暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
《ディロロマンズ大塩湖》攻略、五十二日目。
迷宮の奥へ進むにつれ、周囲を覆う塩の結晶は厚くなり、空気に含まれる冷気も強くなっていた。魔物との戦闘回数も入口付近とは比較にならず、【セイクリッド】の誰もが、長期遠征による疲労を身体のどこかに抱えている。
それでも、最初の頃のような危うさはなかった。
「右から三体!」
ロビンの声が飛ぶ。
レイノルドが正面の大型魔獣を引き受け、タイクーンが右側の通路へ魔法を放つ。その攻撃を避けて飛び出した三体へ、プレセアは既に『双機関銃型』の銃口を向けていた。
ローカルクライアントから、推奨表示は出ていない。
正確には。
もう、表示を切っていた。
「そこ!」
二挺から連続して光弾が放たれる。
一体目の足を止め、二体目を壁際へ押し込み、三体目の進路だけを意図的に空ける。
そこへ。
「もらった!」
サーシャが飛び込んだ。
一閃。
三体目が倒れる。
「次、奥!」
サーシャが叫ぶ。
「分かっているわ!」
プレセアは銃型武装を《ジグラット》へ戻しながら、《ルインシャレフMARK-2》を取り出した。
大型個体。
硬い外殻。
ならばこちら。
一撃。
外殻が砕ける。
敵が接近戦へ持ち込もうとした瞬間には、既に《ヘルスーピオン》へ持ち替えていた。
通常剣として攻撃を受け流す。
直後。
刀身の一部が展開する。
限定された可動域によって斬撃軌道が折れ、魔獣の死角へ回り込んだ。
「終わりよ」
光刃が急所を捉える。
魔獣が倒れた。
そこで初めて。
プレセアの端末が判定を表示した。
COMBAT DECISION LOG
WEAPON SELECTION:OPTIMAL
CHANGE TIMING:OPTIMAL
SYSTEM RECOMMENDATION:NOT REQUIRED
プレセアはそれを見て、少しだけ笑った。
「やっと、ここまで来たわね」
◇
「すごいじゃない」
ピアソラが素直に感心していた。
「最初は武器に教えてもらってたのに、今は完全に自分で選んでるでしょう?」
「ええ。三つとも癖が分かってきたもの」
プレセアは《ヘルスーピオン》を手入れしながら頷く。
「どれが一番強い、という話ではないのよ。今の相手なら何が一番いいか。それを考える方が大切みたい」
「……ハイセらしい武器ね」
ピアソラが呟いた。
「そうね」
「…………」
近くで。
サーシャが反応した。
「何よ」
「何も言ってない」
「顔」
「またか!?」
「今のは七十回くらい」
「減ってるじゃないか!」
「減ってることを喜ばないでよ!」
レイノルドが小さく笑った。
「最近お前ら仲良いよな」
「どこがよ!」
「どこがだ!」
二人の声が綺麗に重なる。
「そこ」
ロビンが指を差した。
◇
その日の夜。
簡易野営地で夕食を終えると、プレセアは《ジグラット》から小さな金属製のケースを取り出した。
「それ、また美容品?」
ピアソラの反応は速かった。
「違うわ。今日はこっち」
中に入っていたのは、小さな丸薬だった。
「薬?」
「喉用ですって」
「喉?」
プレセアは一粒手に取る。
「ハイセが作ったらしいわ。喉の粘膜を保護して、乾燥や軽い炎症を抑えるためのものだそうよ」
ピアソラが目を細めた。
「またハイセ?」
「最近、その言い方が少し嬉しそうよ」
「違うわよ!」
否定してから。
「……で、効くの?」
「砂漠の禁忌迷宮から帰った後、本人が試していたわ」
「何で急に喉薬なんか作り始めたのよ」
「歌うからでしょうね」
プレセアは丸薬を口へ運び、水で飲み込んだ。
「本人、『もう酒は飲まない』って言っていたわよ」
「酒?」
「喉に良くないからですって」
サーシャが少し驚いたように顔を上げた。
「ハイセが?」
「ええ」
プレセアは頷く。
「今は、歌えなくなる方が困るんですって」
サーシャは何も言わなかった。
少し前まで。
ハイセにとって。
歌は戦い方ですらなかった。
今では。
自分の身体を守る理由になるほど。
大切なものになっている。
「…………」
「サーシャ?」
「何でもない」
今度の顔だけは。
ピアソラも茶化さなかった。
◇
「そういえば」
プレセアがもう一つ取り出す。
掌に収まる、薄型の音楽プレイヤーだった。
「それは?」
「新しいウォークマン」
「ウォーク……何?」
「音楽を持ち歩く道具よ」
「それなら似たようなのあるでしょう?」
「これは少し違うみたい」
プレセアがイヤホンを取り出す。
「耳への負担を抑えるために、周囲の雑音を最大九十九パーセント近くまで抑える。必要以上に音量を上げなくても細かい音まで聞けるように、立体音響も入っているそうよ」
ピアソラが即座に手を伸ばした。
「貸して」
「早いわね」
「音質確認よ」
「はいはい」
イヤホンを受け取ったピアソラが装着する。
プレセアが再生ボタンを押した。
◇
歌が流れた。
最初の一音で。
ピアソラは表情を変えた。
「…………」
「どう?」
「静か」
「音が?」
「違う。周りが」
迷宮の奥では、常に何かしらの音がある。
風。
塩の結晶が擦れる音。
遠くの魔物。
仲間の衣擦れ。
それらが。
ほとんど消えていた。
その中央へ。
歌声だけが。
立体的に浮かんでいる。
「誰?」
「ハイセよ」
ピアソラが固まった。
「…………これが?」
「ええ」
以前。
会話する声は聞いた。
女になったハイセの声も知っている。
だが。
歌は。
別だった。
「……綺麗」
思わず。
口から出た。
「でしょう?」
プレセアが笑う。
「次はリューネハイムさんよ」
「交互なの?」
「収録曲は、二人がそれぞれ作詞や作曲を担当しているみたい。共同制作もあるそうよ」
次の曲。
今度はシルヴィア。
「…………」
ピアソラは。
また黙った。
そして。
一曲が終わる。
「返す?」
「…………もう一曲」
「気に入ったのね」
「音質確認してるだけよ」
「三曲目だけれど」
「長時間使用時の確認も必要でしょう!」
サーシャがこちらを見る。
「その言い訳は無理があるぞ」
ピアソラがイヤホンを外した。
「あんたにだけは言われたくない!!」
◇
「でも」
ピアソラがプレセアを見る。
「プレセア、最初から誰が歌っているか分かったわよね?」
「ええ」
「そんなに違う?」
「違うわよ」
プレセアはイヤホンを受け取り、自分の耳へ着けた。
「エルフは、人の声を大切にするの」
「声?」
「特に歌はね」
プレセアは少し考えてから言葉を選んだ。
「歌って、その人の内側が出やすいでしょう? 言葉だけなら取り繕えても、声の震えや息遣い、何を込めて歌っているかまでは、なかなか隠せないもの」
「エルフはそういうの気にするの?」
「かなりね」
ピアソラが少し意地悪そうに笑った。
「じゃあ、ハイセの歌は?」
「…………」
プレセアは少しだけ黙った。
イヤホンの中。
ハイセが歌っている。
「ずるいくらい綺麗ね」
「何が!?」
遠くから。
サーシャの声が飛んだ。
二人が振り返る。
「聞こえていたの?」
「聞こえた!!」
「歌の話よ?」
「だから何だ!!」
「何で怒ってるのよ!」
ピアソラが叫ぶ。
「プレセアがハイセの歌を褒めただけでしょう!」
「分かっている!」
「分かってない顔してるわよ!」
「顔で判断するな!」
「顔以外で判断出来ないくらい黙ってるのよ!!」
プレセアは困ったように笑った。
「本当に、仲がいいわね」
「良くない!!」
「良くないわよ!!」
また。
綺麗に重なった。
◇
そして。
ピアソラは。
決定的なことに気づいた。
「……ねぇ、サーシャ」
「何だ」
「あんた、ハイセが女になったこと、もうどうでもいいの?」
「どうでもよくはない」
「でも嫉妬してるわよね」
「してない!」
「いや、してるでしょう」
「してない!!」
「もう女よ!?」
「関係あるか!!」
ピアソラが止まる。
「…………」
「何だ」
「今ので全部分かった」
「何がだ」
「性別じゃないんだ」
「何が」
「あんたが執着してるの」
「…………」
サーシャが。
黙った。
「うわ」
ピアソラの顔が。
引きつった。
「重っ」
「何がだ!!」
「思ったよりずっと重い!!」
「違う!!」
「どこが違うのよ!」
「全部だ!!」
「説明出来てない!」
その声が。
大塩湖の奥へ。
長く響いた。
◇
五十八日目。
【セイクリッド】は、いよいよ最深部に近い領域へ入り始めていた。
敵の強さは明らかに上がっている。
しかし。
以前ほど。
苦戦しない。
個々が強くなっただけではない。
サーシャが前へ出れば。
レイノルドは何も言われなくても側面を守る。
タイクーンが魔法を準備すれば。
ロビンが射線を作る。
ピアソラは全員の消耗を見て。
必要な場所だけを補助する。
そしてプレセア。
三種類の武装を。
完全に。
自分の判断で使い分ける。
敵が群れた。
『双機関銃型』。
硬い大型。
《ルインシャレフMARK-2》。
速い。
狭い。
死角が多い。
《ヘルスーピオン》。
もう。
【雛形】は。
何も勧めない。
USER AUTONOMY:ESTABLISHED
RECOMMENDATION ASSIST:OFF
「プレセア」
サーシャが声を掛ける。
「何かしら?」
「左を頼む」
「ええ」
それだけ。
十分だった。
二人が同時に動く。
長期攻略の中で。
プレセアも。
もう臨時の同行者ではなく。
【セイクリッド】の戦い方へ。
完全に。
溶け込んでいた。
◇
同じ頃。
アスタリスクでは。
ハイセが。
薬草を煮ていた。
「…………」
カミラが見る。
「何してる」
「喉薬」
「それは分かる」
「じゃあ何?」
「何故、八岐大蛇の宝玉を研究している施設で薬草を煮ている」
「空いてる場所あったから」
「ここは厨房ではない!」
シルヴィアが横から小瓶を持ち上げる。
「でも、前の試作品より良くなってるわよ」
「本当?」
「喉の乾燥がかなり楽。歌った後にもいいと思う」
「じゃあもう少し粘膜保護寄りにしてみる」
「いいわね」
カミラは頭を抱えた。
「お前達は何の研究室にするつもりだ」
エルネスタが答える。
「何でも研究室?」
「嫌だ」
◇
「そもそも」
カミラはハイセを見る。
「急に酒まで断つ必要があるのか?」
「喉に良くないから」
「量を控えればいいだろう」
「でも」
ハイセは普通に答えた。
「今、歌えなくなる方が困るし」
「…………」
「喉、交換出来ないじゃん」
「身体丸ごと交換した奴が言うな!!」
研究室へ。
怒声が響く。
シルヴィアが笑い。
エルネスタも笑った。
「でも、そこまで大事になったんだね」
ハイセが首を傾げる。
「何が?」
「歌」
「…………」
少し考える。
「うん」
それだけだった。
だが。
カミラは。
何も言わなかった。
◇
ウォークマンの開発も。
同時に進んでいた。
「音量を上げて音を拾うんじゃなくて、雑音を消せばいい」
ハイセが説明する。
「耳を傷める原因を減らして、小さい音でも細かいところまで聞けるようにする」
「最大九十九パーセントの環境ノイズ低減」
エルネスタが資料を見る。
「聴覚特性補正も入れる?」
「入れたい」
「立体音響は?」
「シルヴィアが欲しいって」
「必要よ」
シルヴィアが即答した。
「ライブ音源を平面的に聴くなんて勿体ないでしょう?」
カミラが。
一瞬。
口を開く。
そして。
閉じた。
「何?」
ハイセが聞く。
「……《ジグラット》の売上を思い出した」
「つまり?」
「好きにしろ」
「学習したね」
「うるさい」
◇
試作機に入れる楽曲も決まっていた。
ハイセが書いた曲。
シルヴィアが書いた曲。
二人で作った曲。
アップテンポの戦闘曲から、静かなバラードまで。
同じ歌手が歌っても。
作った人間が違えば。
色が変わる。
「これ」
エルネスタが曲目リストを見る。
「普通にアルバムとして売れるよね」
シルヴィアが笑う。
「だから言ったでしょう?」
「ハイセは?」
「何が?」
「売る?」
「別にいいよ」
「軽っ」
「聴きたい人がいるなら」
ディルクの声が通信から入る。
『今の録音、取ったぞ』
「何で?」
『契約の証拠』
「何の?」
『商品化の』
「早くない?」
『遅いくらいだ』
カミラは。
また。
頭を抱えた。
◇
そして。
聖ガラードワース学園。
アーネスト・フェアクロフの前には。
第三弾となる報告書が置かれていた。
高密度エネルギー循環装置:試作成功。
強化型煌式武装:長期運用試験継続中。
四次元型収納器《ジグラット》:他学園向け販売検討。
個人最適化型スキンケア用品:商品化調査開始。
新型携帯音響機器:試作段階。
喉用医薬・ケア用品:研究中。
「…………」
アーネストは。
しばらく。
資料を見ていた。
「レティシア」
「はい」
「僕達、何と競争してるんだろう」
「アルルカントでは?」
「武器だけじゃないよね」
「もう違いますわね」
「エネルギー」
「はい」
「鞄」
「はい」
「化粧品」
「はい」
「音楽」
「はい」
「薬」
「はい」
「…………」
アーネストは。
胃の辺りを押さえた。
「胃薬」
「もう準備しておりますわ」
「ありがとう」
そこへ。
ノック。
「失礼します」
アーネストとレティシア。
二人が。
同時に扉を見る。
「レヴォルフ黒学院より、お届け物です」
「…………」
アーネストの顔から。
血の気が引いた。
◇
箱を開ける。
中には。
高級な胃腸薬。
しかも。
数種類。
食前。
食後。
胃酸過多。
食欲不振。
症状別に。
丁寧に分けられていた。
「…………」
レティシアが見る。
「本格的ですわね」
「薬剤師選定って書いてある」
「本気で心配しているのでは?」
「それが一番腹立つ」
添え状。
そろそろ要る頃だろ。
無理して倒れるな。
――ディルク・エーベルヴァイン
「…………」
もう一枚。
追伸:まだ増えるぞ。
「…………」
アーネストの手が。
震えた。
「ディルク……」
「アーネスト?」
「ディルク・エーベルヴァイン……!」
「落ち着いてくださいまし」
「ディルク・エーベルヴァイン!!」
ついに。
聖ガラードワース学園へ。
叫び声が響いた。
◇
同じ頃。
大塩湖。
休憩時間。
ピアソラは。
また。
ウォークマンを借りていた。
「これで最後だからね」
プレセアが言う。
「分かってるわよ」
「昨日も言ってたわよ?」
「今日は本当に最後!」
イヤホンから。
ハイセの歌。
次。
シルヴィア。
また。
ハイセ。
「……この曲、結構好き」
「ハイセが作った曲ね」
「…………」
ピアソラは。
何も言わない。
「ピアソラ?」
「何よ」
「顔が少し嬉しそう」
「違う!」
その時。
サーシャが通りかかった。
「まだ聞いてるのか?」
「悪い!?」
「いや」
「なら何よ!」
「……ハイセの歌、そんなにいいのか?」
「…………」
ピアソラが。
ゆっくり。
イヤホンを外した。
「聞く?」
「…………」
「貸すわよ」
「…………」
サーシャが。
一瞬だけ。
手を伸ばしかける。
しかし。
その前に。
プレセアが何気なく言った。
「次の曲、リューネハイムさんとのデュエットよ」
手が止まった。
「…………」
ピアソラが。
嫌な予感を覚える。
「サーシャ?」
「…………」
「まさか」
「天霧綾斗に!!」
「え?」
「リューネハイムに!!」
「ちょっと」
「カミラにエルネスタにヒルダにディルク!!」
「待って待って」
「オーフェリアにプレセアまで!!」
「私も!?」
プレセアが驚く。
「何なんだ一体!!」
サーシャの叫びが。
大塩湖へ響いた。
ピアソラが。
反射的に。
イヤホンを耳へ戻す。
「うるさいわよ!!」
「何!?」
「歌が聞こえないでしょうが!!」
「お前までそっちに行くな!!!」
「そっちってどっちよ!!」
「ハイセ側だ!!」
「美容品と音楽の話しかしてないわよ!!」
「十分だ!!」
「何が十分なのよ!!」
二人の叫びが。
さらに。
大塩湖を震わせる。
レイノルドは。
少し離れたところで。
タイクーンを見る。
「止める?」
「もう無理だろう」
「だよな」
ロビンは。
腹を抱えていた。
プレセアだけは。
少し困ったように。
それでも楽しそうに。
笑っていた。
大塩湖攻略。
五十八日目。
最深部は。
すぐそこまで。
迫っている。
そして。
サーシャの嫉妬も。
聖ガラードワース学園の胃も。
ついに。
叫び声を上げるところまで。
育っていた。
それでも。
まだ。
本当の意味で。
底には。
届いていなかった。