暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
第37話 力を、道に変える
世界間往復実験が成功した翌日。
アルルカントの研究室では、既に成功を祝う空気など消え失せていた。昨日までは存在するかどうかすら分からなかった異世界への道が、今では大型演算画面の片隅に「改善すべき既存技術」として表示されている。
「人間って贅沢だね」
ハイセが画面を眺めながら呟いた。
「昨日まで『繋がれば成功』だったのに、今日はもう『性能が足りない』になってる」
「研究とはそういうものだ」
カミラは当然のように答えた。
「出来ないことを出来るようにする。出来たら次は、より安全に、より簡単に、より多くの人間が使えるようにする。そこで満足するなら研究者など必要ない」
「やっぱり研究者だね」
「私は最初から研究者だ!」
「俺のことかと思った」
「お前まで自覚し始めるな!」
エルネスタが横で楽しそうに笑っていた。
しかし、画面に表示されている問題自体は笑えるものではない。
アンカーAとアンカーBは正常に機能している。【雛形】も二点間の座標関係を記録し、ゲート再接続時の補正演算を行えるようになった。
だが、一度【雛形】の中核演算領域を完全に初期化し、保存情報だけからアンカーを再構築させると、精度が急激に落ちる。
「やっぱり駄目か」
ハイセが言った。
「ああ」
カミラは頷いた。
「【雛形】はお前が打ち込んだアンカーの形を覚えている。しかし、それが何故アンカーとして成立しているのかを完全には理解していない」
「写真は持ってるけど、作り方が分からない?」
「そんなところだ」
そこでヒルダ・ジェーン・ローランズが、椅子を回しながらこちらを向いた。
「ならば答えは既に出ている」
「……嬉しそうだね」
「当然だとも」
ヒルダは口元を歪める。
「模倣で足りないのであれば、本物を与えればいい」
◇
研究室の空気が少しだけ変わった。
カミラはヒルダを見る。
「もう一度確認する」
「何度でもどうぞ」
「【武器マスター】を【雛形】へ移した場合、ハイセから能力が消失する可能性は極めて高い。そして再移植出来る保証はない。そういう理解で間違いないな?」
「ああ」
ヒルダも、そこだけは軽く答えなかった。
「現在の【雛形】にはハイセ君の能力発動記録が膨大に蓄積されている。故に移行経路そのものは構築可能だろう。しかし、これはデータをコピーする話ではない。能力の根幹を彼から切り離し、【雛形】の中核へ組み込む」
「失敗したら?」
ハイセが尋ねる。
「君だけが能力を失い、【雛形】にも定着しない可能性がある」
「なるほど」
「そこで『なるほど』で終わるな!」
カミラが机を叩いた。
ハイセは少しだけ困った顔をする。
「でも、昨日話しただろ?」
「話したからといって今日すぐ実行する必要はない!」
「必要じゃないの?」
「必要ではある!」
「じゃあやろう」
「そういうところだ!」
エルネスタが吹き出した。
「カミラ、完全にお母さんみたいになってるよ」
「誰のせいだと思っている!」
「主にハイセ君?」
「お前とヒルダもだ!」
◇
冗談はそこまでだった。
カミラはハイセの正面へ座り、改めて全ての危険性を説明した。
能力の永久消失。
【雛形】への定着失敗。
能力喪失に伴う身体・神経系への予測不能な影響。
そして、これまで【武器マスター】によって無意識に補助されていた戦闘能力が、想定以上に低下する可能性。
「それでもやるか?」
最後にカミラが聞いた。
「やる」
返事は変わらなかった。
「理由を聞いていいか?」
「アンカーを俺一人しか打てない状態で完成にしたくない」
ハイセは自分の右手を見る。
「今は俺がいるから使える。でも俺が死んだり、こっちに戻れなくなったら、それで終わりだろ?」
「ああ」
「それなら意味がない」
ハイセは静かに続ける。
「俺一人にしか使えない力を残すより、【雛形】が覚えて、そこから誰でも使える仕組みにした方がいい」
カミラは黙って聞いていた。
「それに」
ハイセは少し考えた。
「《武器マスター》を持ってる俺だけが強くなれるなら、昔とあんまり変わらないんだよ」
「…………」
「持って生まれたものがある奴は選べる。ない奴は選べない。それが嫌だったから、カミラの考えが好きだった」
カミラの目が僅かに見開かれる。
「だから俺の能力が、誰かの選択肢を増やす材料になるなら」
ハイセは笑った。
「その方がいい」
◇
「君は変わったね」
ヒルダが呟いた。
「そう?」
「ああ」
彼女は端末へ視線を落とす。
「初めて会った頃なら、能力そのものに執着していなくとも、それを失うことが君自身の価値へどう影響するかは、もう少し気にしていただろう」
「今も価値はあるよ」
「ほう?」
「《武器マスター》に」
ハイセは答える。
「でも」
一度言葉を区切った。
「《武器マスター》が俺なんじゃない。俺が使ってただけだ」
誰もすぐには返事をしなかった。
その沈黙の中で、カミラだけがゆっくり息を吐いた。
「……分かった」
「いいの?」
「良くはない」
即答だった。
「だが、お前が理解した上で自分で選んだなら、それを私が奪う理由もない」
「ありがとう」
「ただし」
カミラはヒルダを見る。
「少しでも異常があれば中止だ」
「承知した」
「お前が『もう少しだけ』と言っても中止だ」
「信用がないな」
「あると思うのか?」
「ないな」
「自覚はあるのか!」
◇
移行処置は、その日の午後に始まった。
ハイセはYami_Q_rayへ再構築された時にも使用した処置装置へ横たわっている。今回は肉体そのものを作り変えるわけではないが、【武器マスター】が神経系や認識系へどのように接続されているかを追う必要があるため、使用する設備の多くは同じだった。
「変な感じ」
「痛みは?」
カミラが尋ねる。
「ない」
「違和感は?」
「ある」
「どこだ?」
「頭の奥」
ハイセは目を閉じた。
視界の奥に、これまで触れてきた数え切れないほどの武器が浮かんでは消えていく。
剣。
銃。
槍。
魔導武器。
純星煌式武装。
そして最後には。
歌。
ウォーレ=ザインで斬った現象。
世界間ゲート。
《武器》という言葉が、もはや単純な殺傷道具だけを意味していないことが分かる。
「抽出開始」
ヒルダが操作する。
【雛形】が応答した。
WEAPON MASTER:CORE TRACE DETECTED
NEURAL LINK:MAPPING
CONCEPTUAL DOMAIN:EXPANDING
大量の情報が流れ込む。
それは記憶ではない。
ハイセが何を考えたか。
誰を好きになったか。
何を嫌ったか。
そんな個人の人生ではない。
あくまで。
武器を認識し。
理解し。
扱う。
その能力そのもの。
「定着領域形成」
エルネスタが表示を追う。
「【雛形】側、受け入れ開始」
「ハイセ?」
カミラの声。
「大丈夫」
「能力は?」
「まだある」
近くに置かれた検証用の剣へ視線を向ける。
見ただけで分かる。
重心。
材質。
刃の癖。
使い方。
「まだ分かる」
「続行」
ヒルダが静かに告げた。
◇
数分後。
変化は唐突に訪れた。
検証用の剣を見ていたハイセが、僅かに目を細める。
「……あ」
カミラが即座に振り向いた。
「どうした?」
「分からなくなった」
「何が?」
「剣」
目の前にあるのは、ただの剣だった。
今までなら、一目見ただけで脳内へ流れ込んできた膨大な情報が何もない。
材質も。
癖も。
最適な使い方も。
見なければ分からない。
触らなければ分からない。
自分で考えなければ。
分からない。
「……なくなった」
ハイセが呟く。
同時に。
【雛形】側の画面が大きく切り替わった。
WEAPON MASTER:CORE ACQUIRED
INTEGRATION:COMPLETE
研究室が静まり返った。
◇
「身体に異常なし」
エルネスタが数値を確認する。
「神経系も安定。プラーナ循環正常」
「認識能力は?」
「通常範囲」
カミラはまだ安心していない。
「ハイセ。起きられるか?」
「うん」
処置装置から身体を起こす。
床へ降りても、違和感はなかった。
ハイセは先ほどの検証用の剣を取った。
「……どうだ?」
カミラが聞く。
「重い」
「今まで分からなかったのか?」
「今までは持つ前から分かってた」
ハイセは柄を握り直した。
一度。
軽く振る。
次に踏み込む。
刃が空気を切った。
余計な力はない。
速さを誇示する必要もない。
綾斗から学び。
何度も削り。
最後には自分自身の形になった剣。
それは。
消えていなかった。
「……普通に振れる」
エルネスタが呟く。
「当たり前じゃない?」
ハイセが答える。
「いや、もうちょっとこう、能力がなくなってガクッと弱くなるとかないの?」
「剣の振り方まで能力に任せてたわけじゃないし」
もう一度振る。
「これ、俺が覚えたものだから」
カミラがその動きを見つめていた。
「弱くなったようには見えんな」
「そう?」
「ああ」
ハイセは剣を鞘へ戻す。
「ならよかった」
「……それだけか?」
「でも」
少しだけ笑う。
「剣は振れるよ」
◇
ヒルダは、その様子を見ながら珍しく黙っていた。
「何?」
ハイセが尋ねる。
「いや」
ヒルダは目を細めた。
「能力を奪えば、少しくらい喪失感があるかと思っていたのだがね」
「ちょっと変な感じはするよ」
「後悔は?」
「今のところない」
「つまらんな」
「研究者としてその感想どうなの?」
「極めて正直だとも」
「ヒルダ」
カミラの低い声が飛ぶ。
「冗談だ」
「本当に?」
「九割ほど」
「残り一割は何だ!」
◇
その直後。
【雛形】が自動的に演算を開始した。
「ん?」
エルネスタが画面へ顔を近づける。
「誰か命令した?」
「私はしていない」
「私もだ」
カミラとヒルダが答える。
画面に表示されたのは。
アンカーA。
アンカーB。
昨日まで【雛形】が形だけ記録していた世界間座標。
ANCHOR-A:ANALYZING
ANCHOR-B:ANALYZING
CONCEPTUAL FUNCTION――ROUTE
表示が変わる。
「理解してる」
エルネスタの声が僅かに弾んだ。
「昨日までと違う。【雛形】がアンカーを単なる座標情報じゃなくて、一つの装置の構成要素として認識してる!」
「接続試験」
カミラが即座に指示した。
ハイセは何もしない。
歌わない。
【武器マスター】も、もう持っていない。
【雛形】だけが二つの錨を読み取る。
RELATIVE PHASE:CALCULATING
ANCHOR DISTORTION:CORRECTING
ROUTE:RECONSTRUCTED
研究室中央の空間が歪む。
光が走る。
そして。
ゲートが開いた。
向こう側に、ハイセの故郷の景色が見える。
「……成功した」
カミラが呟いた。
「完全停止試験」
一度【雛形】を落とす。
バックアップされた記録以外、稼働状態の演算情報を消去する。
再起動。
「もう一度」
エルネスタが命令を出した。
数秒後。
再びゲートが開いた。
今度は。
誰も歓声を上げなかった。
成功が意味するものを。
全員。
理解していた。
◇
「これで」
ハイセは開いたゲートを見る。
「俺がいなくても繋がる?」
「ああ」
カミラが答える。
「少なくとも現在の二点間であればな」
「よかった」
「ただし」
いつもの言葉が続く。
「まだ完成ではない」
「分かってる」
「【雛形】に依存している」
「うん」
「次は、このアンカー認識と位相補正を独立した装置へ落とし込む。最終的には【雛形】が停止しても、人間が自分の意思でゲートを使えるようにする」
「究極の汎用性?」
ハイセが尋ねる。
カミラは少し考えた。
「……まだ遠い」
「でも向かってる?」
「ああ」
「ならいいね」
カミラも小さく頷いた。
◇
しかし。
【武器マスター】を取り込んだ【雛形】が最初に理解したのは、世界間ゲートだけではなかった。
「カミラ」
エルネスタの声が変わる。
「これ見て」
別の解析項目が立ち上がっていた。
そこには、これまで記録されてきた複数の純星煌式武装のデータが並んでいる。
《青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)》。
《女神の羽衣(フレイア=プロト)》。
《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》。
《覇潰の血鎌(グラヴィシーズ)》。
【雛形】はそれらを、単なる武器性能として見ていなかった。
「使用者との接続?」
ハイセが画面を見る。
「ああ」
カミラが表情を引き締める。
「能力発動から使用者側へ返る負荷まで、一つの構造として追っている」
《赤霞の魔剣》の項目が拡大される。
USER INTERFERENCE:DETECTED
TRIGGER CONDITION:UNKNOWN
REVERSIBLE RANGE:CALCULATING
「……これ」
ハイセが気づく。
「代償まで調べてる?」
「可能性はある」
カミラが答えた。
「武器の能力だけでなく、使用者との関係そのものまで【武器マスター】の解析対象として認識したのだろう」
ヒルダの目が輝いた。
「素晴らしい!」
嫌な予感がした。
「ならば、精神干渉が不可逆となる直前まで出力を引き上げ――」
PROPOSAL REJECTED
画面に表示された。
「…………」
ヒルダが止まる。
エルネスタが吹き出した。
「早っ!」
「何故拒否されたのだね?」
ヒルダが端末を操作する。
REASON:SAFETY MARGIN INSUFFICIENT
「ならば安全マージンを変更して――」
ADMINISTRATOR OVERRIDE:DENIED
「…………」
研究室が静かになる。
カミラの口元が。
ゆっくり上がった。
「素晴らしいじゃないか」
「カミラ?」
「優秀なシステムだ」
「待ちたまえ」
ヒルダが振り返る。
「設計者である私が安全基準を変更出来ないのは不合理ではないかね?」
「合理的だろう」
ハイセが言った。
「何故だね!?」
「ヒルダだから」
「説明になっていない!」
「私には十分だ」
カミラは満足そうだった。
「どうやら【雛形】は、武器だけでなく研究者にも安全装置が必要だと理解したらしい」
「私はオーガルクスかね!?」
エルネスタが肩を震わせる。
「高性能だけど無制限に使うと危ないって意味では似てるかも」
「エルネスタ君!?」
◇
もっとも。
この段階で《赤霞の魔剣》や《覇潰の血鎌》が安全になったわけではない。
【雛形】が見つけたのは、あくまで「代償にも発生条件と許容域が存在する可能性」だけだ。
「これから実際の使用データを増やす」
カミラは表示を切り替える。
「もし不可逆な負荷へ移行する境界が分かれば、その直前で出力を絞るか、武器との接続を強制解除出来るかもしれない」
「使用時間も?」
ハイセが聞く。
「当然対象になる。時間、出力、身体状態、精神状態、プラーナ量。何が代償と相関しているのかを逐次計算する」
エルネスタが補足する。
「それで使用者が成長したら、安全範囲も再計算出来るよね」
「そうだな」
カミラも頷いた。
「昨日まで三分しか安全に使えなかった者が、成長によって五分使えるようになるかもしれない。同じ三分でも、許容出力が五十パーセントから七十パーセントへ上がる可能性もある」
「レベルが見える」
ハイセが言った。
「そういうことだ」
カミラは少しだけ画面を見つめた。
「安全装置が人間を強くするのではない。その人間が強くなったから、安全装置が許可出来る範囲を広げる」
「誰でも成長出来る武器」
ハイセが呟く。
カミラの目が止まった。
「…………」
「どうした?」
「いや」
カミラは首を振った。
「まだ完成したわけではない」
だが。
否定もしなかった。
◇
「で」
エルネスタが空気を切り替えるように手を叩いた。
「すっごく夢のある未来が見えてきたところで、現実のお話」
大型画面へ。
必要資源一覧が表示される。
昨日より増えていた。
「増えてない?」
「増えたね」
「何で?」
「【雛形】が賢くなったから」
「賢くなったら節約してよ」
「逆だよ。今まで計算出来てなかった必要量まで分かるようになったの」
「……なるほど」
高密度演算装置。
アンカー制御器。
世界間ゲート大型化。
オーガルクス安全制御用の観測端末。
【雛形】の分散クライアント。
どれも研究室の余剰資源で作れる量ではない。
「つまり」
ハイセが言った。
「【禁忌迷宮】?」
「結局そこへ帰ってくるのか……」
カミラが頭を抱える。
「優先順位としては正しい」
「行こう」
「まだ誰を連れて行くか決めていない!」
「昨日決めるって言ったじゃん」
「一晩で決まる話ではない!」
ハイセは少し考えた。
「ディルクに聞いてみる」
「何故そこでディルクなんだ」
「強い人貸してくれそうだから」
カミラは。
数秒。
黙った。
「……頼むから、人間をレンタル品みたいに言うな」
◇
「で?」
レヴォルフ黒学院。
ディルクは端末越しのハイセを睨んでいた。
「今度は何を買う気だ」
「人」
「切るぞ」
「言い方間違えた」
「最初から間違えるな」
ハイセは禁忌迷宮の説明をした。
自分の世界に存在する高難度領域。
内部には未知の魔物や資源が存在し、その中にブラックエンシェントドラゴンの龍核と同系列――つまりウルム=マナダイトに近い素材がある可能性が高いこと。
「ほう」
ディルクの態度が。
分かりやすく変わった。
「で、回収した素材は?」
「分ける?」
「何対何だ」
「半分」
「悪くねぇ」
話が早かった。
「ただし俺一人で行くつもりはない」
「誰が欲しい」
「オーフェリア」
「高ぇぞ」
「払う」
「即答かよ」
「前金も出す」
「……お前、俺との付き合い方だけ異様に上達してねぇか?」
「ディルク分かりやすいから」
「褒めてねぇだろ、それ」
「褒めてるよ」
ディルクは鼻で笑った。
「本人が承諾すれば貸す。回収資源は五割、レヴォルフ側。危険手当もお前持ちだ」
「分かった」
「あと一人」
「誰?」
「イレーネ」
「何で?」
「《グラヴィシーズ》の実地データが欲しい」
ディルクは机へ肘をつく。
「お前らの新しい安全装置、完成したらこっちにも利益があるんだろ?」
「まだ試験段階だけど」
「だから試すんだろうが」
「イレーネ嫌がりそう」
「仕事だ」
「強いね、その言葉」
「給料払ってるからな」
◇
数時間後。
イレーネ・ウルサイスは絶望していた。
「……本当にやんの?」
「やる」
ディルクが答える。
「異世界だぞ?」
「ああ」
「禁忌迷宮だぞ?」
「ああ」
「名前から死にそうなんだけど」
「危険手当は出す」
「……いくら?」
「お姉ちゃん!」
隣にいたプリシラが即座に反応した。
イレーネは振り返る。
「いや大事だろ!」
「そうだけど! 即落ちしないでよ!」
「生活かかってんだよ!」
「カジノ行かなければもう少し余裕あるでしょ!?」
「あれは投資だ」
「負けてる時点で投資じゃないよ!」
ディルクが資料を机へ置いた。
「同行はハイセとオーフェリアだ」
「…………」
イレーネが止まる。
「今なんつった?」
「ハイセとオーフェリア」
「何でよりによってその二人と三人パーティーなんだよ!?」
「三人なら生還率高ぇだろ」
「そういう問題じゃねぇ!」
プリシラが恐る恐る尋ねる。
「期間は……?」
「ハイセの予想では三日だ」
「一番信用しちゃいけねぇ見積もりじゃねぇか!!」
◇
そして。
その翌日。
遠征準備を進めていたアルルカントの研究室へ。
「私も行くわ」
突然。
シルヴィア・リューネハイムがやって来た。
「…………」
カミラは。
一度目を閉じた。
開いた。
やはりシルヴィアがいる。
「何故だ」
「ハイセ君が異世界へ行くって聞いたから」
「どこから聞いた!?」
「エルネスタさん」
カミラが振り返る。
「エルネスタァ!」
「だって秘密って言われてなかったし!」
「普通は言われなくても世界的歌姫に『異世界の禁忌迷宮遠征あるよ』と教えないんだ!」
「楽しそうだったから」
「基準がおかしい!」
シルヴィアはそんな二人を気にせず、ハイセを見る。
「私も行っていい?」
「危ないよ」
「知ってる」
「三日くらいかかるかも」
「大丈夫」
「仕事は?」
「調整したわ」
「学校は?」
「許可も取ったわ」
カミラが止まる。
「……何?」
シルヴィアは笑顔のまま、正式な参加許可書を表示した。
「異世界環境下における歌唱系能力と《女神の羽衣(フレイア=プロト)》の適応性能検証。共同研究として申請してきたの」
「いつの間に!?」
「昨日」
「行動が早すぎる!」
◇
「じゃあいいよ」
ハイセが答えた。
「待て!」
カミラが即座に割って入った。
「三十秒で許可するな!」
「本人が行きたいって」
「そういう問題ではない!」
「許可もあるし」
「そういう問題でもない!」
「じゃあ何が問題?」
カミラが。
言葉に詰まった。
シルヴィアは楽しそうに笑う。
「大丈夫よ。足手まといにはならないわ」
「それは知っている」
リンドヴルム決勝で。
嫌というほど。
見せつけられた。
シルヴィアの視線が、研究室の奥へ移る。
そこには。
白と金。
光を浴びるたびに薄い虹色の粒子を散らす。
ステージ衣装と戦闘装備を無理矢理一つにしたような純星煌式武装が置かれていた。
《女神の羽衣(フレイア=プロト)》。
「この子のデータも増やしたいし」
シルヴィアが嬉しそうに言う。
「異世界で使うの楽しみなの」
ハイセは少し嫌そうな顔をした。
「それ、まだ使うんだ」
「もちろん」
「俺、無くしたと思ってたのに」
「拾ったのよ」
「カミラから取ったんじゃなかった?」
「細かいことは気にしないの」
「気にするよ」
カミラが遠い目をした。
「私は気にしている」
◇
数日後。
大型画面に。
正式な遠征メンバーが表示された。
INTERWORLD RESOURCE EXPEDITION
FIELD TEAM
HAISE SASAKI――Yami_Q_ray
OPHELIA LANDLUFEN
IRENE URSAIS
SYLVIA LYYNEHEYM
そして。
装備欄。
ハイセ。
《青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)》。
オーフェリア。
《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》。
イレーネ。
《覇潰の血鎌(グラヴィシーズ)》。
シルヴィア。
《女神の羽衣(フレイア=プロト)》。
「……過剰戦力じゃない?」
エルネスタが言った。
「禁忌迷宮だから」
ハイセが答える。
「これくらい必要?」
「多分」
「その『多分』が怖いんだ!」
カミラが叫んだ。
ヒルダは画面を眺めながら満足そうに笑っている。
「実に素晴らしい。異世界環境、未知の魔法体系、未確認生物、オーガルクス三種に【雛形】の遠隔クライアント。得られるデータ量は計り知れんな」
「資源を取りに行くんだよ」
ハイセが言う。
「研究も出来る」
「それが本音?」
「両方だとも」
カミラが深いため息を吐く。
「何度でも言う。目的は資源調査と安全な回収だ。迷宮そのものを壊すな。未知の生態系へ余計な干渉をするな。面白そうだからという理由で予定外の物を持ち帰るな」
「エルネスタは残るよ?」
「お前にも言っている!」
「俺?」
「お前だ!」
◇
出発前。
ハイセは一人で。
いつもの剣を手にした。
もう。
見ただけでは何も分からない。
【武器マスター】はない。
それでも。
握れば。
重さが分かる。
一度振れば。
癖が分かる。
何度も使えば。
もっと分かるようになる。
それでいい。
遠くの画面では【雛形】が、二つの世界を繋ぐアンカーを維持していた。
かつてハイセ一人の中にあった力は、もう彼だけのものではない。その力は世界を繋ぎ、危険な武器を理解し、いつか誰かが安全に成長するための道を作ろうとしている。
ハイセは剣を鞘へ戻した。
「行こうか」
ゲートの向こう側。
故郷。
そこには今まで、自分達の世界でしか価値を知られていなかった資源が眠っている。
そして。
その資源があれば。
【雛形】をさらに進められる。
ゲートを大きく出来る。
安全装置を作れる。
武器を。
誰か一人の才能から。
もっと多くの人間が選べるものへ変えていける。
最初に必要なのは。
理想でも。
理念でもない。
材料だった。
ハイセは光の向こうへ視線を向ける。
その後ろでは。
オーフェリアが既に当然のようにハイセの隣を確保していた。
「ハイセ」
「何?」
「向こうでは一緒に行動しましょうね」
「パーティーだからね」
「ずっとよ」
「三日だけだよ?」
「…………」
何故か少し不満そうだった。
その反対側では。
《グラヴィシーズ》を持ったイレーネが。
盛大にため息を吐いている。
「帰りてぇ」
「まだ出発してないよ」
「だから今なら帰れるだろ!」
そして。
最後尾。
白と金の《女神の羽衣》を纏ったシルヴィアが、虹色の粒子を散らしながら楽しそうに笑った。
「異世界旅行なんて初めて」
「旅行じゃねぇだろ!」
イレーネが叫ぶ。
「調査よ」
「服装からして観光気分じゃねぇか!」
「戦闘装備よ?」
「どこがだよ!」
シルヴィアは自分の衣装を一度見下ろした。
そして。
ハイセを見る。
「ハイセ君に作ってもらったものだもの。大切にしないと」
「エルネスタと一緒に作ったんだけど」
「そこは省略してもいいでしょう?」
「よくないよ」
研究室に。
笑い声と。
イレーネの怒声と。
カミラの頭痛が。
同時に広がった。
誰も。
まだ知らない。
ゲートの向こう側で。
ハイセの帰還を。
どんな人間が。
どんな顔で。
迎えることになるのか。
まして。
その隣にいるシルヴィアが纏った《女神の羽衣》の原材料を。
遥か昔。
誰が。
知らず知らずのうちに。
ハイセへ導いたのかなど。
今はまだ。
誰も。
考えていなかった。
世界間ゲートが開く。
ハイセは一歩踏み出した。
今度の帰還は。
一人ではない。
そして。
故郷にとっても。
きっと。
静かな帰還にはならなかった。