暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
世界の境界が、静かに開いた。
場所はハイベルグ王国、古商業区から少し離れた一角。ほんの三分ほど前まで何の変哲もなかった空間へ青白い裂け目が走り、やがて人が通れるほどの楕円形へ広がっていく。
最初に出てきたのは、一人の少女だった。
長い暗紫色の髪。以前のハイセより細身でありながら、全身から感じられる力は明らかに人間の域を越えている。その腰には、青い刀身を持つ《青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)》が収められていた。
「接続正常」
ハイセは周囲を見回す。
『生体反応も正常だ』
耳元の通信端末からカミラの声が届いた。
『アンカーBも安定してるよ。これなら後続も通して大丈夫そう』
「じゃあ来て」
ハイセが振り返ると、ゲートの向こうから二人目が現れた。
「ハイセ」
オーフェリア・ランドルーフェンだった。
異世界へ来たという感慨よりも、ハイセの姿を確認したことの方が重要らしい。彼女は当然のようにハイセの隣へ立ち、腰に佩いた《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》へ軽く手を添えた。
「思ったより普通ね」
「俺の世界だからね」
「あなたが育ったところなのね」
「そうだけど」
何故か楽しそうだった。
三人目。
「……マジで異世界じゃねぇか」
イレーネ・ウルサイスがゲートから足を踏み出し、空と街並みを交互に見た。
「今更?」
「理屈で聞くのと、自分の足で来るのは違ぇんだよ!」
背中には《覇潰の血鎌(グラヴィシーズ)》。
本人は未だに装備させられていることへ納得していないらしく、時折それを見る目が恨めしそうだった。
「これで危険手当が安かったら帰るからな」
『契約書読んだよね?』
「エルネスタ、お前は黙ってろ」
『私、雇用主じゃないんだけどなぁ』
最後に。
虹色の光が、ゲートから零れた。
「わぁ……」
シルヴィア・リューネハイムが一歩を踏み出す。
白と金を基調としたバトルスーツは、異世界の太陽を浴びると薄い虹色の粒子を周囲へ散らした。ステージ衣装と戦闘装備を無理矢理融合させた《女神の羽衣(フレイア=プロト)》は、明らかにこの世界の装備体系から浮いている。
「本当に別世界なのね」
「だからそう言ったじゃん」
「聞いているのと見るのは違うもの」
「イレーネと同じこと言ってる」
「一緒にすんな!」
出発早々。
順調だった。
少なくともハイセ達にとっては。
◇
「……ハイセ?」
聞き覚えのある声だった。
ハイセが振り返る。
少し離れた道。
そこに。
サーシャが立っていた。
その隣にはレイノルド。
二人とも、完全に動きを止めている。
「…………」
サーシャはハイセを見る。
次に。
オーフェリアを見る。
イレーネを見る。
最後に。
虹色の光を纏うシルヴィアを見る。
「…………」
もう一度。
ハイセへ戻る。
「ハイセ?」
「ただいま」
「…………」
数秒。
「誰だお前は!?」
「ハイセだよ」
「私の知ってるハイセは男だった!!」
「そこ?」
「そこからだろうが!!」
レイノルドまで頭を抱えている。
「いや待て、声まで違ぇぞ!? っていうか、お前さっきまで普通に男だっただろ!」
「色々あった」
サーシャが一歩詰め寄った。
「何があった!?」
「説明すると長い」
「三分しか経ってないぞ!?」
「三分十二秒」
「十二秒を足したところで何も解決しない!!」
ハイセは少し考える。
「向こうでは結構長かったよ」
「向こう?」
サーシャの視線が、まだ開いたままのゲートへ向く。
「異世界」
「…………」
「学校行ってた」
「…………」
「大会にも出た」
「…………」
「優勝した」
「待て」
サーシャが額を押さえた。
「一つずつ話せ」
「だから長いって」
「長くても話せ!!」
◇
そこへオーフェリアが割り込む。
「あなたがサーシャ?」
「……そうだが」
サーシャの目が細くなった。
「誰だ?」
「オーフェリア・ランドルーフェン」
オーフェリアはハイセの肩へ自然に手を置く。
「ハイセに命を救ってもらったの」
「…………」
サーシャの眉が僅かに動いた。
「命を?」
「ええ」
「どういう意味だ」
「死ぬはずだった私の運命を斬ってくれたわ」
「待て」
また増えた。
「何をしてきたんだ、お前」
「試合」
「試合で人間の運命を斬るな!!」
イレーネが小さく頷いた。
「そこは私も同意する」
「イレーネは黙ってて」
「何でだよ!」
そして。
一番黙っていてほしい人間が。
一番楽しそうに前へ出た。
「初めまして」
シルヴィアが優雅に笑う。
「シルヴィア・リューネハイムよ」
「……ああ」
サーシャは警戒しながら頷いた。
当然、この世界にシルヴィア・リューネハイムという世界的歌姫の知名度は存在しない。
だからこそ。
聞いてしまった。
「その装備は?」
ハイセが僅かに顔を逸らした。
嫌な予感がした。
シルヴィアは満面の笑みを浮かべ、自分の《女神の羽衣》を示した。
「これ?」
一拍。
「ハイセ君に作ってもらった花嫁衣装!」
「は!?」
「違う」
ハイセが即座に訂正する。
「戦闘装備」
「お前が作ったのか!?」
「エルネスタと」
「誰だそいつは!」
「向こうの友達」
「友達と女の花嫁衣装を作るな!!」
「だから戦闘装備だって」
「リューネハイム! お前も紛らわしいことを言うな!」
シルヴィアは口元を押さえて笑っている。
「だって、この方が面白そうだったから」
「面白くない!!」
サーシャの額に。
明らかに青筋が浮いていた。
◇
「でも、本当にハイセ君が作ったのよ」
シルヴィアが追撃した。
「元になった素材までハイセ君の持ち物だったもの」
サーシャがゆっくりハイセを見る。
「……素材?」
「龍核」
「龍核?」
「ブラックエンシェントドラゴンの」
「…………」
時間が止まった。
「……何の?」
「ブラックエンシェントドラゴン」
サーシャの顔から。
血の気が引いた。
ハイセもそこでようやく気づいた。
「あ」
「『あ』じゃない!!」
サーシャが叫ぶ。
「それ、まさか……!」
「昔、サーシャに教えてもらった素材の群生地にいたやつ」
「知ってて教えたんじゃない!!」
「知ってるよ」
「だったらその説明の仕方をやめろ!!」
誰も責めていない。
だからこそ。
サーシャは余計に苦しそうだった。
そして最悪なことに。
シルヴィアが目を輝かせた。
「そうなの?」
「…………」
「じゃあサーシャさんのおかげでもあるのね、この子」
「礼を言うな!!」
「ありがとう」
「言うなと言っただろうがぁ!!」
サーシャの叫びが古商業区へ響き渡った。
ハイセは少し考えてから、《女神の羽衣》を見る。
「素材の入手経路だけなら間違ってないね」
「ハイセ!!」
「何?」
「お前も黙ってろ!!」
遠く。
世界を跨いだ通信回線の向こうで。
エルネスタが笑い転げていた。
◇
結局、説明には数時間かかった。
ハイセが別世界へ転移したこと。そこでアルルカント・アカデミーへ所属し、カミラ達と武器研究を始めたこと。Yami_Q_rayとして身体を再構築し、リンドヴルムという大会へ出場して優勝したこと。
そして【武器マスター】を既に手放したことを伝えた時だけは、サーシャも怒鳴らなかった。
「……ない?」
「うん」
「もう?」
「【雛形】に渡した」
「何だ、その【雛形】というのは」
「説明するともっと長い」
「説明しろ」
「武器を解析したり、ゲートを維持したり、安全装置作ったりするやつ」
「余計分からなくなった!」
レイノルドが疲れ切った顔で壁へ寄り掛かる。
「俺達が三分歩いてた間に、お前だけ人生何周したんだよ……」
「一周」
「そういう意味じゃねぇ」
サーシャはまだ何か言いたそうだった。
しかし。
結局。
最後には口を閉じた。
今のハイセに。
以前と同じ姿はほとんど残っていない。
身体も違う。
声も違う。
戦い方も違う。
隣にいる人間達も。
自分の知らない者ばかり。
それでも。
「……お前が決めたのか?」
サーシャが聞いた。
「何を?」
「その身体も。【武器マスター】を手放したことも」
「うん」
「…………そうか」
それ以上。
サーシャは言わなかった。
言えなかった。
◇
ハイセが帰還してから数日。
王都の日常は、表向き元の流れへ戻っていった。
サーシャは予定通り、新たなクラン『セイクリッド』を発足させた。ハイセはそこへ口を出さず、異世界から持ち込んだ装備や【雛形】のフィールドクライアントを調整しながら、禁忌迷宮へ向かう準備を進めていた。
ところが。
予定は。
予定通りには進まなかった。
ハイベルグ王城から、S級冒険者へ緊急招集が掛かった。
◇
王城内の大会議室。
ハイセが中へ入った瞬間、室内の視線が一斉に集まった。
理由は簡単だった。
「……ハイセ?」
「はい」
「本当に?」
「昨日から何回聞かれるんだろ」
S級冒険者達の間でも、既に噂は広がっている。
『闇の化身(ダークストーカー)』が数日で女になった。
妙な異世界人を三人連れている。
見たこともない武器を持って帰ってきた。
本人は「学校へ行っていた」と言っている。
どれも。
意味が分からない。
「詳しい話は後だ」
ガイストが額を押さえながら言った。
「ワシもまだ全部理解出来ておらん」
「俺も全部説明するの面倒です」
「お前は少し説明する努力をしろ」
その隣に座ったサーシャが、小さくため息を吐いた。
「諦めた方がいいぞ」
「お前が言うと重いな……」
◇
国王バルバロスが入室すると、空気が変わった。
話は単純だった。
王都近郊で新たに確認されていたA級ダンジョンに、スタンピードの兆候が現れた。下層にいるはずの強力な魔獣が浅い階層へ押し上げられ、内部から大量の魔獣が溢れ始めている。
ダンジョンそのものが寿命を迎えつつあり、最深部のボスが後継を生み出す過程で大量の魔獣を生成している可能性が高い。
「最悪の場合」
ガイストが全員を見る。
「王都へ向かう魔獣は、数万規模になる」
ざわめきが広がった。
過去に起きたスタンピード。
その被害を知る者ほど。
顔が険しくなる。
ハイセだけは、静かに資料を見ていた。
「数は?」
「現段階では確定出来ん」
ガイストが答える。
「最終的には七万前後まで膨らむ可能性も見ている」
「七万」
ハイセが呟く。
「足りるな」
「何が?」
サーシャが嫌な顔をした。
「データ」
「…………」
「ハイセ」
「はい」
ガイストの声が低くなる。
「王都防衛の話をしている」
「俺も王都防衛の話してますよ」
「今『データ』と言っただろう」
「守りながら取れます」
サーシャが頭を抱えた。
「向こうで誰に教育されたらそうなるんだ……」
「カミラとエルネスタとヒルダ」
通信端末から。
『私は一括りにするな!』
カミラの怒声が飛んできた。
◇
「先陣、俺達にやらせてください」
会議室が静かになった。
ガイストが眉を寄せる。
「俺達?」
「俺と、連れてきた三人」
「異世界人三人か」
「はい」
サーシャが口を開く。
「待て。彼女達の実力を疑うつもりはないが、こちらの魔獣を相手にした経験はないだろう」
「だからちょうどいい」
「何がちょうどいいんだ!」
「【雛形】の異世界環境適応試験」
「実戦でやるな!」
「でもスタンピードなら種類いっぱい来るだろ?」
「そういう問題ではない!」
ガイストは二人のやり取りを眺めていたが、やがて静かに尋ねた。
「勝算は?」
ハイセは少し考えた。
「あります」
「根拠は?」
「俺以外の三人、俺より広範囲攻撃得意なんで」
「…………」
サーシャが固まった。
「待て」
「何?」
「お前より?」
「うん」
「三人とも?」
「役割は違うけど」
ガイストの顔が。
少しだけ引きつった。
◇
十日後。
王都は静まり返っていた。
住民には屋内退避が命じられ、王都正門前には各地から集められた冒険者達が防衛線を築いている。遠距離攻撃部隊、その前へ近接戦闘を担当する最前線部隊が配置され、さらにその先。
四人だけが。
平原の中央に立っていた。
「……本当に四人で行く気か」
サーシャが遠くから呟いた。
ハイセ。
オーフェリア。
イレーネ。
シルヴィア。
全員。
王都側の冒険者からすれば。
理解不能だった。
「来るぞ!」
偵察用の使い魔を通じて声が飛ぶ。
地平線。
黒い線が見えた。
それが。
少しずつ。
大きくなる。
七万。
理性を失った魔獣の群れ。
地面が揺れる。
砂埃が空へ舞う。
「すっげぇ数……」
イレーネが乾いた笑いを浮かべた。
「危険手当、上乗せされるよな?」
『ディルクに聞いて』
「今すぐ聞け!」
『戦闘前だよ?』
「だから今だよ!」
隣ではオーフェリアが、《赤霞の魔剣》へ手を掛けていた。
「ハイセ」
「何?」
「どれくらい倒せばいい?」
「好きなだけ」
「そう」
嬉しそうだった。
「その回答をするなよ!」
イレーネが叫ぶ。
◇
シルヴィアは《女神の羽衣》を起動した。
白金の装甲へ光が走り、薄い虹色の粒子が風へ舞っていく。【雛形】のフィールドクライアントが即座に彼女の身体と装備を接続し、未知の魔力環境を解析し始めた。
ENVIRONMENT:UNKNOWN MAGIC SYSTEM
ADAPTATION:START
FREYJA=PROTO――OUTPUT STABLE
「いい感じ」
シルヴィアが微笑む。
「歌っていい?」
「いいよ」
「二人とも軽いなぁ……」
イレーネが《グラヴィシーズ》を構えた。
彼女の視界へも。
新しい表示が浮かぶ。
CURRENT SAFE OUTPUT:58%
CONTINUOUS OPERATION:06:42
「六分四十二秒?」
『今の体調ならね』
エルネスタが答える。
『出力を下げればもっと伸びるし、身体負荷が予想より少なければ戦闘中にも再計算するよ』
「へぇ」
「面白い?」
『面白い』
「お前が言うな」
◇
オーフェリアにも表示が現れる。
RAKSHA=NADA
MENTAL INTERFERENCE:MONITORING
SAFE OPERATION WINDOW:02:11
OUTPUT LIMIT:72%
「短いわね」
『まだ実戦データが少ないから安全側に振ってる』
カミラが答えた。
『二分十一秒を越える前に必ず解除する。異常値が出れば、それより早くこちらから切るぞ』
「私なら平気よ」
『お前が平気だと思うかどうかは関係ない』
オーフェリアの表情が少し不満そうになる。
『不満そうな顔をするな! そのための安全装置だ!』
「見えているの?」
『見えている!』
ハイセはそのやり取りを聞きながら、《青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)》を抜いた。
【武器マスター】はもうない。
目の前の魔獣を見ても。
弱点も。
最適な武器も。
何も頭には流れ込んでこない。
でも。
問題なかった。
「距離?」
『先頭集団まで八百』
「数?」
『観測範囲だけで六万八千以上。後続あり』
「十分」
『何が十分なのか聞きたくないなぁ』
エルネスタの声が。
少しだけ遠くなった。
◇
「最初、俺が道作る」
ハイセが言った。
「シルヴィアは?」
「乗せるわ」
「オーフェリアは?」
「斬る」
「イレーネ」
「押さえりゃいいんだろ!」
「うん」
「作戦雑すぎねぇか!?」
『私もそう思う』
カミラが即座に同意した。
『もう少し連携順序を――』
「来た」
ハイセが一歩前へ出る。
地面が。
大きく揺れた。
魔獣の先頭集団が、視認出来る距離まで迫っている。
ハイセは息を吸った。
歌う。
言葉ではなく。
一音。
アスタリスクで身につけた。
自分自身の声。
空間が。
震えた。
シルヴィアが。
そこへ声を重ねる。
二つの歌が。
異世界の空へ広がった。
「…………何だ?」
防衛線で。
誰かが呟いた。
サーシャは。
答えられなかった。
知っている。
あれが。
ハイセの歌なのだと。
説明された。
でも。
実際に聞くのは。
初めてだった。
◇
【雛形】が反応する。
PHENOMENON RECOGNITION:ACTIVE
HOSTILE GROUP――SPATIAL MAPPING COMPLETE
ハイセの視界へ。
魔獣の群れが。
一つの巨大な流れとして。
表示された。
個々を斬る必要はない。
必要なのは。
進路。
密度。
互いの位置関係。
そして。
群れが王都へ届くために通らなければならない場所。
「イレーネ」
「分かってる!」
《グラヴィシーズ》が起動する。
先頭数千体を覆うほどの空間へ。
重力が落ちた。
轟音。
魔獣の前列が。
一斉に地面へ叩き伏せられる。
「うおっ!?」
王都側の冒険者達が声を上げた。
だが。
終わらない。
LOAD INCREASE DETECTED
SAFE OUTPUT RECALCULATION
58% → 61%
「上がった?」
『制御精度が予測値より高い!』
エルネスタの声が弾む。
『そのままなら六十一まで許可出来る!』
「おっしゃ!」
イレーネが笑った。
「三パーセント成長!」
『今のは成長じゃなく初期評価の補正!』
「細けぇな!」
◇
押し潰された魔獣群の上を。
赤い閃光が走る。
オーフェリア。
《赤霞の魔剣》が振るわれる度に、押し留められた魔獣の列が切り裂かれていく。
SAFE OPERATION:01:47
MENTAL INTERFERENCE:LOW
数字は。
確実に減っている。
それでもオーフェリアの表情には。
苦痛も。
焦りもない。
「こんなものなのね」
『油断するな!』
「していないわ」
『その台詞を言う奴が一番怖いんだ!』
カミラが叫ぶ。
その上空。
シルヴィアの歌が変化した。
《女神の羽衣》が異世界の魔力へ適応し始める。
虹色の粒子が広がり。
イレーネの重力領域と。
オーフェリアの攻撃範囲を。
まるで舞台照明のように可視化していく。
FREYJA=PROTO
LOCAL MAGIC ADAPTATION:23%
AMPLIFICATION ROUTE――UPDATED
「ハイセ君」
「うん」
「見える?」
「見える」
ハイセが。
《青鳴の魔剣》を構えた。
余計な力はいらない。
速さも。
重さも。
必要ない。
一歩。
そして。
一閃。
青い線が。
平原を走った。
◇
魔獣そのものを斬ったわけではない。
ハイセが斬ったのは。
イレーネが固定し。
シルヴィアが認識を補助し。
【雛形】が算出した。
最も密度の高い。
進行軸だった。
世界が。
一瞬だけ。
青く割れた。
直後。
群れの中央に。
巨大な空白が生まれた。
「…………」
防衛線が静まり返った。
数千。
いや。
もっと。
一度の連携で。
魔獣の第一陣が。
ほぼ機能を失った。
ハイセは《青鳴の魔剣》を下げる。
「次」
通信回線の向こう。
エルネスタ。
『……』
カミラ。
『…………』
「どうしたの?」
返事がない。
「エルネスタ?」
数秒後。
通信画面へ。
一件のメッセージが届いた。
エルネスタ『あとは任せた』
「おい」
次の瞬間。
カミラ『オペレーターが匙を投げるな!!!』
ハイセの横で。
シルヴィアが吹き出した。
イレーネは腹を抱え。
オーフェリアだけが。
何故笑っているのか分からない顔をしている。
『笑ってないで次の群れを見る! まだ六万以上いるんだぞ!』
「了解」
『ハイセ! お前もだ!』
「やってるよ」
『返事だけ軽い!』
◇
王都側の最前線。
ガイストは。
遠くの四人を。
無言で見ていた。
「……なるほどな」
「ガイストさん?」
サーシャが振り向く。
「あいつが先陣をやりたいと言った理由が分かった」
ガイストは腕を組む。
「戦力を見せるためだけじゃない」
「……ええ」
「試しておる」
未知の武器。
未知の技術。
未知の安全制御。
そして。
異世界で身につけた。
ハイセ自身の新しい力。
「スタンピード相手にか?」
レイノルドが乾いた笑いを浮かべる。
「七万いるんだぞ?」
「だからだろう」
サーシャが答えた。
「数が多い。敵の種類も多い。長時間戦える。そして、失敗すれば王都が滅ぶ」
レイノルドが顔を引きつらせる。
「最後の条件いらなくねぇか?」
「……私もそう思う」
それでも。
サーシャの目は。
ハイセから。
離れなかった。
◇
三分十二秒。
自分達にとって。
それだけだった。
その間に。
ハイセは別の世界へ行った。
身体を変えた。
剣を学んだ。
歌を覚えた。
仲間を作った。
世界の頂点に立った。
そして。
ようやく手に入れたはずの【武器マスター】まで。
自分の意思で。
他人が使える技術へ変えた。
「……どこまで行ったんだ」
サーシャが小さく呟く。
当然。
返事はない。
平原の向こう。
ハイセは。
こちらを見ることなく。
次の群れへ向かっていた。
隣には。
オーフェリア。
イレーネ。
そして。
虹色の光を散らす《女神の羽衣》を纏った。
シルヴィア・リューネハイム。
「…………」
最後の一人だけ。
やはり。
ものすごく気に入らなかった。
「サーシャ?」
「何でもない!」
レイノルドが首を傾げる。
サーシャは。
もう一度。
戦場を見る。
感情の整理は。
後でいい。
今は。
七万の魔獣がいる。
王都を。
守らなければならない。
そして。
嫌でも。
認めなければならないことがあった。
自分が知っている。
かつてのハイセなら。
この戦いでは。
誰より多くの武器を使い。
誰より多くの敵を倒そうとしただろう。
だが今のハイセは。
一人で戦っていない。
自分が全てを背負うのでもない。
仲間の力を見て。
任せ。
合わせ。
必要なところだけを。
自分で斬る。
それは。
サーシャが。
知らない戦い方だった。
そして。
たった三分十二秒では。
到底。
身につくはずのない。
誰かと共に戦う者の剣だった。
地平線の向こうから。
第二陣が迫る。
ハイセが剣を上げる。
「行くよ」
その声に。
三人が。
当たり前のように応えた。
再び。
歌が。
異世界の空へ響く。
ハイベルグ王国を襲う。
七万のスタンピード。
本来なら。
多くの冒険者が。
命を削り。
長い戦いの果てに。
食い止めるはずだった災厄。
その災厄は。
この日。
偶然にも。
世界を一つ跨いで帰ってきた。
四人の実地試験場に。
選ばれてしまった。