暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

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第43話 まだ、序の口

 

 

 

 《ディロロマンズ大塩湖》へ足を踏み入れてから、二十三日が経過していた。

 

 【セイクリッド】はまだ最深部へ辿り着いていない。それでも入口付近とは比べものにならないほど深くまで潜り、日に何度も魔物の群れと交戦しながら、塩と冷気に覆われた迷宮を少しずつ前へ進んでいた。

 

 長期攻略というものは、派手な戦闘だけでは成立しない。

 

 食料、水、衣類、薬。休息場所を作る道具から、壊れた装備を応急修理する資材まで必要になる。通常なら荷物だけでも相当な量になるはずだった。

 

「プレセア」

 

 休憩中、ピアソラが首を傾げる。

 

「何かしら?」

 

「前から聞こうと思ってたんだけど……あんたの荷物、少なくない?」

 

「ああ、これがあるもの」

 

 プレセアが腰に付けていた、小さなポーチへ手を触れた。

 

 見た目は上質な革と布を組み合わせた程度の、少し洒落た小物入れだった。淡い装飾が施されているものの、冒険者が何十日も迷宮へ潜るための収納具には到底見えない。

 

「《ジグラット》よ」

 

「ジグラット?」

 

「アルルカントで売っている四次元型収納ポーチ。私も向こうで買ってきたの」

 

 そう言ってプレセアが手を入れる。

 

 最初に出てきたのは予備の衣類。

 

 次に食料箱。

 

 調理器具。

 

 毛布。

 

 予備部品。

 

 さらに『双機関銃型』まで取り出したところで、レイノルドが止めた。

 

「待て待て待て!」

 

「どうしたの?」

 

「今、あの小さい袋から武器まで出したよな?」

 

「ええ」

 

「どういう容量してんだよ!?」

 

「四次元型だもの」

 

「説明になってねぇ!」

 

 プレセアは気にせず、必要な荷物だけを脇へ並べていく。

 

「中では物品ごとに分類されているから、探す必要もほとんどないわ。重量も外には反映されにくいし、生鮮品を入れる区画は内部時間まで遅く出来るの」

 

「アイテムボックスより便利じゃない?」

 

 ロビンが目を丸くする。

 

「そうね。生き物は安全上収納出来ないけれど、日用品ならこちらの方がずっと使いやすいと思うわ」

 

 タイクーンがポーチを眺めた。

 

「それが普通に売られているのか?」

 

「アルルカントではね」

 

「…………」

 

 一同の顔が微妙になる。

 

 異世界技術というものの基準が、どうもおかしい。

 

 

「でも、妙に可愛いデザインね」

 

 ピアソラは別のところに食いついていた。

 

 黒一色の無骨な道具ではない。プレセアの《ジグラット》には銀色の金具と小さな宝石風の装飾があり、日常でも違和感なく使えそうな外観に仕上げられている。

 

「デザインはリューネハイムさんが監修したらしいわ」

 

「へぇ――」

 

 サーシャの肩が動いた。

 

「…………」

 

 ピアソラが見る。

 

「サーシャ?」

 

「何だ」

 

「今、反応したわよね?」

 

「してない」

 

「リューネハイムって聞いた瞬間、顔が動いたけど」

 

「動いてない!」

 

「動いたわよ」

 

 プレセアも普通に肯定する。

 

「プレセアまで!?」

 

「事実でしょう?」

 

 サーシャは不機嫌そうに顔を逸らした。

 

「……何で収納袋にまであいつが関わっているんだ」

 

「毎日使う物だから、見た目にも拘った方が売れると言ったそうよ」

 

「それで?」

 

「監修前より三倍くらい売れたとか」

 

「実績まで出すな!」

 

 ピアソラは真顔になった。

 

「いや、それは普通に正しいでしょう」

 

「お前までリューネハイム側に立つな!」

 

「収納ポーチのデザインの話よ!? 何側って何よ!?」

 

 大塩湖攻略開始から二十三日。

 

 サーシャのシルヴィアへの警戒心だけは、まだ一度も摩耗していなかった。

 

 

 食事を終えたあと、プレセアは再び《ジグラット》へ手を入れた。

 

 今度取り出したのは、いくつかの小瓶が収められた布製のケースだった。

 

「あら、それ何?」

 

 ピアソラの反応が速かった。

 

「スキンケア用品よ」

 

「…………」

 

「何?」

 

「禁忌迷宮にスキンケア用品持ってきたの?」

 

「何十日もいるのよ? 必要でしょう」

 

「…………確かに」

 

 ピアソラの声が一段低くなる。

 

 興味を持った時の声だ。

 

 プレセアがケースを開くと、中には化粧水、保湿用の美容液、植物由来のオイル、肌を保護するクリームがきれいに収められていた。

 

 ラベルには小さく。

 

Natural Skin Care Set ― Elf Type

 

 と書かれている。

 

「エルフ専用?」

 

「ええ」

 

「市販品?」

 

「まだ違うわ。ハイセが作ったの」

 

 サーシャが振り返った。

 

 ピアソラも止まった。

 

「…………ハイセ?」

 

「そうよ」

 

「ハイセって、あのハイセ?」

 

「他に誰がいるの?」

 

「だって、あいつ武器とか作ってたでしょう!?」

 

「スキンケア用品も作ったみたいね」

 

 プレセアが化粧水を手へ馴染ませる。

 

「人間用の物はエルフの肌には刺激が強い場合がある、と聞いたらしいわ。それで植物由来の油と薬草を中心に、香料もかなり抑えて調整したそうよ」

 

「…………」

 

 ピアソラが一本取る。

 

「借りてもいい?」

 

「エルフ専用よ?」

 

「あ」

 

 手が止まった。

 

「そうだったわね……」

 

 露骨に残念そうだった。

 

 

「そんなに気になるの?」

 

 プレセアが尋ねる。

 

「美容品を集めるの好きなのよ」

 

「そうだったのね」

 

「で、使い心地は?」

 

「かなりいいわ」

 

「保湿は?」

 

「しっとりするけれど、べたつかないわね」

 

「香りは?」

 

「ほとんどないわ」

 

「乾燥には?」

 

「ここへ来てから肌荒れしてないわよ」

 

「…………」

 

 ピアソラの目つきが変わる。

 

「帰ったら」

 

「ええ」

 

「人間用も作れるか、ハイセに聞いて」

 

 サーシャが割り込んだ。

 

「欲しいのか!?」

 

「何であんたが驚くのよ!」

 

「ハイセが作った物だぞ!」

 

「美容品に罪はないでしょうが!!」

 

「だが――」

 

「何よ!」

 

 ピアソラがサーシャを睨む。

 

「ハイセが女になったからって、化粧品の話くらいするでしょう!」

 

「…………」

 

 言ってから。

 

 ピアソラ自身が。

 

 止まった。

 

「……女」

 

「今さら何だ?」

 

 サーシャが怪訝そうにする。

 

「いや」

 

 ピアソラの中で、何かが組み替わった。

 

 今までハイセという存在を考える時、無意識に「サーシャの周りをうろつく男」という分類に入れていた。

 

 だが。

 

 今は女だ。

 

 実際に見た。

 

 声まで変わっていた。

 

 綺麗な女だった。

 

 しかも美容品まで自作している。

 

「…………」

 

「ピアソラ?」

 

 ロビンが覗き込む。

 

「私いま」

 

「うん」

 

「ハイセをどういう分類で嫌えばいいのか分からなくなってきた」

 

「分類して嫌うなよ」

 

 レイノルドの突っ込みは、もっともだった。

 

 

 プレセアが笑う。

 

「普通に話してみればいいんじゃないかしら」

 

「簡単に言わないでよ。色々あったのよ」

 

「でも、今のハイセは昔のハイセとは随分違うわ」

 

「女になったから?」

 

「それだけではなくて」

 

 プレセアは少し考えた。

 

「話を聞くようになった、と言えばいいのかしらね。以前よりも相手が何を欲しいのかを見るようになった気がするわ」

 

「へぇ……」

 

「美容品の話をしたら、普通に付き合ってくれると思うわよ」

 

 ピアソラが腕を組む。

 

「……化粧水何使ってるかくらいなら聞いてもいいかも」

 

「自作でしょうね」

 

「でしょうね」

 

 二人が普通に会話する。

 

 その横。

 

「…………」

 

 サーシャが不満そうだった。

 

 ピアソラが振り向く。

 

「何よ」

 

「別に」

 

「顔」

 

「何だ!」

 

「また顔で百回くらいハイセって言ってる」

 

「言ってない!!」

 

「分かった!」

 

 ピアソラが額を押さえた。

 

「当てつけか!?」

 

「何がだ!?」

 

「私がハイセを少し認めた途端、その顔するのやめなさいよ!」

 

「してない!」

 

「してる!!」

 

 プレセアが小さく笑った。

 

「まだ序の口だと思うわ」

 

「何が?」

 

「色々と」

 

 その意味を。

 

 サーシャだけが理解していなかった。

 

 

 攻略開始から三十五日目。

 

 【セイクリッド】の戦い方は、明らかに変わっていた。

 

 最初は個々が敵を倒し、その結果として連携が成立していた。今では誰かが動けば、それを前提として次の人間が動く。

 

 レイノルドが敵の正面を引き受ける。

 

 タイクーンが退路を潰す。

 

 ロビンが遠距離から弱点を狙い、ピアソラが全体を見ながら回復と補助を回す。

 

 そしてサーシャが。

 

 中心を斬る。

 

「プレセア、右!」

 

「もう見えているわ!」

 

 プレセアも変わった。

 

 巨大な甲殻魔獣を見た瞬間、『双機関銃型』を収納する。

 

 画面表示はまだ出ていない。

 

 次に《ルインシャレフMARK-2》を抜いた。

 

USER WEAPON CHANGE DETECTED

 

 敵の甲殻が開く。

 

 プレセアは一撃を叩き込む。

 

 敵が狭い通路へ逃げ込もうとした瞬間、さらに武装を交換した。

 

《ヘルスーピオン》。

 

 通常剣として受け。

 

 逃げた相手へ。

 

 限定展開。

 

 曲がった斬撃が死角へ回り込む。

 

 魔獣が倒れた。

 

 そこでようやく、ローカルクライアントの判定が出た。

 

FIRST DECISION:OPTIMAL

 

SECOND DECISION:OPTIMAL

 

ASSISTANCE REQUIRED:NONE

 

「…………」

 

 プレセアが表示を見る。

 

 ゆっくり笑った。

 

「もう聞かなくても良くなってきたわね」

 

 サーシャもその戦いを見ていた。

 

 三つの武器。

 

 三つの選択肢。

 

 どれを使えと武器から命じられるわけではない。

 

 プレセア自身が選ぶ。

 

「……ハイセの奴」

 

「サーシャ」

 

 ピアソラの声が飛んだ。

 

「何だ!」

 

「今度は口に出した!」

 

「一回だろ!」

 

「三十五日で何回目だと思ってんのよ!」

 

「数えてるお前もおかしいだろう!」

 

「暇じゃないのよ! 勝手に耳に入ってくるの!」

 

「なら聞き流せ!」

 

「天霧綾斗の名前までセットで聞こえるのよ!!」

 

 サーシャが詰まった。

 

「……それは」

 

「ほら!!」

 

 ピアソラが指差す。

 

「その顔! 完全に嫉妬じゃない!」

 

「違う!」

 

「じゃあ何よ!」

 

「…………」

 

 答えられない。

 

「重っ」

 

「何がだ!!」

 

 大塩湖の最深部は、まだ遠い。

 

 だが。

 

 サーシャの感情だけは。

 

 順調に底が見えなくなっていた。

 

 

 同じ頃。

 

 アルルカント・アカデミーでは。

 

 八岐大蛇の宝玉を中心とした研究が、次の段階へ入っていた。

 

 宝玉自体には傷一つ付けていない。

 

 それでも【雛形】の解析と非破壊観測によって、内部構造は少しずつ明らかになりつつあった。

 

「もう一度」

 

 ハイセが端末を操作する。

 

 研究室中央に置かれた小型実験装置へ、人工的に再現したエネルギー循環構造が形成された。

 

「入力開始」

 

 カミラが指示する。

 

「十パーセント」

 

「安定」

 

「二十」

 

「安定」

 

「三十」

 

 装置全体に淡い光が走る。

 

 エルネスタが数値を見る。

 

「おお」

 

「どうした?」

 

「前の方式より変換効率四・七倍」

 

 カミラが止まった。

 

「……もう一度測れ」

 

「測ってる」

 

「誤差は?」

 

「許容範囲」

 

「熱損失は?」

 

「四割以上減ってる」

 

 研究室が静かになった。

 

「これ」

 

 ハイセが装置を見る。

 

「かなり使える?」

 

「かなり、どころではない」

 

 カミラは珍しく。

 

 笑っていた。

 

「まだ原理の一部だけだ。それでも既存方式を大きく上回っている」

 

 エルネスタも笑う。

 

「温室だねぇ」

 

「何が?」

 

「研究環境」

 

「…………否定出来ないな」

 

 砂漠の禁忌迷宮から持ち帰った物は。

 

 研究者にとって。

 

 あまりにも豊作だった。

 

 

 さらに。

 

 武器研究だけでもない。

 

「ディルクから資料来てるよ」

 

 エルネスタが別画面を開いた。

 

 表示されたのは、市場データだった。

 

 アルルカントで販売されている《ジグラット》。

 

 シルヴィアがデザイン監修へ入って以降、一般学生だけでなく他学園からの購入希望まで増え始めている。

 

「収納ポーチでここまで売れるのか?」

 

 ハイセが首を傾げた。

 

『当たり前だろ』

 

 画面にディルクが現れた。

 

『武器買う奴と、鞄使う奴。どっちが多いと思ってんだ』

 

「鞄」

 

『そういうことだ』

 

「じゃあ武器より儲かる?」

 

『場合によっちゃな』

 

 カミラが少し複雑そうな顔をする。

 

「我々は武器研究から始めたはずなんだが」

 

『技術が民生品に落ちるのは普通だろ』

 

「それはそうだが」

 

『それに』

 

 ディルクが別の資料を開く。

 

『ハイセが作った化粧品。あれも商品化出来るぞ』

 

「プレセアに渡したやつ?」

 

『エルフ専用だから市場は狭い。だが逆に言えば、種族別に最適化出来れば強い』

 

「種族別スキンケア?」

 

『武器の個人最適化やってんだろ。同じ発想だ』

 

「…………」

 

 カミラが黙った。

 

 エルネスタが笑う。

 

「究極の汎用性、化粧水まで来ちゃったね」

 

「言うな」

 

「でも間違ってないよ?」

 

「……言うな」

 

 

 聖ガラードワース学園。

 

 アーネスト・フェアクロフの机には。

 

 また。

 

 報告書が増えていた。

 

 八岐大蛇由来の巨大宝玉。

 

 新型エネルギー循環技術。

 

 《強化型煌式武装》。

 

 そして。

 

 新たに追加された資料。

 

アルルカント製四次元型収納器《ジグラット》、販売数急増。

 

 次。

 

種族別生活用品への個人最適化技術応用を検討中。

 

「…………」

 

 アーネストはゆっくり資料を置いた。

 

 レティシアが向かいから見る。

 

「今日は紅茶が減っていますわね」

 

「飲まないとやってられなくなった」

 

「悪化していますわね」

 

「武器だけならまだ分かるんだ」

 

「ええ」

 

「何で収納鞄と化粧品まで出てくるんだろうね」

 

「わたくしに聞かれても困りますわ」

 

 アーネストは額を押さえた。

 

「アルルカントが異世界資源を研究する」

 

「はい」

 

「レヴォルフが流通を押さえる」

 

「はい」

 

「さらに民生市場まで伸ばす」

 

「はい」

 

「…………」

 

 レティシアが心配そうに尋ねる。

 

「胃薬、用意します?」

 

「まだ大丈夫」

 

 その時。

 

 ノックが響いた。

 

「失礼します。レヴォルフ黒学院から、お届け物です」

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人とも。

 

 すぐには返事をしなかった。

 

 

 箱を開ける。

 

 今回は高級菓子の詰め合わせだった。

 

 胃への負担が少ないよう、甘さまで控えめに調整された品である。

 

「…………」

 

 添えられた紙。

 

茶だけでは腹が減るだろ。

――ディルク・エーベルヴァイン

 

 アーネストは静かに目を閉じた。

 

「気遣われてますわね」

 

「煽られているようにしか見えない」

 

「どちらもですわ」

 

 さらに。

 

 箱の底に。

 

 もう一枚。

 

追伸:まだ序の口だ。

 

「…………」

 

 アーネストが。

 

 腹部を押さえた。

 

「胃薬」

 

「はい?」

 

「さっきの」

 

「用意します?」

 

「……お願い」

 

 レティシアは何も言わず。

 

 立ち上がった。

 

 聖ガラードワース学園の胃は。

 

 第二段階へ入った。

 

 

 レヴォルフ黒学院。

 

 配送完了通知を確認したディルクは、次の資料へ目を移した。

 

「届いたみたいだよ」

 

 ハイセが言う。

 

「ああ」

 

「今回何送ったの?」

 

「菓子」

 

「やっぱり優しいね」

 

「お前、本気で言ってんのか?」

 

「違うの?」

 

「もうそれでいい」

 

 ディルクは端末を閉じる。

 

「次どうする?」

 

「何が?」

 

「お中元」

 

 ディルクは少し考えた。

 

「……胃薬」

 

「悪くなってるの?」

 

「なるだろ」

 

「なんで?」

 

「お前らがいるからだよ」

 

「?」

 

「その顔やめろ」

 

 ディルクは深いため息を吐いた。

 

 大塩湖では。

 

 【セイクリッド】が。

 

 一日ずつ。

 

 着実に強くなっていた。

 

 アスタリスクでは。

 

 技術が。

 

 一週間ごとに。

 

 別物になり始めていた。

 

 そしてその狭間で。

 

 サーシャの嫉妬と。

 

 聖ガラードワース学園の胃だけが。

 

 誰にも止められることなく。

 

 順調に。

 

 悪化していた。

 

 だが。

 

 どちらも。

 

 まだ。

 

 序の口だった。

 

 

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