【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
その日の朝、ハイセはハイベルグ王都へ向かう予定だった。
サーシャへ【FAIR STAGE】の近況を伝え、クレアの【双月】についても追加データを渡す。ついでにガイストから頼まれていた資料まで持っていく、ただそれだけの、ごく普通の予定だった。
少なくとも、一本の通信が入るまでは。
『界龍第七学院、生徒会長が本日ハイベルグ王国へ向かう予定です』
ハイセは通信画面を見たまま、完全に止まった。
「…………」
カミラが横から資料を覗き込む。
「どうした?」
「予定変更」
「何があった?」
「今日はハイベルグ行かない」
「だから何故だ」
ハイセは荷物を抱え直した。
「范星露が来る」
カミラも一瞬だけ黙った。
「……ああ」
「分かった?」
「気持ちは分かった」
「じゃあ今日は研究室にいる」
「待て。お前、元々ここにいるだろう」
「もっと奥にいる」
「避難場所として研究室を使うな!」
◇
もちろん、ハイセはサーシャ達へ何も言わなかった。
理由は単純だった。伝えれば「何故お前は来ない」と聞かれるし、范星露について詳しく説明すれば、何故そこまで警戒しているのかまで話さなくてはならない。
ならば黙って避難する。
実に合理的な判断だと、本人だけは思っていた。
「何か忘れてない?」
エルネスタが笑いながら尋ねる。
「何を?」
「ハイベルグ側への警告」
「知らない方が自然に対応出来る」
「それ、言い訳だよね?」
「違う」
「目を逸らしながら言っても説得力ないよ♪」
ヒルダは隣で楽しそうに端末を操作していた。
「キヒヒ……范星露か。確かに君が逃げたくなる気持ちは分からなくもない」
「ヒルダまでそう言うの?」
「面白そうなものを見つけた時の研究者と、面白そうな才能を見つけた時の武人は、よく似ているからね」
カミラが二人を見比べる。
「お前が言うと妙な説得力があるな」
◇
同じ頃、ハイベルグ王国。
サーシャは訓練場で、一人木剣を振っていた。
最近は通常の鍛錬にも、天霧遥との稽古で得た考え方を意識して取り入れている。以前のように「こう斬る」と先に答えを決めるのではなく、相手の位置や呼吸、重心を見たうえで次の動作を選ぶ。
今日はプレセアが練習相手だった。
「右から行くわよ」
「わざわざ言うのか?」
「言った通りに来るとは限らないでしょう?」
「……クレアみたいなことするな」
「あなた、あの子との模擬戦で随分警戒心が強くなったもの」
プレセアが【ランビリス】を軽く展開する。
右。
サーシャは動かない。
構造体が一つ前へ出る。
まだ待つ。
次に左側の一片が僅かに角度を変えた瞬間、サーシャが踏み込んだ。
「そこ!」
プレセアが目を細めた。
以前なら、最初に見えた動きへ反応していただろう。
今は違う。
見て。
待って。
選ぶ。
「良くなったわね」
「遥に六回も転がされたからな」
「五回ではなく?」
「六回目も一本は取れてない!」
そこへ。
「ほう」
聞き慣れない声が割り込んだ。
◇
「面白いのう」
サーシャとプレセアが同時に振り返る。
訓練場の入口に、小柄な少女が立っていた。見た目だけなら、王都を観光している学生にしか見えない。
だが。
サーシャの身体が。
勝手に警戒した。
「…………」
剣を構えるつもりはなかった。
それなのに、手が柄へ近づく。
プレセアも気づいたらしい。
「あなた……誰?」
「わしか?」
少女は笑った。
「界龍第七学院生徒会長、范星露じゃ」
サーシャの表情が変わる。
「……アスタリスクの?」
「そうじゃ」
「何故ここにいる?」
「遊びに来た」
「観光か?」
「ついでに面白い弟子でも落ちておらんかと思うてな」
サーシャは嫌な予感がした。
最近、その直感だけは妙に当たる。
◇
范星露は訓練場へ入り、サーシャの周囲を一周した。
「な、何だ?」
「見ておる」
「何を?」
「色々じゃ」
サーシャの眉が寄る。
「そういう曖昧な言い方をする奴は、最近ろくなことをしないんだ」
「ほう。苦労しておるのう」
「主にハイセのせいだ」
「ハイセ?」
「知らないのか?」
「名は聞いておる。最近やたら騒ぎを起こしておる歌姫じゃろう?」
「騒ぎの規模まで把握してるなら十分だ」
范星露は楽しそうに笑い、もう一度サーシャを見る。
「しかし、なるほど。そなた、面白い癖を身につけておるな」
「癖?」
「相手を見てから動こうとしておる」
サーシャの目が鋭くなる。
「分かるのか?」
「丸見えじゃ」
◇
「悪いのか?」
「悪くはない」
星露はサーシャの正面へ立った。
「以前のそなたがどうであったかは知らぬが、今は相手を見てから答えを選ぼうとしておる。誰か良い師に会ったようじゃの」
「……天霧遥」
「ほう」
星露の顔が少し楽しそうになった。
「天霧か。なるほど、それでか」
「何だその納得の仕方は」
「じゃが」
星露は一歩近づいた。
「まだ遅い」
次の瞬間。
サーシャの頬へ。
指が触れていた。
「――っ!?」
サーシャが飛び退く。
見えなかったわけではない。
星露が動いたことも分かっていた。
それなのに。
避けると決めた時には。
もう触れられていた。
◇
「今、何をした?」
「歩いただけじゃ」
「嘘をつけ!」
「本当じゃよ」
星露は笑っている。
「そなたはわしを見た。腕が動くのも見えた。そこまでは良い」
「なら何故」
「その後で考えた」
サーシャが止まる。
「避けるべきか。受けるべきか。後ろか、横か。ほんの僅かじゃが、そなたは頭で答えを作った」
「それが駄目なのか?」
「戦いにおいては、僅かな思考も時間になる」
星露は自分の胸元を指差した。
「見ることと、考えることと、動くこと。そなたの中では、まだ三つに分かれておる」
「…………」
「一つにせよ」
◇
サーシャは黙った。
天霧遥から教わったのは、相手を見ることだった。
自分の答えを先に押し付けない。相手を観察し、その動きを確かめてから、自分の次を選ぶ。
それは確かに、今のサーシャを以前より強くした。
だが。
星露は。
さらに先を言っている。
「見る」
「うむ」
「考える」
「うむ」
「動く」
「それを順番にするな」
星露が笑う。
「見えた時には、身体も答えておるようにせよ」
「そんなことが出来るのか?」
「出来るから言っておる」
「簡単に言うな!」
「簡単ではないぞ?」
サーシャは頭を抱えた。
このタイプ。
知っている。
出来る側が当然のように無茶を言うタイプだ。
◇
「決めた」
星露が突然言った。
「何を?」
「そなた、今日からわしの弟子になれ」
「…………は?」
「才能はある。考え方も悪くない。何より、その程度で完成したと思っておらん顔が良い」
「待て」
「何じゃ?」
「私は一言も弟子になりたいと言ってない!」
「うむ」
「なら何故決まった!?」
「わしが決めたからじゃ」
サーシャの額に青筋が浮かぶ。
「アスタリスクの人間は全員こうなのか!?」
プレセアが、そっと視線を逸らした。
「私に聞かないでちょうだい」
◇
「断る」
サーシャは即答した。
「よいぞ」
「…………え?」
予想外にあっさりした返事だった。
星露は楽しそうに両手を後ろへ回す。
「弟子入りを強制してもつまらぬ。一度わしと戦って、それでも嫌なら断ればよい」
「……手合わせ?」
「そうじゃ」
サーシャの目が変わる。
「本当に、それで終わりか?」
「わしが嘘をつく理由があるか?」
「最近、嘘をつく剣士まで身近に出来たから疑う癖がついた」
「そなた、随分楽しそうな環境におるのう」
「私は全然楽しくない!」
だが。
手合わせそのものには。
興味があった。
◇
ガイストが呼ばれ、事情を聞くなり額を押さえた。
「何故私が少し目を離した間に、界龍の生徒会長とサーシャが戦うことになっている」
「私に聞くな」
「わしが誘った」
「あなたは即答しないでいただきたい」
ピアソラとレイノルドまで訓練場へ集まり、少し離れた場所で見守ることになった。
「大丈夫なの?」
ピアソラが尋ねる。
ガイストは范星露を見る。
「大丈夫かどうかで言えば、相手が悪すぎる」
「そんなに?」
レイノルドが小声で聞く。
「界龍第七学院の頂点だ」
「……サーシャ、何で受けたんだよ」
「本人に聞け」
その本人は。
既に剣を構えていた。
◇
「本気でいいのか?」
サーシャが確認する。
「好きにせよ」
「後悔するなよ」
「ほっほ。威勢が良いのう」
開始の合図。
サーシャは。
動かなかった。
まず見る。
星露の肩。
足。
腰。
呼吸。
重心。
天霧遥との稽古で身につけたものを、全て使う。
星露も動かない。
数秒。
「…………」
「…………」
サーシャが眉を寄せる。
「何故動かない」
「そなたが待っておるからじゃ」
「なら私から――」
その瞬間。
星露が消えた。
◇
「っ!」
右。
そう判断した時には。
背後。
サーシャは身体を回す。
星露の掌。
受ける。
いや。
受けようとした。
次の瞬間には。
足を払われていた。
「なっ――!」
視界。
反転。
サーシャは地面へ手をつき、強引に身体を回して立ち直る。
「まだ!」
踏み込む。
剣。
横薙ぎ。
星露は。
避けない。
剣が届く直前。
ほんの僅か。
身体をずらす。
空振り。
「くっ!」
返す。
突き。
その手首へ。
指先。
「――!」
力が。
僅かに逸れる。
次の瞬間。
星露の掌が。
胸元で止まっていた。
「一本じゃな」
◇
「…………」
サーシャは固まった。
時間にすれば。
数十秒。
いや。
もっと短い。
「もう一度」
「よかろう」
二戦目。
今度はサーシャから攻めた。
速さ。
力。
技術。
今持っているものを、全て使う。
だが。
当たらない。
星露は、遥のように攻撃の起点を一つずつ潰すわけではなかった。
サーシャが動く。
その流れの中へ。
自然に。
星露がいる。
剣を振れば、その先にはいない。
踏み込めば、自分の重心だけが前へ流れる。
守れば。
守ろうとした方向とは別の場所へ。
既に。
攻撃がある。
◇
三戦目。
サーシャは。
何も考えないようにした。
それが。
逆に。
駄目だった。
「頭を空にすることと、身体に任せることは違うぞ」
星露の足が、サーシャの足首へ軽く触れる。
体勢が崩れる。
「くそっ!」
「考えるなとは言っておらぬ」
「さっき言っただろ!」
「考えることを遅くせよとは言った」
「同じじゃないのか!?」
「全く違う」
サーシャは。
本気で。
腹が立ってきた。
だが。
それ以上に。
面白かった。
◇
四戦目。
サーシャは。
一つだけ。
変えた。
星露を見る。
だが。
「どうする」と考えない。
右足。
僅かな変化。
身体が。
先に動く。
星露の指先が。
頬の横を。
通り抜けた。
「…………!」
初めて。
避けた。
サーシャ自身が。
一番驚いた。
「今の」
「うむ」
星露の目が。
楽しそうに細くなる。
「それじゃ」
「私、今何した?」
「知らぬ」
「教えろ!」
「自分の身体に聞け」
「無茶言うな!!」
◇
そのまま。
星露の拳が。
次の一撃へ繋がる。
今度は。
避けられない。
サーシャ。
地面。
転がる。
「……結局負けるのか」
「当然じゃ」
星露は悪びれない。
「一度出来たくらいでわしに勝てたら、わしが困る」
「天霧遥も似たようなこと言ってたぞ……」
「良い師ではないか」
「それは認めてる」
サーシャは。
地面へ座ったまま。
星露を見る。
「……もう一度」
星露の笑みが。
深くなった。
「よかろう」
◇
六戦目。
七戦目。
八戦目。
勝てない。
一度も。
だが。
少しずつ。
変わる。
最初は。
見てから。
考えていた。
次に。
見た瞬間。
動くようになった。
そして。
時折。
自分でも。
何故そう動いたのか。
説明出来ない瞬間が。
生まれ始める。
星露が。
それを。
見逃すはずもなかった。
「面白い」
九戦目の途中。
彼女は。
本当に。
楽しそうに笑った。
「何が?」
「そなた、理屈を捨てぬまま感覚へ入ろうとしておる」
「悪いのか?」
「逆じゃ」
星露が。
サーシャの剣を。
指一本で。
僅かに逸らす。
「大好物じゃ」
「言い方!!」
◇
結局。
サーシャは。
一本も取れなかった。
夕方。
訓練場。
完全に。
疲労。
地面へ。
仰向け。
「……死ぬ」
「元気そうじゃな」
「誰のせいだ」
「わしじゃな」
「自覚あるなら少しは申し訳なさそうにしろ」
范星露は笑っている。
「で?」
「何が」
「弟子になるか?」
サーシャは。
空を見る。
数秒。
そして。
「……なる」
「ほう」
「このまま帰られたら腹立つ」
「それが理由か?」
「あと」
サーシャは。
少しだけ。
笑った。
「もっと知りたい」
星露は。
満足そうに。
頷いた。
「よし。今日からわしの弟子じゃ」
◇
翌日。
何も知らないふりをして。
ハイセが。
ハイベルグへ戻ってきた。
扉を開ける。
「おはよう」
そこには。
サーシャ。
ガイスト。
プレセア。
ピアソラ。
レイノルド。
范星露。
全員。
いた。
ハイセは。
扉を。
ゆっくり。
閉めようとした。
「待て」
サーシャの声。
止まる。
「…………」
「入れ」
「研究が」
「入れ」
「カミラが呼んでる気が」
「今ここで殺されたくなければ入れ!!!」
「はい」
◇
ハイセは。
大人しく。
座った。
サーシャは。
非常に。
静かな顔をしている。
こういう時ほど。
怖い。
「ハイセ」
「何?」
「お前」
一拍。
「知ってたな?」
「何を?」
「范星露が来ることを」
「…………」
「知ってたな?」
ハイセは。
観念した。
「だから避難した」
サーシャの額に。
青筋。
「私を置いて!?」
「サーシャなら大丈夫だと思って」
「大丈夫じゃなかったから弟子にされたんだよ!!!」
◇
レイノルドが。
耐え切れず。
笑う。
「ぶはっ!」
「笑うな!!」
ピアソラも肩を震わせている。
「ご、ごめんなさい。でも……」
「何だ!」
「最近のサーシャ、先生増えすぎじゃない?」
「増やしたくて増やしてるんじゃない!!」
プレセアが。
指折り。
数える。
「天霧遥さん」
「うん」
「そして范星露さん」
「二人だけだ!」
「ハイセも昔から色々影響してるでしょう?」
「そいつは先生じゃない!」
ハイセが。
少し。
傷ついた顔をする。
「酷い」
「黙れ!!」
◇
その時。
范星露が。
ハイセを。
じっと見た。
「ほう」
ハイセが。
固まる。
「…………」
「そなたがハイセか」
「違います」
「お前今、名前呼ばれて返事しただろ!」
サーシャが突っ込む。
星露は楽しそうにハイセの周囲を歩く。
「歌姫。研究者。冒険者。天爵。妙な武器まで扱う」
「カミラ」
ハイセが立ち上がる。
「帰る」
「ここにカミラはいないぞ」
「じゃあ一人で帰る」
「逃げるな!!!」
范星露の目が。
ますます。
輝く。
「ふむ。そなたも面白そうじゃのう」
「全然面白くないです」
「少し手合わせを――」
「帰ります」
「待て待て」
「嫌です」
「即答か」
「嫌な予感には従うことにしてるので」
サーシャが。
ハイセの服を。
掴んだ。
「逃がすと思うか?」
「サーシャ」
「何だ」
「昨日の俺と同じ判断をしてる」
「お前だけ逃げ切ったのが腹立つんだよ!!!」
◇
結局。
その日の午後。
ハイセが范星露と戦ったかどうかは。
別の話として。
サーシャには。
新しい師が。
出来た。
天霧遥から学んだ。
相手を見ること。
先に。
答えを決めないこと。
そして。
范星露から。
新しく。
教わり始めた。
見ること。
考えること。
動くこと。
それらを。
別々の手順にしないこと。
頭で作った。
正解へ。
身体を。
追いつかせるのではなく。
身体も。
感覚も。
意識も。
同じ瞬間に。
答えへ。
辿り着かせる。
それは。
サーシャにとって。
これまでとは。
全く違う。
強さへの。
入口だった。
◇
夕方。
サーシャは。
再び。
木剣を持つ。
范星露。
正面。
「今日は何をする?」
「まず百回ほど転がってみるかの」
「もう少し段階というものを考えろ!!」
「大丈夫じゃ。才能はある」
サーシャは。
一瞬。
止まる。
最近。
似た言葉を。
聞いた。
クレア。
ハイセ。
「……まさか」
「何じゃ?」
「私も今後、何か聞かれるたびに」
嫌な顔。
「『素質?』で済まされるんじゃないだろうな」
星露が。
楽しそうに。
笑う。
「それも悪くないのう」
「悪いわ!!!」
ハイベルグ王都に。
また。
サーシャの。
元気な怒声が。
響いた。
そして。
遠く離れた。
アルルカント。
ハイセは。
何故か。
くしゃみをした。
「……嫌な予感する」
カミラが。
横を見る。
「お前は最近、その勘だけ妙に当たるな」
「帰らない方がいい?」
「今度は何をした」
「何も」
「その返事をもう信用出来ないんだよ!」