暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ   作:カミッシー

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第44話 声は、隠せない

 

 

 《ディロロマンズ大塩湖》攻略、五十二日目。

 

 迷宮の奥へ進むにつれ、周囲を覆う塩の結晶は厚くなり、空気に含まれる冷気も強くなっていた。魔物との戦闘回数も入口付近とは比較にならず、【セイクリッド】の誰もが、長期遠征による疲労を身体のどこかに抱えている。

 

 それでも、最初の頃のような危うさはなかった。

 

「右から三体!」

 

 ロビンの声が飛ぶ。

 

 レイノルドが正面の大型魔獣を引き受け、タイクーンが右側の通路へ魔法を放つ。その攻撃を避けて飛び出した三体へ、プレセアは既に『双機関銃型』の銃口を向けていた。

 

 ローカルクライアントから、推奨表示は出ていない。

 

 正確には。

 

 もう、表示を切っていた。

 

「そこ!」

 

 二挺から連続して光弾が放たれる。

 

 一体目の足を止め、二体目を壁際へ押し込み、三体目の進路だけを意図的に空ける。

 

 そこへ。

 

「もらった!」

 

 サーシャが飛び込んだ。

 

 一閃。

 

 三体目が倒れる。

 

「次、奥!」

 

 サーシャが叫ぶ。

 

「分かっているわ!」

 

 プレセアは銃型武装を《ジグラット》へ戻しながら、《ルインシャレフMARK-2》を取り出した。

 

 大型個体。

 

 硬い外殻。

 

 ならばこちら。

 

 一撃。

 

 外殻が砕ける。

 

 敵が接近戦へ持ち込もうとした瞬間には、既に《ヘルスーピオン》へ持ち替えていた。

 

 通常剣として攻撃を受け流す。

 

 直後。

 

 刀身の一部が展開する。

 

 限定された可動域によって斬撃軌道が折れ、魔獣の死角へ回り込んだ。

 

「終わりよ」

 

 光刃が急所を捉える。

 

 魔獣が倒れた。

 

 そこで初めて。

 

 プレセアの端末が判定を表示した。

 

COMBAT DECISION LOG

 

WEAPON SELECTION:OPTIMAL

 

CHANGE TIMING:OPTIMAL

 

SYSTEM RECOMMENDATION:NOT REQUIRED

 

 プレセアはそれを見て、少しだけ笑った。

 

「やっと、ここまで来たわね」

 

 

「すごいじゃない」

 

 ピアソラが素直に感心していた。

 

「最初は武器に教えてもらってたのに、今は完全に自分で選んでるでしょう?」

 

「ええ。三つとも癖が分かってきたもの」

 

 プレセアは《ヘルスーピオン》を手入れしながら頷く。

 

「どれが一番強い、という話ではないのよ。今の相手なら何が一番いいか。それを考える方が大切みたい」

 

「……ハイセらしい武器ね」

 

 ピアソラが呟いた。

 

「そうね」

 

「…………」

 

 近くで。

 

 サーシャが反応した。

 

「何よ」

 

「何も言ってない」

 

「顔」

 

「またか!?」

 

「今のは七十回くらい」

 

「減ってるじゃないか!」

 

「減ってることを喜ばないでよ!」

 

 レイノルドが小さく笑った。

 

「最近お前ら仲良いよな」

 

「どこがよ!」

 

「どこがだ!」

 

 二人の声が綺麗に重なる。

 

「そこ」

 

 ロビンが指を差した。

 

 

 その日の夜。

 

 簡易野営地で夕食を終えると、プレセアは《ジグラット》から小さな金属製のケースを取り出した。

 

「それ、また美容品?」

 

 ピアソラの反応は速かった。

 

「違うわ。今日はこっち」

 

 中に入っていたのは、小さな丸薬だった。

 

「薬?」

 

「喉用ですって」

 

「喉?」

 

 プレセアは一粒手に取る。

 

「ハイセが作ったらしいわ。喉の粘膜を保護して、乾燥や軽い炎症を抑えるためのものだそうよ」

 

 ピアソラが目を細めた。

 

「またハイセ?」

 

「最近、その言い方が少し嬉しそうよ」

 

「違うわよ!」

 

 否定してから。

 

「……で、効くの?」

 

「砂漠の禁忌迷宮から帰った後、本人が試していたわ」

 

「何で急に喉薬なんか作り始めたのよ」

 

「歌うからでしょうね」

 

 プレセアは丸薬を口へ運び、水で飲み込んだ。

 

「本人、『もう酒は飲まない』って言っていたわよ」

 

「酒?」

 

「喉に良くないからですって」

 

 サーシャが少し驚いたように顔を上げた。

 

「ハイセが?」

 

「ええ」

 

 プレセアは頷く。

 

「今は、歌えなくなる方が困るんですって」

 

 サーシャは何も言わなかった。

 

 少し前まで。

 

 ハイセにとって。

 

 歌は戦い方ですらなかった。

 

 今では。

 

 自分の身体を守る理由になるほど。

 

 大切なものになっている。

 

「…………」

 

「サーシャ?」

 

「何でもない」

 

 今度の顔だけは。

 

 ピアソラも茶化さなかった。

 

 

「そういえば」

 

 プレセアがもう一つ取り出す。

 

 掌に収まる、薄型の音楽プレイヤーだった。

 

「それは?」

 

「新しいウォークマン」

 

「ウォーク……何?」

 

「音楽を持ち歩く道具よ」

 

「それなら似たようなのあるでしょう?」

 

「これは少し違うみたい」

 

 プレセアがイヤホンを取り出す。

 

「耳への負担を抑えるために、周囲の雑音を最大九十九パーセント近くまで抑える。必要以上に音量を上げなくても細かい音まで聞けるように、立体音響も入っているそうよ」

 

 ピアソラが即座に手を伸ばした。

 

「貸して」

 

「早いわね」

 

「音質確認よ」

 

「はいはい」

 

 イヤホンを受け取ったピアソラが装着する。

 

 プレセアが再生ボタンを押した。

 

 

 歌が流れた。

 

 最初の一音で。

 

 ピアソラは表情を変えた。

 

「…………」

 

「どう?」

 

「静か」

 

「音が?」

 

「違う。周りが」

 

 迷宮の奥では、常に何かしらの音がある。

 

 風。

 

 塩の結晶が擦れる音。

 

 遠くの魔物。

 

 仲間の衣擦れ。

 

 それらが。

 

 ほとんど消えていた。

 

 その中央へ。

 

 歌声だけが。

 

 立体的に浮かんでいる。

 

「誰?」

 

「ハイセよ」

 

 ピアソラが固まった。

 

「…………これが?」

 

「ええ」

 

 以前。

 

 会話する声は聞いた。

 

 女になったハイセの声も知っている。

 

 だが。

 

 歌は。

 

 別だった。

 

「……綺麗」

 

 思わず。

 

 口から出た。

 

「でしょう?」

 

 プレセアが笑う。

 

「次はリューネハイムさんよ」

 

「交互なの?」

 

「収録曲は、二人がそれぞれ作詞や作曲を担当しているみたい。共同制作もあるそうよ」

 

 次の曲。

 

 今度はシルヴィア。

 

「…………」

 

 ピアソラは。

 

 また黙った。

 

 そして。

 

 一曲が終わる。

 

「返す?」

 

「…………もう一曲」

 

「気に入ったのね」

 

「音質確認してるだけよ」

 

「三曲目だけれど」

 

「長時間使用時の確認も必要でしょう!」

 

 サーシャがこちらを見る。

 

「その言い訳は無理があるぞ」

 

 ピアソラがイヤホンを外した。

 

「あんたにだけは言われたくない!!」

 

 

「でも」

 

 ピアソラがプレセアを見る。

 

「プレセア、最初から誰が歌っているか分かったわよね?」

 

「ええ」

 

「そんなに違う?」

 

「違うわよ」

 

 プレセアはイヤホンを受け取り、自分の耳へ着けた。

 

「エルフは、人の声を大切にするの」

 

「声?」

 

「特に歌はね」

 

 プレセアは少し考えてから言葉を選んだ。

 

「歌って、その人の内側が出やすいでしょう? 言葉だけなら取り繕えても、声の震えや息遣い、何を込めて歌っているかまでは、なかなか隠せないもの」

 

「エルフはそういうの気にするの?」

 

「かなりね」

 

 ピアソラが少し意地悪そうに笑った。

 

「じゃあ、ハイセの歌は?」

 

「…………」

 

 プレセアは少しだけ黙った。

 

 イヤホンの中。

 

 ハイセが歌っている。

 

「ずるいくらい綺麗ね」

 

「何が!?」

 

 遠くから。

 

 サーシャの声が飛んだ。

 

 二人が振り返る。

 

「聞こえていたの?」

 

「聞こえた!!」

 

「歌の話よ?」

 

「だから何だ!!」

 

「何で怒ってるのよ!」

 

 ピアソラが叫ぶ。

 

「プレセアがハイセの歌を褒めただけでしょう!」

 

「分かっている!」

 

「分かってない顔してるわよ!」

 

「顔で判断するな!」

 

「顔以外で判断出来ないくらい黙ってるのよ!!」

 

 プレセアは困ったように笑った。

 

「本当に、仲がいいわね」

 

「良くない!!」

 

「良くないわよ!!」

 

 また。

 

 綺麗に重なった。

 

 

 そして。

 

 ピアソラは。

 

 決定的なことに気づいた。

 

「……ねぇ、サーシャ」

 

「何だ」

 

「あんた、ハイセが女になったこと、もうどうでもいいの?」

 

「どうでもよくはない」

 

「でも嫉妬してるわよね」

 

「してない!」

 

「いや、してるでしょう」

 

「してない!!」

 

「もう女よ!?」

 

「関係あるか!!」

 

 ピアソラが止まる。

 

「…………」

 

「何だ」

 

「今ので全部分かった」

 

「何がだ」

 

「性別じゃないんだ」

 

「何が」

 

「あんたが執着してるの」

 

「…………」

 

 サーシャが。

 

 黙った。

 

「うわ」

 

 ピアソラの顔が。

 

 引きつった。

 

「重っ」

 

「何がだ!!」

 

「思ったよりずっと重い!!」

 

「違う!!」

 

「どこが違うのよ!」

 

「全部だ!!」

 

「説明出来てない!」

 

 その声が。

 

 大塩湖の奥へ。

 

 長く響いた。

 

 

 五十八日目。

 

 【セイクリッド】は、いよいよ最深部に近い領域へ入り始めていた。

 

 敵の強さは明らかに上がっている。

 

 しかし。

 

 以前ほど。

 

 苦戦しない。

 

 個々が強くなっただけではない。

 

 サーシャが前へ出れば。

 

 レイノルドは何も言われなくても側面を守る。

 

 タイクーンが魔法を準備すれば。

 

 ロビンが射線を作る。

 

 ピアソラは全員の消耗を見て。

 

 必要な場所だけを補助する。

 

 そしてプレセア。

 

 三種類の武装を。

 

 完全に。

 

 自分の判断で使い分ける。

 

 敵が群れた。

 

 『双機関銃型』。

 

 硬い大型。

 

 《ルインシャレフMARK-2》。

 

 速い。

 

 狭い。

 

 死角が多い。

 

 《ヘルスーピオン》。

 

 もう。

 

 【雛形】は。

 

 何も勧めない。

 

USER AUTONOMY:ESTABLISHED

 

RECOMMENDATION ASSIST:OFF

 

「プレセア」

 

 サーシャが声を掛ける。

 

「何かしら?」

 

「左を頼む」

 

「ええ」

 

 それだけ。

 

 十分だった。

 

 二人が同時に動く。

 

 長期攻略の中で。

 

 プレセアも。

 

 もう臨時の同行者ではなく。

 

 【セイクリッド】の戦い方へ。

 

 完全に。

 

 溶け込んでいた。

 

 

 同じ頃。

 

 アスタリスクでは。

 

 ハイセが。

 

 薬草を煮ていた。

 

「…………」

 

 カミラが見る。

 

「何してる」

 

「喉薬」

 

「それは分かる」

 

「じゃあ何?」

 

「何故、八岐大蛇の宝玉を研究している施設で薬草を煮ている」

 

「空いてる場所あったから」

 

「ここは厨房ではない!」

 

 シルヴィアが横から小瓶を持ち上げる。

 

「でも、前の試作品より良くなってるわよ」

 

「本当?」

 

「喉の乾燥がかなり楽。歌った後にもいいと思う」

 

「じゃあもう少し粘膜保護寄りにしてみる」

 

「いいわね」

 

 カミラは頭を抱えた。

 

「お前達は何の研究室にするつもりだ」

 

 エルネスタが答える。

 

「何でも研究室?」

 

「嫌だ」

 

 

「そもそも」

 

 カミラはハイセを見る。

 

「急に酒まで断つ必要があるのか?」

 

「喉に良くないから」

 

「量を控えればいいだろう」

 

「でも」

 

 ハイセは普通に答えた。

 

「今、歌えなくなる方が困るし」

 

「…………」

 

「喉、交換出来ないじゃん」

 

「身体丸ごと交換した奴が言うな!!」

 

 研究室へ。

 

 怒声が響く。

 

 シルヴィアが笑い。

 

 エルネスタも笑った。

 

「でも、そこまで大事になったんだね」

 

 ハイセが首を傾げる。

 

「何が?」

 

「歌」

 

「…………」

 

 少し考える。

 

「うん」

 

 それだけだった。

 

 だが。

 

 カミラは。

 

 何も言わなかった。

 

 

 ウォークマンの開発も。

 

 同時に進んでいた。

 

「音量を上げて音を拾うんじゃなくて、雑音を消せばいい」

 

 ハイセが説明する。

 

「耳を傷める原因を減らして、小さい音でも細かいところまで聞けるようにする」

 

「最大九十九パーセントの環境ノイズ低減」

 

 エルネスタが資料を見る。

 

「聴覚特性補正も入れる?」

 

「入れたい」

 

「立体音響は?」

 

「シルヴィアが欲しいって」

 

「必要よ」

 

 シルヴィアが即答した。

 

「ライブ音源を平面的に聴くなんて勿体ないでしょう?」

 

 カミラが。

 

 一瞬。

 

 口を開く。

 

 そして。

 

 閉じた。

 

「何?」

 

 ハイセが聞く。

 

「……《ジグラット》の売上を思い出した」

 

「つまり?」

 

「好きにしろ」

 

「学習したね」

 

「うるさい」

 

 

 試作機に入れる楽曲も決まっていた。

 

 ハイセが書いた曲。

 

 シルヴィアが書いた曲。

 

 二人で作った曲。

 

 アップテンポの戦闘曲から、静かなバラードまで。

 

 同じ歌手が歌っても。

 

 作った人間が違えば。

 

 色が変わる。

 

「これ」

 

 エルネスタが曲目リストを見る。

 

「普通にアルバムとして売れるよね」

 

 シルヴィアが笑う。

 

「だから言ったでしょう?」

 

「ハイセは?」

 

「何が?」

 

「売る?」

 

「別にいいよ」

 

「軽っ」

 

「聴きたい人がいるなら」

 

 ディルクの声が通信から入る。

 

『今の録音、取ったぞ』

 

「何で?」

 

『契約の証拠』

 

「何の?」

 

『商品化の』

 

「早くない?」

 

『遅いくらいだ』

 

 カミラは。

 

 また。

 

 頭を抱えた。

 

 

 そして。

 

 聖ガラードワース学園。

 

 アーネスト・フェアクロフの前には。

 

 第三弾となる報告書が置かれていた。

 

高密度エネルギー循環装置:試作成功。

 

強化型煌式武装:長期運用試験継続中。

 

四次元型収納器《ジグラット》:他学園向け販売検討。

 

個人最適化型スキンケア用品:商品化調査開始。

 

新型携帯音響機器:試作段階。

 

喉用医薬・ケア用品:研究中。

 

「…………」

 

 アーネストは。

 

 しばらく。

 

 資料を見ていた。

 

「レティシア」

 

「はい」

 

「僕達、何と競争してるんだろう」

 

「アルルカントでは?」

 

「武器だけじゃないよね」

 

「もう違いますわね」

 

「エネルギー」

 

「はい」

 

「鞄」

 

「はい」

 

「化粧品」

 

「はい」

 

「音楽」

 

「はい」

 

「薬」

 

「はい」

 

「…………」

 

 アーネストは。

 

 胃の辺りを押さえた。

 

「胃薬」

 

「もう準備しておりますわ」

 

「ありがとう」

 

 そこへ。

 

 ノック。

 

「失礼します」

 

 アーネストとレティシア。

 

 二人が。

 

 同時に扉を見る。

 

「レヴォルフ黒学院より、お届け物です」

 

「…………」

 

 アーネストの顔から。

 

 血の気が引いた。

 

 

 箱を開ける。

 

 中には。

 

 高級な胃腸薬。

 

 しかも。

 

 数種類。

 

 食前。

 

 食後。

 

 胃酸過多。

 

 食欲不振。

 

 症状別に。

 

 丁寧に分けられていた。

 

「…………」

 

 レティシアが見る。

 

「本格的ですわね」

 

「薬剤師選定って書いてある」

 

「本気で心配しているのでは?」

 

「それが一番腹立つ」

 

 添え状。

 

そろそろ要る頃だろ。

無理して倒れるな。

――ディルク・エーベルヴァイン

 

「…………」

 

 もう一枚。

 

追伸:まだ増えるぞ。

 

「…………」

 

 アーネストの手が。

 

 震えた。

 

「ディルク……」

 

「アーネスト?」

 

「ディルク・エーベルヴァイン……!」

 

「落ち着いてくださいまし」

 

「ディルク・エーベルヴァイン!!」

 

 ついに。

 

 聖ガラードワース学園へ。

 

 叫び声が響いた。

 

 

 同じ頃。

 

 大塩湖。

 

 休憩時間。

 

 ピアソラは。

 

 また。

 

 ウォークマンを借りていた。

 

「これで最後だからね」

 

 プレセアが言う。

 

「分かってるわよ」

 

「昨日も言ってたわよ?」

 

「今日は本当に最後!」

 

 イヤホンから。

 

 ハイセの歌。

 

 次。

 

 シルヴィア。

 

 また。

 

 ハイセ。

 

「……この曲、結構好き」

 

「ハイセが作った曲ね」

 

「…………」

 

 ピアソラは。

 

 何も言わない。

 

「ピアソラ?」

 

「何よ」

 

「顔が少し嬉しそう」

 

「違う!」

 

 その時。

 

 サーシャが通りかかった。

 

「まだ聞いてるのか?」

 

「悪い!?」

 

「いや」

 

「なら何よ!」

 

「……ハイセの歌、そんなにいいのか?」

 

「…………」

 

 ピアソラが。

 

 ゆっくり。

 

 イヤホンを外した。

 

「聞く?」

 

「…………」

 

「貸すわよ」

 

「…………」

 

 サーシャが。

 

 一瞬だけ。

 

 手を伸ばしかける。

 

 しかし。

 

 その前に。

 

 プレセアが何気なく言った。

 

「次の曲、リューネハイムさんとのデュエットよ」

 

 手が止まった。

 

「…………」

 

 ピアソラが。

 

 嫌な予感を覚える。

 

「サーシャ?」

 

「…………」

 

「まさか」

 

「天霧綾斗に!!」

 

「え?」

 

「リューネハイムに!!」

 

「ちょっと」

 

「カミラにエルネスタにヒルダにディルク!!」

 

「待って待って」

 

「オーフェリアにプレセアまで!!」

 

「私も!?」

 

 プレセアが驚く。

 

「何なんだ一体!!」

 

 サーシャの叫びが。

 

 大塩湖へ響いた。

 

 ピアソラが。

 

 反射的に。

 

 イヤホンを耳へ戻す。

 

「うるさいわよ!!」

 

「何!?」

 

「歌が聞こえないでしょうが!!」

 

「お前までそっちに行くな!!!」

 

「そっちってどっちよ!!」

 

「ハイセ側だ!!」

 

「美容品と音楽の話しかしてないわよ!!」

 

「十分だ!!」

 

「何が十分なのよ!!」

 

 二人の叫びが。

 

 さらに。

 

 大塩湖を震わせる。

 

 レイノルドは。

 

 少し離れたところで。

 

 タイクーンを見る。

 

「止める?」

 

「もう無理だろう」

 

「だよな」

 

 ロビンは。

 

 腹を抱えていた。

 

 プレセアだけは。

 

 少し困ったように。

 

 それでも楽しそうに。

 

 笑っていた。

 

 大塩湖攻略。

 

 五十八日目。

 

 最深部は。

 

 すぐそこまで。

 

 迫っている。

 

 そして。

 

 サーシャの嫉妬も。

 

 聖ガラードワース学園の胃も。

 

 ついに。

 

 叫び声を上げるところまで。

 

 育っていた。

 

 それでも。

 

 まだ。

 

 本当の意味で。

 

 底には。

 

 届いていなかった。

 

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