暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
記者会見を終えた、その日の夜。
ハイベルグ王城の一室で、ハイセとサーシャは向かい合って座っていた。間にあるテーブルには一冊の書類が置かれているが、先ほどからサーシャはそれを睨んだまま、一度も手を伸ばそうとしていない。
「……本気なのか」
「本気」
「この金額を?」
「うん」
「お前、自分が何を言ってるのか分かってる?」
「ディルクには、数回人生をやり直しても遊べる額って言われた」
「余計に受け取れるか!!」
サーシャが机を叩く。
そこには、強化型煌式武装の初回配当、その五十パーセントを慰謝料として支払うという内容が記されていた。秘密保持条項も、発言制限もない。ただ【ジークフリート】の実証試験へ本人の同意なく利用したことに対して、ハイセが自ら提示した金額だった。
「金で済ませるつもりか?」
「違う」
「だったら何なんだ!」
「今回、俺がやったことへの対価」
即答だった。
サーシャは言葉を失う。
「追放のこととは別。ドラゴンで片目なくしたこととも別。今回は俺が悪かったから、俺が払う」
「だからって半分も――」
「いくら払うかは俺が決める」
サーシャの表情が固まった。
ハイセは、静かに続ける。
「俺の人生の対価を、他人に決められるのが嫌だった。だったら、自分が誰かに負わせたものの対価も、自分で決めたい」
「…………」
「これで忘れてとは言わない。喋るなとも言わない。ジークフリートのことを誰かに聞かれたら、本当のことを話せばいい」
サーシャは再び書類を見る。
「じゃあ、何を求める」
「一個だけ」
「何だ」
「昔のことを、これから喧嘩するたびに武器として使うのはやめたい」
◇
サーシャの目が揺れた。
「追放のことを忘れろ、と?」
「違う。俺も忘れないし、サーシャにも忘れろとは言わない」
ハイセは首を振る。
「記録は消さない。謝ったことも、されたことも消さない。ただ、次に別のことで喧嘩した時に『昔お前は俺を追放した』とか、『今回お前は私を実験に使った』とか、それを相手を殴るために使うのは終わりにしたい」
「……痛み分けか」
「多分」
「お前らしい言葉じゃないな」
「ディルクに教えてもらった」
「急に胡散臭くなったぞ」
「何で?」
「相手がディルクだからだ!」
久しぶりにサーシャが大声を出した。
それでも、今までの怒鳴り声とは少し違う。ハイセも分かっていたらしく、ほんの僅かに笑っている。
「でも、意味は俺が決めたよ」
「…………」
サーシャは長く息を吐いた。
「分かった」
「受け取る?」
「……受け取る」
ハイセが頷く。
「それと、昔のことも、今後は私から喧嘩の材料にはしない」
「俺も」
「ただし」
「何?」
「次に私を勝手に実験台に使ったら、その場で殴る」
「それはいいよ」
「そこは『もうやらない』と言え!!」
サーシャの拳が机へ落ちた。
「……じゃあ、次から先に聞く」
「微妙に不安が残る言い方をするな!」
◇
話が一区切りついたところで、ハイセは足元に置いていた大きなケースを持ち上げた。
サーシャの目が、途端に警戒へ戻る。
「何だそれ」
「こっちが本題」
「慰謝料より本題があるのか!?」
「ある」
扉の外で待っていた【セイクリッド】のメンバーも呼び込まれる。ピアソラ、レイノルド、ロビン、タイクーン、そしてプレセアまで揃ったところで、ハイセはケースを開いた。
中に並んでいたのは、指先で摘めるほどの小さなカプセルだった。
「【簡易煌式複装】」
「簡易……何?」
レイノルドが眉を寄せる。
「デミルークス」
ハイセは一つを取り出した。
「強化型を使わない人のために作った、新しい規格」
◇
ボタンを押す。
小さなカプセルから光が溢れ、複数の煌式構造体が展開された。しかし、それらはハイセの手には収まらない。周囲へ浮遊したまま、彼女の指先の動きに合わせて配置を変えていく。
「持たないのか?」
サーシャが尋ねる。
「うん。最初から『武器は手に持つもの』って考えを捨てた」
簡易的な四次元収納機構を内蔵したカプセルを核として、数種類の攻撃手段を遠隔操作する。使用後はもう一度ボタンを押せば構造体が収納され、再び小さなカプセルへ戻る。
既存の煌式武装を手放す必要もない。
「今使ってる武器と一緒に使える」
「ランビリスやケリードーンとも?」
「それは無理」
ハイセは首を振った。
「強化型は自由度が高いぶん、演算容量も展開容量も大きすぎる。そこにデミルークスまで足すと安全域を超える」
タイクーンが顎へ手を当てる。
「つまり、上位互換ではない?」
「そう」
「既存武器を残して拡張するか、強化型一つへ乗り換えるか」
「選べる」
ハイセはそれだけ言った。
◇
サーシャがハイセを見る。
「……七割の件か」
「うん」
強化型煌式武装が発売一週間で、新規購入・更新市場の七割を占めた。
それは大成功だった。
同時に、危険な成功でもあった。
「強化型を選ばないと不利になるなら、選択肢じゃないから」
「だから既存の武器を捨てなくても戦える規格を作った?」
「カミラと話した。強化型が合う人は使えばいい。でも、今持ってる武器が好きな人まで乗り換える必要はない」
「…………」
「綾斗みたいに」
サーシャの眉が動く。
「何故そこで天霧綾斗が出てくる」
「剣好きだから」
「それは知ってる! 何故例が毎回あいつなんだ!!」
ピアソラが額を押さえた。
「せっかく良い話だったのに……」
◇
「それで」
サーシャはケースを見る。
「これを私達に?」
「使ってほしい」
サーシャの目が鋭くなった。
ハイセはすぐに付け加える。
「試験も兼ねてる」
「…………」
「でも今回は先に言った」
「成長したな」
「でしょ?」
「最低ラインを越えただけだ!」
それでもサーシャの口元には、僅かに笑みがあった。
「条件は?」
「使いたくなければ使わなくていい。今の武器だけで戦いたいなら、それでもいい。戦闘データも、渡したくなければ渡さなくていい」
「……本当に?」
「うん」
「使わないと言っても?」
「それも選択だから」
今度こそ。
サーシャは何も言わなかった。
少しして、一つのカプセルを手に取る。
「なら、使わせてもらう」
「ありがとう」
「礼を言うのはこっちだろ」
「データ取れたら嬉しいから」
「結局研究者なんだな、お前は」
◇
他のメンバーも、それぞれカプセルを受け取っていく。
レイノルドは「武器が増えるというより手数を増やす道具か」と興味深そうに眺め、ロビンとタイクーンも自分の戦い方との組み合わせを考え始める。
そして。
「ピアソラ」
「何よ」
ハイセが別の袋を差し出した。
「これはデミルークスじゃない」
「じゃあ何?」
「人間用スキンケア」
「…………」
一瞬で。
ピアソラの目が変わった。
「保湿重視?」
「うん」
「香り」
「弱め」
「刺激」
「低めにした」
「…………」
「あと」
もう一つ。
小さな箱。
「ウォークマン」
「…………」
「欲しいって言ってたから」
ピアソラは無言で受け取った。
「どう?」
「……あんた」
「うん?」
「こういうところだけ妙に律儀ね」
「約束したから」
サーシャが横から身を乗り出す。
「何でピアソラまでハイセから色々貰ってるんだ!?」
「約束を守ってもらっただけでしょうが!!」
「ウォークマンまで!」
「欲しかったんだから仕方ないでしょ!」
「ハイセの歌が入ってるやつだろ!」
「リューネハイムも入ってるわよ!」
「そこじゃない!!」
昨日までの示談交渉とは別方向で。
また。
戦争が始まった。
◇
少し離れたところで、プレセアが笑っていた。
「相変わらず賑やかね」
「プレセア」
「何かしら?」
ハイセが、もう一つのケースを差し出した。
「これはデミルークスじゃない」
「でしょうね」
プレセアは受け取る前から分かっていた。
ケースを開く。
複数の構造体が、淡い光を放つ。
万能対応型強化煌式武装。
【ランビリス】。
「正式にプレセアへ渡したい」
「私に?」
「大塩湖で、武器を選ぶこと自体はもう覚えたから」
ハイセは言う。
「今度は、一つの武器の中で選べると思う」
攻撃。
防御。
拘束。
機動。
無数の構造体を、状況に応じて組み替える。
プレセアには。
よく似合う。
「……ありがとう」
プレセアは指先で構造体へ触れた。
「大切に使うわ」
「壊してもいいよ」
「そういう一言で雰囲気を壊すの、やめた方がいいと思うわ」
「データ欲しいし」
「ええ。知っているわ」
もう。
この程度では驚かない。
◇
もう一人。
ヒジリは、王都の訓練場にいた。
「アタシに?」
目の前に置かれた武器を見る。
高機動射撃型強化煌式武装。
【ケリードーン】。
「ジークフリートじゃなくて?」
「ジークフリートは試験機だから」
「結構気に入ってたんだけどなぁ」
「欲しい?」
「いや、こっちの方が面白そう」
ヒジリは即答した。
さすがだった。
「これ、飛べるんでしょ?」
「うん」
「撃てる?」
「かなり」
「速い?」
「かなり」
「最高じゃん!」
既に拳しか使わなかった頃の発想ではない。
ヒジリ自身。
【ジークフリート】との戦いで。
武器が自分を変えるのではなく、自分が武器から新しい戦い方を選べることを知っている。
「じゃ、アタシ専用ってことでいい?」
「登録する」
「よし!」
ヒジリは満面の笑みで拳を握った。
「次サーシャとやる時は、ちゃんと説明しといてよ?」
「…………」
「何その間」
「今度はする」
「絶対?」
「多分」
「そこは絶対って言いなよ!」
とうとう。
ヒジリからも叱られた。
◇
翌日。
ハイセは。
ガイストの前で。
正座していた。
「何度目だ」
「何が?」
「ワシがお前をこうして説教するのは何度目だと聞いている」
「数えてない」
「ワシも数えたくない!!」
ガイストは頭を抱えた。
ジークフリート事件。
世論再炎上。
追放事件公開。
巨額慰謝料。
デミルークス。
ランビリス。
ケリードーン。
「少し目を離しただけで、何故話がここまで増える!」
「忙しかったから?」
「誰のせいだと思っている!」
「エルネスタ?」
「お前だ!!」
即答だった。
◇
説教が一時間ほど続いた頃。
ガイストは。
ふと。
ハイセを見る。
「一つ」
「何?」
「説教とは関係ない質問をしていいか」
「うん」
ガイストは少し迷った。
昔。
ハイセ。
サーシャ。
ガイスト。
三人で。
鍛錬していた頃。
二人がいつか。
今とは違う形で。
隣に立つ未来を。
ほんの少しだけ。
考えたことがある。
「お前は今」
「うん」
「サーシャを、どう思っている」
「…………」
ハイセは。
数秒。
考えた。
ガイストは。
待った。
「研究とアイドル活動の邪魔さえして来なければ」
一拍。
「どうでもいい」
「…………」
ガイストの。
表情が。
止まった。
「ガイスト?」
「…………そうか」
「何?」
「いや」
「何かある?」
「何でもない」
声が。
やけに。
遠かった。
◇
ガイストは窓の外を見た。
憎んでいる。
そう言われた方が。
まだ。
何か残っているように思えたかもしれない。
好きだと言われれば。
もちろん。
昔思い描いた未来も。
まだあった。
だが。
どうでもいい。
それは。
怒りさえ。
もう。
ハイセの人生の中心ではないということだった。
「……終わった」
「何が?」
「ワシの中で少しだけ期待していた未来がだ」
「?」
「分からんでいい」
「サーシャと何かあるの?」
「もう何もない!!」
「何で怒るの?」
「怒ってない! 悲しいんだ!!」
ハイセは。
ますます分からなかった。
◇
部屋を出ると。
ちょうど。
ピアソラが立っていた。
「何してるの?」
「ちょっと用事」
ガイストは。
深いため息を吐く。
「どうしたんです?」
「未来が消えた」
「また大袈裟な」
「ハイセに、サーシャをどう思っているか聞いた」
「…………」
ピアソラの顔が。
僅かに。
引きつる。
「何て?」
「研究とアイドル活動の邪魔さえしなければ、どうでもいい、と」
「…………」
二人。
沈黙。
ピアソラも。
さすがに。
少し。
遠い目をした。
「……終わってますね」
「だろう?」
「恋愛的には」
「ああ」
「でも」
ピアソラは。
少し考える。
「前よりは、マシじゃないですか?」
「何が?」
「昔は、サーシャのことを憎むのも、怒るのも、ハイセの人生のかなり大きな部分だったんでしょう?」
「…………」
「今は、自分のやりたいことがある」
研究。
歌。
仲間。
武器。
世界。
「サーシャがいなくても、自分の人生を進めるようになった」
ガイストは。
しばらく。
何も言わなかった。
「……そうだな」
寂しくはある。
だが。
悪いことではない。
「ワシが勝手に期待していただけか」
「そういうことですね」
「少しは慰めろ」
「じゃあ」
ピアソラは。
ウォークマンを取り出した。
「ハイセの歌でも聴きます?」
「それは今、一番複雑だ」
◇
その夜。
アルルカント。
市場分析画面には。
新しい項目が追加されていた。
強化型煌式武装
ランビリス。
ケリードーン。
そして。
既存規格拡張用
簡易煌式複装。
デミルークス。
カミラは。
並んだ三つの規格を見る。
「これなら」
「何?」
ハイセが尋ねる。
「少なくとも、強化型を選ばないという選択肢は残る」
「うん」
「まだ足りないがな」
「何が?」
「私達自身が入口を握っている問題だ」
ハイセも。
画面を見る。
「じゃあ次は」
「次は?」
「俺達がいなくても、これが続く方法を作る」
カミラは。
小さく笑った。
「簡単に言うな」
「難しい?」
「かなり」
「じゃあ面白そう」
「…………」
カミラは。
ハイセを見る。
「本当にエルネスタに似てきたな」
「嫌?」
「ものすごく不安だ」
研究室に。
笑い声が響いた。
過去は消えない。
追放されたことも。
片目を失ったことも。
サーシャを踏み台にしたことも。
全部。
残っている。
それでも。
ハイセは。
そのどれも。
もう。
自分を縛る鎖として。
握り続けるつもりはなかった。
武器を選ぶ自由。
選ばない自由。
そして。
過去に縛られない自由。
ハイセが手放したものは。
また一つ。
増えていた。