗談ではない。
画面には。
ハイセがこの世界へ転移してきた時に残った。
僅かな。
空間異常の記録が。
表示されている。
「前から解析はしてたんだけどね」
エルネスタは別のデータを並べた。
「オーフェリア戦で、ハイセ君がウォーレ=ザインの指定対象を空間から概念的な関係性まで広げたでしょ?」
「うん」
「決勝でも、現象支配領域そのものを認識出来るようになった」
「……うん」
「だったらさ」
エルネスタが。
悪い顔をした。
「世界と世界の境界も、“場所”として認識出来ないかな?」
ハイセの表情が。
ゆっくり。
変わった。
◇
「まだ仮説だ」
カミラがすぐに言った。
「世界間移動を可能にするなどという話ではない。そもそも転移時のデータが少なすぎるし、本当に異世界間の境界が座標として定義出来るかすら分からない」
「でも」
ハイセは画面を見る。
「もし出来たら?」
誰も。
すぐには。
答えなかった。
代わりに。
ヒルダが。
ゆっくり笑った。
「キヒヒヒヒ……」
「笑うな」
カミラが即座に言う。
「まだ何も完成していない!」
「しかし考える価値はあるだろう」
ヒルダが演算画面を指す。
「歌による事象認識。【武器マスター】による概念定義。そしてウォーレ=ザインの座標切断。これらを組み合わせれば、“境界”が観測可能である限り――」
「斬れる」
ハイセが。
続きを。
口にした。
「…………」
カミラは否定しなかった。
「可能性はある」
慎重に。
それだけを。
認めた。
◇
画面が更新される。
UNKNOWN SPATIAL BOUNDARY
ORIGIN TRACE:INCOMPLETE
COORDINATE RECONSTRUCTION:START
ハイセは。
その文字を。
長い間。
見つめていた。
帰りたいと思ったことはある。
当然。
自分の世界だから。
だが。
急いでいたわけではなかった。
アスタリスクで。
やりたいことが。
増えた。
カミラと。
研究を。
続けたかった。
エルネスタと。
くだらない実験を。
するのも。
嫌いではない。
ヒルダには。
多少。
距離を置きたいが。
「聞こえているぞ」
「何も言ってないけど」
「顔に出ていた」
「…………」
それでも。
帰る方法が。
本当に。
あるのなら。
今度は。
偶然ではなく。
誰かに。
飛ばされるのでもなく。
自分で。
世界を。
選びたい。
「カミラ」
「何だ?」
ハイセは画面から目を離さないまま言った。
「帰る時」
一度。
言葉を。
選ぶ。
「またこっちに来られるように出来る?」
カミラが。
少しだけ。
目を見開いた。
「一方通行は嫌?」
エルネスタが聞く。
「うん」
ハイセは。
迷わなかった。
「帰りたい。でも」
少しだけ。
笑う。
「ここも、もう捨てたくない」
カミラは。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
端末へ。
手を伸ばす。
「なら」
画面を。
一つ。
増やす。
「最初から往復可能な方法として考える」
「出来る?」
「分からん」
カミラも。
小さく。
笑った。
「だから研究するんだろう」
「そっか」
「ああ」
エルネスタが嬉しそうに椅子を回し、ヒルダも再び演算データへ視線を戻す。
リンドヴルムは終わった。
マディアス・メサも。
盤上から。
消えた。
残された武器は。
新しい使い手へ。
渡った。
そして。
その先。
ハイセ達の視線は。
ついに。
一つの都市でも。
一つの学園でも。
一つの世界でも。
なくなった。
世界と。
世界の。
境界。
その向こう。
かつて。
ハイセが。
捨てられた世界。
まだ。
何も。
変わっていない場所。
そこへ。
今度は。
偶然ではなく。
自分の意思で。
帰るために。
新しい研究が。
始まった。