【暗律の戦乙女(ヤミキューレ)】は盤上を覆すが故、己が未来を選ぶ 作:カミッシー
プルメリア王国へ到着したハイセ達を迎えたのは、予想していたよりも穏やかな空気だった。
少なくとも、表向きには。
王都へ入った瞬間に武装した集団から囲まれることもなければ、《銀の明星》の構成員達が敵意を露わにすることもない。むしろ正式な来客として迎えられ、用意された馬車でクラン本部へ案内されるほどだった。
「普通だね」
窓の外を眺めながらハイセが呟く。
「何を期待していたんだ?」
向かい側に座るカミラが眉を寄せた。
「もっとこう、求婚相手が来たぞー、みたいな」
「そんな歓迎があるか!」
「でも会う前に求婚状送る人だよ?」
「……それを言われると否定しづらいな」
隣ではディルクが呆れた顔をしており、シルヴィアは楽しそうに外の街並みを眺めていた。
「私はちょっと楽しみよ♪」
「何が?」
「ハイセ君に会う前から結婚を申し込んだ人が、実際に会った時どんな顔をするのか」
「見世物じゃないよ」
「その割には三校代表を連れてきてるけどな」
ディルクの一言に、ハイセは黙った。
◇
《銀の明星》本部。
応接室の扉が開く。
そこにいた女性を見て、ハイセは足を止めた。
エクリプス・ゾロアスター。
これまで名前も経歴も、写真も資料も見ている。しかし本人と直接顔を合わせるのは、これが初めてだった。
エクリプスもまた、ハイセを静かに見ていた。
長い暗紫色の髪。
白を基調とした衣装。
そして、映像や写真よりも遥かに強く感じられる、目の前にいる一人の人間としての存在感。
数秒。
誰も喋らなかった。
「初めまして」
最初に口を開いたのはエクリプスだった。
「ハイセ」
「初めまして」
ハイセも答える。
「エクリプス」
その瞬間。
カミラのこめかみが僅かに動いた。
「……本当に初対面なんだな」
「だから言ったじゃん」
「確認しただけだ!」
どうやら現実を目の前にすると、改めて頭痛がしたらしい。
◇
互いに着席すると、まず話題に上がったのはセイナの件だった。
「セイナが【四十人の大盗賊】へ関与していたことについて、私から言い訳をするつもりはないわ」
エクリプスは静かに切り出した。
「彼女が何をしていたのか、私は知らなかった。それは事実よ。でも、知らなかったから責任がないとは思っていない」
ディルクが目を細める。
「具体的には?」
「内部監査を見直す。幹部だからという理由で信頼だけを根拠に権限を与える体制も改めるつもりよ」
「セイナ本人は?」
「犯した罪については、正式な手続きに従わせる」
即答だった。
「庇わないの?」
ハイセが尋ねる。
「助けられる部分があるなら助けるわ。でも、罪そのものを無かったことにはしない」
エクリプスはハイセを見る。
「それではセイナのためにもならないでしょう?」
ハイセは少しだけ頷いた。
「うん」
◇
カミラが持参した資料を机へ置く。
「では、《銀の明星》内部で現在起きている議論についてはどう考えている?」
「最近、皆がよく喋るようになった件?」
「……そうだ」
「良いことではないの?」
カミラが一瞬止まった。
「不満ではないのか?」
「どうして?」
エクリプスは本気で不思議そうだった。
「私が決めたことに反対意見があるなら、言ってくれた方がいいわ。今までは皆が何も言わないから、納得していると思っていただけ」
今度はカミラが黙る。
ディルクが横を見る。
シルヴィアは口元を押さえている。
ハイセが尋ねた。
「もしかして、銀の明星解体計画失敗?」
「お前は黙ってろ!」
「解体計画?」
エクリプスが首を傾げる。
「何でもない!」
カミラの返答は異様に速かった。
◇
「でも」
エクリプスは少し考える。
「最近、組織の中で私の意見に反対する人が増えたのは確かね。予算配分、幹部選出、遠征方針……これまで私が決めていたものを、複数人で決めるべきだという提案も出ているわ」
「それを許すのか?」
カミラが聞く。
「必要なら」
エクリプスはあっさり答えた。
「《銀の明星》は私一人のものではないもの」
沈黙。
ハイセが隣を見る。
「カミラ」
「何だ」
「改善してるね」
「見れば分かる」
「解体しなくてもよかった?」
「黙れ」
小声だった。
だが、かなり悔しそうだった。
ディルクが鼻で笑う。
「お前ら、全力で派閥争い煽った結果、組織を健全化させただけじゃねぇか」
「まだ結果は出ていない!」
「負け惜しみにしか聞こえねぇぞ」
カミラの額に青筋が浮かんだ。
◇
「では」
エクリプスがハイセへ視線を戻した。
「次は私達の話をしてもいい?」
一気に空気が変わった。
シルヴィアの笑顔が少しだけ深くなる。
カミラは背筋を伸ばし、ディルクも腕を組んだ。
ハイセだけが普段通りだった。
「求婚?」
「ええ」
「聞きたかったんだけど」
ハイセは真正面からエクリプスを見る。
「どうして俺?」
それは単純な疑問だった。
エクリプスが知っているのは、今の自分だ。
男性だった頃。
《ダークストーカー》と呼ばれていた頃。
サーシャと旅をしていた頃。
それらを彼女は記録としてしか知らない。
「俺達、今日が初対面だよね」
「ええ」
「なのに結婚してって送った」
「送ったわ」
「何を見て好きになったの?」
エクリプスは少しだけ考えた。
◇
「最初は、歌だったわ」
その答えに、ハイセが僅かに目を見開いた。
「Yami_Q_rayとして歌っているあなたを見た。綺麗な人だと思ったし、声も好きだった」
「そこから?」
「興味を持った」
エクリプスは続ける。
「だから調べたわ。七大冒険者第二席、アルルカントの研究に関わる存在、異世界技術の橋渡し、FAIR STAGE。それから、以前は男性だったことも、《ダークストーカー》と呼ばれていたことも知った」
「……それで嫌にならなかった?」
「何故?」
即答だった。
ハイセは少し黙る。
「俺、昔は今とかなり違ったよ」
「でしょうね」
「武器マスターももう持ってない」
「知っているわ」
「今の身体も、自分で選んだものだよ」
「それも」
「じゃあ」
ハイセは少しだけ言葉を探した。
「昔の俺がどうだったかは、あまり関係ない?」
「もちろん無関係ではないわ。今のあなたを作った過去でしょう?」
エクリプスはそこで小さく笑った。
「でも、私が結婚を申し込んだのは記録の中の《ダークストーカー》ではない」
一拍。
「目の前にいるあなたよ」
◇
室内が静かになった。
カミラも。
ディルクも。
シルヴィアも。
その言葉には割り込まなかった。
ハイセだけが、エクリプスを見ている。
「……会ったことなかったのに?」
「ええ」
「それでも?」
「ええ」
「ガチじゃん」
「そこだけは私も同意する」
カミラが思わず口を挟んだ。
エクリプスは少し不思議そうに彼女を見る。
「おかしいかしら?」
「おかしい!」
とうとうカミラが爆発した。
「普通はまず会う! 話す! 互いを知る! その後で交際なり求婚なりをするものだろう!」
「そうなの?」
「そうだ!!」
エクリプスは少し考えた。
「でも、結婚したいと思ったから」
「順番というものがあるんだ!」
「カミラが恋愛の常識を語ってる」
「ハイセ、お前は黙ってろ!」
◇
シルヴィアが笑いを堪えながら口を開く。
「もう一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「ハイセ君があなたと結婚したとして、《銀の明星》へ所属させるつもりは?」
「本人が望むなら」
「望まなかったら?」
「今のままでいいわ」
「Yami_Q_rayとしての活動を制限する?」
「いいえ」
「私との活動も?」
「ハイセが続けたいなら」
シルヴィアは少しだけ目を細めた。
「じゃあ、あなたはYami_Q_rayというブランドを手に入れたいわけではないのね」
「必要ないわ」
エクリプスは迷わなかった。
「私が欲しいのは、肩書ではなくハイセだから」
今度はシルヴィアが黙る。
ハイセが横を見る。
「リューネハイム?」
「何でもないわ♪」
「ちょっと嬉しそう」
「気のせいよ♪」
◇
ディルクはさらに現実的だった。
「婚姻後の居住地は?」
「本人と相談する」
「資産管理」
「同じ」
「活動拠点」
「同じ」
「銀の明星側がハイセの技術に権利を主張することは?」
「ないわ」
「王冠、FAIR STAGE、アルルカントとの研究契約も?」
「ハイセ自身の契約でしょう?」
ディルクはそこでようやく口を閉じた。
「……こいつ、本当に政治的な意図ねぇな」
「だから言ったじゃん」
ハイセが言う。
「好きだから結婚したいだけなんだよ」
「それが一番面倒なんだよ」
ディルクは深く溜息を吐いた。
◇
「でも、一つだけ」
カミラの声が再び真面目になる。
「エクリプス。お前がそのつもりでも、お前の立場は個人だけでは済まない」
「どういう意味?」
「ハイセは現在、アルルカントにとって研究成果の象徴的存在だ。レヴォルフからも多額の研究資金が投入され、クインヴェールではリューネハイムと並ぶ歌姫として活動している」
エクリプスは静かに聞いている。
「だからお前がハイセへ求婚すれば、本人同士の恋愛だけでなく、周囲は《銀の明星》による人材獲得だと解釈する。実際、我々三校は異世界からの新入生と編入生の減少という問題まで抱えている」
「……それは知らなかったわ」
「だろうな!」
「ごめんなさい」
あまりに素直に謝られたため、カミラの勢いが止まった。
「…………」
「カミラ?」
「……いや」
「怒っている?」
「怒っていた」
「今は?」
「少し困っている」
ハイセが笑った。
◇
「じゃあ」
エクリプスがハイセを見る。
「私の求婚は迷惑だった?」
そこだけは、少し声が違った。
ハイセはすぐには答えなかった。
自分に好意を向けられること。
必要とされること。
選ばれること。
かつての自分なら、その意味を別の形で受け取っていたかもしれない。
だが今は。
「迷惑ではないよ」
ハイセは答えた。
「でも、今すぐ結婚するとも言えない」
「ええ」
「今日初めて会ったばかりだし」
「そうね」
「だから、まずエクリプスのことを知りたい」
エクリプスの目が少しだけ見開かれる。
「俺も、自分で決めたいから」
誰かに求められたからではない。
誰かに止められたからでもない。
自分の人生に誰を入れるのか。
その答えも、自分で決める。
「それでいい?」
「もちろん」
エクリプスは静かに笑った。
「待つわ」
◇
「良かったね♪」
シルヴィアが言う。
「何が?」
「即お断りではなかったもの」
「そこ?」
カミラはまだ納得していない。
「確認するが、婚約でも交際開始でもないんだな?」
「うん」
「ただ知り合うところから?」
「うん」
「……それならいい」
何故か保護者のようだった。
ディルクが呆れる。
「お前、何なんだよ」
「研究責任者だ!」
「恋愛に研究責任者関係ねぇだろ」
「うるさい!」
エクリプスは三人を眺めてから、ハイセへ尋ねた。
「あなた、いつもこんな感じなの?」
「大体」
「大変ね」
「慣れたよ」
「本人が一番原因なんだけどね♪」
シルヴィアの一言に、誰も反論出来なかった。
◇
会談の終盤、《銀の明星》の話へ戻った。
エクリプスは内部から上がっている制度改革案について、幹部会だけではなく一般構成員を含めた正式な議論の場を設けると約束した。セイナ事件についても外部監査を受け入れ、今後は一人の判断だけで重要事項を決めない仕組みを整えるという。
カミラはその内容を聞きながら、複雑そうな顔をしていた。
「何?」
ハイセが尋ねる。
「いや」
「銀の明星解体計画?」
「言うな」
「成功したの?」
「……予定とは違う」
「失敗?」
「結果だけ見れば改善しているから、失敗とも言えない」
「じゃあ成功?」
「腹が立つ」
エルネスタとヒルダがここにいれば、大笑いしていただろう。
◇
会談を終えたハイセ達が本部を出る直前、エクリプスが一つだけ呼び止めた。
「ハイセ」
「何?」
「今日は来てくれてありがとう」
「うん」
「結婚の返事は、本当に急がなくていいわ」
「分かった」
エクリプスは少しだけ考えてから続ける。
「次は、求婚相手としてではなく」
「うん」
「私自身を知ってほしい」
ハイセも僅かに笑う。
「じゃあ、俺もYami_Q_rayじゃなくて、ハイセとして見てね」
「最初からそのつもりよ」
二人はそこで別れた。
結論は出ていない。
だが。
それでよかった。
◇
一方、その頃。
聖ガラードワース学園。
サーシャは、編入について具体的な相談をするために生徒会室を訪れていた。
隣にはレティシア。
向かい側にはアーネスト。
「それで、編入時期についてだが――」
サーシャが話し始めようとする。
「その前に」
アーネストは穏やかな笑顔で遮った。
「一つ確認しておきたいことがある」
「何だ?」
机の上。
一台の端末。
画面。
SNS。
サーシャの顔が止まった。
レティシアも止まった。
「…………」
「…………」
アーネストは笑顔のまま画面を二人へ向けた。
「これは何かな?」
◇
そこには過去数ヶ月分の投稿が並んでいた。
レヴォルフへ行くなら十分注意した方がいい。
アルルカントでは研究内容と契約条件を確認すること。
ハイセ周辺では予想外の事件へ巻き込まれる可能性が高い。
クインヴェールにも最近その影響が及んでいる。
そして。
片方が投稿すれば。
もう片方が拡散。
補足。
さらに共有。
サーシャがゆっくり口を開いた。
「……事実しか書いてないぞ?」
「サーシャ」
「はい」
瞬殺だった。
レティシアが冷静に口を挟む。
「ですが、虚偽情報を流したわけではありません」
「レティシア」
「……はい」
二人。
揃って黙った。
◇
「確かに、完全な虚偽ではない」
アーネストは穏やかに説明する。
「だからこそ厄介なんだ」
次の資料を表示する。
三校への出願者数。
異世界出身者の入学・編入希望者数。
そして。
二人の投稿が拡散された時期。
「綺麗に一致しているね」
サーシャが視線を逸らす。
「偶然じゃないか?」
「では、何故星導館、界龍、ガラードワースには同じ減少が見られないんだい?」
「…………」
「サーシャ?」
「…………」
「こちらを見ようか」
「嫌だ」
「見ようか」
「……はい」
完全に説教される子供だった。
◇
「サーシャ」
アーネストは深く息を吐く。
「君はまだ、本校の学生ではないね?」
「ああ」
「ガラードワースへの編入を検討している段階だ」
「ああ」
「なのに何故」
一拍。
「入学前からガラードワースと他校の外交問題を作っているんだい?」
「…………」
サーシャは答えられなかった。
「しかもレティシアと共謀して」
「共謀という表現には異議があります」
レティシアが即座に反論する。
アーネストは彼女を見る。
「互いの投稿を繰り返し共有し、補足し合い、三校への警戒を広めた」
「…………」
「何と呼べばいい?」
「……共謀で結構です」
「諦めるなレティシア!」
「サーシャ、君も黙っていようか」
「……はい」
◇
「でも!」
サーシャは最後の抵抗を試みた。
「レヴォルフが危険なのは事実だろ!」
「今はレヴォルフの校風を論じているんじゃない!」
珍しく。
アーネストが声を荒らげた。
サーシャが止まる。
レティシアも止まる。
数秒。
沈黙。
アーネスト自身も額を押さえた。
「……すまない。少し声を上げた」
「いや」
サーシャが小さく答える。
「こっちも悪かった」
「理解してもらえればいい」
そして。
アーネストは一枚の書類を差し出した。
「二人には、今回生じた誤解を解くための広報活動を手伝ってもらう」
「は?」
「レヴォルフ、アルルカント、クインヴェールについて、正確な情報を確認した上で発信し直すんだ」
サーシャの顔が引きつる。
「待て」
「何かな?」
「私が」
「ああ」
「アルルカントの宣伝をする?」
「そうなるね」
「嫌だ!!」
◇
「なら編入については、少し考えさせてもらう必要があるかな」
アーネストが笑顔で言った。
サーシャ。
停止。
「…………卑怯だぞ」
「ガラードワースへ編入するなら、他校との最低限の関係も考えてもらわないと困るからね」
「ぐっ……」
レティシアは既に諦めていた。
「仕方ありません。やりましょう」
「レティシア!」
「原因の一端が私達にあるのは否定出来ません」
「だからってアルルカントだぞ!?」
「人体実験だけがアルルカントではありません」
「お前まで向こうの広報みたいなこと言い始めるな!」
アーネストは二人を見ながら、静かに思った。
まだ。
サーシャは。
入学していない。
それなのに。
何故自分は既に。
彼女の起こした問題の。
後始末をしているのだろう。
◇
「では」
アーネストが資料を閉じる。
「広報活動が終わったら、改めて編入の話をしよう」
「……はい」
「レティシアも協力するように」
「承知しました」
「それと」
二人が見る。
「今後、他校についてSNSへ投稿する前に、一度内容を確認すること」
サーシャが眉を寄せる。
「毎回?」
「毎回」
「面倒だ」
「誰のせいだと思っているんだい?」
「…………私?」
「正解だ」
ようやく。
話が終わった。
サーシャとレティシアが生徒会室から退出すると、アーネストは椅子へ深く身体を預けた。
そして。
一人になった部屋で。
「……まだ編入前なんだけどな」
誰にも届かない声で、ぽつりと呟いた。
聖ガラードワース学園生徒会長の苦労は。
サーシャが正式に編入する前から。
既に。
始まっていた。