暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
七万近い魔獣を相手にした防衛戦は、本来なら長期戦になるはずだった。
王都正面に展開した冒険者達も、それを覚悟していた。第一陣を削ったところで後方から新しい群れが押し寄せ、負傷者を入れ替えながら何度も防衛線を組み直す。それが、過去のスタンピードにおける常識だった。
だが、今回は状況が違った。
「第二陣、来るよ」
ハイセの声に、三人が同時に前を見る。
第一陣との戦闘データを取り込んだ【雛形】は、既にこの世界の魔獣を完全な未知とは扱っていなかった。四人が一度戦っただけで、個体ごとの身体構造、魔力反応、移動傾向、群れとしての行動パターンが次々と分類されている。
『大型個体、右方向へ集中!』
通信越しにエルネスタが告げた。
『飛行型が二百四十三、地上大型が八十一。あと――』
一瞬、言葉が止まる。
「どうした?」
『……いや』
エルネスタは少し間を置いた。
『もう【雛形】が配置案まで出してるんだよね』
「便利だね」
『私の仕事がなくなっていくんだけど』
横からカミラの声が入った。
『喜べ。お前が余計なことをする時間が減る』
『カミラ酷くない!?』
◇
最初に動いたのはイレーネだった。
《覇潰の血鎌(グラヴィシーズ)》を振り上げると、王都へ向けて突進していた大型魔獣の一群へ重力場が落ちる。先ほどより広い範囲を巻き込みながらも、彼女の身体に大きな負担が掛かった様子はない。
視界の端で数字が更新された。
CURRENT SAFE OUTPUT:61%
CONTROL EFFICIENCY:UP
RECOMMENDED LIMIT:64%
「また上がった!」
『今度はちゃんと成長分も含んでるよ』
エルネスタが答える。
『最初の戦闘より出力制御が正確になってる。同じ負荷で広い範囲を押さえられてるから、三パーセント分を追加許可』
「こういうの気持ちいいな!」
イレーネが笑う。
「もっと上げろ!」
『上げません』
「即答!?」
『今の数字を超えたら身体負荷が跳ねるから駄目』
「七十くらい行けるだろ!」
『行けるかどうかじゃなくて、安全かどうかを見てるの!』
イレーネは舌打ちしたが、それ以上は要求しなかった。
自分で限界を探りながら戦うのとは違う。どこまでなら踏み込んでいいのか、それを数値として示されるだけで、余計な迷いがかなり減っていた。
◇
別方向では、オーフェリアが《赤霞の魔剣(ラクシャ=ナーダ)》を振るっていた。
赤い斬撃が地上を走り、重力で動きを制限された魔獣をまとめて切り伏せる。その一方で、【雛形】は彼女自身の精神状態を監視し続けていた。
MENTAL INTERFERENCE:LOW
SAFE OPERATION WINDOW:00:38
「もう三十八秒?」
『一度解除しろ』
カミラが命じる。
「まだ余裕はあるわ」
『知っている。その余裕を残したまま止めろと言っている』
「……分かったわ」
オーフェリアは素直に《赤霞の魔剣》を下ろした。
武器との接続が切れた瞬間、カウントダウンも停止する。
RECOVERY PHASE:START
NEXT SAFE WINDOW:CALCULATING
「今までだったら、こういうところで無理してた?」
ハイセが尋ねる。
「そうね」
オーフェリアはあっさり認めた。
「戦えるのなら、戦っていたと思うわ」
「今は?」
「止められたから休む」
少し考えてから。
「悪くないわね」
通信の向こうで、カミラが一瞬黙った。
『……そうか』
それだけ返した声は、少しだけ柔らかかった。
◇
シルヴィアは上空へ舞い上がっていた。
《女神の羽衣(フレイア=プロト)》が薄い虹色の粒子を放ち、周囲を流れる異世界の魔力を吸い上げるのではなく、構造を読み取りながら自分のプラーナへ馴染ませていく。決勝戦では未完成だった【雛形】のコピーも、今は中央【雛形】と通信しながらリアルタイムで更新されていた。
LOCAL MAGIC ADAPTATION:41%
PHENOMENON AMPLIFICATION:STABLE
シルヴィアの歌が戦場へ広がる。
直接魔獣を焼き払うのではない。
風の流れをずらし、飛行型の姿勢を崩し、イレーネの重力圏へ落とす。地上ではハイセがその動きを読み、《青鳴の魔剣(ウォーレ=ザイン)》で最小限の斬撃だけを通していった。
「ハイセ君」
「何?」
「こっち、三十秒後に開けるわ」
「分かった」
説明はそれだけだった。
シルヴィアが歌で魔獣の流れを変える。
ハイセが開いた隙間を斬る。
オーフェリアが休息から戻ったところへイレーネが群れを押し込み、一気に処理する。
四人の戦い方は、時間が経つほど速くなっていった。
◇
「……おかしい」
王都側の防衛線で、レイノルドが呟いた。
「何が?」
サーシャが聞く。
「あいつら、さっきより戦いやすそうじゃねぇか?」
「ああ」
サーシャにも分かっていた。
消耗しているはずなのに、動きが良くなっている。
単純に慣れただけではない。
イレーネの攻撃範囲が広がっている。
オーフェリアは危険な武器を使っているはずなのに、一定時間ごとに必ず休止している。
シルヴィアの装備から放たれる虹色の光は、この世界の魔力に馴染み始めていた。
そしてハイセ。
「……本当に【武器マスター】を失ったんだよな」
レイノルドが聞いた。
「あいつ自身がそう言っていた」
「それで、あれか?」
「…………」
サーシャは返事をしなかった。
ハイセは一種類の剣しか使っていない。
それなのに以前より弱く見えない。
むしろ。
今の方が。
無駄がない。
「……天霧綾斗」
サーシャが小さく名前を呟いた。
「誰だ?」
「ハイセが向こうで剣を習った男らしい」
レイノルドはハイセを見る。
「そいつ、相当強ぇんだな」
「……そうらしいな」
何故か。
まだ会ったこともない男に。
少し腹が立った。
◇
第三陣。
第四陣。
戦闘は続いた。
しかし最初に想定されていたような防衛戦にはならなかった。
【雛形】が戦場全体を学習するたび、四人の役割分担が最適化されていく。危険な個体はオーフェリアへ、密集した群れはイレーネへ、空中や不規則な魔法を使う個体はシルヴィアへ。そして、それでも残る突破点だけをハイセが斬る。
王都側の冒険者達も、ただ見ていたわけではない。
四人が作った隙間へ遠距離攻撃を集中させ、取りこぼした魔獣を処理する。負傷者を出さずに戦線を維持出来たことで、本来なら交代要員に回るはずだった部隊まで余力を残していた。
最初は異物だった四人が。
いつしか。
防衛線そのものの中心になっていた。
◇
『イレーネ』
「何だ?」
『安全運用時間、更新するよ』
戦闘開始時には六分四十二秒だった表示が変わる。
CONTINUOUS SAFE OPERATION
06:42 → 08:09
「一分半増えた!」
『同じ出力を維持するための消耗率が下がった。今の制御を続けられるなら八分九秒まで許可』
「よっしゃ!」
『ただし今日だけの数字じゃないからね。次の戦闘で体調悪かったら下がるよ』
「そこは夢見させろよ!」
『安全装置に夢を求めないで』
続いてオーフェリア。
MENTAL INTERFERENCE TOLERANCE:UPDATED
SAFE OPERATION WINDOW
02:11 → 02:36
「二十五秒」
「伸びたね」
ハイセが言う。
「ええ」
オーフェリアは数字を見る。
「次は三分ね」
『ゲーム感覚で伸ばすな!』
カミラが即座に釘を刺した。
「成長すれば増えるのでしょう?」
『増える可能性はある! だからといって数字を上げるために危険な使い方をするな!』
「分かったわ」
『本当に分かっているか!?』
「多分」
『ハイセ! 何とかしろ!』
「俺?」
「あなたに言われたら聞くわ」
『何でだ!!』
◇
最終的に。
七万近い魔獣の群れは、王都の城壁へ本格的に届くことなく勢いを失った。
最後の大型魔獣が地面へ倒れた時、防衛線には奇妙な静寂が広がった。あまりにも想定していた被害と、実際の結果が違いすぎたからだ。
やがて。
誰かが。
声を上げた。
その声が。
次々に広がる。
歓声になった。
「終わった?」
ハイセが剣を下ろす。
「終わったんじゃねぇか?」
イレーネは《グラヴィシーズ》を肩へ担いだ。
「もう帰っていい?」
「このあと素材回収あるよ」
「仕事増えた!?」
「魔獣素材いっぱいあるし」
「私は研究員じゃねぇ!」
「冒険者でしょ?」
「……そうだった」
イレーネは盛大にため息を吐いた。
◇
戦闘終了から数時間後。
王城では、別の意味で重要な話し合いが始まっていた。
ハイセの前に置かれた通信端末には、見慣れた不機嫌そうな顔が映っている。
「では」
バルバロスが画面を見る。
「お主が、ディルク・エーベルヴァインか」
『そうだ』
「レヴォルフ黒学院の学生代表、と聞いたが」
『肩書きはどうでもいい。今回は資源取引の窓口と思え』
初対面の王に対して。
全く態度を変えなかった。
ハイセは横で聞いていたが、バルバロスも気にした様子はない。むしろ相手の腹が分かりやすい方が話しやすい、とでも思っているようだった。
「此度のスタンピードでは助力を受けた。その上で、禁忌迷宮にも入るつもりなのだな?」
『そのためにこいつら寄越してんだ』
「目的は鉱石と魔物素材」
『それだけじゃねぇ。向こうじゃ価値がねぇ物でも、こっちでは化ける可能性がある。だから回収した物は一度全部分類させてもらう』
バルバロスが眉を上げる。
「全て持ち帰る、と?」
『話聞け』
ディルクは画面へ資料を出した。
『ここまでがウチの取り分だ』
採取した資源の一定割合。
その中でも特にウルム=マナダイト相当の反応を示す物質と、研究価値の高い未知素材について優先枠を設定する。ただし、それを超えた分についてはハイベルグ王国側へ残す。
『そこから先は好きにしろ』
「……よいのか?」
バルバロスは少し意外そうだった。
『何がだ』
「異世界から見れば、我らには価値の分からぬ資源も多かろう。もっと要求するものと思っておった」
ディルクは鼻で笑った。
『まだこっちの市場に卸しても流通するか不明だ。成分解析、加工法、安全試験、運搬方法。下手すりゃ研究コストの方がデカいんだよ』
「ほう」
『価値が分かってねぇ物を抱え込んでも倉庫代食うだけだ。使えると分かってから欲しけりゃ次の契約で取り分増やす』
「正直だな」
『隠して何になる』
バルバロスは少しだけ笑った。
「うむ」
契約内容へ目を通す。
「良きに計らえ」
『話が早くて助かる』
「お互いにな」
ハイセは二人を交互に見る。
妙に相性が良かった。
◇
通信を切る前。
ディルクがハイセを見る。
『おい』
「何?」
『迷宮で価値ありそうな物見つけても、勝手に加工すんなよ』
「なんで?」
『原料状態のデータも必要だからだ』
「分かった」
『エルネスタにも言っとけ』
「向こうにいるよ」
『ならカミラに言っとけ。あの女を止めろって』
「多分もう言ってる」
実際。
通信の別回線では。
『面白そうな素材あったら少しだけ――』
『勝手に加工するな!』
カミラの怒声が聞こえていた。
ディルクは無言になった。
『……苦労してんな』
「カミラ?」
『ああ』
珍しく。
心から同情していた。
◇
翌日。
スタンピードの被害確認も一段落したところで、ハイセは同行者達を集めた。
「何?」
イレーネが尋ねる。
「報酬」
ハイセは三つの封筒を出した。
「スタンピード分の臨時ボーナスと危険手当」
「おっ」
イレーネの顔が明るくなる。
だが。
一番近くにいたプリシラが。
ハイセから封筒を受け取った。
「えっ」
中身を確認する。
「こんなに沢山!? ありがとうございます!」
「待て」
イレーネが止まった。
「なんでお前が受け取る側なんだ!?」
プリシラがゆっくり姉を見る。
「お姉ちゃん?」
「…………」
空気が変わった。
通信画面のディルクが鼻で笑う。
『日頃の行いだ』
「てめぇは黙れ!」
「イレーネ、カジノ行くでしょ」
「私の金だぞ!?」
「だから全部取るつもりはないよ」
プリシラが言う。
「半分は預かるね」
「半分!?」
「三分の二でもいいよ?」
「半分でお願いします」
「素直」
「生活握られてんだよ!」
ハイセは少し考えた。
「仲良いね」
「どこを見たらそうなるんだ!」
◇
「じゃあ次」
ハイセはオーフェリアへ封筒を差し出した。
「臨時ボーナスと危険手当」
「いらないわ」
「え?」
「お金は要らない」
「じゃあ何が欲しい?」
その瞬間。
ディルクの顔が。
露骨に嫌そうなものへ変わった。
『お前、その聞き方やめた方がいいぞ』
「なんで?」
「ハイセ」
オーフェリアが呼ぶ。
「何?」
「一日」
「…………」
「あなたを一日、私だけに頂戴」
沈黙。
「俺?」
「ええ」
「何するの?」
「一緒に過ごすわ」
「それ報酬?」
「私にとっては」
ハイセは困った。
「普通にお金受け取ってくれない?」
「いらない」
「強いね」
「ハイセ君」
今度は。
後ろから。
シルヴィアの声がした。
「何?」
「私もそれがいいわ」
「…………何で?」
シルヴィアがにっこり笑う。
「臨時ボーナスの代わりに、ハイセ君の一日独占権」
「同じなの?」
「偶然ね」
オーフェリアと。
シルヴィアの視線が。
一瞬だけ。
ぶつかった。
空気が。
妙に冷たくなった。
「…………」
ハイセは一歩引く。
「女って怖ッ」
通信画面から。
即座に。
『お前も女だろうが』
ディルクの声が飛んだ。
「……まだ慣れてないんだよ」
『もう諦めろ』
◇
「そもそも」
ハイセは二人を見る。
「一日独占って何するの?」
「それは当日決めるわ」
オーフェリア。
「私も♪」
シルヴィア。
「怖い」
「何もしないわよ」
「何を想像してるの?」
「何も想像してないから怖いんだけど」
イレーネが少し離れた場所から肩を震わせている。
「お前、モテるんだな」
「笑ってる?」
「いや?」
「笑ってるよね」
「気のせいだ」
そこで。
もう一人。
声がした。
「…………一日?」
ハイセの動きが止まる。
サーシャだった。
「…………」
「…………」
「独占?」
先ほどより。
声が低い。
「報酬の話だよ」
「何の仕事をしたら、報酬としてお前を一日貰えるんだ?」
ハイセは少し考える。
「今回ならスタンピード?」
「よし」
「何が?」
「次は私も行く」
「どこに?」
「仕事だ!」
「何の?」
「何でもいい!!」
ハイセは困った顔をした。
「サーシャ、お金あるでしょ?」
「金の問題じゃない!!」
「じゃあ何の問題?」
「お前は少し黙れ!!」
◇
シルヴィアが。
楽しそうに。
サーシャを見る。
「あら」
「何だ」
「サーシャさんも欲しいの?」
「何がだ!」
「ハイセ君の一日」
「違う!!」
一拍。
「……いや、違わないが!」
「どっち?」
「うるさい!!」
レイノルドが少し離れた場所で。
静かに。
顔を覆っていた。
「俺、スタンピードの方が楽だったかもしれねぇ……」
「同感」
イレーネが頷く。
「魔獣は倒せば黙るからな」
「そこ意気投合しないでよ」
ハイセが言う。
◇
サーシャは気づいていなかった。
怒っている。
間違いなく。
シルヴィアの《女神の羽衣》も気に入らない。
オーフェリアがハイセへ距離を詰めるのも気に入らない。
そもそも三分十二秒しか経っていないのに、自分の知らない人間関係がここまで増えていること自体が気に入らない。
ただ。
その感情の奥に。
別のものがあることまでは。
まだ認めたくなかった。
金よりも。
名誉よりも。
報酬として。
ハイセと過ごす時間が欲しいと言う人間がいる。
その二人は。
ハイセへ命令しない。
勝手に予定を決めない。
ただ。
欲しいと伝え。
決めるのを。
ハイセに任せている。
「…………」
サーシャは。
何も言わなくなった。
ハイセが彼女を見る。
「どうした?」
「……別に」
「怒ってたじゃん」
「今も怒ってる!」
「そっか」
「何で安心した顔をするんだ!」
「いつものサーシャだから」
「…………」
一瞬。
言葉に詰まる。
「そういうことを」
「何?」
「……何でもない!」
また。
声を荒らげた。
◇
その日の夜。
王城から正式な許可が届いた。
ハイベルグ王国とレヴォルフ黒学院。
そしてアルルカント・アカデミーによる。
異世界資源共同調査。
目的地。
【禁忌迷宮】。
回収資源は事前に定めた比率で分配し、未知素材については双方の研究結果を基に再交渉する。
同行者。
ハイセ。
オーフェリア。
イレーネ。
シルヴィア。
そして。
王国側からの観測記録員。
「いよいよだね」
ハイセは資料を見る。
禁忌迷宮。
目的は。
今や単なる冒険ではない。
世界間ゲートを。
誰か一人の奇跡から。
技術へ変えるため。
【雛形】を。
禁忌の研究装置から。
いつか市場へ出せる安全な基盤へ変えるため。
そして。
危険な武器を。
使う者の人生まで奪うものではなく。
自分の意思で。
どこまで対価を支払うのか。
選べるものへ変えるため。
材料がいる。
大量の。
重要資源が。
必要だった。
その材料が。
禁忌と呼ばれる迷宮の奥に。
眠っている。
「三日」
ハイセが呟く。
「まだ言ってんのかよ」
イレーネが呆れた。
「目標」
「無理だろ」
「やってみないと」
「禁忌迷宮だぞ?」
「知ってる」
「普通はもっと慎重に――」
オーフェリアがハイセの隣へ立つ。
「三日でいいのね?」
「うん」
「なら三日で終わらせましょう」
「お前も乗るな!」
シルヴィアも笑う。
「じゃあ、三日目の夜には戻れるのね」
「何でお前まで確定事項にしてんだよ!」
イレーネの声が。
部屋へ響いた。
少し離れたところで。
サーシャが。
また。
嫌そうな顔をしていた。
禁忌迷宮へ。
ハイセが。
知らない女達と。
三日間。
消える。
「…………」
スタンピードは。
終わった。
だが。
サーシャ・ミストの中では。
別の災害が。
まだ。
規模を増し続けていた。