【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
「ハイセくーん!」
「朝からうるせぇ」
アルルカント・アカデミーの研究棟へ到着して、まだ三分も経っていなかった。
今日は何をするのかカミラに聞こうと廊下を歩いていたハイセの背後から、嫌というほど聞き覚えのある元気な声が響いてくる。振り返れば、案の定エルネスタが満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。
「出来たよ!」
「何が」
「昨日のやつ!」
「昨日?」
一瞬だけ考えたハイセは、昨日の帰り際に聞かされた話を思い出す。
「……ブラックエンシェントドラゴンの龍核?」
「正解!」
「…………」
嬉しそうに胸を張るエルネスタとは対照的に、ハイセの中には嫌な予感しか生まれなかった。
昨日、彼女が言っていたのは、灰色の龍核そのものを加工するという話ではない。カミラとの約束もあり、実物には手を加えず、その解析データから得られたエネルギー挙動を技術的に再現できないかという理論検証だったはずだ。
少なくとも。
昨日の時点では。
「カミラは?」
「いるよ?」
「どこ」
「実験室」
「何で?」
「私を止めるため」
「…………」
ハイセは無言で踵を返した。
「帰る」
「待って待って待って!」
即座に腕を掴まれる。
「離せ!」
「せっかく作ったのに!」
「何を作ったんだよ!」
「見れば分かるって!」
「その台詞で安心できる要素が一個もねぇ!」
◇
「来たか」
半ば引きずられるように実験室へ入ると、カミラは既にそこにいた。
ただし、普段より明らかに疲れている。
白衣の下から覗く褐色の肌にも、いつもの張りが少ないように見えるほどだった。
「……おはよう」
「ああ」
「何かあった?」
「聞くな」
「聞かない方がいい?」
「ああ」
「カミラ酷くない?」
背後からエルネスタが不満そうな声を上げる。
「私はちゃんと許可取ったよ?」
「理論検証の許可だ」
「うん」
「簡易試作機まで一晩で組み上げる許可は出していない」
「でも出来ちゃったし」
「だからと言って」
カミラは堪え切れなくなったように机を叩いた。
「朝の四時に完成報告を送るな!」
「研究者って朝早いでしょ?」
「寝ている!!」
「寝るんだ」
「人間だからな!!」
思わずハイセが吹き出す。
「仲良いな」
「良くない!」
「良いよ?」
「どっちだよ」
◇
「で」
一通り騒ぎが収まったところで、ハイセは実験台の上に置かれた試作煌式武装へ目を向けた。
「これ?」
「そう」
昨日使った汎用試作ルークス。
外見にはほとんど変化がない。
龍核そのものが取り付けられている様子も当然なかった。
「どこ変えた?」
「内部」
エルネスタが内部構造を示す図面を表示する。
「昨日取った龍核の測定データを使って、エネルギー保持時の挙動を模倣する簡易バッファを組んだの」
「龍核そのものは?」
「触ってないよ」
「本当に?」
「そこ疑う?」
「お前だからな」
「酷い!」
「確認済みだ」
カミラが横から口を挟む。
「龍核自体は昨日と同じ保管状態にある。無断加工は一切していない」
「ならいい」
「ほらカミラ! ちゃんと話通じてる!」
「問題はそこではない」
「何?」
「まだ性質の全容すら分かっていない現象を、翌朝には試作機へ載せている速度がおかしいと言っている!」
「でも、分からないから試すんじゃない?」
「…………」
「…………」
少し考えたハイセも頷く。
「俺もそう思う」
「ハイセ」
「何?」
「少し黙っていろ」
「何で!?」
「エルネスタ側へ戦力を増やすな!」
「俺、戦力扱いされてんの!?」
◇
「まず、前提から説明する」
カミラが端末を操作すると、灰色の龍核を解析したデータが空中へ展開された。
「この龍核については、昨日までの測定でも分かっている通り、物質組成そのものはマナダイトともウルム=マナダイトとも異なる」
「ああ」
「君の世界には、こちらでいう万応素そのものが確認できない。にもかかわらず、この龍核が外部エネルギーへ反応した際に示す波形は、通常のマナダイトよりもむしろウルム=マナダイトに近い」
「…………」
ハイセは画面に並ぶ二つの波形を見比べる。
専門的な数値までは理解できないが、形が似ていることくらいは分かった。
「じゃあ、同じ物なの?」
「違う」
カミラは即答した。
「だから面白い」
「?」
「材料も違う。生まれた環境も違う。恐らく生成過程も全く違う。それでも、エネルギーを扱った時の結果だけが異常なほど似ている」
そこへエルネスタが楽しそうに割って入る。
「違う道を通ったのに、似たところへ辿り着いたってこと」
「へぇ……」
「特に面白いのが、エネルギーを一度受け止めた後の挙動」
画面が切り替わる。
「この龍核、外からエネルギーを入れても、全部をすぐ放出しないんだよ」
「保持するって、昨日言ってたやつ?」
「そうそう。一定量を内部へ留めて、出力が急激に崩れないような動きをしてる」
「で、その動きだけを」
ハイセは試作機を見る。
「こいつで真似した?」
「正解!」
龍核そのものを武器へ入れるのではない。
龍核の中で起きているらしい現象を観測し、その働きだけをアルルカント側の素材と制御技術で再現してみる。
ハイセにとって、そんな発想そのものが新鮮だった。
「面白そう」
「でしょ!」
「ハイセ」
カミラが呆れたような目を向ける。
「何?」
「楽しそうにするな」
「無理だろ」
「何故」
「だって」
ハイセは試作機を眺めながら、自然と笑った。
「俺の世界にあった物の仕組みが、こっちの武器に使えるかもしれないんだろ?」
自分が持ち込んだものが珍しい。
それだけなら、単なる異世界の希少品で終わる。
だが、それを調べることで、こちらの世界に存在しなかった技術へ変えられるかもしれない。
そう考えると、昨日までとはまた違う面白さがあった。
「そりゃ面白い」
「…………」
カミラはしばらくハイセを見つめたあと、深く息を吐いた。
「お前まで研究者の顔になってきたな」
「なってねぇよ」
「なってるなぁ」
「エルネスタは黙れ」
◇
説明が終わると、早速試験が始まった。
ハイセは試作ルークスを手に取り、起動スイッチを押す。淡い光が柄から伸び、昨日と同じ形状の刃を形成した。
まずは通常出力。
横薙ぎから返し、踏み込みながらの斬撃へ繋げる。昨日追加した重心調整機構も動かし、刃先へ重量を寄せた状態と手元へ戻した状態の双方を確認していく。
「昨日と同じ?」
エルネスタが訊く。
「今のところは」
ハイセはそう答えつつ、出力を一段階引き上げた。
すると。
「…………」
昨日、同じ操作をした時に感じた僅かな違和感が、今日はほとんどない。
出力を高めた瞬間、刃がほんの少しだけ揺らぐような感触があった。戦闘に使えないほどではないが、気付けば気になる程度の小さな不安定さ。
今日は、それが抑えられている。
「……違う」
「!」
「どこ?」
「高出力にした時」
もう一度同じ動きを繰り返し、感覚を確認する。
「昨日より暴れない。刃が安定してる」
「やっぱり!」
エルネスタが嬉しそうに跳ねた。
「数値!」
「確認しています! 出力変動幅、昨日比で減少!」
「仮設バッファの保持率も上昇しています!」
「ほら!」
「まだ成功と決めるな」
喜ぶエルネスタとは対照的に、カミラは冷静だった。
「耐久試験へ移行。連続稼働時の温度変化も記録しろ。出力を段階的に上げ、保持機構だけでなく周辺回路への負荷も確認する」
「はい!」
「…………」
ハイセはその様子を眺めながら苦笑する。
「厳しいな」
「当然だ」
カミラは視線を測定値から外さない。
「一度動いた。それだけで成功と呼べるほど、技術というものは単純ではない。百回動き、千回動き、別の個体でも別の人間でも同じ条件なら同じ結果が出る。そこまで確認して初めて、偶然ではなく技術として扱える」
「…………」
ハイセはその言葉を聞きながら、少しだけ笑った。
「アンタらしいな」
「何が?」
「いや、別に」
◇
二時間後。
実験室には、先ほどまでとは違う種類の静けさが流れていた。
机の上には、刃を失った試作機が置かれている。
連続稼働試験の途中で制御系が異常を起こし、安全装置によって強制停止したのだ。
「……壊れたね」
エルネスタが試作機を覗き込む。
「壊れたな」
カミラも腕を組む。
「壊れた」
ハイセも椅子へ腰掛けたまま、三度目の確認を口にした。
僅かな沈黙のあと、エルネスタが勢いよく顔を上げる。
「でも、前より連続稼働時間は三十二パーセント――」
「エルネスタ」
「はい」
「まず原因分析だ」
「はーい」
そこまで聞いて、ハイセは少し首を傾げた。
「……失敗?」
「いや」
カミラは即答した。
「結果だ」
「結果?」
「ああ」
彼女は壊れた試作機を手に取り、その停止した内部機構へ目を落とす。
「成功した場合も、壊れた場合も、何故そうなったかを確認できれば次へ使える。今回壊れたということは、少なくともこの構造ではこの条件に耐えられないと分かった」
「…………」
「壊れる条件を一つ知った。それだけでも前進だ」
「へぇ……」
「何だ?」
「いや」
ハイセは椅子の背もたれへ身体を預けながら、実験の流れを思い返した。
昨日までなら。
武器が壊れた。
それだけ聞けば失敗だと思ったはずだ。
だが、カミラたちはそこから何故壊れたのかを調べ、次に同じことを起こさないための材料にする。
「研究って、冒険に似てるな」
「どういう意味だ?」
「ダンジョンで道を間違えても、そこが行き止まりだって分かれば、次は同じ方へ行かなくて済むだろ」
カミラが黙って続きを促す。
「罠だって同じだ。踏まない方がいいけど、踏んで生き残ったなら、次は場所とか仕組みとか覚えて避けられる。失敗したこと自体が全部無駄になるわけじゃない」
「なるほど」
カミラが少し笑う。
「だから君は、研究への適応が早いのかもしれないな」
「だから研究者じゃねぇって」
「もう諦めろよ、ハイセくん」
「何を!?」
◇
午後になる頃には、故障原因もある程度絞り込まれていた。
「龍核のデータが間違ってた?」
「いや。問題は龍核側ではない」
カミラが解析結果を表示する。
「正確には、我々が再現できたのが“保持する部分”に偏りすぎていた」
「どういうこと?」
「龍核はエネルギーを受け止めるだけではなく、恐らく何らかの方法で安定させながら放出している。だが今回の仮設機構は、保持する挙動ばかりを模倣した」
「……溜めたまま?」
「ああ。一定量を超えたエネルギーを適切に逃がす経路が不足していた結果、周辺制御系へ負荷が集中して停止した」
ハイセは壊れた試作機と画面を見比べる。
「じゃあ、逃がす道を作れば?」
「…………」
カミラが止まった。
エルネスタも止まった。
「何?」
「ハイセくん」
「?」
エルネスタが少し困ったように笑う。
「それ、簡単に言うけど」
「難しい?」
「そこが研究」
「じゃあ研究すれば?」
「…………」
今度は二人とも黙った。
数秒後、カミラが静かに目を閉じる。
「カミラ?」
「何だ」
「怒った?」
「違う」
「じゃあ何」
「……何故、君は毎回」
カミラはこめかみを押さえた。
「研究テーマを自然発生させるんだ」
「知らねぇよ!」
◇
「ただし」
一度話が落ち着いたところで、カミラは表情を引き締めた。
「ここで一つ、忘れてはいけない問題がある」
「何?」
「龍核そのものだ」
「うん」
「ブラックエンシェントドラゴンから取れる、と言ったな?」
「ああ」
「大量に確保できるのか?」
「…………」
ハイセは即答できなかった。
「無理だと思う」
「やはりか」
「そもそもブラックエンシェントドラゴンなんて、そう何匹も出てきてほしくない」
「強いんだっけ?」
エルネスタが訊く。
「死にかけた」
「じゃあいっぱい倒して集めるのは?」
「嫌だよ」
「即答!」
「当然だろ!」
ハイセ自身、あの戦いを思い返せば笑い話にはできない。
そして何より、あの龍核は今手元にある一つしかない。
カミラはその灰色の龍核の画像を見つめながら、静かに言った。
「ならば、なおさらこの龍核そのものを前提とした技術には出来ない」
「え?」
エルネスタが首を傾げる。
「性能良いのに?」
「私が何を目指していると思っている」
「…………」
その問いに。
今度はハイセの方が先に答えた。
「【究極の汎用性】」
「ああ」
カミラが頷く。
「希少で、入手が難しく、特定の場所に行かなければ手に入らない。そんな素材が不可欠な武器を作ったところで、結局は手にできる人間が限られる」
昨日聞いた話と同じだった。
誰もが同じ強さへ到達する必要はない。
だが。
試すための入口くらいは、出来るだけ多くの人間へ開かれているべきだ。
「性能が高いことと、汎用性が高いことは別だ」
「…………」
「じゃあ、龍核は使わない?」
「いや」
「?」
「研究には使う」
「使うんだ」
「当然だ」
カミラは地球側――この世界で入手可能な各種素材の一覧を表示した。
「重要なのは、龍核そのものではない。何故あの物質が、あの環境でこのようなエネルギー挙動を示すのか。それを理解することだ」
「…………」
「その上で、こちらで入手できる素材、加工技術、万応素制御。それらを組み合わせて、同じ結果を再現する」
ハイセは少し目を見開く。
「龍核をコピーする?」
「違う」
カミラは首を振った。
「性質を、技術へ変える」
「…………」
その一言が妙に印象へ残った。
珍しい物を持ち込んだから価値があるのではない。
それを調べ。
仕組みを知り。
誰でも使える形へ変えていく。
「それならさ」
ハイセの中に、新しい疑問が浮かぶ。
「俺の世界の別の素材にも、似たようなのあるかもしれない」
「……ほう」
「魔獣の骨とか、角とか、魔石とか。ダンジョンでしか取れない鉱石もある」
カミラの目が変わる。
同時に、エルネスタの目まで輝いた。
「詳しく」
「今?」
「今だ」
「いっぱいあるぞ?」
「なお良い」
「ハイセくん!」
エルネスタまで身を乗り出す。
「魔獣素材って、どういう種類があるの?」
「ちょっと待て」
ハイセは二人を見比べた。
「何で急にそんな食いつくんだよ」
「龍核が唯一の例とは限らないからだ」
カミラは既に新しい資料を開いている。
「君の世界の生物や鉱物が、こちらとは異なる経路で似た機能を獲得している可能性がある」
「そうなったら」
エルネスタが続ける。
「異世界素材そのものを輸入しなくても、こっちで再現できる機能がもっと増えるかもしれない」
「…………」
ハイセは、急に広がった話へ少しだけ呆れながらも。
同時に。
やはり面白いと思ってしまった。
◇
そんな研究が続く途中で、カミラの端末へ一件の報告が届いた。
「……手記の解析班か」
「手記?」
その単語にハイセも顔を上げる。
「ノブナガの?」
「ああ」
カミラが内容へ目を通す。
「何か分かった?」
「分かったと言うより、謎が増えた」
「何だそれ」
「判読可能な部分に書かれている武器や技術について、歴史班と照合した。やはり、こちらの歴史に記録されている織田信長の時代とは一致しない」
「…………」
「十六世紀の人物が当然のように知っているはずのない技術が、複数記載されている」
「じゃあ、別人?」
「可能性はある。そもそも“ノブナガ”という名だけで、歴史上の織田信長本人と断定する根拠はない」
「でも日本の名前なんだろ?」
「ああ。それも含めて調査中だ」
ハイセは少し眉を寄せる。
「ノブナガって、何者なんだ……」
「それを調べている」
カミラは淡々と答えたあと。
「もっとも」
「?」
「読めない部分が残っている以上、今は材料そのものが足りない。焦って結論を出せば、間違った前提に引っ張られる」
「……研究って、そういうのばっかだな」
「だから面白いんだ」
「…………」
以前なら。
その台詞を聞いても理解できなかったかもしれない。
だが今は。
ほんの少しだけ。
分かる気がした。
◇
その日の研究は、夕方まで途切れることなく続いた。
灰色の龍核の内部構造。
エネルギー保持と放出。
異世界由来素材の分類可能性。
代替素材。
こちらの技術で再現できる範囲。
ハイセは研究者ではないにもかかわらず、何度も意見を求められた。
どんな魔獣がどこに生息しているのか。
素材の希少性はどの程度なのか。
冒険者は何に使っているのか。
加工にはどんな方法があるのか。
気が付けば、自分でも驚くほど多く元の世界について話していた。
「ハイセ。この種類の魔石は、どの程度の魔獣から採れる?」
「それなら中位くらいの――」
「ハイセくん!」
「何?」
「この骨素材って加工すると硬くなる?」
「それは――」
「ハイセ」
「今度は何!?」
「昨日の報告書へ、今日の比較項目も追加して――」
「待って!」
三方向から同時に言葉を投げられ、さすがのハイセも両手を上げた。
「一人ずつ喋れ!!」
周囲の研究員から笑いが起こる。
「…………」
ハイセは不満そうに顔をしかめた。
「何笑ってんだよ」
だが。
怒っているわけではなかった。
自分が知っていることを話す。
誰かがそこから新しい疑問を見つける。
調べる。
試す。
失敗すれば原因を探し、また違う方法を考える。
その繰り返しが。
思っていたよりも。
ずっと面白かった。
◇
「今日はここまでだ」
夜。
ようやくカミラの終了宣言が出た瞬間、ハイセは机へ突っ伏した。
「やっと……」
「お疲れさま」
「研究者って魔物よりしつこい」
「失礼だな」
「褒めてない」
「分かっている」
エルネスタだけは、一日中動き回っていたとは思えないほど元気だった。
「明日もやろうね!」
「元気だな、お前」
「楽しいから!」
「…………」
ハイセは顔だけを上げてエルネスタを見る。
楽しいから。
昨日までなら。
自分には関係ない感覚だと思っていた。
研究は難しい。
面倒。
自分は使う側で、作る側ではない。
そう思っていたはずなのに。
今日は、試作機が安定した時に嬉しかった。
壊れた時には原因が気になった。
龍核の性質をこちらの技術で再現すると聞けば面白いと思った。
ノブナガの謎だって。
答えを知りたいと思っている。
「まあ」
気付けば。
自然と笑っていた。
「俺も、少し楽しいけど」
「!」
エルネスタとカミラが、ほぼ同時にこちらを向いた。
「何だよ」
「いやぁ」
エルネスタの口元が見る見るうちに吊り上がる。
「とうとう言ったなぁって」
「何を」
「研究、楽しいって」
「少しって言っただろ!」
「同じ同じ!」
「違う!」
横ではカミラまで小さく笑っている。
「認めた方が楽だぞ」
「アンタまで言う!?」
◇
「ところで」
帰り支度を始めたところで、カミラがハイセを呼び止めた。
「何?」
「少し話がある」
「また実験?」
「違う」
「じゃあ?」
カミラは手にしていた端末を机へ置き、先ほどまでとは違う真面目な表情を見せた。
「君の立場についてだ」
「……立場?」
「ああ」
現在、ハイセが研究棟へ自由に出入りできているのは、カミラが研究協力者として臨時の入構許可を出しているからだ。宿泊施設や生活費についても、研究協力契約の中で一時的な手配を受けている。
この世界へ突然迷い込んだ直後には、それで十分だった。
だが。
「この状態を、いつまでも続けるわけにはいかない」
「…………」
その一言を聞いた瞬間。
ハイセの身体が、ほんの僅かに強張った。
「……出てけって?」
「違う」
カミラは即答した。
「むしろ逆だ」
「?」
「ハイセ」
一度。
真っ直ぐ目を見る。
「アルルカントへ正式に所属する気はないか?」
「…………」
研究室が静かになった。
「……所属?」
「ああ」
「学生として?」
「形式上はそうなる」
カミラは制度について簡単に説明する。
通常の学生と全く同じ扱いではない。
身元や教育履歴の確認が不可能な異世界人であること、そして既に研究協力へ参加していることから、研究協力を前提とした特例学生として受け入れる形が最も現実的だという。
「正式な身分が出来れば、研究施設へのアクセス権も今より広げられる。生活基盤も整う。公開範囲内ではあるが、学園内の資料や《星武祭》関係記録へのアクセスも、今より自由になる」
「…………」
条件だけを見れば。
悪い話ではない。
むしろ。
今後この世界で生活するなら、ありがたい話だった。
それでも。
所属。
組織。
仲間。
そうした言葉を意識した途端。
数日前の記憶が、否応なく浮かび上がる。
必要ない。
弱い。
足手纏い。
危険だから。
お前のためだから。
自分の意思を聞かれるより先に。
自分の居場所がなくなった。
「…………」
カミラは急かさなかった。
エルネスタも。
珍しく。
何も言わない。
ただ。
ハイセが自分から口を開くのを待っていた。
「……決めたの?」
「何を?」
「俺が入るって」
ハイセは慎重に問いかける。
「そっちで」
「馬鹿を言うな」
カミラは迷いなく否定した。
「私は、選択肢を提示しているだけだ」
「…………」
「入るかどうかは」
赤い瞳が。
真っ直ぐハイセを見る。
「君が決めろ」
「…………」
胸の奥に掛かっていた何かが。
ほんの少しだけ軽くなった。
「断っても?」
「構わない」
「研究は?」
「可能な範囲で継続する。ただし、現在の臨時許可で利用できる範囲には限界がある」
「辞めたくなったら?」
「辞めればいい」
「…………」
「私は君の人生を決める権利など持っていない」
その言葉が。
あまりにも当然のものとして口にされた。
だからこそ。
ハイセには不思議だった。
どうしてこの女は。
自分が欲しかった言葉を。
こうも当たり前のこととして言えるのだろう。
第1話で問われた。
君自身はどうしたかった。
第6話では言われた。
自分の可能性を試した結果を決めるのは、本人だ。
そして今。
ここにいるかどうかさえ。
自分で決めろと言われている。
「……俺」
ハイセはゆっくり研究室を見渡した。
「この世界、まだほとんど知らない」
「ああ」
「帰る方法も分からない」
「ああ」
元の世界を捨てたいわけではない。
帰らなくてもいいと決めたわけでもない。
サーシャたちのことだって。
まだ自分の中で整理できていない。
それでも。
目の前には。
昨日まで知らなかった武器がある。
自分の世界から持ち込んだ龍核を調べる研究がある。
正体の分からないノブナガの手記がある。
カミラがいる。
エルネスタがいる。
紗夜とも。
また話す約束をしている。
もっと知りたい。
もっと見たい。
自分が思いついたことを。
もう少し試してみたい。
その気持ちだけは。
今のハイセ自身のものだった。
「俺が」
一度言葉を止める。
「ここにいたいって言ったら」
カミラを見る。
「いられる?」
カミラは迷わなかった。
「ああ」
「…………」
その一言を聞いて。
ハイセは小さく笑った。
「なら、入る」
「…………」
「アルルカント」
誰かに言われたからではない。
追い出された先に。
仕方なく居場所を求めたからでもない。
今。
自分が面白いと思った場所を。
自分自身の意思で選ぶ。
「俺が、ここを選ぶ」
カミラの表情が。
ほんの少しだけ柔らかくなった。
「そうか」
「ああ」
「歓迎する」
一秒。
二秒。
ハイセの決断を待っていたエルネスタが、ついに耐え切れなくなった。
「やったぁぁぁ!」
「うるせぇ!」
「ハイセくん正式加入!」
「抱きつくな!」
「仲間仲間!」
「離れろ!」
「エルネスタ」
カミラが呆れたように止める。
「落ち着け」
「カミラも嬉しいくせに!」
「別に」
「顔笑ってるよ?」
「…………」
「図星?」
「黙れ!」
◇
翌日。
研究棟の端末へ、新しく登録された情報が表示されていた。
所属――アルルカント・アカデミー。
区分――研究協力特例学生。
そして。
名前。
ハイセ。
「…………」
ハイセはしばらく、その短い表示を眺めていた。
「どうした?」
横からカミラが声を掛ける。
「いや」
言葉にしようとして。
自分でも少し迷う。
「自分で、入る場所決めたの」
一度。
表示された自分の名前を見る。
「初めてかも」
「…………」
冒険者になった時。
仲間とパーティーを組んだ時。
その一つ一つに自分の意思が全くなかったわけではない。
それでも。
今ほど意識して。
ここにいたいから。
ここへ入る。
そう選んだ記憶は。
少なくともハイセにはなかった。
カミラは少しだけ目を細めた。
「なら、覚えておけ」
「?」
「ここへ入ったのは、誰かに命令されたからでも、追い込まれたからでもない」
静かに。
だが。
はっきりと。
「君自身が選んだ結果だ」
「…………」
ハイセはもう一度表示へ目を向ける。
アルルカント・アカデミー。
昨日までは。
偶然迷い込んだ世界で、たまたま世話になっている場所だった。
今日からは。
少し違う。
「ああ」
自然と笑みが浮かんだ。
「覚えとく」
その余韻を。
背後から聞こえてきた元気すぎる声が、一瞬で吹き飛ばした。
「ねえねえハイセくん!」
「何?」
「正式所属になったってことはさ!」
「うん?」
「深夜実験の申請も出来るね!」
「マジ?」
「待て」
カミラの声が低くなる。
「じゃあ昨日の龍核模擬バッファの続き、夜まで――」
「待て」
「俺は別にいいけど」
「ハイセェ!!」
「何で怒るんだよ!」
「所属初日に研究室へ泊まり込むな!!」
「まだ泊まるって言ってねぇ!」
「エルネスタが言い出す!」
「言おうと思ってた!」
「ほら見ろ!!」
研究棟の朝に。
今日もまた。
カミラの声が盛大に響き渡った。
そんな騒がしさの中で。
ハイセは。
自分の意思で。
新しい居場所を一つ選んだ。
それは。
この巨大な学戦都市から見れば。
一人の少年が一つの学園へ所属しただけの、小さな出来事に過ぎなかった。
けれど。
その決断が。
やがて遥か離れた故郷で、一人の少女の感情を激しく揺さぶることになる。
そして。
この学戦都市では。
長い年月をかけて人と組織を配置し、自らの目的のために盤面を組み上げ続けてきた一人の男の計画さえ。
少しずつ。
しかし確実に。
想定していた未来から外していくことになる。
もちろん。
この時のハイセは知らない。
カミラも。
エルネスタも。
まだ知る由もない。
ただ一つ。
確かなことがある。
この日。
ハイセは。
誰かに居場所を与えられたのではない。
誰かに所属させられたのでもない。
かつて。
弱いという理由で。
自分の意思とは関係なく居場所を失った少年が。
今度は自分の意思で。
ここにいたいと願い。
自分の手で。
アルルカントを選んだのだった。