【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
エクリプス・ゾロアスターから届いた求婚状は、まだアルルカントの会議室に置かれていた。
ハイセ本人としては返答を保留しただけなのだが、その一枚の紙がもたらした影響は想像以上に大きい。異世界からの新入生と編入生を巡って苦戦しているアルルカント、レヴォルフ、クインヴェールの三校にとって、《銀の明星》が打ち出した新制度と、その直後に行われたYami_Q_rayへの求婚は、どう見ても最悪のタイミングだった。
もちろん、エクリプス本人に三校へ喧嘩を売る意図などない。
それが分かっているからこそ、余計に腹が立つ。
「……決めた」
カミラが静かに言った。
ハイセが顔を上げる。
「何を?」
「対抗策だ」
向かい側では、エルネスタが既に楽しそうな笑みを浮かべている。その隣に座るヒルダもまた、端末へ何かを入力しながら肩を震わせていた。
嫌な予感しかしなかった。
◇
「これを見ろ」
カミラが大型モニターへ資料を表示する。
映し出されたのは《銀の明星》の組織構造だった。クラン内の役割、活動部門、依頼受注、支援制度、装備供給、そして主要人物同士の関係性まで、公開情報を中心に整理されている。
「調べたの?」
「必要な範囲だけな」
「これ、必要な範囲?」
「今から必要になる」
ハイセはますます不安になった。
エルネスタが椅子を回しながら、楽しそうに説明を引き継ぐ。
「大きな組織ってね、外から見ると一つに見えても、中身は全然一つじゃないんだよ」
「アルルカントみたいに?」
「そうそう♪」
その例えで急に説得力が増した。
アルルカント・アカデミーは、同じ学校に所属しているからといって全員が同じ思想を共有しているわけではない。研究方針、技術観、予算、企業との繋がり、個人的な信念。それぞれが異なり、派閥同士の駆け引きなど日常茶飯事だった。
「つまり」
ハイセが画面を見る。
「銀の明星にも派閥がある?」
「明確に名乗っていなくても、考え方の違いはある」
カミラは頷いた。
「そして組織というものは、違いそのものより、それを無かったことにし続けた時の方が壊れやすい」
ハイセは少し考えた。
「……何する気?」
カミラは淡々と答えた。
「【銀の明星解体計画】だ」
「名前が怖い」
◇
扉が開いた。
呼び出されていたディルクとシルヴィアが入ってくる。
「何の話だ」
ディルクは席へ着くなり資料を見て、そのまま数秒黙った。
「…………」
「どうしたの?」
ハイセが尋ねる。
「いや」
ディルクはカミラ、エルネスタ、ヒルダを順番に見る。
「こいつら、俺より性格悪くねぇかと思ってな」
「褒めてる?」
エルネスタが嬉しそうに聞く。
「褒めてねぇ」
「失礼だな」
カミラは眉を寄せた。
「我々は虚偽情報を流すつもりなどない」
「そこが一番怖ぇんだよ」
ディルクは即答した。
シルヴィアも資料へ目を通しながら、次第に笑顔を引きつらせていった。
「これ……本当にやるの?」
「ああ」
「カミラ、相当怒ってる?」
「冷静だ」
「怒ってる人って大体そう言うのよ」
◇
計画の第一段階は、意外なほど地味だった。
《銀の明星》内部にどのような意見の違いがあるのかを調べる。
エクリプス自身を強く支持する者。冒険者としての利益を第一に考える者。組織の政治的影響力が強くなりすぎることを警戒する者。今回発表された生活支援制度を歓迎する者もいれば、その財源や運用方法について慎重な意見を持つ者もいる。
さらに。
今はセイナの問題がある。
「《銀の明星》幹部が【四十人の大盗賊】へ関与していた」
カミラが言う。
「これは我々が作った問題ではない」
シルヴィアの表情が少し険しくなる。
「エクリプスさんが知らなかったなら、内部管理の問題になるわね」
「知っていたなら、それはそれで別の問題だ」
ディルクが続ける。
「どっちに転んでも、組織内部から説明を求める奴は出る」
ハイセが首を傾げた。
「じゃあ、それを広める?」
「違う」
カミラはすぐに否定した。
「既に関係者が知るべき事実だ。隠す必要がない状態にするだけだ」
「同じじゃない?」
「全然違う」
その即答が怖かった。
◇
「例えばね」
エルネスタが一枚の関係図を拡大する。
「今の《銀の明星》には、エクリプス本人には不満がなくても、『幹部が犯罪組織に参加していたのに内部監査はどうなってたの?』って思う人がいるでしょ?」
「まあ、いると思う」
「その人に『エクリプスを追い出そう』って言う必要はないんだよ」
エルネスタは楽しそうに笑った。
「『それ、正式な会議で聞いた方がよくない?』って言うだけ♪」
ハイセが黙った。
シルヴィアも黙った。
ディルクだけが深く溜息を吐いた。
「最悪だな」
「何で?」
「自分達では何も要求してねぇからだよ。向こうの人間自身に要求させる気だ」
「そういうこと♪」
◇
次にヒルダが画面を切り替えた。
「私は数字を担当しよう」
表示されたのは、《銀の明星》が実施している各種支援制度の推定予算だった。
「今回の同性パートナー・婚姻支援制度そのものは、実に素晴らしいと思うよ。生活基盤を保証し、本人の関係性を理由に活動機会を奪わない。思想としては私も賛成だ」
「じゃあ問題ないじゃん」
ハイセが言う。
「制度はね」
ヒルダは笑った。
「だが新しい制度を作るということは、新しい予算を使うということだ」
別の資料。
装備補助。
遠征費。
新人支援。
研究費。
住宅支援。
既存の予算項目が並ぶ。
「予算が無限でない以上、何をどこまで負担するかは議論しなければならない」
ハイセが目を細める。
「そこを揉めさせる?」
「人聞きが悪い」
ヒルダは愉快そうに答えた。
「ちゃんと議論してもらうだけだよ」
「同じに聞こえる」
「全然違うとも」
カミラと同じ答えだった。
◇
「待って」
シルヴィアが手を挙げる。
「そこは本当に気を付けましょう。制度そのものへの偏見に繋がるようなことは絶対にしないで」
「ああ」
カミラもそこだけは即座に頷いた。
「同性婚やパートナー支援を攻撃材料にするつもりはない。それは人間が自分の生き方を選ぶための制度だ。問題にするのは、あくまで組織運営上の説明責任だ」
ハイセが少し笑った。
「そこはちゃんとしてるんだ」
「当然だ」
「銀の明星を解体するって言ってる人の台詞とは思えないけど」
「黙れ」
エルネスタが横から笑った。
◇
計画の核は、三人で明確に分担された。
カミラは利害関係と組織構造を見る。どの部門がどの資源へ依存し、制度変更によって何が変わるのかを整理する。
ヒルダは数値を扱う。予算、活動実績、装備供給、遠征成功率、支援利用率を可視化し、「何となくそう思う」という感情論では済まない材料を作る。
そしてエルネスタは、人を見る。
「私が一番楽しいところだね♪」
「その言い方やめて」
ハイセが言った。
「誰と誰が話せば面白いことになるか調べるの」
「やっぱりやめて」
「例えば、組織の政治化を嫌う冒険者と、新制度をもっと拡充したい人。二人ともエクリプスを嫌っていなくても、運営方針については意見が違う」
「それを会わせる?」
「うん♪」
「何を言わせるの?」
「何も」
エルネスタはにっこり笑った。
「自由に話してもらうだけ」
ハイセはカミラを見る。
「これ止めなくていい?」
「計画の中心だ」
「ガチじゃん」
◇
「最終的にどうする気だ?」
ディルクが尋ねる。
「本当に《銀の明星》を潰すのか?」
カミラは少し考えてから首を横へ振った。
「必要ならそこまで行く。しかし理想的な着地点は違う」
「というと?」
「エクリプス一人の判断が、そのまま組織全体の意思として通る状態を終わらせる」
ハイセが顔を上げた。
「……あ」
その言葉には聞き覚えがあった。
一つの存在が答えを独占する。
一つの中心が、他の全ての選択肢を決める。
それはハイセ自身がずっと壊そうとしてきた構造だった。
「《銀の明星》を文字通り消滅させる必要はない」
カミラは続ける。
「内部の人間が自分達で意見を持ち、議論し、必要ならエクリプスへ反対出来るようになれば十分だ。一枚岩ではなくなるが、その方が組織として健全だろう」
「それ、解体というより改革では?」
「だから言っただろう」
カミラは真顔で答えた。
「組織改革だ」
「計画名が解体計画だけど」
「言い換えただけじゃねぇか」
ディルクまで突っ込んだ。
◇
「でもさ」
ハイセは少し迷ってから尋ねた。
「そこまで怒ること?」
三人が見る。
「求婚されただけだよ?」
カミラが無言になる。
エルネスタの笑顔が深くなる。
ヒルダは面白そうに眼鏡を押し上げた。
「求婚だけならね♪」
エルネスタが言う。
「支援制度だけでも、ここまではしない」
ヒルダも続ける。
「では何故?」
三人の声が重なった。
「「「タイミング」」」
ハイセは瞬きをした。
◇
「こっちは新入生が来ないんだぞ!」
カミラの怒りが再燃した。
「去年より明確に減っている! しかも原因の一部がガラードワース方面から広がった風評被害だ!」
「うん」
「そこへ新しい人材支援制度を持った有力クランが現れた!」
「うん」
「さらにアルルカント最大級の広告塔へ求婚!」
「広告塔なんだ、俺」
「今そこを気にするな!」
ディルクも机へ指を打ち付ける。
「レヴォルフも似たような状況だ。人材確保で苦しんでる時に、向こうだけ加入する魅力を増やしてやがる」
シルヴィアも笑顔ではいるものの、額には僅かに青筋が浮いていた。
「そのうえ私のデュオ相手まで持っていこうとしてるのよね♪」
「まだ結婚するって言ってないよ?」
「そうね♪」
笑顔が怖かった。
◇
「しかし」
ディルクが急に真面目な顔になる。
「一つだけ言っとくぞ」
「何だ?」
「エクリプス本人は、多分そこまで考えてねぇ」
会議室が静かになった。
全員。
分かっていた。
ハイセへ求婚した理由は、もっと単純だ。
好きだから。
ただそれだけ。
Yami_Q_rayになったから価値が上がったわけでも、三校の人材競争を狙ったわけでもない。以前からハイセ本人へ向けていた感情が、身体や立場が変わってもそのまま続いている。
「……好きな人に結婚してって言っただけなんだよね」
ハイセが呟く。
「ああ」
カミラは認めた。
「だから腹が立つ」
「理不尽じゃない?」
「分かっている!」
その自覚はあるらしい。
◇
計画は、その日のうちに始動した。
もちろん《銀の明星》へ直接工作員を送り込むような真似はしない。公開されるべき情報が正しく届くようにし、セイナ問題について正式な説明を求める声が組織内で扱われるよう、外部から問い合わせを積み重ねていく。
同時に、ヒルダの分析結果から《銀の明星》内部でも確認出来る論点が整理され、エルネスタが見つけ出した意見の異なる人物同士が、自然な議論の場で顔を合わせる機会が増えていった。
最初に起きた変化は、小さかった。
クラン会議で一人の冒険者が尋ねた。
「セイナの件について、内部監査の結果はいつ公開される?」
別の日。
「新しい生活支援制度は歓迎する。けれど、既存の新人装備補助は減らないのか?」
さらに。
「最近、クランが政治的に大きくなりすぎていないか?」
誰も。
エクリプスを追放しろとは言っていない。
誰も。
《銀の明星》を壊せとも言っていない。
ただ。
これまで口にされなかった疑問が。
一つずつ。
言葉になり始めた。
◇
数日後。
《銀の明星》。
エクリプスは会議終了後、いつもより長くなった議事録を眺めていた。
「最近、皆よく意見を言うようになった」
側近の一人が複雑な表情を浮かべる。
「……そうですね」
「良いことでは?」
「それ自体は」
「なら問題ない」
「ですが、この数日で急に増えすぎている気がします」
エクリプスは首を傾げた。
「何か問題でも?」
「誰かに誘導されているような……」
「誰に?」
「それが分からないから不気味なんです」
エクリプスはしばらく考えた。
思い当たる節は。
ない。
「気のせいでは?」
「だといいんですが……」
もちろん。
求婚状を送った先で、アルルカント三大問題児が組織構造を解析していることなど。
エクリプスは知らない。
◇
同じ頃。
アルルカント。
「第一段階、順調だね♪」
エルネスタが報告書を見ながら笑った。
「内部会議で議題数が三倍になった」
ヒルダも満足そうだった。
「セイナ事件を境に、監査制度についての質問も増加している。新制度そのものへの反発は少ないが、予算透明化を求める声が伸びているね」
「理想的だ」
カミラが頷く。
「制度への偏見を煽らず、組織運営だけを争点に出来ている」
ハイセが三人を見た。
「……怖」
「何がだ?」
「三人とも一回も銀の明星に攻撃してないのに、向こうの会議が勝手に荒れてる」
「攻撃する必要がないからな」
カミラは平然と答えた。
「元から存在する意見を、存在しないことにさせなければいい」
ディルクは近くの壁にもたれたまま呆れている。
「だから俺より性格悪ぃっつってんだ」
◇
「これでエクリプスが怒ったら?」
ハイセが尋ねた。
「話し合う」
「普通」
「何を期待している?」
「もっと怖い答え」
「その必要はない」
カミラは端末を閉じた。
「我々がやっているのは、エクリプスから選択肢を奪うことではない。《銀の明星》の構成員へ、選択肢を戻しているだけだ」
ハイセは少し黙った。
それなら。
理解出来る。
強い誰かが正解を決め、他の人間がそれへ従うだけの状態を終わらせる。
王冠と同じ。
FAIR STAGEと同じ。
そして。
武器マスターを手放した自分と。
どこか似ている。
「……じゃあ、解体って」
「エクリプス一強体制の解体だ」
「最初からそう言えばいいじゃん」
「その方が計画名として格好いいだろう?」
ハイセがカミラを凝視した。
「そこ?」
横でエルネスタが大笑いした。
◇
その夜。
ハイセの端末へ、一件のメッセージが届いた。
送信者。
エクリプス。
内容は。
簡潔だった。
『返事は急がなくていい。私は待っている』
ハイセはしばらく画面を眺めた。
「……普通にいい人なんだよなぁ」
後ろからカミラが画面を見る。
「それとこれとは別だ」
「まだ怒ってる?」
「怒ってない」
「銀の明星解体計画やってるのに?」
「組織改革だ」
「絶対怒ってるじゃん」
「黙れ」
ハイセは小さく笑いながら端末を閉じた。
一方その頃、《銀の明星》では次回会議の議題数が、さらに増えていた。
求婚しただけのエクリプスは。
まだ。
自分が何故こんな目に遭っているのか。
まったく分かっていなかった。