暗律の戦乙女は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
クレアの本格的な剣術訓練が始まってから、三日が経った。
もっとも、「本格的な剣術訓練」という呼び方が正しいのかは、本人にもよく分からなくなっている。漫画を読み、ディルクから心理戦を学び、エルネスタとカミラから派閥の切り崩し方まで叩き込まれた末に、ようやく剣を持たされたと思えば、ハイセから出された最初の課題は「自分に勝て」ではなかった。
「もう一回」
「はい!」
訓練場の中央で、クレアが二本の木剣を構える。
向かいに立つハイセは一本だけだった。
「俺を倒さなくていい。攻撃も当てなくていい」
「昨日から聞いてます!」
「じゃあ目的は?」
クレアは少し考え、答えた。
「師匠に、私がさせたい行動を選ばせること」
「そう」
ハイセが木剣を構えた。
「始めようか」
◇
クレアが右へ動いた。
ハイセは追わない。
次に左。
それでも動かない。
「……やっぱり待ってますね」
「クレアが何かしようとしてるの分かってるからね」
「ですよね」
クレアは一度、正面から距離を詰めた。
二本。
左右から連続攻撃。
ハイセが一本目を受け、二本目を避ける。クレアは追撃せず、すぐ後ろへ下がった。
「何で追わなかったの?」
「追ったら師匠の間合いだったからです」
「正解」
「でも」
クレアは自分の剣を見る。
「これじゃ、普通ですよね」
「うん」
「……ですよね」
ハイセはあっさり認めた。
◇
「クレア」
「はい?」
「漫画を読んで何を覚えた?」
「発想力です」
「ディルクからは?」
「相手を失敗させること」
「カミラとエルネスタからは?」
「相手の集団とか考え方を、一枚岩だと思わないこと」
「じゃあ」
ハイセは自分の木剣を軽く振った。
「何で自分の攻撃だけ、本物だと思ってるの?」
クレアが止まった。
「……え?」
「斬るための動きに見せて、斬らなくてもいい」
「…………」
「下がるために下がらなくてもいいし、右へ行きたいから右を見なくてもいい」
そこで。
クレアの表情が。
ゆっくり変わった。
「……嘘をつく?」
「そう」
◇
次の一戦。
クレアは先ほどと同じように右へ動いた。
ハイセは待つ。
左。
同じ。
正面から踏み込む。
右の木剣を大きく振りかぶった。
「それは――」
ハイセが迎撃へ移る。
だが。
クレアは振らなかった。
「!」
右を振ると見せて。
身体だけを半歩沈める。
左の木剣も使わない。
そのまま。
ハイセの横を。
通り抜けた。
「……何もしない?」
「はい!」
「目的は?」
「師匠を右へ動かすことでした!」
ハイセを見る。
確かに。
迎撃しようとしたハイセは。
右足へ重心を移していた。
「成功?」
「成功」
クレアの顔が、一気に明るくなった。
◇
そこから。
変化は早かった。
最初は「斬るふりをして斬らない」程度だった。次は「下がるふりをして前へ出る」、その次は「右へ誘導すると見せて、相手がそれを警戒した瞬間に中央を取る」。
だが、ハイセが一度見た嘘は二度目には通じない。
クレアも。
そこに気づいた。
「同じ嘘じゃ駄目なんですね」
「もちろん」
「じゃあ」
クレアは少し考える。
「最初に、本当のことを何回か見せたら?」
「……続けて」
「右の剣を振りかぶったら、最初の三回は本当に右から斬る」
「うん」
「相手が『右の振りかぶり=右から来る』って思い始めたら、四回目だけ違うことをする」
ハイセの口元が。
少し。
上がった。
「それ」
◇
偽の情報だけでは弱い。
嘘は。
信じてもらえなければ。
ただの奇行になる。
だから。
まず本当の情報を与える。
同じ動き。
同じ攻撃。
同じ結果。
相手の中へ。
「こうなる」という答えを作る。
その答えが強くなったところで。
裏切る。
「……これ」
クレアが呟く。
「派閥の話と同じ?」
「どういう意味?」
「最初から嘘の条件を出したら警戒される。でも本当に欲しいものを何回か渡して、信用させてから別の条件を混ぜる」
「カミラが聞いたら嫌そうな顔しそう」
「教えたのカミラさんですよ!?」
「本人は多分、そこまで剣に応用すると思ってない」
「じゃあ黙っておきます?」
「それもディルクっぽくなってきたね」
「嫌な成長の褒め方しないでください!」
◇
さらに数日後。
クレアの動きは。
明らかに変わっていた。
型そのものを捨てたわけではない。基礎となる剣術も、足運びも、重心移動も残っている。
ただ。
そこから先の選択だけが。
異様に自由だった。
攻撃途中でやめる。
防御へ入った瞬間に攻撃へ切り替える。
あえて不利な角度へ入り、相手がそこへ食いついた瞬間だけ別の間合いへ移る。
何より。
本人が。
楽しそうだった。
「今、何で左から来たの?」
ハイセが尋ねる。
「右だと当たらなそうだったので!」
「その前に右を二回見せた理由は?」
「何となく、次は右を警戒しそうだったからです!」
「理屈は?」
「今考えます?」
「……いいや」
ハイセは少し遠い目をした。
理屈を教えた。
構造を教えた。
誘導を教えた。
その結果。
最後の最後だけ。
クレアは感覚で全部繋ぎ始めていた。
「すごいね」
「本当ですか!?」
「多分、俺より説明出来ないタイプになる」
「それ褒めてます!?」
◇
そして。
訓練場へ。
一つのケースが運び込まれた。
「クレア」
「はい?」
「これ使ってみて」
ハイセがケースを開く。
内部。
二振りの煌式武装。
柄と刀身は左右で対になっているが、中央部には通常の双剣には存在しない接続機構が設けられている。
「……双剣?」
「普段はね」
「普段は?」
ハイセが一本を手に取り、もう一振りと接続する。
機構。
固定。
刀身構造。
変化。
二振りだった武器が。
一つの巨大な刃へ。
姿を変える。
クレアが。
目を見開いた。
「大斧……?」
「双剣大斧一体型煌式武装」
ハイセはそれを渡した。
「【双月】」
◇
「これを……私に?」
「うん」
クレアは双月を受け取る。
まず双剣。
軽い。
左右。
振れる。
次に。
接続。
大斧。
明らかに重心が変わる。
「重い……!」
「最初はね」
「でも」
クレアは。
一度。
ゆっくり振る。
「面白い」
「でしょ?」
「これ、相手からしたら」
二振りへ戻す。
「私が双剣で戦う人に見える」
「うん」
「じゃあ双剣を何回も見せたら、その速さに合わせて防御するようになりますよね?」
「多分」
「そこで大斧」
「そう」
クレアが。
にやり。
笑った。
「逆も出来る」
「うん」
「大斧を何回か見せて、重い攻撃が来ると思わせて」
連結を解除。
双剣。
「途中で分ける」
「正解」
「……この武器」
クレアは。
ものすごく。
嬉しそうに。
言った。
「嘘つきですね」
「クレアに合うと思った」
◇
三日後。
ハイベルグ王都。
模擬戦場。
「どうして」
サーシャは。
双月を持つクレアを見て。
非常に。
嫌そうな顔をした。
「また武器が増えてるんだ?」
「師匠にもらいました!」
「…………」
サーシャが。
ゆっくり。
ハイセを見る。
「お前か」
「うん」
「何故」
「クレアに合うから」
「説明が短い!!」
ピアソラが後ろから覗き込む。
「また変なものじゃないでしょうね?」
「双剣と大斧になるだけ」
「“だけ”の基準がおかしいのよ」
プレセアは双月を興味深そうに見ていた。
「随分、面白い武器ね」
「プレセアまで喜ぶな!」
◇
「で」
サーシャがクレアを見る。
「その武器を見せるために呼んだのか?」
「それもあります」
「他には?」
クレアは。
少しだけ。
緊張した。
「サーシャさん」
「何だ?」
「一度、相手してもらえませんか?」
空気が。
変わる。
「私と?」
「はい」
サーシャの目が。
少し。
細くなった。
「ハイセ」
「何?」
「お前の差し金か?」
「違うよ」
「本当に?」
「クレアが自分で言った」
サーシャは。
少しだけ。
考えた。
そして。
笑った。
「いいぞ」
◇
開始位置。
サーシャ。
剣。
クレア。
【双月】。
双剣形態。
ガイストが中央に立った。
「模擬戦だ。致命傷へ繋がる攻撃は禁止。一本取った時点で一度止める」
「分かった」
「はい!」
サーシャは。
クレアを見る。
以前とは違う。
姿勢。
視線。
構え。
それでも。
まだ。
力そのものなら。
サーシャが上。
「始め!」
クレア。
踏み込む。
◇
速い。
だが。
サーシャには。
見える。
「右!」
一撃。
受ける。
左。
かわす。
右。
また。
受ける。
「……素直だな」
サーシャが呟いた。
双剣。
左右。
高速。
連撃。
クレアは。
同じ流れを。
繰り返す。
「速くはなった」
一撃。
「でも」
二撃。
「これなら」
受ける。
「読める!」
サーシャが。
前へ。
出る。
◇
クレアが。
下がった。
一歩。
二歩。
「距離を取り直す?」
サーシャは。
追う。
双剣使い。
近距離。
手数。
一度距離を外し。
再び。
踏み込む。
そう。
判断した。
クレアが。
二本の剣を。
中央へ。
寄せる。
「!」
接続。
【双月】。
大斧形態。
サーシャの目が。
変わった。
「変形――!」
◇
振り下ろし。
重い。
速さではなく。
一撃の質。
サーシャは。
即座に。
防御を変更する。
双剣用。
ではない。
重量攻撃を。
受ける。
構え。
「来い!」
クレアの。
大斧。
振り下ろされる。
その瞬間。
接続音。
解除。
「――なっ」
大斧が。
消えた。
再び。
二本。
サーシャが。
大斧を受けるために。
両腕へ。
力を集めた。
その外側。
クレア。
左。
一本。
回り込む。
「っ!」
剣先。
サーシャの。
肩。
触れる。
軽い。
音。
カンッ。
静寂。
◇
クレアは。
自分の剣を見る。
「…………」
サーシャも。
自分の肩を見る。
ガイストが。
確認する。
「一本」
「……入りました?」
クレアが。
恐る恐る聞く。
「入った」
ハイセが答える。
ピアソラ。
目を丸くしている。
「入ったわね」
プレセアも。
静かに頷く。
「ええ。綺麗に」
クレアの顔が。
一気に。
明るくなる。
「やった!」
サーシャだけが。
動かなかった。
◇
「…………」
数秒。
サーシャは。
クレアを見る。
次に。
双月。
そして。
ハイセ。
「なんで」
「何?」
「なんでこんなに強くなった?!」
ハイセは。
少し考えた。
「素質?」
「黙れ!!!」
王都。
今日も。
よく響いた。
「何が素質だ!!」
サーシャはハイセを指差す。
「漫画読ませて!」
「うん」
「ディルクに性格の悪い戦い方教えさせて!」
「言い方」
「エルネスタとカミラに派閥抗争教えさせて!」
「構造分析」
「シルヴィアに見せ方まで教えさせて!」
「大事だよ」
「最後に変形武器まで渡して!!」
「うん」
「それを全部やっておいて最後が『素質?』で済むかぁぁぁぁ!!!」
◇
クレアは。
少し。
申し訳なさそうに。
手を上げた。
「あの、サーシャさん」
「何だ」
「今の」
双月を見る。
「最初から大斧を当てるつもりじゃなかったんです」
サーシャが。
止まる。
「……何?」
「双剣を何回か見せたのも、大斧を見せたのも」
「…………」
「サーシャさんに、その時その時で一番正しい防御を選んでもらうためで」
サーシャの表情が。
変わった。
「私に」
ゆっくり。
言う。
「間違った答えを選ばせたんじゃない?」
「はい」
「正しい答えを」
「え?」
「その瞬間には正しい答えを選ばせて、その次だけ前提を変えた」
クレアが。
目を丸くする。
「……はい!」
サーシャは。
しばらく。
黙った。
そして。
笑った。
「なるほど」
◇
怒りが。
消えたわけではない。
だが。
剣士として。
理解した。
クレアは。
自分より。
速かったわけではない。
強かったわけでもない。
技量で。
上回ったわけでもない。
ただ。
サーシャ自身に。
答えを選ばせ。
その答えが。
次の瞬間。
間違いになるよう。
戦況を変えた。
「ディルクに」
クレアが言う。
「勝つことに拘るなって教わったんです」
「……あいつ」
「相手が失敗したら、それも自分の成功だって」
「余計なことを教えやがって」
「あとエルネスタさんが、相手が信じたい情報ほど利用しやすいって」
「もういい」
「カミラさんからは――」
「もういいと言っている!!」
◇
それでも。
サーシャは。
剣を。
もう一度。
構えた。
「クレア」
「はい?」
「もう一回だ」
「え?」
「今の手はもう知った」
クレアの顔が。
少し。
緊張する。
「同じ嘘は通じないぞ」
ハイセが。
横から。
言った。
「今度はさっきの手、通用しないね」
「はい」
クレアは。
双月を。
双剣形態へ戻した。
そして。
笑った。
「なら」
一歩。
構える。
「別の嘘をつきます!」
「…………」
サーシャが。
再び。
ハイセを見る。
「本当に」
深く。
息を吸う。
「何を育てたんだお前は!!!」
「ソードマスター?」
「疑問形で答えるな!!!」
◇
二戦目。
当然。
同じ手は。
通らなかった。
大斧への変形を見せても、サーシャは安易に重量防御へ移らない。分離を警戒し、クレア自身の足元まで見る。
だが。
クレアも。
同じことはしなかった。
今度は。
大斧へ。
本当に変形した。
「っ!」
サーシャは。
分離を待つ。
待った。
だから。
クレアは。
分離しない。
「今度はそのままか!」
「はい!」
大斧。
真正面。
振り抜く。
サーシャ。
受ける。
重い。
「くっ……!」
次。
クレアは。
分離。
すると。
サーシャも。
反応する。
だが。
クレアは。
攻撃しない。
そのまま。
距離を取る。
「…………」
「…………」
二人。
見合う。
サーシャが。
笑った。
「面白い」
◇
そこから。
模擬戦は。
長くなった。
クレア。
嘘。
サーシャ。
看破。
クレア。
本当。
サーシャ。
疑う。
その疑いを。
次の嘘へ。
利用する。
一度嘘をつけば。
次の本当すら。
疑わせられる。
だから。
クレアの剣は。
攻撃する前から。
相手の中へ。
入り込む。
右か。
左か。
双剣か。
大斧か。
攻撃か。
誘導か。
そもそも。
本当に。
斬るつもりなのか。
サーシャは。
次第に。
笑っていた。
「……いいな」
「え?」
「その剣」
クレアが。
少し。
目を見開く。
「まだ粗い」
「はい」
「力も足りない」
「はい」
「経験も少ない」
「はい……」
「でも」
サーシャは。
剣を。
構え直す。
「私にはない」
クレアの表情が。
変わる。
「続けるぞ」
「はい!」
◇
少し離れた場所。
プレセアが。
静かに。
二人を見る。
「認めたわね」
「サーシャが?」
ピアソラが聞く。
「ええ」
「さっきまであんなに怒ってたのに」
「それとこれは別なのでしょう」
ハイセが。
少しだけ。
笑う。
「サーシャ、剣のことになると素直だから」
「本人に言ったら怒るわよ」
「分かってる」
ピアソラは。
ハイセを見る。
「それにしても」
「何?」
「本当に、どうしてこんな育て方を思いつくの?」
「普通に剣だけ教えたら」
ハイセは。
クレアを見る。
「サーシャみたいにはなれても、サーシャを超える方法にはならないと思ったから」
「…………」
プレセアが。
少しだけ。
微笑んだ。
「だから、違う剣を作ったのね」
「うん」
◇
夕方。
模擬戦終了。
結果。
最初の一本。
クレア。
その後。
サーシャ。
圧勝。
まだ。
総合力では。
比べるべくもない。
それでも。
最初の一本だけは。
消えない。
クレアは。
地面へ座り込んでいた。
「疲れました……」
「当然だ」
サーシャも。
汗を拭う。
「でも」
少し。
笑う。
「次までに、もっと嘘を考えてこい」
「いいんですか?」
「次は全部見抜く」
「じゃあ、見抜かれたと思わせます!」
「…………」
サーシャが。
また。
ハイセを見る。
「どうしてもう一段あるんだ」
「素質?」
「その言葉を禁止する!!!」
◇
その日の夜。
クレアは。
寮で。
【双月】を。
机の上へ。
置いていた。
二本の剣。
そして。
一振りの大斧。
どちらが。
本当の姿なのか。
答えは。
どちらでもある。
どちらでもない。
相手が。
何だと思うかで。
意味が変わる。
クレアは。
少しだけ。
笑った。
「嘘つき」
双月へ。
そう呼びかける。
そして。
思い出す。
漫画。
ディルク。
エルネスタ。
カミラ。
シルヴィア。
最初は。
何一つ。
剣術に見えなかった。
けれど。
今なら。
分かる。
剣は。
斬るだけではない。
構える。
見せる。
待つ。
退く。
誘う。
信じさせる。
そして。
相手が。
自分で。
間違った未来を。
選ぶように。
導く。
それも。
一つの。
剣だった。
型を持ちながら。
型には。
縛られない。
理屈を学び。
最後には。
感覚で。
全てを繋ぐ。
新しい。
ソードマスターへの。
道。
その最初の一歩を。
クレアは。
確かに。
踏み出していた。