【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
クレアが【双月】を受け取ってから、しばらく経った。
戦い方は既に大きく変わっている。双剣と大斧、攻撃と誘導、本命とフェイント。それらを自在に入れ替えながら、相手自身に間違った答えを選ばせる剣は、短期間で彼女独自のものになり始めていた。
だからこそ。
「次はこれ」
ハイセが差し出した紙を見て、クレアはしばらく黙った。
そこには大きく。
【風鳴翼流・防人講座】
と書かれていた。
「師匠」
「何?」
「また変なもの始めました?」
「失礼な」
「漫画の次にディルクさん、その次に派閥切り崩しだった人が言います!?」
クレアの反論は、極めて正当だった。
◇
「今回はちゃんと剣術だよ」
「“今回は”って自分で言いましたね?」
「細かい」
ハイセは木刀を一本持ち、クレアの正面に立った。
「今のクレアって、相手に何を見せるか考えてるでしょ?」
「はい。それが私の戦い方なので」
「そこをやめる」
「…………え?」
クレアの顔から、自信が消えた。
「待ってください。それをやめたら、私の長所がなくなりません?」
「なくならないよ」
「でも」
「嘘をつくために、嘘らしい動きをしたら駄目でしょ?」
クレアが止まった。
◇
ハイセは木刀をゆっくり構える。
「今のクレアは、フェイントを上手く使える。でもフェイントをするとき、ほんの少しだけ『騙そう』って意識が出る」
「……分かります?」
「分かる人には」
「サーシャさんとか?」
「多分、今なら前より分かる」
范星露の弟子になり始めたサーシャは、既に「動きを見てから考える」段階を越えつつある。呼吸、気配、身体の流れ、その全体から反応する方向へ進んでいる以上、作為の混じったフェイントほど逆に拾われやすくなる。
「じゃあどうするんですか?」
「騙そうとしない」
「それで騙せるんです?」
「本当に斬るつもりで振ればいい」
「……斬るんですよね?」
「途中で違うと思ったらやめる」
「それフェイントでは?」
「結果的にはね」
クレアは頭を抱えた。
「もう意味が分かりません!」
◇
最初の課題は、驚くほど地味だった。
立つ。
構える。
抜く。
納める。
それだけ。
何百回繰り返しても、ハイセは「まだ」と言った。
「何が駄目なんです?」
「抜く前に、もう斬ろうとしてる」
「斬るために抜いてますから!」
「だから駄目」
「理不尽!」
ハイセは木刀を持ったまま、クレアの正面に立つ。
「剣を抜く前から『こう斬る』って決めてたら、相手にはもう答えが見えてる」
「じゃあ何も考えない?」
「それも違う」
「またそれですか!?」
最近クレアは、サーシャが星露へ怒鳴っていた理由を少し理解し始めていた。
◇
「守りたいものだけ決める」
「守りたいもの?」
「うん」
ハイセは静かに答える。
「誰を斬るかじゃなくて、何を守るためにここに立ってるか。それだけは最初から決めていい」
「それ以外は?」
「その時に決める」
「敵が動いてから?」
「敵も、自分も、周りも全部含めて」
クレアはしばらく考えた。
「それって……今までと逆ですね」
「そう?」
「今までは相手に何を思わせるか考えてました。でもこれは、自分が何をするかすら最初から決めない」
「うん」
「怖くないですか?」
「最初は」
ハイセは少し笑った。
「だから練習する」
◇
防人講座は、派手な技を一つも教えなかった。
呼吸を整える。
重心を落とす。
剣を身体から切り離さない。
相手を倒すことばかり考えず、守るべき範囲と自分の位置を意識する。
そして何より、無駄を削る。
「今の一歩、多い」
「え?」
「避けてから踏み込んだでしょ?」
「はい」
「避けながら踏み込める」
「……出来ます?」
「出来る」
「師匠、最近范星露さんみたいなこと言い始めてません?」
「嫌なこと言うね」
ハイセは少し傷ついた。
◇
だが。
一週間。
二週間。
クレアの動きから、少しずつ余計なものが消え始めた。
以前のクレアは、相手を騙すために多くの情報を見せていた。右を見せ、左を隠し、双剣を印象付け、大斧を本命として潜ませる。
今は違う。
右へ動く。
その瞬間は、本当に右が最善だった。
しかし相手が変化する。
なら左へ。
それも演技ではない。
「…………」
模擬戦の途中。
ハイセが剣を止めた。
「今の、何で左へ変えたの?」
「分かりません」
「考えなかった?」
「右へ行こうとしたら、違う気がして」
「それで?」
「身体が左へ行きました」
クレア自身が、不安そうな顔をした。
「……これ、合ってます?」
「合ってると思う」
「思う!?」
◇
さらに数日後。
ハイセは訓練方法を変えた。
クレアの正面へ立つのではなく、周囲に複数の簡易標的を配置する。攻撃対象は指定しない。
「全部倒せばいいんですか?」
「違う」
「じゃあ?」
「守るのは、あそこ」
訓練場の端。
一つだけ。
小さな旗。
「敵があの旗に触れたら負け」
「なるほど」
「クレアは何体倒してもいいし、一体も倒さなくてもいい」
「……また勝ち方を壊してきましたね」
「ディルクの授業覚えてる?」
「嫌というほど」
クレアは苦笑しながら【双月】を構えた。
◇
訓練開始。
三方向。
敵役。
クレアは一体目へ向かう。
途中でやめた。
二体目。
追わない。
三体目だけ。
斬る。
その判断に。
ほとんど迷いがない。
ハイセは途中から何度も敵の動きを変えたが、クレアは追いかけなかった。守るべき一点を中心に、自分と敵の位置が自然に組み替わっていく。
最後。
一体が旗へ飛び込む。
クレアは。
抜刀。
一閃。
それだけだった。
敵役の剣だけが弾かれた。
「…………」
静寂。
クレアは、自分の剣を見た。
「今」
「うん」
「私、何も考えてませんでした」
「何も?」
「旗を守らないと、ってことだけ」
ハイセの表情が。
少し変わった。
◇
「もう一回」
「はい」
二回目。
同じ。
三回目。
違う動き。
結果は同じ。
四回目。
敵が一体増える。
それでも。
クレアは無理に全部倒そうとしない。
斬る必要があれば斬る。
必要がなければ。
通す。
避ける。
誘導する。
そして。
最後だけ。
一太刀。
「…………」
五回目が終わった時。
ハイセは木刀を下ろした。
「クレア」
「はい?」
「多分」
少し考える。
「免許皆伝」
「…………」
「おめでとう」
「待ってください」
◇
「何?」
「私」
クレアは自分を指差した。
「何を会得したんですか?」
「剣禅一如みたいなもの?」
「何で師匠が疑問形なんですか!?」
「説明しづらいから」
「本人はもっと説明出来ませんよ!」
クレアは本気で困っていた。
「嘘をつく剣を練習してたはずなんです」
「うん」
「なのに最近、嘘つこうって考えなくなって」
「うん」
「フェイントしたと思ったら、本当に斬ってる時もあるし」
「うん」
「本当に斬ろうと思ったら途中でやめるし」
「うん」
「何なんですかこれ!?」
ハイセは少し考えた。
「自然体?」
「雑にまとめないでください!!」
◇
けれど。
それこそが。
今のクレアだった。
嘘をつく。
真実を見せる。
その二つを。
もう分けていない。
相手がどう動くか。
自分がどこにいるか。
何を守るか。
その瞬間に。
必要なものだけを選ぶ。
だから相手から見ても。
本命とフェイントの差が。
さらに消えた。
嘘をついているのではない。
相手が勝手に。
意味を決める。
そこまで。
剣が。
自然になった。
◇
「ということで」
ハイセは。
新しいケースを運んできた。
「卒業証書」
「紙じゃないんですか?」
「紙もあるよ」
「じゃあこれは?」
「おまけ」
「師匠のおまけ、毎回重いんですよ!」
ケースを開く。
中には。
一振り。
日本刀型の純星煌式武装。
派手な装飾は少ない。
むしろ。
異様なほど。
静かな武器だった。
「名前は」
ハイセが言う。
《風刃》
◇
「抜刀型純星煌式武装?」
「うん」
クレアは。
慎重に。
柄へ触れる。
起動。
刀身。
その周囲。
複数の光帯が。
静かに浮かんだ。
「この光は?」
「遠隔斬撃の残数」
「……遠隔?」
ハイセは訓練場の壁を指す。
「一回やってみて」
クレア。
抜刀。
壁へ。
軽く。
斬撃を入れる。
何も起きない。
「失敗?」
「待って」
数秒。
離れた位置。
標的。
突然。
斬撃。
「!?」
クレアの目が。
大きくなる。
「今の……」
「《風刃》の能力」
◇
斬撃を。
物体表面へ。
伝える。
床。
壁。
柱。
構造物。
そこへ。
斬撃を仕込み。
離れた位置から。
発生させる。
さらに。
複数を。
時間差で。
放つことも出来る。
ただし。
無制限ではない。
光帯。
残弾。
使い切れば。
再充填。
「……これ」
クレアが。
しばらく。
風刃を見る。
「私に渡して大丈夫です?」
「何で?」
「絶対、性格悪い使い方しますよ?」
「分かってて作った」
「師匠!!」
◇
ハイセは。
【双月】を見る。
次に。
《風刃》。
「【双月】は」
クレアが聞く。
「うん?」
「何だったんです?」
「選択肢を増やす武器」
「じゃあ《風刃》は?」
ハイセは。
少しだけ。
考える。
「選んだ一手を」
一拍。
「相手が思ってない場所から届かせる武器」
クレアが。
静かに。
風刃を見る。
そして。
笑った。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
◇
その日の午後。
もう一つ。
話があった。
「クレア」
「はい?」
「今日から正式にアルルカントの学生」
「…………」
「編入手続き終わったよ」
「待ってください」
「何?」
「いつ?」
「昨日」
「聞いてません!」
「今日言った」
「そういう問題ではありません!」
そこへ。
カミラが。
勢いよく。
扉を開けた。
「ハイセ!!」
「何?」
「何故、免許皆伝と学校編入と純星煌式武装の譲渡が全部同じ日なんだ!?」
「手続き効率いいから」
「人間の進路を事務処理みたいに言うな!!」
◇
「でも本人の同意は?」
カミラが確認する。
「今聞く」
「今!?」
ハイセが。
クレアを見る。
「アルルカント来る?」
「今聞くんですか!?」
「嫌なら断っていい」
クレアは。
一瞬。
呆れた。
そして。
笑った。
「行きます」
「じゃあ決まり」
「軽い!!」
カミラは。
また。
頭を抱えた。
しかし。
本人が自分で選んだ以上。
止める理由も。
なかった。
◇
問題は。
その会話を。
たまたま。
廊下の向こうで。
聞いてしまった人物が。
一人いたことだった。
「…………」
サーシャ。
停止。
隣には。
プレセア。
「どうしたの?」
「今」
「ええ」
「免許皆伝って聞こえた」
「聞こえたわね」
「純星煌式武装って」
「言っていたわ」
「アルルカント編入とも」
「ええ」
サーシャが。
ゆっくり。
扉を開けた。
「待て」
◇
ハイセ。
振り返る。
「いたの?」
「いたよ!!!」
サーシャの怒声が。
研究室。
直撃。
「何で聞いてるの?」
「聞こえたんだよ!!」
「そうなんだ」
「そうなんだ、じゃない!」
指。
クレア。
「免許皆伝?」
「はい」
指。
風刃。
「新しい純星煌式武装?」
「はい」
指。
ハイセ。
「お前が渡した?」
「うん」
「アルルカントへ編入?」
「はい」
「私が范星露に地面へ転がされ続けてる間に!?」
「うん」
サーシャの。
何かが。
切れた。
「もう一回やるぞクレアァァァァ!!!」
◇
「えぇ!?」
クレアが。
風刃を抱えたまま。
後退する。
「何故です!?」
「成長確認だ!!」
「絶対それだけじゃないですよね!?」
「安心しろ!」
「何をです!?」
「私は昨日も今日も范星露に負け続けて機嫌が悪い!」
「安心材料が一個もないです!!」
プレセアが。
静かに。
ハイセを見る。
「止めないの?」
「止められる?」
「無理ね」
二人。
納得。
◇
一時間後。
ハイベルグ王都。
模擬戦場。
情報を聞きつけた。
ガイスト。
ピアソラ。
レイノルド。
そして。
范星露まで。
来ていた。
「ほっほ。面白そうじゃのう」
「何故いる!」
サーシャが怒鳴る。
「弟子の成長を見るのも師の務めじゃ」
「お前に見られると余計プレッシャーなんだ!」
クレアも。
少し離れた場所で。
風刃を持つ。
「師匠」
「何?」
「これ、今日初めて使った武器なんですけど」
「大丈夫」
「何が?」
「素質?」
サーシャが遠くから叫ぶ。
「その言葉を禁止しただろうが!!!」
◇
今回。
クレアは。
【双月】ではなく。
《風刃》。
サーシャは。
普段の剣。
ガイストが。
中央に立つ。
「一本先取。ただし、新武装の能力確認も兼ねる。無理はするな」
「分かった」
「はい!」
范星露が。
遠くで。
楽しそうに。
笑っている。
「始め」
◇
クレア。
抜刀。
サーシャ。
見る。
以前なら。
相手の構え。
剣先。
予備動作。
そこから。
答えを。
考えた。
今は。
違う。
クレアが。
一歩。
サーシャも。
自然に。
半歩。
動く。
「…………」
ピアソラが。
眉を寄せる。
「何してるの?」
「待ってるようには見えないわ」
プレセアが答える。
「でも攻めてもいない」
范星露が。
楽しそうに。
言った。
「ほっほ」
「二人とも」
一拍。
「相手の答えを待っておらんのじゃよ」
◇
クレア。
刀身。
床へ。
軽く。
触れる。
サーシャ。
見た。
だが。
考えない。
身体が。
僅かに。
位置を変える。
何も。
起きない。
クレア。
踏み込む。
抜刀。
「――!」
サーシャ。
身体が。
勝手に。
半歩。
ずれる。
風刃。
頬。
紙一重。
その瞬間。
背後。
床。
遠隔斬撃。
発生。
◇
サーシャは。
振り返らない。
剣。
背後へ。
流す。
受ける。
音。
火花。
そして。
そのまま。
前へ。
「っ!」
クレアの目が。
少しだけ。
大きくなる。
今までは。
遠隔斬撃を見せれば。
相手は。
それを。
意識した。
今のサーシャは。
意識する前に。
処理する。
「なるほど……!」
クレア。
笑った。
◇
壁。
斬る。
床。
触れる。
柱。
刀身。
通過。
どれが。
仕込み。
どれが。
ただの動作か。
分からない。
そもそも。
クレア自身が。
意識して。
分けていない。
だから。
気配から。
読めない。
サーシャも。
読もうとしない。
発生した瞬間。
身体。
動く。
一つ。
右。
一つ。
左。
正面。
直接斬撃。
全部。
一続き。
◇
「……静かね」
プレセアが。
呟く。
「前回と全然違う」
ピアソラも。
目を離せない。
以前。
クレアとサーシャが戦った時は。
騙す。
読む。
疑う。
その応酬。
だった。
今は。
もっと。
静か。
クレアは。
騙そうとしない。
サーシャは。
読もうとしない。
ただ。
必要な瞬間に。
必要な動きだけが。
出る。
◇
クレア。
鞘。
納刀。
サーシャの目が。
僅かに。
細くなる。
抜刀。
一瞬。
速い。
サーシャ。
踏み込む。
避けるのではない。
斬撃の内側。
クレア。
風刃。
途中で。
軌道変更。
自然。
意図。
見えない。
サーシャの剣。
クレアの喉元。
風刃。
サーシャの肩。
同時。
停止。
◇
静寂。
ガイストが。
近づく。
「……相打ち」
クレア。
息を吐く。
サーシャも。
少し。
目を見開いていた。
「今の」
「はい?」
「お前」
クレアを見る。
「途中で斬撃を変えたな」
「……多分」
「多分?」
「違う気がしたので」
「…………」
サーシャが。
ハイセを見る。
「これが免許皆伝?」
「うん」
「本人が説明出来てないぞ」
「だから免許皆伝」
「意味が分からん!」
◇
だが。
サーシャは。
剣を。
下ろした。
「……クレア」
「はい」
「免許皆伝」
一瞬。
間。
「認める」
クレアの顔が。
ぱっと。
明るくなる。
「ありがとうございます!」
「ただし」
「はい?」
「次は勝つ」
「私もです」
二人。
笑う。
ハイセも。
少しだけ。
嬉しそうに。
頷いた。
「よかった」
サーシャが。
すぐ。
振り返る。
「お前のことは認めてない!!!」
「何で!?」
◇
「何でじゃない!」
サーシャが。
ハイセへ。
詰め寄る。
「また弟子を勝手に完成させて!」
「勝手では」
「新しい純星煌式武装まで渡して!」
「卒業証書」
「紙で渡せ!!」
「紙もある」
「余計腹立つ!!!」
范星露が。
横から。
笑っている。
「ほっほ。面白い弟子を育てたのう」
「范星露」
「何じゃ?」
「お前まで褒めるな!」
「何故じゃ!?」
◇
そして。
クレア。
正式に。
アルルカント・アカデミー。
編入。
登録。
完了。
新しい。
学生証。
手元。
【双月】。
《風刃》。
二つ。
性質は。
全く違う。
【双月】は。
選択肢を。
増やす。
《風刃》は。
一つ。
選んだ答えを。
遠く。
想定外から。
届かせる。
そして。
その二つを。
使う。
本人は。
もう。
嘘を。
嘘として。
考えていなかった。
◇
その夜。
アルルカント。
寮。
クレアは。
新しい制服を。
ベッドへ。
置く。
隣。
学生証。
そして。
《風刃》。
「…………」
本当に。
ここまで。
来た。
最初は。
強くなりたかった。
剣を。
学びたかった。
なのに。
漫画を。
読まされた。
ディルクに。
心理戦。
エルネスタとカミラに。
派閥切り崩し。
シルヴィアに。
魅せ方。
そして最後は。
よく分からない。
防人講座。
「……私」
クレアは。
小さく。
呟いた。
「本当に剣士として育てられたんですよね?」
返事は。
ない。
少し考える。
そして。
笑った。
「まあ、いいか」
強くなった。
それだけは。
分かる。
なら。
答えは。
これから。
自分で。
見つければいい。
剣を。
握って。
自分の。
未来を。
選びながら。