暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

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第36話 三分十二秒

 

 

 

 世界と世界を繋ぐ小さな観測孔が開いてから、さらに数日が経った。

 

 その間、アルルカントの研究区画では、ほとんど休みなく接続実験が繰り返されていた。物体の転送、観測機の往復、ゲート内部における時間差とプラーナ変動の測定。その全てで一定以上の安定性が確認され、ついに次の実験へ進む条件が整った。

 

「というわけで」

 

 エルネスタが巨大な演算画面を指差す。

 

「人間を通してみよう!」

 

「言い方!」

 

 カミラの怒声が研究室へ響いた。

 

「実験動物を穴へ放り込むみたいに言うな! しかも通るのはハイセだぞ!」

 

「本人が一番平気そうだけど?」

 

「平気」

 

「お前も少しは緊張しろ!」

 

 ハイセは既にYami_Q_rayの装備を整えていた。

 

 身体各所には転移中の状態を記録する観測端末が取り付けられ、生命反応からプラーナ循環、時間感覚まで継続的に測定することになっている。腰には通常の剣とは別に、今回の接続維持に不可欠なウォーレ=ザインが装備されていた。

 

「確認するぞ」

 

 カミラがハイセの正面へ立つ。

 

「今回の目的は帰還ではない。正式なアンカーBの設置と、世界間往復が成立することの確認だ」

 

「分かってる」

 

「向こうへ着いたら、まず周辺環境を確認。次に時間を確認。その後【武器マスター】でアンカーポイントを固定し、こちらからゲートを再接続する」

 

「うん」

 

「異常を感じたら何もせず戻れ。誰かに遭遇しても今回は長居するな」

 

「分かった」

 

「……本当に?」

 

「さっきから全部分かったって言ってるけど」

 

 カミラはしばらくハイセを見つめてから、大きく息を吐いた。

 

「お前の場合、理解していても妙なことを始めるから心配なんだ」

 

「失礼だな」

 

「過去を振り返ってから言え」

 

 反論出来なかった。

 

     ◇

 

 研究区画中央に設けられた接続装置が起動する。

 

 【雛形】がアンカーAを読み込み、ハイセが前回認識した原世界の暫定座標へ演算を集中させる。空間と時間、さらに二つの世界で異なる法則のずれを一つずつ補正しながら、膨大な候補が削られていった。

 

ANCHOR-A:STABLE

 

ANCHOR-B:TEMPORARY

 

TEMPORAL TRACE:LOCKED

 

 ハイセは目を閉じる。

 

 歌詞のない一音。

 

 静かな声が響き、その中へプラーナが溶け込んでいく。

 

 世界の境界が、少しずつ輪郭を持ち始める。

 

「認識出来た」

 

「ウォーレ=ザイン、接続準備!」

 

 エルネスタの声に合わせ、ハイセが青い魔剣を抜いた。

 

 以前なら大きく振る必要があったかもしれない。しかし今のハイセに、それは必要ない。

 

 一歩。

 

 必要な位置へ身体を運び。

 

 一閃。

 

 ただ、それだけ。

 

 青い光が空間を撫でた直後、研究室の中央に縦長の亀裂が生まれた。

 

 今度は指一本ほどの隙間ではない。

 

 一人の人間が歩いて通れるほどの、光の扉だった。

 

「接続安定!」

 

「内部異常なし!」

 

「ハイセ!」

 

 カミラの声が飛ぶ。

 

「行ってこい」

 

「うん」

 

 ハイセは一度だけ彼女達を見る。

 

「すぐ戻る」

 

「当然だ」

 

 そして。

 

 光の向こうへ。

 

 一歩を踏み出した。

 

     ◇

 

 奇妙な感覚だった。

 

 落下でもない。

 

 浮遊でもない。

 

 身体が引き伸ばされるような感覚もなければ、どこかへ猛烈な速度で移動している実感もない。

 

 ただ。

 

 一瞬だけ。

 

 自分がどこにも存在していないような感覚があった。

 

 次の瞬間。

 

 風が頬を撫でた。

 

「…………」

 

 ハイセは目を開く。

 

 空。

 

 森。

 

 土。

 

 遠くから聞こえる生き物の声。

 

 プラーナとは少し異なる、この世界特有の魔力。

 

 見覚えがある。

 

「戻った」

 

 思わず口から漏れた。

 

 長い間離れていたように感じる。

 

 けれど、目の前の景色はほとんど何も変わっていなかった。

 

『ハイセ、聞こえるか?』

 

 通信端末からカミラの声が届く。

 

「聞こえる」

 

『身体に異常は?』

 

「ない」

 

『周囲は?』

 

「俺の世界で間違いないと思う」

 

 ハイセは周囲を見渡し、最後に端末へ視線を落とした。

 

「時間は?」

 

『今照合している』

 

 数秒。

 

 エルネスタの声が割り込んでくる。

 

『出たよ!』

 

「どれくらい?」

 

『転移起点から――』

 

 一拍。

 

『三分十二秒』

 

「…………」

 

 ハイセが止まった。

 

「三分?」

 

『正確には三分十二秒』

 

「こっちでは?」

 

『うん。君が最初にアスタリスクへ飛ばされたと推定される瞬間から、三分十二秒しか進んでない』

 

 ハイセはもう一度、周囲を見る。

 

 アスタリスクで過ごした時間。

 

 カミラと出会った。

 

 アルルカントへ入った。

 

 綾斗から剣を学んだ。

 

 シルヴィアから歌を学んだ。

 

 身体を作り変えた。

 

 リンドヴルムへ出た。

 

 優勝した。

 

 マディアスを盤上から降ろした。

 

 その全てが。

 

 こちらでは。

 

 三分十二秒。

 

「……凄いな」

 

『感想それだけ!?』

 

 エルネスタが叫ぶ。

 

『そこ、もっとこう、時間の神秘とか運命の感慨とかないの!?』

 

「あるけど」

 

『けど?』

 

「先にアンカー打つ」

 

『……君、やっぱり研究者になってない?』

 

     ◇

 

 ハイセは地面へ片膝をついた。

 

 実際に物理的な杭を打ち込むわけではない。

 

 必要なのは、この世界の現在位置と時間位相、魔力法則、そしてアスタリスク側との接続関係を、一つの再現可能な情報として固定することだった。

 

 【武器マスター】を起動する。

 

「…………」

 

 以前なら、目の前に武器がなければ始まらなかった力。

 

 今は違う。

 

 この空間。

 

 アスタリスクへ続く道。

 

 二つの地点。

 

 その全てを含めて、一つの機能を持つ装置として認識する。

 

「入口」

 

 ハイセが呟く。

 

「それから、出口」

 

 世界の向こうにあるアンカーAを思い浮かべる。

 

 そして。

 

「一つの道」

 

 【武器マスター】が反応した。

 

 視界の奥で、複雑だった情報が一本の構造へ変わっていく。

 

 空間座標。

 

 時間座標。

 

 魔力。

 

 プラーナ。

 

 双方の世界を隔てる境界。

 

 それら全てが結びつき、一つの識別情報へ統合された。

 

『反応来た!』

 

 エルネスタの声。

 

『アンカーB、形成開始!』

 

 アスタリスク側の【雛形】も同時に応答する。

 

ANCHOR-B:ESTABLISHING

 

COORDINATE RELATION:RECORDING

 

TEMPORAL PHASE:FIXING

 

 ハイセはその流れを最後まで見届ける。

 

 そして。

 

ANCHOR-B:ESTABLISHED

 

「出来た?」

 

『出来た』

 

 カミラだった。

 

 いつもより。

 

 少しだけ声が柔らかい。

 

『こちらからも、お前のいる場所がはっきり分かる』

 

「そっか」

 

『今度は転移痕跡を探しているんじゃない』

 

 カミラが言う。

 

『そこに、お前達が打った錨がある』

 

 ハイセは小さく笑った。

 

「じゃあ」

 

 立ち上がる。

 

「帰れる?」

 

『今から試す』

 

     ◇

 

 一度。

 

 ゲートが完全に閉じた。

 

 ハイセは一人で原世界に残る。

 

 今までなら、この瞬間にアスタリスクとの繋がりは失われていた。

 

 しかし。

 

 違う。

 

 目には見えない。

 

 それでも。

 

 分かる。

 

 遠く。

 

 世界の向こう側。

 

 自分がさっきまでいた場所。

 

 そこへ確かに。

 

 一本の道が繋がっている。

 

「……面白い」

 

 数秒後。

 

『再接続開始』

 

 【雛形】がアンカーAとアンカーBを読み込む。

 

 原世界を探す必要はない。

 

 時間軸を探す必要もない。

 

 既にある二つの錨を。

 

 繋げればいい。

 

ANCHOR-A:CONFIRMED

 

ANCHOR-B:CONFIRMED

 

RELATIVE PHASE:CORRECTING

 

GATE:OPEN

 

 ハイセの目の前で。

 

 再び世界が開いた。

 

「おお」

 

 向こう側に。

 

 カミラ。

 

 エルネスタ。

 

 ヒルダ。

 

 そして研究室が見える。

 

『さっさと戻れ』

 

「うん」

 

 ハイセは一歩踏み出す。

 

 光を抜ける。

 

 次の瞬間。

 

 足の裏へ。

 

 アルルカントの床の感触が戻った。

 

「ただいま」

 

「遅い!」

 

「一分もいなかったけど」

 

「体感の問題だ!」

 

 カミラが怒鳴る。

 

 その隣でエルネスタは猛烈な勢いでログを確認していた。

 

「往復成功! 生体情報正常! 時間差も予測範囲内!」

 

「時間軸はどうなった?」

 

 ハイセが聞く。

 

「そこが面白いんだよ」

 

 エルネスタが画面を切り替える。

 

「最初の帰還では、君が元々いた時間へ転移痕跡を遡った。でもアンカーBが成立した時点で、その時間位相が“現在地”として固定された」

 

「つまり?」

 

「次からは三分十二秒地点より前には戻れない」

 

 カミラが補足する。

 

「正確には、戻す理由もない。これ以降はアンカーAとB、それぞれの現在時間を基準に接続する」

 

「じゃあ時間旅行にはならない?」

 

「ああ」

 

 カミラは頷いた。

 

「初回だけ、お前がこの世界へ来た転移経路を逆走した。その結果として元の時間へ近い位置へ復帰しただけだ。アンカー確立後は、両世界の時間を前へ進めながら接続する」

 

「よかった」

 

「何が?」

 

「過去に行けたら面倒そう」

 

「その認識だけは正しい!」

 

     ◇

 

 そこから数時間。

 

 往復実験は繰り返された。

 

 観測機。

 

 物資。

 

 小型端末。

 

 そして再びハイセ。

 

 アンカーAとBが存在する限り、【雛形】は毎回ゼロから世界を探す必要がなくなった。二点間の差異を逐次補正し、必要な時だけゲートを開くことで、世界間移動は少なくとも実験室レベルでは再現可能な技術へ変わりつつある。

 

「十二回連続成功」

 

 エルネスタが椅子へ身体を預けた。

 

「これはもう、かなりいいんじゃない?」

 

「人間一人ならな」

 

 カミラは浮かれる気配がない。

 

「物資を大量輸送するなら、ゲート径と維持時間をさらに伸ばす必要がある。その場合、消費エネルギーが跳ね上がる」

 

「大型化すれば?」

 

「装置自体を大きくするだけでは足りない」

 

 カミラは必要資源の一覧を表示した。

 

 高密度のエネルギー媒体。

 

 長時間の座標補正に耐えられる演算系。

 

 世界境界の変動に負けない素材。

 

 そして。

 

 大量の。

 

 ウルム=マナダイト。

 

「……多いね」

 

「多い」

 

 アルルカントにある研究用資源だけで、試験ゲートは維持出来る。

 

 しかし。

 

 それを輸送用。

 

 将来的には誰でも利用可能な技術へ発展させようとするなら。

 

 桁が違った。

 

「しかも」

 

 カミラは画面をスクロールする。

 

「【雛形】自体も今の演算能力では不足し始めている」

 

「まだ強くするの?」

 

「世界を二つ同時に追跡させているんだぞ」

 

 ヒルダが楽しそうに笑う。

 

「さらに将来的には、君の【武器マスター】を取り込ませる予定だ。武器解析、アンカー制御、代償条件解析、個人適応――処理する情報は今後増える一方だろう」

 

「足りないんだ」

 

「全く足りん!」

 

 ヒルダだけ。

 

 何故か嬉しそうだった。

 

     ◇

 

「高品質なウルム=マナダイトを大量確保出来れば話は早いんだけどねぇ」

 

 エルネスタが呟く。

 

「それが簡単に出来れば苦労しない」

 

 カミラが答える。

 

「希少資源だからな。研究用ならともかく、将来的な市場投入まで考えて既存供給へ依存するのは危険だ」

 

 そこで。

 

 ハイセが何も言わなくなった。

 

「ハイセ?」

 

 カミラが気づく。

 

「何だ?」

 

「いや」

 

 ハイセは画面に表示された素材の波形を見つめていた。

 

 見覚えがある。

 

 正確には。

 

 以前。

 

 よく似たものを。

 

 自分が持っていた。

 

「《女神の羽衣(フレイア=プロト)》」

 

「……何?」

 

「あれに使った龍核」

 

 エルネスタの目が輝く。

 

「あ」

 

 ハイセが元の世界から持っていた、ブラックエンシェントドラゴン由来の灰色の宝珠。

 

 解析の結果。

 

 アスタリスクのウルム=マナダイトと。

 

 極めて近い性質を持つことが判明した素材。

 

 それを核として。

 

 《フレイア=プロト》は生まれた。

 

「つまり」

 

 エルネスタの口角が上がる。

 

「ハイセ君の世界には、ウルム=マナダイト相当の資源がある」

 

「可能性は高い」

 

 カミラも。

 

 今度は否定しなかった。

 

「問題は量だ」

 

 ハイセは少し考えた。

 

「量なら」

 

 全員が。

 

 彼を見る。

 

「心当たりあるよ」

 

「…………」

 

 カミラの表情が。

 

 嫌な予感を察知したものへ変わった。

 

「聞こう」

 

「【禁忌迷宮】」

 

「名前から嫌なんだが」

 

「俺の世界にある」

 

「それは分かる!」

 

「奥まで行けば」

 

 ハイセは記憶を辿る。

 

「龍核に近い素材とか、強い魔物の素材とか、かなりありそう」

 

 エルネスタは既に検索用の資料欄を作っている。

 

「どれくらい危ないの?」

 

「危ないと思う」

 

「具体的には?」

 

「俺一人なら準備してから行く」

 

「それ相当危ないって意味だろう!?」

 

 カミラが頭を抱えた。

 

     ◇

 

「でも」

 

 ハイセは再び必要資源一覧を見る。

 

「まず確保しないと、先に進めないんだろ?」

 

「……そうだ」

 

 カミラは認めざるを得なかった。

 

 実験機一台を完成させるだけなら、今ある資源でも足りる。

 

 しかし彼女達が目指しているものは。

 

 一人だけが使える奇跡ではない。

 

 ハイセだけが世界を渡れる装置でもない。

 

 【雛形】だけが管理出来る技術でもない。

 

 誰かが。

 

 必要な時に。

 

 自分で道を選び。

 

 その先へ行ける仕組み。

 

 そこまで進めるなら。

 

 材料が要る。

 

「なら」

 

 ハイセは言った。

 

「次は資源確保だね」

 

「帰郷した直後の人間の台詞とは思えんな」

 

「三分しか経ってなかったし」

 

「お前の主観では何ヶ月も経っているだろう!」

 

「それはそう」

 

「もう少し故郷へ感動しろ!」

 

 エルネスタが肩を震わせて笑っている。

 

「でもカミラ」

 

「何だ」

 

「禁忌迷宮って響き、ちょっとワクワクしない?」

 

「しない!」

 

 即答だった。

 

「ヒルダは?」

 

「実に興味深い!」

 

「お前には聞いていない!」

 

     ◇

 

 その日の研究終了後。

 

 ハイセは一人。

 

 再びゲートの前に立っていた。

 

 今は閉じている。

 

 ただの空間。

 

 それでも。

 

 向こうに自分の世界があると分かる。

 

 以前は。

 

 一度離れたら。

 

 二度と帰れないかもしれないと思っていた。

 

 今は違う。

 

 帰れる。

 

 そして。

 

 戻ってこられる。

 

「二つになったな」

 

 ハイセが小さく呟いた。

 

「何がだ?」

 

 いつの間にか。

 

 カミラが後ろにいた。

 

「帰る場所」

 

 ハイセは振り向く。

 

「向こうも故郷だし」

 

 一度。

 

 アルルカントの研究室を見る。

 

「こっちも」

 

 カミラは少しだけ目を細めた。

 

「そうか」

 

「うん」

 

 それ以上。

 

 二人とも。

 

 何も言わなかった。

 

 少しして。

 

 ハイセが端末を持ち上げる。

 

「それで」

 

「何だ?」

 

「【禁忌迷宮】行くなら、誰連れてく?」

 

「……感傷の余韻くらい残せ!」

 

「大事な話だろ?」

 

「大事だから腹が立つんだ!」

 

 研究室に。

 

 また。

 

 いつもの声が響いた。

 

     ◇

 

 同じ頃。

 

 【雛形】は誰にも命令されることなく。

 

 新しく得たデータを整理していた。

 

 アンカーA。

 

 アンカーB。

 

 異なる二つの世界。

 

 異なる時間。

 

 異なる法則。

 

 そして。

 

 その間に存在する。

 

 一つの道。

 

INTERWORLD ROUTE:STABLE

 

ANCHOR NETWORK:2

 

CURRENT GATE CAPACITY:LIMITED

 

RESOURCE REQUIREMENT:INSUFFICIENT

 

 さらに。

 

 新しい項目が追加される。

 

NEXT OBJECTIVE――RESOURCE ACQUISITION

 

 世界を渡るための道は。

 

 出来た。

 

 次に必要なのは。

 

 その道を。

 

 誰か一人だけの奇跡で終わらせないための力。

 

 そしてその材料は。

 

 アスタリスクではなく。

 

 ハイセが。

 

 たった三分十二秒ぶりに帰った。

 

 もう一つの世界に。

 

 眠っていた。

 

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