暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
懇親会から数日後。
ハイベルグ王都の訓練場で、サーシャは一人の女性と向かい合っていた。
長い黒髪を後ろへ流し、構えているのは何の変哲もない一本の木刀。煌式武装でもなければ、魔剣でもない。魔力による派手な強化さえ見当たらず、そこだけ見れば冒険者ギルドの初心者用訓練場にいてもおかしくない姿だった。
「……本当にそれでいいのか?」
サーシャは自分の剣を見る。
「私は普段通りで構わないと言われたんだが」
「ええ」
天霧遥は穏やかに微笑んだ。
「その方が、分かりやすいでしょうから」
「何が?」
「戦えば分かるわ」
その言い方に、サーシャの眉が僅かに動いた。
少し離れた場所ではハイセ、ピアソラ、プレセア、それにガイストが観戦している。何故こんな組み合わせになったのかと言えば、ハイセが「サーシャに一度、綾斗の家の剣術を見せたら面白そう」と言い出し、それを聞いた遥本人が快諾したからだった。
「……お前」
サーシャが横目でハイセを見る。
「また何か企んでないだろうな?」
「今回は何もしてないよ」
「本当か?」
「装備も普通の木刀だし」
「その言い方がもう不安なんだ!」
遥が小さく笑った。
「安心して。これは本当に普通の木刀よ」
「武器が普通でも使う人間が普通じゃない可能性があるんだが」
「学習したわね」
ピアソラが感心する。
「誰のせいだと思ってる!」
◇
「では」
ガイストが手を上げた。
「始め!」
サーシャが先に動いた。
迷いはない。最初から距離を詰め、遥の右肩を狙って鋭く踏み込む。
だが。
「……え?」
剣が届くより先に、木刀が軽くサーシャの手首へ触れた。
強打ではない。
ほんの僅か。
それだけで剣先が数センチずれ、遥の身体の脇を通過した。
「っ!」
サーシャはそのまま左足を軸に身体を回し、横薙ぎへ繋ぐ。
遥は半歩下がった。
それだけだった。
剣が空を切る。
「まだ!」
三撃目。
踏み込み。
しかし今度は、木刀の先端が肘の内側へ触れた。
「――っ!」
腕に力が入らない。
攻撃そのものを受け止められたわけではない。
なのに。
振れない。
「何だ……?」
サーシャが距離を取った。
遥は追わない。
「続けていいわよ」
「……言われなくても!」
◇
五分後。
サーシャの顔から余裕が消えていた。
「くっ……!」
踏み込む。
木刀が肩へ。
右へ回る。
手首。
距離を空けて突く。
半歩ずらされ、今度は足首。
攻撃を受けている感覚すら薄い。
それなのに。
何一つ。
思い通りに出来ない。
「……速いわけじゃない」
プレセアが呟いた。
「ええ」
ガイストも目を細める。
「サーシャより極端に速いわけでも、力が強いわけでもない」
ピアソラが聞く。
「じゃあ何で、ここまで一方的なの?」
ハイセが答えた。
「動く前に潰してる」
「動く前?」
「サーシャが剣を振るには、肩とか腰とか足から動くでしょ。その起点を先に触られてる」
サーシャの攻撃そのものを防ぐ必要がない。
攻撃へ移るための最初の動作。
そこだけを。
遥は見ていた。
◇
「っ、あああっ!」
サーシャが力任せに踏み込んだ。
速度を上げる。
剣へ込める力も上げる。
ならば。
技術で処理出来ないほどの圧力をぶつければいい。
そう考えた。
遥は。
初めて。
僅かに表情を変えた。
「やっぱり」
「何が!」
サーシャの剣が振り下ろされる。
遥が前へ出る。
「なっ……」
逃げるのではない。
懐へ。
木刀が。
サーシャの喉元へ。
止まった。
「――――」
サーシャの剣は。
まだ。
振り下ろし切っていない。
「終わりね」
遥が言った。
◇
静寂。
サーシャは。
自分の喉元にある木刀を見る。
次に。
自分の剣。
そして。
遥。
「……もう一度」
「いいわよ」
即答だった。
二戦目。
三分。
敗北。
「もう一度!」
三戦目。
二分。
敗北。
「……もう一回だ!」
四戦目。
今度は。
一分半。
「なんで短くなってるのよ!?」
ピアソラが思わず叫んだ。
「癖を覚えられてる」
ハイセが答える。
「最悪じゃない!!」
◇
五戦目。
サーシャは。
初めて。
すぐには動かなかった。
「…………」
遥も。
待つ。
サーシャは剣を構えながら、これまでの敗北を思い返していた。
右から。
駄目。
左。
駄目。
速度。
駄目。
力。
駄目。
なら。
「……私」
ぽつりと。
口から出た。
「最初から、全部決めてるのか?」
遥が。
少しだけ。
微笑んだ。
「ようやく気づいた?」
「…………」
「あなたは相手を見る前に、自分の答えを決めている」
サーシャの指が。
柄を握り直す。
「剣を振ると決める。届かないなら速くする。止められたら強くする」
「……悪いのか?」
「悪くないわ」
遥は首を振る。
「それで勝てる相手なら」
◇
サーシャの目が鋭くなる。
「じゃあ、私の何が駄目だ」
「駄目とは言ってない」
遥は木刀を構え直した。
「ただ、あなたは強いから」
一歩。
「自分の強さで、相手を自分の答えへ押し込む癖がある」
その言葉に。
サーシャが。
固まった。
剣の話。
のはずだった。
なのに。
頭に浮かんだのは。
別のものだった。
弱かった頃の。
ハイセ。
本人へ聞かず。
自分達で。
正しい答えを決めた。
追放。
「…………」
遥は。
そこまで知っているわけではない。
ただ。
剣を見て。
そう言っただけだ。
「相手がどう動くかを見てから決めても遅くないわ」
「……見てから」
「ええ」
「自分の答えを、後から決める?」
「それが出来れば」
遥が笑った。
「もっと強くなると思うわよ」
◇
五戦目。
サーシャは。
負けた。
だが。
四戦目までとは。
少しだけ違った。
遥の木刀が手首へ来る。
サーシャは。
初めて。
剣を振るのをやめた。
途中で。
止めた。
別の角度へ。
変えた。
木刀が。
一瞬だけ。
空を切る。
「…………」
遥の目が。
少しだけ。
楽しそうに細くなった。
その直後。
別の木刀の一撃で。
サーシャは普通に倒された。
「結局負けるのか!!」
地面へ転がったまま叫ぶ。
「一回で勝てるようになったら、私が落ち込むわ」
遥は笑っていた。
◇
サーシャは。
仰向けのまま。
空を見る。
「……完敗だ」
「ええ」
「否定しないんだな」
「した方がいい?」
「いや」
サーシャも。
少し笑った。
「その方がいい」
遥が。
木刀を差し出す。
「立てる?」
「ああ」
サーシャは。
その手を取った。
「また相手してくれるか?」
「もちろん」
「次は一本取る」
「楽しみにしてるわ」
その会話を見ていたガイストが。
満足そうに頷く。
ハイセも。
珍しく。
何も茶化さなかった。
◇
一方。
その頃。
アスタリスク。
「ユリスさん」
クローディア・エンフィールドは。
とても。
綺麗な笑顔をしていた。
「断る」
ユリスは即答した。
「まだ何も言っておりませんわ」
「お前がその顔をして私に近づいて来た時点で、面倒事なのは分かっている!」
「まあ」
「何だその残念そうな顔は!」
「学習されてしまいましたわね」
クローディアは。
一枚の資料をテーブルへ置いた。
「では報酬額だけご覧になります?」
「見ない!」
「リーゼルタニアの年間福祉予算の――」
「見る」
「早いですわね」
◇
ユリスは。
資料を。
見た。
「…………」
もう一度。
見た。
「…………クローディア」
「はい?」
「これは本当に、この額なのか?」
「【狂乱磁空大森林】と《ドレナ・デ・スタールの空中城》、双方の踏破報奨金。希少資源の適正配分を含めれば、さらに増える可能性がありますわ」
「…………」
ユリスは。
静かに。
資料を置いた。
そして。
立ち上がる。
「綾斗!」
「え?」
「紗夜!」
「いる」
「綺凛!」
「は、はい!」
「出発するぞ!!」
天霧綾斗は。
何の話なのか。
まだ。
聞いてすらいなかった。
◇
「ちょっと待って!」
綾斗がユリスを追う。
「どこへ!?」
「異世界だ!」
「何しに!?」
「ダンジョン攻略!」
「急すぎない!?」
「報酬が出る!」
「ユリス、お金に困ってるの!?」
「私ではない!!」
ユリスが。
振り返る。
「リーゼルタニアへ回す!」
「…………」
綾斗が。
黙った。
「国や孤児院の設備を一気に更新出来る額だ。なら行く」
「そういうことなら分かった」
綾斗は。
あっさり頷いた。
ユリスが。
一瞬。
目を逸らす。
「……すまないな」
「いいよ」
「私も問題ない」
紗夜も。
当然のように。
加わる。
「わ、私も頑張ります!」
綺凛も。
拳を握った。
クローディアは。
その様子を。
にこやかに見送った。
「行ってらっしゃいませ♪」
誰も。
その笑顔を。
疑わなかった。
◇
初日。
【狂乱磁空大森林】。
「道が動いてる」
綾斗が言う。
「迷路の方から配置を変えているのか」
ユリスが周囲を見る。
紗夜。
「撃てばいい?」
「待て!」
ユリスが止める。
「森を全部吹き飛ばすな!」
「最短」
「報酬対象まで消えたらどうする!」
綺凛が。
地面を見る。
「足跡が……途中で消えてます」
「なら上から見るか」
綾斗が。
普通に。
木へ飛び乗った。
さらに。
上。
枝。
頂上。
「…………」
ユリス達が。
上を見る。
「こっちに抜け道がある!」
「綾斗」
「何?」
「お前、本当にこういう時だけ妙に器用だな」
「褒められてる?」
「たぶん」
◇
三日目。
【狂乱磁空大森林】。
踏破。
「早くない?」
ギルド職員が聞いた。
「そうか?」
ユリスは普通だった。
「通常想定期間の……」
職員が資料を見る。
黙る。
「何だ」
「いえ」
もう。
考えないことにした。
◇
四日目。
《ドレナ・デ・スタールの空中城》。
「綺麗ですね……」
綺凛が。
空に浮かぶ巨大な城を見る。
「観光に来たんじゃないぞ」
ユリスが言う。
紗夜。
「写真くらい」
「……一枚ならいい」
ユリスも撮った。
「撮ってるじゃん」
綾斗が笑う。
「リーゼルタニアの資料用だ!」
「はいはい」
◇
攻略は。
順調だった。
順調。
という言葉では。
少し足りないほど。
速かった。
綾斗。
ユリス。
紗夜。
綺凛。
四人とも。
元々。
アスタリスクでも。
最上位クラス。
そこへ。
異世界側の攻略支援技術。
《ジグラット》。
安全情報。
地図。
さらに。
最低限の。
【雛形】補助。
探索を止める理由が。
ほとんどなかった。
◇
六日目。
「右から来る!」
綺凛が叫ぶ。
綾斗が前へ。
攻撃を受け流す。
ユリスの炎。
紗夜の射撃。
綺凛の一刀。
そして。
綾斗が。
最後に。
敵の中心へ。
剣を入れる。
一瞬。
静寂。
「終わった?」
「終わったみたい」
綾斗が答える。
「……早くないか?」
ユリスが言った。
「ユリスが言う?」
「私が言うから問題なんだ!!」
◇
七日目。
天空城。
踏破。
「…………」
冒険者ギルド。
職員。
沈黙。
「報酬」
ユリスが言った。
「はい」
「リーゼルタニアへの送金手続きも頼む」
「はい」
「どうした?」
「いえ」
職員は。
もう。
何も。
考えたくなかった。
◇
その翌日。
ハイベルグ。
サーシャは。
遥との。
六戦目へ向けて。
木刀を握っていた。
「今度は木刀?」
ハイセが聞く。
「剣以前の問題なら、剣からやり直す」
「いいと思う」
「珍しく普通に褒めるんだな」
「何で?」
「お前だから」
「酷くない?」
その時。
ギルド。
大騒ぎ。
「何だ?」
サーシャが振り返る。
大型掲示板。
更新。
冒険者総合ランキング
順位。
変動。
◇
第1位
天霧綾斗
「…………」
サーシャが。
固まった。
「え?」
ハイセも。
固まった。
その下。
同率第2位
ハイセ/Yami_Q_ray
シルヴィア・リューネハイム
禁忌迷宮。
世界間交流。
討伐実績。
技術貢献。
さらに。
圧倒的な。
話題性。
その全てを。
総合評価した結果だった。
「シルヴィアと同率」
ハイセが言う。
「嬉しそうにするな!」
「何で?」
「問題はそこじゃない!」
サーシャが。
一位を見る。
「何で」
もう一度。
「何で天霧綾斗が一位なんだ!!!」
◇
本人も。
同じことを言っていた。
「何で!?」
綾斗が。
ランキングを見る。
「僕!?」
「綾斗」
ユリスが。
ものすごく。
気まずそうな顔をする。
「すまん」
「何で謝るの!?」
紗夜が。
ランキング内訳を見る。
「狂乱磁空大森林踏破」
「うん」
「天空城踏破」
「うん」
「二迷宮連続」
「うん」
「最終戦闘貢献」
「みんなで倒したよね!?」
「特殊資源回収」
「ユリスが持ってたよね!?」
「指揮補正」
「僕、指揮した!?」
綺凛が。
小さく。
手を上げた。
「綾斗先輩、皆が迷った時に何度か方角を決めてました」
「それで!?」
「あと」
紗夜。
「話題性」
「僕、ライブもしてないよ!?」
「禁忌六迷宮を二つ、一週間で攻略した」
「それは僕だけじゃないよね!?」
ユリスが。
綾斗の肩へ。
手を置いた。
「諦めろ」
「何を!?」
◇
その頃。
クローディア。
ランキングを見る。
「まあ」
紅茶。
一口。
「予想以上でしたわね」
誰も。
聞いていなかった。
◇
ハイベルグ。
サーシャは。
まだ。
掲示板を。
見ていた。
「ハイセ」
「何?」
「天霧家は何なんだ」
「何って?」
「姉は木刀一本で私を五回連続で倒す」
「うん」
「弟は一週間で【狂乱磁空大森林】と天空城を踏破してランキング一位」
「うん」
「お前はその弟から戦闘記録貰って家宝にして」
「うん」
「電車の本も貰って永久保存して」
「うん」
「写真集まで送った」
「うん」
サーシャが。
深く。
息を吸った。
「また天霧かぁぁぁぁぁぁ!!!」
王都へ。
久しぶりの。
全力絶叫が響いた。
◇
「元気ね」
遥が言った。
「姉の前で言うな!!」
「綾斗、何かした?」
「してないから余計腹立つんだ!」
「理不尽ね」
「分かってる!!」
サーシャは。
荒く息を吐く。
そして。
もう一度。
木刀を構えた。
「遥」
「ええ」
「もう一戦」
「いいわよ」
「今度は」
サーシャは。
すぐには。
踏み込まなかった。
「ちゃんと相手を見てから決める」
遥の。
表情が。
少しだけ。
柔らかくなる。
「それでいいわ」
◇
開始。
遥。
木刀。
サーシャ。
木刀。
向かい合う。
今度は。
サーシャは。
先に答えを決めなかった。
遥の肩。
足。
呼吸。
重心。
見る。
待つ。
そして。
相手が動いた。
その後で。
サーシャが。
自分の答えを選ぶ。
木刀。
木刀。
初めて。
音が。
正面から。
ぶつかった。
「…………!」
サーシャの目が。
大きくなる。
遥は。
楽しそうに。
笑った。
「今のは良かったわよ」
「……まだ一本じゃない」
「そうね」
「なら続ける!」
また。
剣が。
交わる。
その日。
サーシャは。
一本も取れなかった。
それでも。
最初の日とは。
まるで。
違っていた。
強さとは。
自分の答えを。
相手へ。
押しつけることではない。
見て。
聞いて。
その上で。
選ぶこと。
サーシャは。
ようやく。
剣から。
それを。
学び始めていた。
なお。
同じ頃。
天霧綾斗は。
冒険者ギルドから届いた。
大量の。
指名依頼を前に。
「……僕、学生なんだけど」
と。
静かに。
頭を抱えていた。